36話 出発
僕達が「闇夜の灯亭」に帰ると、カウンターの中にいたのはクレセアさんではなかった。
「おっさん、久し振り!」
ラナが親しげに話しかけた相手は、僕が初めてこの宿に来た時にいた男だった。
「お前達か……依頼は無事に達成できたのか?」
「ああ、ばっちりだ!」
ラナは自慢げだが、僕は複雑な気分だった。
今回の依頼は、殆どソフィアさんの勘と暴走、そしてフェデル隊長の協力で達成できたのだ。
単に、運が良かっただけとも言える。
今後の依頼もあのようなノリで片付けようとすれば、確実に失敗するだろう。
ちなみに、ドウン氏の一件は、なるべく思い出さないようにしている。
下手に疑いをかけてしまうと、どうしても態度がおかしくなるし、間違いだった時に取り返しがつかないからだ。
「そうか。お前達には苦労をかけるな……」
「ねえ、クレセアさんは?」
「マスターは……他の宿の主人達と、今後のことについての話し合いに行ってるところだ」
「今後のことって?」
「バーレでも特に活躍していたパーティーが、いきなり3組も全滅したんだ。この街の冒険者の評価に影響する可能性だってある。危惧するのは当然だろう?」
「やはり、テッドさん達は亡くなったのですね……」
ソフィアさんが、残念そうに言った。
あの話は間違いであってほしいと思っていたのだろう。
「ああ。そして、言いにくい話があるんだが……」
「招集の話ですか?」
「……知っていたのか。なら、話が早い。AAAランク以上の精霊を保有する者には、魔生物討伐の協力を求める招集が領主様から発されている。当然、ルークも招集対象だ」
「でも、正規軍が動いてるんだろ? 実際は、ルークが頑張らなくても、魔生物は倒せるんじゃないか?」
ラナの疑問は、この間のソフィアさんの指摘とも一致していた。
「そう単純な話でもないんだが……少なくとも、後になって『あいつは後ろで震えていた』なんて評判が立つのは論外だ。名誉を回復するのが困難だからな」
「逆に言えば、悪評を回避できる程度の活躍さえ出来れば問題無い、ということです」
ソフィアさんが口を挟む。
「だったら、死なない程度に頑張ろうぜ? 相手が魔生物じゃ、あたしらが活躍する場面は無いかもしれないけどな……」
「お前は何を言ってるんだ? 魔生物と戦うのは、ルークだけに決まってるだろう」
「えっ……?」
「相手は、一流の冒険者が束になっても敵わない化け物だ。生半可な実力で挑んでも、返り討ちに遭うに決まってる」
「ちょっと待ってくれよ! だとしたら、正規軍だって、一方的に虐殺されるだけってことになるだろ!?」
ラナが指摘すると、主人代理の男は首を振った。
「冒険者と正規軍は、訓練のされ方が違う。戦う目的自体が違うからな。冒険者は、長期戦を行う機会が少ないから、精霊の力を全開にして相手にぶつけるのが普通だ。だが、正規軍は戦争で、何日も戦い続ける可能性が高い。だから、精霊の力は最低限だけ使って戦う方法に長けている。つまり、正規軍は何日もかけて魔生物を弱らせる役割を、冒険者はトドメを刺す役割を担っている、というわけだ」
「あたしだって、相手を消耗させることぐらい出来るさ!」
「やめておけ。犬死にするだけだ」
主人代理の男がそう言うと、リーザが頷いた。
「確かにそうだわ。正規軍は、槍や弓矢の扱いを徹底的に訓練しているし、火薬だって使えるもの。少ない犠牲で、相手を消耗させる戦術が上手いのよ。貴方、そんな訓練はしてないでしょ?」
「だからって……!」
ヒートアップする議論を、ソフィアさんが止めた。
「取り敢えず、クレセアさんが帰ってくるのを待ちませんか? 皆さん、長旅でお疲れでしょう?」
ソフィアさんが言う通りだった。クレセアさんがいないのに、僕達があれこれ議論しても仕方が無い。
僕達は、クレセアさんが帰ってくるまで部屋で休むことにした。
クレセアさんは、その後しばらくして帰ってきた。
彼女は、僕達が無事に帰還したことを喜んでくれたが、僕が招集の対象になってしまったことは気に病んでいる様子だった。
「結局このような事態になるのであれば、やはり皆さんに、当初からあの依頼を受けていただくべきでした。そうすれば、テッドさん達も死なずに済んだのかもしれません……」
「それは考えすぎだって。参加を断ったのはあいつらなんだから、クレセアさんには責任が無いだろ?」
ラナがそう言うと、リーザも頷いた。
「そうです。それより、今後のことを考えましょう? 何とかして、魔生物を倒さなくてはなりません」
「……そうですね」
クレセアさんは、現在把握できている情報を教えてくれた。
といっても、今分かっていることは多くない。
テッド達全員の死体が発見されたこと、幾つかの村や町が滅ぼされたこと、魔生物の姿を見て生き残った者がいないこと、などである。
「魔生物って、遠くからでも見えるような、でっかい化け物じゃないのか? 山みたいな大きさだって聞いたことがあるぞ?」
ラナが不思議そうに言った。
「それは、昔現われた『ドラゴン』って呼ばれる魔生物のことよ。そんな大きさの魔生物が存在したことはあるんだけど、人より小さな魔生物だってたくさんいたらしいわよ? それに、ドラゴンだって、本当はそんなに大きくなかった、というのが今の通説よ」
リーザがそう言うと、ソフィアさんが話し始めた。
「魔生物に関しては、色々な逸話がありますね。青い髪の精霊を見つけて皆が可愛がっていたら、突然人間を殺し始めて、ただの魔生物だと気付いた、だとか……」
「それは、ルークなら確実に引っかかるな」
ラナが、からかうように言ってくる。
「僕じゃなくても引っかかると思うけど……」
「そもそも、精霊だって魔生物の一種なんだから、見慣れた精霊と少しでも違ったら、警戒するべきなのよね……」
「あっ、だから精霊って皆同じ顔をしてるのか!」
「それは分からないけど……」
「……よく考えたら、誰も相手を見てないってことは、敵は魔生物じゃない可能性だってありますよね?」
僕が疑問を口にすると、クレセアさんは首を振った。
「テッドさん達を殺して、傷を負った痕跡すら残っていないのが、敵が魔生物である証拠ですよ。そんなことは、魔獣には不可能でしょうから。人間だって、大精霊の所有者でもなければ、そんなことは出来ません。ですが、大精霊の所有者は全員遠方にいる、との情報が入っています。……そんなことを検討するまでもなく、大精霊の所有者が、人々を虐殺するとは思えませんが……」
「……そういえば、大精霊の所有者で、好戦的な人の話って聞かないわね」
「えっ、そうなの?」
「大精霊の保有者って、剣聖とか大魔導師とか、それっぽい二つ名を持ってるから派手に感じられるけど……戦ってる様子についてちゃんと聞いたら、主に戦ってるのはお供の人だったりするのよ。まあ、あくまでも聞いた話だから、実態は分からないけど……」
とても意外な話だった。
大精霊の所有者といえば、積極的に敵地へと乗り込んで、強大な魔物を次々と葬り去るイメージが強いのだ。
聖女様は、その例外なのだと思っていた。
「私は、ヨネスティアラ様以外の大精霊の保有者ともお会いしたことがありますが、リーザの言う通りですよ。とても慎重な方で、ルークさんと似た印象を受けましたね」
ソフィアさんがそう言った。
聖女様のパーティーにいただけあって、彼女の交友関係は広いようだ。
「へえ、大精霊って平和主義者なんだな」
「その表現はどうかと思うけど……少なくとも、世界征服を企むような奴には力を貸さないでしょうね」
ならば、やはり敵は魔生物なのだろう。
しかし、相手が魔生物ということだけが分かっても意味が無い。
魔生物自体が、どんな姿をしているか分からない存在だからだ。
「確かに相手は魔生物なのでしょうが、村や町を滅ぼすほど暴れているのに、正体を見て生き残った方がいらっしゃらないだなんて……不思議ですね」
「被害に遭っても、生き残った人はいるそうです。しかし、皆が口を揃えて、突然爆発に巻き込まれた、と言っているらしいのです」
「魔生物が使うのは、爆裂魔法ですか……!」
クレセアさんの言葉を聞いて、僕は思わず叫んでしまった。
それならば、テッド達が負けたのも無理はない。とても厄介な相手だ。
「それって、そんなにヤバイ魔法なのか?」
ラナが、不思議そうに首を傾げる。
「凄く厄介な魔法よ。障壁は、一方向に対してしか展開できないから……」
「爆裂魔法から身を守るためには、四方と上を守る必要があるんだ。専門の防御者の中でも、かなりの達人じゃないと、一人では不可能だね」
ソリアーチェの支援を受けた僕ならば、何とか可能かもしれない。
しかし、それでもパーティー全員を守るのは難しいかもしれなかった。
「なら、ルークとリーザの二人ならどうだ?」
「無理よ。町を一つ吹き飛ばすほどの爆裂魔法から身を守るなんて、私の魔力じゃ不可能だわ。たとえ、担当するのが一面だけでもね」
「……爆裂魔法が相手では、レイリスは戦えませんね」
ソフィアさんに言われて、レイリスはショックを受けたようだった。
しかし、ソフィアさんの言う通りである。
姿を消している間は他の魔法が使えない抹消者にとって、広範囲を攻撃する魔法の使い手は天敵なのだ。
「というわけで、今回の依頼に参加するのは、ルークさんと私だけで決まりですね」
「そんな……!」
「待ってください! ソフィアさんは、今回の依頼に参加するつもりなのですか? 参加するのは、ルークさん一人の方が……」
「それはさすがに可哀想でしょう? それに、ルークさんの事情を説明できる人が必要ですよ。ヨネスティアラ様が、今回の依頼に間に合うか、分からないですから」
確かに、僕がいきなり参加して、その場に聖女様がいなかったら、他のパーティーとの連携に支障をきたすだろう。
ソフィアさんは聖女様のパーティーの元メンバーで、大精霊の保有者とも面識があるらしい。彼女がいた方が、話が円滑に進むはずだ。
「駄目! 私も行く!」
レイリスが、ソフィアさんの袖を掴んで叫んだ。
「まあ、レイリスったら……」
ソフィアさんは、困った顔はしているが、レイリスを抱き寄せて頭を撫で始めた。
「私も、レイリスがいないと寂しいですよ? ですが、貴方を危険に晒すわけにはいきません。それに、今この街は大変な状況です。きっと、貴方の力が必要になりますから」
「でも、ルークと二人でなんて……」
レイリスの口調が、妙に焦りを帯びている気がする。
彼女は、僕の方を、何か言いたげに見てきた。
ひょっとしてレイリスは、僕がソフィアさんに手を出す、といったことを懸念しているのではないだろうか……?
「貴方、レイリスにまで警戒されてるわよ?」
リーザにからかわれる。僕って、そんなに信用されていないのだろうか……?
結局、魔生物の討伐に向かうのは僕とソフィアさんだけ、ということになった。
5人で乗れる馬車を借りれば、かなりの出費を覚悟しなければならない。2人が乗れれば良いのであれば、費用をかなり抑えられるのだ。
この決定に対して、一番不満そうだったのがリーザだ。
「いい? ソフィアさんに誘惑されても、きっぱりと断りなさいよ? 既成事実を作ったらおしまいだからね?」
「……出来れば、そういう心配だけじゃなくて、命の心配もしてほしいんだけど」
「してるわよ。だから、考えないようにしてるんじゃない」
突然、リーザが僕に抱き付いてきた。
「リーザ!?」
「……生きて帰ってきなさいよ。絶対だからね!」
「うん……」
レイリスは、いつまでもソフィアさんとの別れを惜しんでいた。
僕に対しては、「気を付けてね」とだけ言った。
心配そうな顔はしていたので、僕のことも気にしてくれてはいるようだ。
意外にも、ラナは不満を表明しなかった。
相手が、街を吹き飛ばすほどの爆発を起こすと聞いて、自分が全く役に立てないと悟ったのだろう。
僕に対しては、「魔生物をお前の手で仕留めてくれ!」と言ったり、「向こうに着いた時には、全部終わってるといいな」と言ったりした。
完全に矛盾しているが、どちらも本音なのだろう。
「気を付けてください。くれぐれも、無理はしないでくださいね?」
馬車に乗り込んだ僕らに、クレセアさんはそう言った。
他の仲間にも見送られて、僕はソフィアさんと共に出発した。




