第三章 ④ ―覇照と渡織―
校舎の屋上。空はどこまでいっても暗く、星が輝き出す時間だというのに、重たい雲がどんよりとかかり、街のあらゆる場所では火が上がる。それも全て鹿男達の仕業だ。この学園での騒ぎを外に漏らさないために、隙間を埋めるように現れた鹿男達の大群が殺戮を行い、交通を麻痺し、その結果としてこの街が炎に包まれようとしていた。
世界の終わりとも呼べるその光景を見ていた波佐間覇照は、ただ彼を待ち続けていた。
待ち続け、そして彼がやって来たことに気づいた。
「待たせたな」
――ドサッ。
扉の開く音と何か転がってくる音はほぼ同時だった。
そこには上半身と下半身に分裂した狼男が口から反吐を吐きながら地面に転がっていた。
覇照は狼男に近づけば、その顔を覗きこんだ。
「一番のお気に入りだったんだが、残念だ」
覇照はその手で狼男の顔を掴む。その後、発火。刺激臭のような生物の焼ける臭い。連鎖するように近くにあった狼男の下半身も炎の中に沈んでいく。ただ静かに炭になっていく狼男の姿を横目に、覇照は渡織に目を向けた。
「それもアルファオメガか?」
「ああ、慣れてくるとこれぐらいはできる」
再会した頃の激しい感情のぶつかり合いはない。そこにあるのは、ただの静かな戦いがあるのみ。それは、二人にこの先がないことを証明しているからだ。
覇照には、この先に渡織を超える障害は現れない。
渡織には、この先に覇照を超える破滅は現れない。
覇照は涼しい顔で手すりに寄りかかると、相変わらず厚い雲の空を見上げた。
「狼男の火葬が終わるまでの間、話に付き合ってくれないか? どうせ、これが最後の語らいになる。それに、君の知りたいアルファオメガの話もできる」
渡織は頷くことはしなかったが、ただ黙って覇照を見つめた。それが、覇照には肯定の意思に伝わり、そのまま言葉を続けた。
「どこから話をしようか? まずは、私の始まりを教えてあげようか。君は知らないだろうが……私も君の家族の被害者であり加害者だ」
渡織はそれに返事をしない。しかし、どこか予感があった。どこかで、自分の家族が行おうとしていたことが根っこにあるのではないかと考えていた。
「お前も、俺の家にいたのか」
「違う。あそこにいたのは、私の両親だけだ。首謀者は君の両親だけじゃない、私の家族も破滅を行おうとしていたのさ。……まあ、実行をする過程に君の両親が私達両親を近い存在と思ってしまったせいで、結局は参加することはできなかったのだけどね。……両親を失った後、私は破滅について考えるようになった。どうして、両親の破滅は間違いだったと言われ続けているのか? どうして、両親はあんな破滅を考えたのか?」
この時の渡織は覇照の発言に驚きを感じていた。
経緯はどうあれ、覇照は同じことを考えていた。ここまでの人生は、全て自分と一緒なのだ。
近くて遠い、しかし、どこか肌に張り付いて離れない。そんな、覇照の正体が分かった気がした。
「そこで私も破滅に行き着いた。君はずっとその意味を考えて、破滅ではない破滅を求め続けていたようだが、それが間違いに気づいた。両親の求めていたことは、慈愛の真似をした破滅だからこそ、世界に否定をされた。そもそも、他人を想う感情と破壊の感情が一緒になることなんて絶対に不可能なのだ。それなら、破壊に納得させるだけの意味を持たせればいい。方法は既に両親が用意した。それなら、私にできることは意味を作り出すこと。それが、世界に破滅を示すこと。そして、破滅とはどういうものかを伝えること」
「……お前の考え方、今はもう否定はしない。ただ俺は、お前が捨てた破滅を求めたい」
「慈愛か? 随分と優しい性格だな、渡織」
口元を歪めて笑う覇照に返事はしない。ただ、じっとその顔を見る。
「それから、私は破滅を探し求めた。そんな時、両親の資料を親戚から見せてもらい、その中に”アルファオメガ”の文字を見つけたよ。永遠の始まりと終わり、最初であり最後でもある。そんな意味が、このアルファオメガに込められている。私の両親と君の両親はずっと考古学をしていたようだが、その時にアルファオメガという超能力を生み出すための古代の儀式を知ったようだ。しかしまあ……私達の両親も、この儀式を真に受けて宗教を作り世界を滅ぼそうとするのだから、学者というのは怖いものだな。ちなみに、アルファオメガという名前は君と私の両親が後から名づけたようだ」
渡織の背中に悪寒が走った。それは、両親がもしかして、我が家でアルファオメガの力を手に入れようとしたのではないかと思ったのだ。
両親は自分を殺めて、アルファオメガが生まれなかった場合は、互いに殺しあってでも生み出すつもりだったのではないのだろうか。あれだけ大騒ぎになれば、警察もやってくる。しかし、そこにアルファオメガの力があれば容易く逃げ出すことも、全てを壊すこともできる。
渡織の心が乱れていくことに気づき、覇照はその目を細めて再び口を開く。
「高校に入学する前だったかな。私はある集団自殺グループに参加することに成功する。この私が言うのもなんだが、近頃は便利でな様々な媒体を通して調べるだけで、そうしたものと接触することも簡単だったよ。そこで、私は実行した。……自殺をした者は、そのままでいい。怖くて逃げ出すものがいれば、容赦なく手にかけた。この人数では足りないと思ったら、また人を集めて、そこに死を充満させた。世の中、人が足りない人が足りないと言う割には、命を捨てる人も多くてな、そうした面では私を驚かせたよ。しかし……私が命を語るのは、やはり笑い話だな」
覇照は髪を掻き上げ、自嘲気味に笑った。
「そうして、何十回か大勢の人間の死を見つめ続けた。そこに、私の最も心の近いと感じていた人物がいた。それを呼び、手にかけた。……その時、思ったのさ。ああ、これで私はもう世界を滅ぼすしかなくなった。と……君と同じで、気が付けばアルファオメガに目覚めていたよ。それから、高校での入学式が終わり、世界を破滅するための準備を始めたよ。まあ……あの時、君に会うまでは、この学園なんて数分で終わらせるつもりだったんだ」
小さく肩を揺らせて笑えば、覇照は手すりの外側を向いて、渡織に背中を向ける。
「どうして、俺だけを生かそうと思ったんだ」
「どうしてだろうな。君の名前を聞いて、すぐに君の正体に気づいたよ。それから、発想も理由かもしれない。よく私と似ていて、それがたぶん……凄く嬉しいことだと思えたんだ。私の前に立つ世界唯一の敵として……いや、もしかしたら、君と私は共に破滅の中を歩けるのかもしれないと思ったのかもしれないが……。今は、何を考えていたのか、はっきりとしたことは分からない」
渡織の方からは後頭部しか見えない。小刻みに動く頭は泣いているのか、それとも笑っているかも判断がつかない。
「俺も……少しだけ、そう思えた……」
「……だが、見ていたものは違う。私は君をここで殺して、さらなるアルファオメガを手にする。今、最も近いと思っている君を殺す」
覇照は体を反転させて、渡織を見据えた。
「俺とお前が、もう少しだけ早く会っていたら何か変わっていたのかもしれないな」
「可能性の話をするな。これから、始まるのは、どうしようもない事実だ」
渡織と覇照は少しずつ歩き出し、手を伸ばせば触れられる距離まで近づいた。
覇照は渡織の目から見れば見るほどに、この世界には不釣合いなほど美しい少女で、そして同時に空っぽに見えた。そして、覇照から見た渡織は、この世界に必死に順応しようとしている化物に見える。しかし、その化物はこの世界で名前を貰った。そんな顔をしていた。
「お前の意見を聞かせてほしい、世界は終わらせる方がいいのか?」
渡織は蛇足だと思いつつ、そう問いかけずにはいられなかった。
「そんなもの、知らないさ。世界なんて、終わらせるか終わるかの問題だろ? ただ、それを形にするのか声にするのか、きっとそんなことはどうでもいい。ただ、私にとっては、その結果であり過程である破滅こそが意味のあるものなんだ」
覇照の諭すような言葉を黙って聞く渡織は、既に自分がもう戻れないところまで来ていることを再認識する。
それ以上、言葉はなく、同時に二人は右腕を横に振る。二人の二つのアルファオメガの力が衝突し――そして、光が弾けた。




