49話 追及
狼は、真横から突き飛ばされて地面を転がった。
ソフィアさんが鋭く踏み込み、狼の脇腹に掌底を叩きこんだのだ。
体勢を立て直して、今度はソフィアさんに跳びかかろうとする狼を、レイリスが一突きで仕留める。
間一髪で助かったラナは、腰が抜けたように座り込んだ。
「大丈夫ですか、ラナ?」
ソフィアさんが、心配そうにラナの顔を覗き込む。
「……あ、ああ……」
ラナは、青ざめた顔で言った。怪我はないようだ。
「……最初の依頼の時と殆ど一緒。精霊が大きくなっても、全然成長してない」
レイリスが、ラナに冷たい視線を向ける。
「そんなこと言わないの。あの時はただの野犬だったでしょう? それに、今回はあの時みたいにお漏らししてないみたいだし……」
「ソフィアさん! それは内緒にしてくれって言っただろ!」
ラナが顔を真っ赤にして抗議する。
「あら、ごめんなさい。今の話は忘れてください」
「最初の依頼って……私が加わる前のこと?」
リーザが、茫然とした様子で呟く。
「はい。私とレイリスが『闇夜の灯亭』に泊まってから少しして、ラナが私達のパーティーに加わりました。その直後に受けた依頼は、害鳥の巣を駆除する、というものだったのですが……その依頼の最中に、野犬に襲われまして」
「……ソフィアさん、さっきのは……格闘家の技、ですよね?」
僕が指摘すると、ソフィアさんはあっさりと頷いた。
「はい」
「ソフィアさんって、近接戦闘も可能だったんですか!?」
「私には、身体を使う戦いは苦手だって言ったじゃないですか!」
リーザも、僕と同じように驚いている。
「だって、ラナもレイリスも敵に近付いて戦うのですから、私がその役割を奪うわけにはいかないではないですか。リーザが専門の防御者だった時も、私は防御者の魔法を使わないようにしていましたよ?」
「何も、秘密にすることはないでしょう!? ラナもレイリスも、知ってたならどうして隠したのよ!?」
「それは、ソフィアさんが苦手だって言ったから……拳で戦うのは、本当は嫌なんだろうな、と思って」
「ソフィアさんがわざわざ隠したことを、他人にバラすわけにはいかない」
「貴方達……」
リーザは頭を抱えた。
ずっと隠し事をされていたのが、ショックだったのだろう。
僕は混乱していた。
ソフィアさんが、格闘家の役割もこなせるなんて……。
彼女は、支援者の魔法の中でも高度な瞬間移動を使った。
防御者としても一流と言ってよいレベルだし、魔導師としての腕にも、動物が撃てないことを除けば問題が無い。
さらに、格闘家としても戦えるなんて……これでは、ソフィアさんこそ調整者に相応しい、と言うべきだろう。
今にして思えば、以前寝込みを襲われた時に、彼女の部屋で敵を倒したのはレイリスだけではなかったのだろう。
床に倒れていた連中の中には、ソフィアさんに殴られた者が混ざっていたはずだ。
そこまで考えて、僕はある可能性を思い付いた。
いや、しかし……まさか、そんなことは……。
僕は、さりげない口調を装って言った。
「じゃあ、ソフィアさんって他の役割も出来るんですか? 回復者とか破壊者とか抹消者とか……?」
「それでは調整者ではないですか。まあ、戦士や破壊者の魔法は使えますが……」
「え、ソフィアさんって破壊者も出来るのか!?」
ラナがショックを受けたような声を出した。
「安心してください。ラナの役割を取ったりはしませんよ」
ソフィアさんは宥めるように言った。
僕は様子を注視していた。
ソフィアさんではなく、レイリスの方を、だ。
ソフィアさんは平然と嘘を吐くが、レイリスはひょっとして……と思ったのである。
レイリスは動揺していた。
何かを言いたげな様子でソフィアさんを見上げ、僕に見られていることに気付き俯いた。
僕は確信した。ソフィアさんは嘘を吐いている。
ソフィアさんが、本当は他の役割もこなせるとしたら……?
もし抹消者の魔法を使えたとしたら、どうなる?
今まで考えたことのなかった可能性に思い至り、全身が震えるのを感じた。
「さあ、報酬を受け取りに行こうぜ!」
ラナがそう言ったので、僕は思考を中断した。
「そうね。余分に時間を使ったから、早く帰りましょう」
「今回も、全員無事で良かったです」
「……」
レイリスは、何か言いたげな様子で僕の方を見たが、結局何も言わなかった。
報酬を受け取り、宿に帰還すると、クレセアさんは安堵した様子で迎えてくれた。
予定外に何日も使ってしまったので、心配されていたのだ。
「クレセアさん、あまりにも報酬が安い依頼は、断るようにすればどうですか?」
リーザがそう提案すると、クレセアさんは困った様子だった。
「ですが、それでは依頼を出せない人が出てきてしまいます」
「私達はボランティアではないんですから……今回の依頼のように、予定外の費用がかかる可能性があることを考えれば、せめて条件面の交渉だけでもするべきでしょう?」
「ですが、それではこの宿の存在意義が……」
リーザとクレセアさんは、延々と結論の出ない議論を始めた。
僕がこの宿に泊まるようになってからだけでも、何度も繰り返されてきたことだ。
この宿の経営状態も気になるが、僕はずっとレイリスのことを気にしていた。
彼女は、ずっと僕と目を合わせないようにしていた。
一方で、ソフィアさんは楽しそうにニコニコしており、普段と全く変わらない様子に見えた。
その夜、僕はレイリスの部屋を訪れた。
意を決してノックしようとしたタイミングで、扉が開いた。
「うわっ!」
「……何?」
レイリスは、刺すような視線をこちらに向けてくる。
「……レイリスと、話したいことがあるんだ。一緒に、外に行こうか?」
「分かった」
レイリスは素直に頷いた。
「それで、私に何の用?」
レイリスは不機嫌そうに言った。
僕の用件を察していて、そのせいで不機嫌なのだろうと思えた。
「レイリスは、ソフィアさんと二人だけで旅をしていた時期があるんだよね?」
「そうだけど」
「ええっと……レイリスは、どうしてソフィアさんを尊敬しているの?」
「それは、ソフィアさんが凄い人だから」
「凄いって、具体的にどこが凄いの?」
「ソフィアさんは強い。私が知っている、誰よりも」
「レイリスは、強ければ誰でも尊敬するの? テッドには、あんなに攻撃的だったのに?」
「下心のある男は嫌い」
「そういえば、レイリスはオクトのことを気にしてたよね? あれは、やっぱり同じ抹消者だからかな?」
「……何が言いたいの?」
いよいよ話が核心に迫ろうとしていた。
レイリスは、今にも僕に跳びかかってきそうな様子だ。
「いや、色々考えてみたんだけど……ソフィアさんって、本当は抹消者の魔法も使えるんじゃないか、と思って」
「……知らない」
「君は嘘が下手だね」
「ソフィアさんに迷惑をかけたら殺してやる!」
レイリスが叫んだ。間違いなく本気だ。
「……やめておきなよ。それが不可能だってことは、よく分ってるはずでしょ?」
「やっぱり、貴方を信用するんじゃなかった……!」
レイリスは、腹を立てた様子のまま立ち去った。
あの様子だと、しばらくは口をきいてくれないかもしれない。
せっかく、少しずつ打ち解けてきたと思っていたのに……。
ちょっと残念な気分だった。
僕は自分の部屋に戻った。
その途端に、ソリアーチェが警告を発した!
突然、僕の目の前にソフィアさんが現れる。
頭で何かを考える前に、僕は障壁を展開していた。
しかし、ソフィアさんの両手が輝き、障壁を突き破った……!
為す術のない僕の首に、ソフィアさんの両腕が絡み付いた。




