23話 懸念
道中の宿で、またしてもリーザが僕の部屋に来た。
扉を開けて驚いた。リーザは、寝る時に格好の上に、上着を羽織った格好だったのだ。
当然、足は太腿まで見えている。細くて綺麗な足だ……。
「……ちょっと、ジロジロ見ないでよ。恥ずかしいじゃない」
僕が彼女の足を凝視したので、リーザにジト目で言われてしまった。
「あっ、ご、ごめん!」
「言っておくけど、この格好で来たくて来たわけじゃないから。勘違いして、変なことしないでよね?」
「いや、でも……そんな格好で男の部屋に来るのは、どうかと思うよ?」
一般的に、女性は男性に、素足を見せないものだとされている。
そういう意味では、ソフィアさんの格好の方が、まだマシだったと言えるだろう。
今のリーザのような格好で、女性が部屋の外に出るとしたら、せいぜいトイレに行く時くらいであるはずだ。
もっとも、以前話題に出たような、客層が悪い飲み屋の女性は、足も胸の谷間も晒していることが多い。
男に身体を売っている女ならば、もっと見せている場合もある。
そういったものを連想させるので、こんな格好で男の部屋を訪れれば、誘っていると勘違いされかねないのだ。
今回の訪問を誰かに見られた場合、既に男女の関係になっていると思われても、否定しようがないだろう。
「……仕方が無いじゃない。着替えたかったけど、物音でラナを起こしたら面倒だもの。ソフィアさんには、私が貴方の部屋に行ったことを知られて、『子作りは慎重にした方がいいですよ?』とか言われちゃうし……」
ソフィアさん……リーザにもそんなことを言ったのか……。
「いや、そういう誤解を受けるから、もっとちゃんとした格好を……」
「……私の足を見て喜んでたくせに」
「いや、だって……リーザの足、綺麗だから……」
「……やっぱり、貴方は変態だって聖女様に伝えた方がいいかしら?」
「ごめん……」
「冗談よ。貴方、ソフィアさんに上着を貸してあげたそうじゃない。貴方のそういうところは信用してるわ」
「あ、うん……」
「でも、貴方はソフィアさんの身体を、近くでじっくり観察したのよね……」
「じっくりとは見てないよ!」
「でも、見たんでしょ?」
「だって、それは……!」
「まあ、そうよね。ソフィアさんは綺麗だもの。私なんかよりずっと……」
「……そんなことはないと思うけど?」
「でも、ソフィアさんって、胸も凄く大きいし……」
「リーザだって結構大きいじゃないか」
「……変態」
「ごめん……」
リーザは僕を睨んでいたが、突然笑顔を浮かべて言った。
「貴方、もし私がお嫁に行けなかったら、責任取りなさいよ」
「えっ、それって……」
まさか、自分と結婚しろ、という意味か!?
「去勢して謝って」
「そこまでするの!?」
「冗談よ。私が一生遊んで暮らせるように貢いでくれれば、それでいいわ」
「それはそれで酷いんじゃないかな……」
「いいじゃない。散々私の身体を見て、その程度で済むなら」
全裸を見たわけでもないのに、酷いぼったくりだと思ったが、そんなことを言ったら本気で怒り出してしまうだろう。
「……それで、ラナは?」
この宿は2人部屋が基本なので、3部屋取った。
ソフィアさんはレイリスと同じ部屋であり、リーザはラナと同じ部屋である。
「ぐっすりと眠ってるわ。あの子、元々簡単には起きないから、静かに帰れば大丈夫だとは思うけど……」
リーザはそう言ったが、ソフィアさんの一件があったので、僕は不安だった。
「あの子……この前の一件で、一人で寝るのが怖くなったらしいの。一時的に、服を着たまま寝てたくらいで……。気休めだけど、ナイトウェアも買ったわ。でも、あれを着て寝る習慣が無いから、寝心地が悪いらしいの。今日は、安心して眠れてるみたい」
「そっか……」
「……そういえば貴方、ラナの下着姿も見たでしょ?」
「いや、あの時は遠目だったし、部屋が暗かったから、しっかりと見たわけじゃ……!」
「……やっぱり見えてたのね。ラナは、多分見られてないって言ってたけど」
しまった。そうだったのか……。
「そのこと、本人には知られちゃ駄目よ? あの子はああいう性格だから、ちょっと見られたくらいのことは気にしないでしょうけど……もっと嫌なことを思い出すでしょうから」
「うん……」
「……大分話が逸れちゃったわね。今日は、確認しておきたいことがあって来たの」
「今度は何?」
「貴方、今回の依頼についてどう思う?」
「どうって……助かったと思ってるよ」
「そうなの……」
リーザに溜め息を吐かれてしまった。
そんなに悪い答えだったのだろうか?
「だって、僕達に魔生物と戦う力なんて無いよね? それが分かってるから、リーザは依頼を受けることに賛成したんでしょ?」
「でも、『太陽の輝き亭』の気前が良すぎて不安になるじゃない? 今回借りたお金は、宿を完全に再建する金額には程遠いけど、依頼の報酬としては破格過ぎるもの」
「でも、オクトの一味をどうにかしたいのは事実だろうし……」
「それだって、『太陽の輝き亭』の評判を地に落とすようなことじゃないわ。わざわざ大金を支払ってまで、解決すべき事件とは思えない」
「……じゃあ、テッドは何か企んでるの?」
「可能性として考えられるのは、ソフィアさんの引き抜きね」
「えっ?」
「ソフィアさんはAランクの精霊を保有しているし、元々は聖女様のパーティーのメンバーだったのよ? 宿に迎えたいと思っても不思議じゃないでしょ?」
「でも、ソフィアさんは、お金に釣られるような人じゃないよ?」
むしろ、あれほど無欲な人は、大精霊の保有者や、クレセアさん以外には存在しないのではないか、というくらいだ。
「もし、うちの宿がお金を返せなくなったらどうかしら? 迷惑を掛けられたから、冒険者を譲ってほしいと言われたら? 恩を売っておけば、この宿から有力者を引き抜きやすいでしょ? ソフィアさんだけじゃなくて、貴方も対象になるかもしれないわ」
確かに、経緯はどうであれ、借金を踏み倒したら罪悪感は大きいだろう。
最も損害を与えた宿のために、何らかの償いをしたいと考えるのは自然なことのように思えた。
その時に、ソフィアさんに来てほしいと言われたら、断るのは難しいかもしれない。
「でも、ソフィアさんは……病気で……」
「もう2年も前の話よ? 完治か、それに近い状態にあると思われていても不思議じゃないわ。それに、テッドはソフィアさんに惚れているもの。どんな手段を使っても、ソフィアさんを自分の宿に迎えたいと思っても、おかしくはないでしょ?」
「宿の金で、ソフィアさんを引き抜く準備をしたってこと? いくら主力の冒険者でも、そんなことって出来るの?」
「普通は出来ないから、テッド一人で話を持ってきた、とは考えられない? さすがに、宿の主人には話をつけてあると思うけど」
「……」
なるほど。確かに、それならば辻褄が合う。
「とにかく、今度宿が傾いたら、テッドが何をするか分からないわ。だから、私達にはすぐにお金が必要よ。簡単に解決出来る問題じゃないけど……取り敢えず、その認識だけでも持っていて」
そう言って、リーザはなるべく物音を立てないように帰って行った。
確かに、テッドの話には違和感があった。
しかし、あの男が一番重視していることは、ソフィアさんに今回の依頼を受けさせないことだと思っていたのである。
彼女を死なせたくない……それが本音なのではないかと考えていたのだ。
引き抜きか……確かに、そうしたことを考えている可能性はある。
この依頼自体は無報酬である、ということも、この推測を補強する要因だ。
クレセアさんは、この依頼の報酬を僕達に払ってくれる。所要日数が多いので、決して安い金額ではない。
こんな調子で金を使い続けて、借りた金が尽きれば、宿は潰れてしまうのである。
もしソフィアさんが引き抜かれたら、レイリスも彼女に付いて行くだろう。
いかにテッドを嫌っていても、である。
それは困る。このパーティーは崩壊するし、宿にとっても致命的な事態になってしまうからだ。
僕は頭を抱えた。この宿を救うには、地道に依頼を受け続けるだけでは足りないのではないか?
それこそ、魔生物のような強大な魔物を葬って、一気に宿の評判を吊り上げるしか……。
しかし、大精霊の力を借りても、魔生物を倒せるとは限らない。
むしろ、仲間を巻き込んで、無駄な犠牲を出してしまう恐れすらある。
そもそも、魔生物が短期間に2体も出現することは考えられない。本当にどうしたらいいんだ……?
こんなことは、悩むだけ無駄だと分かっていた。
僕は、たまたま大精霊を与えられただけの凡人だ。
そんな僕が、英雄的な活躍をして、宿を救うだなんて……。




