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第三章 ① ―相高渡織という人物について―

 地上に落下した際に渡織が感じたものは、苦しみやのたうち回るような激痛ではない。未だに自分自身でさえ理解のできない力を使ったせいか、激しい眩暈と吐き気がした。

 鹿男達のいなくなった渡り廊下を不安定な足場でも歩くようによろよろと進む渡織。やっと見えてきたのは、外来受付の窓口が目印の事務室。自分の視界も赤く黒い色に変わっているが、ぬかるんだ地面や血の赤色は間違いなくここにいた人間達のものだろう。

 首のない死体に躓き、地面に転がる。それでも、そこで初めての安息を覚えた。

 体を横にしても、少なくともすぐに命が狙われる心配のない。理解を超えた能力を無意識に使用した渡織は、とりあえずの安心の中で意識が落ちていっていることに気づく。


 (まずい――)


 そう思ったが、重たいぬかるみが精神を逃すことはなく、そのまま暗闇に落ちて行く。

 足腰から力が抜け、手にも力が入らない。そのまま、抗う力すら出ないままに意識は完全に闇の中に落ちた。



                  ※

 

 ――これは、相高渡織の過去である。


 子供の頃の相高渡織は、真面目で大人しい少年だった。

 家に帰れば真っ先に宿題をし、母親の用意した食事の用意片付けを無意識に手伝うことができ、学校でできないことがあれば、周りに話を聞き上達するための努力をする。――そんな、できすぎた子だった。

 彼にとっての日常は、彼の愛したものによって壊されることを、その時の彼は知らなかった。


 「この世界を滅ぼすことこそが、この世界の救済となる」


 両親はよくそんなことを口にしていた。

 よく意味の分からない渡織は、両親はとにかく世界を平和にするために頑張っているのだと思っていた。

 事実、両親は積極的にボランティアを行い、買い物をした際もレジの横に募金箱があれば必ず募金をする。日によっては、万札を募金箱に中に入れることもあった。

 立派な両親だ。その時の渡織は、自分の両親を誇りのように思っていた。加えて、他の友人の両親よりも自分の両親が素直に凄いと考えていた。

 それは幼い日の過ち。


 「どうして……」


 次の瞬間、渡織は血の中にいた。

 頬にこびりつくは血液、壁中には誰のものか分からない血の壁紙、見慣れた家は全く知らない空間に変わっていた。

 時刻は四時過ぎ。友達にサッカーに誘われたが、宿題が今日は多く出たからと家に帰った。扉に手をかけてみれば、両親がいつもより早く帰っているようで鍵が開いている。何か、おやつを買ってきているのかもしれない。そんな楽しげな気持ちで、家に上がった。――そしたら、別世界に変貌していた。


 「へ……?」


 足元に何か痙攣をする塊が触れる。それは見覚えのある。何かスープに入る食材の一種のような、物体。何かイキモノの――肉。


 「おえぇっ!」


 その場で嘔吐すれば、両足の膝をつき、腹の中の物を全て吐き散らす。

 状況が理解できない。この血は何だ、どうして、人が自分の家で死んでいるんだ。どうして、どうして、どうして、どうして!?

 たくさんの疑問、そんな中、子供心に忘れかけていた大切な存在が浮かぶ。


 「お母さん……お父さん……」


 両親がどこかにいるはずだ。こんな肉の塊が愛した彼らのはずがない。

 壁に手をつき、這いつくばり、高熱が出た時のような眩暈の中、食事をするはずの居間で二人が血まみれになりながらお茶を口にしていた。


 「やあ、おかえり。渡織」


 「おかえりなさい、渡織」


 当たり前のように二人は、渡織に笑顔を向けた。

 二人を見た瞬間、何故か腰が抜けた。安心をしたからではない。二人の笑顔に、恐怖を感じたからだ。


 「これ……なに……?」


 息子が小便を漏らし、ガタガタと震えていることに何故か驚きの表情を見せる両親。しばらくして、二人は顔を見合わせると、何が納得したのか「ああ」と二人で口にする。

 父親が席から立ち上がる。


 「怖がらないでいいよ、渡織。これは世界を救うための準備なんだ」


 「せかい? じゅんび?」


 「僕達がしているのは、一見すると悪いことかもしれない。でも、違うのさ。たくさんの人達をこの空間で神様に返すことで、世界はこんなに綺麗になったんだよて神様に教えてあげる準備をしているんだ」


 渡織は、自分の父が何を言っているのか理解できず、首を横に振る。

 父親の言葉を補うように、気がつけば母親も横に立っていた。


 「そうよ、ここにいる人達はみんなお母さんとお父さんと仲良しの人ばかりなの。そんな愛しい彼らを、先に地上から解放し、滅びという祝福を送るの。……それが、私達の望む滅亡の形」


 ビー玉のような目で渡織を見つめる母親。怯え恐れきった渡織の姿など見えないかのように、顔をぐぅと近づけて息子の顔を見つめる。

 その時に見つめる両親の顔は、渡織の知っている二人のものじゃない。二人の目には、自分じゃない何か別のものを見ているんだと思わせた。

 ここにいていはいけない、早く逃げなければ、そう思い、足を動かそうと思うが力が入らない。いつもの家族のはずが、いつもの家族じゃない。このまま、この二人と一緒にいてはいけない。頼りにするはずの両親が、今はどんな存在よりも恐怖に思えた。しかし、体が言うことをきいてくれない。あまりにも眼前に立つ恐怖が大き過ぎて、体に力が入らないのだ。


 「ボクを……どうするの……?」


 何でそんな言葉が出たか分からない。しかし、気が付けば、そう口にしていた。両親が自分をどうするかなんて、あるわけがない。そのはずなのだ。……そのはずなのに。

 父親は一度、母親と視線を交錯させれば、渡織にニッコリと笑いかけた。


 「渡織も愛しているから、天に返すのさ」


 耳に入った父の言葉がゆっくりと頭に入ってくる。


 (てんにかえす……テンニカエス……!)


 弱りきっていた足に再び力が入る。家の外に出ればよかったはずだった、しかし、気が付けば両親を押しのけて台所の方に駆け出していた。我が家に勝手口なんかはない、台所に行ったからといって出口があるわけではない。そこは、ただの行き止まりだ。

 台所の脇にも見覚えのあるおじさんが倒れていた。手に箸を持っているところを見れば、毒殺なのかもしれない。しかし、その顔は死の間際の苦痛で激しく歪んでいた。なによりも絶望的に感じた光景がもう一つある。そのおじさんは、守るように腕の中で血だらけの一人の少女を抱きしめていた。

 辛い現実から逃れることなんてできないと知りつつ、蛇口の横の包丁に目が行く。愛するべき人達から己を守るために、その包丁を手に取った。


 「それで、どうする気なんだい? 渡織」


 焦ることもなく追いついた全身に返り血を浴びた両親は、柔らかな笑みと共に現れる。


 「やめて、こないでっ」


 こんなものが抵抗になるのか分からない、それでも渡織は包丁の刃先を向ける。


 「ワガママを言わないでくれ。全ての魂を神様に返した後に、僕達が渡織に会いに行くからさ。そこでまた一緒に家族で暮らそう」


 優しく笑う父はよく知った人のもの。つまり、ずっと昔から父は自分を殺そうとしていた。実の息子である渡織が気が付かないほどに、父親の殺意は純粋に研ぎ澄まされていたのだ。


 「ボクはいやだよ! もとのお父さんとお母さんに戻ってよっ!」


 渡織は涙ながらに訴える。平穏を返してほしい、と。


 「大丈夫、こわくないよ。ほら、そのおいで」


 笑いかける父と母、二人は渡織に歩み寄る。

 

 「ボクを殺すんだよね!? じゃあ、近づかないで!」


 「馬鹿を言うな、殺すわけないだろ」


 目の前に立った父親は、目を線のように細くしながら、渡織の心に語りかけるように言う。最も信頼していた人の言葉に、渡織は握っていた包丁を床に落とした。


 「お父さん……。――ぐぅ!?」


 父親はそのままの表情で渡織の首に両手を伸ばして、押し倒されたと気づいた時には、首を力強く締めつけられていた。突然の出来事に混乱する渡織。

 自分を殺さないと言ったのに、なんで!?

 強く目で助けを求める渡織。その目を真っ向から見返した父親は、また渡織の心を抉る。


 「愛しい渡織を、天に返すのさ。苦しいのは、ちょっとの時間だけ」


 苦しくてきつくて声が出ない。視界も暗くなっていく。

 視界の隅では、まるで親子で遊んでいる姿でも見るように母親が笑っていた。夕食をお代わりした時に見せるような、優しげな笑顔で。


 生きたい、生きたい、生きたい、死にたくない。

 溢れんばかりの気持ちが命を求める。ここに生き続けることを渇望する自分がいる。そう、だからこそ、先程落とした包丁を捜し求める。――ようやく、手にした。

 首を締め付けていた力が緩んだ。


 「と……おり……」

 

 よろよろと離れていく父親の首には、深々と渡織の握っていた包丁が突き刺さっていた。


 「てんに……てんに……。これが、僕の滅亡なんだ……」


 息子への言葉も愛した妻への告白もなく、赤い部屋をさらに赤く染めて地面に倒れこんだ。血の中に沈む父親を見て、次は母親を見た。しばらくの間、母親は呆然とその光景を見つめていた。そうして、自分のやるべきことに気づいたかのように、両手を広げた。


 「おいで、渡織」


 この人達は、ここで止めなければいけない。

 それをしてしまえば、二度と元の世界にも自分にも戻ってこれないと知りながら、か細い自分の腕を少年は母親の首に伸ばした。


 「これが、滅亡なの……?」


 母親は優しく笑いかけた。


 「そうよ、これが”私達の滅亡”」


 渡織は短い静寂の後、その手に力を込めた。



                  ※



 二人の死から数分後に飛び込んできた警察によって、たくさんの今までに聞いたことのない二人の素顔を知る。

 両親は”デルタ”と呼ばれるテロ組織のロリストの一人であり、そしてそのグループのリーダーでもあった。最初は、テロ組織などではなく、奉仕の精神を掲げた宗教組織だった。しかし、それがどういうわけか、銃を手に取り爆薬を作るようになる。

 近々、大々的なテロ行為を行う予定だったデルタをずっと見張っていた警察は、リーダーである渡織の両親の異変に気づき飛び込んだ時には後の祭りだった。そして、渡織の悲劇により二人の滅亡計画は失敗に終わる。そのまま芋づる式に、犯罪を企てていた人間達も逮捕されたのだ。それにより、デルタは終わりを迎える。

 

 ――人を天に返すことが、幸福であり、世界を救済する。


 デルタの人間達は、そんな言葉を掲げて行動していた。どういう言葉にしようが、常軌を逸したカルト集団だった。

 滅亡という言葉を救済に変えた両親は、全てを滅ぼし尽くすことで世界を救い尽くそうとしたのだ。

 

 両親を殺したことが正当防衛と認められ、一ヶ月ほどマスコミに追われる以外は世界は平常運転を行おうとしていた。しかし、親戚が一人もいなくなった渡織には行く当てもない。それが自然の流れのように児童施設に住むようになるが、すぐにトラブルが起こり、転々と施設をたらい回しにされた。

 それを苦しいと思うことはない。それ以上に、苦しい経験をした渡織の心はいつも空っぽだった。


 あれからしばらく経ち、中学生になる。

 その頃になって、やっと気持ちが落ち着いてきた。そこで、ようやく彼は考えるようになる――両親の目指した滅亡とはなんだ。

 滅亡はただの破壊だ。そうとしか渡織は思えない。しかし、あれだけ優しくあれだけ愛に溢れた両親を、ただのテロリストで終わらせたくないとも思った。

 

 じゃあ、どうすればい。どうしたら、二人を救済できる。

 

 ――これが、僕の滅亡なんだ。


 死の間際の父の言葉が頭を過ぎった。

 あの時の父は、確かに自分の滅びを喜んでいた。

 滅亡とは人に幸福を与えるものなのか、だから、父は最期に笑って逝ったのか。

 分からない、分からない。だが、これは大事な答えの一つになる。

 今の俺には何もない。何もないからこそ、滅亡ということを考えれば考えるほどに満たされていくような気がする。

 そうか、これが、俺のするべきことなんだ。


 滅亡の意味はまだ分からない。しかし、探し求めようと思った。

 滅亡の仕方は分からない、だって自分は空っぽなんだ。

 それでも、滅亡を求めることはできる。誰もが幸福になる形で、最高のハッピーエンドである滅亡に手を伸ばし続けることもできるはずだ。

 滅亡が幸福であると世界が気づくようにすればいいのだ。

 あの日、愛した者を手にかけた。その愛した者達を、愛し続けるための、唯一つの方法を見つける。


 ――俺の方法で世界を滅亡させる。


 滅亡という概念を壊すために、滅亡による救済を行うために。

 全てを救う滅亡を。大切な人を愛し続ける、守り続ける滅亡を。

 他者のために滅亡を求め続ける道を、渡織は選んだ。

 壊さず、傷つけず、悲しませない。そんな、幸福よりも難しい、より良い滅亡を探し求める道を。



              ※



 「くぅ……」


 体を起こせば、血まみれの事務室。ぬかるんだ手に地面をつけば、既に血が固まりつつあることに気づく。

 どうやら、自分は寝ていたようだ。

 今更ながら、自分の神経の太さに感心しつつ、顔を上げれば、時刻は夜の六時前。


 「警察も救急車も、この時間まで無しか……。こりゃ、この町もいよいよ終わりだな……」


 まるで他人事のように言えば、ある異変に気づく。事務室の扉の前に、黒い大きな塊がいる。いや、それには見覚えがある。――例の狼男だ。


 「そこで、何をしている?」


 力の制御方法も分からないが、とにかく臨戦態勢をとる渡織。常人ならば、見られただけで息の根を止めてしまいそうな狼男の鋭い眼光が射抜く。


 「お前は、アルファオメガを知っているか」


 その問いかけに、上手く返すことなんてできない渡織は眉間に皺を寄せた。

 

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