最終章 ① ―ヒト―
二人の戦いは屋上の崩壊から始まった。
崩れた地面にまともに立っておくことのできなかった二人は、すぐにそこから体を浮かせた。亀裂の入った校舎は少しずつその形を縦半分に割るように崩れ、雷に貫かれたように建物が崩れていく。
千切れるように落ちた瓦礫の上に、再び瓦礫が重なっていく。鉄屑の雨の中で、渡織と覇照は屋上があった場所に足をつけた。
「そう簡単に、決着がつくものではないな」
自嘲気味に覇照が笑えば、渡織に駆け出す。
地面を飛んでいるのかと思うような速度。一度だけ地面を蹴った足が、そのままの勢いで百メートルはあるかと思うような渡織までの距離を詰める。
「そう――だなっ!」
渡織が手を前に伸ばすのと覇照が手を伸ばすのは、ほぼ同時だった。
破壊するために伸ばされた覇照の右手が渡織の右手に触れる。守ることに専念する渡織の手の中に浸透していくような衝撃。まともな神経ならば脳の中が全て崩壊してしまうような痛み、その痛覚をシャットダウンさせて覇照の右手首を握り締めた。
「随分と力の使い方がうまくなったな。破裂する手を傷つかないように守り、それだけでは抑えることのできない痛みを完全に切り、いくつもの防御の壁を重ね合わせることで私に触れることを可能としたのか」
面白い、覇照の口元は笑う。
掴んだ右手首を強く握り、覇照の攻撃の流れを止めるために渡織は外から力を流し込む。
「説明している場合か!」
「そうか、君の力は完全に防御に特化したものなんだな。……渡織らしい。渡織の力で私を押さえつけようという考えなんだな。――だが、甘い」
覇照から伸ばされるのは空いたままの左手、それを渡織は自分の左手で応戦する。その左手を掴むために、手を伸ばしたはずが、それは透明になったように薄く溶けていく。そして、渡織の手を通り過ぎた後に、その左手は渡織の胸元を貫いた。
「ぐっ――」
「苦しそうだな、渡織」
覇照は渡織の胸元に突き刺さった自分の左手を、小刻みに動かしながら顔を寄せる。
「私の方が渡織よりも、力の使い方は熟知している。体を透明にすることも、難しくはない。……痛覚を消したのはまずかったな。今の渡織がどれだけ危険な状況か、はっきりと分かることはできないだろう?」
「離れろっ」
覇照の右手首を離して、左手を覇照の胸元に当てて突き放す。
吐き気に似た感覚が込み上げて、口から体液を吐き出す。自分の腹の底から溢れてきた血液を見ながら、渡織は口元の血を拭う。
止まらない血液を見ながら、渡織は自分の体内の再生を急がせる。
物珍しそうに覇照は、苦しむ渡織の姿を見つめる。
「ふむ、渡織の力は再生と防御に特化しているのだな。渡織、力に名前は必要か? だったら私が――」
「――黙れ!」
渡織は覇照の余裕を持った口ぶりに、神経を強引に逆撫でされた気分になり飛び掛る。
渡織は強く念じる。
(俺は狼であり、熊であり、虎でもある)
視認することのできない鋭い牙を形成し、そのまま覇照の頭部へと向かって伸ばす。イメージした爪の大きさは、一メートルほど。今、自分の刃はこの世界に存在するどんな剣より、どんな刀よりも鋭い。常人ならば、いくつ頭があっても足りない。
腕は真っ直ぐに覇照へと伸びる。そこに躊躇はなく、辿り着くまでの時間も一秒はかかっていない。
「薄く張った防御も、そういう使い方ができるか」
覇照の体が霧のように、そこから薄く消えていく。
「ちっくしょおぉぉ――!」
空を切り裂いた渡織は、背後の覇照の気配に気づく。同時に、自分に振り返る余裕がないことにも気づいていた。首を横に回す前に全身を守るために、再び見えない壁を張る。そして、横殴りの強い衝撃に渡織の体は吹き飛ばされ、いくつもの自分の体よりも大きな瓦礫を巻き上げて、地面を転がり、跳ね上がり、未だに健在の向かいの校舎の壁に叩きつけられる。
「そうか、狼男はそれで倒されたのか。不意打ちで、今の攻撃なら奴には止められないだろうな」
顎に手を当てて、何か考える覇照。その顔は、すぐに目の前から現れた人物を見て、笑顔に変わる。
全身を泥だらけにしながらも、その体は傷つくことはなく、肉と肉と繋ぎ合わせるように再生を繰り返す渡織。その再生スピードは、先ほどの何倍も早い。渡織自身が、考えるよりも早く体が勝手に再生をしていた。
渡織は、覇照の背後の存在に目を見開いた。
「覇照、なんだそれは」
「ああ、せっかくだから、私の力も最大限に使わせてもらおうと思ってさ。こういう場所には相応しいだろう? コイツは――」
覇照の背後で、それはいななき。鋭い口もからは、炎が溢れる。さらに、金色の目は凶悪的に鋭く、長い三本の爪の一本一本は人の体ほどもある。目に付くのは、その赤い鱗に包まれた体の大きさだ。ざっと見ても二十メートルはあるように見える。昔から、想像していたものとは小さめだが、それでも十分に巨大で、その存在一つで物語が出来上がってしまうような神話的な獣。それは――。
「――竜さ。ドラゴンでも好きな方で呼んでくれよ」
覇照が軽口を言ったかと思えば、竜が空高く天に昇ったかと思えば、渡織に向かって降下していく。その場から離れようと、渡織はすぐさま駆け出すが、それよりも早く竜は向かう。渡織がそう考えるよりも早く、竜は行動を開始していたのでなおさらだ。
接近してくる竜は、口から火炎放射器を思わせる炎をその体内から吐き出す。強烈な炎の塊を回避しようと考え、巨大なカーテンのように迫り来る炎から避ける術がないことを早々に察した渡織は全身を守ることに集中させる。
「私の最高傑作だ。とうとう、神話の存在まで生み出すことができるようになったんだ。どうだ、凄いだろ?」
必死に足から根っこを張るように、ぐっと踏ん張る渡織。今の渡織は簡単に燃やされることはない、しかし、それでも気を抜いてしまえば飛ばされる感覚。それは、自分の力が緩む瞬間だ。その時こそ、今の渡織は消し炭にされる。
これだけ耐え続けても炎は止まることはない、それどころか勢いは増しているように思う。覇照も、どうやらアルファオメガの力が成長しているようだった。
このままなら状況は平行線。それなら、ただひたすらに前に進むしかない。
「お前の自慢話は聞き飽きた……!」
炎を向かい風のように突き進んでいく渡織の姿に、覇照は関心したように「ほお」と声を漏らした。
確実に迫ってくる渡織の姿を見た竜は、慌てたようにさらに炎を強くする。その度に、渡織は何重にも壁を張り、そして炎が体を掠めればすぐに再生を行う。
自分は動くこともなく、覇照は渡織と竜の姿を見つめていた。
「いいよ、今の渡織の姿はいい。絵になる。神話へと立ち向かう渡織の姿は、私の見たかった人そのものだ。人は近づき過ぎて、体を焼いてしまう。それでも、何度も再生と創造を繰り返す。私が見たかった、”ヒト”というのは、こういうものだ」
渡織の足は真っ直ぐに竜の元まで向かえば、とうとう炎の中でもその口内が見える位置まで来れるようになった。
「俺は、お前の言う”ヒト”なんじゃかじゃねえ」
炎をまともに受けても傷一つつかない、命を奪うような致命傷もすぐに回復する。この存在は、決して年をとることもなければ、病気や寿命なんて存在しない。しかし、この力はただの破壊と殺戮の上でのみ存在し、永遠に終わらない滅亡をループするためだけにそこにある。
「――こんなの、”ヒト”じゃない!」
今まで人間を見て生きてきたことはなかった。人間がいたとしても、それはいずれ自分の前から流れ、そして消えていくだけの何か。
それは両親をこの世界から消してしまってから、自分はきっとヒトというものを見たことがなかったのだろう。
この狂った状況で、初めてヒトだと思える人物に出会えた。そして、それがこの世界に意味を持たせてくれた。そのヒトは、俺達のようなヒトではない。
「何を言う、ヒトが生み出した破壊の中で生まれた我らこそヒトだといえるだろう。ただ、そこで世界に埋め尽くされるだけの人間達を本当にヒトだといえるのか? 違うだろ、それはヒトであり違うものだ。私達のような、他者とは違うヒトのみが、この世界を救済し滅亡を告げることのできる優良人種なんだ!」
覇照の言葉を耳にした渡織は、決定的な間違いに気づいていた。
覇照の言葉は、どこか自分の両親達の言っていた言葉と重なる。自分をヒトではない何かと勘違いしてしまったヒトの言葉だった。
竜の炎をかいくぐり、人間の頭が三つほどはある竜の金色の瞳に渡織は拳を叩き込んだ。
――ギィヤアァァァァ!
竜の絶叫を耳に、そこに覇照へと放ったのと同じ要領でアルファオメガの力を放出する。自分の許容を超えた力を流し込まれた竜は、もう片方の瞳が弾けさせると、次に頭部から噴水のように血を噴出し、そして全開に回した蛇口を体中にくっつけたように全身から血液を吐き出す。そのまま、激しく悶えたかと思えば、そのまま呼吸を停止した。
つぶれた瞳の中に埋まった腕を渡織が抜けば、覇照へと向き直る。
「ここまで、ここまで……完成していたんだね。渡織」
どこか悦に浸ったような笑みの通り。綺麗な顔の頬が淡く赤くなり、それは多くの男が恋に落ちてしまいそうな女の顔をしていた。
ある決心とあることに気づいた渡織は、感情の昂ぶる覇照とは反対に気持ちは冷たいものだった。
「覇照、俺は……」
「どうした、渡織。戦いを続けよう。こんなに楽しいのは、生まれて初めてなんだ」
「俺は、俺のやるべきことを見つけたよ」
「どうした、何を考えている……」
覇照は渡織の様子が今までと違うことに気づき、その表情を曇らせた。
今まで視線を逸らしていた渡織は、覇照を見つめた。
「覇照、さっきみたいに俺を貫いてみせろ。解決策を見つけた」
そこで初めて渡織は、覇照へ向かって両方の拳を持ち上げてファイティングポーズをとる。それは、格闘技をしたことのない渡織から見ても適当なもので、それでも今の覇照にとっては、戦いを誘う渡織の姿は嬉しく思えた。
「どれ! 私に見せてみろ!」
覇照が体勢を低くして地面を蹴る。渡織は回避することもなく、その真っ直ぐに伸ばされた拳を受け入れ、貫かれた。
「さあ、どうするんだ! 渡織!」
渡織は自分の腹部に深々と突き刺さった覇照の右腕をぐっと両手で掴む。そこから、念じる力は自分の体と覇照の腕をくっつけさせて、逃れられないようにするもの。絶対に外れないように、強く自分の体を繋ぎ合わせる。
「考えたな、渡織。私と君の体を一緒にさせて吸収でもするか、それともここに刺さった腕を私の体から引き抜くか!?」
覇照は片腕を無くしても、再び再生させる自信を持っていた。片腕でも世界を滅ぼす確信もあった。しかし、渡織の反応は予想していたものではなくなっていた。
たくさん傷つけ、たくさんのものを無視して、大事なものを失ってから、大事な何かに気づき、大切だったはずのものを壊して、大切だったはずのものを後から探して見つけてきても、それは全く別物になっていた。
そんな自分達には、幸せ過ぎる最後を渡織は作ろうと考えた。
「……どちらでもない。俺とお前は、ここで一緒に死ぬのさ」
渡織から放たれたその言葉に、覇照は耳を疑い、そしてその顔を暗いものにさせた。




