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想像すぎて妄想となる  作者: 小道けいな
2/2

混沌から解決まで

16.

 ブラウスを着てから小部屋に戻った。床に倒れていた天海が起き上がって、ぼんやりとしていた。上半身を壁に預け、たたかれたところや首に触れている。

 僕は部屋には入らず、壁から顔だけを出していた。

 小部屋の奥にはヨルがおり、カタカタと移動してきている。

 タイヤ付けたほうがいいのかな?

 浅井は、僕がこっちに来たのを知って、体事こっちに向く。仁王立ちで僕と天海の間に立っている。天海は見えなくなった。

「面目ありません、彰さま」

 天海の声は弱弱しい。

「天海がなんで」

 思わず浅井のスーツを握り絞める。

「昼に力使ったからでしょう。彰、わたくしはこの程度で問題ないですよ。むしろ、人のまんまの方が役に立ちますよね」

 カタカタ移動するヨルは売り込みを始める。

 天海は、ベンチに移動した。

「ヨルに引き離された後、意識が途絶えたんですが……、どうしてこんなに痛いんでしょう」

 気絶後に痛みが生じたと推測したようだ。その前に怪我していなければ、天海の推測は当たりだ。

 僕は本当のことを言うべきか悩む。浅井が一方的に天海を嫌っているだけで、天海はそれを表に出していないのに。

 浅井が手を叩いた。思い出した時のしぐさ。

「彰さま、消毒しないと」

「え?」

「お口をゆすぐべきです、消毒液で」

「いや、消毒液で口ってダメだろう。粘膜にそんな強いものを当てたら」

「天海にあんなことをされたより、口内炎になるほうがましです」

「え、えええ? 口内炎やだよ」

 浅井はにこりと笑う。怖い顔なんだけど。

 天海は唇が当たっただけ。むしろ、昼間の得体のしれない物体の方が、僕の口の中を蹂躙していたよ。

 いまさらだけど、胃がむかむかしてきた。

「彰さま、操られて申し訳ありません。あのようなことを」

「やっぱり記憶あるんだ」

 僕はドキドキする。天海の顔をまともに見られそうにない。浅井がいるから彼がどんな顔をしてしゃべっているかも見えないけど。

「はい、あります。彰さまが可愛らしいことがよく分かりました」

「……」

 本気が冗談か計りかねる。なんか、浅井やヨルが移ってないか?

「彰さまが命令すれば、責任を取って結婚もします」

「け、結婚!? そこまで思い詰めなくても」

 僕はおろおろしてしまう。浅井が勢いよく天海の方に振り返った。僕は浅井のスーツを握りなおす。

「操られていたと口から出まかせですよ。彰さまはお優しいから言っているだけで、逆タマを狙った愚かな犯行です」

 浅井がかみついた。殴りに行きそうな勢いだ。

「あー、なるほど、そういう見方もできましたねぇ。針があったとは教えず、罪を着せて、追い出せば、わたくしと彰は二人っきりになれ幸せでしたのにねぇ」

 ヨルがしみじみとしている。

「誰の幸せだ」

「わたくしのですよ。もちろん、彰にも幸せになってもらいたいですから、尽くします」

 尽くすつもりがあるからマシともいえる。いやいや、僕はヨルと今以上の関係になるつもりはないぞ。

 それにしても、ヨルは何のために僕の気持ちを振り回すのだろうか。

「疲れたので休みたいのですが……ここに泊まっていきます」

 天海は大きく息を吐いた。

「一人になって大丈夫か?」

「かといって、彰さまが側におられたら、何があるか分かりませんよ」

「そっか」

 僕は役に立たない。

「彰さま、落ち込まないでください。こういう時は、犬にかまれたと思ってくださいですね。浅井さんで姿見えないけど、落ち込んでますよね? 事故とはいえ、あのようなことになり……。浅井さん、視線でヒト殺せるかもしれませんね」

「ん? 押し倒された前は何かありましたよね。彰がわたくしを呼びかけ止めるような。まさか、まさか、口の消毒ってそういうことですか! わたくしがいただきたかった彰の初めてのキスがぁぁぁ」

 ヨル、何を言いだすんだ。

 天海には見えていない、僕の顔。僕は顔が真っ赤だ。恥ずかしいやら悔しいやらなんやら分からない感情で。

「僕……僕……う、うううう」

「彰さま、すみません。ファーストキスだったわけですか?」

 確認された。余計に何も言えない。異性と付き合うなんてなかったから。

「ゼロ回目ということにして忘れてください。それしか私には言えません」

「うん」

 僕はこう言うしかなかった。それに、浅井が殺人もしくは傷害を犯す前に切り上げないと。

 天海を独りにするのも心配だったが、僕がいても役に立たないのははっきりしている。

 結界を張るから安心してくれと天海は言って、僕たちを帰した。


17.

 翌朝、探偵社は休みの日だが、僕は事務所に行った。浅井も来るはずだ。

 僕と天海が二人きりになることを阻止するため。操られていたということで僕は納得している。しかし、狂言説や操られるなどということはない、と納得しない浅井に出社はとって重要なことだった。

「おはよう、天海……」

 恐る恐る扉を開ける。

 誰もいない。

 人がいた気配はあるのだが。

 家から朝食を天海用に持ってきたのだ。遅いから無駄になるかもしれない。昼食に食べればいいや。

 僕は所長室で机にバスケットをおいてから、ポシェットからヨルを出した。机の上に置いてやると、ノート型パソコンをつけるよう催促してきた。その通りにしてやる。

 今日はどうしようかと考える。

 昨晩はさすがにあれ以上動きはなかった。人を操るのだって能力の一つだったら、よほど体力がない限り何度も使えないだろう。

 扉が開く音がしたので、僕は所長室から頭だけ出した。ちょっと警戒している。

 扉は開けたままなので、自己主張をしなくても気づいてもらえたとは思う。

「おや? 彰さま、おはようございます」

 事務所の入口に洗面器を持った天海が立っていた。

「おはよう。すっきりした顔している」

「はい、そこですっかり寝ました。戸締りした後すぐに寝て、朝までぐっすりでしたよ。ひげもそったし、すっきりしましたよ」

「……あ、ごはん食べた?」

「いえ、これからコンビニにでも行ってこようかと思います。彰さまも行きますか?」

「ごはん持ってきたんだ」

 僕はバスケットを持つと天海の方に行った。

 天海は自分の机の下に洗面器を置いている。非常用道具入があるのだろうか。そこに置かずとも、個人用ロッカーがあるのだが。コートを三着位かけられ、小さなスーツケースなら入るサイズ。

「これ、うちの料理人に作ってもらった」

 机の上にバスケットを置いた。

「私にですか?」

「うん」

 天海は微笑みながらバスケットの中を見ている。

「ありがとうございます。おいしそうです。いや、おいしいでしょうね」

 流しに行って天海はインスタントのコーヒーを淹れている。

「半分残しますか? お昼に彰さまが食べるとかいうことですか」

「ううん、天海が全部食べていいから」

「そうですか、ありがとうございます。さすがに空腹で空腹で」

 机のところで食べ始めた。

 僕は所在なく天海の近くで立ったまま。僕は近くの壁に寄りかかった。

「彰さま、学校でモテルでしょ」

「ううん。僕、友達いないし」

 学校で話をしている。でも、僕に話題がないせいで学校のことで終わってしまう。うまく交われないのだ。

「そうですか? 彰さま、校則通りの格好するから、近づきがたいだけですよ」

「でも、守らないと、社会に出たとき苦労するぞ」

 天海は笑う。

「彰さまは、高校の後は大学に行きますよね。その後、どうしますか」

「分からない」

「そうですか。語学がしたい、探偵をしたいとかはないんですか」

「うん、そうだね。ここを大きくしたいと思う」

「なら、その道を探せばいいんじゃないですか。大学というのはいろいろ分野が分かれるんですから」

「……」

 僕は進路相談に乗ってもらったようだ。先を考えることも必要と思っているけど、なかなか難しい。高校に上がったばかりとか思っていると、あっという間に進路選択時期が来てしまう。

「まずは、今回の事ですね」

「そうだな。昨日、探しに行ったのか」

「ええ、行方不明になっていると聞きましたから。現場といっても、あまり近づけませんよ、あの子に家には」

 ニュースにはなっていないが、変質者に会ったとか、家出したとか、近所では噂になっているようだ。噂が上がるなら、それなりに注目を浴びていることになる。比留間さんの自宅は一戸建てで、周囲は建て込んでいるとのことだ。

「何か気配残ってました。どこにいるかは視えませんでしたが」

「そうか……。ここに来られるということは遠くないって事かな」

「物理的に遠くないところにいるとは思います」

 事務所の入り口に人がいる。クローズの看板を出しているから入ってこないようだ。

 不意に所長室の電話が鳴った。

「取ります」

 天海がコーヒーで食べ物を流し込んでから、電話を取った。

「お待たせいたしました、朝倉探偵社です。え? はい、日野原さまですか。そこに?」

 僕は扉を開けた。

 携帯電話を片手に日野原がいた。僕の顔を見ると電話を切った。

「……わたしはお金出せないけど、こいつが出すと思うから……連れてきてみた」

 日野原さんは紙袋からぬいぐるみを取り出す。それをよく見えるように突き出した。社の形の帽子のようなものをかぶった黄色い猫のぬいぐるみ。

「おおお、なんと愛らしい……なんだ、人間の子どもか。それより、なぜ、あやつの匂いがする」

「……動いている?」

 僕はドキドキする。胸の前で両手を組み、触りたい衝動と戦う。

 可愛いんだけど、なんか気持ち悪いんだが。どこが気持ち悪いか考えないようにした。

「彰くん、目が輝いてるよ」

「可愛い……」

 猫のぬいぐるみは威張ったポーズをとる。胴は日野原さんが持っているので、宙で器用に動く。

「そうであろう」

「でも、声がちょっと合わない」

「意外としっかりと批判か」

 僕は所長室のヨルが非常に大きな音をたてた。

「ひとまず、どうぞ」

 僕は日野原さんと謎のぬいぐるみを小部屋その二に通した。その一は昨日、事件が発生したところ。天海が寝ていた形跡があったし。

「ちょっと、似ているの持ってくる」

 僕は所長室に行った。

 机の上にいたヨルがいない。探すと机の下に隠れている。暗がりにいるが、マウスが白いので意外と目立つ。

 ヨルが怯えているように見えた。

「なんで、あいつが来ているんですか」

「知り合いか」

 僕はつかむと深く考えずに小部屋に入った。日野原さんと向かい合って座る。テーブルには相手方にはぬいぐるみ、僕にはマウスが置かれている。

「彰さま、お茶を出しますか、なんか、……人外いますけど」

 天海が冷たい視線をぬいぐるみに送っている。右手がズボンのポケットに入っていくようだ。

「人外とはなんだ。人間が何様のつもりだ」

 ぬいぐるみから何かが出てきた。煙かと思うが、瞬間には分からない。それは日野原さんの横で床に立った。ふんぞり返るようにベンチに座った。

 年齢は二十代半ばくらい。インドの人の顔つきっぽいが、どこか日本人になじみがある雰囲気を持つ。天海くらいの身長だが、筋肉質で大きく見える。青い目は自信に満ち、眉毛もきゅっと上がる。不敵な笑みがまぶしい。

腰みの……というかスカートというか、飾りがたくさんついたものを腰に巻き、首や肩にかけても同じ飾りが付いている。金やプラチナ、ダイヤモンドやサファイアなど石が使われている。露出が多いが似合うのだ。

 僕が好みではないが、かっこいい部類に入る男性だ。

「ヨルみたい」

「……」

「ヨル?」

 ヨルは黙っている。その上震えているようだ。やっぱり何かあるのか。天海にヨルを連れて出てもらうか。

「日野原さん、それは何?」

 ぬいぐるみはポツンとテーブルの上。なんか、小汚くなった気がする。

「昨日、あのあと、拾ったのよ」

 日野原さんはため息をつく。でも、顔は楽しそうだ。


18.

 友人である比留間さんが行方不明になってしまったが、何かができるわけではないので、彼女は一人で出かけた。比留間さんと出かける約束していた城址公園へ。昨日、イベントがあったのだ、年に一度の。

 一人で回る城跡は嫌いではないが、せっかく約束していたのに来られなかった友を思うと、楽しくなかったという。

 帰ろうかなと思ったら、落ちているぬいぐるみに気付いた。大きいし、県のPR用のキャラクターだったので目に入ったとのこと。

 へー、こういうキャラクターがいるんだ……僕が知らな過ぎるのか。

 彼女は拾ってみた。

「おお、これは愛らしいお嬢さん。ちょっと好みではないが……」

 イラッとして捨てようとした。しかし、ぬいぐるみがしゃべること自体ありえないので、実はリアクションを見られているのではないかと疑った。

「ところで、この辺で、マーラ一族の愚か者を見なかったか」

 再び口を開いた。しゃべるために、開いたわけだけど、本当に開いた。ぬいぐるみなのに。開いた口の中は綿ではなく、口と同じ布でできている。口も顔も胴体も同じ布であるが。

 口を開けた。ぬいぐるみなのに。手足も動く。

 ぬいぐるみが動くことに関して悩んだのは、質問に答えるまでの一瞬。好奇心が警戒を抑えて前に出た。

「知らない」

「そうか? お嬢さんにかすかについているから知っているかと? ああ、お嬢さんがいた街にいるのかも」

「それより、あんた何? どこの番組?」

「何を言っている? あー、先ほども言われたよ。人間ってこう、変なものを作り出しているんだな。意識が狭まり、いらないと思ったものから想像が育たない。もったいないな」

 その場で話しても仕方がないので、日野原さんはひとまず連れて行くことにした。

 なかなか豪胆だ。

 自宅の部屋にまで連れて行ったという。僕が言うのもなんだけど、無防備じゃないか?

 いろいろ質問を始めた。すぐに抵抗にあったらしい。

「あれこれうるさい小娘だ」

 元の姿という先ほど僕が描写した姿に戻った。日野原さんはここで感激したと言う。

「悪魔なんだやっぱり」

「普通、喜ぶところなのか? そもそも、……悪魔というか、鬼神なんだが。人間は我らを敵視するが、なぜだか分らない。我らは我らの道を行くのみだ」

「どんな名前なの」

「マハーマーラだ」

「マーラって、仏敵のあれ?」

「ということになっている。そもそも、我らはシッタールダが生まれる前よりいたんだぞ。それを勝手に悪神だとか決めよって」

 質問もあるからジュースや菓子などで歓待したとのこと。その時、ぬいぐるみに戻ってもらったと言う。

 マハーマーラは酒類を所望してきた。購入するにも年齢が引っかかり、親の秘蔵を持ち出すわけにはいかず諦めてもらう。

 ぬいぐるみに憑いているのは、エネルギーの消費を抑えるためだという。普段いるところと人間社会では物理の法則が異なっているという。来ることができるが、体力を使うそうだ。生き物でも無機物でも、その地のものに憑くと休憩できるという。それに気配を薄くする効果もあるとのこと。

 無機物というより、小さくなることに意義があるんじゃないかな?

 気配を消す必要があったのは、追う相手と追ってくる相手がいるからだという。

 彼が追う相手というのは、愚かな一族の男だという。妻の一人にちょっかいを出して連れ出そうとしたそうだ。

 最初は彼が追っていたわけではない。途中、どこかの像に閉じ込められたのを家臣が目撃した。だからその像を手に入れようとした。

 あと少しというところで、何者かの襲撃を受け見失ったという。

「……はぁ」

 僕は自然と溜息が出た。

 ここに来てまた面倒なことが増えた。

 事務所に入ってきたとき、日野原さんが依頼のお金のことを口にしていた。その追っている相手を探せということだろうか。正直言って、目の前にいる男に協力したくない。

 もう一つ問題がある。この人もまた追われているという。近くにいてほしくない。怪しい。

「天海、ヨル、どうしよう」

 冷蔵庫から作り置きされていたお茶とグラスを持ってきた天海もきちんと話を聞いていた。

「このまま帰っていただくのが一番かと」

「だよね」

 それよりヨルが黙ったまま。

 何か思い出す。

「あ」

 帰ってもらった方がいいのか? それとも、ヨルを連れて帰ってもらった方がいいのか。像って言ったらヨルだ。ヨル自身にも詳しい話を聞かないといけない。

 ヨルが人妻に手を出すことは考えられるが、八つ裂きにされそうな勢いで追われるほどか分からない。

「どうしたの、彰くん」

「何でもない」

 僕は首を横に振った。

「それより、その置きもの、あいつの気配がするんだが」

「気のせいだよ」

 マハーマーラが手を伸ばしたので、僕はヨルを素早く取り上げる。胸の前で両手でマウスを握る。

「ヨルというのはなんだね」

「僕の使い魔だよ」

「ほお。だから、我をここに連れて来たのか、小娘は」

 僕は笑顔でじっとしている。マハーマーラの手が僕の顎に触れた。

「我の妻になる気はないか? 人間は成長が早い。後二年もすれば美女になるだろう」

「ない」

「ほお? はじめはそういうが、宮殿に連れて行ってしまえばうなずくだろう?」

 にやりと笑う。最悪な思考。

「それにあなたにはもう奥さんいるんでしょ」

「別に一人でダメとは言ってない」

「僕は一夫多妻制のところに嫁ぐつもりないから」

 僕は不平を表すように口をとがらす。本当に好きになって、互いに納得してならありうると思う。でも、この人とはありえない。

 あごにあった手は首を通って肩に来る。僕は身を引く。つかまれたら逃げられない。

 相手の動きが早かった。僕は手首をつかまれた。ひねるように引っ張られる。

「痛い」

「それをこちらによこせ」

「いやだ」

 片手は吊り下げられるような感じ。そして、ヨルを握ったもう一つを天海に差し出す。天海はヨルを受け取るべく手を伸ばす。

 マハーマーラの空いている手が僕の首をつかんだ。大きい手で僕の首がすっかりつかまれる。

 僕はつかまれないようにマウスを持つ。

「動くな。それをこちらに渡せ。お前を殺すぞ」

「助けてヨルッ」

 僕はつぶやいた。喉が閉まり、かすむ。

 つぶやいた瞬間、僕の手からマウスの重みがなくなった。形を失い、人の姿になった。瞬き一つしない間に終わった。

 ヨルは僕の手を軽く握る。震えているようだ。それに青ざめている。

「ははは、ここにいたか、愚か者め」

 僕はマハーマーラの小脇に抱えられる。ヨルの手が離れた。

「ようやく見つけたぞ、貴様。覚悟できているんだろうな」

「……彰は関係ありません」

 蚊の鳴くような声。ここまで自信のないヨルは初めてだ。

「関係なくはない。今、お前が遊んでいるものだろう? それも新品みたいだな」

 小脇に抱えている僕を頭をなでる。

「当たり前です。彰にひどいことなんてできませんよ」

「ふーん、そうか。なら、我が壊しても文句はないな」

「それは困ります」

 僕の頭をなでる手が止まる。力が加えられる。ここで痛いっていうとヨルが困るんだろうなと冷静に考えてしまった。僕の命がかかわっているのに。

「やめてください」

「やめる? 我妻にしたことはなんだ」

「声を掛けて慰めただけです」

「ふん、アレが言うには、不貞だろう? なら、お前が気に入っているものを壊した方が楽しいだろう」

「だから、彰をひどい目に合わすことはないでしょうが。人間ですよ」

「人間だろうが関係ない。貴様が軽率な行動をとったのが間違いだったと、泣いて後悔し、我の足元にひれ伏すまで苛め抜くぞ、これを」

 僕は逃げられないものかと一生懸命もがく。軽く腰を持たれているので、体勢が悪く動きづらい。手が頭にもあるし、いつもがれるかと考えると恐ろしい。

 小脇に抱えるのはいいが、テーブルの上に立っているんだ、このマハーマーラは。

「ひどい! テーブルの上に土足で載るなんて」

 沈黙が下りる。

「いや、彰、そんなことを怒るところではないですよ。そもそも、あなたは殺されそうなんですよ」

「そもそも、不貞か話しただけかしらないけど、逃げたヨルを追いかけて無駄に時間費やしている貴様はバカ」

 彰はきっぱりと言い切った。

 殺されるから怖いはずが、殺されるなら言うことを言わねばならないに、気持ちが変わってしまった。

「ヨルみたいなのによろめいたってことは、貴様がふがいないだけだろう」

「な」

 マハーマーラは絶句した。

「大体、ヨルを追いかけて復讐なんてしている暇があったら、奥さんの機嫌を取って二度としないようにしないとダメじゃないか」

「貴様が言うことは一理ある。なぜ機嫌をとる必要がある。しっかり殴って、罰は与えた」

「うわー、最低」

「女は黙って男の言うことを聞けばいいのだ」

「古いよ。大体、いまどきはやらない。貴様がしていることはDVだ」

「……黙れ」

 僕は振り上げられた。こいつ、天井の距離を考えているのか? 僕は天井にぶつかった。とっさに両腕で顔はかばった。

「彰くん!」

 日野原さんの悲鳴が聞こえる。

「彰さま!」

 天海が叫んだ。それに続いて呪を唱える声も。

「最低な野郎ですね。あなたが王だなんて反吐が出ますよ」

 僕は勢いよく振り落される。衝撃が来た。

 ヨルが僕を受け止めてクッション代わりになってくれている。

「日野原さん、伏せていてください」

 天海が忠告した後、呪を唱えたのが聞こえた。バチっと大きな音がして、吹き飛ぶ音がする。

 僕は床に座らされた。直後、立ち上がったヨルが吹きとぶのが見えた。マハーマーラが一足飛びで近づき、ヨルの腹を蹴ったのだ。

「ふざけるな、貴様が王なら最低だ! 妻である人がヨルみたなちゃらちゃらした男に引っかかるのは当たり前だよ」

「うるさい!」

 僕は怖かった。でも、逃げることもできない。なら睨みつけて文句は言う。

 僕は近くにあった黄色い物体を投げつけた。

 相手はよけない。

 それが当たった瞬間、消えた。

「あれ?」

 僕は困惑した。

「あ、彰くん、大丈夫?」

 日野原さんがテーブルの下から這い出してきた。

「救急車呼ばないと」

「……僕は、そんなに……」

 痛くはないし、怪我をしている気はしていない。天井は幸い明かりがないところだったから。

「天海とヨルは……」

「なんとか無事です」

 天海は部屋の出入り口に座り込んでいる。目立った外傷はない。

「ヨル?」

 僕は立とうとしたがくらくらする。

「マウスに戻しておいてください、気を失いそうですよ、彰さま」

「でも、ヨルは」

「戻しておけば問題ないです」

「うん、ヨル、ハウス」

 僕は意識を失った。


19.

 僕は夢を見た。

 僕よりちょっと年齢が上の女性が泣いている。肌の色はヨルたちと同じ褐色。金色の髪は華やかに結われている。花なども編まれていてきれいだ。

 着ている服も、建物もすごくきれいだし立派。どこかの王宮みたいな感じだ。

 でも、女性は泣いている。

 そこにヨルと思われる男がやって来た。顔や背丈はちょっと異なるけど、しぐさがヨルを思い起こさせる。

 彼が窓からのぞくと彼女は逃げた。

「ここには殿方は王しか入ることは許されません」

「知っていますよ。でも、あなたが泣くのが聞こえてしまいました。いてもたってもいられずこうして参ったしだいです」

 のほほんとしたいつものヨルの口調。

「わたくしは泣いてはおりません。勘違いですわ」

 声は鼻にかかっており、泣いていたのは明らかだ。

「そうですかぁ。では、あなたの麗しいお姿を拝見するために参りました、に変えましょうか」

 女性は声を出すまでに若干空白があった。

「人を呼びますわよ」

「では、仕方がありません、わたくしは立ちさりましょう」

「……どうして、わたくしを気にして下さるのですか?」

「泣いている女性が気にならない男がありましょうか? 何が悲しくて泣いているのか。誰を思って泣いているのか。気になってしまうのですよ、美しいあなたの場合は。別の一族から一目ぼれされて連れてこられたと聞いています。それなら、寵愛を受け、幸せに暮らしていると思うでしょ」

 彼女は窓の縁から目を少し出した。

「私以外にも美しい人はいるわ。マーラ族で不細工なヒトを探すのは難しいもの」

「そんなことはありません。美しさは十人十色。わたくしはあなたの優しさにもひかれたのです」

「嘘ばっかり」

 くすくす彼女は笑った。

「ああ、あなたのその顔を見てみたかったんです」

 彼女は笑うのをやめた。そして、隠れる。

「やめないでください。笑ってください。あなたの楽しそうな姿を見るのを待っていたのです」

「わたくしは……マーラの王の妻です」

「でも、平等に愛してくれない王です」

「笑いたいの?」

「いいえ。悲しみにくれたいところです」

「……」

「また、参ります。もし、その気があれば、わたくしと一緒になりませんか? 婚約者があったというなら、その人も一緒に行きましょう」

 彼女は答えなかった。ただ、寂しそうに微笑んだ。

 それなりに月日が流れたと分かる場面。植物の様子は変わっている。また、着ている服は厚手になっている。

 彼女とヨルは仲良くなっていた。窓をはさんではいるが、楽しそうに話をしている。かごの鳥の彼女と外にいるヨル。

 そこにあの王が入ってきた。ヨルはあわてて逃げようとする。兵士たちに行く手を阻まれ両手を上げるように立ち止まる。お手上げ、無抵抗を示す。

 彼女は平伏して王を迎える。

「貴様、不貞を働くとはどういうことか?」

「ち、違います。わたくしと話をしてくれていただけです」

「本当にか? 不貞していても肯定するほどの度胸はなさそうだがな」

 彼女の頬に王の手が当たる。張り手のようだ。彼女は吹き飛び倒れる。

 ヨルが名前を呼び間に入ろうとした。その首に切っ先が突きつけられる。

 ヨルは逃げることも突き進むこともできない。

 彼女はヨルにすがる目を向けた。マハーマーラは彼女の腹を蹴った。

「いい加減にしろ。お前はなんだ?」

「あなたの、妻です」

 苦しそうな息だ。

「アレはなんだ」

「通りがかったヒトですわ」

「ほお、ここは後宮だ。王の許しがなければ何人も立ち入ることはできない。こやつに許しを出した覚えはない」

 マハーマーラはしゃがむと彼女の胸倉をつかんで起こす。

「やめろ! あんたは王かもしれない。だからって彼女を殴ったりできるわけではないだろう」

「自分の物をどうしてもいいだろう? 貴様らはおとなしく言うことを聞いていればいいんだ」

「聞いていられるか」

 ヨルが声を荒げた。

「なんだと」

 彼女を突き飛ばしマハーマーラはヨルに向かう。腰に穿いている、幅の広く反りが強い剣に手が伸びる。

「貴様、余に逆らうのか」

「逆らうも何も、何でもしていいというが、彼女の意志は? あなたに愛されようとしている努力は? 顧みてあげないんですか」

「殺せ、これを」

 ヨルは身をひるがえした。

 ヨルの動きは素早い。衛兵たちはヨルにかなわない。

 その場で逃げ回るだけで、とどまっている。

「ああ、あの一門の跡取りか。なかなかの使い手だとは聞いていたが」

 ヨルはマハーマーラの殺気を感じる。彼女を置いて逃げるのはまずいと考えているようだ。このままおいておけば、折檻を受ける可能性が高い。

「……陛下」

 か細い声。女は一度、唇を噛みながら下を向いた。意を決したように顔を上げるととんでもないことを言った。

「あの下郎のせいです。わたくしは不貞など働きたくありませんでした。あの下郎は、わたくしを手籠めにして、言うことを聞かせたのです。怖くて怖くて」

 ヨルを逃がすための演技でもあるかもしれない。自分を守るために、悪者を作っただけかもしれない。

 女の顔はよく見えなかった。

 ヨルは一目散に逃げた。

 逃げる直前のヨルの表情は何とも言えない悲しい顔だった。彼女が安全ならいいと考えたのか、裏切られた気分であったのか。

 ヨルは逃げると決めれば早かった。あっという間に姿を消した。


20.

 僕は見慣れない天井に戸惑った。白い天井と消毒液の匂い。病院だと判断した。

 少し頭を動かすと、横には兄がいるのが見えた。心配そうに顔を覗きこんできた。

「彰、大丈夫か?」

「兄様」

 僕はゆっくり起き上がろうとした。兄が背中に手を当て手伝ってくれる。

「探偵なんて危険なこと、僕は反対だったんだぞ。天海はクビにする」

「ダメだよ、兄様。天海がいなかったら、解決できなくなっちゃう」

「探偵はやめろ」

 僕は勢いよく顔を兄の方に向けた。ゴキッと音はしないが、体の筋がピリピリと振動した。

「嫌だ」

「彰」

「だって、今回の事は僕が鈍かったせいで起こったミスだもの。僕がもっとしっかりしていればよかったんだ。だから、まだ続けるよ。このまま放りだすと気持ち悪いし」

 体のあちこちが痛い。

「全身打撲。気を失っている間に検査はできる限りしてある。問題ないそうだ」

「うん、良かった。ヨルは?」

 兄は窓辺のテーブルを差した。

「……なんでマハーマーラが入っていたぬいぐるみまでいるの」

 兄は持ってきた。その額にはお札が貼ってある。

「何かをこれに、これに突っ込んだと言っていた」

「……うわ」

 僕はなんと言っていいのか分からない。これに復讐でもしろというのだろうか。

「日野原さんは」

「病院まで付き添ってくれたんだが、僕が来た時点で帰ってもらった。心配していたぞ」

「うん」

「学校に行った時でも挨拶しておけ」

「うん」

「どうした、彰?」

 兄は驚いている。僕は分からずに首をかしげた。口に塩っぽい物が入ってくる。

 涙だ。

「分からないけど」

 僕は悲しくなってきた。

「彰、泣くな」

 兄は僕の頭に手を置こうとしたが、躊躇を見せた。操られていたとはいえ、僕に夜這いをかけたという過去があるから。

 躊躇をやめ、いつもなだめるときと同じく、兄は僕を抱きしめた。

 僕は胸にしがみついて泣く。分からないけど悲しかった。

 兄は小さいころから優しくて、頼りになる人だ。年齢が離れているからなおさらそう思うんだろう。

 今日の兄も優しい。

 兄以外にも、思った。会って間もないのに心配してくれた日野原さんのことも。

 ヨルも心配してくれているような気がしていた。それよりも、ヨルはマハーマーラを恐れていた。ヨルの様子をもっと気にすればよかったのだ。

 僕がもっとしっかりしていれば。

 ヨルはきっとあの女の人が好きだったんだ。夢が本当かどうか分からない。ヨルやマハーマーラから聞いた話で想像しただけかもしれないけど。

 あれこれ考えているうちに、僕は泣き疲れて眠ってしまった。


21.

 翌日、学校は休んだ。

 僕はあちこち体が痛い。家からの使いが、僕の服を一式持ってきてくれた。髪の毛も結ってくれたし、久しぶりに上から見ても下から見てもゴスロリになった。レギンスもはいたら安心した。

 家の者が用意してくれたタクシーで病院を後にする。ポシェットにはヨルと天海からの手紙。手に紙袋に入れた、お札を付きたぬいぐるみ。

 タクシーの中で手紙に目を通す。マハーマーラの状況についてであった。

 ヨルは無口だ。朝になって素手で触ったけど何も言わない。ここにはすでにいないのかもしれないと考えたくらいだ。

 僕には霊感も魔法を使う素質があるわけではない。でも、ヨルはマウスにいると直感していた。

 事務所に着くと、六角に会った。夕方に行く僕は六角となかなか会えない。

「彰さま、お怪我をなさったとか」

「うん、まあね。片づけてくれたの?」

 事務所は荒れていたはずだが、全く痕跡を見つけることはできなかった。

「浅井さんが言うには、暴漢が引っくり返していったとか? 朝、驚きましたけど、みなさんが手伝ってくれてすぐに片付きましたよ」

 にこにことしている。妊婦特有のゆったりとした女性の匂いがする。

 なんだかほっとした。

 昨日、六角がいなかったことも安堵の一つだ。

「迷惑かけた」

 六角はにこにこしながら首を横に振る。手を口元に当て、まじめな表情になった。

「暴漢とは言っていたけど、天海さんがお酒を飲んで暴れたって浅井さんが」

「……いや、天海を陥れる機会を逃さない人だ」

 僕はあきれて溜息が出てくる。

「やっぱり。浅井さん、天海さんを嫌ってますよね。結構イケメンなのに」

 六角はコロコロと笑った。

「彰さま、顔が真っ赤ですよ。彰さまは本当に天海さんが好きなんですね」

「え? え?」

「照れていらっしゃる? 天海さんが気付いているかは分かりませんが、事務所の人たちはおおむね知っていると思いますよ」

 僕以上に事務所の人たちは、僕の事を知っているのではないだろうか。天海のことについては、ヨルですら知っていた。

「で、でも、僕はそんなにはっきりと思ってない。ただ、兄様より落ち着いていて、なんか、こう、好感を持てる人だとは思っているが。僕の事、子供に思ってすぐ笑うし」

「彰さまはまだ十六……になってないんでしたっけ、あと少しでしょ? これからですよ。あっ、天海さんの好きなタイプ、こっそり聞いておきましょうか」

 僕は気になる。そわそわしてしまう。

「浅井さんの彰さま可愛いはちょっと度が過ぎますけど、気持ちはわかりますね」

「浅井は、僕を甘やかしすぎなんだ。でも、秘書として考えると、有能だってわかる」

「気が利きますからね」

 六角だって十分できる人だ。それに、微笑みが似合う女性に僕はあこがれる。

 会話が途切れた。

「僕、ちょっと出かけてくる」

「気を付けてくださいね」

 僕は事務所を出た。

 天海の手紙を実行するためだ。マハーマーラをどうにかするために。

 所長室でしようと思っていたが、六角がいるところでは無理だ。妊婦である六角には、できれば迷惑を掛けたくない。

 人目が少ないところ……あ、このビル屋上があった。

 爆発とかしなければなんとか。平日の昼近くだし、周りもにぎやかだし。多少音が出ても注目されないだろう。

 もし見られても、基本的にぬいぐるみで遊んでいるようにしか……見られないよな。


22.

 屋上に着いてから、一度、手紙をじっくり読んだ。

 納得したところで、紙袋からぬいぐるみを出す。念のため、床にヨルも出しておく。

 手紙にある手順の一番目を行う。お札を少しなめた。

 なめた理由は、僕のDNAが札に付けば、札が外れても問題なくなるとのことだった。かっこよくナイフで軽く指を突いて、その血を付けるってことだったけど、痛いし。

 お札が少し光った気がする。

「ぬうううう、あの人間め。我をこんな中に閉じ込めおって」

「……しゃべった」

 昨日みたいに、口が開かない。ヨルと似たような状況になったってことかな?

 僕はわくわくしてしまった。昨日気絶した原因であるわけだけど、ぬいぐるみなら安全な気がしていた。手紙には、僕の言うことは絶対だし、悪さをできないと書いてあった。

「これは我の体の代わりだから当たり前だ。封が解けた暁には、きっちり貴様に礼をしてやる」

「わざわざいらないよ、そんなの」

 黙りこくっていたヨルが噴出した。

「ヨル、心配したよ」

「うううううううう、彰にデレ期が来ました。ようやく、ようやく、わたくしの想いが……」

「いや、別にデレ期とやらが来たわけでもないから。心配するのが普通だろう、僕をかばって怪我したんだから」

「してないですよ」

 ケロッとしたふうに言う。

「本当に? ずっと黙ってたじゃないか。てっきり、怪我が重くて動けないのかと」

「ええまあ、彰の心配を独り占めで来て嬉しくて、胸中では悶えまくってましたけど」

 心配して損した気分になってきた。

「ほら、彰、わたくしが怪我していないか確認したいなら、元に戻せばいいんです。そうしたら、そのぬいぐるみごと破壊できますよ」

「ダメだよ、ぬいぐるみが可哀そう」

「……」

 マハーマーラが呵呵大笑する。

「我のすごさに気付いたか」

「ううん、天海のすごさに気付いたよ」

「は?」

「一応、貴様を利用するために残すとして、ヨルが壊そうとするのは分かっていた。だから、元から入っていたそのぬいぐるみに入れたんだ。僕はぬいぐるみを決して嫌っていない。だから、ヨルが壊そうとしたら止める。止めれば、貴様は僕に感謝する。そうしたら、言うことを……」

 ヨルが再び噴出して笑い出した。うん、今回は僕も気づいた、さすがに。

「言っちゃ、いけないことだな」

 マハーマーラですらおとなしくうなずいた。

「つまり、余がここにいる限り貴様が守ってくれるということか」

「分からない」

「分からない?」

「だって、貴様が僕や周りの人にひどいことをしたら、いくら可愛いマスコットでも糸を切って、布と綿に分別して捨ててしまうかも知れないよ」

 よし、完璧。分別はできるはずだ。

「あ、彰、可愛いですよ~」

 笑いながら言われた。言われてもちっとも嬉しくない。からかわれているようにしか思えない。

 頭に来たからヨルをひっくり返す。しっぽが引っかかり、簡単にヨルは元の角度に戻った。

「照れてますねぇ、本当に彰は可愛い」

「……ところで、貴様はおとなしく国本に帰るのか」

 僕の用事は、このマハーマーラにあった。ヨルのことは放っておく。

「貴様がヨルと呼んでいるそれを連れて戻る」

「連れて戻ってどうするんだ」

「見せしめに殺すに決まっておろう……な、何をする」

 僕はぬいぐるみを蹴った。ポフンと飛んで床に落ちた。

「なんで? 僕からすると、一方的に貴様が悪い」

「王なんだ。誰も意を唱えてきていない」

「独裁者という時代錯誤な王様だけど」

「なんだと」

 僕が夢で見たのが本当のことではないかもしれない。ヨルが実は兵士数人を殺して、この人の妻の一人を誘拐しようとしたかもしれない。

 昨日も聞いたが、改めて尋ねる。

「じゃ、どうして、ヨルが悪いのか教えて」

「後宮に入って、妻に不貞を働いていた男を許す王がどこにいるか」

「じゃ、平等に奥さんたち愛していたの?」

「愛? そんなちんけなものあるわけないだろう。美しいから連れて来たが、あれへの寵愛は薄くなった。余への売り込みもないのに行くわけないだろう。一族の代表として余の元にいるんだぞ。こっちが思い出して哀れだからと思っていってやっているんだ。あっちの王を立ててやっているんだ。それに、あれは余に恭順した。コレが余らの元から逃げて会ってないが」

「あっちの王?」

 僕が首をかしげると、ヨルが「ヤクシャという一族の子だったんですよ、その人」と教えてくれた。

「それより、王様自ら追って来たのか」

「いや、途中までは部下だったが、らちが明かず五十年前くらいから追い始めた」

 暇だなと思う。ひょっとして、もう別に王様いたりして。

「余と敵対する輩なのか知らぬが、襲撃してくるしな。迷惑だ」

「ヨル、宅配便に入れた、これ、送れるかな」

 僕は迷惑が降ってやってきそうだったので、別れたい気分だった。このマハーマーラが何に追われているかは、どうでもよかった。敵多そうだし。

「無理ですよ。住所がはっきりあるわけではないのですから」

「そうか」

 心底残念。

「不貞不貞といわれますが、わたくしはあの方と話していただけですよ。確かに入っちゃいけないところでしょうけど、いつも泣いているのを見て、つらいですよ、あんな可愛らしい人が」

 ヨルが反撃に出た。カタカタと床を鳴らす。

「信じられるか。下郎の口が軽いことは知っている。嘘もついているんだろう? 信じるわけなかろう」

 なるほどヨルの性格は知っているってことか。嘘というより、本心を見せないと言う感じだけど、僕からすると。

「許せないなら、もっと彼女の事を分かってあげればよかったんです。なじめないなら、実家に帰せばよかったんですよ。婚約者もいたんですし。まあ、あちらとの軋轢になるかもしれませんけどね」

「そんなことできるか」

「何もできないのに、彼女を閉じ込め、他の妻たちが彼女に嫌がらせをしているのも気づかない主ですかぁ? 嫌です、嫌ですね」

「そんなの自分でどうにかすればいい」

「どうにかできる人ばかりではないんですよ。彼女だって結局、好きなヒトがいたそうですよ。将来決めていたし、良縁だって互いに思っていたそうです。ヤクシャの所を訪問して、あなたが気に入ったからって連れて行ったって。あっちの王が友好的に、穏便にということで、話をつけたと聞きましたよ。わたくし、結構、噂好きなんで」

 僕は首をかしげながら聞く。いつの時代のどこの話だ。噂でそこまで詳しいことが伝わるだろうか。ヨルは幅広い情報網を持っているのかもしれない。

「ネズミも大変だな」

「彰、ここで、最初のごまかしを持ち出さないでください」

「ごめん」

 ちょっと現実逃避も込めてしまった。やっぱり、悪魔とか鬼神とか言われるマーラなんだ。個人名じゃなくて、一族名なんだな。マーラにヤクシャ……ヤクシャって確か夜叉って書くんだよね、仏教になると。

「うわ、彰が、謝ってくれました。うふふふ、本当に彰にデレ期が来たのかもしれないですね。わたくし、尽くしてきたかいがありました」

「……え?」

「姿が縛られているだけですよ? いや、天海に言ってみたんですよ、あなたに一目ぼれしたからランプの精みたいにしないでくれって。まあ、姿がこれに戻されたら、何もできないんですけどぉ」

「え?」

「やろうと思えば、ほら、葵があなたを襲った晩、わたくしもできたんです」

「う」

「彰がきちんとわたくしを見てくれるまで距離を置こうと、こうしてもらったんですよ。彰を連れ去ろうと思えば、わたくしできますから。でもそれじゃ、愛してもらえませんし」

 悶えるマウス。

 でも、結局、姿が縛られている。だから、僕に安全である。いや、彼を縛るのは言葉だ。それも声に出さないと効かない。もし、ヨルが僕の口をふさいでしまったら?

 考えると、ヨルは危険な存在に見える。

 それに、嫌われると助けてもらえなくなるのではないか。

「いまさらSPがいてもな」

「無理ですよ、わたくしだからよくわからないものからあなたを守れるのであって、人間のSPなど役に立ちません。そもそも、天海レベルの術者などそんなにいませんよ」

 僕はマハーマーラを見下ろす。ぬいぐるみは動いている。隙あらばマウスに近づこうとしている気がする。

「いまどきDV王なんて許されないよ」

「いまどきとか関係ない」

「鎖国状態?」

 鎖国なら出てこないか、こんなところまで。ヤクシャがどうのとか言っていたし。

「人間の世界と一緒にするな」

「僕が知っているのは、異界も表裏一体。つまり、こっちもそっちも似たり寄ったりって事でしょ」

 僕がこれまで見聞きしてきたことをまとめた結果がそれ。まあ、作り話だと思うけど。

「ぐう」

 マハーマーラはうめいた。僕が言っていることのどれかはあっていたということかな。

「だから、力押しの王様なんていずれリストラされるよ」

「リストラ?」

「いらない、って言われちゃうよ。あー、クーデターとか起こっちゃう?」

「クーデターだと? ありうるわけなかろう」

「あー、実は、もう追い落とされていたりして」

「なっ」

 僕の言葉にマハーマーラは衝撃を受けたようだ。ぬいぐるみがおろおろと行ったり来たりしている。

「彰、怒ると怖いこと言いだしますねぇ」

 のほほんとヨルは言う。

「本当かも知れないっていうのがもっと怖いですねぇ」

「下郎が何を言い出す」

 ヨルは僕の後ろに隠れている。ぬいぐるみ相手なら僕でもなんとかなるかもしれないもんね。

「彰、これ、どうするんです?」

「一応、元の姿に戻す方法も教えてくれている」

「ほお」

「お札をはがす」

 ぬいぐるみが素早く札にふれた。実はずっと付いたままだったのだ。気にならなかったようだ。口が開いたり、呼吸したりしないからかな。

 僕はあわてない。手紙には札の外し方によって、マハーマーラの行動制約が変わるとあったのだ。

「自らお札をはがした場合、行動の制約が多くなるって。ぬいぐるみの格好のまんまだってさ。でも、身体能力はある程度元のままだって。僕に危害は加えることができないってさ。後は、僕が命令したら従うって。ちなみに、僕がはがしていれば、僕がコマンド決めれば、人型にもなれたんだよ」

 ヨルは大爆笑をした。僕もにやにやする。

「騙したな」

 マハーマーラは僕の足にかじりついた。かじりついても特に何もない。口は開かないし、フカフカしているぬいぐるみだから。彼は相当力を込めているみたいだけど、僕に危害を加えることはできないんだよ。

「騙しただなんて人聞きが悪いな。僕の言葉を最後まで聞かなかった方が悪い。それに、自分でとろうとしたら雷が落ちるってものだったかもしれないじゃないか」

「ぬう。貴様は余をどうしたい」

「DVを治すこと」

「は?」

「プロに頼むのが一番だけど、ぬいぐるみだしね……。僕が勉強して、その道を作るってことかな。いつになるか分からないけど頑張るよ」

 マハーマーラに対して、世の中のこと、人付き合いのことを教えつつ、理解してもらわないとならない。意外とハードル高い。

「この人、一生このままですよ」

 ヨルが言ったのも理解できた。一応、人間でのDVを治すプログラムってあるって新聞で見たんだよ。だけど、人間は生きて長くて数十年。マハーマーラに関しては百年単位だよね……下手すると二千年とか?

 プロに預けるのが一番の近道なんだろうけど。僕の話を聞いて、マハーマーラに驚かず、理解してくれる人がいれば。しゃべるぬいぐるみがDVって想像つくかな? いきなり躓くほど険しい道のりだ。今はどうでもいいから忘れることにした。


23.

 学校に行っていれば、放課後の時間。日野原さんがやって来た。所長室に通してもらった。

「彰くん、大丈夫?」

 シュークリームを持ってきてくれた。

「病院まで付き添ってくれたと聞いた。迷惑をかけて申し訳なかった」

「いいよ。もともとはわたしが連れて来たんだし、あれを。それより、マハーマーラはどうなったの」

「いますよ、僕の使い魔になりました」

 机の上のぬいぐるみを指さした。

「……彰くん、すごいな。魔法少女だよ」

「魔法少女……?」

「ああ、まあ、魔法少女っていったら変身するけどね。マスコットを連れてるから。まあ、連れているのが淫魔の類じゃ、ちょっと微妙だけど」

「淫魔?」

「マーラっていったらそうでしょ。一応軍勢を持っていたりするけど、煩悩でも色欲にからむ感じがするから」

 僕は机の上のヨルとマハーマーラを見た。

「別に、固定しないでいいですよ。ただ、わたくしたち、人間にしたら、美形なんで、淫魔とか言われちゃうんですよぉ」

「仏敵などと言われ、こちらが迷惑だ」

 ヨルとマハーマーラが同時に答えた。

「杏、見つかりそう?」

「手がかりが少ないので、時間がかかるかと」

「そっか」

 それ以上言えなかった。

「彰さま、お茶をお持ちしました」

 開けてある扉から、浅井が声をかけてきた。

「日野原さん、席も勧めず、すみません」

「え、あ、いいよ」

 僕は壁に二つある椅子を持ってきた。机の前に二つ置く。机に浅井はカップに入れた紅茶と砂糖ツボなどを置いた。そして、茶うけにいただきもののシュークリーム。

「いただきもので申し訳ないですけど」

「え? あ、別に」

 日野原さんは困惑している。持ってきたものを出すというのは失礼なことだ。でもおいしそうなものなら出す。ただ、最近は一緒に食べるために持ってくると言うこともあるらしい。人の家に行ったり、招いたりするのもいろいろとあって難しい。

 たぶん、日野原さんは一緒の食べるつもりだったんだよね。

 浅井はお辞儀して出て行った。

 椅子に座る。紅茶を飲み、口の中を潤した。

 シュークリームを手にすると僕は食べ始める。

「おいしい」

「そう? 良かった。なんか、彰くん、口肥えてそうだから選ぶの困ったよ」

「そうかな?」

「だって、朝倉グループの会長の子でしょ」

「関係ないと思うけど」

 中学生ごろから僕が感じていることを、周りも気づいているということか。生活水準が一般より相当高いということ。大多数の庶民には遠いということ。かといって、いきなり生活を変えるのはできない。

「絶対いいもの食べてるって。ファストフードなんて食べないでしょ」

「まだ、行ったことないんだ」

「ほら」

「でも、ファミレスは行ったぞ。オムライスとパフェを食べた」

 思わず反論したら、日野原さんは笑う。ああ、こういうところが子どもっぽいんだ、僕。

 僕はありがたくシュークリームを食べた。

 昨日は晩御飯食べていないし、朝も粥だったせいもあり、より甘く感じる。

「小説が……とか言っていたけど、手がかりってありそう?」

「それが……別のも入っているみたいなので。僕たちの前に、彼女が想像したものが現れている感じのようなんだ」

「なるほどねぇ」

 日野原さんは最後の一口を食べ終わった後、一瞬考えた。

「ねえ、スライム状の何とかとか、魔物とか出てきた?」

「……え?」

 僕は青くなり赤くなる。ヨルがカタカタと震えている。

「彰くん、ちょっと、どうしたの。まさか……」

「思い出したくない」

「……ちょっと見たかったも」

「ん?」

「いやいやいや」

 日野原さんの小声聞こえなかったわけではない。日野原さんはあわてて否定している。

「ごめん、ちょっと、やっぱね、倫理的にね」

「……僕、もう嫌なんだけど」

「……うん、なんか、ごめん」

「いや、別に日野原さんが謝ることもないけど」

「なんか、謝りたい気分てあるよね」

「そうなんだ」

 僕は納得するようなしないような中途半端な気分。

「杏、どこいるんだろう」

 日野原さんがぼんやりとつぶやいた。

「お金を持って行っているわけではないから、ごはんや着る物とかどうしているんだろうって」

「確かに」

「公開捜査になるとか話してた。あっちの親から毎日朝晩電話来るの。教えなければよかったと思う。でも、教えないとこっちも心配しているだけで情報ないし」

 日野原さんは寂しそうだ。

「そろそろ、帰るね。彰くん、明日は学校来るの? 学年違うからあれだけど」

「一応行くつもり。打ち身だけなんで、見た目は何ともないから」

「ぬいぐるみもって?」

「ヨルだけ持ってく」

「やたー、わたくしの方が好きってことですね」

 ヨルが十センチほど飛び上がり、喜びのカタカタをしている。十センチ跳べるんだ。そこに僕は驚いた。

「ぬいぐるみは大きいし」

 マハーマーラが入っているぬいぐるみは二十五センチくらい高さがある。部屋に置いてく分にはいいけど、持ち歩くには大きい。

 置いていくのも不安だが。

「確かに、その大きさじゃ、ストラップにもならなし、鞄につけておくわけにもいかないよね」

「ストラップにしたら、重いですよね」

「まじめに考えない」

 日野原さんは笑う。

「じゃ」

 日野原さんを入口まで送る。ビルの下まで行こうと僕はした。

「いいよ、別に……なんか、涼しいね」

「……え? そうですね。まだ、五月だし」

「そんなもんかな」

 僕はエレベーターホールで別れた。


24.

 日野原さんが言うように、廊下が涼しい。

 寒いと言って差し支えない。

 足元はレギンスをはいているから暑いくらいだったが、一気に冷えていく。薄いブラウスの上は冷気が直接肌を刺すようだ。

「あきらくん、めーっけ」

 僕ははっとして振り返る。

 青白いけど、目はらんらんと輝く女子高生がいた。距離は二メートルほど。探偵社の扉側に彼女はいる。僕が駆け込むのは難しい。階段で逃げるにしても、階段も彼女がいる方向だ。エレベーターなんかに逃げ込められない。逃げるなら、大声をあげて探偵社内だ。

 にこにこと笑っている女子高生。先日スライムといわれるアレにあった日、見つけた人物。

 比留間杏さん。

 たぶん。

 日野原さんに写真くらい見せてもらうべきだった。

 制服の汚れ方や髪の毛の状態から、行方不明になった日数を想像できる。

 やつれている感じがする。食事は摂っていないのだろうか。

「なんの用でしょうか」

「うふふふふ。あきら君には一緒に来てもらうの。そして、とっても素敵な展開になるし~」

「遠慮願います」

「遠慮? 別にしなくていいよ」

 半歩前に出てきた。

 彼女の背後には闇がある。探偵社の扉はその後ろだ。靄のような闇により視界を遮られる。

 闇はうごめきながら、彼女の周りにとどまる。

「あきら君、行こうよぉ。あきら君に痛いことはしないから。気持ちいいいことはしてあげる」

「……遠慮しておこうと言っているだろう」

「うふふ。照れちゃってぇ。あきら君は陰陽師の人が好きなんでしょ」

「……」

「キスされたとき、困った顔がまたよかったよぉ。お兄さんはちょっとつまらなかったなぁ。スライムの時は、あと一息だったのに、あきら君に快楽は届かなかったし」

「……」

 僕はじりじりと壁に移動する。扉に少しでも近くなろうと。

「ねえ、あきら君。あきら君には何一つ悪いことはないじゃない」

 僕は答えない。逃げることに必死だ。探偵社に入れば、ヨルがいる。

 ここで声を上げたらヨルは来てくれるだろうか。声を出せば元に戻るといったけど、どの距離だろうか。

 僕がヨルを持ち歩いていることが前提の事だったから聞いてもない。天海だって説明していない。

「ねえ、あきら君、無視しないでよ。ああ、女となんて話せないって? そうだよね、あきら君は純情な男の娘だもんね」

 勘違いしているが別にいい。

「でも、あの人が言うの。力づくでも連れて来いって」

 比留間の後ろの闇が動いた。

「助けて、ヨル」

 僕は大声で叫んだ。

 闇は僕に絡みつく。足と手、胴体に絡み付き動きを阻害する。視界も真っ暗になった。


25.

 ――ああ、BLって楽しい。素敵。本当にこんな男の娘がいるといいのに。そりゃ、男女でもいいけど、女だとあれしちゃうと赤ちゃんできたりするし。恋愛とか気になるけど、現実見えちゃうしねぇ。それなら、女っぽい男がされるならいいじゃない。同じような気分は味わえるってこと?

 誰かの声が僕に届く。声の調子から比留間さんだと推測できる。視界は利かず真っ暗。

 この独白が比留間さんのことだとすると、結構まじめな悩みでもあったと思われる。現実的だ。避妊はあっても妊娠することはあるのだから。

 まじめな悩みと思える。

 ――認知度低いって分かる。誰かに言うとカミングアウト。高校に行ったらばれないようにしないといけないや。

 ――ヒノッチにはばれたけど、オタク文化に一定の理解があったから助かったよ。

 日野原さんはBLにあきれていたけど、比留間さん自体を嫌っているわけではないようだった。探したいと言う思いもあったから、行方不明になったと知った日、僕のところにやってきたのだろう。

――やっぱ、悶える可愛い男の娘っていいねぇ。あきら君ってモテモテ。ああ、お兄ちゃんと結ばれてほしかったけど、やっぱ違ったかぁ。

 これは小説の話だろう。それにしても、兄と恋愛する実弟というのはいるものだろうか。否定は完全にできないが。

 男女間のことと考えたとして、兄と妹でそういう関係になるっていうのも相当限られているのではないだろうか。

 まず、僕で考えると、兄は兄であって、異性でもあるけど、恋愛対象外である。兄は大好きだけど、やっぱり違うと思う。僕が恋愛の対象として見ているのは……誰だろう? 天海を見ている自覚もあるし、他人もそうだと認識しているみたいだ。

 恋愛対象か。よくわからないけど……。なんで僕の頭の中にヨルの顔が浮かぶんだろう。こういう時は天海の方がいいのに。

 兄は父や天海ほど頼りがいがあるわけではない。でも、兄は年長者として僕のことを考えてくれるし、頼りになる。

 ――そういえば、男性向けの方がいろいろあるよね、嬲り方。女子向けってちょっと乏しいのかな~。でも、厳しいのは嫌だし。あーでも、エロゲスライムや触手くらいはいやらしさ倍増でいいけど。痛くない程度に。

 BLにどっぷりとはまった結果なんだと思うが、当初の目的は失われている気がする。疑似恋愛がどこかにいってしまった。

 ところで、エロゲスライムてなんだ? 触手ってタコやイカのあれだろう?

 そういえば『桜華の巫』でスライム状のものや触手状のものあった気がする、画像で。

 僕はやってないから、詳しいことは分からないぞ。大体、十八歳にもなってないんだから、本当はスクリーンショットだって見ちゃいけないんだ!

 僕は見てない、見てない、見てない、見てない、見てない、見てない、見てない……。

 ――街で見たあの子かわいかったなぁ。服きっちり着ていたのは、見られたくないからだろうし。声、低かったし、胸ないし。きっと男の娘なんだ。

 そういえば、日野原さんも僕のことじゃないかって言っていた。僕はそんなに声が低いかな? 兄が手本だから、基本的に一人称僕だし。でも、あの時、そんなにしゃべってないぞ。謝ったくらいなはずだ……。それより、胸って……僕が気にしていることを……。

 突然、僕の前に映像が現れる。

 比留間さんと思われる眼鏡をかけた女子高生が、駅の通路の陰になる部分に立っている。ボロボロのフードつきのローブをまとった老婆と思える姿をした人物に顔を向けている。

「お前の夢をかなえてやろう」

 しゃがれた老婆の声。しゃがれている上に感情を感じさせず、機械の音のようにも聞こえる。

「夢? 夢って眠っているときに見るあれ?」

「夢をかなえよう」

「それとも、総理大臣になりたいとか、超金持ちになりたいとかいうあれ?」

「お前が望むものを」

 比留間さんの記憶なんだろうか、これ。

 それにしても、不気味な感じがする相手によく話を続けるなと思う。ヨルや天海がいないとき、僕なら逃げてる。

「うーん、生BLって見てみたいよね」

「生BLが見たい」

 老婆の声は淡々としているのを飛び越え、機械のようだ。いや、最近の機械の音声の方が抑揚がある。

「なんか反芻されるとバカなこと言っているってよくわかる」

 比留間さん、自嘲している。

「さっき見た、男の娘が誰かと一緒にいるっていいな、って。あたしと再会っていうより、どこかで素敵な男の人としゃべったり怒ったりしているのがいいな」

「その男の娘を男と一緒に会せばいいのか」

「んー、そうなのかな? あー、なんか変」

 比留間さんは逃げようとした。その手首を〈夢売り〉がつかんだ。

「つ、冷たい。離してよ」

「お前の夢をかなえてあげよう」

「い、いいよ、そんなの。抽象的で言いづらいし」

「お前の夢は生BL」

「なんかバカみたいだからいいよ」

 押し問答だ。これだけ騒いでいるのに誰も気づかない。都会の死角であると言い切れない場所。術者や悪魔たちが言うなら、結界があるのかもしれない。

「悪霊捕縛符」

 天海だ。

 比留間さんの鞄を引っ張りながら、〈夢売り〉に札を張り付ける。札が当たった瞬間、逃げた。引っ張る力がなくなり、比留間さんが天海の足元に転んだ。

捕縛する予定だったのか、天海の声からすると。

 天海はしばらく立ったまま周囲をうかがう。安全と判断したのか、比留間さんに声をかけた。

「怪我はないですか」

「……あ、ありがとう」

 比留間さんは、天海の手を借りて立ち上がる。

「さっきのはなんですか?」

「あ、ええと、そのことで話を聞きたいんですけど」

 名刺を取り出して彼女に渡そうとした。

「え? どっきり? 素人のリアクションを見る番組?」

 比留間さんはわめく。目は怯えている。何が起こったか分からない。分かっているけれども解らないという状況。

「あのおばあさん、どこに消えたの? ひょっとしてここに扉があったりするんでしょ」

 〈夢売り〉がいたところの後ろにある壁を押す。ごく気配もなく、ただの壁。恐怖から生まれたいらだちで壁を叩く。

「怪我します。危ないですよ」

 その手を天海が抑えた。

「じゃ、じゃあ、さっきの本当にいたの? そんで消えたよね? お兄さんがお札つけたら……。あれ、なに、ねえ……いやああああああ」

 悲鳴を上げた。

 あれは恐ろしいものだという理解した。それと長い時間話していた。

「だって、おばあさん見たとき、ヤバいって思って、あたし逃げたんだよ。なのに、どうして、どうしてここにいたの!」

 叫ぶ。

 天海は落ち着くように言う。

 駅前で、交番もある。

 通行人の目は否応なく比留間さんと天海に注がれる。

 警官が走ってきた。

 逃げるか? 逃げないか?

 まあ、この後は僕は知っている。逃げないのを選択して、状況を治めたのだ。逃げたら痴漢だったとかいらぬ話を付け加えられてしまうだろうから。

 時間が飛んだ。

 彼女が家でくつろいでいる。本棚にはきれいに本が並んでいる。

 彼女はため息をつきながらベッドに横になる。手には文庫本。タイトルが読めた。

 『あきら君のあ』。

 それは例のあきら君シリーズの一巻だ。なんで「あ」なのか思ったけど、読むと別にどうってこともなくなんとなく「あ」なんだなと僕は思った。二巻目は「こ・い」で三巻目は「ひ・み・つ」、四巻目「ぼ・う・そ・う」、最終巻が「お・べ・ん・と・う」て増えてるんだ、タイトル。

 いや、それはどうでもいいや。

 目の前の光景。

 比留間さんはベッドで本をぱらぱらめくる。イラストがあるからそこで手が止まる。

「うわーん、あきら君とナオ兄が結ばれてほしかったよぉ」

「かなえよう、お前の夢を」

「……な、なんでここにいるの」

 比留間さんの部屋の隅に、あの老婆がいる。明るい照明の下でも暗がりにいるような雰囲気だ。

「あたしの夢っていうか……腐女子の夢だよね。ねえ、じゃ、あの男の娘にこれとこれ混ぜて話を作るっていいの? あと相手役にどこかにあの陰陽師のお兄さんがいるといいな。結構あのゴスロリの子と似合いそう」

 彼女の手には耽美なイラストの箱が乗っている。それを指さす彼女の顔は、興奮で赤くなっている。

 陰陽師のお兄さんである天海は比留間さんのおめがねにかなったようだ。う……うーん、普通のラブロマンスだったら、僕、知らないで受け入れていたかもしれないんだよね。怖いというかなんて言うか。

 目の前にいる比留間さんは、欲望に負けている。部屋に現われた謎の老婆に対する恐怖はすでに山の向こう。

「無論、お前が想像するようになる」

「うわ、鼻血でそ」

 鼻をつまんでる。

 目はキラキラしている。

「夢なら、おいしいもの見られた方がいいもんね。どうすればいいの? 寝るだけ?」

「契約として千円をいただく」

「え? やっぱお金いるか。でもさ、どんなふうに見えるの? それも分からないと契約なんかしたくないし」

 堅実なんだろうな。

 〈夢売り〉はじっとたたずむ。

「うーん、一回だけただはだめ?」

 え? すごいな、試供品を求めてる。求められるのだろうか。

 さすがに、〈夢売り〉はじっとしている。

「どうやって見せるの? どうやったら叶うの」

「お前の額に触る。触るとお前が強く思うことが伝わる。伝わったことを実行する。人を操ることができる。私と近くなることで、お前は見たままを……夢の中で見られる」

「うーん、だまされたと思って千円あげるか」

 値切るのやめた。千円を渡した後、〈夢売り〉は彼女の額に指を当てた。〈夢売り〉の姿が揺らいだ。霧散したように見える。

 とろんとした目の比留間さんが残った。

 比留間さんはゆっくりと立ち上がる。

「この娘、欲望が大きい。当分、食糧としておこう。あやつを見つけるのにも役立つかもしれない。これだけのエネルギーがあれば、淫魔をおびき出せるかもしれない。体がなじむまでおとなしくしておこう」

 比留間さんに不敵な笑みが浮かんだ。


26.

 僕は目を覚ました。

 比留間さんの思いと事件にいたる話を聞いた気がする。聞いたより、見たなのかな?

 ヨルにも比留間さんにも確認を取っていないけど、たぶん、そうなんだろうな。

 天海に相談してみよう。不思議なことばかり。

 不思議じゃないのかな。

「なんで、こんな状況なんだろう」

 暗いのでよく見えない。僕は体を動かそうとしてつぶやいた。

 うっすらと明かりが点いたようで、少し状況が分かった。

 僕の体は妙なもので固定されている。何か生臭い。新鮮な臓器っていう色をしているものが目に入る。

 大人の男の人の腕の太さくらいある長いものが幾つものたうっている。のたうっているだけでも奇妙だが、それは大量にあり、僕の体に巻き付いている。十字に磔というわけでもなく、ゆるい。立っていたところ倒れかかって、そのまま支えましたという格好。ちょっと前かがみになっている。

 のたうつ奇妙なものは、僕の脚、腰、腕に巻きつき固定している。動けば動くのだが、これから手などを抜き取ることができない。動きを阻害してくる。逃がす気はないというのがよくわかった。

 脚はレギンスがあるからスライム状のアレの時よりはましかな。でも、その上からなでるような動きを取るし、粘液がしみこんでくるし、良い状況ではないのは間違いない。一言で言うなら、気持ち悪い。

 触手は僕の体中を撫でまわっているような状況だ。気色悪い。

「うわー、あきら君が目を覚ました」

 声と同時に、パッと明かりが点いた。薄汚れてやつれた姿であるが、非常にいい笑顔が浮かぶ。

「比留間さん、目を覚ましてください」

「嫌だよぉ。だって、これからクライマックスでしょ? これを見ないと目を覚ませないよ」

 くすくすと笑う。

「あきら君はここで触手に囚われて、意識が飛ぶほどいろいろされて~……痛いことはしないから安心してね。あきら君が快楽の虜になる直前に、陰陽師のお兄さんが助けに来る。そこで気持ち悪かった思いは忘れたいって二人で……うふふふ」

 僕は身を固くした。いや、うん、僕は間違いを正すべきか。

 いや、 正したところでダメだって分かる。

 友人である日野原さんが言っていたし。

 目の前に映像が浮かぶ。

 一つは日野原さんと浅井が不安そうにたたずむもの。事務所にいるっていうのが分かった。事務所の前に立ちこっちを見ている感じだ。

 たたずんでいた二人は、こちらに気付いたように顔を向ける。

 日野原さんは何かを確認しているようだ。僕と目が合った気がする。彼女の視線が上から下に移動し、元に戻る。頬を赤らめて、額に手を当てた。頭痛がするというときのポーズ。

 浅井は、口をあんぐり開けて、その口を隠すように片手を当てている。

「彰くん、無事?」

「一応は」

「でも、なんか、危険な状況なのがよく分かった」

「って、杏、あんた、そこにいるんでしょ! 彰くんにひどいことしないの!」

 日野原さんは怒っている。比留間さんはどこ吹く風。聞こえていないのか、聞こえていて無視しているのか。

「彰さま、なんて素敵な……ひどい格好なんでしょう」

「浅井、今、なんて言った」

 僕が覚めた声で質問した。浅井は口をつぐんで目を逸らした。

「すみません。あのゲームを調べた後、色々十八禁というジャンルを見ていました。そうしたら、意外とこう、私の中でもやっとしていたところが解決したというか。まさか、触手攻めの彰さまが見られ……げふん」

 咳をして自分の失言を消そうとした。

「……うん、いいよ、人の性癖にあれこれ言ったりしないから」

「彰さま、なんて寛大なんでしょう!」

 浅井が余計に分からなくなった。

 どうやら、これが触手というものだと理解はした。理解したところで嬉しくはない。

 触手にはざっと見て二種類あるようだ。太さがほぼ一定のものと、先に向かって細くなるもの。後は、だから、何だと思う。

 頬を触手がなでる。太さが細くなっているほうだ。頬だけではなく、執拗に僕の口に触れる。

 鼻で息ができるんだから、唇は結んでおく。

「あきら君、こっちは観客。そんで、こっちがあきら君のナイト」

 もう一つの映像。

 ああ、ヨルが元に戻ってる。僕の声で戻ったのか、天海が術を解いたのか分からないけど。

 ヨルと並行して天海もいる。天海は小脇にぬいぐるみを抱いている。

 ヨルは剣で襲い掛かってくる黒い物体を叩ききっている。天海はその後ろでやはり剣を持って、何か呪をとなるような動作を繰り返している。

 マハーマーラもいるんだ……。確かに、僕が側にいれば戦力になる。それも強力な。

「じゃ、あきら君はイってもらいましょうね」

「え?」

 触手の動きが変わった。脚を這いずっていたものが、脚の付け根付近に殺到する。レギンスを引っ張ったりしている。

 腰を支えている物はそのまま。肩や腹などうろうろしていたものが、僕の服の下に入ろうとしている。顔の側の物は、口に入ろうとしているようだ。いや、先ほどのとは異なり、細くなってなく、結構な太さがあるものだ。

 僕を上向きにして、脚を開かせようとする。力が強いから、抵抗しても無駄なようだ。でも抵抗する。

 これ、なんか、貞操の危機だもの。

「い、嫌だ!」

「泣いてる。可愛い」

 涙目になってきた僕を見て、比留間さんが嬉しがっている。

 〈夢売り〉に操られているとはいえ、殺意が生じなかったとは言い訳できない。

 服が破ける。悲鳴を上げそうになるが、口は開けない。触手が入ろうとしているし。

 嫌なものは嫌。

「さすが、男の娘。ブラもしてるんだ」

「……僕は女だよ! はじめっから」

 思わず応対してしまった。

「……え?」

 言わない方がいいって言っていたけど、言っちゃった。どうせばれるだろう、股についてないんだもの。

 比留間さんの動きも止まった。触手の動きが止まった。

「嘘?」

 比留間さんは一瞬自分で触って確かめようとしていた。しかし、触手にやらせる。

「い、嫌、だから、触らないで」

「う、嘘でしょ! あんな、え? ええ? 本当にないよ!」

 混乱してくれた。触手が得る感覚を彼女も共有できるようだ。彼女が操っている感じになっているし。

「この子を男にして」

「ちょ、なんで!」

「だって、男じゃないとBLじゃないじゃん」

「僕は女で不自由していない!」

「だから、男じゃないと意味ないじゃん。黙らせて!」

「ちょ……ふ、ん……」

 触手が猿ぐつわのようになる。僕が頭を振って外そうとするが、後ろからきっちりと押さえられているので無理だった。

 比留間さんの横にあの老婆が現れる。比留間さんの陰から抜け出たようだった。

「男にする、か。できなくはないが。女で犯した方が良いのではないか?」

 こいつ、はっきりと言った。比留間さんは濁していた部分だ。

 声は老婆ではない。若い男性のようだ。

「あー、良いのかな~」

「夢だ。夢の中だから」

「そっか~」

 納得するな!

 ん? 簡単にできないことだから、別の方向に誘導した? 性転換を簡単にできないのか、時間がかかるのか。

 そんなことどうでもいい。ひとまず、僕の性別は現状維持になったので喜ぶべきだ。

 猿ぐつわが外された。

「貴様が〈夢売り〉か。人間を餌にするためにこんなことをしているのか」

 老婆は僕の方に頭を向けた。背筋はしゃんと伸びている。フードの中で顔は見えないし、ゆったりしているローブだから体格ははっきりしない。若い気がする。

「マーラ族の若者がいるということは、我が追うものもいるということが分かった。この娘から力も得た。その礼として、夢を見せる」

 マーラ族の若者とはヨルのことだ。口ぶりからすると、〈夢売り〉が追っているのはマハーマーラだ。

 僕は「マハーマーラの居場所を知っているから離せ」と言うべきか悩む。交渉に応じてくれるのだろうか。

 それより、こいつが〈夢売り〉ならこれまでの事件への関与が分かるかもしれない。

「占い師や女の姿で夢を売ったり買ったりしていたのは貴様か」

「人間から力を得るためにやった。奴らが安心するイメージを投影したに過ぎない」

「力を得る?」

「人間の世界に逃げ込んだターゲットを追うには、力が必要だ。それに、人間の欲望を餌にすれば、ヤツも引っかかる可能性も出てくる。どこかで接点ができよう」

「……貴様のせいで死んだ人もいる。苦しんでいる人も」

 現に僕が苦しんでいる。

「礼はしてやっているんだ。互いに納得して取引しているのだ。とやかく言われる必要はない。それに、別に人間がどうなったところでどうでもいい」

「……」

 根本が違う。人間が虫の命を心配しないのと同じで、これにとって人間はどうでもいい者なんだ。

「そうだよね、夢やゲームの中なら、女の子でも簡単に赤ちゃんできたりしないもんね」

「感情移入するから、嫌いだったのではないのか?」

 僕は焦った。〈夢売り〉と話をしている間に、比留間さんは自分の考えをまとめていたようだ。黙っているからって、行動不能だったわけじゃないから。

 触手はレギンスを引っ張り破っている。引っ張ると柔らかい素材なので、簡単に破れない。伸びるだけ。伸びると、はくとことかも一緒にずるずると下がる。下がると、パンツも脱げる……。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。直に触れるところが増えてきているし。

「うん。そうだね。BLなら、どんだけやっても赤ちゃんできないし。ああ、エイズってかかるんだよね。そこまで考えなかったなぁ。でもさ、考えても仕方ないよね、物語なんだし。物語ならなんでもありだよね。だから、夢の中で、あきら君っぽい女の子にいろいろやっても大丈夫だよね」

「い、いや」

「うふふ、可愛い。まあ、あそこになくても、胸ないし」

 ……ああ、また僕が気にしていることを。

「じゃあ遠慮なく、いただきます」

「ん、んんん」

 口に触手が入ってくる。喉のあたりまで入ろうとしているようだ。

 見えないけど、恋人や医者じゃない人に触られたくないところも感触がある。

「あんた、バカでしょ、杏」

「あ、彰さま」

 日野原さんや浅井の声が聞こえる。

 扉が開くような音が響いた。

「彰、今……助けるかどうか悩ましい姿ですね……」

 ヨル、後で小突く。


27.

「うわ、ナイトが来た。陰陽師のお兄さん、なんかイメージ違うもの持ってる」

 触手が動くのをやめた。僕をぶら下げるように持つ。

「ヨル、助けにくる勢いがなんで途絶えたかって聞いていいか」

「え? 今、聞きますか? そりゃ、彰のむふふなシーンを見たいというスケベ心に負けそうになりました」

「……」

「それは一割程度です。わたくしとしては、誰がそれに殺害依頼を出したかってことが問題です。彼女がらみですよね。彼女、ヤクシャ族だったですし」

 ヨルの視線は〈夢売り〉に向けられている。これの正体に気付いているみたいだ。ということは〈夢売り〉はヤクシャ族の人ということなのか。

「見ただけで分かるのか?」

「匂いが違うんですよ、一族によって。ほら、人間でも住むとこ違うと匂い違うでしょ?」

 ヨルが簡単に説明してくれた。僕には分からないけど。

 〈夢売り〉はボロボロのローブを脱ぎ捨てた。

 暗い色の長袖に長ズボンをまとい、髪を後ろに非っ詰めている若い男だ。

「貴様には用がない。王を殺すためにここまで来た」

 左右に一本ずつ剣を握る。刃が反り返り三日月のような形だ。

 比留間さんが倒れた。青ざめ、震えて丸くなる。一回り小さくなった気がする。

「まさか、そんな姿になっていたとはな」

 マハーマーラが入っているぬいぐるみを指している。

「分かるはずないな」

 天海はマハーマーラを地面に置いた。空いた手には札を握る。剣の刃には北斗七星の印が入っている。

 天海が陰陽師って感じがする!

 僕はワクワクしてしまった。

 感激している場合じゃない。早く決着をつけないとだめだ。比留間さんが死んでしまう。

「後をつける輩がいるのは知っていた。まさか貴様だったとはな」

「後宮に入り、彼女は涙しかなかった。貴様に不貞を疑われ、暴力を振るわれたと聞いた。事実だと聞いたからな」

「不貞を働いた奴が悪い」

「わがヤクシャ族から娶っておいて何を言いだす」

 〈夢売り〉だったヤクシャの青年がマハーマーラに向かった。ぬいぐるみでも、身体能力はそのままだと天海が手紙に書いてあったから問題ないだろう、放っておいて。

 ヨルも封じられている。人型にならないと力を振るえない。違いがあるんだろうけど、僕には区別つかない。僕が嫌がることもできるって言ってたな。いや、嫌がることは自主的にしなかったって。封じ方の差なんだろうな。

 マウスのまま戦うのを見てみたかったかもしれない。

 それより、今回の事はどうしたらいいんだろう。マハーマーラがどうなってもいいけど。行動を制約すれば、簡単に負けるだろうけど。

〈夢売り〉だった若者がマハーマーラに向かったので、天海とヨルは僕の方に来た。彼は二人を相手にするつもりはないようだ。

 ヨルはもっている剣で触手を切っていく。あっさりと切れるもんだと感心した。

 僕は支えがなくなると、地面に向かって落ちる。

 ヨルが抱えてくれた。そのままヨルは僕をぎゅっと抱きしめる。息ができないほどだ。

「苦しい、離れろ」

「彰が誘拐されるのが分かったのに、阻止できずショックでした。でも、良い姿……じゃなくて、無事な姿見られて良かったです」

 どいつもこいつも、頭の中に何かわいているんじゃないのか? ヨルは仕方がないのか。

「それより、比留間さん」

 比留間さんの横には天海がいる。脈を見たり状況を確認しようとしている。

「連れて出ましょう」

 彼らが来た道が一番いいんだろう。そっちを見ると、マハーマーラと青年が戦っている。

 ぬいぐるみ、何を持って戦っているんだろう……。手元が見えない、素早すぎるんだよ、たぶん。

「あの二人をどうにかしないと」

「王が死んでくれるの待ちませんかぁ? きっと彼女が望んだことでしょうし」

「そうですね」

 天海とヨルが納得した。

 僕も納得する。

 いや、しちゃダメだろう?

「比留間さんは?」

「ええ、そうですね。なんとか通りたいんですよ、やはり」

「なら、こっそり通れば通るんじゃないかな」

「彰さまは見えてないんですね。無理ですよ、あの人たちの周り、半径十メートルは危険です。風圧でバラバラにされてしまいますよ」

 僕は不安になる。

 移動して来たらどうなるんだろう?

 僕は何が一番いいのか分からない。ヨルは僕を抱える。僕はヨルの首にしがみつく。片手で僕、片手には剣。

 ヨル、力強いんだな……。

「彰さま、上着を」

 天海が背広を脱いで渡そうとした。ヨルが一歩下がる。

 僕は自分の服の状態を思い出した。着たいけど、汚してしまうし。躊躇しているとヨルがなんかつぶやいた。

「あれ?」

 服が別の物になっている。白いフリルのたくさんついたブラウスとスカートだ。

「ええ、幻覚ですよ」

「え?」

「幻覚だから見えないことは見えないですよ」

「そっか……お前、見えてるだろう」

 僕は胸の方をヨルとの間になって隠れるようにした。

「うふ」

 ヨルが嬉しそうな声を出した。

「……何」

「いえいえ。彰が可愛らしくって。本当に、もう、このまま連れてって、二人っきりの生活も夢みたいですねぇ。でも、マウスにされるので、なんの楽しみもないですけど」

 僕は疲れてきた。

 比留間さん、死にそうなんだ。優先事項は彼女を助ける事。


28.

「天海、あいつらを止めることできないの?」

 僕の質問に天海は渋面を作る。

「乙女の祈りが一番ですけど」

「やる」

「いえ、物の例えです。多分、下手に近づくとあなたが傷つきます」

「でも、比留間さんは」

 天海は首を横に振った。

「なら……」

 僕はヨルから降りようとした。ヨルは離さない。

「ヨル!」

「彰が怪我をするかもしれないのに、わたくしが行かせるわけないでしょう?」

「比留間さんが」

「彼女は自業自得です。成行きで契約したのかもしれないですけど、はじめに抵抗していればよかったんです」

「しかし」

「彰」

 僕はヨルをじっと見つめる。ヨルも見ている。ヨルの顔が近付いてくるような……。

「〈壁〉」

 天海の鋭い声がする。

 僕はヨルとにらみ合って、周囲を見ていなかった。

 僕は顔を上げた。振り回されるような衝撃が伝わる。何が起こったのか理解できない。

 天海の側に移動している。

「彰さま!」

「僕は、無事だけど……ヨル?」

 足の先に地面を感じる。ヨルは僕を胸の中に押し込めるようにして動かない。

 逃げないといけないだろうし。

「無事ですねぇ、彰?」

「ヨル? 怪我してる!」

「肺までいっちゃいましたかね……」

 口から血があふれる。

「ヨル? ヨル!」

 ヨルは力尽きたようで、僕を抱えたまま倒れた。

 重たいからってマウスに戻すべきか。

 戦う音が間近になっている。ちらりと天海を見る。お札を前にかざして座っている。汗びっしょりだ。かざしている札の前に、衝撃波のようなものが当たっている。そのため、半円の透明な壁があるのが見えた。戦いの余波から守ってくれている。

 ヨルは僕をかばいながら、このシェルターに運んだんだ。

 このままじゃ本当にだめだ。

 僕はヨルの下から這い出る。服が破れた状態になっている。ヨルが倒れているから、持続していないのだ、幻覚が。

 ヨルの状況を確認する。彼の背中はざっくりと斬られている。こんなに大量な血を見るのは初めてだ。

「……ヨル、生きてるよね?」

 僕はヨルにしがみついた。

 はっとした。

 そもそも、息しているんだっけ? マウスと一体化しているんだから血だってあるんだっけ?

 からかっているのか。いや、自分自身にも危険が迫っている状況で遊ぶわけはないだろう。ヨルだとしても。

 マウスに戻すのがいいのか。

 分からない。僕はどうすればいいんだ?

「お前ら……」

 僕は無力だ。

 乙女の祈りが嘘だってことは分かる。

 僕も、天海も、夜も、比留間さんも助からない。比留間さんとヨルは瀕死だし。

 僕は立ちあがった。

 怖い、やらないと。

 ただ死ぬなんて嫌だ。死ぬとは限らないけど、今の状況を見るとマイナスに考えてしまう。

「彰さま、出ないでください」

 見えない壁はあって、僕たちを守ってくれている。天海の声は苦しそうだ。それでも僕を守ろうとしてくれる。

 僕は壁を越えた。簡単にすり抜けた。

 風圧が僕を襲った。怖くて顔を両腕で隠した。あちこちに切り傷ができる。

「お前ら、やめろ!」

 この声で、マハーマーラが硬直した。そうだ、あいつは僕の言うことを聞かないとならない。

 ヤクシャ族の青年は僕の声で一瞬手を止めた。動かなくなったマハーマーラに気付き、とどめを刺すだろう。

 マハーマーラを蹴り上げた。宙に舞ったマハーマーラを攻撃するために構える。

 僕はヤクシャの青年の胴体にタックルした。

「何をする」

「あれは、僕のぬいぐるみだ。それを壊すと言うなら止めるだろう」

 ヤクシャの肘が僕の頭に当たった。痛い、でも離せない。

「人間風情で邪魔をするな」

「僕から言わせれば、勝手に人間社会にやってきてかき混ぜるな」

「地上の王者のつもりか」

「関係ない。たまたま、ここには僕がいて、ヨルたちがいる。僕一人だったらライオンに襲われるよ。王者って何を指して言うんだ」

「人間のせいで失われる命がある」

「そんなんなら、貴様はすべての人間を殺せばいい」

 僕は思わずカッとなって言った。

「な」

「できないなら、そんな反論するな」

 ヤクシャは黙った。ヤクシャは振り上げていた手を下した。僕は彼を離した。なぜなら、筋肉から力が抜けたからだ。僕なんかより運動能力が高いんだから、簡単に僕やマハーマーラを殺せるだろうけど。

「小娘、そのまま殺せ!」

「やかましい、マハーマーラ。もともとは、貴様が婚約者いる女の子を気に入ったとか言って、連れて行って、つまらないから放置して、慰めに来た人やその女の子をいじめたんじゃないか」

「王なんだからいいだろう」

「前も言っただろう、そんな王、消えるのが運命だって」

「な、なんだと」

「たまたまマーラ族っていうのが気が長かったのか、平和だったのか知らないけど、貴様は王様でいられた。それだけだろう」

「言わせておけば」

 マハーマーラが動いて、僕の首に両手をかけた。両手なのかな?

 僕は引き離す。

「なんで、こやつとは戦えたのに、貴様にかなわないんだ」

「だって、僕の命令を聞くようにできているんじゃないか」

「あ」

 マハーマーラは硬直した。忘れているんじゃないかな、行動規制入っているって。さっき硬直したじゃないか。意外と覚えが悪いのか。

「婚約者だって、連れ去られた彼女に未練は残るよ。でも、寵愛を受けて穏やかに暮らしているっていうなら、幸せだよって言ってくれるなら、彼だって諦めたかもしれない。でも、貴様は、逆の事をしてきた。つまらないから放置、別の男の人と会話したから殴る蹴る。むしろ、その相手してくれた人に感謝すべきだ。寂しがっている彼女に娯楽を提供してくれたんだよ。それなのに」

「……余は……王だ」

「ただのぬいぐるみだけどね」

「余はどうすればいいんだ」

 しょんぼりした声だ。

「空気を読めってことでもないし。王様に求められる資質って僕は分からないし。ただ、後宮の問題はその住人の問題でしょ。女性同士でもめるのも、結局、家を背負ってるのとか、男性が魅力的だからってことでしょ。まあ、今回は前者しかないみたいだけど」

「余にだって魅力は」

「権力」

「ぐは」

「うーん、それくらいじゃないの。まあ、僕は実際のマハーマーラ知らないわけだし、大きなこと言えないけど」

 マハーマーラは黙った。

「人間の娘」

 ヤクシャが声をかけてきた。持っていた短剣は鞘に納められている。

「そやつは生かすのか」

「僕が裁くことじゃないから。僕が知っているのは、ヨルを殺そうとしていたこと、ヨルと彼女をいじめたこと。それだけだから。ただ、性格的に問題があるから、こうしておくんだ」

 僕の答えに彼はうなずいた。決めるのは当事者たちだ。王制でどこまで裁けるのか分からないけど。特に暴君みたいだし、マハーマーラ。

「なら、我もここに残る」

「え?」

「こやつが変わるなら、我はそのまま立ち去る。やはり腐ったままなら、殺す」

「え、いいんじゃないか?」

 マハーマーラがはっとして嫌だと全身を持って表現する。

「それより、貴様の場合は、人間を死に追いやったという罪がある」

 ヤクシャははっとした。逃げるようなそぶりを見せたので、僕は腕をつかんだ。しがみついてずるずると。

 ふと気づくと、そこは事務所の前になっていた。


29.

 僕たちは探偵事務所の前に出た。

「彰さま、怪我しています」

 浅井はおろおろと僕の方に来ようとする。

「浅井さん、すぐに救急車を」

 天海が比留間さんの手をさすりながら一喝した。体温が下がってきているのかもしれない。日野原さんが走り寄って、彼女の頬に触れていた。天海のように手を握る。

 いつもなら反発するだろう。状況を把握する力を彼女はもっている。浅井は事務所の中に消えた。救急車を呼んでくれるだろう。

 僕はつかんだままのヤクシャをどうにかしたいのと、ヨルの様子が気になっている。ヨルはエレベーターの手前に倒れていた。

「マハーマーラ、こいつを見張っていてよね」

 僕はマハーマーラをヤクシャの服に付けて、ヨルの方に向かった。

 ヨルは血まみれで倒れているわけではない。背中を斬られたはずだが、傷も見えなかった。幻覚だったのだろうか。

 からかわれたのだろうか。

 どうしていいか分からないが、横に膝をついた。ヨルの頬に触れた。手に伝わったのは冷たさだった。

「ヨル?」

 僕は不安になった。ひょっとしたら死んでるのだろうか。

 これまでヨルに触ったことはある。抱きしめられた時、冷たいとは感じなかった。ということは温かいはずだ。

 ヨルを仰向けにしようと肩に触れた。

「彰?」

 ヨルは目を開けた。

「よ、よかった」

 僕はほっとした。まだ安堵はできない。

 ヨルは体を起こそうとする。僕は手伝った。エレベーターの横の壁に寄りかからせた。

 ヨルの指が僕の頬を撫でた。

「傷、できちゃいましたね」

「こんなの、すぐに治るよ。それより、ヨル、怪我は」

「何とか。少しずつふさいでいますから、しばらく眠れば治りますよ」

 しゃべるのもつらそうだ。僕はどうしたらいいのか分からずおろおろする。傷はふさがっているというから心配はいらないのか。でも、眠るということは、体力はないってことだろう。

「彰、お願いがあるんです」

「なんだ?」

「わたくしの肌に直接触ってくれませんか」

「え?」

「手を握ってくれるだけでいいですから」

「ああ、そういうことか」

 僕はヨルの手を握った。ヨルの手は大きい。僕より背丈もあるし、男だから当たり前だけど。

 なんかドキドキしてきてしまった。

 ヨルはにっこりと笑う。目が閉じられる。

 まさか、死んだりしないよな。

「ちょっと、ヨル?」

 ヨルは寄りかかっている壁に沿って横に倒れていく。僕はヨルの肩を押さえて、倒れないように努力する。

 力が入っていないヨルはどんどん倒れる。

 僕も倒れそうになる。

 その時、僕は引っ張られた気がするんだ。

「ん?」

 ヨルの唇が、僕の……え? え? ええええ?

 その間もヨルは倒れ続ける。途中で唇は離れた。

 困惑する僕は押し返すこともできない。壁にぶつかるように、僕は倒れた、ヨルの上に。

 僕はヨルの首に両腕を回すように抱きしめ、呆然とする。

「事故、だよね」

 ヨルからは答えが返ってこない。寝息が僕の耳に聞こえてきた。突き飛ばすわけにはいかず、天海が助けてくれるまでこのままだった。

 救急車がやって来た。

 比留間さんは日野原さんに付き添われて救急車で搬送された。天海もついていくことを提案していたそうだが、日野原さんが引き受けてくれた。

 救急隊員はヨルも連れて行く患者かと尋ねてきた。それほどひどくはないから、タクシーで自宅に連れて行くと言う。

「人間じゃないのに、人間の医者に掛からせるわけにはいかないので」

 天海は言った。その通りだよ。僕、どうしていいか分からなかったから。

「マウスに戻した方がいい?」

「戻してしまうと、顔色など見えませんよ」

 もっともな答えだった。

 天海は僕をヨルから離して、ヨルをひとまず探偵社の小部屋にある長椅子に寝かせた。起きなかったところ見ると、本当に眠っているんだ。実は僕、寝たふりじゃないかって疑っていた。

 僕は所長室でカーディガンを取り出した。ボロボロなので着替えないとならないけど、まだ処理することがある。浅井が僕の怪我を消毒しようと、救急箱を手についてくる。ひとまず後回しに僕はする。

「警察も来るでしょうから、その前にヤクシャの方をどうにかしないと」

 ややこしいことこの上ない。天海は一度自分の机に向かう。ロッカーを開けると、ぬいぐるみを一つ取り出した。マハーマーラが入っているのより、若干小さいぬいぐるみ。

 なぜ、そんなのが出てきたのかが不思議だ。

 ヤクシャは逃げないでイライラとぬいぐるみとにらみ合っている。

「ヤクシャの方、人間側からすると、事件に絡み、あなたを生かしてはおけないんですが」

 天海は穏やかに話しかける。

「なら、殺せばいい。マハーマーラをその前に殺す」

「別にかまいません、そこは」

 僕は首をかしげる。天海はきっぱりと言うし。

「でも、彰さまが生かすと言っていますし。どうです、彰さまの下僕になりませんか? そいつを見張れる上、美少女の元で愛でられるという特権があります」

「……美少女などどこにいるんだ?」

「……」

 天海は笑顔のまま硬直した。爆笑しそうだ、こいつ。ヤクシャは困惑の表情で僕を指す。

「少年だろう、これ」

「う、うわ……貴様、比留間さんとの会話聞いてなかったのか」

 ヤクシャはうなずいた。僕、今まで男だと言われたことはなかった。言われないだけで実は思われていたということか? 僕の女性ホルモンはどうなってるんだよ! 二次性徴は来てるはずなのに!

「そういえば、男にしろとか言っていたな。仇がいたから聞き流していたが。何もなかったから、男だろうと勝手に思ってた。すまない」

「僕が気にしていることをぬけぬけと」

 何もないだって? まな板だって分かってる。まだ、望みは捨ててないけど……。

「どうします? おとなしくしてくれると言うなら、このぬいぐるみに入ってもらった後、彰さまの作る呪文で今の姿にもなれるという特典もつけますよ」

 僕が睨みつける中、ヤクシャはうなずく。

「期限は?」

「三年」

「こやつは?」

「無期限。彰さまが更生が完了したとみなした時まで」

「わかった、受けよう」

 僕はマハーマーラを摘み取った。これがいると邪魔だろう。

 天海は口に札を加えると、呪文唱えと印を結ぶ。足はステップを踏む。確か、これも意味があったはずだ。細かいことを僕は知らない。

 しばらくすると、ヤクシャの姿がゆがんだ。天海がそこにぬいぐるみを押し付ける。歪んだものはぬいぐるみに入るように消えた。

 ぬいぐるみの額に札がつけられる。

「コマンドワードはヨルの時と同じですよ。あ、戻すときはマウスじゃなくてドールで」

「あ、うん」

 助けてもらうこと前提なんだ。まあ、好きかって戻しずらいだろうっていう意図もあるんだろうけどね。

 警察が来たのはこの後だった。僕はぬいぐるみを持って探偵社に入った。


30.

 〈夢売り〉という人と一緒にいた比留間さんを見つけ、僕が争ったということで話が付いてしまった。服からDNAが出るかもということで、押収されたけど。あの粘液のDNAってあるのか、ちょっと興味がわく。思い出したくないけど。

 犯罪者〈夢売り〉をでっち上げた。でも、この件にかかわっている人は〈夢売り〉の姿を見ている。だから、フードを目深にかぶったローブの人という一致した外見は出てくる。

 迷宮入りなんだけど。

 天海が疑われたが、日野原さんや僕が必死に違うと言った。さすがに浅井は警察にでっち上げを言わなかった。かばいもしなかったけど。

 矛盾もいろいろあったけど、僕の周りで誤認逮捕も出ず安定した日々に戻れそうだった。

 ちなみに、週刊誌二誌に取材されたんだ。

 文芸誌などを出している出版社の週刊誌では、「女子高生探偵、お手柄 今話題のヒロイン」って見出しになってた。こそばゆい。ちなみに女子高生と探偵の間に吹き出しでゴスロリの一言も。あの朝倉グループの長女で末っ子でとかまで書かれてた。事件の事はさらっと触れているだけ。親の力!

 もう一誌は大衆的なためか「ボクっ娘・ツンデレのゴスロリ女子高生探偵」ってなってた。ちょっとひどいことを言われている気がした。胸がないのを気にしているとか、そういう事書かれた。

 これを見て、僕っていうのをやめようと決心した。学校の面接までは何とか私って言っていたんだけど。何度か直したんだけど。

 早速言い直そう。

 私だけのことではなく、他の人の事も記すべきだな。

 比留間さんは、〈夢売り〉といたときのことを記憶していた。夢だと本人は思っている。薬物検査もされたそうだ。犯罪者に連れ去られたということがあるから。三日ほど入院した後、自宅に戻った。その後は、引っ越し準備していたという。ここから連れ去られた経緯があるから。

 犯人はまだいるって状況だから。

 日野原さんは一日は休んだと言う。それでも元の生活に戻る。学校で僕……私と会うとあいさつはする仲になった。

 ヨルは一週間寝たままだった。飲まず食わず……って元からそうだけど。

 兄には説明して、僕……私の部屋に近い客間にヨルは置いておいた。兄は不服そうだったが、役に立っているヨルを放置することはできなかった。

 マハーマーラとヤクシャは僕の部屋が基本の居場所。時々けんかしている。ちなみに、ヤクシャに名前を付けたんだ。ヤミって名前にした。

 時々のけんかで僕の部屋を荒らしたので、雷は落としたけど。

 中間試験の後、僕はゆっくりと部屋で……私はゆっくり部屋でくつろぎたかった。ヨルも戻ってきて、うるささは倍増した。

 こいつらのための部屋を用意するべきだろうか。

「彰、彰。わたくしもぬいぐるみがいいです」

 ヨルが自己主張している。

「大きいぬいぐるみだとハグできて幸せですし……あ、あんなことでもできそうですね。ああ、護衛しないといけませんから、鞄に付くくらいでもいいですよ。彰、携帯電話買う予定だったんですよね、ストラップになるのもいいですねぇ。大きいのつけるの好きだって女子高生」

「買ってない、まだ」

 選んでもなかった。パンフレットを本棚から探す。

「彰が望むなら、あの時の続きをしたいですねぇ。戻してくださいよ、わたくしを」

「あの時?」

「……あ」

 ヨルは失言した。僕は半眼でヨルを見る。

「あの時とは、僕が君を起こした時だよな? ……事故じゃないのか」

「じ、事故ですよ。彰の唇柔らかそうだなとか考えましたけど、結局、わたくし眠ってしまって味わってないです。むしろ、わたくしのために続きをぉぉぉぉお」

 僕はヨルをつかむと、ぬいぐるみに向かって投げた。マハーマーラにぶつかって、次にヤミにぶつかる。

「彰、顔が真っ赤です」

 ヨルは嬉しそうにカタカタやっている。

「接触が一番効率よくエネルギーもらえるんですよ。だから、わたくし、回復が早かったんですよ。一か月くらい寝たきりだったかもしれないですけど。彰の、乙女のキスひとつでこんなに早く回復しましたよ」

「……」

「本当です」

 僕はなんて言っていいか分からなかった。

 ただ、ヨルのことが嫌いではないということははっきりしている。

 好きになっていいのか?

 ヨルを巻き込んで、あの二人のけんかは再開した。ぶつかったヨルへの怒りから、それぞれの主張への反論に変わり、三つ巴の口げんか。

 うるさい。

 今願うことは、僕……私に自室でくつろげる静寂をくれということだ。

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