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閑話 2


 ラナ・クレインズ。ティ・ウェン・ルン帝国一代目宮廷魔術師である。

 年齢は二十七歳。小柄でやや痩せぎすな女性だ。容姿は短く切り揃えた銀髪にやや細面の顔。十分整った目鼻立ちは美女と云って差し支えない。もっとも、年齢により行き遅れなどと陰口をたたかれてもいるが、それは人族の基準であればだ。


 彼女の種族の基準であれば、彼女はいまだ未成年であり、その背丈は高めとされ、その体格はいくらなんでも痩せすぎだと云われる程だ。とはいえ、人族と彼女の種族とはほぼ見分けがつかないため、帝国の誰もが彼女を人族と信じて疑ってはいない。


 そのラナが魔術師として持っている肩書は防御系魔術導師のみである。故に彼女は賢者の称号は手にしていない。もっとも、完全な特化型である彼女は賢者の称号を得るつもりもない。


 魔術の区分には各系統の区分けとは別の区分けがある。いわゆる大魔導、小魔導と呼ばれる区分だ。


 大魔導とは、攻撃魔法、防御魔法など外部へ影響を与える、外部からの影響を防護するなど、まぁ、簡単に云えば派手な魔術のことを示す。


 一方、小魔導は、人の気持ちを落ち着かせる、或いは混乱させるなど、精神に作用するものや、周囲の索敵、遠距離での念話などの、いわゆる小技的な魔術のことを示している。


 そしてラナは、その小魔導の大家と云えるほどの技術をもった魔術師である。


 故に、彼女は帝国の宮廷魔術師として取り立てられたのだ。


 彼女の使う【真実の光】の前では、誰もが虚言を吐くことはできない。それだけでも彼女の価値が分ろうというものだろう。






 昨日のクレインズ魔法学院において行われた、ミディン・ナイファによる講義は実に有意義なものであった。ただ、問題なのは、その有意義さが講義内容だけでなく、帝国の抱える問題点を解決するために必要な、それももっともクリティカルなものを得られたということだ。


 おかげで尋問やら情報収集やらで、ラナは徹夜をする羽目に陥っていた。


 だがこの十年間、宮廷魔術師となってからの十年間、ずっと帝国の喉に突き刺さった魚の骨の如く、わずらわしかった愚か者共を断じることができるとなれば、睡魔にかまってなどいられなかった。


 ただ、代わりに別の事が大問題となってしまったが。


 人が足りない。それもまともな人材が。優秀でなくともいいのだ。真面目で、愚かでさえなければ。


 それに加えて、また幾つかの貴族家が潰れることも確定している。現状は代官を立てるしかないが、できるだけ早くまっとうな領主を選ばなくてはならない。


 なにしろ、代官に据える人材さえ足りない。とはいえ、爵位などぽんぽん与えるものではない。


 まぁ、そこは陛下の丸投げしましょう。


 ラナは抱えた羊皮紙の束を持ち直すと、皇帝の執務室の扉をノックした。






 ヴィルヘルム・ヘルトリング。七歳で皇帝の座につき、以来、前皇帝の尻拭いを続けてきた苦労人である。


 もっとも、前皇帝の置き土産をのらりくらりと躱すために、成人するまでは無能を装い、成人後は女にだらしない男を演じてきたわけだが。


 それも十年前、ラナという女傑と知り合い、彼女を皇帝の権限でむりやり宮廷魔術師に据えたことで、帝国内の掃除に着手ができるようになったのだ。


 とにかくラナには容赦なく掃除をしてもらった。なにしろ、密偵たちでさえ見つけることが困難な情報でさえも、彼女は容易く手に入れるのだ。もっとも、魔術に疎い連中が相手なのだ。密偵たちを退け、秘密を隠すことはできても、魔術の技からは逃れる術には長けていなかったのだ。


 賄賂、横領、冤罪のでっち上げ、殺人、誘拐、詐欺と、呆れ果てる程のことが大量に露見し、多くの者が失脚し、ある程度の人数が首を切られた。もちろん、これは物理的にだ。


 これらの断罪はすべてヴィルヘルムが行っていたのだが、誰しもラナが皇帝の代理として行っていると考えていた。


 そう、誰もがヴィルヘルムをいまだ無能と思っていたのだ。


 朱に交われば赤くなる。本来なら彼も周囲の者たちにいい様に操られ、単なる傀儡となっていただろう。だが、彼はそうなることはなかった。というより、なるわけにはいかなかった。


 なぜなら二十年前、皇帝の座につく直前に彼は女神と邂逅し、女神より激励と脅迫を受けていたのだから。


 帝国を立て直せなかったら、亡ぼしに来ると。だから頑張りなさいと。


 前皇帝ペートルスが女神に対して行った罪。その報いによりペートルスは視力を失い、精神を病んだ。ペートルスは今もなお存命であるが、部屋の隅で震え、何かに怯え慄きながら暮らしている。


 だがそんなことを知らぬ欲の張った信奉者共が、ヴィルヘルムを傀儡とするか、あるいは皇帝の座から引きずり降ろそうと暗躍していたのだ。


 ヴィルヘルムはほっとしていた。


 クズ共を一層できることに。


 そしてなにより、やっと女神様との約束が果たせると。


 それは喜ばしいことだ。喜ばしいことなのだが……。


「多いな……」


 ラナが追加で持ってきた羊皮紙の束に、ヴィルヘルムは口元を引き攣らせた。


「致し方ありません。前皇帝の置き土産全てですからね。放置せざるを得なかったものは勝手に増えていましたし」

「やれやれ、ティーレマンがここまで根を張っていたとは思わなかったな。

 だが、よくここまで調べることができたな」

「クーノ殿のおかげですよ」


 ラナの答えに、ヴィルヘルムは書類から目をあげた。


「男爵は戻って来る気はありそうか?」

「いえ、現状のほうが都合がいいそうですよ。誰もが没落したと思っていますからね」


 珍しくラナがニヤリとした笑みを見せた。


 クーノ・ブライトナー男爵。領地を持たぬ宮仕えの男爵であり、財務官のひとりとして宮廷で働いていた男だ。


 もっともそれは表向きで、ヴィルヘルムの父、オスヴァルト直属の諜報部隊の隊長をしていた人物である。オスヴァルトが祖父ペートルスの謀略により命を落とした後は、ヴィルヘルムの影として仕えていた。


 謀反を企てていたマンハイム伯爵家が取り潰された際、その貴族派閥の末端に情報収集の為に入り込んでいたブライトナー家にも累が及んでいた。


 だがブライトナー家に与えられた罰は、単にクーノが仕事を首になっただけだ。とはいえ、領地を持たない以上『無職の男爵』と、表向きにはなってしまい、没落と同義と思われたのだ。

 その後はギーンハイム地方の片田舎で牧場経営をしつつ、これまでどおりに諜報員たちを束ねていたのである。


「そういえば陛下、クーノ殿のところには娘がいましたね。后に迎えては?」


 突然ラナがそんな提案をした。帝国を盤石にするには、やはり跡取りは必要である。だがそのためには、后を娶らなくてはならない。これまでは、厄介な連中が跳梁しており、下手な娘を后に迎える訳にはいかなかったのだ。


 だが、現状であればそういった問題は無くなっている。


 自分のこれまでの評判から、無茶な娶りをしても問題はないだろう。とはいえ、その代わりに娘の方にロクでもない悪意が向く可能性が高くなる。


 それに加え、男爵では家格がまるでたりない。


 それについて口を開こうとした時――


「それは難しいと思われる。打診するのはやめた方がいい」


 突然聞こえてきた声に、ふたりは慌てて周囲を見回した。


 ラナのすぐ後ろ、そこにいつの間にか、真っ白い外套に身を包んだ、白い髪、白い顔、金色の目をした少女が立っていた。


 慌ててラナとヴィルヘルムが武器を手に身構えた。


「失礼。お初にお目に掛かる。ギャロット・ジ・アサシン。私の名はルリオンから聞いているだろう?」


 無表情のまま、抑揚のほとんどない声で彼女が淡々と話す。ふたりが武器を手にしていようとお構いなしに。


「ベアトリクス・ブライトナーはウィラン中央図書館で自らの人生を歩んでいる。彼女自身、ブライトナー男爵家は没落し、市井に降ったと思っている。求婚したとしても、没落した家の者がと、断るだろう」


 ギャロットの言葉に、ヴィルヘルムは眉をひそめた。


「どういうことだ? ラナ」

「クーノ殿は『元々一代限りの男爵ですから』と云っていましたから、そういうことなのでしょう」

「ぬぅ。私の嫁云々はともかく、クーノに戻ってもらうことはできないか? どこか適当な領地を任せたい。とにかく人手が足らん」


 ヴィルヘルムの言葉は切実だ。そしてそれはラナも十分に理解している。


「一応打診はしてみます。それと、あぶれているまともそうな貴族令息を当たってみます。とはいえ代官にすることはできても、爵位を授ける訳にはいきませんが」

「……もういっその事、卒業した学院一期生を魔導伯とでもして配置してしまおう。どうせ彼女たちは次の大攻勢の際に、放っておいても勝手に功績を積み上げてくれるだろうからな」


 彼女たちは家柄、人柄、信用、実力、すべてに申し分がない。


 ただ問題なのは、彼女たちソーマ教室卒業生には、政治の中枢にはいってもらう予定であったということだ。


「……何人か選別しましょう。さすがに全員をそちらにまわすと、我々の周囲が穴だらけになります」

「よろしく頼む。だが時期は再来年になるか……」


 ヴィルヘルムが呻いた。


 さすがに見かねたのか、ギャロットが口を挟んだ。


「ひとりなら今すぐ簡単に確保できるだろう? 出奔したローラント侯爵家の三男坊を呼び戻せばいい。ローラント侯爵家には継ぎ手のいない伯爵位が残っているだろう? それを彼に渡した上で、適当な領地の代官にでもすればいい。神の眷属の一種族の族長とも懇意にしている人物だ。取り立てて置いても問題ないと思われる。ミラクスの魔神事件における英雄のひとりでもある。

 あぁ、一番肝心な人物としての評価だが、まったく問題はない。噂では【使徒】と結婚するとのことだ」

「陛下、是が非でも呼び戻しましょう。協会との関係が強固になることは喜ばしいことです」


 ラナが執務机の上に身を乗り出した。


「ラナ、落ち着け。有能な人物ならば取り立てるとも。

 しかしだ、ギャロット、その彼のことを知っていたとしてもだ、なぜその素性まで調べ上げていたのだ?」


 ヴィルヘルムが問う。出奔していたなら、家名など名乗ってはいないはずだ。なにより、厄介ごとになりかねないのだ。そこは徹底しているだろう。それだけに、それを調べようとするならば、並大抵の苦労では無かったはずだ。


「それが私の仕事。それだけ。さて、私の用事を済ませるとしよう。

 悪い知らせだ。ベルギウス辺境伯がリノ様を森から排除した。来年末か再来年初めに起こるであろう大攻勢に、リノ様の助力は得られないと思え。準備を怠らないように。

 これはリノ様からの手紙だ。しっかり渡したよ」


 ギャロットからその手紙をラナが受け取り、それを確認後ヴィルヘルムが受け取った。


 印の押されていない封印を切り、丸められた羊皮紙を開く。


 その内容を読み、ヴィルヘルムは口元を歪めた。


「……確か、昨年代替わりしたんだったな」


 やや怒気を孕んだ声で云う。ラナも手紙を読むや、剣呑な笑みを浮かべていた。


「えぇ、とんだ愚か者だったようですね。大攻勢防衛の最前線を任せましょう」

「その愚か者のせいで人死にを増やしたくはないが?」

「えぇ、もちろんですとも。ですから、大賢者さまを排除したことを周知し、領兵や傭兵たちには、我々の防衛部隊に入るか、ベルギウス伯についていくかを選ばせましょう。どれだけベルギウス伯の元に残りますかね?」

「ふむ、とりあえず大賢者殿にはなにかしら褒賞を用意するとしよう。まぁ、問題は、あの御仁がなにを喜ぶのかさっぱりなのだが」

「それは最悪、ソーマ殿にお聞きしましょう。妙なものを贈った結果、嫌がらせと思われては困りますからね」


 ラナが肩を竦めた。その仕草にヴィルヘルムが微かに笑みを浮かべる。


 その様子をじっとみていたギャロットがやおら口を開いた。


「そういえば皇帝陛下。先ほど結婚云々云っていたが、宮廷魔術師殿に結婚を申し込むのなら、あと三年待つことだ。そうすれば彼女も成人する。結婚に何の問題もなくなるよ」

「ちょっ!」


 ギャロットの暴露に、ラナがうろたえた。


「ギャロット、どういうことだ? 成人云々とはなんだ? ラナは私と同い年だ。三年も経てば三十の大台に乗ってしまうぞ」


 ヴィルヘルムの言葉に、ラナが少しばかり顔を顰めた。

 だがギャロットはそんなことは気にしない。


「彼女はウムリ族だ。人族より長命な種族だよ。そうそう宮廷魔術師殿、あなたのお姉さんは元気にしているよ。毎日、ウィラン中央図書館で遭難している。あぁ、安心するといい。彼女は喜んで遭難しているんだ。安全はしっかりと確保しているよ」

「ミカカ姉さん、なにしてるの……」


 ラナは頭を抱えた。まさか行方不明だった姉がウィランにいたとは。


「三年か……」

「もともと一目惚れしたんだろう? 正妃にするかしないかはともかく、結婚してしまえばいい。どっちにしろ、このままじゃ彼女は貰い手がつかない」


 酷いことを云うギャロットを、ヴィルヘルムとラナが睨みつけた。だがギャロットはそんな視線などものともしない。


 しばし睨んでいたが、ヴィルヘルムは諦めてため息をついた。


「やれやれ、なんでそんなことまで知っているのだ?」

「へ、陛下!?」


 顔を赤くするラナをよそに、ヴィルヘルムがギャロットに問うた。するとギャロットは淡々とこう答えた。


「優秀な諜報員のすべてが、帝国にいるわけではないよ」


 それだけ云い、白い少女は微かに笑みを浮かべた。


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