エナの奇妙な冒険#3 ~お腹すいた!~
クウガと別れ、ゼグンド将軍の名を伏せ、「ディナダン・クーゲル」と名乗ってキャストン・ファームという薬草研究施設に辿り着いたエナだったが、経営難に陥っていたファームの住民からは歓迎されず、職員からの思わぬ塩対応に困惑するばかり。何がツライって、ダイエット食並の食事しか出ないってところよ!とヤケになったエナは・・・。
ファーム(私にはそう聞こえるけど、こっちの言葉では「ファルム」という発音が正解みたいだ)の朝は早い。
こっちに来てはや2週間。クウガが言った通りに、ゼグンド将軍の名が入った由緒正しいコルカ(手形)のおかげで、私は難なく「ディナダン・クーゲル」と名乗ってファームの客人として受け入れられた。
とはいえ、スポンサーの紹介であるにも関わらず、私はあまり歓迎されなかった。
案内された小さい部屋には、家具と呼べるものは、傾きかけた固いベッドと、木製の小さなタンスくらいしかない。
ガタガタいう引き出しを引っ張り出し、そこにクウガが第三軍の野営地から持ってきてくれた、水筒と僅かばかりの着替えの入った革袋を押し込むと、それ以上は何も入りそうにもなかった。
「それにしたって、ずいぶん酷い待遇だね。よっぽど金に困っているのかな」と、珍しくシャリオンが不満そうに鼻を鳴らす。
まったくだよね。将軍は、自分と自分の騎士団の活動資金さえもケチって、このファームへの支援を優先させているらしいから、その事を知っているシャリオンは、もてなされて当然と考えているんだろう。
だけど、おくゆかしい日本人である私個人としては、知らない人のお家に訪ねて行って、スポンサーの名前をちらつかせ、養って下さい、って頼むのは気が引ける。
ようこそ!と歓迎されなかった事には、ちょっとがっかりしちゃったけど。
よく考えたら、今の私はお金を持ってないし、この世界でも自分の世界でも働いた事がないんだから、当然何の資格も経験もない、流れ者ということになる。
このファームにとってはタダ飯食い(しかも図体ばかりデカイ)が一人増えるだけで、迷惑でしかないだろう。
無銭飲食が許されて、屋根の下で眠れるだけありがたいけど、やっぱりお世話になりっぱなしじゃ申し訳ないよ。
この環境に少し慣れてきたら、何かお仕事手伝わせてもらえないかな。ノースキルでも、このオッサンは力持ちなんだし、荷物持ちとか、薪割とか出来ることがあるはずだ。
そう思っていると、シャリオンは少しの間黙っていたけど、ややして
「ふぅん。君って案外――――いや、なんでもないよ。僕が酷い待遇だって思うのは、そういう意味じゃないさ。
僕は君よりずっと、ゼグンド将軍について詳しいし、彼がいかに偉大な英雄なのか知ってるから、いたたまれなくてね。
正体を隠している今は、どこへ行ってもこれ以上の待遇は望めないのはわかってるけど、考えずにはいられないんだよ。
彼の功績を正しく認識している領主や、カリスク、ヘキルジア王を訪ねれば、一国の王にも等しい待遇でもてなされるっていうのにね」
と、深々とため息をついた。
いつも悪態ばかりついて、滅多に他人を褒めないシャリオンだけど、ゼグンド将軍に対する評価は意外に高くてビックリだ。
今は声しか聞こえないから、どんな顔をしているのかわからない、シャリオンの幼い声は、時々ひどく大人びて聞こえる。
そういえばシャリオンって何歳くらいなんだろうか?見放されるのは絶対嫌だし、機嫌を損ねるだけで口をきいてもらえなくなるから、これまでなるべく「アンタ誰?」という肝心な事を聞かずに来たけども。
そろそろ聞いてもいいのかな?でも、答えてくれるんだろうか?
そんな事をチラッと期待してしまったけど、当然ながら、シャリオンだんまりを決め込んで、知らんぷりだ。
答える気なんてないみたい。
私は諦めて、他の事を考えることにした。
少ない荷物を片付け終え、粗末なベッドを整え、ツギハギだらけのカーテンを見ると、自分の部屋のピンクのカーテンが恋しい、と思ずにいられなかった。
ついでにママや学校の友達のくーちゃんやマリちゃんの顔が脳裏に浮かんで、ホームシックに陥りそうになる。私は慌てて首を振った。
えーい、こんなんじゃダメよね!しっかりしなくちゃ!メソメソしたって、元の身体にも、お家にも帰れないんだから。
そう自分に言い聞かせたんだけども、これまで努めて考えないようにして来た、元の生活を思い浮かべてしまうと、どんどん不安がこみ上げてきて、泣きたくなってしまった。
これまではクウガという第三者がいたため、怪しまれてはいけない、と気を張りつめていたし、珍しい風景やいろんな事柄に気を取られて、考えずに済んできたのが、やっと足を止め、泊まれる部屋に身を落ち着けてしまうと、堰を切ったように、色んな感情が胸を圧迫しだした。
このまま帰れなかったらどうしよう?いつ元に戻れるかわからないのに、このゼグンド将軍の代わりに戦えって言われたら、どうしたらいいの?
と、果てしなくマイナス思考が膨らんできて、クウガが傍にいない心細さも手伝って、胸がシクシク痛みはじめた。
ママに会いたい!隼人は、また顔を腫らして帰ってきてるんじゃないのかしら?大丈夫なのかな?ホントはイジメられているんじゃないの?気になる!
ああ、くーちゃんやマリちゃんと、ドラマやゲームの話がしたいよう・・・!
「ちょ、ちょっと・・・!落ち着きなよ。そんな事考えたってどうしようもないだろう?」
と、シャリオンが慌てた様子で、珍しくオドオドと話しかけてくる。
わかってるよ、クヨクヨしたって仕方ないって事くらい。でもね、理屈はわかっていても、気持ちがついてこないの。納得してたつもりだったけど、やっぱり理不尽なんだもん!
オッサンの身体になってよかったって思える事はほとんどないし!疲れにくかったり、運動神経がよかったり、アホほど健康だってことくらいじゃない・・・・!
「いやいや、立派な恩恵だと思うよ?健康はお金を出しても買えないんだしさ・・」
私、17歳なんだよ!?ピッチピチの女子高生なんだよ!健康なんかどうだっていいのよ!オシャレしたり、カッコイイ男の子とデートするのを、コッソリ夢見てたんだから!
「うっ・・・・・・・・いやいや、あの、健康も大事だよ?」
私くらいの女の子なら、そーいう事が生活の8割以上なの!!(注*エナに限った事実です)お年寄りじゃあるまいし、血糖値や骨密度、肺活量なんか気にしたこともないわ!
「うぅ・・・」
珍しく気まずそうに口籠り、ツッコミすら弱弱しくなっていくシャリオンだったけど、その沈黙と共に、17歳の女子高生に対する侮蔑と畏怖の感情が、混ぜこぜになって私のところまで漂ってくる。
呆れたらいいのか、理解しがたい生き物だと認めたらいいのか、わからない、という感じだ。
シャリオンの考えていることが、なんとなくわかってしまうんだけど、落ち込んでしまって超ネガティブモードに入ってしまった私には、どうしようもない。
いくら脳内からシャリオンのメンタルサポートがあったとしても、これからはたった一人で、慣れない環境に適応しつつ、「ゼグンド将軍」になってしまったのに「ゼグンド将軍」であることを隠さなくてはならない、ややこしい難問に向き合っていかないといけないのだ。
これまで読んできた様々な娯楽小説をいくら思い出しても、どうやったらその主人公たちみたいに立派にホームシックから立ち直り、飄々と顔を上げて生きていけばいいのか、わからない。
異世界人だという事にメリットを見出し、特許と著作権は?という概念もガン無視し、我が物顔で地球の文明を異世界に持ち込み立身出世を果たす、ご都合主義なお話の主人公たちが、心底羨ましい。
私ときたら、お金になりそうな知識も技術もないし、自分より一回り以上も年食ったオッサンになっちゃったし、今は将軍ですらなくて、「ただの居候」もしくは「浮浪者」だし!
女子力底辺どころか「女」でもないし、そこらの恋愛小説みたいに、イケメンに一目惚れされるような要素が皆無!
も~~~どこに希望を見いだせばいいのか、どのあたりで明日を楽しみにしたらいいのか、全くわからないよ!!
なんで私がこんな目に!?そして、ゼグンド将軍がいかに素晴らしい英雄なのかを聞かされる都度、比べたってしょうがないというのに、劣等感みたいなものまで覚えてしまって、いたたまれない。
何しろ、この世界に来て、密かに胸ときめかせてしまった(会って数日しか経ってないけどさ)、超イケメンのクウガはこのオッサンに心酔しているのだ。
うぅ、妬ましい!!
こんな、筋肉ダルマのオッサンに負けて悔しい、と思う日が来るとは!
なんって屈辱なのかしら!
そこまで考えてしまうと、私はついまたベソをかいてしまい、慌てたシャリオンに身体の主導権をひったくられた。
「バカ!!部屋の外まで聞こえちゃうだろ!気持ち悪い顔で泣かないでよ!
あ~~も~~わかったから!君の不満も、言い分もよっくわかりました!!次の定時報告の際に、きちんと上に言っとくから!
例の「いざという時のため」に貸与される品に、少し手を加えてもらうよ」
おや!?
貸与?もしかして、マジックアイテム的な何かがもらえるの?
乙女心とはゲンキンなもので、何かもらえるのかも、と思えば、にわかに好奇心が頭をもたげてきて、私はぴたっと泣き止んだ。
それで、それを使えば髪がキラキラの金髪になったり、美人度がアップしたり、イケメンに好かれるモテオーラが出たり、するの?
「んなわけねーだろ!!ちょっと使い勝手を良くするだけ!変な期待は止めてくれ!!ウチの開発部は、少女漫画なんか読んでないからね!」
大体、貸与品の意味わかってる?プレゼントじゃないんだよ、一時的に貸してくれる物って意味だよ!なんで貰えるって勝手に思い込むかな!?返さずガメる気??厚かましいな!
と、シャリオンはいつもの調子で、ガミガミ怒りはじめてしまった。大人びている一面もあるけど、やっぱり短気なのは間違いないようだ。
シャリオンの同情モードは、当然ながらここで完全終了。カップ麺が仕上がるほどの長さもなかったのは、本当に残念だった。
夕暮れ時になると、明らかに野菜や肉やらを煮込むいい香りが廊下に漂い始めたので、呼ばれもしないのにフラフラ出て行き、臭いを辿って食堂と思しき大広間に出ると、そこには既にファームで働く従業員の人々の姿があった。
食堂といってもそんなに広くない。せいぜいが教室二つ分をくっつけた程度で、背の低い仕切り越しに配膳エリアがあり、巨大な鍋3つと、たくさんの食器が見えた。
会社の食堂としては、つましい規模の部屋に、30人以上もの人間がひしめき合っているので、余計に狭く見える。
後になって聞いた話によれば、このファームには150人以上が住み込みで働いているから、食堂も3つあるのだそうだ。
たまたま、あてがわれた部屋から一番近い食堂に行ってしまったというだけだったけど、午後6時前後という時間帯だったので、既に満員に近く、座れるスペースも僅かだった。
白っぽいローブみたいなものを来て、手袋をはめた研究員風の男女はそのうちほんの5名程度で、後は泥で汚れた長靴を履いた農作業員風の人達がほとんどだ。
予想はしていたけど、閉鎖された環境にやって来る「新入り」が目立たないはずがなかった。
半開きになっていた、臙脂色の木戸を押し開け、そぉっと私が広間に入った途端、食事の乗ったトレーを抱えて移動中だった人、そして既にテーブルに向かって食事をしていた人々の目が、サッと私に向けられ、ギクッとして肩を強張らせてしまったんだけど、それらは向けられた時と同じくらいに素早く逸らされた。
「よそ者」に向けられる好奇の眼差しを一瞬向けられただけで、小心者である私は、回れ右をして帰りたくなったんだけども。
だけど、長い距離を歩いて来た後だったし、健康すぎるゼグンド将軍の身体は正直で、おいしそうな夕食の匂いに触発されてか、お腹がぐぅぐぅとうるさいくらいに鳴っていたから、食事を諦めるわけにはいかなかった。
しょうがない。食事は貰うだけ貰って、部屋で食べよう。
目を逸らした後でも、チラチラと私を覗き見てくる人々の頭の動きを、なるべく見ず、気にしないようにする。
だがしかし、優れた聴力を持つ将軍の耳には、当然、周りで囁かれるヒソヒソ話の内容をも拾ってしまう。
「ゼグンド将軍の御名が入ったコルカを持っているそうよ・・・!」
「まあ、じゃあ第三軍の兵士なんじゃないの?」
だの
「今頃部下を差し向けてきたのか?呑気なものだよな。こっちがどういう状態なのか、きっと何も知らないに違いない。もし知っていたら、無駄飯食いなんか寄越せないはずだろう」
「シッ!聞こえるぞ・・・!ゼグンド将軍に報告されたら、それこそおしまいだぞ。なにしろ、今や唯一の資金源だ。ウチの事業はもう――――」
と、いっぺんにいろんな事がごちゃごちゃと頭に入ってきて、私は思わずぴたりと足を止めてしまうところだった。
いつもなら、シャリオンが「ゼグンド将軍らしくない」と怒って、私からこの身体の制御を奪うところなんだろうけど。
別人としてこのファームに来たからには、むしろ「私らしい」振舞いをしていた方が怪しまれず、ゼグンド将軍だとバレずに済むだろう、と言われていたから、そうはならなかった。
――――う、滅茶苦茶怪しまれてない?それに兵士ってバレてるけど、いいのかな?
「そのくらいは仕方ないよ。そのマッチョ体型が短期間で萎むはずないからね。クウガが送っておいたっていう事前連絡にも、これからお世話になるディナダン・クーゲルなる人物は、退役軍人です、と無理のない説明を含んでいたそうだから問題ない」
それよりも、とシャリオンはそこで小さく舌打ちをした。
「気になる話が聞こえたよね?キャストンファームの主な収入源の、薬草、薬品販売業が経営破綻?そんな報告、クウガですら受け取っていなかったはずだよ。
大体、ここで育つ薬草の品質は高く、ロスワンでは1,2を争う人気だった。研究分以外にもたくさん栽培して大手の商人ギルドに卸し、その収入額はここ数年ほど安定していたんだ。
ロスワンに向かう、とクウガから聞いた後すぐ、ゼグンド将軍の記憶を漁って、「こうなる」二週間前に受け取っていた定期連絡の内容を照合したから、間違いないよ」
全国各地に散っている諜報員が集めて来た情報は、まず三軍の諜報部隊の長であるアルテラ・グィードの元に集結され、クウガ、そして最も腕を買われている5名のトップランクの構成員が内容を精査し優先順位を決めてから、マッケイ副団長、ゼグンド将軍に届けられるのだという。
結果的に全ての情報を握っているのは諜報部隊で、全ての情報がそのまま上に届くわけではないのか。
シャリオン曰く、組織というのはそういうものだという。
だけど、それでもファームの研究にはゼグンド将軍も気にかけていたから、クウガ達はいつも定期的な報告を受け取ると、すぐにゼグンド将軍の耳に入れていたらしい。
それなら、確かにおかしい。
たった二週間の間に、経済状況が変わった、ってことになるんだよね?
「うん。大口の取引でしくじったとか?製薬業って、一度信頼を失うと、回復は難しいから・・・よほどの事があったんだろう」
ううっ、異世界だってことを忘れそうなほど、ロマンの欠片もなく世知辛いお話ね!
世界が変わっても、人間が築いた社会である以上は、似たような仕組みが出来上がるものなのかもしれない。
そして、聞き捨てならない話をいっぺんに耳にした私だったけど、お腹がぐぅぐぅ鳴ってそれどころではない。
ええい、まずは腹ごしらえよ!どれどれ~、本日の献立は何かな?
バイキング形式みたいに取り放題ではなく、一人ずつ、トレーの上に空の器を乗せてオープンキッチンのカウンターまで歩いて、配膳係の職員さんからご飯をよそってもらうみたい。
私は空腹に勝てず、ヒソヒソ話や好奇の眼差しに身を竦めつつも、皆と同じように、トレーを手にして列の最後尾に並んだ。
今夜の献立は、肉団子入りのポトフ。量といえば、せいぜいお味噌汁の椀一杯程度で、とても少なく、不格好な野菜を適当に切り分けただけのサラダと、見るからに固そうな黒パンが一切れ、添えられるだけ。
どうやら客だからといって、特別大盛りにしてくれるようなサービスはないらしい。ポトフの入った鍋の横で、トングでサラダをぽいぽいテンポよくよそってくれているおばさんも、ブスっとした顔のまま、私のトレーの上に乗ったお皿の上に、ひと掴み分だけ、瑞々しい野菜を盛ってくれただけだった。
サラダのつまった大きなボウルの隣に、黒パンのスライスを盛った籠があって、それだけは列に並んだ人が、一切れずつ自分で取る、という決まりみたい。
私はついつい食い意地を張って、そのパンをコッソリ二枚取ろうかと、よからぬ事を考えてしまったんだけど、サラダを取り分けていたおばさんにジロリと睨まれ、しぶしぶ皆に倣って一枚だけつまんで取った。
うう、なんかダイエット道場みたい!ズルは許されないし、少ないよぅ!!
バターもドレッシングもない!
大体、このオッサン(ゼグンド将軍)がほっそり痩せたって、誰も喜ばないわよ、むしろ私(私の身体ね!)が痩せたいわ!
憧れのブランドの新作スカート、7号サイズしか売れ残ってなかったのよね!
あと1センチ細けりゃジャストフィットするのよ!
「またバカなことばっかり言って・・・君の方こそ痩せたところで、誰も喜ばないだろ」
シャリオン、余計なツッコミはいらないよ!!それより、魔法で食べ物出してよ、チーズバーガー食べたいっ!!
「ハァ。・・・・・・・・・あのスカート、ウエスト57センチじゃないとフィットしないから、一生無理そうだね」
うっそぉ!!?
もちろん、肉団子1つ、芋みたいな穀物のスライスが2キレ、にんじん、玉ねぎっぽい野菜をトロトロになるまで煮込んだ、ポトフ一杯と、ドレッシングもかかってない生野菜サラダと、黒パン一枚で、ゼグンド将軍のお腹が満たされるはずがない。
この日私は、ゼグンド将軍の身体で目覚めて以来、初めて耐えがたい空腹というものを経験し、寝付くのに随分と時間がかかってしまった。
そして今に至る。ファームに辿り着いてから4日が経過した。
今日も今日とて、自分のお腹(正確には、ゼグンド将軍の)が空腹を訴える、ぐぅ~っという腹の音で目が覚めてしまった。
ああ、お腹がすいた!!バッキバキに割れた、オッサンのこのシックスパックだって、ここ数日の間に、ちょっと小さくなったんじゃないのぉ?
背中もちょっとすっきりした気がするよ!ぜんっぜん嬉しくもなんともないんだけど!!
これまで、このキャストンファームに来るまでは、世話好きなクウガが一緒だったから、私は飢えることなく快適な旅を続けてこられたのよね。
2時間と空けず、美味しい木の実や、果物をどこからともなく採ってきては、私に勧めてくれたのよ。
普通の女の子なら、きっとそれだけでコロッと恋に落ちちゃうよね、きっと!
イケメンに胃袋掴まれたら、そりゃおしまいですよ、オクサマ!
別れて初めて、その有難みと尊さが一気に込み上げてきて、泣けてくるったらないわ!
釣りも料理も上手だし、ホント、いいお嫁さん的な部下だった。ゼグンド将軍も、どうせこの年まで独身だったんだから、もういっそクウガと結婚すりゃいいんじゃないの?性別なんて小さな事にこだわってないでさぁ。
「大きなお世話だと思うよ。まったく・・・少し前まではゲイだとか、イケメンの無駄遣いだとか、わけのわかんない事言ってたくせに。
お腹が空くと、すぐクウガクウガって煩いんだから」
私の脳内からは、げんなりした様子の、シャリオンのお小言が聞こえてくる。
これも毎朝のことだ。
そして、空腹のあまり、二度寝することもできない私がまずやることといえば、シャリオンに頼んでこのオッサンの生理現象、すなわち「お小水」の始末、つまりはおトイレに行ってもらうことだった。
この隙間風がぴゅうぴゅう差し込む粗末な部屋には、もちろん専用のバスルームや洗面台なんて素敵なものは、一切ない。
部屋から出て、踏む都度ギシギシ不気味な音が鳴る廊下を300メートルも歩いた先に、共用トイレがあるので、用を足すにはそこを使うしかないのだ。
シャリオンはいつもぶーたれるけど、オッサンのシモの世話も、業務の一環である、と納得しているらしく、「えー、またぁ?」とか「ちょっとは我慢してよ」とも言わずに、すぐにやってくれる。
おかげ様で、私は未だ成人男性のシモ事情を目の当たりにせずに済んでいる。
立ちションで便器を汚した~とか、毎日下着も取り替えない、とか想像するだけでゾッとするからね!
シャリオンはぶぅぶぅ言いながらも、文明人らしく用を足した後は手も洗ってくれるし、前の日に私が洗濯しておいた、三分丈のトランクスっぽい下着(ゴムの代わりに紐を二重巻きにして固定する)に履き替えることもしてくれるので、本当にありがたい。
それにしても、ゼグンド将軍はずいぶんと寝起きがいい。
私なんて、こんな事になる前、つまりは地球の自分の部屋で寝起きしていた頃には、夜遅くまで乙女ゲーム三昧で、漫画やポテチ片手にダラダラ過ごして寝落ちし、朝7時にセットしたアラームに起こされるも、余裕をもって起きられた事がない。
半分寝ながら洗面所に向かって、たまに朝シャンして、結局いつも朝ご飯を食べる時間が足りなくて、ちょっと残す羽目になるのよね。
ああ、ママが恋しい。ママのご飯食べたい!いつも残してた朝ごはんが、ここにあったらなぁ!
おっと、またシャリオンがイライラしながらツッコミを入れてきそうだ。
そうそう、ゼグンド将軍の体になってからなんだけど。空腹で目が覚めるとはいえ、一度起きてしまえば、頭がすぐにシャキッとして、尿意とはまた別に、ソワソワするのよ。
なんでかしら?
「万年運動嫌いの君と違って、ゼグンド将軍は生粋の武人だからね。毎朝起きたらすぐ、槍をふるうんだよ。時間があるときは1万回。ないときは1千回の素振り。それから、10キロほど走り込み」
げぇっ!?そんなにやるの!?うっそぉ!
じゃあ、この体のソワソワというのは、もしかして「動きたい」というやつ?私、17年生きてきて一度もこんな感じになったことないわよ!?
悲しきは、インドア派とアウトドア派の差という事か。
でも、ちょっと待ってよ?私、槍なんか持たないよ?そんな物騒なもの、持ったことないし、ここにはそんなものないし!だいたいなんで、戦う予定のない、非戦闘員の私が、槍の訓練なんかする必要があるの?
ナイナイ!お断りよ!
そう思うのに、ゼグンド将軍の「日課」というやつを知ってしまった反動が来たのか、私の意志に反して、体が勝手に外に向かって歩き出してしまうではないか。
え、ええええっ!?シャリオン、また勝手にこの体を動かしてるの?
「いや、違う。それは体の記憶が、君の意志を上回った証拠だよ。やりたくないっていう君の意志より、ゼグンド将軍の体が「これは譲れない」という残留思念が勝っちゃってるみたいだね。
もう諦めて、この際だから君も武芸を学ぶといいよ」
いやああああ!!
と思ってたのに。毛玉の浮いたラクダ色のシャツを、細袴みたいなこの世界のズボンにインしちゃうという、私のファッションセンスからすれば、ダサいことこの上ない姿のまま、ゼグンド将軍の体は勝手に、菜園のある広い中庭に向かって、外に出てしまった。
せめて着替えを!と思うのに、ゼグンド将軍の足は勝手にがりがりと歩き続け、驚いたことに迷いなく、農具置き場の方へと歩いていく。
盗まれそうな、金目のものがないせいか、警備員をリストラしてしまったためか、夜明け前のこの時間に人の姿は見えない。
粗末な木戸には錠もかかってなかったし、手入れの行き届いた畑とそれを覆う囲いは頑丈だけど、農具なんかはかろうじて雨水を避けるための覆いをかけてあるだけで、ほぼ野ざらし状態だ。
どこに槍が?という私の疑問は、すぐになくなった。
ゼグンド将軍の手は、鍬や鋤、杵、何に使うかよくわからない、様々な農具をがっさがっさとかき分け、一番重たい熊手みたいなものを引っ張り出した。
太さ10センチはありそうな、錆の浮いた重たそうな熊手っぽいその道具は、他の農具に比べると柄が短めで、上部分の先っちょには、太い鉄の輪がしつらえてある。
どうやらここにロープか何かを通し、家畜にひいてもらって使うものなのだろう、とシャリオンが教えてくれたんだけど。
ゼグンド将軍の手は軽々と、10キロ以上もあるその農具をヒョイと持ち上げ、重さを確かめるかのように、何度か上下に振ってから、くるりと踵を返し、今度は農具置き場の右を通り過ぎ、納屋から納屋へと続く小道をズンズン歩き始めた。
どうやら稽古に必要な場所を探しているみたい。
私自身、もう抵抗する気が起きないので、ゼグンド将軍の身体に任せているんだけど、なんだか全自動式のゴーカートに乗せられたような、不思議な気分だ。
朝露に濡れて、ぬかるんだ地面を踏みしめる足裏の感触も、錆くさい鉄の棒の重みも、しっかりと自分の身体に伝わっているというのに、よそ見することも、止まることもできないのだから、なんとも理不尽よね。
そうして人目につかない、拓けた場所を見つけると、ゼグンド将軍の身体は勝手に、熊手をブンブン恐ろしい速度で振り回す、基本稽古の素振りというものを始めてしまった。
ドラマや漫画で見かけるような、上から下へ、という同じ動作を延々と繰り返す素振りではない。
ゼグンド将軍の槍(熊手だけど・・・)は、一度上から下へ振り下ろされると、あとは仮想の敵を前にしているかのように、すくい上げたり、複雑に角度を変えて捻ったかと思えば、意外な角度から攻撃に転じたりして、実に目まぐるしい動きをするのだ。
その動きをやっている、ゼグンド将軍の身体の中にいるからこそ、特等席から観るだけでなく、肉体の動きを自分のもののように感じられるのが、とにかく不思議だけど、しばらくするうちに慣れてきた。
ブォンブォン空を斬るその槍の動きを可能にしているのは、地面の上を滑るように、這うように動く将軍のフットワークだ。
重心の移動が恐ろしく滑らかで、手首のひねりに合わせて身体全体が一本の糸みたいに繋がっているみたいに、「1万回の素振り」が一連の動作になっていく。
ただし、決して楽なことではなかった。
終わりごろになると、流石にあちこちの筋がギシギシいってくるし、恐らくはエネルギー不足なのだろう、時々頭がフラっとして意識が途切れそうにもなった。
個人的には、これが一番慣れず、つらかった。
シャリオンにバカにされるのも無理はない。
そう、この時私は本当に、「飢える」ことを知らずに生きてたんだ、と思い知った。
お腹がすいたら、冷蔵庫を漁るか、ママから貰ったお金を使って、買い食いすればよかったんだもの。
恵まれた家庭で何不自由なく育った、と言われるのも無理はない。
それなのに、私ってば、お小遣いが少ないだの、夜遅くまで働いているママの代わりに、いろんな家事をやらなくちゃいけないからバイトもできない、と、ぶーぶー文句ばかり言ってたし。
今思えばちょっと恥ずかしい。周りの友達よりも、ちょっぴり忙しい、というだけだったのに。
それが今や、ちょっとしか食べ物を貰えず、いつもお腹がすいている。
こんな風に、空腹がつらくて朝早く目が覚めたり、また、そんな状態で毎日重たい熊手(仮想槍?)を1万回もブン回すなんて、マゾい朝練に勤しむこともなかったんだ。
あああ、お腹すいたよぅううう!!
スクランブルエッグ食べたい!こんがり焼いたトーストに、バターかこってりしたピーナッツバターたっぷりつけて、3枚くらい食べたい!
「あーもう!!毎朝毎朝、食べ物のことばっかり考えて、ほんとウルサイね!」とシャリオンに容赦なく叱られる。これも日課になりつつあった。
人目をはばかるようにして、すきっ腹に鞭打つような奇行に明け暮れた後、私はやっと身体を自由に動かすことができ、ここでひっそりと洗面所に向かって、たらい一杯分の水を自分の部屋まで汲んでいく。
本当なら、朝シャンしたいところなんだけど、ここの水道ったら、蛇口をひねってもチョボチョボ、というくらいの量しか水が出ないし、洗面所の鏡には「一人一日1カロン(元の世界でいうリットルに近い単位)まで」と書かれた張り紙があったので、居候としましては、遠慮せざるをえない。
お風呂は、3日に一度だけ。その日しか、大浴場の巨大な風呂釜にお湯を満たしてもらえないので、それまで我慢するしかない。
うう、臭いよぅ、フケツだよぅ!!
そんなわけで、毎朝一汗かいた後には、お水を張ったタライを部屋に持ち込み、そこに手ぬぐいを浸し、シャリオンに頼んで全身を拭き清めてもらうしかない。
石鹸も、共用洗面所にしかないので、そうそう無駄遣いもできないから、ほんとに、水拭き程度だ。
そうして身を清め、なんとか毎日洗っては替えているシャツを着て、朝食を取りに行くんだけど。
いつも日の出と共に起きて、畑仕事をしに出てくる人にも会わないよう、コソコソ訓練して戻ってきても、それでも決められた朝食の時間には、早いんだよね。
食事を作ってくれている、炊事場の職員さん達も、毎朝4時には起きているんだけど、ファームに住んでいる157名ぶんの食事を用意するのは、それこそ何時間もかかるんだって。
それで、私は空腹を持て余し、じっと待っているのも苦痛だったので、できるだけお手伝いをしようと思いついた。
頑張ったら、少しくらいシチューを多めによそってもらえるかも、と淡い期待もあったしね!
ところが、今の私の見た目は、立派なオッサンでしょ?
手伝おうにも、喜ばれるどころか、
「クーゲルさん、お皿も貴重な物資なんです。割られると困りますんで、どうぞ大人しく食堂でお待ちくださいね」と、言葉だけは丁寧だけど、とっても迷惑そうな顔をされて、門前払いされてしまった。
うぅ、酷いわ!
人を見た目で判断しちゃいけませんって、習わなかったの!?
とはいえ、先ほどまで嫌というほど鉄の熊手(15キロはあるだろう)を振り回していた、ゼグンド将軍の、グローブみたいに大きい手を、改めてじっと見てみると、誤解するな、という方が無理かもしれない。
どう見ても、不器用そうだ。クルミ割ったり、芋を裏ごししたりするしか能がなさそうよね・・・。
そう考えてションボリしていると、ちょうど外の備蓄置き場から樽を転がして運んできた、下働きの少年と、バッチリ目が合った。
どう見てもまだ13、4歳くらいにしか見えない、綿毛のようにチリチリの茶髪のその子は、はじめは私を見て怖がっていたけど、何度かすれ違う都度挨拶するようになり、今ではすっかり仲良くなった、アレクっていうの。
彼はにっこりと笑顔を見せてくれて、「おはようございます!クーゲルさん!」
と挨拶をしてくれた。
よそ者を歓迎しない、4日も経つのに未だに私を避けて通る人が多いこのファームで、この子と話す時だけは、私も肩の力が抜けて、ホッとする。
「おはよう、アレク!荷物持とうか?」と手を差し出したけど、
「いえ、とんでもない!これは僕の仕事なんで!」と断られた。
お父さんが、ファームの薬草畑で働いている、というアレクはとっても働きものだ。
年の頃は、ウチの愚弟、隼人と同じくらいだというのに、なんって健気でいい子なのかしらね!
あの子、今頃どうしてるかな。私の身体に入ってしまってる、ゼグンド将軍は、隼人みたいな反抗期の子を、どう扱うんだろうか?ちょっとだけ心配だけど、何しろ将軍は大人だもの、任せていても大丈夫よね?
「・・・・・・・それはどうかな・・・」と、シャリオンが不安そうにポツリと漏らしていたけど、どういう意味なんだろうか?
「あのぅ・・・・それより、クーゲルさん。実はちょっと困ったことがありまして。助けていただけないでしょうか?」
ふと、樽を転がしていた手を止めて、アレクはオドオドと視線を彷徨わせた後、上目遣いでじっと私を見つめて来た。
ハシバミ色の大きな目が、困ったように何度も瞬いて、断られたらどうしよう、という気持ちが痛いほどに伝わってくる。
「何かな?わた・・・いや、俺が出来る事なら、喜んで手伝おう」
隼人もこのくらい可愛げがあったらな~と、コッソリ考えてしまいながら、機嫌よくそう答えると、アレクはパッと顔を輝かせた。
「あ、ありがとうございます!あの、最近、食卓に牛乳が出ないでしょう?気づかれました?」
「え?あ、そういえば、初日に出たっきりだっけな?この敷地で飼っているウーボ(この世界の言葉での「牛」で、牛乳は「ウーボミル」と読む)の乳だろう?美味いものだな」
ファームについて最初の朝食に出された、搾りたてのこの世界の牛乳、ウーボミルの美味しさといったらたまらない。バターミルクのようにコクがあって美味しいんだよね。
いけね、思い出してたら涎が出そう。
アレクはぐっと片手で私の袖を掴んで、来た道を指さした。
「そうなの!僕も飲みたいんだけど、ウーボの機嫌が悪くて、誰も近づけないんです!あれに蹴られたら、最悪死んじゃうかも」
えっ?
可愛い顔してとてつもなく不穏なことを言いながら、アレク少年はグイグイと私を引っ張っていく。
あの、もしもし?
ひと蹴りで大の大人の男を殺せちゃうような、狂暴な牛?それを私にどうしろと?
ちょ、ちょっとちょっと!い、嫌よ!やめてよ!!私、闘牛なんてやったことないわよ!
てか、私に何を期待しているの!?まさか、このオッサンの見てくれのせいで、私だったら正面からその牛と戦って勝てる、とか無茶な夢を見てるわけ?
無理!無理だから!!と言おうとしたんだけど。
これまた、なんでかな。
シャリオンが何か言う前に、毎朝の素振り鍛錬の時と同様に、私の身体は逃げをうつどころか、よしきた!とばかりに、アレクの導きに素直に従い、のしのしとガニ股で廊下を歩き進み、ついには獣臭漂う家畜小屋に辿り着いてしまった。
ちなみに、この世界の牛、つまりはウーボの身体は半端なくデカイ。
一頭の雌ウーボがいれば、50人分のミル(乳)が絞れるという優れもの。
そういう話を道すがら、アレクから聞いてはいたんだけど、小屋について実物を見て、内心ぶったまげた。
どうりで、家畜小屋というわりに天井が高く、広いわけだ!
そのウーボときたら、ゾウくらいに大きく、顔も体もやたら丸くて関節と思しき箇所ですら、ゴツゴツした突起が見えない。
2頭のうち、一頭がこちらにお尻を向けて寝ていたわけだけど、その尻尾まで丸くて、正直、私がしっている「牛」とは共通点らしきものがほとんど見当たらなくて、一瞬小屋を間違えたのかと思ってしまった。
フサフサした毛の色だって、グレー単色だし、角もない。
「大きいでしょ?太り過ぎなのかな、機嫌が悪くて乳を搾らせてくれなくなったんですよ」
家畜が太ると、脂肪が内臓を圧迫し苦しくなるので、動くのを嫌がるものだからますます太る、という悪循環に陥るので、食べ物には気を遣っていたというけど。
どう見ても手遅れだ。太り過ぎ!
アレクが指さす、「お乳」だって、パンパンに張った四肢のぜい肉に押しつぶされた形で、見えづらいくらいだ。
ちょっと待ってよ?
私は思わず背の低い鉄のフェンス越しに身を乗り出し、ウーボの餌箱とおぼしき、巨大なゴミバケツみたいな銀色の桶を凝視してしまった。
そこには、食べ残しの、果物や野菜、そして瑞々しい緑の草といったように、バリエーションに富んだ餌がまだ残っており、もう一頭のウーボが、その傍で口をくちゃくちゃ動かしているところだった。
何アレ?
私達には、ほんのちょっぴりしか食事が用意されていないというのに。
なんで寝てるだけ、一日一度、お乳を搾られるだけのウーボは、お腹いっぱい食べさせてもらえているわけ?
ちょっと甘やかし過ぎなんじゃないの?
空腹から来るイライラも手伝って、目つきが悪くなるのが自分でもわかる。
「見た所、大人しいけど、なんで乳を搾れないのかな?」
人相の悪いゼグンド将軍の顔が、ことさらヤバイことになっているよ、とシャリオンに小声で注意されたので、私はなるべく頑張って、優しい口調を装ってアレクに聞いてみた。
「絞ろうと近づくと、怒るんですよ!あの巨体ですからね、少し足をバタつかせられるだけで、危なくて誰も近づけません」
ふーん。
へ~~、お腹いっぱいになって幸せそうに寝てるっていうのに、お乳絞らせてくれないんですか。
職務怠慢じゃないの?飼育員なら、2,3発どついて言う事聞かせるもんじゃないの?
「あの、エナ?君、そんなキャラだっけ?なんかゼグンド将軍の悪影響でも受けてるみたいだよ?」
と、シャリオンがなんだか引き気味にそんな事を言ってくるのだけど、それどころじゃない。
私の目は巨大なデブ――――じゃない、ウーボを素通りして、瑞々しい野菜や果物がゴロゴロ残っている餌入れに釘付けだ。
そうしている間にも、私のお腹(ゼグンド将軍の、だけど!)はぐぅぐぅと切ない音をたてて、糖分不足なのか、頭もガンガン痛みを訴えている。
多分だけど、ゼグンド将軍本人だって、これほど飢えるのって久しぶりなんじゃないかしら?私だってイライラする時はするけど、動物をぶん殴りたい、だなんて思った事はないもの。
「なるほど、飢餓のあまりシンクロしてるのかもね。確かに、ゼグンド将軍本人がここにいたら、止める間もなく、あのウーボを殴るか、締め落として強制的にミル(乳)を絞るよね。
彼、けっこう短気なところあるし」
でしょでしょ!私がイラっとしたのも、そのせいよ!
だけど、ゼグンド将軍はここにいないし、ゼグンド将軍の身体に残った「残留思念」や「本人の気質」がいくら私に訴えかけようとも、あのウーボに素手で立ち向かい、挙句に殴り倒して無理やり乳を出させるなんて事は、やりたくない。
暴力に訴えるなんて酷い事、できっこない。
それよりも。
私はしばらく考えた後、期待に満ちた顔をして、こっちを見上げているアレクには申し訳ないけど、断ることにした。
「ううむ、悪いが俺もウーボの扱いについては、詳しくない。しばらく観察してみてから、方法を考えようと思う。2,3日時間をもらえるか?」
すると、アレクは一瞬だけ落胆を見せたけど、すぐに大きく頷いて、頭を下げた。
「はい!すみません、お客様なのに、いきなりこんな事を相談してしまって!どうか気にしないでください、あの、よかったら一緒に朝食をとりにいきませんか?そろそろ出来ている時間だと思います」
ほんと、このくらいの年頃の男の子にしちゃ、社交性も、礼儀正しさも、文句なしに立派だわ。
ウチの隼人とトレードしたいくらいよ。
そんなことを考えてしまいながら、私は快く応じ、いったんその場をあとにした。
私達の後から、胡乱な顔をして、「所詮は余所者で、素人だしな」とか「期待しちゃったじゃねーか」とかヒソヒソ言う、飼育員とおぼしき青いツナギを着た男の人達とすれ違ったのだが。
そんなことも、私には気にならなかった。
何故かというと、この時の私は、「とある考え」に取り憑かれ、その事しか考えられなかったからである。
「エナ・・・僕には嫌な予感しかしないんだけど。まさか君、アレクを騙してない?」
いやーね!何も嘘ついてないわよ!ちょっと保留にしただけじゃないの、人聞きが悪いわね。
などとシャリオンには言いながら、私は慎重に計画を練った。
というか、スズメの涙ほどしかない食事では、焼け石に水という表現がぴったりくるほど、お腹が満たされるどころか、ますますひもじくなって「食べたい!」という欲求は強くなるばかりだったのだ。
ジリジリしながらなんとかその日は、前日までと同じように、ファームのあちこちを歩き回って過ごした。
「回復薬」を量産し、幻の万能薬を開発している研究棟を見せてもらえないか、といっこうに姿を現さない館長のマルコム・ティムスコットなる人物に直訴してみようと、本館の奥まで探しに行こうとしたけど、シャリオンや、屋敷で働く使用人、研究員たちに見咎められて怒られてしまった。
なぜ面会できないのか、と最初に「コルカ」を預けて話をした、副館長のケイレブさんによると、マルコム氏は体調が悪いらしい。
「どうぞ、ゼグンド将軍には、くれぐれも誤解なきようお伝えください。館長は老境に入り、体調を崩して寝込む日が増えました。
クーゲル様、貴方様とお会いになれないのも不可抗力であり、不幸な運命の巡り合わせなのだと、ご理解いただけますよう!」
などと、神経質そうに、指一本ほどの幅しかない、細い眼鏡をクイクイと揃えた指で押し上げながら――――私がその「ゼグンド将軍」であることも知らないからだろう――――丁寧な言葉遣いの割に、威張った様子でそうまくし立てた。
こっちが何を言おうとしても「では、忙しいので失礼しますぞ!」とか「では、悪しからず!」の2パターンのセリフでもって、会話を打ち切られ、棒で鼻をくくったような対応は3日たっても4日たっても変わりゃしない。
「まあ、仕方ないんじゃない?成果がイマイチだとはいえ、ファームの命運を握っている研究を、余所者に見せたくないのは当たり前だし、君が産業スパイではない、という確証もない。コルカ一枚では恐らく根拠が乏しいよね」
ええ!?私、スパイとして警戒されてるの!?
「そういうもんでしょ。コルカはあくまで、ゼグンド将軍の紹介です、という身分を保証するものであって、よからぬ事を考えない、清廉潔白な人物です、とまでは保証してくれないんだからさ。
大体、エナ、君の世界でも同じはずだろ。部外者がいきなり訪ねていったとして、製薬会社の研究室に通して貰えると思う?それこそオーナー本人でもない限り、無理でしょ」
ううっ、そ、そうだよね。
ファンタジー系小説、漫画、RPGなどに必ずと言っていい程出てくる「ポーション」を、ぜひ一目、この目で見てみたい!あわよくばその作り方も知りたい!と考えていた私は、ガックリと肩を落とした。
でもさ、長くここにいて、信用を得ることができたら、ひょっとしたら、ちょっとくらい覗かせてもらえるかもしれないよね?
万能薬の研究内容こそはガッチリ隠していても、市場に卸している一般的な薬の製法なら、そこまで秘匿性はないんじゃあ?
「まあ、そうかもね。だけど僕としては、そうなる前にお役御免になり、君が元の世界に、元の身体に戻れる事を期待したいね」
ごもっともです。
こうして、なんの成果もないまま、適当に農園を歩き回り、自分だけブラブラしているのも気まずいので、たまに庭掃除をしたり、廃品置き場を往復して、重たい道具を運んだりと、ちょこまか動いてお手伝いさせてもらい、その日は過ぎて行った。
そして、その翌日の早朝。
いつも通り、お腹がきゅぅ~~~っと切ない音をたて、耐えがたい空腹で目が覚めた時私は「作戦」をついに実行することにした。
ゼグンド将軍の「朝一発目の排尿」をシャリオンにこなしてもらった後、いつもならまた身体が勝手に動き出して、朝稽古にと外へ出ていく寸前に、私は自ら奮い立ったのである。
よし、やるぞ!
ゼグンド将軍、今日は稽古の前に、しなくちゃいけない事があるのよ!
と、返事なんか返ってこないけど、鍛錬せねば、とソワソワしだす前に、身体に言い聞かせるようにして語り掛けると、私はずかずかと部屋の外に出て、前日、アレクに案内してもらった折に覚えた、ウーボがいる家畜小屋めがけて歩き出した。
じっとしていると、ソワソワしだして訓練したがるゼグンド将軍の身体だったけど、明確な意思をもって何かをしようしている今は、大人しく私の判断に従い、鉄の棒を求めて道具置き場を勝手に目指す事はなかった。
よしよし、いい調子だわ!
大丈夫よ、これは私も貴方も、誰にも迷惑をかけずに、胃が焼けるような飢餓から救われ、しかもウーボがこれ以上デブらずにすむ、一石二鳥、ウィンウィンの立派な行いなのよ!
「物は言いようだね・・・・ハァ、それならなんで、コソコソ誰もいない時間を狙って行くのかな」
私の考えを丸っと見通せるシャリオンは、嫌味ったらしくそんなツッコミを入れてくれるが、止める気はないみたいだ。
薄暗い廊下を、物音をなるべく立てないよう、ソロソロ忍び足で進みながらも、私の脳裏には、昨日の朝食前に見た、ウーボの餌入れの中身がこびりついて離れない。
猫を飼っているマリちゃんが、前に言っていたのよ。
「ウチの子、太っちゃって、定期健診の時に獣医さんに怒られちゃった。置き餌なんてしているから、どんどん太るんだって。
家猫の場合、特に食いしん坊の子は、コントロールなんて出来ず、あるだけどんどん食べちゃうんですって。だから、飼い主が、毎日決まった分量だけ計って食事量をコントロールし、それ以上は与えちゃダメ、っていうルールを守らないといけないの」
あれから飼育員の人に聞いてみたけど、料理と朝食に欠かせない「ミル」を出してくれるウーボは高価だから、大事にしてるんですって。
だから人よりもずっと身体の大きいウーボが飢えないよう、機嫌よくミルを絞らせてもらえるよう、ご機嫌をとって、たくさん美味しい餌を与えているんだそうだ。
いけない事だとわかってはいるが、前に食事量を減らしてみると、運動量が増えたぶんだけ、暴れる回数も増えて取り扱いが難しくなり、安全に絞ることが出来なくなったので、やむなくご機嫌をとる方向に変えたそうな。
「じゃあ、これから君が恥知らずにも、ウーボから餌を横取りしちゃったら、ウーボは暴れて、ますますミルを絞らせてくれないんじゃないの?」
と、シャリオンが呆れたように聞くけど。
ふっふっふ。そういうのを愚問というのよ。
いい?たくさんご飯をあげてご機嫌とったって、結局絞らせてくれないんでしょ?だったら同じじゃない!
むしろ、私の腹の足しになるだけ、無駄が少ないじゃない!この際、ちょっとくらい汚れてたり、齧られてても気にしないわ。
このオッサンの身体は健康だけが取り柄みたいなものだし!ばい菌が入ったって、きっと駆逐されるわよ。
「・・・・・・・・」
ハァ、とまた重たいため息が(脳内で)聞こえたのと、家畜小屋の入り口に辿り着いたのは、ほぼ同時だった。
まだ太陽が地平線から顔を出したばかりで、薄暗かった辺りがようやく明るくなってきたので、きっちり閉ざされた観音開き式の扉がよく見えて、昨日来た時にはなかった、太い閂がかかっているのに気が付いた。
重たい鉄製の横木を、閂止めに引っ掛けているだけなので、それさえ抜いてしまえば扉は簡単に開くようになっている。
あれ?ウーボは高価だって聞いてたけど、どうしてこんなに警備が緩いのかな?錠前もついていないとは驚きだわ。壊す手間が省けたけど。
ふとそう考えて首を傾げていると、シャリオンがしぶしぶ教えてくれる。
「ここに来た道のりを覚えてる?このファームは思い切り盆地の中央にあるんだ。大きく、重たい荷物は、持ち込むより、持ちだす事のほうが難しい。
ウーボなんか、殺して解体したら、値打ちがなくなるし、生きたままだと重すぎる。つまりは盗まれっこない。だから管理者は、ウーボが外へ逃げないよう、扉を閉じておくだけで十分なのさ」
なるほど!そりゃ、あの図体だもん、見つからずに運搬する方法なんてなさそうよね。
それなら、ちょっと私が忍び込んで、ウーボちゃんの餌を盗み食いしたって、バレないんじゃない?うわ、なんだかドキドキしてきた!
結構前に、くーちゃん達と一緒に、アコガレの周防先輩を、三年生の教室まで見に行った時以来のときめきだわ!
「なんだかそのスオウ先輩って人が、可哀想に思えてきたよ」とシャリオンが呟いたような気もしたけど、気のせいよね、きっと。
私は慎重に、閂に手をかけ、そぅっとその鉄パイプを持ち上げてみた。
以前の私なら、見るだけで無理!と思っただろう、頑丈なその閂は、見た目ほど重たさを感じず、スッと持ち上がった。
あ、そうか。ゼグンド将軍の腕力が桁外れだもんね。いつも1万回ブン回している鉄の熊手のほうが、よっぽど重たいや。
私は嬉しくなって、軽々持ち上げた2メートルほどのもある閂を、扉の開閉の邪魔にならないよう、建物の端まで行って、隅に立てかけておいた。
押せば開くようになっている観音扉は、私がゼグンド将軍の大きな片手でちょっと体重をかけただけで、ぎぃいっと音をたててアッサリ開いてくれた。
中のウーボが騒ぎでもしたら、盗み食いをする前に飼育員さんが来てしまうかもしれない!と考えた私は、するっとそこから身体をねじ込み、ピッタリと扉を後ろ手で閉じた。
幸い、高い位置にある明り取りの窓は小さく、そこから淡いオレンジ色の朝日が差し込みだしているものの、いつもお腹いっぱい食べて、私みたいに寝付くのに苦労していない、にっくきウーボちゃん達はグッスリご就寝中だ。
わりとタレ目なのよね、と巨大な顔を一瞥し、サッと目的の餌入れを見やれば、案の定、前の夜にまた満たしてもらったのだろう、エサ入れの中身はまだまだ沢山残っており、ウーボ用のベッドである、ワラの中にも、手つかずの木の実や美味しそうな果物が無造作に転がされていた。
しめしめ。
ここで働く職員が、こういうのをほったらかしにしているのは、きっとウーボに蹴られるのを恐れてか、あるいは盗み食いがバレると厳しいペナルティがあるから、なんだろうが。
私はお客様!つまり、一度くらいヘマして見つかったとしても、そこまで怒られないはずよ!
むしろ、死ぬほど空腹だったんです~~と涙ながらに、あの見るからにケチそうな副館長に訴え、食事を増やしてほしい、と訴えるチャンスかもしれない。
まぁ、可愛くないオッサンの涙を見たくらいで、顔色を変えるような甘い人じゃないと思うけどね。
私は意を決して、丸々とした腹を見せて仰向けに寝ているウーボを横目に、じりじりと距離を詰めていった。
低い柵は、身長190以上あるこのゼグンド将軍にかかれば、ヒョイと跨いでしまえるし、いかつい身体に宿っているおかげか、このゾウみたいに巨大な牛を、恐れる気持ちが、不思議と全く沸いてこなかった。
サクサク、と藁を踏む音が、ぐご~っと時折鳴り響くウーボのイビキに混じって、大きく響いたが、それでも二頭のウーボは起きる様子はない。
エサ入れは、壁際の一番奥まったところにあるので、ウーボたちの間を起こさないように静かにすり抜け、慎重に足を運ぶ。
流石に緊張が押し寄せてきて、私の脳内で、某スパイ映画「ミッション・〇ンポッシブル」のテーマソングが勝手に流れだしてしまって、シャリオンが
「冗談だろ!?やめてくれよ!!」と悲鳴を上げたが、それにも構ってられなかった。
チャララ~~♪チャララ~~♪ラッタッタ・ラッタタラタ~♪
「う、うるさいいぃいい!!!」
そうこうしている間に――――実際にはほんの数秒の間の事だったんだけど――――、がっしと私の右手はエサ入れに辿り着いた!
ウーボの香ばしい体臭にやられて、鼻が曲がりそうだったけど、ようやくリンゴみたいな芳しいフルーツの香りが漂ってきたので、思わずニンマリしてしまう。
よっしゃ!あとはこれをいったん容器ごと失敬して、底に2,3個だけ残して元に戻せば完璧よね!
と思ったんだけど。
「あれっ!?」
グイグイ引っ張っても、容器はぜんぜん持ち上がらない。
さっき軽々と引き抜いた閂より、断然軽そうな、薄ぺらいアルミみたいな容器で、中身だって3キロ以上は入ってなさそうだというのに、なんで?
「バカ!よく見てよ、壁に据え付けられているんだよ!ほら、ウーボが顔や手を突っ込んでも倒れないようにするためだろ」
あ、そうか、なるほど。
シャリオンに言われて初めて、容器の端っこを見てみると、確かに金属版と丈夫そうなネジが壁際に固定され、溶接までされている。
流石のゼグンド将軍の腕力をもってしても、壁を傷つけず、バレないように容器だけを持ち上げる、だなんてことは出来ないということだ。
私は少しだけ迷ったものの、ぐぅ、と再び鳴きだす己の腹の音に負けて、つい反射的にエサ入れに手を突っ込んで、そこからなるべく綺麗そうな果物を取り出し、がっぷり食いついてしまった。
途端、これまで食べたことのないような、甘酸っぱい、スモモとオレンジを混ぜたような、私好みの果実の味が、口の中に広がり、じわ~っと喉の奥まで潤してくれた。
お、美味しい!美味しいわ、この果物!こんなのを餌にもらえるなんて、この世界の牛ったら贅沢ね!調子に乗るのも、無理ないかも!
ここに来てすぐ、別人になりすますため、また身ぎれいにするために、少しだけ切って形を整えさせてもらった、ゼグンド将軍のヒゲが汚れるのも構わず、私はガツガツむしゃむしゃと、その素晴らしい味に酔いしれて、夢中になってしまった。
自分の背後で、いつの間にか目を覚ましたウーボが、のそっと頭を持ち上げ、瞬きをしながら私を見ていることにも気づかないで。
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「モォオオオ!」
起きたウーボは、すぐに異変に気が付いた。
翌朝ご飯のために残しておいた、とっておきの甘い果実の香りが鼻をくすぐり、さらにはガツガツと何者かが自分達の餌入れに手を突っ込み、傍若無人に食い散らかしているのを見て、当然ながら頭に血が昇った。
――――何コイツ!あちし達のごはんを、勝手に食べている!!あちし達のごはんを運んで、身体を洗って、世話をするドレイのくせに!
高額な身の上ゆえに、さんざん甘やかされ、顔色を窺われながら飼育されることに慣れ親しんだウーボは、このように人間を軽んじていた。
見慣れない人間がいつの間にか自分の傍近くまでやってきて、自分の餌を横取りしている事に対し、こみ上げてきた怒りはこれまでの比ではなかった。
我儘なそのウーボは、この日も、ミシミシと己の脂肪に内臓を圧迫されているという、肥満からくる体調不良の他にも、何日も乳を搾らせないで来た事により、乳が腫れ始め、乳房炎を起こしかけていたので、さらに眠りも浅く、機嫌が悪かった。
いつもなら、乱暴に寝返りをうったり、ジタバタと足を動かすだけで、世話係の人間達は慌てて離れていき、その後は近づいてこなかったのだけど。
この時、いつも以上に腹の虫の居所が悪かったウーボは、カッと目を開け、半身を跳ね起こしざま、エサ入れになおも片手を突っ込んで、さらに果物を盗もうとしていた人間目掛けて、片足を振り下ろした。
――――つもりだった。少なくとも。
べしっ!!!という音が響き、斜め前に振り下ろしたウーボの片足が、弾かれたように角度を変え、エサ入れからは大きく逸れ、傍にかがんでいた男からも2メートル離れた位置まで、狙いを外してしまった。
羽虫を無造作に払うようなしぐさ一つで、ウーボの片足は大きく払いのけられる形になったので、ウーボは重心を保てなくなって、ぐらりとその巨体が傾いだ。
「まあまあ、もうちょっと許してよ!コレ、ほんと美味しいんだから・・・!」などと言いながら、男はウーボを振り返りもしないで、なおもガツガツと草のまじった果物を頬張り続けている。
転倒すまいと、慌ててもう一方の足を踏ん張り、なんとかバランスを保ったウーボは、頭を振って憤った。
――――なんなの!?この人間、生意気!!
ブルルル、と攻撃態勢に入ったことを示す、呻くようにして喉の奥の器官を鳴らすと、傍でじっとしていたもう一頭のウーボもつられたように、のっそりと起き上がった。
今度こそ、踏みつぶしてやる!
そう考え、今度は慎重に残りの足を踏ん張り、高々と垂直に片足を振り上げたウーボだったが。
次の瞬間、信じられないような事が起きた。
スパン!という音と共に、後肢の関節の裏側に、鈍い痛みが走った。
力を籠め、前脚を振り上げていた時だったので、斜めから降りぬかれたその攻撃は、的確にウーボから身体のバランスを失わせるのに充分だった。
ちょうど足をすくいあげられるような形になってドスン!とウーボが尻もちをついた。
14トロー(地球の規格の14トンに近い)もある体が、無防備に投げ出されるだけで、頑丈な造りをしていたはずの小屋全体が、ミシミシっと恐ろしい音をたてて揺れる。
一体何が起こったのかわからず、まさか自分よりもずっと小さく、餌を運んだり、寝床の藁を整えたりするしか能がない、と考えていた小動物――――人間に、痛めつけられる事なんて出来っこない、と侮っていたウーボは、ここにきてもまだ、自分が襲い掛かった人間にカウンター攻撃を入れられていることに気づかなかった。
その認識の甘さが、命とりだった。
怒ったウーボは再びジタバタしながら起き上がり、今度は巨大な顔を振り、餌入れもろとも、その男を横薙ぎにしようとした。
すると。
今度はさらに恐ろしいことが起こった。
ガツン!!という音と共に、ウーボの頭が一瞬だけ宙に浮いた――――かのように見えた。
凄まじい衝撃と振動が、そのウーボの頭を駆け抜け、目の前をまばゆい火花が飛び散った。
ガツガツと食べるばかりだった、盗人が、無造作に振りぬいた裏拳が、ウーボの横面を、したたかに打ったのだ。
その一撃で、ウーボは昏倒した。
それを見ていた、起きたばかりのもう一頭のウーボは瞬時に状況を悟って戦慄した。
目の前の「人間」は、小さい身体をしているが、自分の仲間を片腕一本で殺してしまった!!
実際には気絶しただけなのだが、もう一頭の、この慌て者のウーボはそう勘違いし、ガタガタと震えだした。
――――このニンゲン、強い!!きっと、このお家で一番えらい王に違いない!!
そう思い込むと、ウーボはシャキッと姿勢を正し、ずりずりと後ろへと下がり、ゼグンド将軍(中身は食い意地を張った女子高生、エナ)から距離をとった。
――――ウチは死にたくない!なんとしても、ウチには生きる値打ちがあるってこと、このニンゲンに、ローディ(王)にわかってもらわないと!
エナが考えているよりもずっと、知恵あるこのウーボという生き物は、計算高くそう考えると、サッと横向きに寝そべり、四肢からだらりと力を抜く、というウーボならではの「搾乳ポーズ」をとった。
やっとかなりの量のウーボ用の餌を食べ終わったエナが、「ふ~~~美味しかった!」と独り言ちながら立ち上がるのと、青いツナギを着た、ウーボ担当の飼育員達達が、入り口の重たい扉を三人がかりで開けて入って来たのは、全く同時だった。
「は・・・???」
目の前に広がる、信じがたい光景に目玉が落っこちそうなほど目を見張った飼育員達は、思わずといったように、腕に抱えていた野菜の詰まった袋と、水の入ったバケツをボトボトと床にぶちまけてしまった。
はっ!ヤバイ、盗み食いをしてたところ、見られちゃった!?とエナが焦っていると、シャリオンがまたウンザリしたようなため息をついて、素早く入れ替わった。
ギリギリ、エナがよからぬことをしていた現場は目撃されていない。
今あるのは状況証拠だけなのだ、それなら誤魔化せるはず。
そう踏んだシャリオンは堂々と、ゼグンド将軍お得意の、キリリとした仏頂面を顔に貼り付け、えらそうに腕を組みながらスッと立ち上がった。
「さあ!今がチャンスですぞ!搾乳してもよい、とウーボが示してくれている、今のうちに!」
「えっ!?」
ますます困惑したが、慌ててウーボを見やれば、一頭はだらしなく眠っているだけのように見えるが、もう一頭は大人しく――――というか、何故か必死な顔つきで、乳がよく見えるようジリジリ方向転換までしながら、搾乳ポーズをとっているではないか。
余所者が勝手に厩舎に入り込んだ、という事に対する困惑と不快さよりも、5日ぶりに搾乳できる!!という歓喜が勝った瞬間だった。
飼育員達は、喜び勇んで搾乳用の道具を取りに行き、えらそうにふんぞり返っている、最近ふらっと居候にやって来た、いけ好かない、と思っていた逞しい男をまじまじと見つめて、がっしとその手を掴んで上下に振った。
「ありがとう!!今日こそウーボミルが食卓にならばなかったら、減俸にしてやる、と副館長から脅されていたところだったんだ!助かったよ!――――ああ、俺はマークっていうんだ。よろしくな、クーゲルさん!」
「ミルがないとバターもヨーグルトもできない、オヤツなんて作れない、と調理人たちからも毎日文句を言われて、胃が痛かったんだよ!これからは、頼りにしてるよ!」
などと、涙を浮かべて喜び、すっかり従順になったウーボの腹に飛びついて、せっせと乳を搾り始めた。
その様子を、当然だ、というように泰然と見守るシャリオンの傍では、エナがぽかんとして内心首を傾げていた。
――――あれ?なんであの子、また寝ちゃったのかな。まあいいや。搾乳のチャンスだものね。ラッキー!
そういえば、さっき、食べているのを邪魔されそうになった時、飼育員のおじさんが止めに来たのか、と思って、適当に腕を振り回してしまったけど。よかった、誰にも当たってなかったのね?
――――・・・・・恐ろしい子だな。予想だにしなかった方法で、ゼグンド将軍の身体を操り始めているぞ。懐柔とでもいうべきか?
この事件をきっかけに、これまで色々と陰口を囁き、遠巻きに見て警戒していた対象、余所者の「ディナダン・クーゲル(ゼグンド将軍)」は瞬く間に、ファームで働く人々の中で著名になり、とりわけウーボ係の飼育員の間では、アイドルのようにもてはやされるようになった。
どんなに機嫌が悪そうなときでも、クーゲルが顔を覗かせるだけで、ウーボたちは皆、躾られた猟犬のように礼儀正しくなり、自ら腹を差し出し、搾乳ポーズをとる。
美味しい料理と、朝食に欠かせない、栄養満点で美味な「ウーボミル」を大量に、毎日のように搾れるようになった人々は、もはやクーゲルには末永くここで暮らしてもらいたい、と考えだし、親し気に振舞うようになったのは、当然の成り行きだったのだろう。
調理人たちは喜んで、「クーゲルさんは特別です」と言って、通常の3倍もの食事を用意してくれるようになったのである。
この事によって、本当の意味で助かったのは、慣れない飢餓によって精神的に追い詰められていたエナ本人でも、そのエナの素っ頓狂な言動に手を焼かされていた、お目付け役のシャリオンでもなかった。
――――キャストンファーム、三週間前のウェイド商会への出荷した薬品に、誤って毒物を混入させたため、信用を失い、大口の発注主を失った。このことにより経済難に陥り、副館長ケイレブ・ボイアーは、由緒正しいコルカを持って訪ねて来た「クーゲル」様を、あろうことか乞食扱いし、鳥の餌程度の食事しか振舞わなかった――――等々。
エナと同時期にファームに潜入していた、クウガの部下が、このような報告書をしたためていたのだが、5日余りでクーゲルに対する待遇が改善されたため、寸前で書き直すこととなったのだ。
敬愛してやまない上司をないがしろにされたと知った、ゼグンド将軍の部下――――特にクウガ――――が、激怒してオシオキにやって来る事がなかったのは、本当に、ケイレブ副館長にとっては、人生最大の幸運だったと言えるだろう。
to be continued!
少しでも楽しんでくださったら幸いです!しばらくエナのターンが続きます!




