70話 迷い
近付くと、それが赤い鳥であることが分かった。
僕がそれを認識できるようになるよりも、遥かに遠くの地点でそれを発見したレイリスは、さすがだと言うべきだろう。
「よし! あとは、あいつを仕留めればいいんだな!」
ブラッドイーグルを発見して、ラナは急に元気になった。
驚いたことに、彼女は、もう依頼達成の目前だと解釈しているようだ。
「ラナ……ここからが本番だっていうことを、忘れないでしょうね?」
「大丈夫だって! ルークがいれば、あんな奴、楽勝だろ? それに、あたしのことは、レイリスが守ってくれるしな!」
「……」
レイリスは、ラナに抱き付かれて、少し迷惑そうな表情を浮かべた。
しかし、ようやく普段の調子が戻ってきたラナに水を差すのはまずいと思ったのか、拒むことはなかった。
「まったく……レイリス、ラナのことをお願いね?」
リーザがそう言うと、レイリスは頷いて、魔法で姿を消した。
ラナは、見えなくなったレイリスを伴って、ブラッドイーグルの方へ向かって歩いて行く。
僕とリーザは、2人で後を追った。ブラッドイーグルを確実に誘き出すために、なるべくラナから距離を取る。
そして、ハウザーは僕達からさらに離れて歩く。
獣がいると、ブラッドイーグルが警戒するかもしれないからだ。
「ルーク。ブラッドイーグルと戦う前に、聞いてほしい話があるの」
突然、リーザがそんなことを言う。
「……それ、今じゃないと駄目なの?」
「ごめんなさい。昨日の夜から、色々と考えていたの。なかなか考えがまとまらなかったけど、ようやく結論が出たから……」
「……何の話?」
「私、やっぱり冒険者を辞めようと思うの」
「そんな……」
「だって、ラナもレイリスも、精霊がCランクなのよ? レイリスは、もっと大きな精霊を宿す可能性もあるわ。魔導師も同ランク以上の人間じゃないと、バランスが悪いわよ」
「でも、リーザだって頑張れば……」
「無理よ。才能が無くても、努力で宿せる精霊はDランクまでだもの。貴方だって知ってるでしょ?」
「……」
クローディアさんの評価を受けた時から、何となく分かっていたことだ。
リーザには、もう殆ど伸び代がない。その評価は正しいのだろう。
そして、リーザはラナのように好戦的ではない。
僕のように、意志が薄弱なわけでもない。
つまり、精霊との相性によって、より大きな精霊を宿す可能性は低いということだ。
「レイリスが元のままなら、他の仲間を加える選択肢自体が存在しなかったから、私が必要だったわ。でも、あの子は変わった。ウエイトレスの仕事もしているし、仲間のことも気にするようになったもの。だとしたら、私が抜けても、新しい仲間を加えることは可能だと思うの」
「でも、ソフィアさんが病気になって、僕が抜けて……リーザまで抜けたら、レイリスとずっと一緒にいる仲間は、ラナしか残らないじゃないか。それは、いくら何でも可哀相だよ」
「確かに、一時的には大変な思いをするでしょうね。でも、だからといって、私がいつまでも残っていることが正しいとは思えないわ」
「だったら、せめて、新しい人が見つかるまで待ったらどうかな? 魔導師が2人いたらいけないっていう決まりがあるわけでもないんだし……」
「……正直に言うと、私は今でもレイリスのことが怖いのよ」
「それは……レイリスが抹消者だから?」
「それだけじゃないわ。私は……ラナほど、ソフィアさんのことが好きじゃないから」
「そんな理由で、レイリスはリーザを殺そうとはしないよ」
「どうしてそんなことが言えるの? あの子が、ソフィアさんのことを悪く言われると、怒って人を殺そうとすることは、貴方だって知ってるでしょ?」
「……」
「私は、きっと、レイリスとは上手くいかないわ。だったら、宿を手伝うとか、他の生き方を考えた方がいいと思ったのよ」
「リーザは、レイリスのことを誤解してると思うな」
僕がそう指摘すると、リーザは驚いた顔をした。
「誤解ですって? 私は、貴方よりも長くレイリスと接しているわ。誤解しているとしたら、それは貴方の方じゃないの?」
「でも、レイリスは人を殺したりはしないよ」
「何を言ってるの? 実際に、レイリスは貴方のことを殺そうとしたじゃない」
「それは、僕のことを魔生物だと勘違いしたからでしょ?」
「だけどあの子は、何度も人に襲いかかっているわ」
「じゃあ、君は、レイリスが人を殺すところを見たことがあるの?」
「……」
リーザは、困った様子で黙り込んだ。
やはり、僕の考えは正しかったようだ。
レイリスは、少なくとも僕の前では人を殺していない。
それは、リーザの前でも同じらしい。
おそらく、ラナに尋ねたとしても、同じ答えが返ってくるだろう。
レイリスは、ソフィアさんから、人を殺すことを厳しく止められていた。
そんな彼女が、安易に人を殺すとは思えない。
実際に、レイリスはセリューのスラムで、殺すことが可能だったはずの相手を殺さなかったのである。
「いくつかのパーティーを見て気付いたけど、仲間と連携して動いている抹消者は、本当に珍しいんだよ。リーザよりも優秀な魔導師を仲間に入れたとしても、レイリスと上手くいくかは分からないでしょ? だから、リーザがレイリスと組んで戦えたとしたら、ちゃんと存在意義はあると思うんだ」
「……私で大丈夫かしら?」
「きっと大丈夫だよ。リーザが仲間を大切にしていることは、レイリスにもちゃんと伝わってるはずだから」
「……」
リーザは自信が無さそうだったが、彼女以外の人にレイリスを任せることが、難しいのは確かだった。
僕とソフィアさんが、2人だけでエントワリエに向かうことになった時。
レイリスは、僕達が一緒に行動することに対して、不安そうな様子だった。
その時には、僕とソフィアさんの間で間違いが起こることを心配しているのだと思ったのだが……一方で、レイリスの様子からは、もっと緊迫したものを感じたことも確かだ。
よく考えてみれば、ソフィアさんは僕より強かった。
そして、そのことをレイリスは認識していた。
ならば、レイリスがソフィアさんの身の安全を心配することはない。
それに、僕はあの時、レイリスから、彼女がテッドに向けていたような敵意は感じなかった。
それらのことを踏まえて、よく考えてみると、彼女が心配していた対象はソフィアさんではなく、僕だったことに気付いたのである。
といっても、あの時のレイリスが僕のことを心配していた理由は、なかなか思い付かなかった。
しかし、レイリスが僕の部屋に来た時、最後に何を言おうとしていたのか、ということについて考えたら、1つの答えが思い浮かんだのである。
レイリスは、ドウン氏を殺したのはソフィアさんだと気付いていたはずだ。
ソフィアさんが抹消者の魔法を使えることも、ファレプシラやデルトロフィアを保有していることも、レイリスだけは知っていたのだ。
犯人がソフィアさんであることは、考えるまでもなく分かっただろう。
だとすれば、僕達を長期間2人だけにすることで、僕がそのことに勘付くことを心配していたとしても、おかしくはない。
ソフィアさんは、必要になれば、人を殺すことができる人だ。
実際に、ソフィアさんに殺意があれば、僕は殺されていたはずなのである。
無論、全ては推測であり、レイリス本人にも確認していないのだが……その思い付きをきっかけとして色々と考えてみると、レイリスが抱えている葛藤に思い至った。
レイリスは、まともな人ではないソフィアさんに、強い憧れを抱いている。
彼女自身にもソフィアさんに近い性質があることは、彼女の目の輝きを見れば明らかだ。
一方で、レイリスはソフィアさんから、普通の人間であれ、という教育を受けている。
そのために、レイリスの中には、自分がどうなるべきなのかという、迷いや揺らぎのようなものがあるのではないだろうか?
だとしたら、そんな複雑な心理を理解して、レイリスを教え導ける人間が、ソフィアさん以外に必要になってくる。
ラナには、そんな難解な心理を理解することなど、できないだろう。
新たな仲間を連れて来たとしても、レイリスと表面的に親しくなるだけで苦労するだろうから、そこまで踏み込んで付き合うことは難しいはずだ。
ならば、その役割はリーザに期待するしかない。
リーザには、大変な役目を押し付けてしまい、申し訳ないと思う。
しかし、彼女は仲間思いで、頭の回転も早い。
精霊が小さくても、決して役立たずということにはならないはずだ。
そんなことを考えていたが、徐々にブラッドイーグルが飛んでいる場所に近付いてきたので、僕は思考を中断した。
今は、ラナを守ることを第一に考えなければならない。
当然ながら、レイリスを危険に晒すことも、あってはならないことだ。
上空をゆっくりと滑空するブラッドイーグルを見上げながら、僕は相手の降下に備えた。