借り物競争
ふと、彼女のことが頭をよぎった。
時たま、彼女のことを思い出すのだ。僕はその度に後悔する。ああしておけばよかったと。
きっと僕は忘れない。いや、僕は忘れたいのに忘れられないのだ。それはいつまでも未練として僕の心に穴をあける。
逃げてはダメだ。
未練を断ち切るにはきっと、目を背けてはダメなんだ。
だから今日、君に伝えるよ。
――――――君は覚えているだろうか。
あちぃなぁ。
首筋をしたたる汗を体操服でぬぐう。
今日は、体育祭準備係としていろいろな仕事をしている。別にやる気があるわけではない。ただ、係の後輩たちが頑張っているから、先輩として、何もしないわけにはいけない。プライドというか、負けず嫌いの範疇だ。
さて、今からする仕事の確認をするか。
テントに糸でつるされている準備係用につくられた冊子をぺらぺらめくった。
えーっと、この競技は、僕らと同級生の女子だけの競技であって、借り物競争みたいな感じか。なになに、取った札をマイクで知らせる…って、わざわざ言わなきゃならんのか。あーでも確かに公開したほうが、優しい人なら借り物を持ってきてくれるだろうなー。んで、肝心の僕らの仕事はー…この札たちを競技の度においておけばいいんだな。まあ簡単な仕事だ。
競技がスタートし、作業は順調に進んだ。もちろん、今までの札は見てはいない。
いよいよこの競技も最後の組だ。そこで、一緒に作業していた友達が、「最後だから札見てみようぜー。」とか言ってきた。
「見ても面白くねーだろ。」
僕は興味なさそうにそいつを見る。
「いやいや~、噂だと、一枚面白いのが入ってるらしくてね。」
「どんなやつだ?」
少し興味がわいた僕は友達の顔を見る。するとそいつはふふんと得意げな顔をしながらこう告げる。
「俺ら三年生のなかで好きな男子は誰か……っていうね」
「はー……書いたやつバカだろ。これってだれが書いたんだっけ?」
さっそく、その馬鹿な奴が知りたくなった。
「ん~誰でしょうね。……っていうかそんなのどうでもいいでしょ! ちゃっちゃと見るぞ。」
うむ、あまりこういうのは良くない・・・…。
しかし、その時の僕は少し気になってしまっていたのだ。
そこには確かに、おかしいカードが一枚あった。
『三年男子で一番カッコいいと思う人』
僕には関係ないかと思いつつ、誰が引くのかと次の組のメンバーを見てみる。
……?!
なんてことだ。
そのメンバー五人の中には、美少女が三人。それはそう、あいつらは皆背がちっこいから。
そしてなんと、その美少女の中には俺の今、気になる子もいた。
僕は、札を見てしまった罪悪感を抱きながらも、その気になる人が選ぶ人は誰だろうとドキドキしてしまっていた。
嘘だろ……。なんでこのメンバーなんだ?!
僕の気になる人が誰かを知っているからだろう、隣にいる友達はにやにやしていた。
バン。最後の組がピストルと共にスタートした。
僕はただただ祈っていた。どうか、どうか、美少女たちはこの札を引きませんように、特に気になる人は……。いや、この際、気になる人のカッコいい人が誰なのか気になる。うぅ……気になる。でも、僕が選ばれるはずがない……。
って、はやっ!!
僕の気になる子は運動神経が良く、足が速い。一番に札のところまでたどり着いた。
僕は複雑な心境で、問題の札を凝視していた。
ふー…違うのをとったか。
僕はもう安堵に浸っていた。
これでいい。その子が引いて、僕が選ばれなかったら、きっと悩むだろうから。
そのあとは、残りの4人が札を取りに来ていた。
もう大丈夫だ。終わった終わった……。
いや違う。目をそらすな。一つ、心残りが……。昔好きだった子が美少女のもう一人だ。
くぅ……昔の話だから、もう吹っ切れたはずなのに、まだ気になっていたのか、僕はぁ!!
その子が、『札』をとった。
顔はいつもと変わらず、無表情だ。あいも変わらず冷静沈着という言葉が似合う。あんな札を見ても取り乱さないとは・・・・・・。
僕はもう一度こう思った。この札を作ったやつはバカだろうと。あの子が選べなかったらどうするんだ? あの子は真面目だから、気楽に男子を選べないかもしれない。
そうすれば、ただただ、その子が恥ずかしいだけだ。ずっと選べず、一人ゴールできずに運動場で立ち尽くす。そんな最悪の映像が頭をよぎる。
横の友達も、こればかりはすごく心配そうだった。
彼女がマイクの前に立つ。
淡々と読み上げる。会場がざわめいている気がいた。なんだこの公開処刑は。
彼女がこちら側に駆けてくるのを見て、あぁ、誰か当てがあるのかと一安心した。
ん……? なんかもう、僕らに向かってね?
彼女が僕らの前で立ち止まる直前に、僕はとっさに彼女から顔を背ける。
何で顔を背けてんだ僕は。
しかし、なんだ? 僕らにこのふざけた札の文句を言いにきたのか? それとも、まさか・・・・・・?
彼女はこう言う。
「一緒にきてくれへん?」
恥ずかしさを感じさせない、芯のある声だった。
走ってきた彼女の乱れた呼吸が聞こえる。
顔は見えない。いや、見られない。だから、彼女がどんな顔しているのか分からない。僕はどうすればいいのか分からなくなった。
とっさに僕は友達にこう言う。
「お前、行ってやれよ」
そうだよ、こいつに来たのかもしれない。だって顔、見てないから・・・・・・どっちに言ったのか分からないし……さ……。
「お前……。」
友達のおそらくあきれた声を聴き、理解した。
あぁ、やっぱ俺にか……。
「お願い……。」
彼女がもう一度お願いする。申し訳なさそうに、しかし声は先ほど同様、いつものおしとやかなそれではない。
「ああああああああああああああ!!!!」
僕は、嬉しさを精いっぱい隠し、しょうがねぇなぁ!といった感じで立ち上がった。
「1位とらねぇとな」とか言えればかっこよかったんだろうなぁ。
彼女と手をつないで駆けた。
このままゴール・・・・・・って、この後、飴をすくわないといけないのか。
僕はドキドキしながら、彼女が飴をとるのを待つ。
飴くい競争って今までやったことないし、近くで見るのは新鮮だなぁ、なんで粉? というか、液体?! 沸騰してんの?! なんて余所事を考えてしまう。
彼女が飴をとり終わった。
取り終わるや否や走り出した彼女が、僕がいることを思い出したのか、粉で前が見えないのか、一瞬きょろきょろとした。
僕を見つけると、手を伸ばす。その手をとる。
ふぉ、ついさっきつないだフォークダンスの時とは違う。
彼女と風をきり、ゴールテープを切った。
ゴールテープなんて、足が遅い僕には縁のないものだ。
そいつを切るのは、なんて気持ちがいいんだろうか。
ゴールして彼女は真っ先に、「ありがとう」と言ってくれた。
俺はなんて返したか覚えてない。曖昧な返事だっただろうな。恥ずかしさでそれどころじゃなかった。
勘違いするな。きっと誰でも良かったんだ。仮の人――――――仮者だったんだろうよ。
そう言い聞かせ、僕は目を背け続けた。
――――――だけどそれも、今日で終わり。