65話 ブラッドイーグル
「……ビックリした。見違えたよ……」
僕がそう言うと、リーザは呆れた様子だった。
「あの子、ルークが宿を出て行く前から、結構背が伸びたりしてたのよ? 気付いてなかったの?」
「いや、そんな気がした時もあったけど……毎日見てると、変化に気付きにくいっていうか……」
「レイリスは、この宿でも一番の逸材だと言えるだろう。あの娘に人々の関心を集められれば、もっと売り上げが向上するはずなんだが」
クローディアさんは、妙に悔しそうな口調で言った。
「経営に本気になることは否定しませんけど……レイリスのことを、あまり目立たせたら駄目ですよ?」
僕は、クローディアさんに釘を刺した。
レイリスは、知らない人間と接することを極端に嫌がる。
彼女に接客をさせる、という案が出された時には、ソフィアさんの部屋に何日も引き籠もってしまったほどだ。
ソフィアさんが説得してくれたからウェイトレスをしているが、そのこと自体が信じられないくらいなのである。
「分かっている。決して無理はさせないという、レイリスやソフィアとの約束を破ったりはしないさ。そもそも、これ以上客が増えたら、捌ききれないからな。それに……あの娘は、ああいう性格だからこそ、男を惹き付けるんだ」
そう言うと、クローディアさんはニヤリと笑った。
「……」
この人は、本当に元貴族なんだろうか……?
言動からは、悪徳商人に近いものを感じるのだが……。
「さて、楽しい話はこれぐらいにして……そろそろ、依頼の話をしようか」
突然、クローディアさんの表情が真剣なものになった。
僕は、思わず息を飲む。
そう。これが、今日僕がここに来た理由だ。
この街の宿への依頼の中で、僕でなければ解決困難なもの。
それは、前回のドラゴンベアのような、凶悪な魔物を排除するものである可能性が高い。
人食い狼の駆除ならば、他の宿の冒険者が依頼を遂行するのを、僕がサポートするだけで充分なのだ。
リーザ達が、冒険者の恰好になってロビーに集まる。
レイリスは、背が伸びたのに合わせて、服を新調していた。
改めて観察しそうになったが、先ほどのラナとのやり取りを思い出して自重する。
……それにしても、本当に綺麗な女性になったと思う。
「今回の依頼内容は、ブラッドイーグルの駆除です」
クレセアさんが、緊張した面持ちで言った。
「……ブラッドイーグル!?」
ドラゴンベアに続いて、既に絶滅に近いと言われている生き物だ。
そして、場合によっては、ドラゴンベアよりも厄介な相手だと言えた。
ブラッドイーグルは、真紅の羽を有する巨大な鳥である。
遥か上空を飛び回り、地上の獲物を発見すると、急降下して嘴で仕留める。
絶命した獲物は、足で鷲掴みにすると、巣に持ち帰って食らうという。
「ブラッドイーグルって、もう必勝法が確立してて、楽に仕留められるんじゃなかったか?」
ラナが不思議そうに呟いた。
「そうよ。最低でもAランク以上の精霊を保有する防御者がいれば、だけど」
「……なるほど。だから、ルークに依頼が来たのか」
「太陽の輝き亭」には、既にAランクの精霊を保有する冒険者が誕生していた。
しかし、その冒険者の役割は戦士であり、空中にいるブラッドイーグルと戦うのは難しいだろう。
上空を飛ぶブラッドイーグルには、当然ながら直接攻撃は不可能である。
大半の者にとっては、攻撃魔法を届かせることも困難であり、仮に届いたとしても、確実に回避されてしまう。
そして、ブラッドイーグルは慎重な鳥であり、自分を警戒している人間に対しては、絶対に攻撃を仕掛けない。
つまり、こちらから攻撃を仕掛けたら近寄ってこない、ということだ。倒したいなら、迎え撃つしかないのである。
翼を畳んで急降下するブラッドイーグルは、極めて高速で降りてくる。
しかも、降下中に落下する軸を、ずらすことが可能らしい。
それを攻撃魔法で狙っても、命中することは殆どないだろう。
確実に仕留めるなら、地上に接近するのを待つしかない、ということなのだ。
だが、ブラッドイーグルは、地表近くで激しい衝撃波を撒き散らす。
それにより、迎え撃とうとした者は吹き飛ばされてしまう。最悪の場合は、それだけで命を落とすことになるのだ。
仮に即死しなかったとしても、衝撃で昏倒してしまえば、抵抗することができないまま嘴の餌食となり、餌になるしかない。
だから、確実に衝撃波を防ぐ障壁が必要なのであり、それにはAランク以上の精霊を有する者の魔力が必要なのである。
「まあ、今回は楽勝だよな! ルークが、障壁でブラッドイーグルの突撃を防いで、攻撃魔法で仕留めるだけだろ?」
「だとしても問題があるわ。ブラッドイーグルは、1人で無防備に振る舞っている人間しか襲わないのよ」
「結局戦うのはルークだけなんだから、ルークが誘い出すのに問題は無いんじゃないか?」
「ブラッドイーグルは、人間なら誰でも襲うわけではないらしいの。狙われる人は……赤っぽい髪の色をしている場合が多いそうよ」
そう言って、リーザはこの場にいるメンバーを見回した。
僕の髪は焦茶に近い色だ。
リーザは水色、レイリスは銀色で、赤色からは程遠い。
ソフィアさんの髪はピンク色だが、彼女の体調は安定していない。囮役など、もっての他である。
ちなみに、クレセアさんは金、クローディアさんは青だ。やはり、全く赤くない色だ。
いや、こんなことを検討するまでもない。一番適任な者は明らかである。
「……あたし?」
ラナは、自分を指差しながら言った。
彼女の髪はオレンジ色だ。この中では、最も赤に近いことは間違いない。
「えっと……あたしが歩き回って、ブラッドイーグルを誘い出すのか?」
「そうよ」
「傍に誰もいない状態で……一人で?」
「そう言ってるじゃない」
「それ……誰か別の人にやってもらうわけにはいかないのか?」
「……いくわけないでしょ? 囮のために、他の宿から冒険者を貸してもらうなんて……何のために、このパーティーで依頼を受けるのか分からないもの」
「だよな……」
ラナは、少しの間、考え込んだ様子だった。
そして、不安そうに自分の身体を抱いた。
顔色が悪い。動揺していることは明らかである。
普段のラナの言動は、気楽そうで、強気にも思えるのだが……実は、意外と気が弱く、臆病なところがあるのだ。
いきなり囮になれと言われたら、恐怖を覚えるのは当然だろう。
リーザは、ラナの肩に手を添えて言った。
「安心して、ラナ。ブラッドイーグルが、ある程度地上に近付いたら、ルークの魔法で簡単に仕留められるわ。鳥類には、ドラゴンベアみたいな頑丈さは無いもの」
「いや、でも……ルークが傍にいたら、囮にならないんだろ?」
「離れた場所にいても、ブラッドイーグルが降下を開始した時点で、補助魔法で加速して走れば間に合うわよ」
「もし、相手が魔獣だったら……?」
「それでも、大半の魔獣は、人間みたいには魔法が使えないものよ。可能性として、考慮しておく必要はあるけど……油断さえしなければ、きっと大丈夫だわ」
「そっか……そうだよな……」
そう言いながらも、ラナはまだ不安そうだった。
「ラナが囮、ですか……」
ソフィアさんの寝室に、僕は見舞いに訪れた。
思ったよりは元気そうだが、さすがに少しやつれたように見える。
僕が作戦を告げると、案の定、ソフィアさんは不安そうな顔をした。
「そんなことは、したくないんですけど……ブラッドイーグルに、降りてきてもらわないと困るので……」
「単なる囮だったら、私がやっても構いませんよ?」
「それは駄目です」
僕はきっぱりと断った。
今回の依頼は、まず目撃地点に行く必要がある。
そこに行くだけでも、馬車で一週間以上かかるのだ。
そこから、上空を飛んでいるブラッドイーグルを探し、囮となる者に、長時間一人で歩いてもらわねばならない。
当然ながら、病人には任せられない役割である。
「……残念です。私がこんな身体でなければ、ブラッドイーグルを一人で葬ることも可能なのに……」
「そんなに心配しないでください。ラナのことは、必ず守りますから」
「あの子……最初の依頼で野犬に襲われてから、それがトラウマになったみたいなんです。普段の言動は強気に見えますけど……本当は、臆病で繊細な子なんですよ」
「……知っています」
おそらく、本人は気付いていないだろうが……ラナが強気な発言を繰り返すのは、無意識のうちに、自信の無さを隠そうとしているからだろう。
精霊のランクが上がっても、そういった精神的な部分を改善するのは難しい。
「今回だけでなく、これからも、数多くの困難な依頼が舞い込むでしょう。ラナのことも、レイリスとリーザのことも……お願いしますね?」
「はい」
その夜、僕は2ヶ月ぶりに、自分の部屋で寝ることになった。
もう、1年以上はこの宿を離れていた気がする。
部屋は、相変わらず綺麗に掃除されていた。
僕は、安心してベッドに入ることができた。
部屋のドアがノックされた。
一体、誰だろうか……?
そう思って扉を開けると、部屋の外にはラナが立っていた。




