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第二章 ③ ー変わる何かー

 「……お前、何をした」


 渡織は驚きで声を漏らした。本来ならば、ガラス片が覇照の首に深々と突き刺さり、大量の鮮血でも浴びるはずの状況だった。しかし、完全に生命活動を絶つための刃は、覇照の首をコーティングしたように何か硬いウロコのようなものによって防がれている。

 慧は覇照の命が絶たれる死の光景を直視することができなかったのか、未だに両手で顔を覆っていた。そして、異変を感じたのか、その両手を外して目の前の光景を見れば目を大きく見開いた。


 「何これ……。どういうこと……」


 笑いを我慢できなくなった覇照の肩がおかしそうに揺れる。


 「さあ、ここからがはじまりだ」


 覇照の目が一瞬にして、宝石に光を当てたような眩い赤い目に変わる。


 「しまっ――!」


 嫌な予感を感じ、渡織は覇照から離れるために両腕を離して開放しようとする。しかし、逃げられるはずの本人が、それを望んでいない。

 覇照は離れようとする渡織の片腕を掴んだ。


 「せっかく掴まえたんだ。……焦るなよっ」


 覇照の声を耳に、渡織の体が浮き上がる。そして、速度を落とすこともなく、渡織の体は前方の黒板に突き刺さるように叩きつけられた。

 あまりの痛みに、一瞬呼吸が止まる。渡織は、ズキズキと痛む胸元を押さえつつ、すぐさま体を起こす。


 「くぅ……。また、か……!?」


 覇照は片手で渡織を投げ飛ばしたのだ。自分よりも体重の重い人間を、ああも簡単に持ち上げられるような女子生徒は知らない。格闘技とかそういうのを超えた力が作用したとしか思えないのだ。見下すように立つ覇照を渡織は睨みつける。しかし、どれだけ睨もうとも覇照の優位は変わらない。


 「うん? それは、私の首が君の刃物を通さなかったことか。それとも、私が簡単に君を投げ飛ばしたことなのか。それは、一体どっちなんだ」


 どちらにしても、異常な状況だった。

 覇照が鹿男や狼男を操っているところは、まだ状況を理解すれば納得はできる。しかし、これではまるで――。


 「まるで、バケモノを見るような顔じゃないか。鹿男を見た時も、驚かなかった君が」


 胸の内を見つめられた気がして、渡織は覇照のギラついた赤い目におぞましいものを感じた。

 渡織もバケモノのような人間がいることは知っている。

 過去に歴史を積み重ねてきた人物達は、いずれも脚色がされてきたとはいえ、人を超越した部分を少なからず持っていた。しかし、目の前の人物は、正真正銘の人間ではない。

 人の形をしているが、全く別のイキモノへと変わっていた。

 半歩後ずさりながら、自分と慧の距離、そして出口をチラリと僅かな時間で確認する。慧は驚きはしているものの、なんとなく渡織がどうしたいか分かっているようで、頻繁に教室の出口を見ている。既に彼女の動きが脱出経路を教えているようなものだった。だが、それでも道はあそこしかない。

 わざとらしく大きな音を立てて、覇照は一歩を踏み出した。


 「さあ、これからどうするのか教えくれ。君が望むなら、ここで決着を着けても構わない。もちろん、それは私達にとっては聖戦になるのだから、鹿男達にも狼男にも手は出させないさ」


 ほら、かかってきてなさい。と両手を広げる覇照。

 一度、命の危険を感じたことのある渡織は、今の覇照が周囲にいるシグマなんかよりも強打な存在に見える。

 挑戦する前から分かっていた。今の渡織では奴に、勝てるわけがない。


 「……くそっ」


 悔しげに顔を歪める渡織。じりじりと接近してくる覇照の顔に浮かんだ笑みは、獲物を追い詰めた肉食獣のそれだ。

 全方位見渡す限りの殺戮兵器と呼べる鹿男達。そして、ただじっと主の行動を観察している狼男。さらに、前方から迫るのは、彼ら異常の超能力を持つと思われる覇照。

 今の自分が頼りにできる物といえば、ポケットに押し込められたガラス片だけ。

 最悪の未来が思い浮かんだその時――。 


 「――やめて!」


 存在すら忘れそうになっていた慧が割り込むように飛び込んできた。

 覇照は、足元に転がったゴミでも見るように慧を見た。


 「おい、何してるんだ……!」


 一秒後には死んでいるかもしれないこのタイミングで、この女は何をしているんだと渡織は声を荒げる。

 覇照は慧を無視して、渡織に歩み寄ろうとする。


 「ダ、ダメッ!」


 それを遮るように慧は長いとも防げるともいえない、その細い両腕を大きく広げた。腕は弱々しく震え、華奢な二本の脚は重たいものでも支えているようにガクガクと動く。

 慧の指先が覇照の肩に触れる。そこで初めて、その悪魔的な真っ赤な目が慧を眼中に捉えた。


 「そんなところで何をしている。弱く脆い、ありふれた劣等人種」


 慧の震える指が覇照の肩を弱々しく叩き続けていた。極度の緊張からか、慧の顔は青白く、おそらく僅かでも気を抜けばそのまま意識を失ってしまう状態。


 (どうして、そこまでして……)


 渡織は慧の行動を愚かだと思いつつも、理解できないその行動に目を奪われていた。


 「れ、劣等人種とか関係なくて! ……ひ、人を殺すなんて、ダメだよ。覇照ちゃん!」


 ちゃん付けで名前を呼ばれた覇照は、不快そうに眉を動かした。


 「今更、私に道徳を語るか。既に私の前に広がる生物には、そうした感情や呼吸など感じさせない障害物にしかならない。だが、分かりやすく言わせてもらおう、私にとって命なんて概念は存在しない」

 

 「そんなことはないっ! なんで、そんなことを言うの!? 命はみんな持っていて、私も渡織くんも覇照ちゃんも、みんなみんな……生きているんだよ!? 誰かの勝手な都合で、命なんて奪っちゃいけないんだよ!」


 慧なりに必死に現状と抗おうと必死になっていた。


 「テレビの中では戦争で当たり前にたくさん死んで、晩御飯を見ながらテレビが流れても、大変だなとか……いや、私は何一つ思ったことがない考えたことがない! 今、自分がこんな状況に立って、誰かに助けを求めて、渡織くんに先生に救いを求めようとしている!」


 「そんなものさ。テレビの中の娯楽に入り込んでしまっただけさ。これもある意味ファンタジーだろう?」


 からかうような覇照の口調に首を大きく横に振る。


 「違うよ! 私はバカでノロマでいじめられて……。それでも、人の命を娯楽にしようと思ったことなんてない! 今……覇照ちゃんは生きているんでしょう!? なんで、なんで……同じ命をそんな簡単に壊すことができるの!? 殺すことができるの!? みんな、違うけど……みんな一緒なんだよ!!!」



 泣きながら鼻水を垂らしながら喚く慧の顔は酷いものだったが、今ここにいる誰よりも人間らしいと渡織は思えた。この短時間で、慧は大きく成長をしていた。他の誰よりも、自分を変えようとしていた。

 覇照は慧の手首をぎゅっと握った。慧は自分が受け入れてもらえたのだと、嬉しそうに笑顔を見せた。しかし、渡織から見た覇照の顔は相変わらずの表情で、慧のことなんて見てはいなかった。だから、気づいた。


 「やめろ……!」


 気が付けば、渡織は駆け出していた。前方の二人へと。


 「なあ、町屋慧。君は嬉しい誤算だったよ、こんな風に私に死生観を語れる人間が同世代にいて嬉しいよ」


 「は、覇照さん……。ぅ……い、痛いよっ。ね、ねえ……」


 ギリギリと音が聞こえる。覇照は己の握力で骨を直接締め付けている、このまま行けば――。


 「よせえぇ! 覇照ッ――!」


 ――その時、覇照は「こいつ何を言っているんだ」と渡織を見た。

 失言だと思った。渡織が発した言葉は、きっと魔王の押してはいけないスイッチになる。足元に転がる石、それか見ることもできないフン程度の存在だった物体が障害を飛び越し脅威になる瞬間。

 そうして、覇照は何かに納得したように「あぁ」と言えば。


 「そうか、君が――」


 「――やめっ……いたぁ……あぁ! 覇照さんん……うぁ! や……あぁ……いやあぁぁぁぁ――!!!」


 渡織の全身をもの凄い憩いで生温い液体が濡らした。

 血が天井まで上がった。高く高く昇ったそれは、慧の悲鳴を形にしているようだった。

 

 「――邪魔だったのか」


 覇照が顔や髪の色が元から赤だったのかと思うほどに血まみれになりながら、呟いた。そのすぐ後、慧の体が横に傾いたかと思えば、そのまま血の池の中に倒れこんだ。 


 「お、おい……」


 渡織の気づけば動いていたはずの足は、気が付けば止まっていた。

 先程まで両腕を広げていたはずの慧のバランスがおかしい。本当なら、反射で両手をついて倒れるところだった。そのはずだった。しかし、今の慧の左腕は存在しない。――覇照に左腕を引きちぎられたのだ。


 「……町屋! 町屋慧!」


 普段の渡織なら駆け寄ることはない。しかし、今の彼にはその冷静さなどなく、覇照の足元に転がる慧のところへと向かった。

 ひゅーひゅーと、弱々しく呼吸をする慧の姿を見て渡織は激しく呼吸を乱す。

 はっはっはっ、と激しく息を吐く渡織。

 ひゅーひゅーと、空気の詰まった浮き輪が漏れ出すような声の慧。


 「いた……い……いたいよ……」


 「町屋!」


 やっと喋っている慧は、辛うじてその瞼を薄く開ける。そこには、今まで見たことのない顔で自分を見ている渡織。

 うろたえる渡織を見て覇照は、棒のように持っていた腕を無造作に鹿男達の足元へ放り捨てた。


 「どうだい? これでやっとどっちつかずな君も、本当の意味で壊れてくれるようになったよね。彼女が君の最後の足枷だったようだ。この私に、感謝し――」


 「――黙っとけよッ!」


 今まで聞いたことないほどの激しい剣幕を見せる渡織。

 それが喜ばしいことのように、覇照は自分だけのための微笑を浮かべた。笑っているのは覇照だけではない、何故か顔の半分を血で染めた慧も小さく笑っていた。


 慧は嬉しいと思っていた。

 渡織が自分の名前を呼んで心配してくれている。彼が自分のために、苦しそうにしている。今なら、自分の気持ちも彼には届くかもしれない。そんな未来もうっすらと考えてしまう。ただ、残念なのは、自分なりに時間稼ぎのつもりだったものが、彼の優しさの前で仇になってしまったのだ。

 もういい、もういい、そう強く思いながら、もう一つだけ、可能性にかけたワガママを口にする。


 「私の……鞄……」


 小さな声で何かを言おうとする慧の口元に耳を寄せる渡織。

 耳にかかる吐息は弱く、血の匂いの中に慧という少女の甘い香りも混ざっているような錯覚がした。


 「み……て……」


 ひゅーひゅー、と続いていた息が、少しずつ弱く、確実に弱く、そうして――。


 「よせ……! まだ、いくなっ……」


 渡織に抱き寄せられた慧は、淡い幸せの中で静かに息を引き取った。


 「おい……おい! おい!!」


 揺さぶる耳元で叫ぶ。ただ薄く笑うだけで、その体が氷のように冷たくなっていく。温もりが消えていくのを腕の中で感じていく。

 頭の中がぐちゃぐちゃと潰されるような感覚、次の展開を考えることもできなければ、今胸の中にいる少女の存在が何なのかさえ不明瞭。

 いつも求めてきた明確な答えは、ここにはない。代わりここにあるのは、生きて返すと告げた少女の亡骸。理解したくない、理解をすれば……。

 それでも、腕の中のそれは支えを失ったように重たく冷たくなる。そうして、現実を教えていく。


 「くっ……。――うああぁぁぁ!!」


 (どうしてこうなったの! どうして、こういうことになるのだ! いや、何で俺はこんなことを考えている!? 悲しいのか苦しいのか、辛いのか嫌なのか、そもそも俺はどういうつもりでいるんだ!? 何で、町屋慧を? いや、何で、どうして、こんな俺を――俺は――!)


 理解のできない感情の嵐の中、渡織は絶望と共に悲しみの悲鳴を上げた。

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