冒険に行こう 2
私はお師匠さまの後をついて廊下へとでた。向かうのはお師匠さまの師であり、私にとっては学院時代の担任であるソーマ先生の研究室だ。
いま私が住んでいるこの建物は、元々は貴族向けに建てられた宿屋だそうだ。立地場所が街の外縁部であったことが災いしたのか、たちまち経営難に陥っていたことを聞きつけたソーマ先生が買い叩いたとか。
まだ売りに出されてもいない宿屋を。
うん。無茶苦茶である。
経営を立て直そうと頑張っていた宿屋の主人はさぞかし驚いたことだろう。久々に来た客と思った人物が、カウンターに金の延板、リーガル金貨の束をどんと置くなり「ここを売れ。金額はこれで十分だろ?」と云ったのだから。そのうえ――
「欲をかかかないほうがいいぞ。過ぎた欲は身を亡ぼすというだろ?」
ほとんど脅しである。
とはいえ、積まれた額は相場よりも多かったのだから、借金畑になることが確定している物件を売るには好条件であったろう。
こうして、ファラン王国はウィラン自治領区首都ウィランの端にある、この無駄に広い木造三階建ての宿屋はソーマ先生の城となったのだ。
私がはじめてここに来たときには、一緒に来たリュリュとエルマイヤ、アシュリー、ジゼル、エリザベスと並んで、思わずポカンと見上げたものだ。
だって、その規模がこれまで暮らしていた全寮制の皇立クレインズ魔法学院とほぼ同じであったのだから。
一階部分は食堂に浴場、倉庫などの施設。二階は各自の部屋が割り当てられている。とはいえ、弟子と生徒とで明確な差別化が行われている。弟子には個室の他に研究室を与えられるが、生徒には個室のみだ。
三階も二階と同様だが、こちらは図書室として使われている大部屋以外はすべて空き部屋だ。
私たちは赤い絨毯の敷き詰められた廊下を進み、相変わらず扉が開けっ放しのソーマ先生の研究室へと入った。
そしてガオ君は一礼すると姿を消した。
いつ見てもどうやっているのかさっぱり分からない。魔法ではない、とは聞いたことがあるけれど。
研究室ではソーマ先生が踏み台に乗った十歳くらいの少女と一緒に、テーブルの上に置かれた分厚い本を見つめていた。
「――って感じなんだけれど、どうにかならないかな?」
「ん~、無理だろ。精霊は気紛れだからな。しばらく放っとけ。長くても数年だ。ここで下手にいじると連中拗ねるぞ」
「それは困るわね。拗ねられたら平気で百年とか放置されるし」
深紅の簡素なドレスに身を包んだ金髪の少女が顔を顰めていた。
彼女の名前はシビル。見てくれは子供……いえ、実際に十歳児だけれども、私なんかよりも遥かに高位の魔術師だ。検定を受けていないため肩書はないけれど、賢者級であることは確かだ。
「むー、そうなると暫く暇になっちゃうなぁ。早くあの世界治したかったんだけど。……これからなにやろ?」
本を抱えて踏み台から降りたシビルが、入り口に立っている私たちに気がついた。。
「あ、ミディン、キャロル、調子はどう?」
「あはは、キャロルが優秀だから、ソーマが以前に云ってた『醍醐味』っていうのは感じてないよ」
パタパタと手を振りながら答えるお師匠さまに、私は愛想笑いを浮かべるだけだ。
私が優秀って、とてもそうは思えないんだけどなぁ。
「うーん、確かになんでもそつなく熟してるよね」
シビルが私を見つめる。
彼女の通り名は『世界を綴る者・シビル』。古代人だ。とある事件により二万年だが三万年だか前から現代にやってきた、上位人間種だ。
「そうなんだよなぁ。キャロルは普通に優秀でなぁ。そのせいで、こぢんまりとまとまった術師に修まりそうなのがな……。派手な挫折でもすりゃ、一気に伸びそうなんだが」
ソーマ先生が呻くように云う。
あの、買い被られてませんか? 私、リュリュとエルマイヤのおまけでここにいることが出来てるんじゃないかって気がしているんですけど。
というか先生、挫折って……。先生のことだからできそうに見えるけれど、絶対できない課題とか出されそうで怖いんですけど。ヤメテくださいよ?
「それならソーマが指導すればよかったんじゃないの?」
シビルが隣にいるソーマ先生を見上げた。
「いや、俺がその気でやったら、多分、キャロルは潰れるぞ。ミディンがギリギリのラインだったからな」
えぇ……潰れるって普通に云ったよ!
「……あたし、とばっちりで死んだしね」
お師匠さまが怨嗟の籠った声をあげた。
「いや、あれは俺の指導とは関係ないだろ」
先生が口をへの字に曲げて抗議する。でもお師匠さまは言葉を止めない。
「……吐いて倒れて、死ぬんじゃないかって程の頭痛に襲われて失神したけどね」
「あ~、うん、あれは……確かに、そうだな。うん、すまなかった」
「……あの、なにがあったんですか? というかソーマ先生、なにやらかしたんです?」
私はが咎めるように目を半開きにして先生に問うた。
なにせ先生は、学院で教師をしていたときはそれこそ規格外のことを事も無げにやって、一部の教師から煙たがられていたのだ。同じ『攻撃系魔法教室』の教師からはあからさまに敵意を向けられるほどに。
指導方針が理解できない。なんでそんな無駄にしか思えないことするのかわからない。でも、生徒たちの技術は伸び、一部は他の教師陣をあっさりと追い抜いた。結果、みんなぶっちぎりの成績というか、即戦力の魔術師に育った。
修学期間の三年でできるかどうかの結果を、わずか一年で成し遂げてしまったのだ。そりゃあ嫉妬から他の教師たちに煙たがられるというものだ。もっとも、学園創設者である帝国宮廷魔術師であるラナ・クレインズ様からは感謝されていたらしいけれど。
そういえば、「一年って約束だからな」といって、先生、教師をあっさり辞めたんだよね。ラナ様、凄く残念がってったっけ。というか、先生が教師引き受けた理由を聞いて呆れたけど。
「めぼしい生徒を何人か貰うぞ。なに、帝国を担える、即戦力を十人以上育成してやるんだ、問題ないだろ。つか、ひとりは放置して置くと世界が滅ぶぞ」
と脅してたらしい。ガオ君の話だから、多分、真実だろう。
で、引き抜かれたのが私たち六人。いや、アシュリーとジゼルは別だから、実質四人か。
世界が滅ぶとか物騒な。私にはそんな力はありませんよ。
私は渋面を浮かべる先生を見つめた。
「あー、ミディンの資質を見誤ってな。指導に使う魔導書の選定をミスったんだよ。ほら、学院でリュリュに渡したのをエルマイヤが勝手に読んでぶっ倒れてただろ。あれの更に酷い状態になった」
「そういえば、合わないのを読むと大変なことになるって云ってましたね」
召喚術の実習の時の事件(?)だ。後で見合った本を渡すと、先生に云われたのにも関わらず、エルマイヤはリュリュから借りて読んで寝込んだのだ。あの無駄に強い冒険心は羨ましいけれど、もうちょっと自重を覚えた方がいいと思う。
「エルマイヤは最終的に忠告を無視してたけどな。あいつはもう少し自制心が持てればなぁ。下手に鍛えると、そのうち自滅しそうで怖いんだよなぁ」
「異常に慎重派のエリザベスと足して二で割ったら、ふたり共【賢者】の肩書くらい簡単に取れそうなのにね」
先生のベッドに飛び乗るように座って、シビルが云う。わずか十歳であるものの、彼女の鑑識眼は確かだ。つまり、それだけの才能と資質がふたりにはあるということだ。だからといって、そう簡単に賢者の肩書が取れるだけの術師になれるものではない。ふたりの場合、その性格が少々災いとなっている。
「サラサに預けたのが間違いだったんじゃないの?」
「反面教師になると思ったんだよ。つか、実際なってるだろ。ただ、予想以上にサラサが暴走しまくってるだけだ」
「え~っと、今は暴魔を倒しに行ってるんだっけ? 新しい攻撃魔法の実験にでも行ったの? アレ、一応、悪魔の端くれだよね?」
「問題ない。レーダが目付け役で隠れて着いて行ってる」
先生の答えに、お師匠さまが安心したように微笑んだ。
「ねぇねぇソーマ、暴魔ってなに? 私、知らないんだけど」
「あぁ、泥水を媒体に召喚される下級悪魔の一種だ。泥土の悪魔なんて呼ばれてるな」
「なに、この時代じゃ悪魔を召ぶ馬鹿がいるの? 上位級なら条件次第でなんとかなるかも知れないけど、下位級だと云うことなんか聞きゃしないわよ!」
シビルが驚いて目を見開いている。
「だから【暴魔】なんだよ。まぁ、水溜まりからは離れられないから、さしたる被害はないはずだが、今回は湿原だからな。行動範囲はそれなりに広いだろうな」
「サラサのやらかす被害の方が大きいんじゃないかな」
「そこはエリザベスとエルマイヤが止めてくれることを期待しましょ」
シビルとお師匠さまは、この場にいないサラサさんに対して酷い評価をつけている。
「と、サラサのことはどうでもいいのよ。で、ソーマ、仕事はなに? なにかやることがあるんでしょ?」
お師匠さまが雑談を打ち切り、先生に呼ばれた理由を尋ねた。
そう、その話だ。自分にも関わりのあることなのだ、しっかりと確認をしておかなくては。
私は少々緩んでいた気持ちを引き締めた。
「その話の前にちょいと確認だ。ミディン、キャロル、千年前の八ヶ国大戦に関してはどのくらい知ってる?」
ソーマ先生がそんなことを問うてきた。