学院騒動 5
私は思わず目を塞いだ。
最後に私に見えたもの。それは驚く表情の皇帝陛下に、陛下を護ろうとしているローマン様とラナ様、そして、いつの間にかそこに立って左手を挙げているお師匠さまの姿。
でも、待っても鉄騎巨兵の転倒する轟音も振動もやってこない。
私はおそるおそる手を退け、目を開いた。
目に入ったもの。
それは、ローマン様とラナ様に庇われ、身を伏せられた皇帝陛下のとなりで、のんびりとした雰囲気で左手を挙げているお師匠さまの姿。
女の細腕一本で、超重量の鉄騎巨兵を支える、お師匠さまの姿。
え? どういうこと。
お師匠さまのその左腕は銀色だった。まるで鏡のように周囲を映している。そして彼女の首から顎に頬まで、その銀色のモノは張り付いていた。
あまりのことに私はぽかんと口を開け、目を瞬いた。
そして、その当のお師匠さまはというと。
「おぉう、こいつは酷いな。負荷がかかるとここまで魔力をドカ喰いするのか。これはまだまだ改良しないと、使い物にならないな。
あ、陛下、ご無事ですか? 申し訳ありませんが、すぐにこの場から退避を。さすがにこの状態はあまり保ちません」
お師匠さまが呆然としている皇帝陛下たちに云った。
「あ、あの、ミディンさん、それは……」
「あぁ、これは古代魔導帝国の魔導鎧甲から着想を得た、流体魔法金属を用いた極薄型の鎧の試作品ですよ。現状では完全な失敗作とたった今判明しましたけど。
あの、早く逃げてもらえます? いま魔力が垂れ流し中なんですよ。魔力が尽きたら、このまま潰されちゃうんで」
お師匠さまの言葉を聞き、皇帝陛下たちは慌ててその場から退避した。
「ふむ、自分で造っといてなんだけど、鎧としては出鱈目な性能だわね。コイツの重さでもびくともしないし。とはいっても、筋力補助をつけないとダメか。身動き取れないし。でもこの薄型鎧甲のどこにそんな絡繰りをつけりゃいいんだか。問題は山積みねぇ」
ブツブツといいながら、右手をゆらゆらと動かす。
いつも思うんだけれど、あれはなにをやっているんだろう?
「えぇと、ここをこうやって、こうして……うん? あ、これじゃ強度が足りない。さすがに辛いな。もっと固めて……むぅ? これでどうだ!?」
ゆっくりと左手を下す。鉄騎巨兵は転倒しかけた姿勢のまま動かない。まるで、つっかえ棒してしてあるかのように、半ば宙に浮いたような姿勢のまま。
「よし、上手く行った。逃げよ」
左手を下すと、お師匠さまはそそくさと鉄騎巨兵の下から逃げ出した。そして向かうは、この事態を引き起こしたアマーリエの下。
アマーリエはぺたんと地べたにへたり込み、自らのしでかした事態に呆然としていた。
「まったく、手間をかけさせないでよ。ほら、手助けしてあげたんだから、はやく続きをやんなさい。仕事は終わってないわよ」
アマーリエはへたり込んだまま、お師匠さまを見上げた。途端、その表情がくしゃりと歪む。
「ご、ごめんなさい……」
「ん?」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいぃ」
アマーリエがボロボロと泣き出した。
腰に手を当て、お師匠さまが大きくため息をひとつ。
「えぇ、嘘でしょう? この程度で折れるの? 早くない? 人をひとりふたり殺しても『なんでそんなとこにいるんだよ!』って云えるくらいの気概はないの?」
こんなんなら、ハナから喧嘩売ってくんなよ、クソが。
お師匠さまが聞こえないような小声で吐き捨てた。
……お師匠さま、たまに凄くガラが悪くなるんだよ。多分、アレが素――というか、育ちって云ったほうがいいのかな?
魔法で音を拾ってたけど、聞かなかったことにしたほうがいいかな?
っていうか、あんなガラの悪い物言いなんて、私、聞くの初めてなんだけど。本当、あの子、どんだけお師匠さまを怒らせたのよ。
「アマーリエ嬢、あなたは自分が――」
「あー、ラナさん、あれ、どうします? この子は続行不能みたいですよ」
走って来たラナの言葉を遮り、ミディンが半ば宙に浮いた姿勢の鉄騎巨兵を指差した。
「それとラナさん、この子への罰はほどほどに。というより、なにか面倒な仕事をやらせる方がいいですよ。重罰はこの子を完全に潰します。気位の割に、予想以上に打たれ弱く脆いです。それなりに有能な術者は失いたくないでしょう?」
ボソボソとお師匠さまがラナ様に耳打ちする。
「しかしですね――」
「あとはお金でどうにかしたらどうです?」
にっこりとした笑みをお師匠さまが浮かべた。
「……ミディン殿、これは――」
「関係ないとは云わせませんよ。もとは私が侮辱されたことがはじまりですから。あの婆さんに続いて、この子というようにね。五年前ならいざ知らず、今は私、無駄に力をつけたんですよ? ついでにいうなら、私はあのソーマの弟子です」
分かりやすい脅し。
でも立場的に、ラナ様がそれを飲むわけにはいかない。でも……。
お、お師匠さま? その、なんとか穏便にできませんか? いや、ここで私がそう思っても、お師匠さまにはちっとも届かないんだけど。
「ラナ、云うこと聞いた方がいいわよ。彼女、私より上だから。多分、ひとりで勝てるわよ」
ひとりで勝てる。何に?
その答えにラナ様が震え上がった。
北の森の大賢者は、たったひとりで魔物の軍勢を防ぐだけの力を持っている。そのリノ先生が、お師匠さまの方が強いと断言したのだ。
「け、賢者様?」
「ミディン、移動の仕事を続けることに問題はないわよね」
「元々は私の仕事ですから。再度依頼があれば、お受けしますよ」
営業口調のお師匠さまに、リノ先生が苦笑する。
「ヴィルヘルム陛下、移動の仕事はミディンに戻すわよ。問題、ないわよね」
「あぁ、問題ないとも、賢者殿。本来、彼女に依頼した仕事だからな。やれやれ、この様では、詫びと礼が大変なことになりそうだな」
「ひとつの制度改革で、こうも至る所で人材に問題があると分かるとは。いやはや、ある意味良いことではあるのでしょうが、ままなりませんな。早急によい指導者を揃えませんと、せっかくの才有る若者がただの粗製乱造品にされかねません」
ローマン様が笑う。それに合わせ、皇帝陛下も、まったくだと苦笑される。
「しかし、あれだけ無礼を働いたにも拘わらず、ミディン殿があの娘の減刑を遠回しに願うとは。あの子爵令嬢は掘り出し物かもしれませんな」
声を潜め、ローマン様が云った。
……聞いてちゃ拙いかな?
「だが、さすがに私でも、あの増長した考えなしの性格は頂けんぞ」
「それもいい具合に折れましたでしょう。なにしろ陛下を殺しかけましたからな」
「はは、それだけ聞くと確実に極刑だがな。ローマン、背骨の大トンネルの横穴に魔物どもが巣くったという報告があったな。東との貿易に支障が出ると懸念されている。皇宮騎士団から討伐隊を組め。連中はまともな実戦をしていないからな。丁度いい訓練になるだろうよ。そこの魔術師枠にあの娘を参加させろ。出した成果によって罰を決めるとしよう」
「勅命、拝命いたします」
「陛下のほうは問題なさそうね。罰もほぼ決めたみたいよ。それでラナ、どうするの」
リノ先生も、声を潜めた皇帝陛下とローマン様のやり取りをしっかりと聞いていたようだ。
「わかりました。なんとか検討しましょう」
「あ、学院長の責任問題に関しては、一切関与しないわよ。好きにやってね」
突然楽し気な調子で云うリノに、ラナ様はげんなりとしたように項垂れた。
……あの様子だと、学院長、なにかやらかしてるみたいだ。
「よかったわね、小娘。どうやらあなたへの罰は穏便に済みそうよ。とにかくあなたは、自身の力を明確に把握しなさい。何ができて、なにができないのか。それすらもわからず過信してことに及ぶなら、味方を巻き込んで死ぬだけよ」
いまだへたり込んだまま泣いているアマーリエに、お師匠さまが冷ややかな視線を向けた。その視線とまともに目を合わせたアマーリエは、びくんと身を震わせ、恐怖に涙も止まってしまった。
まさに泣く子も黙るというやつである。
「ねぇ、キャロル。ミディン様って、どういう方なの?」
「どういう方って、どういうこと?」
質問の意味を図りかね、私はモナに問い返した。
「いや、なんだかソーマ先生並みにとんでもないじゃない。だから、どんな肩書持ちなのかなって」
「そういや、ちゃんと聞いたことないな。【傀儡創制師】と【永久付与魔術導師】に【魔具創師】……あとなんだっけ?」
「なんか、ものの見事に職人さんだね」
「攻撃系の超級呪文仕込まれたから、すくなくとも【攻撃系魔術導師】のハズ……
あ、お師匠さまが呼んでる。行ってくるね」
「あ、うん、いってらっしゃい」
モナが軽く手を振るのを尻目に、私は駆け出した。