帝都でのお仕事 7
さぁ、鉄騎巨兵の移動だ!
緊張を吹き飛ばすように気合を入れていると、お師匠さまがポンと手を叩いた。
「おっと、起動用のパスを云ってなかったわね」
お師匠さまはそういうと、屈んで私の耳元に――
途端、どこからか ギャー! という悲鳴が複数響いた。
え? 今の悲鳴なに?
慌てて辺りを見回す。
「おー。文化だねぇ。まさか聴覚阻害まで抜いて、盗み聞きしようとする連中がいるとは。今回は容赦してないから、治してもらわないと聴力を失うかもしれないね。耳が聴こえなくなっても、密偵として使えるのかしら?」
のほほんとお師匠さまが云った。
あ、ラナ様とローマン様が、慌てて近衛の隊員さんに指示を出してる。
「えっと、もしかして防犯術式ですか?」
「そだよ。耳をつんざく程の【曇りガラスを爪で引っ掻いたような音】をプレゼント」
うわわわわ。ぞわっとした。ぞわっとした。あああ、鳥肌が。鳥肌がぁ。
その音を想像してしまい、私は身震いしながら鳥肌の立った両の腕をごしごしと擦った。
「あ、相変わらず恐ろしいことをしますね、お師匠さま」
「そろそろ実害も出した方がいいと思って。さすがに起動パスを盗もうという輩を大目に見てやるわけにはいかないよ。無差別破壊なんてしないようにはなったけれど、いえ、だからこそね。これはあくまでも兵器。人なんて簡単に殺せる代物だもの」
いつもの“にへら”っとした緩い笑みではなく、ひさしぶりに凛とした表情のお師匠さま。
私は先とは違う意味で、ブルリと震えた。
時と場に合わせた保安は必要だ。そしてこれは、凶悪な兵器、危険物なのだ。自分をはじめとした帝都民は、もはや単なる置物としてしか見ておらず、その危険性に対しては全くの無頓着になっていた。
改めて目の前に佇む鉄騎巨兵を見上げる。
黒光りする鋼の鎧を着た騎士姿の巨人。その体形はずんぐりとしており、人間というよりは、ドワーフの体形に近い。巨大な鋼の人形。千年前、数百輌が西方全土に落とされ、各国の都市を容赦なく破壊していった兵器だ。
当然のことながら、多くの人々が殺された。
事実、帝国の前身となった三王国の王侯貴族は皆、殺されたのだ。そのために、三つの国は併合し、ひとつの帝国となったのだ。当時、人々をまとめ上げた守護者様の下に。
『悪趣味』
昨日、お師匠さまが云っていた言葉を不意に思い出し、私は思わず鉄騎巨兵から一歩足を退いた。
ただの置物に思えていたソレが、今では恐ろしくて仕方がなかった。
「それじゃキャロル。はじめて頂戴。大丈夫。コレはもうただの人形、傀儡よ。コレの良し悪しを決めるのは、コレを操る操士。あなたは傀儡をどう使うの? キャロル」
お師匠さまが問う。
傀儡をどう使うか? 実際のところ、私はそのことに関しては、特になにも考えてはいなかった。
身を守る術のひとつ。
お師匠さまに云われたように、ただそれだけと思っていた。とはいえ、扱っていれば愛着も沸く。練習用の傀儡は、すでに私にとって宝物だ。
「人を傷つけるようなことには、使いたくないです」
暫し考え私は答えた。その私の答えに、お師匠さまは微かに表情を曇らせた。
「うーん。まぁ、日も浅いし。そんなところか。とはいえ、キャロルらしい答えね。うん、いいと思うよ。それじゃ、この子を台座にまで移動して。あなたが扱うなら、この子は絶対に人を傷つけない。そうでしょう?」
いつもののんびりとした笑顔で、お師匠さまが私の頭を撫でた。
多分、私の答えは間違いではなかったと思う。でも、何かがまだ足りないのだろう。
自分の未熟さに気分が沈む。
「それじゃ、起動パスを云うわよ。ちゃんと聞きなさい」
そういって、お師匠さまが起動パスワードを私の耳元に囁い――
え?
「……お師匠さま」
「なぁに?」
「本当にこれが起動用のパスなんですか?」
「そーよ」
「これ、あとでラナ様に渡すんですよね?」
「えぇ、もちろん」
えぇ……。
お師匠さまの答えに、私は頭を抱えたくなった。
さっきまでの私の真面目な気分が一遍に吹き飛んだよ!
お師匠さま、なんでこう、へんなところでふざけると云うかなんというか……。
こう、この手の代物には、らしいモノというのがあるじゃないですか。なんでこんな……。確かに、これなら当てずっぽうでも当たることはありませんけど。
ありませんけどっ!!
「ほら、はやくなさいな。ぐずぐずしてると人通りが増えるわよ」
「は、はい、頑張ります」
傀儡の起動は簡単だ。言葉に意思、魔力を載せて命じればいいだけだ。ただ、『起動』と。いや、単に『起きろ』でも構わない。実際、言葉そのものは重要ではなく、言葉に乗せられた意思が重要なのだ。
でも、それでは兵器の保安には問題しかない。その為に起動キーとなる物品が、傀儡の対として造られる。
まず起動キー。こちらは所有者(複数人可)の精神波長と魔力波長、身体情報が記憶され、それらが対となった者のみ、使用できるようになっている。そして起動キーを媒介して傀儡に意思を伝えるわけだが、その際に一定の【雑音】が、精神、魔力、双方の波長に混ぜ込むように造られている。
そして傀儡。こちらは、その【雑音】の混じった波長の命令にのみ従うように設定される。これにより、例え所有者の精神波長、魔力波長を解析されたとしても、傀儡をキー無しで操ることは不可能となる。また、起動キーを盗んだところで、精神、魔力、身体の認証が揃わなければ使用不能だ。
例外はそれらを無視して傀儡を操ることのできる【傀儡操士】。その対策として、起動の際にパスワードを通さないと、起動しないようにしてある。
唯一の弱点は、【傀儡創制師】に対しては、対策方法がないということだ。なにしろ、それらの認証を無視するのはもちろんのこと、完全支配され、起動中の傀儡でさえも、無理矢理乗っ取ることすらできるのだから。
もっとも【傀儡創制師】など、書面上に存在している代物だと、つい最近まで思われていた肩書ではあるが。
現在確認されている【傀儡創制師】は、先生とお師匠さまだけである。
私は右手を鉄騎巨兵に翳し、意思を乗せた魔力を放射する。
その際に、パスとなる言葉を真っ先に入れることを忘れない。
言葉は出さない。当たり前だ、起動パスを高らかに詠唱などしては保安にならない。
意思さえしっかりしていれば、言葉は不要なのだ。
これは魔法の行使にも云えること。でなければ、無詠唱呪文など絵空事になってしまう。
私は起動パスを乗せ、鉄騎巨兵に魔力を送る。
【昔々ある所に、お爺さんが住んでいました。息子夫婦、孫三人とそれはそれは仲良く暮らしていました。
お爺さんはいいました。
「爺などどこにでもおるじゃろ。物語なんぞ、はじまりゃせんぞ」
かくして、お爺さんは今日も庭先に出した椅子に腰かけ、猫を膝に孫たちを眺めながら、幸せに暮らしています。
めでたしめでたし。
……おじーさんが居ます】
……なんなのこの起動パス。いや、確かにこんなの見つけ出せる人はいないだろうけど。もしこれ解析できた人がいたら、きっとその人は頭がおかしいよ。
というか、『めでたしめでたし』の後の一文はなんなの?
引っ掛け? 引っ掛けなの? 終わったと思わせる。
お師匠さま、ユニークにもほどがありますって。
それにしても、よく私、これを一度で全部覚えられたな。
自分でもびっくりだよ。
私の魔力が鉄騎巨兵に浸透していく。うん、大丈夫。起動用のパスは無事、鉄騎巨兵に認証された。
ヴゥゥゥゥン。……ヴンヴ。ヴンヴ。ヴンヴ。ヴンヴ。ヴンヴ。ヴンヴ。
鉄騎巨兵が起動し、周囲の浮遊魔力を吸収し、魔力と空気が高密度で混じり爆ぜる鈍い音が規則的に響き始める。ほんの一瞬、黒い鎧の表面がキラリと輝いた。
「さぁ、立って」
翳していた手を振り上げ命じる。
すると、鉄騎巨兵はゆっくりと、千年間も屈めていたその身を起こし始めた。




