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第一章 ② ―はじまる―

 呆けたように渡織の顔を見つめる慧の視線から目を逸らす。それから慧に興味を失せたように背中を向ければ、無視でもするかのように教室から出て行こうとする。


 「ま、まってぇ……」


 「なんだ」


 足を止めて振り返る渡織。その邪魔者を見つめるような目で、慧は渡織にとっては、どうでもいい存在なんだと認識した。それでも、一応は止まってくれるのかと安心しつつ、慧は震える手を伸ばした。


 「ち、力が入らないの……」


 やれやれ、と。そんな様子で渡織は溜め息を吐く。

 慧は渡織と繋いだ手から感じる温もりに、目の前の彼も自分と同じ血の通った人間なんだとホッとした。

 手を引き上げれば、少しずつ足の感覚が戻ってきたのか足に力が通ってくるのを感じる慧。真っ直ぐな渡織の目を見返せば、大丈夫だとアイコンタクトを送る。


 「行こう。このままここにいても、どうしようもない。俺の手を握った以上は、君にも役に立ってもらうからな。俺は無駄なことはしない」


 「え、たぶん警察とか先生達が――」


 「――バカか君は。あんな鹿男が二階のこの教室まで歩いてくる間に、いくつ教室を通ったと思う? それにだ、アイツが一人だけだと限らないだろう。おそらく複数の鹿男を放つことで、奴らはこの学園を襲撃しているんだ。そうでもしないと、これだけ悲鳴が聞こえて他の教室から誰も来ないのはおかしいはずだろ」


 渡織は慧を助けたことに少しばかり後悔をしていた。

 本当なら、足手まといになりそうな女子生徒を連れて歩くのは得策ではない。それならばお望みどおり、ここで彼女の言う”センセイ”や”ケイサツ”がやってくるまで、待っていればいいのだ。

 言うことを聞いてくれる人間がいれば、利用できるかと思い助けはしたが、どうやら役に立ちそうもない。


 「ご、ごめんなさい……」


 泣きそうな顔で俯く慧。

 慧の頭の中の渡織のイメージからどんどんと遠ざかっていっていた。彼女の知っている渡織というクラスメイトはあまり目立つことはない少年だった。授業中も進んで黒板の前に立つことはないし、体育の授業でも活躍することはなく、サッカーをしていてもボールが飛んでくれば無難にパスを回す。

 慧がどうしてそこまで、渡織のことを知っているかといえば、それは理由が一つある。どこにでもいる目立たない少年だが、慧は一度だけ彼に救われたことがあった。

 それを彼は知らないし、慧は彼が知らないことも知っている。それから、慧は少しだけ彼の認識を変えた。あえて目立たないように、力を殺して生きているのではないのだろうか、と。

 未だにそこから動こうとしない慧を見て苛立ちを隠しもせずに頭を抱える渡織。


 「ここで君を置いていくことは、俺の考える滅亡ではない。まあいい……仕方ない。とりあえず、ここから出よう」


 慧は、渡織の言う”俺の考える滅亡”に疑問を持つ間もなく、慌てて背中を追う。

 頼りない足音だ、と思いつつ、教室の外へと慎重に顔を出した。そこに広がる光景は、半ば予想できたものだった。


 「きっ――っ!?」


 悲鳴を上げようとする慧の口元を、自分の手で塞ぐ渡織。手の平にかかる慧の熱く長い吐息に、彼女の悲鳴を封じたことが正解だったと自分を褒めたくもなる。

 鹿男が、隣の教室の前の廊下に居る。

 ここは二階の教室。下に降りる階段を使うためには、この教室から二つの教室を越えた中央階段へと向かわなければいけない。ここが角というわけではなく、片側にも廊下が続きそこは階段になっている。そっちの調理室や職員室のある方向へ逃げることも可能だ。しかし、あちらの方が部屋の数が多く、もしも一部屋に一匹あの鹿男が配置されているようならば、その作戦はかなり危険だ。

 

 (鹿男を殺せると分かったからには、どうにかしてアイツを倒して進むか……?)


 さて、どうしてものかと足元に散らばるガラス片を握る。これで目を潰すか、いや、音がしてしまえばすぐに振り返り、アイツの視界に入って一巻の終わりだ。


 ――!


 その時、高い女の悲鳴が響いた。まだ、生存者が自分達以外にもいるのだ。

 教室の扉から覗いていた鹿男がその声に反応して、歩き出す。それは、反対側の調理室の方向からだ。

 マズイ、と思い、慧を抱きしめたままで教壇の下に転がり込む。


 タンタンタン、と乾いた足音が近づき、その音が少しずつ遠ざかっていく。その時、苦しそうに顔を赤くする慧の顔が見えたので囁きかける。


 「この手をどかすから、俺が「いい」と言うまでは、絶対に喋るなよ」


 未だに口が塞がれたままの慧が何度も頷くのを見る。小さな慧の目、そして先程に比べれば吐息のかからなくなった手で確認すれば、その手を離した。

 声とも呼べない声で「ぷふぁ」と息を吐く慧。すぐ側で渡織の顔が近くにあることで急に恥ずかしくなった慧は、そこで顔を逸らした。

 慧の微妙な反応に気づき、呑気な女だ。と心の中で考えた渡織は、遠ざかった足音がもう一つ聞こえてくるのを感じた。


 (やはり、教室に一匹ずつ用意していやがったか……)


 タンタンタン、という足音。

 金属音にも似た音は、もしかしたら鹿の蹄の音だろうか。二度目の足音が前を通り遠ざかっていき、それから数秒待つ。先程の二匹目が登場した段階で、三秒後には足音が聞こえた。そして、五秒待ち、十秒が経過した。


 「行くぞ、今のうちに逃げるんだ」


 素早い動きで教壇から出れば、慧の手を強く握り教室の外へと顔を覗かせる。廊下には人っ子一人いない。敵が複数いると分かった以上は、のんびり考える余裕はないので、廊下へ飛び出せば、隣の教室の光景が目に飛び込んでくる。

 慧も学んだのか、とっさに自分の口を両手で押さえていた。


 「いい子だ。後は、前だけ見て走れ」


 思った以上に飲み込みの早い慧の肩に手を回せば、渡織は駆け出す。

 隣の教室、その隣の教室は悲惨なものだった。逃げ出そうとした顔の潰れた男子生徒が、窓から体を半分出して、一緒にいた担任の先生も生徒を庇うようにひしゃげた肉の塊に変わっている。そんな死体を一つ一つ言っていけばきりがない。全教室、そこにいた人間の分の死体が転がっているのだ、人の形ごと壊された状態で。

 死の臭いに顔を歪ませ、真っ赤な絨毯を広げたような血の中で中央階段へたどり着いた。

 この階段を降りれば、すぐに下駄箱だ。手すりに付いた肉片が生々しく残り、階段には無数の血痕が続いている。


 「この下にもどうせ奴らはいる。慎重に行くぞ。一匹だけなら、俺一人でなんとかする」


 ここで出て行けるほど甘くはない。そして、警察がやってこないところを見れば、外が無事かどうかもかなり怪しい。しかし、ここで抗うこともできないままで命を散らすのは嫌だと思えた。そして、このやりかたは、彼の考える”破滅”に反するのだ。

 ポケットにはいくつかのガラス片を入れてきた。これが役に立つかは分からないが、少なくとも目を潰せば鹿男はただのデカイ人間と変わらない。


 「わ、私も戦うからぁ……」


 ポケットから取り出したのはハサミ。筆箱にでも入れていたのか、そのプラスチックの持ち手にはご丁寧に名前とファンシーな動物のシールなんかが貼ってある。


 (そんなハサミ持っているから、クラスメイトにいじめられるんだよ)


 今更死んだクラスメイトのことを考えるのもアホらしいか、と認識を改める渡織。


 「そうか、それなら俺の指示に従ってもらう。俺と共に戦う以上は、お前も俺も生きて生還するぞ」


 うん、と弱々しく頷く慧に頷き返す。そして、二人は中央階段を歩き出した。



                 ※



 渡織達のいる校舎の屋上。そのフェンスに両肘をかけながら、階段へと向かう二人の影を見つめる女子生徒がいる。――入学式の日から姿を消し、ポニーテイルを風に揺らす覇照だ。


 「そんなところにいたんだ。あの日から、君がどう変わっていくのか気になっていたけど……。ふぅん、そんな風に」


 うんうん、と頷く覇照。

 最初に学園を占領に成功した。これは、自分が最初に宣言したから、こういう道を選んだ。

 何か思い出したのか、覇照は手をパタパタとさせた。


 「ああいやいや、そういう殊勝なものじゃないや。ただ一回口にしたことだし、どうしてもここでやっておこうかなぁと思ったんだ」


 へらへらと口にする覇照の隣には、スーツ姿に首から上を狼の顔をした狼男が立つ。


 「覇照様、お時間です」


 低くも響くような声で告げる狼男。その声には、確かな知性を感じさせた。

 ジト目で狼男を見れば、覇照はつまらなそうに肩をすくませた。


 「はいはい、行きますよ。ちょっと、トオリくんのことが気になっていてね」


 「何故、そこまであのような劣等種のことを?」


 狼男は向かってくる覇照に手を差し出しつつ、疑問を投げかけた。


 「いいや、彼には気になるところがあったんだよ。もしかしたら、彼も”適正”があるかもなぁ、なんて」


 狼男は不思議そうに、その鋭い目をぎょろりと動かしたかと思えば、覇照の手を握るとその場から姿を消した。まるでそこには誰にもいなかったかのように、世界に溶けていくように。

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