街の夜のこと(2)
本編の(2)にあたる話です。
峠道を抜け、山を下って平野に出る。
すると、道を覆うように生えていた木々も次第にまばらとなり、前方は遠くの山々まで一面の草原が広がっているのが見えてくる。
ここまでくれば、山道に比べると人が隠れられる場所もあまりなく、野盗の襲撃の恐れは少ない。
とはいっても、この季節は平原を覆う青々とした草の背丈が高いので、道に沿って進むにしても待ち伏せに注意するに越したことはない。
街の外で緊張感を欠けば、いついかなる時でも、ならず者や魔獣の襲撃、そして、死が訪れるかもしれない。
今はそんな世の中だ。
そう……なのだが。
「~♪」
問題は俺の後ろからついてくる緊張感を欠く存在だ。
「ご主人様?」
歩きながら振り返ると、頭からかぶるだけのボロボロの服というよりは布をまとった獣耳娘が、俺の後を跳ねるようについてきている。
何が楽しいのか、茶色の獣耳をぴこぴこと動かしながら。
と、そこへ、どこから黄色い小さな蝶が飛んできて、獣耳娘の耳に止まろうとする……が、彼女は耳を器用に動かして払いのけた。
服の裾からはみ出した尻尾も歩みに合わせ左右に揺れている。
平和すぎる。のんきなものだ。
いや、そもそもなぜこの獣耳娘がついてきているのか?という疑問はごもっともだと思う。
俺は、別に――野盗に襲われて死んだ奴隷商人に代わって、彼女の新しい「ご主人様」になったというわけではない。
しかしこれは仕方なかったのだ。
「ボクは奴隷だから何をしたらいいかわからないんです」
「ずっと奴隷で、ご主人様の命令に従っていたので何もわからないんです」
獣耳娘はそんなことを言い続けた。
そして、主人が死んだから自分で生きていくしかないことをいくら説明しても理解せず、いつ襲撃者が戻ってくるかもわからない危険な場所から動こうとしなかった。
それで、とうとう業を煮やした俺は言ってしまった。
「こんなことしていたら日が暮れちまう。もういい、じゃあ、俺が『ご主人様』でいいから、街まで行くぞ」と。
すると獣耳娘は目を輝かせて言った。
「え?本当ですか?わかりましたご主人様!」
そんなわけで、彼女を街まで連れていくことになってしまったのだ。
やれやれ。
「ふんふふんふ~♪」
何やら鼻歌を歌い続けながらスキップを始めた獣耳娘を無視することにし、俺は歩を進めた。
子供と大人では歩く速度はかなり違う。ましてや冒険者とは大違いだ。
あんな様子をしていてもすぐに疲れたなどと言い出すに違いない。
と、思っていたのだが。
獣耳娘は休憩もしていないのに疲れた様子も見せず俺の後をついてくる。
獣人族は体が頑丈とは言うが、まだ子供という歳でこれだけの体力があるとは。俺は内心舌を巻いた。
そして、そうこうしているうちに、俺たちは目的の街の入り口に日暮れ前にたどり着いた。
この街はこの地方ではそれなりに大きな規模で、商人や職人たちも集まっており、彼らを守るため市壁で覆われ、警備もしっかりしている。
ついでに言えば、俺の所属している冒険者ギルドもこの街にある。
俺たちのほかに街の門を通る旅人たちも多く、その顔にはなんだか安堵が浮かんでいるように見える。
ここまでくれば、ひとまず安全だろう。
「街についたぞ。じゃあな」
俺は街の門をくぐるなり声をかけて別れようとしたが、獣耳娘はそれが当然というように俺の後ろを離れずついてくる。
「おい、どこまでついてくるんだよお前」
立ち止まり俺が言うと、獣耳娘が不思議そうに聞き返した。
「だって『俺が主人になってやるから来い』って言ったじゃないですか」
「いや、だから『街までだ』って言っただろう。俺は冒険者だ。案内人じゃない。どこまでもお前を連れて行くつもりはない。勘違いするな」
「えぇ……そんな……」
俺の言葉に、獣耳娘が信じられないというような顔をする。
いや、なんでそんなにいちいち反応するんだよ。なんかおかしなこと言ってるか俺は?
黙ったまま俺を見上げている獣耳娘に尋ねた。
「というか、お前は奴隷だったんだろう。何ができるんだ?」
獣人には踊りや歌を得意とするものもあるらしい。
また、体が強い種族なので、獣耳奴隷は肉体労働、家事や畑仕事をさせられるという話も聞く。
さすがに警護や兵士といったことをできる歳には見えないが、何か特技くらいあるだろう。
すると獣耳娘はビクッと体を震わせて言った。
「できることは……特に……何も」
言いながらうつむいてしまった。
「本当に何も?」俺が確認する。
「本当……です」
ほとんど消え入りそうな声で言う獣耳娘。
うーん、困ったことになった。
そもそも、この獣耳娘を拾って来たこと自体は俺の気まぐれにすぎない。この娘に俺が何かをしてあげる義理など何もない。
確かに、そうなのだが。
その「俺の気まぐれ」というのは「逃げてもどうせ捕まって奴隷になるに決まっている」などとのたまう奴隷娘が許せなかったからだ。
であれば、ここで追い払って、彼女をすぐまた奴隷になるような目に合わせるわけにもいかない。
何か特技があれば、どこかの商人なりのつてで丁稚奉公にでも入れてもらうということも考えたのだが、何もできないというのではうまくいくだろうか。
などと、考えてみたが。
いずれにしても、日暮れの近いこんな時間に獣耳娘を放置するわけにもいかないか。
「……そうか。まあ、今日は俺が宿をとってやるから、ついてこい」
言って歩き出すと、獣耳娘は何も言わず、うつむいたままついてきた。
今日はもう疲れた。明日、よく話して別れよう。
俺はそのときはそう思った。
獣耳娘に構っていた分、街に着くのが遅くなり、ついでに二人分の部屋の宿をとるのは難儀したので、宿が決まったのは日もとっぷり暮れた後だった。
旅先では屋根があるところで寝られるのはましな話で、魔獣を追いかけるようなときは数日野宿を繰り返すこともあるというのが冒険者だ。
俺も寝床のある宿屋に泊まることができるのは久々だった。
この宿のいいところは浴場があることだが、とはいえ、冒険者が泊まるような宿では食事など出ないし、ベッドも極めて質素なものだ。
鞄からカチカチの携帯食料を取り出してベッドに腰かけて水で流し込む。
「お前も食えよ、俺は風呂に入ってくるから」
ベッドに座ってぼーっとしている獣耳娘に食料を放り投げて、部屋を後にした。
風呂に入った後、俺は早々にベッドに入り横になる。
面倒ごとを拾ってしまったが、ともかく宿というのはいいものだ。
旅先であれば横になるときも周囲に気を配り続けなければならない。しかし、宿であればその心配はない。それがそれだけありがたいことか。
いつのまにかうとうとしていた俺はそのまま深い眠りに落ち――る前に、近づく気配に気づき、目を開けた。
部屋は暗いが、窓から差し込む月の光の中に見えるのは、獣耳娘の姿だった。
「ご主人様……」
「どうした?風呂入ったか?もう遅いから寝ろよ」
「あの、ボ、ボクは」
獣耳娘は突然上ずった声で言うと、身にまとっていた薄手の布を床に落とす。
文字通り一糸まとわぬ獣耳娘の肌があらわになった、
「え?おい?」
突然のことに俺が動揺していると、獣耳娘は俺のベッドに上がり込んでくる。
「あの……ぼ、ボクがお役に立てるのはこれくらいですから」
いいながら、ベッドの中で俺に体を寄せようとする。
「ちょ、ちょっと待て!」
俺は言いながら獣耳娘を押しとどめて跳ね起きた。
「……ボクは本当に何もできることなくて、でも、役に立てれば連れて行ってくれるって思って。だから」
俺に縋り付きながら、言う獣耳娘。
俺がそんなことのためにこいつを拾ったと思ったのか?馬鹿な。
(お前、何考えているんだ!)
そう、怒鳴りつけようと思った、が。
俺をつかんでいる彼女の白い腕が震えていた。
というより。
彼女の全身がずぶぬれになった獣のように震えていた。
奴隷が売り買いされる理由は様々である。
そして、自分の情欲のためだけに異性の奴隷を買う金持ちや、それが直接の目的でなくとも、自分の自由にできる奴隷に劣情を抱く者もいる。
また、彼女のようなまだ少女と言っていい年齢の少女に対しても、そういう目で見る者がいるのは確かだ。
そして、彼女のような存在は、たとえ意に反しても、そういったものにすがってでも生き延びなくてはならないときも、あるのだろう。
そんな経験をしてきたのかこいつは。
呑気な様子で俺についてきていたから勘違いしていたが、こいつは結局、見捨てられるのが怖くて仕方なかったんだな。
ベッドを降りると彼女に頭から毛布を掛けてやる。
「俺は、お前にそんなことを求めていない。お前も嫌だろう」
獣耳娘は黙ってうなずいた。
こうなっては仕方ない。俺も腹を決めた。
「俺が明日、お前が暮らしていけるような仕事を一緒に探してやるから。今日はもう寝ろよ」
「本当に?本当にですか?」
パッと顔を上げ、俺の目を見つめる獣耳娘。
「本当だ」
俺も目を見ながら答える。
毛布の上から頭にそっと手をのせると、獣耳がピクリとうごいた。
「やった!ありがとうございますご主人様!」
獣耳娘が飛びつくように小さな両手で俺の手をとり、ひとしきり強く握り締めた。
と、不意にその力が緩んだと思うと、
「じゃあボクもう寝ます……ね……」
そのままベッドに倒れこみ、寝息を立て始めた獣耳娘。
うーん、ここは俺のベッドなのだが。
やれやれ。明日は面倒なことになりそうだな。