学院騒動 2
鉄騎巨兵は裏庭の中央に膝をつくような形で置かれた。
表面についていた土砂の類は既に落ち(穴を埋める土に使われた)、千年前の威容を取り戻していた。
「千年前のカーン帝国の技術は随分と高かったようですね。あの状態であったにも関わらず、一切腐食とかしてませんよ」
「それらの技術が、戦争を後押ししたのだろうな。今の七王国からしてみれば、考えられないことだが。いや、リンスベルドとクルギナは別だな」
ラナ様と皇帝陛下が鉄騎巨兵を見上げながら、海の向こう、遥か西方の帝国のかつての技術に感心されていた。
七王国では、千年前の八ヶ国大戦以降、戦争は一度も行われていない。エレミア、リンスベルド、クルギナの三国では、多少の小競り合いは起きているが、これを国家間戦争というべきか、それとも単なる内戦というべきかで議論はされるところだろう。
戦争が起きていない理由は単純で、女神さまが原因だ。
くだらない騒ぎを起こして手を煩わせるなと、仰せになったからだ。
女神ファラステイリア。調停を司る戦神の一柱だ。その武力で相手を黙らせ、調停を行うという、完全武闘派の女神である。
そしてこの女神さま相手に、先代皇帝がやらかした。それは帝国臣民全員が知ることとなり、皇帝の座を退くこととなったのだ。本来は息子であるオスカー皇太子殿下が継ぐはずであったが、そのほぼ直後に戦死したために孫であるヴィルヘルム殿下が皇帝となったのである。
「さすがに陛下といえど、戦争は考えられませんか?」
「ミディンよ、私もそこまで愚かではないよ。第四次神々の戦から、我々はまだ完全に立ち直ってはおらんのだ。もっとも、もし立ち直っていたとしても、戦争など考えられん。それこそ、我らの基盤を築かれた神々に対する反逆と云うものだよ。先代とは私は違うのだ」
「あー、先代の皇帝、やらかしましたからね。普通の神経なら、私たちを救ってくださった女神さまに喧嘩なんて売りませんよ。だいたい、かつてこの大陸全土を支配していた旧王国が滅びた原因って、神々に喧嘩を売ったあげく『お前らなぞ、我らよりも格下の存在だ、大人しく我らに隷属せよ』なんて身の程知らずのことをやらかしたからですし」
「「「はぁ!?」」」
お師匠さま言葉に、皇帝陛下をはじめ、皆が頓狂な声を上げた。
生徒たちにもざわめきが広がる。
「あれ? 知りませんでしたか? 旧王国滅亡の経緯。塔が編纂したと思ったんだけどな。公表してないのかな」
「私が知っているのは、第三次神々の戦の余波で滅んだという話なのだが」
皇帝陛下がお師匠さまに答えられた。
「いえ、その第三次神々の戦の余波は、ほとんどなかったそうですよ。ほぼ天界で片付いたらしいですから」
お師匠さまが子細を話し始めた。
ことは、傲慢になった旧王国最高の魔導師が原因。神々の戦がほぼ終結した後、一柱の若い神が地上に降り立った。それをみつけた旧王国の高名な魔導師が、こともあろうに奇襲をかけ、殺したのである。
生まれてより二十年も経っていない年若い神を、配下の魔法師団を失いながらも、運よくその年老いた旧王国最強の魔導師は殺すことに成功したのだ。
そしてその魔導師は宣言したのだ。神など、我らの敵ではないと。信仰するに値しないと。我らに隷属させるべきだと。
そうして神を神の名で呼ばず、魔導士という格下の呼び方を定着させたのである。
それは、混沌の神々の逆鱗に触れた。
折しも、戦にて秩序の神々に勝利したことに酔いしれていた際に行われた、人間どもの暴虐。神々が許すはずもない。
かくして、混沌の神々は次々と地上に降臨し、人類に対し戦争を、いや、駆除を開始したのだ。
かの魔導師は神々の王に捕らえられ、神々の暴虐をその目で見続けることとなる。自らの支配した国、街が破壊され、国民、そして家族が殺され、皆が皆、彼を恨み憎みんがら死んでいく様を最後まで。
混沌の神々の暴虐は、その後、調停神である戦女神が現れるまで続いたのである。
「あの、お師匠さま、なんでお師匠さまがそんなことを知ってるんですか?」
「そりゃ、神様から直接聞いたからだよ。ソーマの造った封印の剣のことで、ウィルヴィアード様にソーマが呼ばれてね。あたしも従者代わりに連れていかれて、その時の雑談で聞いたのよ」
お師匠さまが事も無げに答えた。
いや、お師匠さま、ウィルヴィアード神って、ファラステイリア様と共に混沌神を地上から排除した神様じゃないですか!
「ソーマ、なんか昔、魔神と戦って封印したらしいよ。魔神の魂を剣に、心臓を特別な魔晶石に分けて封じ込めたんだって。ほら、前にその剣がミラクスから盗み出されて大事件になってたでしょ。ミラクスとファランを巻き込んだ魔神事件」
「え? えぇっ! あの魔神事件の剣って、先生が造ったんですか!?」
「らしいよ。あ、ソーマは咎められたんじゃなくて、今度、そういうことがあったら、こっちに持ってこいって云われただけだよ。人の手に余るから、神様が、ウィルヴィアード様が処理してくださるそうだよ」
いや、お師匠さま。普通の人は魔神と戦おうとか思いません。というか先生、なにやってんですか。どんだけ強いんですか。普通に英雄じゃないですか。なんでそんな人が自称天才魔術教師を謳った愚図に馬鹿にされながら教師やってたんですか。
いや、そのおかげで、私はいまこうしているので、とてもとても先生には感謝しているんですけど。
これまで知らなかった事実が、半日もしないうちにこんなに沢山明らかになるなんて。
私は頭を抱えたくなった。
私は習慣のひとつとして、就寝前に、その日に学んだことを日記という形でまとめている。そこにはその日の修行の要点はもとより、雑談の中で得た雑学、果ては、買い物先のおばちゃんから教えてもらった料理のレシピまで記している。
その結果、私の日記は日記らしからぬ混沌とした内容になっている。
そして本日分の内容は相当量になることが、容易に予想できた。
なにしろ、まだお昼にもなっていないのだから。
「って、雑談してる場合じゃないわね。それじゃ、術式の書き換えを行い、起動キーの作成が終了次第、鉄騎巨兵の移動を行います」
背嚢から魔晶石と羊皮紙の束取り出し、ラナ様から錫杖を受け取る。やることはさっきと一緒だ。
お師匠さまが流れるように作業を進めていく。
ただ、今回は先ほどと違い、全ての工程が可視化されていない。ゆえに第三者からしてみれば、なにをしているのかさっぱりだろう。
これらは重要軍事機密であるのだから、当然の措置だ。
鉄騎巨兵の処理が終わると、次は起動キーだ。こちらも先と同様に行われるが、今度は明らかに一目でわかる異常な光景が展開されるため、生徒たちだけでなく、教師陣からも驚きの喚声があがる。二輌目の鉄騎巨兵の起動キーには、紫水晶の魔晶石が埋め込まれた。
「ふぅ、終了っと。あとはこの羊皮紙をまとめてっと」
ミディンが今回の作業内容を記した羊皮紙、仕様書を一気に製本する。
バラバラと音を立てて、中空に浮かび上がった羊皮紙が束となり、表紙と裏表紙がつけられ、その端を紐が穴を穿ち縛っていく。
最後に表し部分に【鉄騎巨兵仕様書 弐】とタイトルが、じゅっ! っと焼き付けられた。
「これで鉄騎巨兵の制御関連は完了です。これが二輌目の仕様書となります。あとこの錫杖が、この鉄騎巨兵の起動キーです」
お師匠さまががラナ様に仕様書と錫杖を渡す。
「さてと、あとは移動なんだけど……キャロル、こっから表へ迂回とかできる?」
裏庭は周囲を林に囲まれ、学舎側は整備された高台のようになっている。表に出るには階段を使うしかないが、鉄騎巨兵のサイズでは階段の幅がまるで足りない。
「……無理です」
私は思わず苦笑を浮かべた。
「はぁ、仕方ないか。また吊り上げるよ」
ため息をつきつつ、ひょいと右手を挙げる。するとそれに合わせ、鉄騎巨兵もふわりと浮き上がった。
「ここからだと歩いて移動するのに問題があるので、このまま表まで移動します。
はいはい、生徒さんたち、ちょっと道を開けてねー」
いつもの呑気な調子で、お師匠さまは生徒たちの間を縫って、階段を登って行った。
ズシン!
学舎正面の広場に鉄騎巨兵を置くと、軽く地面が揺れた。
そこからも、この鉄騎巨兵がどれだけの重量であるか窺い知れる。……いや、少なくとも、とてつもなく重いということはわかるが、それがどれだけの重量であるかは、想像もつかない。
先に林から移動したときは、このようなことはなかった。さすがにお師匠さまも疲れてきたのか、細やかな作業に支障がでているみたいだ。
……いや、単純に面倒臭くなってきただけかもしれない。
「ミディンさん、そのまま運ぶことはしないの?」
ラナ様が訊いた。
「さすがにそれは無茶ですよ」
あはは、と笑いながら答えるお師匠さまに、あぁ、さすがに魔力が足りないのね、少し安心したわ。と、ラナ様が納得していた。
「さすがにずっと手を上げっぱなしで歩くのは無理です。腕が疲れます」
そっちなんですか、お師匠さま。ああっ、ラナ様がなんとも表現しがたい表情に。
「それにそんなことをしたら、鉄騎巨兵の歩いているところを見れませんよ」
あぁ、そういえば確か陛下がご覧になりたいと仰せでしたね。
「それじゃ、ここから歩いて移動ね。さぁ、立って。あなたの新しい居場所へいくわよ」
お師匠さまの声に応じ、鉄騎巨兵は立ち上がると、正門にへと向きを変える。
「ん?」
手を上げ、お師匠さまが鉄騎巨兵を停止させた。
あれ? お師匠さま? どうしました?
「ふむ」
目をそばめ、お師匠さまはおもむろに見学している女生徒たちを見回した。そしてある一点で目を止めると、そこに向かってテクテクと歩きだした。
「あ、ちょっとごめんね、通してくれる? ありがとー」
生徒の間を掻き分け、お師匠さまがひとりの女生徒の前に立った。
お師匠さまの笑みが、普段の暢気なモノから取り澄ましたモノに代わる。
女生徒、ふわりとした肩ほどの長さの金髪に翠色の目をした少女。その勝気な顔立ちの少女はお師匠さまをまるで睨みつけるように見据えていた。
だがそんな射るような視線などものともせず、お師匠さまはニコリとほほ笑むと――
パンッ!
思い切りその少女の横っ面を引っ叩いた。
ちょっ、お師匠さまーっ!?