頼むから、元に戻して!
*注意*そこそこのリアリティーを追及するあまり、対人、対魔物戦闘シーン、またはその後の描写に、残酷だったり気持ち悪いと思われる表現が、ちょっとだけ使われております。また、筆者の実力不足により、エピソードによっては人命、災害等を軽んじていると誤解されるかもしれない表現があるかもしれません。もしも不愉快な思いをされる方がいらっしゃいましたら、本当にすみません。加筆修正、削除する場面も出てくると思います。
少しでも楽しんでいただければ幸いです!
~プロローグ~ 悲劇は突然に
宇宙に無数の星があるのと同じように。
世界もまた、無数に存在しているのだとしたら。
時間という概念が全く同じ二つの世界で、二人の人間が、全く同じ場所、タイミングで同じ目に遭ったらどうなるだろう?
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フォン、と振り下ろした長槍が小気味よい唸りをあげる。
その後にぽーんと勢いよく飛んで行くのは、先ほどまで相手をしていた馬面の魔物の首だ。
俺の胴体より大きい頭だったが、それを支える首根っこを的確な角度でもって切断してしまえば、あっけないものだ。
どさっと重たい音をたて、その首が血しぶきをまき散らしながら転がった途端、たいして仕事もせず――――というか、俺の攻撃射程内に入ることを恐れコソコソ物陰に隠れていた――――部下達が、ワッと歓声をあげながら走り出て来た。
「流石!!ゼグンド将軍!!!俺達の将は天下一だっ!!」
「常勝の歴史にまたひとつ、武勲が刻まれましたね!!」
俺はゆるゆると槍を振りぬいた型の残心から、くるりと手首を返して穂先を天に向け、柄を己の腰に沿わせ、地を這うように沈めていた重心を起こした。
こういった動作はもはや息をするのと同じくらいに骨身に染みており、長年愛用しているこの槍は、湯浴みや就寝時にも手放せない。
はしゃぐ血気盛んな部下達に、まぁまぁとなだめるように手を振りながらも、俺の心は鉛のように重かった。
はぁとため息を漏らしつつ、荒らし終えた周囲を見渡せば。
ここ一帯を荒らしまわっていた魔獣どもの死骸がバラバラに散らばり、まだ温かい血と肉片がゆるゆると、食用肉とは比べ物にならないくらい、酷い悪臭を放ちはじめていた。
こういった血祭は日常茶飯事のことだ。そのせいで気分が悪くなることなどない。
むしろ、血を見ない日の方が少なく、殺戮と無縁な故郷は何千マイルも遠く離れている。
痛む心なんて、もう残っちゃいない。
皺ひとつない、赤ら顔の若造が興奮で目をキラキラさせながら近づいてくるのが視界に入るが、それにもまた溜息が漏れそうになる。
「ゼグンド将軍!本国からの新たな指令です!!ここから北東に進み、オセノス領を視察し、反乱の兆しありとの情報の真偽を確かめよと」
「いやいや、それよりハルキアからの援軍要請はどういたしましょう?今朝方、ハルキアからの使者が、再三の要請を訴える書簡を携え、今も我らの簡易キャンプで待機しておりますが」
またか。いったいいつになったら王都に帰れるのだ?
俺はまたため息を漏らしそうになり、慌ててそれを噛み殺して、鼻を鳴らすにとどめた。
いかんいかん。この若造どもの前では、威厳が大事だ。
誰もが憧れる常勝の将軍、という肩書には正直反論したくなるのだが。髭も生えそろわない若年の身で徴兵された挙句、故郷に何年も戻れないような、血生臭い任務に縛り付けられているこの若者達の状況を考えれば、本音を漏らして、その士気を下げるわけにはいかない。
むしろ、なんとしても奮い立たせ、希望を捨てず、高い理想を一日でも長く抱き続けられるよう、導いてやらねばなるまいて。
将としてだけではなく、人生の先輩として、俺は限りなく誉高い理想の漢でなくてはならぬ。
俺はぐっと奥歯を食いしばり、差し出された何枚もの指令書を手に取った。
その時だった。
ゴワゴワする羊皮紙の上に、ぽつりと音をたて、雨水が一粒落ちて来た。
ん?そういえば今朝から空模様が怪しく、いつ降ってきてもおかしくないなー、とは思っていたが。
しまった、魔獣の根城に討ち入るからと、余計なものは一切合切、キャンプに置いてきてしまった。
蝋を塗って撥水加工を施した、お気に入りのサーコートがない。
濡れるのはかまわないが、年季のはいった鎧の金属部分がそろそろ本格的に錆が浮いてきて、鼻にツンとくるような悪臭は酷くなるばかりだ。
日々手入れを怠らず、返り血や雨水をはじくよう、ケキヤス樹脂を塗ってあるとはいえ、ずぶ濡れになってしまうと、鎖や鋲の継ぎ目から水が入り込み、内側から素材の老朽化が進んでしまう。
俺は慌てて部下達に声をかけ、後始末を急がせることにした。
戦っている間は、目の前に真っ赤なフィルターがかかったように見えていた全てがハッキリと像を結び、岩壁の隙間から飛び出して来た最初の魔物の一撃をくらって昏倒していた兵たちがまだ生きていることがわかって、今更ながらにホッとした。
俺の槍と魔物の爪やらが掠めた岩肌は、氷室から出したばかりのバターをフォークでぐちゃぐちゃにしたかのように削られ、魔物の黒い返り血を浴びて汚れ放題だ。
俺達は国旗を掲げることを許された、ファラモント王国の正規軍だ。
冒険者でもないのだから、任務達成の証拠を要請元やギルドに提示することは、本来必要はなく、、あとは道中書き殴って作成した適当な報告書――――何月何日に前の勤務地点を出立し、幾日かけて現場に到着し、道中遭遇したトラブルや魔物の掃討を行ったか、うんたらかんたら、という業務日誌的内容である――――に、「済」のサインをして、最寄りの役所に届けさせればいいだけの事なのだが。
魔物の脅威に晒され、じわじわ領土を狭められてきた、地元民を安心させるためには、目に見える証拠を持ち帰ってやらねばならない。
下山の道すがらにも、腐ってウジがわくであろう事を考えるだけで、蹴とばして出来るだけ遠くへ捨てたくなるのは、グッと我慢だ。
できれば血抜きをし、乾燥させるか、キッチリ焼いて骨だけを持ち帰りたいところだが、それでは狩りたてホヤホヤだという臨場感が足りず、依頼主側に微妙な顔をされるのは目に見えている。
人というものは不思議なもので。コイツらが生きている頃は、できるだけ遠くに去ってほしいとか、視界に入るだけで寿命が縮むだとか言っていたくせに、いざ討伐されると、その生々しい死骸を見なければ気が済まないらしい。
俺なら、ギョロリと左右別方向を向いてしまった目玉が不気味な、魔物の死体なんか、頼まれたって二度見したくないのに。
そんなつまらない事を現実逃避気味につらつら考えているうちにも、ぽつぽつ降り始めた雨はあっという間に豪雨に変わり、容赦なく俺達が纏っていたプレートアーマーに、地味で確実なダメージを与えだした。
重たい魔物の首を包んだり、引きずったり、負傷者を回収したりと、ぬかるみだした地面に足をとられながらモサモサやっている間に、カッと空に明るい雷光が走り、ゴロゴロと大きな轟音がそれに続いた。
マズイぞ。これは近い。
そう思いながらも、俺は多分、甘くみていた。
初心な部下のおだてに乗るまい、常勝なんてクソくらえ。いつも誰かの屍を見下ろし、失ったいくつものかけがえのない命をやるせない想いで数えることに慣れ。
がむしゃらに戦場を息抜きそろそろ25年という俺だとて、そこんじゃそこらのヒヨッコと何も変わらない。目には見えないものを信じられず、天など存在せぬとさえ思い込み、「運命のいたずら」なるものが、まさか自分に降りかかろうとは、思ってもみなかった。
死ぬときは死ぬ。そういう覚悟があったからこそ、「それ」を恐れていなかったのだ。
部下達といっしょになって、負傷兵の足に添え木を括り付けたり、急ごしらえの担架を運んだりしていた時、それまでの疲労がたかってか、ぬかるんだ地面に足を滑らせ
「おっと!」と我ながら情けない声をあげ、みっともなくすっ転んでしまった。
そこはそれ、武人の身体なので条件反射で受け身をとり、背中から倒れても、咄嗟に身をよじったので後頭部を強打するような事はない。
そういう事はないのだが。
俺がずべっと転んだ一瞬後、それまで背を向けていた岩壁に、凄まじい勢いで一筋の雷光が伸び、ズガン!!と音をたてて突き刺さった。
もちろん、その衝撃で転がった俺も前方へ吹っ飛ばされ、ゴロゴロ転がる羽目になったのだが。その後のことは全くもって、不可抗力だった。
「将軍!!!!」
「えっ」
落雷を寸でのところで裂けられたものの、粉砕された岩の破片までは、どうにもならなかった。
このことを理解するのは、もちろんずいぶん後になってからだった。そう、思っていたよりもずっと後。
すなわち、転倒での強打を免れたはずの己の頭。
雨雫で視界を遮られるのを厭って、鉄兜を脱いだ状態だったのもまずかったのだろう。
頑丈さだけが取り柄です!という俺の頭に、渾身の一撃、とも呼べそうなほどの勢いで、落雷によって飛ばされた石礫が、スコーンと小気味よい音をたてて、ぶち当たったのである。
常勝のゼグンド、一生の不覚なり。
戦に生き、戦の最中に散るのだと信じていたのに。
最後は実に、あっけなく。予期だにしなかった不運によってポックリ逝くものなのだな。
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「どういうこと?なんで狙いを外すかなぁ!?」
「うぅう、この私が外すとは・・・・!やはりアレですわ。奴が12年前に戦った雌の竜王めが、なぜか破格の加護を与えたじゃないですか!
上層部をそそのかして、あの手この手を尽くして、生存率の低い任務を与えているのに、毎度生還していますし。・・・・あのオヤジ強すぎですわ!!」
・・・・・・・・・・・・?
何やら不穏な会話が遠くから聞こえるが、きっと気のせいであろう。
それより、勇者のみがゆけるという、ヴァルハラと呼ばれる楽園はどこだろう?そこへいざなってくれるという、美しい乙女の迎えはいつ来るのだろう?
薄れゆく意識の奥、心の隅っこで、そんなことを期待してしまう俺を嘲笑うかのように、現実は無慈悲にも、まったく予想だにしなかった形で、地獄の口をぽっかり開けて俺を待っていたのであった。
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生まれ落ちる時、生きていくのに必要な分の「運」を母のお腹に置き忘れて来たに違いない。
私は己の不幸体質を呪わずにはいられなかった。
ええと、いきなりこんな事愚痴られても、わけわかんないよね?ごめんごめん、最初から理路整然と説明できるよう、頑張ってみる。
なんだっけ・・・・?落ち着け、私。バクバクいう心臓の音がうるさくて、なかなか集中できない。
オロオロと手を振り回している内、いつの間にか放り出してしまっていた、オレンジが目に付いて、ハッと息を飲んだ。
「激安の青果・タナカ」というサエないロゴの入ったビニルの口が裂け、地面に取りこぼしてしまったその果物が、全ての始まりの元凶だった。
そうだ。このオレンジよ。
私は屈んで、そっと芳しいオレンジの香りを嗅ぎながら、つとめて自分の手のひらのサイズが、記憶している自分のものと違っているという現実から目を逸らした。
あの日あの時。
夕暮れのオレンジの陽を浴びながら、お気に入りの文庫本片手に、のんびり帰宅中だった私は商店街を歩いていて。
ついついなんとなく、通りかかった青果店の、オレンジが食べたくなって、1カゴぶんを買ったのだ。
「ひとつオマケしておくよ」と馴染みのおじいさんに言われて、「やったぁ!今日はなんてツイてるのかしら!」なんて素直にはしゃいでしまった、あの時の自分をぶん殴ってやりたい。
支払いを終えて、鼻歌まじりに踵を返しながら、私は全く無防備にも前を見ずに、財布を制服のプリーツスカートのポッケに突っ込んで、お店から出たその時。
ふっと前を向いたのと、
「あぁ!!」という子供の声が聞こえたのは全く同時だった。
え?と思う間もなく、ばぃん!という音と共に物凄い衝撃が、私の側頭部を襲った。
恐らく、そんなに勢いこそはなかったのだろうが、角度がまずかった。
その商店街ときたら道が狭く、滅多に車も通らないものだから、通学帰宅途中の子供達がふざけて走り回る道だということを、すっかり忘れていた。
飛んできたボールは、イイ角度で私の側頭部、耳の少し上あたりに当たり、結果として私の身体は、ぐぉっとみっともなく横へ吹っ飛ばされたのだ。
そしてこの日一番の不幸が――――流れ弾に当たるだけでも悲惨なのにだ!――――私の全てを変えてしまった。
吹っ飛ばされた私は、もちろん受け身も取れずに地面に投げ出され。
ドゴン!!!と嫌な音とともに、後ろ頭に衝撃が走って、視界が一瞬揺れて。
その後は、なにもわからなくなった。
薄れゆく意識のなか、私の手は勝手に動いて、
あ、せっかく買ったオレンジが――――。と、何故か必死に握りしめたままだった、オレンジの入った袋を握りしめていた。
そうして、現在に至る。
おそるおそる、瞬きをし、「いやいやいや、まさかね。夢だよね?こんなの、何かの間違いよね?」と自分に言い聞かせながら、さっきまで頑なに視界から追い出そうとしていた己の手を見て、
「あぎゃああああああ!!!!?」とまた、悲鳴をあげてしまった。
もちろん、その声は嫌になるほど野太く、自分のメゾソプラノ?なはずの声質とは程遠い。
そして、オレンジを握りつぶさんばかりにぷるぷる震えている、その手ときたら。
野球用のグローブか?と思ってしまうほど、大きく、指やら骨がゴツゴツして逞しく、甲や指の背にはうっすらムダ毛が生えているではないか!?
う、うそ!!何よ、これ!?女も年をとると、男性ホルモンが増えてきて、ヒゲが生えるとかナンとか、聞いたことはあるけど。
わ、私、ついさっきまで17歳だったよね??花のセブンティーン(死語)だったよね???
いくらなんでも早すぎない!?
と、慌てて口元に手をやると、ジョリジョリした無精ひげの感触が、バッチリ指先に突き刺さるではないか。
「いやああああっ!!!!」
と思わず、断末魔の叫びをあげてしまったのは言うまでもない。もちろん、その声は――――以下略。
こうして私はこの後、自分でもわけがわからなくなるほど、叫びまくり、オロオロと立ったり座ったりを繰り返し。それに疲れる頃になってようやく、自分の身体以外のことに目がいくようになって、再びゾッとした。
ガックリと項垂れorzの形で四つん這いになっていたというのに、今の今まで気づかなかったけど。
先ほどまでスニーカーの靴裏で感じていたはずの、ゴツゴツしていた埃っぽい商店街のアスファルトがどこにもない。
えっ!?どうなってるの?
代わりに、自分の――――認めたくはないのだが、オッサンっぽいゴツイ手が触れているのは、つるつるした非常に掃除の行き届いた清潔なグレージュの大理石の床だ。
いつの間にか履いていた厚手のズボン越しにも、ひんやり冷たく心地よいその床は、継ぎ目もなく、とても高級そうで、私はこの時初めて周囲を見渡すべくして、顔を上げた、その時だった。
「・・・・・・・・・ふぅ。気は済んだかな?こっちはいいかげん、待ちくたびれたんだけど」
ずずっと視線を上げてすぐに目に入ったのは、私が蹲っている場所からほんの3メートルほど離れたところに、あぐらをかいて不貞腐れている少年の姿だった。
「えっ・・?」どちら様?と零しつつ、私は続いてキョロキョロと周囲を見回し、そこがまた、全く見覚えのない、ボールルームのような広い部屋であり、黒に近い深紅の巨大なビロードのアコーディオンカーテンでぐるりと壁を覆いつくしている奇妙さに、思わずごくっと息を飲んでしまった。
うっすら白が入り混じる贅沢な大理石は、床だけでなく柱や天井にまで及んでおり、どういうわけか、私がネットやテレビなどの映像媒体から見たことのある、どんな様式とも違って見えて、それがまた得体の知れない恐怖をそそる。
落ち着きのない私にしびれを切らしたのか、イライラとした口調を隠そうともせず、少年はおもむろに立ち上がり、一歩だけ間合いをつめて、どっさりとまたそこに腰を下ろした。
「そろそろ説明させてもらっていいかな?エナ・キリシマ」
ふぅっとため息まじりの落ち着いた声色で名前を呼ばれた途端、まるで頭のてっぺんの髪をぐっと引っ張られたような感覚が訪れ、またしてもパニックに陥りそうだった私は現実に引き戻された。
さっと目線を正面に戻すと、そこには案の定、怒ったような顔をした少年がいて。
まじまじとその姿を見て、私はついついほんのちょっぴりドキリとしてしまった。
今のご時世じゃ滅多に見ない、まっすぐな黒髪を肩のあたりでまとめた古風な髪型だけど、パッツンと呼べるほど揃っておらず、うまいことレイヤーがはいったカットをしているのか、少しも野暮ったくない。
サラリとした長めの前髪の下からのぞく、くりっとした大きな猫目は、瞳孔が開ききっているのか、虹彩との境目が見えない程に黒く、美しい。
黒という色がこんなに美しいものだったのか、と思わされるほど、その瞳も髪も、黒檀のように瑞々しく、私は束の間己が置かれた異常な状況をも忘れ果て、その麗しい子供に見惚れてしまった。
「おい?話を聞く気があるのか?」
ハッ!?
キツイ眼差しと、豪快にあぐらをかいたその所作さえなければ、絶世の美少女だ!子役スターになれるよ!と、考えてしまったのを見透かしたようなタイミングで、ぴしりと少年が叱咤する。
私はびっくり肩を揺らしてしまいながら、
「は、ハイ!聞きます!な、なんでしょうか?」
と、思わず居住まいを正してしまった。
この子の声には奇妙な力があるみたい。いう事を聞かなくてはならない、と本能的に思わされてしまうのだ。
そんな殊勝な態度で私がバッチリ「聞く姿勢」を見せているというのにも関わらず、少年はなおも不満げに鼻を鳴らし、これまた何度目になるかわからない、重いため息と共に口を開いた。
「あまり時間がない。今現在、この異常事態の進行状況は調査段階だ。よって、今君に開示できる情報は少ない」
「えっ」
見た目に相応しくない、固い口調で語られるその内容はいっそ冷たいと思えるほど事務的で、私はまた胸騒ぎを抑えられずに前のめりになった。
どういうこと?この異常事態っていうのは、この身体のこと?
ここはどこ?貴方は誰なの?そういう疑問が爆発的な勢いで、ぐるぐると頭の中を渦巻いて、喉を圧迫しだす。
はくはくと口を動かすも、なぜか言葉が出てこない。
不審に思って少年を見ると、少年は指先ひとつをぴったりと私の喉につきつけ、
「少し黙って聞いてほしい」と言う。
ほっそりした指先からは、目には見えない何かが出ているらしく、私の口から零れだす空気は一切の音を紡ぐことが出来ず、冷たい汗がジワリとこめかみに浮かんだ。
黒い瞳はよく見れば、瞬きひとつしておらず、ひたりと私を見据えて微動だにしない。
ぱっと見た目には美しい少年だと思ったけど。その整い過ぎた容貌は、捉えどころのない真の闇をありありと浮かべる黒い瞳を際立たせ、少年が、この世のものでない何かである事を、私の本能に訴えかけている。
「まずは、君の立場だ。喜べ、君はまだ死んでいない。だけど状況は「ただ死ぬ」事よりずっと厄介だ。
君たちの世界の丁度裏側で、同じタイミング、同じ角度に同じ衝撃を受けて気絶した――――その男の魂が、ちょっとした手違いで、君の身体に入ってしまってね。
それで追い出される形で、君の魂は、こっちの――――空っぽになった男の方の身体に収まってしまったらしい」
えええええええっ!!!?
私は声にならない悲鳴をあげ、思わずがばりと立ち上がってしまった。
ちょ、ちょっと待って!今私の心が、この妙にゴツイおっさんの中にあるように。
おっさんの心が、私の身体の中にあるっていうわけ!?
冗談じゃない!!!
一瞬の間に、私の脳裏に、かつて観たことのあるファンタジーアニメ映画の一幕がちらついた。
年頃の男の子が、同じく年頃の女の子と身体が入れ替わってしまった、という素敵な映画だったんだけど。
あれは、他人事だからこそ面白いのであって、間違っても「ああなりたい」とは考えたことはない。
どんなイケメンだろうが、自分の身体と入れ替わって、あちこち詮索されるなんて、真面目に考えたら恐怖でしかない!
しかも、あの映画では、一見サワヤカそうな男の子が、ヒロインの身体にはいったとたん、しめしめ、と胸を揉みまくっていたではないか!?あれが、女の身体に入った場合における、男のデフォルト行動パターンだとしたら?
おへその辺りの無駄肉つままれたら、どうしてくれんの?毎朝コンシーラーで必死に隠しているニキビ跡ほじられたり、スポブラの裏側に追加パッドをコッソリ縫い付けて、盛ってる事とかバレたら、恥ずかしくて死んじゃう!!
さらにさらに、このオヤジが、このオヤジの手が私の、大したこともない胸を揉んだり、トイレや入浴であられもない姿をバッチリ見るってことなの!?
いやああああああああ!!もう、ホント悪い夢ならすぐに醒めてぇええええええ!!
そんな私の心の声がどこかで漏れてしまっているのだろうか。
またしても盛大なため息と共に、少年が嫌そうな声色でウンザリと否定した。
「あー、そのへんは心配しなくていいよ。
不本意ながら、僕がこうして君についたように。あっちにもセコンドがついた。将軍が――――いや、そこのオッサンがよからぬ気をおこしたところで、君の身体を好きに触ったり見たりすることは出来ないよ、決してね。
それは君にも同じ条件が適用されているから、そのうちその意味は理解できることだろう。
で、話をもとに戻すけど。
君の立場は「巻き込まれた被害者」で間違いないだろう。この先の審議でも、そこだけは覆らないと思うから、安心してていい。
全ては、君のその姿の持主である、ディナダン・カル・ゼグンドという男を、我々――――局が侮っていたのがまずかった、とだけ言っておこうか・・・これ以上の説明は、今は許されていないからね。
そもそも何ら犯罪歴のない一般人を、君という部外者を、世界の境界をまたいで死なせてしまっては、ますますややこしい事態に発展する。そう判断した上層部が、僕のような優秀な人材を、君のサポート役として派遣したというわけ」
何局?
ほにゃらら、とくぐもってその部分だけは聞き損ねたが。
私は聞かされたばかりの、この衝撃的な言葉に驚き過ぎて咄嗟になんと言えばいいのかわからなくなった。
要するに、何らかの手違いで、世界をまたいで私の身体の中にホールインワンしてしまったオッサンをすぐに追い出すこともできず、仕方なく、オッサンの身体に入ってしまった私のサポートしますので、安心しろって事?
まさかそれで、私が「お気遣いありがとうございます」なんて言うと思ってんの?
こんなオッサンの身体で、一生を過ごせっていうの!?酷すぎる!!
いつもはおっとりして、あまり怒らないタイプだと言われてきたけど。そんな私の心の奥底から、今までかつてないほど、血が煮えくり返るほどの怒りがムラムラ湧いてきて、眩暈がした。
フザけんな!!訴えてやる!!!人権侵害、いや、セクハラもいいところじゃないか!?
会ったこともない、ナントカ局とか、きっとロクでもない組織に違いない!に目をつけられちゃうような、危ないオッサンと入れ替わるなんて!!!
しかも、このオッサンたら、リチャード・ギア様みたいなロマンスグレーならともかく、ヒゲはまばらで浮浪者みたいだし、身体はムキムキ過ぎて漢臭いったらありゃあしない!
そこはもっとさぁ、垂涎もののイケメンになるとか、異世界に優雅に降り立って「聖女」と呼ばれたり、やけに素敵な男の子に囲まれてチヤホヤされたり、チートスキルを授かって乱用し、迫りくる敵をけちょんけちょんにして、大衆、主に権力者からもてはやされウハウハ、超イージーモードで異世界ライフを満喫できるものじゃないの!?
「・・・・・・・・・・・・・それが君の世界の娯楽本の流行パターンなのか?まぁ夢を見るのは勝手だけど。
そんなことがまかり通ってたら、世界のあらゆるバランスが総崩れになって、僕たち管理部門職員は四方八方に駆り出されて、ざっと800万年は家に帰れなくなるよ・・・・」
ハァ、とゲッソリした顔つきになって、少年は首をふりふり、いかにも頭が痛いですという仕草を披露しながら、じとっと私の顔をねめつけた。
「あのね。さっきも言ったけど、時間がないんだから。とにかく、今君に全てを話せるわけじゃない。
要点だけを言うから、ギリギリ人類レベルの、その低脳に刻んでおくれよ?
君はこれから、ゼグンド将軍として、ゼグンド将軍の世界に戻される。君の魂がその身体に根付いてしまった以上、そう簡単には引きはがせないんだ」
「えっ!?」
そんな!とまたしても口を挟みそうになると、また少年の指先がくいっと動いて、私の喉を締め上げた。
「そして、もちろん、ゼグンド将軍のフリをするなんてことは、無理だろう。君が思う以上に事態は危険だ。将軍には敵が多い。自国でも、他国でも、暗殺者につけ狙われ、心休まる日なんてない――――そんな生活に、戦争がどういうものかも知らないばかりか、口を開けて待っていれば、母鳥に食べ物を運んできてくれる、そんな生活をしてきた君みたいなヒヨコが生き延びられるはずもない」
ムッ。
失礼ね、とは思ったが、反論できない。現にここに来るまでは、夕飯何かな、とママが作ってくれているであろうご飯を当たり前のように期待し、呑気にブラブラ商店街をうろついて、これまたママに貰ったお小遣いでオレンジなんか買ったところだった。
なんでだろう、今まで当たり前のことで、それを特にどうこう思う事はなかったというのに。
ここにきて、会ったばかりのこの不思議な少年の、幼い風貌にそぐわない、冷ややかな目で見られていると、そういう自分の何もかもが、恥ずべき事だったのだ、と思わされてしまった。
それは本当に奇妙な事だったが、この時、それ以上実際には何もツッコまれていないというのに、彼は私にこう言った気がした。被害妄想だったのかもしれないけど。
「君はこの17年、生きてきたんじゃない。保護者によって生かされてきただけなんだよ」と。
そう感じた瞬間、カッと頬が熱くなって、私は猛烈に恥ずかしくなった。
なんで?ちゃんと家事を手伝っているし、来年は受験だから、週二ペースで塾にも行っている。
最近グレだした弟の隼人とも違って、学生の義務を果たし成績も中の上をキープし、ママを悲しませるような事や、何も恥ずべき事はしていない!
むしょうに、そう言い訳したくなったのだけど。
結局私はぐっとその衝動をこらえて、押し黙った。
ここで何か否定してしまうと、事態がまずくなるという確信の方が強かったからだ。
むしろ、私は地上最弱で、どうしようもないバカと思われていた方が、色々と助けてもらえるかもしれないじゃない?
そういうズルい打算が咄嗟に胸の内に沸いてしまったのは、どうか責めないでもらいたい。
いきなりオッサンの身体に閉じ込められてしまった挙句、毎日毎日オソロシイ暗殺者?と立ち向かえだなんて言われたら、どうしたらいいの?
そんな私の心の中の葛藤には全くおかまいなしとばかりに、目の前の少年は淡々と説明してくれる。
その声色にはこれっぽっちも同情や憐憫などこもっておらず、それが「これは冗談でも、架空の世界の話をしているのではありません、ご了承下さい」と一句ごとに念を押しているかのように響き、じわじわとリアルな恐怖をそそる。
今のところ、この少年の話で安心できる部分といえば、「私」という部外者を死なせるつもりはないらしい、という一点のみだ。
ああ、どうしよう・・・!オレンジを買っただけで、こんなひどい事になるなんて!
「さらにマズイことに、どうやら魂と身体は完全に一体化できなかったようで、安定していない。つまり、どういうタイミングかはわからないが、一定の間、身体が元の形状に戻ることもありうる。
そうした事態が、第三者の目につくことは、絶対にあってはならない。
そう判断が下ったため、君を野放しにすることは出来ず、この僕が――――ああ、なんてこった!この僕が、君なんかの補佐をし、面倒をみるために、これから君の傍にいなくてはならない!
・・・・・・・コホン、ともかく、そういうわけで、これから君と一緒に第八系列、28番世界に降り立つところだ。
いいかい?ついてまずやることは、記憶喪失のフリをし、錯乱した結果という形ですみやかに、誰にも見られず逃げること。
それしか生き残る術はない!ゼグンド将軍としてではなく「ただのオッサン」として生きるしかないんだよ」
悲しいかな。混乱した私の頭は、自分の身体がどうなっているか、の説明文の前半分を聞き逃し、最後の「ただのオッサンとして生きるしかない」という部分だけを正確に理解し、その衝撃に、全身が恐怖ですくみ上ってしまった。
ぴちぴちの女子高生の身体から、ムキムキのオッサンになってしまったという衝撃を、どうにかやり過ごしたばかりだというのに。
今度は地位も名誉も肩書も、職や帰る家もない、「無職のオッサン」になれというのか。
いやいや、ちょっと待ってよ?
どうやって食べていけと!?という差し迫った問題もあるけど。
将軍が任務中?かどうかはわからないけど、勝手に逃亡したら、重た~い罪に問われるんじゃないの?戦時中の脱走兵といえば死刑になるんじゃない?お国から捜索隊、捕縛のための部隊が派遣されるんじゃないの?どこの世界の、どんな国に、このオッサンが勤めていたのか知らないけどさあ!
〇ろう系小説や、アニメでコッソリ憧れていた、異世界生活がこんなヘルモードで始まるなんて、聞いてないわよぉおおおおお!!
漠然と、ゼグンドとかいうオッサン将軍のフリをして、適当に剣を背負って馬に乗ってりゃいいのかな、なんて頭の隅っこで甘い事考え始めていた、少し前の自分は、なんてバカだったんだろう!?
「そんなの嫌ぁあああああああ!!!」
思わず発狂してしまいそうになったが、苛立った少年がピシャリとそれを遮った。
「最後まで聞きなって!一時的なことだ!!時間はかかるが、必ず君も、将軍も、元の身体に戻れるようにするから!だから辛抱して、希望を捨てるな!ゼグンドだとバレないよう、物乞いにでもなれば完璧だ!!」
どこが完璧なの!?無責任ね!アンタ、人権侵害もたいがいにしなさいよっ!!
そう言いかけたところで、ふっと目の前に、一枚の薄布がはらりと垂れさがったかのように、紗がかかった。
え?な、何?
と、慌てて何度も瞬きするも、どんどん目の前の光景がぼやけていく。
やがてだだ広い、大理石の大広間も、それを囲んでいた円柱も、壁を覆っていた豪奢なベルベットのカーテンのドレープの詳細も、目の前にいたはずの見目麗しい少年の姿も、なにもかもが薄れはじめたのだ。
「時間切れだね・・・・・大丈夫、すぐに僕も傍に現れる・・・・・・もっとも、この姿ではないと思うがね」
ぐわんぐわんと揺れだした頭の不快さに、思わず目を閉じ、再び蹲った意識の遠くに、少年の声のあとから、どういうわけか、何重も、何種類もの老若男女の声と折り重なって響くのが聞こえた。
「我々も決して無慈悲ではない――――我々は君に何も与えられないが、時空を超える際に、何かを得られるかもしれない、極稀な可能性については――――見逃そうと思っている」
こうして、私と、ゼグンド将軍というオッサンの世界を隔てた奇妙な二つの冒険は幕を開けた。
この先に出会うものが何なのか。今この時はまだ、誰も知らなかった。
To be continued!
これまで日記のように、趣味としてお話を作ってきたため、人様の目に触れるところに投稿すると考えるだけで、ドキドキして眠れないくらいです。
「ありきたりなネタ」とご指摘頂くことは、もちろん承知の上で書き始めています。「君の名は」のパクリかもと思われるかもしれませんが、オッサンと女子高生が恋に落ちるという展開はございませんので、ご安心くださいませ。
入れ替わることにより、むしろ苦労の方を沢山書きたいと思っているし、その着地点も既に考えてあります。お互いが入れ替わっている状態で、いろんな体験をしていく、成長物語でもあります。よろしければ、最後までオッサンと小娘を応援してあげて下さい。
ただただ、誰かに楽しんでもらいたくて、恥を忍んで投稿に至りましたので、気楽に読んでリラックスして頂けたら、それだけで幸せです!