館の罠(6.5-3)
本編の6.5話にあたる話の続きです。
「いつまでこんな部屋で待たせるのかしら。お父様は」
あからさまに不機嫌そうな依頼者リアナの声。
どれくらい時間が過ぎただろうか。俺たちはかれこれもう2、3時間もこの部屋で待たされていた。
どこかで油を売っていたルゥも戻ってきたが、それから小一時間経つも誰も呼びに来ない。
俺たち3人が囲む質素な机の上でランプの光が揺れるだけだ。
やはり何かがおかしい。
「ルゥ。何か聞こえないか」
俺の指示にじっと耳を立てたルゥ。しかし首を振ると答えた。
「…何もおかしな音は聞こえないです。近くには誰もいない…です」
ルゥが聞こえないというのならそうなのだろう。
先ほどから、あたりは異様な静寂に包まれている。
音一つ聞こえない。
ん?
「本当に『近くに誰もいない』のか?」
「え?…そうですけど」
「こんな大きな屋敷でか?」
「あっ」
「確かに、この屋敷にはたくさんの使用人たちがいるわ。この近くにも使用人が控えているはず。全く物音も聞こえないというのはおかし…」
「まって下さい!…しっ、誰か来ます!」
リアナを遮って言うルゥ。
俺は目配せで了解の合図を送ると、扉の脇に張り付き剣の柄に手を懸けた。
タッタッタッ
扉の向こうからは俺の耳にも聞こえる近づいてくる足音。
そして、ドカッという音ともにノックもせずに人影が飛び込んでくる。
俺は扉の陰から飛び出してそいつを背後から羽交い絞めに――
するはずが、人影は勝手に派手にすっ転んでそのまま床に突っ伏した。
見れば、使用人の格好をした獣耳の少年だった。
少年は顔を上げてリアナの顔を認めるや、大声で叫ぶ。
「お、お嬢様、お嬢様!!」
「あなたはさっきの」とルゥ。
「知り合いか?」
「いや、ええと、さっき…」
「ちょっとまって。あら、あなたは昔私の世話をしていた…トリン、だったかしら?
久しぶりね。どうしたの?」
リアナは突っ伏した獣耳少年の顔を見つめて思い出したようだ。
「リアナ嬢様がいらっしゃると今知ったもので、遅くなって申し訳ございません!…すぐにお逃げください!お館様は…お父上は…」
そこで一度言葉を切った少年は、絞り出すように言った。
「殺されましたっ。番頭様…叔父上さまに」
依頼者の顔から血の気が消える。
「な、なにを言っているの?」
「謀殺です。商会の上の人たちはみな番頭と結託していました。
僕たち奴隷や使用人は従うしかなく、不満を言ったものは暇を出されるか殺されました」
「そん…な、まさか…」
力の抜けたように椅子に座りこむリアナ。
彼女がそのまま目の前の机に崩れ落ちるのを横目に俺は少年を抱え起こしてやる。
「敵はどれくらいいるんだ」
「叔父上様…番頭様に雇われた殺し屋2人と、あと、ならず者が沢山」
「他の屋敷の人間は?」
「先ほど、使用人は全員屋敷の外に出されました。
…それでおかしいと思ったらこれからお嬢様を捕らえるって…だから…急いで来たんです。
これから、邸内に敵が踏み込んでくるはずです」
「そうだとすると、もう時間がないな。今すぐ逃げるしかないぞ。ルゥ、リアナ」
「はい!」
ルゥが立ち上がり、扉へ向かおうとする。が、リアナは動かない。
「お父様が…そんな…」
テーブルに突っ伏したまま顔を覆っている。
「お、お嬢様、ですが」獣耳少年が声をかける。
しかし。
「お父様がいないと、私だけじゃ無理よ…こんなこと…ありえない…貴方たちだけで行って頂戴」
声が震えている。
気丈に振舞っていたがルゥと同じくらいの年頃の少女だ。
いきなり父親が死んだと言われたら普通ではいられれないのはわかる。
とはいえこんなところで時間を食っている場合では…
と、思っていると、ルゥがすっとリアナに駆け寄った。
次の瞬間。
パァンと乾いた音が響く。
信じられないといった顔で頬を抑えるリアナ。
平手でルゥがリアナの頬を叩いたのだ。
呆然としたリアナだが、すぐにその目に怒りが浮かぶ。
「な、なにをするの!この…」
言いかけたリアナの胸元を掴んでルゥが叫んだ。
「あなたがしっかりしないでどうするんですか!
この子は…あなたの為に危険も顧みず命をかけてきてくれたんですよ!」
言われて目を見開き、横の少年を見やり、そして目を伏せるリアナ。
「わ、私は…」
「いいですね!逃げますよ!」
ルゥは手を放すと、扉に向かって踵を返す。
「わ、わかったわ」
「さあ、行きましょうお嬢様!」
獣耳少年に手を引かれリアナも立ち上がる。
俺たちは部屋の扉から飛び出した。
「こっちです!こちらから外に出られます!」
俺たちは屋敷の廊下を獣耳少年が先導する方向に向かって進む。
先ほど俺達が入ってきたのとは逆の方向だ。おそらく屋敷の裏手に抜けるつもりだろう。
幸い、まだ敵には出くわしてはいない。
「このホールを抜ければすぐに出口です!」
俺達が両開きの扉を押し開けると、その先は天井が高く縦長の大部屋だった。
と言ってもやはり貴族の館の部屋のように装飾などはなく、壁に沿っていくつもの木箱が積まれている。
作業のためなのか壁に掲げられた明かりが部屋の中を明るく照らし、向こう側を見通すことができた。
その奥には入ってきたのと同じような両開きの扉がある。ここが建物の外への出口なのだろう。
迷う暇はない。俺たちは向かいの扉に走った。
しかし。
扉の傍の木箱の陰から二人の人影が現れ、扉の前に立ちふさがった。
「ご主人様、あいつらこの前の・・・!」
間違いない。馬車を襲って来た小柄と長身の覆面の二人組だ。
小柄の男方が無言でおもむろに手を叩く。
すると、奥の扉からぞろぞろと男たちが入ってきて、俺達を遠巻きに囲んだ。
手にはナイフ、手斧、こん棒などを持った男達。…港町につきもののチンピラ連中だ。
一人ひとりであれば冒険者の相手になる連中ではない。しかしこれだけの数がいるとなると…
「おとなしくその女を渡せ。さもなければ死だ」
覆面の男が言い放つと、チンピラたちも口々に囃し立てる。
「観念しろよ」
「もう終わりだぜ」
リアナが覆面の男をにらみつける。
「お前たちは…叔父に頼まれたのね!」
「…」
敵は答えない。
しかし、自らの屋敷の中でならず者たちに囲まれるという状況からして沈黙は肯定だ。
俺は剣を構えながら正面の覆面の男の方を向いたまま、横目で確認した。
(8人…)
(後ろからも3人来てますよ!)
と、背後でルゥが囁く。
さすがに数が多すぎる。まともに戦うのは無謀…か。
「そうだな、やむを得ない」
俺は宣言すると、構えていた剣を剣を鞘に収めた。
冒険者は依頼者から金をもらって飯を食っている。
が、命は一つだ。
死ぬわけにはいかない。
(ご、ご主人様!?ま、まさか依頼者を見捨て…?)
俺の背中の向こうでルゥが動揺する。
ここは依頼者を見捨てる…訳はない。
そんなことを見逃してもらえる状況ではない。
証拠の隠滅を考えれば、
生きるか死ぬか、そういう状況だ。
だから。
最後の手段を使わざるを得ない。
俺は左手に力を込めた。
「できればこれは使いたくなかったがな『最後の手段』だ」