64話 新装開店
「いらっしゃいませー……よお、ルーク! 久し振りだな!」
二ヶ月ぶりに宿に入ると、ウェイトレス姿のラナが言った。
「……!?」
あまりの衝撃に、僕は硬直する。
「……お前、今、似合ってないと思ったんじゃないだろうな?」
ラナが、僕の反応を見て、不満そうな顔で睨んでくる。
「い、いや……! 結構似合ってると思うよ?」
「そうか? まあ、最初は嫌だったんだけどな、こんな格好」
まんざらでもない様子で、ラナがロングスカートを摘んだ。
先入観なく見れば、違和感は全く無い。
ラナは元々美人だし、この衣裳だって、彼女には似合っている。
普段の男っぽい言動からは、想像できない可愛らしさだった。
「……おい、そんなにジロジロ見るなよ。酔っぱらいじゃあるまいし……」
ラナが、今度は自分の体を抱くようにしながら睨んできた。
「あっ、ご、ごめん……!」
「お前、そういうところが変わらないよな……」
「どうだ? 驚くほど可愛いだろう?」
カウンターの中にいるクローディアさんが、楽しげに笑った。
「……お帰りなさい、ルークさん」
クレセアさんは、クローディアさんの横で、複雑な表情を浮かべながら言った。
宿を改装して、飲食店事業に力を入れる。
それが、クローディアさんのアイディアだった。
当然のことながら、その提案を聞いた者の誰もが、それに反対した。
リーザは、採算性や競争力を問題視した。
ラナは、自分には向かない仕事だと嫌がった。
レイリスは、知らない人が客として押し寄せることに拒否感を示した。
クレセアさんは、それは冒険者の本来の仕事から外れていると指摘した。
そして僕は、大精霊の保有者がいる宿でそんなことをすれば、倫理的に重大な問題が生じると言った。
しかし、クローディアさんは、ミランダさんの了解を取り付けて計画を推し進めながら、僕達を全員説得した。
その手腕は、驚くべきものだと言っていいだろう。
「それにしても……ラナは、よくこの仕事をやる気になったね? 給仕の仕事なんて、自分には向かないって言ってたのに……」
「ここでは、皿やジョッキを乱暴に置いても、文句を言う客なんて殆どいないからな。丁寧に喋る必要も無いし、女らしく振る舞うことも求められないなら、要は単なる肉体労働だろ?」
「それはそうかもしれないけど……」
「そういう雑さですら、ラナを知っている者から見れば魅力的だ。ならば、それを売りにできる環境で働いた方がいい」
クローディアさんが得意げに言った。
「でも、これはラナの本職じゃないのよ?」
そんな妹に対して、クレセアさんが苦言を呈する。
「分かっている。だが、この宿に来る依頼は、元々飲食店の手伝いが多かった。ならば、ここで働く方が、ラナにとってもいいはずだ。それに、ダンデリアを使いこなせるように、訓練は続けているだろう?」
「それはそうだけど……」
店が軌道に乗っていても、クレセアさんの表情は暗かった。
クローディアさんは、私財を投入して、宿を修繕し改装した。
以前から、特に酷い箇所は修理を進めていたこともあり、ロビーと正面の外観を整えるまでには、一ヶ月程度の期間で済んだ。
そして、その工事が終わるまでに、クローディアさんのバーレでの情報収集は済んでいた。
彼女は、この宿に対して街の人が抱いているイメージの、ポジティブな部分を重視して計画を練った。
この宿の良いところ……それは、ソフィアさんが所属していることと、クレセアさんが美人だということだった。
加えて、ラナとリーザに好意を寄せている者が少なくないこと、レイリスの可愛さに注目している者がいることも判明した。
これらの情報は、クローディアさんの事前の推測通りだったらしい。
よって、店の方針は、美女と美少女による接客を売りにしたものとなった。
言うまでもなく、これには皆が反発した。
晒し者になるラナとリーザとクレセアさんは、口々に反対して、クローディアさんを止めようとした。
自身を目当てにする者がいると知ったレイリスは、パニックを起こしたようになり、しばらくソフィアさんの寝室から出て来なくなってしまった。
彼女達にとっては酷なプランだったので、僕も何とか説得しようと試みた。
しかし、驚くべきことに、クローディアさんはソフィアさんの協力を取り付けた。
体調の安定しない彼女に、接客などさせるわけにはいかない。
半ば脅されるような形で、ラナ達はウェイトレスとして働くことになったのである。
「……それにしても、いきなり飲食店なんて始めて、よく客が来てくれましたね? 肝心のソフィアさんがいないのに……」
僕は、疑問をクローディアさんにぶつけた。
いくら、ラナ達やクレセアさんが美人でも、それだけで客を集められるほど甘い世界ではないだろう。
バーレには、同業者がたくさんいるのだ。
「元々、この宿には飲食店に勤めた者がたくさんいる。折角調理設備があるのに、活用しないのは勿体無いだろう? それに、姉さんの料理の腕は知っているからな。他の店と勝負しても、決して負けることはないという確信が無ければ、こんなことは考えなかったさ」
「クレセアさんの料理は、確かに美味しいと思いますけど……一部のメニューで使っているような、珍しい食材なんて、扱ったことがあったんですか?」
「まだ貴族だった頃から、調理場に入って色々なことを教わるのが、姉さんの数少ない趣味だった。そうでもなければ、貴族が自分で料理をしたりはしないだろう?」
「クローディア、あまり昔の話はしないで……」
クレセアさんが、恥ずかしそうに言った。
「それで、貴方はどうなの? 依頼は無事に済んだんでしょうね?」
ウェイトレス姿のリーザが言ってくる。
彼女は、こういった衣裳も着慣れた様子で、全く違和感が無かった。
「……うん。問題なく終わったよ。皆感謝してくれた」
「そう。良かったじゃない」
そう言ったリーザは、少し不満そうだった。
クローディアさんが来る前から、この宿には深刻な問題があった。
大精霊の保有者である僕が泊まっていることが知れ渡り、「闇夜の灯亭」には依頼が殺到していたのだ。
だったら、飲食店など始めずに、その依頼を受けて稼げば良いだろう。誰もがそう思うはずである。
しかし、それらの依頼は酷いものばかりだった。
中には、報酬は無し、というものすら混ざっていた。
大精霊の保有者は、本来であれば、寄付で暮らしながら、慈善事業を行っている存在である。
こうなるのは当然のことだった。
僕が依頼を受けることを前提とする限り、まともな依頼は殆ど来ない。
その状態を解消するために、「闇夜の灯亭」は、直接的に依頼を受理することをやめた。
代わりに、他の宿が受理した依頼の中から、この宿に相応しいものを回してもらうことにしたのだ。
それと同時に、僕はパーティーから一時離脱し、この宿からも退去した。
今の僕は、他の7つの宿から、この街に残るように依頼されている立場だ。
街の復興を大義名分にしていることもあり、他の宿を渡り歩きながら、その宿の冒険者が成長する手助けをすることを、当面の目標とすることになったのである。
それは、飲食店の経営に大精霊を利用している、などと思われないようにするためにも、妥当な措置だと思えた。
「……その衣装、似合ってるよ。綺麗だと思う」
僕は、どこか不機嫌そうなリーザに、素直な感想を伝えた。
「そ、そう? ありがとう……」
リーザは、顔を赤らめてそう言った。
「何だよ、あたしの時と態度が違うんじゃないか?」
ラナが不満そうに言う。
「いや、だから、ラナも綺麗だって……」
「……お前って、結構女たらしなんだな」
「そんなこと言われても……」
じゃあ、何と言えばいいのだろうか?
「ラナ、気を付けなさいよ? ルークは、結構手が早いんだから」
リーザが、ジト目でこちらを見た。
「人聞きの悪いことを言わないでよ!」
今は客がいないものの、クレセアさんもクローディアさんもいるのだ。こんな話を事実だと思われたら困る。
「だって貴方、ソフィアさんとキスしたんでしょ?」
「いや、あれはソフィアさんが勝手に……!」
「……嬉しかったくせに」
「あの時、そんなことを考える余裕は……! ていうか、どうしてリーザが、そのことを知ってるのさ!?」
「ソフィアさんに謝られたからよ。あの人、貴方に襲い掛かったんでしょ? そんなことをしたのに、平然と仲間を続けるなんて、信じられない神経よね……。怒る気にもなれなかったわ」
「……」
あのことを、僕は誰にも話さなかった。
それを、あえて自分から暴露するとは……。
ひょっとしたら、ソフィアさんは過去を清算するつもりなのかもしれない。
「ソフィアさんの悪口は言わないで」
リーザの後ろから声がする。
「えっ……?」
そちらを見て、僕は目を疑った。
そこにいたのは、ラナやリーザと同じ服を着た、銀色の髪の女性だった。
当然のことだが、その人物はレイリスである。
しかし、僕がこの宿を離れた二ヶ月前とは、大分印象が違う。
かなり大人びている、というか……もう少女というよりは、大人の女性のように見えた。
「ちょっと、ルーク……! 貴方、求婚でもしそうな顔をしてるわよ!?」
「そ、そんなことしないよ!」
「でも、さっきのお前、一目惚れしたみたいな顔だったぞ?」
「少し驚いただけだってば!」
「……」
レイリスは、顔を真っ赤にして俯き、宿の奥に引っ込んでしまった。




