学院騒動 11
その青みがかった銀髪の少女は、店の扉に『臨時休業』の札を下げると、テキパキと行動を開始した。
時刻は早朝。いや、早朝というよりも早い夜明け前。
はたきと箒を手に家じゅうの埃を文字通り家から叩きだし、ぎゅっとしぼった雑巾で壁から床から、果ては天井までピカピカに磨き上げた。
時間はない。
早ければ昼過ぎには、遅くとも夕刻には少女が敬愛する人物が来訪するのだ。
執着、といってよいほどに敬愛する人物が。
彼女を始め、彼女の兄弟姉妹がマスターであるソーマの伴侶にしようと画策している人物が。
少女にとって絶対の存在は、少女を生み出した“父”ともいえる存在であるソーマである。
母はもはや存在しない。存在するとすれば自身だ。
少女たち十四人は、母の一部とソーマの血を素材として生み出されたのだ。
ひとりはマスターの師に当たる方より生み出されているため、いわば異母姉ともいうべき存在。
そして、ひとりはとある抗争の末、命を落としてしまっている。
現在はソーマはもちろん、兄弟姉妹たちの何人かがその下手人を追っている。
理由? そんなもの、見つけ出して落とし前をつけさせるためだ。
そして生み出されより数十年。ついにマスターの隣りに立つに相応しき人物が現われたのだ。
生み出された当初はリリーシャノンリースに期待をしたものだが、あの方はマスターに心酔しすぎていて、そういった関係になれる素養はないという有様だった。その姉妹であるアクィウェラコーリーンとプルムウェラティルノークは言わずもがな。
それから更に数十年が過ぎ、とある仕事でレティシアミファンディというエルフの娘と知り合い懇意となったが、生憎、彼女たちが求めるような関係には至らなかった。元よりエルフ、森エルフである。主たるソーマとは犬猿ともいえる関係だ。
もっとも、彼女はソーマが敵視している部族の連中とは一切関係のないエルフではあったのだが。それでも思うところはあるというものだ。
そして三人目。ソーマ自身が連れてきた少女。ソーマが女連れで仕事から帰還したということも驚愕の事態であったが、なによりその少女がソーマに対し、一切物怖じせず、まるで生来の友人関係でもあるように会話していることに、兄弟姉妹全員が唖然としたのだ。
マスターが、女性を連れて帰還しただと!?
そして全員が思ったのである。この娘を逃してはいけない。と。
更なる事実が発覚する。
【魔術感応者】だと!?
絶対に逃すな!!
兄弟姉妹のまとめ役であるリルファリーダが厳命し、いまに至っている。
バタバタと邸内を駆け回り、あらゆる準備を終えた頃には陽がすっかり昇っていた。
汚れたバケツの水を排水路へと流し、ルリオンは空を見上げる。
今日は彼女の気分とは裏腹に、曇天となりそうだ。
買い物かごを準備し、ご機嫌な足取りでルリオンは食材の仕入れに向かった。
食材をかごに詰め込み帰路についたころ、建物越しに大通りを進む鉄騎巨兵が歩む姿がみえた。
そしてその肩に立つミディンの姿。
順調に知名度を上げているミディンに、ルリオンは笑みを深めた。
これで、あとは畏怖と悪名が上がれば問題ない。
このふたつはとても大事だ。でなければ、良いように利用しようとする輩が現れる。くだらない依頼をしようものなら、破滅させられると思わせるほどに名を上げなくては、まともな生活など出来やしないのだ。
もっとも、マスターはやりすぎて暫く前まで賞金首となっていたわけだが。
熱狂じみた歓声に満足気な笑みを浮かべながら、ルリオンは書店へと戻った。
書店に入ると、そこには自身の対となる兄弟が待っていた。
「おかえり、ルリ。……ご機嫌だね」
「えぇ、もちろんですとも。やっと念願のミディン様のお世話をできるのです。これ以上の喜びはありません。それで、ルオ、突然どうしたのです?」
ルオの前を通り抜け、ルリオンは下げていた買い物かごをテーブルの上に置いた。
「今まで大人しくしてたゴミ共がまた動き出した。原因は――わかるよね」
「随分と早いことで。あまりに無計画なのでは?」
「無計画だと思うよ。とはいえ、あの鉄騎巨兵はとても魅力的なんだろうね。【傀儡操士】集めに奔走をはじめたよ。で、ギャロットが嬉々としてリストを作ってる。ルリにはそれを伝えに来たんだ。まぁ、ないと思うけれど、なにかしらちょっかいを掛けてくるかもしれない」
そういって肩をすくめるルオの姿に、ルリオンは肉食獣のように歯を剥いた。
「それこそ願ったりのこと。惨たらしく始末して差し上げましょう」
「それはギャロットがやるよ。ルリはレディマスターのお世話に集中してくれ。ルリにしかできない」
ルオのそう諭されるや、ルリは満面の笑みを浮かべた。
「もちろんでございますとも! ミディン様がマスターと共に戻られてよりずっと、私はこの日の為に精進して来たのですから」
鼻息荒く、ルリオンは手に持った人参を掲げやる気に満ち満ちている。
あまりのちょろさに、ルオは心配になった。
「えぇ。えぇ。 やっと、やっとミディン様のお世話ができるのですよ!
六年前、あのじゃんけん大会以来、私はずっと待ち焦がれていたのです。
あぁ、あのミディン様のお世話役を決める大勝負。
なぜ私はパーを出したの! パーなんかを! ビンタなんかが、眼潰しのできるチョキに敵うわけないというのに!
おのれエリスタァァァァァッ!!」
ルリオンが地団駄を踏み出した。
その様子に、対となる彼、ルオは苦笑したまま表情を強張らせていた。
相変わらず云っていることが微妙に物騒だ。
「ま、まぁ、ミディン様のお世話は任せるから、頑張っておくれ。それじゃ僕は、馬鹿共の動向を探りに地方へといくから。ここ王都はギャロットがやるから……あー、いろいろと事件が起こるかもしれないけど、その辺については適当に皇帝陛下に伝えておいて」
「なんですって!? ルオ、私はミディン様のお世話で忙しいのです。さらにはミディン様の弟子であるキャロルさんもみえるのです。
そんな雑事にかまけている暇などあるわけがないでしょう!」
「そうはいうけど、キミ、ときたま相手をしているだろう?」
「アレはどういうわけだか私に構ってくるのです!!」
ルリオンはプイとそっぽを向いた。
「ルリ……」
「なんです?」
「ここが帝国って、わかってる?」
当たり前のことを訊いてきたルオに、ルリオンは首を傾げた。
「この国の最大の文化は?」
「諜報……あああっ!!!」
ルリオンは頭を抱えた。
「もともとここは公爵令嬢が入り浸っていたこともあって、注目されていた書店だったからね。その店主の代行として現われたのがルリオン。どっからどうみても小娘だけれど、どっからどうみてもおかしい存在。監視されないわけがない
「おかしいとは失礼な!」
「いや、そんな髪色の人間なんていないからね。僕もそうだけどさ」
ルリオンの髪色は青みがかった銀色。ひらたくいえば水色だ。
「更にはマスターも頻繁に出入りしていたんだ。目をつけられない方がおかしいでしょ。それに加え容姿はそれだ。皇帝陛下にこれ幸いと虫除けに使われるのは自明だよ。更には、マスターとの関係を僅かながらにでも良好に持っていければっていう打算もあるだろうしね」
先代皇帝がソーマの首に賞金を懸けたことが原因で、現状、ソーマの帝国に対する印象はロクなものではない。当然、ソーマ配下の者たちも同様だ。
「くっ。私としてはこれ幸いと、首輪になったつもりでしたのに」
「持ちつ持たれつ……っていうのとはちょっと違うけれど、似たようなことになっちゃったね。まぁ、マスターは良いように脅して利用しているんだし、ルリが相手をしてあげてれば、変なこじれ方はしないよ」
無情なルオの言葉に、ルリオンはついに蹲ってしまった。
「なんとか正しい状況にする方法は?」
「ないね。リュリュ様の修行が終わるまでだから、長くても10年くらいだよ」
ルリオンは恨めし気にルオを見上げた。
「途中で替わってもらえるように、ラレスタあたりに話してみるよ。あ、そうそう。エリスタは元の配置に戻ったよ。だからミディン様には専属の付き人はいないね。せいぜいガオが連絡役をしているくらいだよ」
「マジ!?」
ルリオンは立ち上がるや、ルオの襟首を引っ掴んだ。
「ルリ、口調口調」
「おっと、私としたことが。とはいえそれは朗報。ミディン様の側仕えに選ばれるよう、本日からのミディン様のお世話を完璧に熟してみせましょう!」
無闇に燃える妹に、ルオは肩をすくめつつその場を後にした。
★ ☆ ★
そして夕刻。
「お帰りなさいませ、ミディン様、キャロルさん」
全ての準備を完璧に終えたルリオンは、出来うる限り浮れた気持を抑え込み、務めて平静を装い、ふたりを出迎えたのである。