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第二章 ④ ー変化ー

 そこにいる何よりも濃い、そこで生きている誰よりも温かい血の池。

 できたばかりの血溜まりと反対に冷たい慧の体は、氷のように冷たい。半開きになっていたので、渡織は自分の手で瞼を落としてあげた。

 黙り呆けたように小さく口を開ける渡織は、ずっと慧の顔を眺めていた。それを見た覇照は、突然大きな声を上げた。


 「はあ!?」


 その顔には、純然たる怒りがあった。大股でずかずかと背を向ける渡織の後ろに立った覇照はその曲がった背中に足を乗せて踏みつける。


 「何か言い返せ、それで黙るな。私の世界を壊すのだろう。私を殺すんじゃなかったのか!? そのはずだろ、それなのに何だその姿は……! おかしいだろう、それがお前の姿か! 破滅の中に破壊があるのは当たり前だ。お前もそれに気づいているはずだ、違うか! おい、何とか言ってみろ!?」


 「おい」そう言いながら、覇照は渡織の背中を蹴りつけた。


 「何をしている。邪魔な女を私が排除したのだ。そこで、何をしている。いつでも駒にして利用するつもりだったんだろう。そのはずなのに、お前はそこで何をしているのかと聞いているんだ!」


 二回、三回と蹴りつけられる渡織。少しずつ強さは増していき、一回蹴るたびに渡織の体は斜めに傾いていく。


 「まさか、ここにきて善悪や死生観について語るのか!? 馬鹿馬鹿しい! 私達の次元は、そんなものじゃないはずだろう! 言葉で受け答えできる価値観で語れると思うのか!? 早く、そんなものを手放せ渡織!!!」


 それでも、渡織はじっと黙って言葉を口にすることはない。

 ただ流れ出る赤黒い血が流れ終わるまでは、こうしていたと思っていた。そうして、肉片の混ざる血液が止まる。完全に停止した、町屋慧という人間の生命反応は。


 「……もういい、狼男。奴を壊せ」


 背を向けて歩き出す覇照。立ち位置を代わるように、狼男は歩き出す。

 覇照の背中は渡織へと振り返りはしない、既に彼女には興味はなく、既に制圧したこの街のさらに先を考えていた。

 狼男は、渡織の前に立つ。背中を向けたその姿は、先ほどまでの強さは感じられず、ただただ無力な人間の姿をしていた。

 狼男は爪を構えた。


 「覇照様は、お前のような奴のどこに興味を惹かれたのか分からんな」


 一本の爪が刀のように鋭く、子供の腕のように太い。湾曲したその刃は、渡織の首を切り落とすことに時間を割くことはない。


 「床のシミにでもなれ」


 狼男の五本の刃は、ただ渡織の命を断ち切るためだけに振り落とされる――はずだた。


 ――バリバリッ。

 木の板を削りながら掻き毟るような音が響いた。

 離れて行こうとした覇照は、背を向けたままでその足を止めた。

 狼男はその衝撃に毛を逆立てた。


 「なに……」


 狼男の淡々とした口調に驚愕が交じる。しかし、それと同時に狼男はその光景に見覚えがあった。

 振り下ろしたはずの狼男の爪は、渡織の喉元数センチ手前で停止し、代わりに宙に出現した壁に防がれている。そこから力を入れようと狼男がその爪を前に押し出そうとすれば、それを遮るようにバリバリと音を立てる。宙に浮いたギラギラと輝く鱗のようなものが何重にもなり、その爪の一刺しを守っていた。


 「おい」


 ここで初めて渡織は口を開いた。

 狼男は動物的な直感で、手を引きそこから大きく後退する。

 渡折は慧の遺体を、そっとその場に寝かせた。しばらく、慧の顔を見つめていたが、渡織は顔を狼男へと向けた。

 

 「触るな」


 狼男は今までに感じたことのない悪寒を覚えていた。

 目の前の少年の目は、覇照と相対するように青く輝き、その表情には堂々とした強さを思わせる。つい数秒前までは、少年にとっての自分は肉を貪るだけの肉食獣だったはずだ。その立ち位置がいつの間にか入れ替わっている。

 狼男は自分の爪に目を向ける。確かに、先程まで爪を突き立てていた生物は弱く脆い存在だったはずだ。しかし、今目の前の少年は、そういう力の前に押し潰されるような弱さは感じさせない。言ってしまえば、得体の知れないバケモノ。――覇照と同じ存在バケモノ

 空気が緊張を増していくのを狼男は肌で感じていた。覇照は腰に手を当てて、にんまりと笑う。


 「やっぱり、君も”適合者”の素質があったんだ……」


 嬉しそうに言う覇照の目は赤く輝き、先ほどと同じ臨戦態勢。その浮かぶ笑顔は、目の前の彼が手にした力が自分のものと同質だという喜び。

 果たして彼はどこまで、それを使いこなせるか。

 想像してみるが、それは非情に嬉しいことでしかない。


 「拍手ッ!」


 覇照が空を仰ぐように両手を広げれば、鹿男達は先程の拍手よりも大きな音を立てて手を叩き鳴らす。

 鼓膜を直接叩かれるほどの拍手の雨の中、渡織は前方で同じく拍手の雨を浴びる覇照を見据えた。

 

 「うるせえんだよ、クソ女」


 たくさんの音の中、覇照の耳には渡織の声が確かに届いた。


 「……やるかい?」


 試すような言い方、相手の行動を全て把握するような目の動き。渡織は、今この状況で最良を探す。今の自分なら、いくつか方法を選ぶことができる。自分にも未だに実感の沸かないチカラ、逃げるだけなら逃げ延びることができるという絶対的な余裕、そして……慧という足枷が解けたという状況の変化。

 渡織は、右手を右ポケットに突っ込めば、三枚のガラス片を握る。


 「覇照、俺は変わらない。お前の滅亡は俺が止める」


 「ああ、楽しみにしとくよ」

 

 腹の中を掻き毟られるようなおぞましい覇照の笑顔に頭の中のスイッチが押される。右手をポケットから出すと同時に、指の間に挟んだガラス片を覇照へ向かって投げる。

 狙いは正確で、その速さはまともな人間が指や腕の力で出せるものではない。文字通り、空間を裂くようなスピードで迫る三つのガラス片は覇照の首元へ一直線へ伸びていく。

 渡織の行動を読んでいた覇照の前に飛び込んできたのは一匹の鹿男。覇照の代わりにそのガラス片を受ければ、「ぐごぉ!」と低いのか高いのか分からない悲鳴を上げて、胸元にガラス片の直撃を受ける。

 目と鼻から血を垂れ流しながら、鹿男は悶えるように胸を掻き毟るがガラス片は、それで勢いを止めることなく、その背中を貫通し覇照へと向かう。


 ――キィン。

 悶え苦しむ鹿男の背後から、金属と金属をぶつけ合わせるような音が響く。

 目元に飛び込んできた一片を覇照は微細な動きで回避し、額に向かってきた一片は当たりはするが砕け散り、一片は頬に触れれば下方向に向きを変えて地面に突き刺さった。


 「渡織ぃ」


 嬉しそうに渡織の名前を呼ぶ覇照を横目に、外の薄暗く広がる雲を映し出す窓へと走り出す。高さ的に、ここは三階。まともな人間なら間違いなく死ぬだろう。死なないとしても、体は使いものにならないはずだ。しかし、それは渡織がまともという言葉が通じるレベルの正常な人間だった場合の話だ。

 窓は全て鍵が閉まっていた。そんなの、今の渡織には関係ないことだ。


 「お返しだ、渡織」


 覇照がボソッと呟けば、ただ虚空を見ていただけの鹿男達の目は渡織を捉える。


 「「「「「しかせんべい」」」」」


 その瞬間、何十という衝撃が渡織を襲う。しかし、その痛みや衝撃の身代わりになるように渡織の周囲で淡い輝きの見えない壁が音を立てて割れる。

 ――バリバリバリッ。

 狼男からも守った音が、見えない壁が、再び渡織の肉体を”しかせんべい”の攻撃から守る。

 完全に防ぐことはできないのか、渡織は全身は時折体をふらつかせながら窓に向かって飛び込んでいく。


 「――渡織ッ!」


 窓の割れる激しい音を耳に、渡織はそのまま地上へと落ちて行く。地面に引かれるような感覚の中、渡織は小さな声で呟いた。


 「待ってろ、必ず戻って来る」


 考えていた通り、窓の外に飛び込むと、ここが三階だということが分かる。こんなところから飛び込むなんて初めてで、どらぐらいのスピードで落ちるか分からない。だが、今の自分は例え戦車に踏み潰されても死ぬことはないだろう。と、渡織は自信を持っていた。

 渡織は迫り来る地面を見ながら考えていた――。


 (どんどん、どんどん……地面が近づいてくるな。俺、このまま落ちて行くんだよな……。あっ)


 気が付けば、眼前に地面があった。


 (――ほら、もう落ちた)


 ――バリバリ。

 そんな音を立てながら、痛みのない渡織は地面に体を打ちつけた。

 

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