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第三章 ③ ―町屋慧―

 二階で待ち構えていた鹿男達を数分で肉の塊に変え、混乱の始まった教室の前を通る。そこは、つい数時間前まで自分が授業を受けていた教室だ。

 目を向ければ、転がっていた遺体も腐敗が始まり、吐き気を催すような悪臭漂う。この臭いもずっと前から鼻を刺激していたもので、もう慣れてしまったかと思っていたが、やはり多くの亡骸の前に立てばその臭いは想像以上に強烈だ。

 本当は交わることのなかった町屋慧とも、ここから始まった。

 今思えば、どうして町屋慧が自分をあそこまで犠牲にして救ってくれようとしたのか分からない。

 彼女と自分に接点はあったのだろうか。

 ここに入学してから、彼女とまともに会話をしたことはない。記憶力は悪い方ではないと自負しているが、それでも記憶の中に彼女の姿は見当たらない。

 一体、彼女はどうして――。


 ――私の……鞄……。


 慧の最後の瞬間が言葉と共に脳裏を過ぎった。


 「町屋……」


 気が付けば、教室に足を踏み込んでいた。

 まだ倒れたままの鹿男を横目に他の遺体を蹴り飛ばし、道を作って向かった先は町屋慧の席の周辺。机に鞄はなく、ロッカーにでも置いたのだろうかと顔を上げれば。目に入ったのは掃除用具入。

 周囲に転がる机や椅子をどかして、掃除用具入の扉を開いた。視線を上から下にすれば、バケツの中に慧の通学バッグが突っ込まれていた。どうやら、こんな出来事が起こる直前まで、町屋慧はいじめの対象だったらしい。しかし、そのお陰でバッグは汚れることもなく、混乱の中で踏まれることもなく、綺麗な状態でそこにあった。

 この教室で一番苦しんでいた奴の物が、一番無事だったというのは何だか皮肉めいているように思えた。


 「変なところで運のいい奴だよ」


 バッグを手に取り、埃を払い落とし、チャックを開ける。

 落書きのされた教科書に破れたノート、カラフルな柄が見え隠れするタオルはいかがわしい言葉と共に油性ペンで黒く塗られていた。


 「お前は、俺に何を伝えたかったんだ?」


 比較的に見て綺麗な床に腰を下ろして、あぐらをかいて座りバッグの中身を漁る。

 手元に角があるものが触れた。直感的に、自分が探していたものが見つかった気がして、それを持ち上げる。


 「手帳か」


 おそらく、これが彼女が遺したものだろう。他にもいろいろ入っているが、死後誰かに託そうと思う物としては、これが一番相応しいものに思えた。

 手にしたそれは、まだ新しく折り目なんてほとんどついていない。表紙には、『二年生』と書かれている。続いて、二年生の後に何か書いているようだが、それは修正液で文字の部分だけ丁寧に消されていた。どうやら、一学期と書こうとして消したようだった。

 自分にとって、町屋慧という人物がどんな存在かはまだ分からない。

 これを読めば、彼女が自分にとってどんな存在か分かるかもしれない。触れれば簡単に指が切れてしまうような刃物を扱うように、慎重に手帳を開いた。



               ※



 今日から二学期がはじまります。

 どちらかといえば、嫌なことばかりだけど、それでも幸せに思えます。

 私は生きているのだから、生きていれば、幸せになれる未来が待っていると信じています。幸せな未来は、確かにある。

 おいしいものをもっと食べていたいし、まだまだ続きが気になる漫画もある。それに、彼と同じクラスになれた。

 渡織くんと一緒のクラスに。


 同じ教室で、ずっと眺めているだけでよかった。

 私は、運動もできないし勉強も特別できるわけじゃない。もっとオシャレすればいいのに、と誰かから言われた。でも、オシャレの仕方が分からないならしょうがないや。

 ……でも、オシャレした時には、渡織くんも私を見てくれるかな?


 彼に、凄く感謝したい。ありがとうと何度も言いたい。

 彼は私の命を救ってくれたのだから。

 

 あの惨劇の日、渡織くんの家にいた私を。



              ※



 一度、渡織はノートから目を離した。


 「町屋が……俺の家に……!?」


 彼女の言うあの日というのは、きっと家族を家を失ったあの日のことだ。

 そういえば、あの家で女の子が一人倒れていたのを思い出した。


 (まさか、あの子が……)


 生きているかどうかは確認していない。しかし、確かに血の海の中で一人の少女が倒れていたのをこの目で見ている。

 ドッドッドッ、と激しい鼓動のリズムの中、再び手帳に目を向けた。



               ※



 私を庇ってお父さんが死んじゃって、お父さんは私を抱きしめて倒れてくれた。

 頭を殴られて、血がたくさん出て痛かったけど、それでも確かに私は息をしていた。いつ死んでしまうか分からない状況で、お父さんの冷たい体の中で、ただただ息をしていた。


 ――そこで、私は見たの。


 渡織くんが、渡織くんのお父さんとお母さんを……。

 貴方が聞けば怒ってしまうかもしれないけど……その時に、私は渡織くんを助けに来てくれたヒーローだと思ったの。

 

 漠然と死ぬことを受け入れようとしていた私を救ってくれたアナタは紛れもなくヒーローであり王子様。

 あの後、何度か渡織くんの住んでいた施設に行ったけど、お礼を言うことも会うこともできないで引き返した。いざ、会いに行ってみれば、私達の関係の歪さに気づいて、怖くて震えて、どうしようもなかった。

 同じ中学で、渡織くんを見ているとずっと満たされた気持ちになった。

 傷ついても苦しんでも、それでも強い貴方のままでいるその姿が眩しくて、貴方に近づきたいと思った。

 

 お父さんのいなくなった私は、いろんなものが怖くなって……その内にお母さんもいなくなって……。

 自分が嫌なことされても、嫌だと言えない。口先だけの友達の中で、ただただへらへら笑うだけの私。でも、貴方はひたすらに強く輝いていた。

 多くは語らなくとも進んでいくだけの貴方の姿は、私にとっての希望でもあった。


 渡織くんは、知らないよね。

 私がどれだけ、貴方を大切に考えて、どれだけ感謝しているのか。

 あの赤い世界の中で、そんなことを考える私もどこか壊れているのだと思います。でも、壊れた私だからこそ、貴方は凄く綺麗な人に見える……のかも。

 自分でも何を言っているのか、分からなくなってきたな。この辺でやめとこう。


 あ、でも、願掛けにお願いだけしとこうかな。

 

 渡織くんに触れたい。

 渡織くんと手を繋ぎたい。

 渡織くんに名前を呼んでほしい。

 最後の瞬間がきたら、渡織くんが隣に……て、これは妄想し過ぎか。


 ここまで書いて思うのでした。

 私の人生は、もしかしたら、彼と出会うためにあったのかもな。

 ……なんだか、自分で書いていたはずか凄くおかしい。

 全然、会話もしたことないのに、彼だって名前を覚えてくれているのか怪しいのに。今日が二年生の初めの日だから、そう思うのかな?

 一日の最後に日記を書いてしまうと悲しいことばかりになっちゃうことが多いから、今日はこう書こう。


 今日が良い日でありますように。



              ※



 手帳をそっとポケットに押し込む。

 教室を見回せば、やはり汚れが激しい。生臭い固形があらゆる場所に散らばり、こびりついた血液はなかなか落ちそうもない。

 仕方がない、そう自分に言い聞かせて、教室の中では一番綺麗だと思える机を一つ運んで、町屋慧が座っていた席に一つ置き、その机の上に、通学鞄を置いた。


 「遅くなった。もっと早く鞄を取り返してやればよかったよ」


 椅子のない机の前でそれだけ告げて、渡織は教室の外へ向けて歩き出す。

 時間にして五分ほど、決して長い時間ここにいたわけではない。しかし、あの文面から感じられたのは慧の抱えていた時間の重さだった。

 何もないと思っていた渡織の中に、何かが生まれようとしていた。

 

 慧の口では言えなかった想いを知り、慧と自分の因縁を教えられた。

 彼女の幸せを奪ったのは自分の両親。もしかしたら、慧の父親が生きていれば、明るい性格になり彼女がいじめられることもなかったのかもしれない。

 謝罪はできない、するための相手もいなければ、命を捨てたとしても償うことはできない。

 それでも、慧は最後に覇照を止めることを望んだ。

 近い境遇に立ちながら、慧は誰かを傷つけることもなく、誰かを想う壊れ方をした。

 壊れることで破滅を求め続けた自分。壊れることで愛を求め続けた慧。

 覇照の全てを壊す破滅を正しいこととは思えない。しかし、破滅の方法も知らない自分からしてみれば、慧の望んだものの方が恐ろしく刺激的なものに思えた。しかし、その刺激があまりに強過ぎて受け入れ方が分からない。

 ――だが、渡織は一つだけ受け入れても良い確かなものに気づいていた。


 廊下を出て、しばらく歩けば三階に上がるための中央階段が見えて来る。そして、それが当然のようにぞろぞろと鹿男達が階段まで波のように揺れる。数は、五……十……二十はいるだろうか。


 「俺は破滅が分からない。本当に、幸福な破滅は存在しないのか……」


 渡織の頬に一筋の涙が流れた。

 渡織は気づいていた。

 自分が町屋慧に――。


 「うるさい」


 バリバリバリッと渡織の張った見えない壁が被害を受ける音が響く。鹿男達は、「しかせんべい」を連呼して、何度も渡織の体を粉々に砕こうと殺意の塊を吐き出し続ける。

 渡織は、右手を持ち上げれば、覇照へと向けた。手の中に見えないボールでも握り締めているかのように、やんわりと指に力を入れている。


 「うるさいんだよ、お前らは」


 ぐっと半分開いていた手の平を握り、拳の形にする。その瞬間、待ち構えていた鹿男達の首が全て弾けとんだ。

 頭に爆弾でも仕掛けられていたかのように、一斉に首が爆発したように粉々に砕け散る。

 その光景に渡織は鼻を鳴らせば、天井から流れ落ちる血の雨の中を歩き出す。


 「何も分からない俺にも、一つだけやるべきことができた」


 拳を握り締めれば、ある想いを胸の奥で感じ取る。忘れかけていた大切な気持ちを抱きしめて進む。

 

 (俺は――町屋慧に愛されていた)


 誰かに愛されるというものを、ずっと忘れていた。自分を手にかけようとした両親が自分を愛しているとは思えなかった。いや、両親を手にかけた自分にそんな権利はないと思っていた。

 誰からも愛してもらえない、誰も自分のことを見てくれない。

 だから、分かりやすく破滅というものにすがりつき、それを自分にとって都合の良い形で解釈する方法を探していた。

 それに答えはない、探し続けることに自分の異議がある。その答えを見つけるつもりなんてない、ずっと破滅を求め続ける異常者として生きることで、自分を保とうと思っていた。

 両親の求めた破滅を良いものに変えて、それで罪を償おうとした。

 それはきっとこれから先も変わらないのだろう。しかし、今の自分の抱く感情は町屋慧という存在によって動かされているものだ。

 自分を愛してくれた町屋慧の想いに、願いに、ただ応えたいと思った。


 「覇照、俺はお前を止める。それが、町屋の……慧が最後に望んだことだから」


 町屋慧の愛に応える方法はもうない。だが、彼女の望んだ未来を用意することができる。

 そこに君はいないけど、ただ一つの望みは叶えることができるはずだ。


 新たに生まれた想いを胸に階段を上り、三階に到着すれば、そこで待つのは狼男。


 「悪いが、ここで終わりだ。……これ以上、何か言葉が必要か」


 狼男が腰を低くさせて、唸り声と共に睨みつけた。

 渡織は首をゆっくりと横に振った。


 「いや、何もいらない。どうせ、戦うことと殺すことしか考えていないだろ。……お互いに」


 狼男はその言葉を聞き、口元を大きく歪ませて笑う。そして、狼男は口元から鋭い爪を持ち上げて、渡織に向かって駆け出した。

 

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