エピローグ
僕が扉をノックすると、中から「どうぞ」という声がした。
扉を開けると、ソフィアさんは笑顔でこちらを見ていた。
「そろそろ、いらっしゃると思っていました」
「……また、いつもの勘ですか?」
「レイリスから、ある程度の話は聞いていますから」
「……」
「どうぞ、こちらへ」
僕は、ソフィアさんがいるベッドに近寄った。
絶対に錯覚だと思うのだが……この人は、以前よりもさらに綺麗になった気がする。
「レイリス達のことで、悩んでいますね?」
「……はい」
「だからリーザに忠告したんです。あの時に、強引に迫っていれば、レイリスにもラナにも、隙を与えずに済んだはずですから。勝算が高い場面で躊躇してしまうのは、あの子らしいのですが」
「……」
「ロディアやソリアーチェと一緒にいると、心が休まるでしょう?」
「……!」
「やはりそうでしたか。女の子は面倒臭いですよね?」
「そこまで分かりますか……」
「ルークさんには、私の父と同じような振る舞いはできないでしょうから」
「……ソフィアさんのお父さん、ですか?」
「私の父は貴族でした」
「そういえば……以前、ミランダさんが、そんなことを言っていましたね……」
「その父が、酒場の女と不倫をして、産ませた子供が私です」
「……!?」
「父は、母と私のために、様々な援助をしてくれました。時々、私達の所にやって来る父は、とても優しい人でしたよ。父には、貴族である妻と複数の愛人がいて、私には何人か兄弟姉妹がいる、ということを知ったのは、ヨネスティアラ様のパーティーに加わった後です」
「じゃあ、ソフィアさんは……お父さんのことを、恨んでいますよね……」
「いいえ、そんなことはありませんよ?」
「えっ!?」
「父は、私と母のことを、心から愛してくれていましたから。それに、男性というのは、そういうものなのでしょう?」
「その認識は、どうかと思いますが……」
「例えば、テッドさんにも、何人か深い関係の女性がいたそうですよ?」
「……」
あいつ……ソフィアさんに、あんなに惚れ込んでいる様子だったのに……。
他人事だというのに、少しだけ腹が立った。
「まあ、それはともかく。私は父から多くの物を与えられました。その中でも、最も価値が高かったのがアヴェーラです」
「じゃあ、あの精霊は、ソフィアさんの父親から……?」
「はい。私がAランクの精霊に適合したことを知った両親や周囲の人は、私が世の中のために活動して、より良い世界に変えていくことを期待しました。ですが私は、それほどの力を手に入れたのであれば、気に入らない人間は全て抹殺したいと思いましたね」
「そんな……! 精霊を受け入れる際の倫理について、誰もソフィアさんに伝えなかったんですか!?」
「もちろん、そういった話は聞きましたよ。ですが、魔獣や魔生物は、滅多に姿を現しません。それよりも、いない方が良い人間がたくさんいるのですから、そちらを排除する方が有益に決まっています」
「……」
「しかし、この世界には、大精霊という存在と、それを宿した人間が存在します。彼らが、人類の敵を排除しようとするならば、私にとっては敵になるでしょう。大精霊の保有者に対抗するためには、私も大精霊を宿さねばなりません。私は、大精霊を宿した精霊石を保有している方のパーティーに入り、共に旅をすることにしました。その人が持っていた大精霊は、私には適合しませんでしたから」
「ひょっとして……それが、聖女様のソルディリアですか?」
「はい。大精霊に適合したヨネスティアラ様に、最初は嫉妬しました。ですが……ヨネスティアラ様を見ているうちに、大精霊の保有者は、私の敵ではないことに気付いたんです」
「……」
「ヨネスティアラ様と旅をしている時も、ルークさんと旅をしている時も、とても楽しかったです。心から感謝しています」
「僕は、特に何も……」
「いいえ。レイリス達の今後を任せられる方がいて、私は嬉しいです」
「僕に、彼女達を全員守ることなんて……」
「可能ですよ。ルークさんにはソリアーチェがいるのですから」
「……でも、次に魔生物と戦えば、僕は命を落とすかもしれません」
「エントワリエの時のようなレアケースは、そう起こりません。次に強敵が現れるまでには、バーレにも、強力な精霊を宿した冒険者が育っているでしょう」
「そうだったとしても、僕は、これからレイリス達と、どう接していけばいいのか……」
「そんなこと、心配する必要はありませんよ」
「……どうしてですか?」
「理由は説明しない方が良いでしょう。迂闊なことを言って、ルークさんが意地になったら、最悪の結果を招く可能性がありますから」
「……?」
「これから当分の間は、何も悩まないことをお勧めします。ロディアが大きくなる頃までには、全て、自然に解決しているはずです」
「……本当に、それでいいんですか?」
「はい。私を信じてください」
ソフィアさんは、やけに自信がありそうだった。
しかし、その根拠が全く分からないので、僕は不安なままだった。
「ルークさん、ソリアーチェに会わせてください」
「えっ……」
「大丈夫です。もう、抱き付いたりはしませんから」
「でも、ソリアーチェは、ソフィアさんのことを怖がっていますから……」
「心残りがないようにしたいんです。おそらく、これが最後の機会になると思いますので」
「……!」
僕は迷った。
今、ソリアーチェを呼び出さなければ、一生後悔するだろう。
だが、ソリアーチェは、明らかにソフィアさんのことを避けているのだ。
最悪の場合、ここで呼び出したことによって、僕がソリアーチェに嫌われてしまうかもしれない。
「……ソリアーチェ」
散々考えた末、僕は精霊を呼び出した。
ソリアーチェは、呼び出された途端に、ソフィアさんから逃げるようにして、部屋の隅へ行ってしまう。
その表情からは、はっきりと恐怖が読み取れた。
やはり、失敗だったのだろうか……?
「ソリアーチェ、こちらへ来てください」
ソフィアさんは、レイリスと話している時のような、穏やかな表情で呼びかけた。
その顔は、母親のような、慈愛に満ちていた。
「大丈夫だよ、ソリアーチェ。ソフィアさんは何もしないから」
僕は手招きした。
ソリアーチェは、恐る恐る、といった様子でこちらに近付いてくる。
僕は、彼女を安心させるために手を握った。
「やはり……綺麗ですね、ソリアーチェは」
そう言うソフィアさんの目は輝いていた。
ソリアーチェは、しばらく躊躇していたが、僕から手を離すとソフィアさんに差し出した。
「まあ、嬉しい」
ソフィアさんは、ソリアーチェの手を取った。
ソリアーチェは、困惑した表情でソフィアさんを見つめている。
「ありがとうございます、ルークさん。ソリアーチェも。これで、思い残すことはありません」
「ソフィアさん、あまり縁起でもないことは……」
「いいんです。もう、私は長くありません」
「……」
「これを、ルークさんに」
そう言って、ソフィアさんはソリアーチェから手を離し、僕に一通の手紙を差し出した。
「これは……?」
「そこには、私の全ての罪が書かれています」
「……!」
「私が死んだら、ルークさんがフェデル隊長に送ってください」
「そんな……! どうして……!?」
「あの方にも、迷惑をかけてしまいましたから。それに、いつまでも疑われたままだと、レイリスが可哀想ではありませんか」
「……」
「よろしくお願いします」
「……分かりました」
「思えば、ルークさんには、最初から最後まで、ご迷惑をかけ続けてしまいましたね」
「いえ……」
「レイリス達のことをお願いします。結果として、誰を選んだとしても……あの子達が全員お嫁に行くまでは、面倒を見てあげてください」
「分かりました」
僕は、笑顔のソフィアさんに見送られながら、部屋を立ち去った。




