72話 結論
「……申し訳ありません! あの話は……無かったことにしてください!」
僕がそう言うと、聖女様の仲間は、揃って唖然とした顔をした。
「貴方は……自分が何を言っているのか、分かっているのですか!?」
シルヴィアさんが、憤慨した様子で言ってくる。
「とんでもないことを言っているのは分かっています! でも……僕には、今すぐにパーティーのメンバーや、この宿を見捨てることは出来ません!」
「大精霊の所有者が、そんな私的なことを、いつまでも続けていられるはずがないでしょう!? 経験が皆無に近かった貴方のために、ヨネスティアラ様が猶予を与えただけなのですよ!?」
「でも、この街だって、まだ充分に冒険者が成長したとはいえません! 僕には、バーレが立ち直るのを見届ける責任があります!」
「信じられない……」
シルヴィアさんは、頭を抱えてしまった。
他のメンバーも、憤ったり、呆れ返った様子である。
その中に、支援者の少女がいることに、少し安心した。
彼女は、まだ深刻な病に侵されてはいないようだ。
「いいでしょう。この宿と街のことは、貴方に任せます」
聖女様がそう言うと、誰もが驚いた顔をした。
「ヨネスティアラ様! 貴方が譲った大精霊を、そのようなことに使わせてもよろしいのですか!?」
「はい。ルークが何と言うかは、最初から分かっていたことですから」
「ですが……! この男に関する、悪い噂が広まりはじめています! 早く違う街に移さなければ、他の大精霊保有者にも、悪い影響が出るかもしれません!」
「バーレを再興することには、社会的な意義があります。新たな取り組みを始める時には、少なからず反発が出るものですよ」
聖女様の答えを聞いて、シルヴィアさんは、空いた口が塞がらない様子だった。
大精霊は、意志が弱く、状況に流されやすい者にしか宿らない。
そのことを、誰よりも理解している聖女様だからこそ、僕の言葉が予想できたのだろう。
「私達は、より遠くの地で、魔獣や魔生物の脅威を排除するために活動するつもりです。ルーク、貴方はこの街を拠点として、より広い範囲を回り、人々の安全を守ってください」
「はい! ありがとうございます!」
「聖女。貴方は、今までと同じ活動を続けるつもりか?」
クローディアさんが、聖女様を見据えながら言った。
その態度は攻撃的であり、聖女様の仲間が、不測の事態に備えて身構えたほどだった。
「はい。それが、精霊に選ばれた私達の宿命ですから」
「宿命……か。貴方は、そんなもののために、ソフィアと同じ失敗を繰り返すつもりか?」
「信じていただけないかもしれませんが、対策は充分に講じているつもりです」
「都合よく利用しようとしているだけの連中の期待に応えて、身を犠牲にし、命を懸けるなど……私には理解できない生き方だな」
「ちょっと、失礼よ、クローディア」
クレセアさんは、慌てた様子でクローディアさんをたしなめた。
「お久し振りです、クレセアさん。この宿を、経営し続けてくださったことに感謝します」
「……私は、何もできませんでした。皆さんの助けがあって、ようやく軌道に乗りはじめたところですから……」
「いいえ、クレセアさんの人柄が良いから、皆さんが支えてくださったのでしょう」
聖女様はそう言ったが、クレセアさんに宿の経営など不可能であることは、聖女様だって分かっていたはずだ。
実質的には、既に大きな損失が発生しているのだが……まだ潰れずに済んでいることに、一番安心しているのは聖女様だろう。
クローディアさん達の努力の甲斐もあって、宿の経営は少しずつ改善していた。
まだ安心できる状況ではないものの、今後に期待が持てる程度にはなっている。
この宿に泊まりたがる冒険者には男性が多く、その大部分が女性を目当てにしているように感じられることは、気がかりではあるのだが……。
聖女様は、リーザ達の方に歩み寄った。
「貴方達が、ルークの仲間ですね? 大精霊の保有者の仲間になって、大変な苦労もあったことでしょう。しかしながら、貴方達も精霊に選ばれたのですから、自分にできる最善のことをして、人々の役に立つような生き方をしてください」
聖女様の言葉に、リーザは感激した様子だった。
ラナは、緊張した面持ちで、聖女様の言葉に頷いている。
レイリスだけは、聖女様から隠れるように、ラナの後ろに下がってしまった。
「あ、あの……聖女様!」
リーザが、上擦った声を出した。
「何でしょうか?」
「……あ、握手してください!」
「構いませんよ」
聖女様が微笑みながらリーザの手を握ると、リーザは今までに見たことのないような、幸せそうな顔をした。
無論、聖女様の振る舞いが演技である、という話は、皆が覚えているはずである。
しかし、改めて聖女様に会うと、そのことが信じられなくなるほど神々しく見えた。
「クレセアさん、ソフィアさんの部屋に案内していただけますか?」
「は、はい! こちらです」
クレセアさんが聖女様を連れて行くと、シルヴィアさんは深々とため息を吐いた。
「ヨネスティアラ様は、あの人に会うために、この宿に来たかったのですね。多忙だというのに……」
「ソフィアさんは重い病を患っています。これが……最後になるかもしれません」
「……まあ、良いでしょう。私にも、貴方に言っておきたいことがありますから」
「僕に……?」
「ヨネスティアラ様に関して、おかしな情報を広めた者がいます。貴方達ですね?」
「い、いえ、それは……ソフィアさんが口を滑らせて……」
「何て恩知らずな……」
「ソフィアさんのことを悪く言わないで」
レイリスが、ムッとした顔で言った。
シルヴィアさんは、意外そうにレイリスのことを見る。
「あの人のことを、随分と慕っているのですね。しかし、ヨネスティアラ様は、聖女として生きることを望みました。それを知っていながら妨害するのは、あまりにも酷いのではありませんか?」
「何が聖女だ。そんな幻想を押し付けた連中のことなど、無視すればいい」
クローディアさんが鼻で笑った。
それを聞いて、シルヴィアさん達は不快そうな顔をする。
「貴方は……先ほどから、随分と酷い態度ですね。何か、ヨネスティアラ様に恨みでもあるのですか?」
「世の中の連中が、あまりにも愚かしいから笑っているだけだ。精霊の話を聞かないから、おかしな勘違いをするのだろう?」
「……貴方は何を言っているのですか? 精霊は言葉を話さないでしょう?」
「だから愚かだと言っているんだ。表情や仕草を見れば、精霊が話している言葉など、大体は分かる」
「それは、クローディアさんが招待者だからでしょう?」
僕がそう言うと、クローディアさんは首を振った。
「違うな。精霊の言葉は、聞く気があれば誰にでも分かる」
クローディアさんがそう言うと、僕の服の中から精霊が飛び出した。ペルだ。
ペルは、クローディアさんの人差し指に飛び付くと、楽しそうにくるくると回りだした。
「見ろ。ペルは、母親である私に構ってもらえて、とても嬉しいと言っているだろう?」
「それは、誰にだって分かりますよ……。でも、ソリアーチェは、ペルみたいに表情を変えたり、はしゃいだりしないでしょう?」
「だからお前は駄目なんだ。ソリアーチェが何と言っているか、理解する努力をしろ」
「……」
ソリアーチェの言葉を……理解する?
そんなことが、本当に可能なのだろうか?
「あのおばさん、精霊にしか友達がいないから、あんなことを言ってるんだと思うな」
抹消者の少年が、支援者の少女に言った。
「ちょっと、聞こえる……」
支援者の少女は、少し困った顔をした。
そして……クローディアさんの顔からは、表情が消えた。
「……おい、そこの小僧。せっかくの機会だ。お前の精霊を呼び出してみろ。お前がこれまで女風呂を何回覗いてきたか、聞き出してやろう」
「ちょっ、ちょっと待って! それは本当にシャレにならないから!」
「……サイテー」
「精霊の力を悪用するなんて……神に対する反逆だわ……」
「少し外で話をしましょう」
「あ、あのおばさんのでっち上げだよぉ!」
抹消者の少年は、シルヴィアさんと支援者の少女によって、宿の外へ連れて行かれた。
それを見送った他の仲間は、呆れた様子でため息を吐いている。
……やはり、抹消者がパーティーを組む際には、色々と問題が発生するようだ。
「ねえ、ルーク。貴方って、本当に抹消者の魔法が使えないのよね?」
突然、リーザが真顔で質問してくる。
「つ、使えないよ!」
「そう、良かった」
「使えても、僕は覗きなんてしないよ!」
「……本当かしら?」
「もう少し信用してくれてもいいんじゃないかな……」
「まあ、クローディアさんがいれば、ソリアーチェから話を聞けるんだろ? だったら、あたし達は安心だよな!」
ラナがそう言うと、クローディアさんは意外そうな顔をした。
「……お前は、あんな冗談を本気で信じたのか?」
「えっ……!?」
「私でも、精霊からそこまで具体的な話を聞き出すことはできない。当然だろう?」
「……」
ラナとリーザは、僕から逃げるような動きをした。
この反応は、さすがに酷いのではないだろうか?
「2人とも、いい加減にして」
僕達のやり取りを見て、レイリスが不愉快そうに言った。
「レイリスは……僕のことを、信用してくれるんだね?」
「ルークに、抹消者の魔法なんて使えるはずがない。全然そういう雰囲気がないから」
「それが理由なんだね……」
「でも、あのガキだって、抹消者っていう雰囲気じゃないだろ?」
ラナがそう言うと、レイリスは首を振った。
「あれは、そう装ってるだけ」
「本当か……?」
ラナは疑わしそうにしていたが、レイリスには確信があるようだった。
その後、シルヴィアさん達は、若干殺気立った雰囲気で戻ってきた。
抹消者の少年は、今までの陽気さからはかけ離れた、虚ろな顔で俯いている。
シルヴィアさんと支援者の少女から、散々責められたのだろう。少年は、今にも消えてしまいそうに見えた。
どうやら、レイリスの言葉は正しかったようだ。
やがて、聖女様がクレセアさんと共に戻ってきた。
ソフィアさんと会って、聖女様は泣いたようだった。
シルヴィアさん達が心配そうな顔をすると、聖女様は、皆を安心させるように微笑んだ。
「さあ、皆さん。私達のことを待っている方々の所へ参りましょう」
続けて、聖女様は僕達の方に歩み寄ってきて言った。
「私達は、人々を救う旅を再開します。ルーク、そして皆さんの活躍に期待しています」
「はい!」
「貴方達が精霊に選ばれたことは運命なのだと、私は信じています。これからも、多くの人が、皆さんの力を必要とするでしょう。他の人には無い力を得た貴方達だからこそできることを、これからも見付けていってください」
聖女様が立ち去った後で、リーザが、こちらを窺うように僕を見ながら尋ねてきた。
「……ねえ、ルーク。貴方……本当に、この宿に残っても良かったの?」
「これで良かったんだよ。僕は……まだ、この宿にいたいからね」
「シルヴィアさんも指摘していたけど……大精霊を宿した者としては、志が低い気もするわ」
「リーザは……僕にいなくなってほしかったの?」
「そういうわけじゃないけど……」
「良かったじゃないか。ルークがいてくれれば、この宿は安泰だ!」
ラナは嬉しそうだった。
「ラナ……貴方、忘れてないでしょうね? ルークは、明日から、また他の宿に行くのよ?」
「分かってるって。留守はあたし達に任せろ!」
「ラナが元気だと、不安……」
「レイリス、そりゃないだろ!」
ラナは、レイリスに冷たくされるのが嫌らしい。
色々と言い募ったが、レイリスは素っ気なかった。
しかし、少しだけ、レイリスが楽しそうな表情をしているように見える。
「あの2人、ブラッドイーグルを仕留めた時から、ずっとあんな感じなの」
そう言ったリーザも、ちょっとだけ楽しそうに見えた。
「リーザは? レイリスと、話が出来てる?」
「……以前よりは、ね。仲良し、とまでは言えないけど……職場の同僚として、ある程度は話せるようになったわ」
「そっか……」
レイリスは、仕方がない、といった様子で、ラナに構ってあげている。
彼女達は、少しずつ良い関係になってきたようだ。それが嬉しかった。