少年の決意(6.5-5)
本編の6.5話にあたる話の続きです。
「あなた達は!恥ずかしくないんですか!」
その大声は獣耳少年の小さな身体から出ているとは思えなかった。
「僕らは奴隷だ。でも奴隷にも誇りはある!そうでしょう!」
言いながら、剣を構える奴隷達に向かって少年は一歩、また一歩と歩き出す。
何も持たない両手のこぶしを握り締めて。
「おいお前、待て、危ないぞ!?」
俺は思わず叫んだ。しかし。
「僕たちはこの家で働いてきた。お館様にもずっと世話になってきた。そのお館様が殺されたのに…!」
少年は振り返りもせず歩み続けた。
「殺した奴らに従ってるだけじゃなくて、お嬢様まで殺そうなんて、絶対におかしい!」
『おかしい』『間違っている』…確かにそうかもしれない。
しかし、そんな青臭い言葉が、人を動かすことなどあるものではない。
ましてや、武器を持った、主人に絶対服従の奴隷相手に。そう思った。
だが、少年は歩を止めなかった。
「僕も怖かったけど、お嬢様を守ると決めたんだ!そうすべきだと思ったから!」
少年が叫ぶ。
こいつは、本気なのか?
自分の言葉で本当に彼らを説得できると思っているのか?
馬鹿な。
「種族や立場も関係ないんだ!もし、『自分で考えて自分の信念に従う』ことができないなら…!」
「あの子…」
隣で獣耳娘がポツリとつぶやく。
少年はリーダーらしき短髪長躯の奴隷男の目の前までたどり着いていた。
「心まで奴隷になるなら何のために生きてるんだ!あなた達はッ!」
少年は男の目の前で絶叫し、にらみつける。
もし、本当にこの少年が。
自分の言葉で相手を動かせると思っているなら。
いや、思っていればこそ、俺は『言わなくてはらなない』。
「やめろ。そいつらにそんなことを言っても無駄だ。早くこっちに戻れ」
俺は大声で言い放つ。
「ご主人様!?」
背後からのルゥの声を無視して俺は続けた。
「『主人を殺した奴に従うのはおかしい?』そんな正論なんて何の意味もない。
世の中でそれが通ると思っているなんて、どれだけ青臭いんだお前は。
あきらめろ」
「なんで…なんでそんなこと言うんですか!」
ルゥが怒りのこもった声を上げる。
当の獣耳少年と言えば、何も言葉を発しないまま、目の前の男に対峙していた。
と、長身の男は剣を素早く収めるや、眉一つ動かさず、無言のまま片手で少年の胸倉をつかんで軽々と持ち上げる。
「っ…!」
獣耳少年の顔は見えない。しかし脚は地面を離れてもがき、背中では尾が苦痛によじれる。
「よし、早くそいつを殺せ!」
後ろからかかる主人の声。
それを聞いてか、両手を少年の首にかける男。
もう、ダメか。ダメなのか。
しかし。
「…言って、くれるじゃねえか、小僧」
俺は目を疑った。
男が少年を釣り上げたその両手を、ゆっくりと、降ろしたのだ。
解放された少年は地面にへたり込んだまま、男を見上げていた。
「何をしている!?早く殺すんだ!」
奴隷男の後ろからかかる主人の声。
しかし、彼は振り返りもしない。
そして、言った。
「…正直、うんざりしていた」
彼がはじめて発したのは低い、吐き捨てるような調子の声だった。
「俺達はお館様には世話になった。
だが、お館様は突然番頭様に殺されて…
それに文句を言った仲間の奴隷もいたが…殺された」
ぐっとこぶしを握る男。無表情だった顔が苦々しく歪む。
「それでも我慢してきた。
俺達奴隷にはここしか生きるあてもないからだ。…だが」
そして、男は不意にしゃがみこむと獣耳少年の両腕を掴み、立ち上がらせた。
そうしてからおもむろに振り返り、奴隷仲間たちに向かって叫ぶ。
「こんなチビに言われたんじゃ、覚悟決めるしかねえなあ。おい、そうだろ?お前ら!」
奴隷達は、余計な言葉は一言も上げない。
しかし、リーダーの男の言葉と目配せに、黙ってうなずくと、背後を振り向く。
そして。
かつての主人とその使用人たちに剣を向けた。
「き、奴隷ども…従わないなら処刑だぞ!おい、お前たちも奴隷をなんとかしろ!」
支店長の小男が、半ば裏返った叫び声で命令する。
しかし、奴隷達はじりじりと前進し、使用人たちはそれを阻むことができずじりじりと押し込まれ、後退していく。
それもそのはずだ。
彼ら奴隷達をを縛っていたのは心の枷と、物理的な鎖だ。
しかし、その心の枷はもはや用をなさなくなった。
しかも、物理的な鎖は、俺達と戦わせるためにわざわざ外してしまっていた上に、あろうことか、屈強な男たちに武器まで持たせてしまっていたわけだ。
完全に形成は逆転していた。
その逆転の立役者となった獣耳少年自身は、目の前で起きていることが信じられないらしく、呆然と立ち尽くしている。
「すごいじゃない!」
リアナが声を上げて、少年の肩や頭を叩く。
「あ、ありがとうございます」
と少年。
「やるじゃないか」
俺も声をかけてやる。すると、ルゥが不満そうな声を漏らした。
「ご主人様は全然信じてなかったじゃないですか。『正論なんて意味ない』とか『青臭い』とか言ってたくせに~」
「いや、あれは、彼らを挑発したんですよね?わざとあんなこと言って」
少年が口をはさむ。
「ええ!?そうなの?そうなんですかご主人様」とルゥ。
「どうだろうな」
確かに、俺は奴隷達を挑発してやった。
事態を切り抜けるために少しでも少年の助けになればいいと思った。
ただ。
『正論なんて何の意味もない。
世の中でそれが通ると思っているなんて、どれだけ青臭いんだ』
俺が言った内容自体は、俺自身が信じるところでもあった。
そして、どうせうまくいくとも思っていなかった。
しかし、少年は俺の考えを上回ったわけだ。
だから、結局のところは。
「…いずれにしろ、お前の勝ちだ。よくやった」
先ほどまで俺達の周りを囲んでいた奴隷達。
今や、使用人とその主人達を押し返し、彼らとその主人を囲んで追い詰めていた。
「お前たちは行け」
奴隷のリーダーの男が指さすのは、今や遮るもののなくなった屋敷の門だ。
「でも」
言いかけた獣耳少年に彼が囁く。
「大丈夫、こんなところで、腰抜けどもと殺しあうほど馬鹿じゃない。
俺達ももちろん逃げるさ。運がよかったらまた会おう」
「…わかりました」
「さあ行くぞ!」
叫んで、ルゥを先頭に俺がしんがりになって俺達は駆け出し、門を走り抜ける。
その後は港街の宵闇の中をひたすら走り続けた。