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想像すぎて妄想となる  作者: 小道けいな
1/2

始まりから混沌まで

 R15入れたけれど、なくてもいいかなと思う微妙な路線。

 現実逃避で手元の作品を突発的に投稿。頭ひねり中、ちょっと息切れ中。

 某大賞に送った時と文章は変わってません。自分で言うのは何ですが、まだ読めなくはないときだったみたいです。何時送ったんだろう? 去年か一昨年なんだけど。

0.

 ここに記すのは僕こと、朝倉彰(あさくらあきら)が体験したことである。とても恥ずかしい……いや、事件は重要なんだけど、結果、僕にとって恥ずかしいことも含むところもある。そこを外すと、世間一般で知られているこの事件の概要と同じになってしまう。

 罪を憎んで人を憎まずとかいうけれども、僕自身、まだまだと思う。

 さて、その事件は僕が高校一年の五月に解決する。関わるきっかけも含めると、中学三年生の三学期が始まったころから記録する必要がある。

 コイツに出会わなかったら、僕はこんな目に遭わなかったと思わなくはない。

 愚痴ばかり言いそうになるけれども、良いことだってあったんだ。新しい出会いに、知識も増えた。充実と刺激の日々っていえば少しはかっこよくなるのかな。


1.

 僕は推薦入試だったので、三学期には気楽な身分だった。学校内はピリピリしているので、僕はそれなりに気を遣う必要がある。

 休日に遊びに行く相手もいない。もっとも、僕は学校で話す友人はいても、外でも付き合いがある人はいなかった。僕の性格と趣味の問題。趣味と言うと僕が妙なものを持っているみたいだから、好みとするべきだろうか。いや、家の状況も含んでいる。

 買い物は一人でよく行くことになる。兄やばあやが一緒であることが多いから、一人ではなかったけど。もう、兄やばあやと一緒に行く年でもないから、一人で行きたかった。

 兄やばあやと行かなくても、SPが付いてくるから一人はあり得ない。

 運転手つきの自動車はやめてくれと懇願した。妙な注目も浴びるので嫌だった。電車に乗って出かけるのが一番気が楽だった。

 SPには申し訳なく思うけど。運転手つきなら、その分警備しやすい。僕だってそのくらい分かる。

 出かける先は洋品店や小物の店。

 僕はフリルが付いた服が好きだ。だから、そういった店を調べて出かけるようになった。SPは体格のいい大人の男性で目立つ。

 結局、非常に浮く。

 やはり、僕は目立つ。

 結果、男性のSPではなく、女性が付くようになった。

 ネットで買い物もできるが、僕の体に合う服を見つけるなら、実物を見て買いたいのだ。

 兄が仕立て屋を呼んで好みのを作ればいいと言うが。店で見るのと作ってもらうのは違うと僕は思う。

 話を戻そう。主義を述べる時ではなかった。

 僕は、一月の半ばごろ、一人で渋谷に出かけた。

 渋谷の街を歩き回った。僕の好みではなかったけど、活気があって楽しかった。休日ということで人が多いので移動は大変だったが、なかなかの体験だった。

 家電量販店で可愛らしいマウスを買った。パソコン用品でこんなに可愛いのがあるとは知らなかった。

 ノート型パソコンだから、マウスは必要ではない。付属しているポインタでカーソルを移動させられるし、キーボードのボタンで操作はことは足りている。あれば便利だが、なくてもいいのがマウスだ。

 でも、このマウスは可愛かった。

 白い本体で、ウサギを表現しているというマウスなのだ。ホイールボタンとしっぽがラバー素材でピンク色である。

 しっぽ部分はUSBとなっており、使うときは取り外し、パソコンに差す。そうするとワイヤレスでマウスが使える。

 パッケージが愛らしさにプラスしている。パッケージから出してしまえば、顔が付いているわけではないので、白いマウスである。しっぽだって、USBのカバーなので、外してしまうとただ味気ないUSBになってしまう。

 購買意欲をそそる見た目。デザイン料で若干高い。仕方があるまい。

 使い勝手がいいかは二の次。

 でも、僕はそれが欲しかった。

 だから買った。

 使うのを楽しみに、僕は帰った。SPに見せびらかそうとしたけど。彼女は仕事で僕についてきているのだから、邪魔しちゃいけない。

 帰宅すると、夕食だ。いつもと同じで、兄と一緒に摂ることになるだろう。父は仕事で行っていたインドから帰ってきているが、忙しい人なので家にいないだろう。小さいころだったら、僕が帰ってくるくらいまでいて、出かけていたに違いない。

 兄は大学生で、学校の行事や課題で追われていなければ家にいる。

 お手伝いさんや執事が出迎えてくれて、兄は居間にいると教えてくれた。

 僕は買ったものが見せたかったから、居間に向かった。

 取り込み中だとは言われなかったから、ノックして中に入った。

 兄はソファーに座って深刻な顔をしている。扉を背にソファーに座っている人物を見て、僕はドキッとした。誰だかすぐに分かる。陰陽師の天海(あまみ)だ。父が公私ともに相談役としている人物である。

 二人は何か考えているようだった。

 何か空気が重かったから、入り込むのをやめればよかった。

 でも、僕は話したくてうずうずしていた。

(にい)(さま)、天海、後にした方がいい?」

 僕の問いかけに、二人は意を決したようにうなずきあっていた。深刻なことだろうか。

「彰、もし、動物を飼うとして、幽霊でもかまわないかい」

 兄の言葉に、天海が吹きだした。

 僕は首をかしげるだけだった。質問の意図がつかめないから。

「いえ、飼えるならウサギなどふわふわして生きているのがいいです」

 一応答えておく。それから、鞄からマウスを取り出した。

「見てください、買いました」

「……彰はウサギが飼いたいのかい」

 兄は深刻な顔を引き続きしている。見せびらかしたい僕の勢いがそがれていく。

「そうですね、ウサギでもモルモットでも。でも、動物の毛がアレルギー発作につながるので無理だって、兄様」

 僕の部屋は毎日掃除されている。多少なら問題ないが、やはり飼うとなると発作が起きる可能性が高くなってしまう。

 フカフカのぬいぐるみで我慢している。ダニが増えないように毎日埃を取る努力をする。僕が咳でもすれば、真っ先に犠牲になってしまうから。

「ネズミでもいいかい」

「……意味がわからないです。それより、天海、何笑ってるんだ」

 天海は笑いを止めた瞬間にせき込む。

「すみません、彰さま。葵さまがもどかしくてつい笑ってしまいました。実は、お父君が買ってきたインド土産に悪魔が憑いていたんです」

「……悪魔?」

「それを手なずけて、彰さまの護衛にできないかという話をしていたんですよ」

「護衛? ちょっと待って。兄様、幽霊って話はどこに?」

 葵が土下座した。

「すまない、彰、怖がらせないように例えただけで」

「ネズミだって、どうして?」

「マーラっていう齧歯類がいるんだ。それの霊だって」

「……」

 たぶん、僕の視線は冷たかったに違いない。兄は怯えていた。天海は笑っていた。兄と僕のやり取りが面白いのだろう。

『その子が彰ですかぁ? うわ、可愛いいじゃないですかぁ。いいですよ、いいですよ。言う事聞いてあげます。ただし、その子をわたくしがたっぷりかわいがるということを許してくれるなら』

 僕は曇った妙な声がするので驚いた。声変わりはしているが、少々高く、軽い感じだ。年齢は僕と同じくらいだろうか。ローテーブルの上にあるインド土産の像からする。

 像がしゃべっている? 僕は一歩下がった。像は作られて、ある程度時間を経た物のようだ。若い男性が立って手を合わせているだけのシンプルな物。

 そこに悪魔が憑いているという。

 なんで悪魔がいるのか。そもそも、悪魔が存在しているのだろうか、ということは考えなかった。

「僕を生贄にするの!」

 物語だけの話だと思っていた。まさか、僕の父の会社がこんなに大きいのも、こんなに隆盛を謳歌しているのも、悪魔の力だったのか?

「違う、彰!」

「兄様のバカ」

 持っていたマウスはここで別れてしまった。気に入って買ったのに。

 思わず兄に投げてしまったのだ。人に物を投げることはいけないことだ。しかし、投げずにはいられなかった。

 居間を後にして僕は部屋にこもった。

 三十分後、お手伝いさんにご飯を運んでもらって、僕は自室で食べた。兄と顔を合わせて食べたくなかった。

 僕のことを心配しているのは分かる。SPの代わりにということで用意しているのかもしれない。冷静になると悪いことをしたようにも思う。

 ただ、本当のことは隠していて、会社が傾くから僕を生贄にして、悪魔の力で再建しようとしているのかもしれない。

 そんなら天海にさせればいいのに。きっと祈祷や術でなんとかしてくれるに違いなもの。

 この時点では、僕は陰陽師が何でもできる術者だと信じていた。

 天海は隠しているけれども、念動力でものを動かしたり、空飛んだり、式神操ったりできるって考えていた。天海は普通でもかっこいいのに、もっとすごいんだと。

 まあできなかったとしても素敵な男性だけど……。


2.

 僕は食後に、風呂も入って部屋でごろごろしていた。

 兄が尋ねてきた。

 謝罪だと言う。無視するのは大人げないので入れてあげた。

 兄には椅子を勧め、僕はベッドに座った。

「すまない、彰。きちんと順を追って話せばよかったと、僕は気付いたよ」

 そうなのだ。僕が望んでいたものはそれだ。まあ、順を追って話してくれたからといって、おとなしく生贄にはならないけど。

 僕は説明してくれるだろうとじっと待つ。

 椅子に座った兄は、そわそわとしている。手にはあの買ったばかりのマウスがある。それも、パッケージから取り出されている。その上、お札が付いているんだが。

 新しいものを開ける楽しみが奪われている。投げた時点でその権利を放棄したのと同じか。

「彰は一人で出かけたいと言っていただろう。だから護衛にできるようにしたんだ。マウスに入れた。名前を付けてやってくれ」

 何をマウスに入れたというのだ。

 なんのマウスに入れたというのだ。

 冷静にならないと理解できない。帰宅してからの状況を考える。結論は、僕が買って来たマウスに、像に憑いていたという悪魔か幽霊を入れたということ、だろうか。

 非現実的であるが、陰陽師である天海を雇っているのは現実。

 目の前の現実に僕は怒りが湧き上がる。

「兄様、何考えてるんだ!」

 大きな声と同時に僕は立ちあがった。

 これまで兄や父には敬語で話すようにしていた。でも、それはそれ、これはこれ。

 兄は僕の怒りに触れた瞬間、絨毯の上に正座した。

 小さくなった兄の前には、あの白いマウスがお札付で置いてある。

 お札付マウスはカタカタと動いている。

「兄様!」

「すまない、事後承諾で」

「そういう問題じゃない」

「札を彰がつまんで、ゆっくりと名前を呼びながら外すんだ。そうすると彰が主になる。こいつは言うことを聞くぞ。ちなみに、マウスから活動できる本体に戻すときは『助けて●●』だ。そこからマウスに戻すときは『●●、マウス』だ。なお、●●は名前な、こいつの。彰が決めればいい」

 なぜか、すごいよなと感心する顔で説明している。

「……兄様……僕が買って一回も使っていないマウスになんてもん入れてるんだ!」

 僕はへなへなと崩れ落ちる。目の前にマウスが転がっている。泣きそうだった。

「名前を決めてやらないと、こいつも自分で動けない」

「いや、動いているじゃないか」

「これ以上ってことだよ。彰を守る悪魔なんだ」

「……悪魔なんているの」

「ちなみに、種族名はマーラだ」

「齧歯類だっけ?」

「そっちの設定でもいい」

「設定って何!」

 僕は困った。

 大いに困った。

 この時、これがどんな性格か分かっていない。ただ、兄の思いつきで、天海がこのマウスに憑依させたとしたら、悪魔に非常に迷惑をかけてしまっていることになる。

 説明は順すら追わず。居間での会話を含め断片的なもの、僕が推測して補っている。この時点で理解したことは、このままじゃ、こいつが可哀そうということ。

 僕が名前を付けることで、これが少しでも楽になるならいいと考えた。

 僕はこの時、居間で聞いた言葉に関しては忘れていた。思い出していたら、断固として拒否していたかもしれない。

「うーん、ヨルっていうのはどうだろう? 呼びやすいし」

 僕はマウスを手にして、お札に触り、ゆっくりと名前を呼んだ。

「ヨル」

「うわー、嬉しいですぅ、ようやく動けます。彰。良い匂いですね。風呂上がりですか。防水の物であれば、わたくしも彰と一緒できるんですが」

「……」

 僕はマウスを放り投げた。

 一瞬でも同情した自分に怒りがわいた。忘れていたとはいえ、居間でしゃべった像である。どう考えてもいいモノに思えなかったのだ。

 ただの助平ではないのだろうか? 齧歯類どころか、人間の男かつロリコン。

「あああ、なんてことをするんですか、彰は。投げたら壊れてしまうじゃないですか」

「……僕のマウス……なんか変」

「変とは失礼ですよ。わたくしだって、もっと違うものに憑きたかったです。ああ、もちろん、彰が常に本当の姿のままがいいというなら、そっちでオッケーですよ」

「……本当の姿は齧歯類?」

「戻してみれば分かりますよぉ」

 まさに悪魔のささやき。

 僕ははらはらしてみている兄をまずは部屋から追い出した。兄がいたとしても、これが何でどうやってこうしたのかなど説明をしてくれる気がしない。言い訳するだろうし。なら、このマウスから説明させていいはずだ。

 悪魔だろうが動物霊だろうが、天海がこれに封じたのだ。封じられている間は、僕に対して危害を及ぼす存在にはならないだろう。

 とりあえず、僕はネットや家にある百科事典で、これについて調べることにした。

 まずは百科事典。マーラとは人物名と地名、動物があった。

 マーラと言う名前の動物は、テンジクネズミ科の哺乳類だ。南アメリカのアルゼンチンにいるらしい。そして、結構大きく、頭と胴を合わせて七十五センチ前後あるらしい。ノウサギに似ているらしく、草原ウサギと呼ばれることもあるという。

 ニュースでも話題になるカピバラは、七十五から百三十センチあるらしい。

 実物が見てみたい。

 動物園に行きたいけど、アレルギーが出てしまうかもしれない。きちんとマスクしていけば見られるのかな……。

「彰、動物好きなんですか。アレルギーってあれですよね、毛嫌いするってやつですよね」

「……うん、それもたぶん間違ってない。僕のアレルギーは、好きだろうが嫌いだろうが、抗体ができて反応してしまう方のアレルギーだから」

「抗体?」

「人間の免疫機構の問題だ」

「免疫?」

「……辞典でも見ろ」

「ええ~、元に戻してもらわないと、本って見にくいんですけど」

 僕は、次にネットで調べてみることにした。

 机の上でパソコンを起動する。机の上が気になっているようなので、ヨルをつかんで載せた。興味津々といった動作で、マウスがノート型パソコンの画面を見ている。

 ここで使うために買ったのに。一度も使わないうちにこうなるとは想像しなかった。

「彰、わたくしをマウスとして使えばいいじゃないですか?」

「使えるのか?」

「そりゃ、わたくしはマウスと同化というか、姿を仮借しているとか、そんなかんじなので、その機能は使えるはずです。ああ、今気付きました。スプーンにしてもらえばよかったんですかねぇ。スプーンだったら、食べ物を口に運ぶたびに、彰の口に触れるわけですし。まあ、ちょっと、熱いのをわたくしは感じるかもしれませんが。口に来るたびに彰のバラのような赤い、愛らしい唇がわたくしの体に吸い付くのですから。多少、暑かったとしても、全てが消し飛ぶ喜びですね~」

 マウスが悶える。

 いや、これまでのカタカタという動きと同じように見える。

 それでも何か異なる。

 分かりたくないが分かる。

 たぶん、はあはあと息が荒いので奇妙に映るんだ。

 彼が言っている意味を理解した。ヨルはマウスであり、マウスはヨルである。

 僕がこのマウスであるヨルを使うということは、ヨルを手で握りしめている状態になる。つまり、一見すると僕はマウスを握っている状態でも、マウスがヨルだと考えると、男性を手に握りしめている状況となるのか。そこに気付いたら躊躇するだろう、普通。

 別の疑問がわいた。マウスが体だとしても、顔と胴の区別はあるのだろうか。どこから見て判断しているのだろうか。

 そもそも、声はどこから出ているのだろうか。

 居間で見たときは、像の中にいたのだと思われる。その時はくぐもっていた。

 ここにいるマウスからする声は、はっきりとしている。会話するのに支障は全くない。

「おまえ、変。やっぱり、良く分からない」

 僕の頭の中は、この奇妙なことを受け入れるか、それとも否かのせめぎ合いになっている。

「彰、詳しく解説してもいいですよ? わたくしとしては、彰と裸できっちり話をしてかまいませんから」

 僕はむっとした。はぐらかされているような、からかわれているような気分になってきたからだ。

「彰、顔が真っ赤ですよ~。照れると一層愛らしさが増しますね」

「照れてない。怒っているんだ」

 僕はそっぽを向いた。でも、このままでは負けた気分になる。

 話をするために、平常心をどこからか持ってくる。

「……ふむ。じゃ、どこから声が出ている」

「なんとなく、適当に。イメージとしては、このあたりですかね」

 指差しているつもりに本人はなっているのだろうか。僕には全く分からない。

「ここ、と思うところを彰が指してください。答えますから」

 マウスの先頭部分を指さした。

「そこですよ、イメージは。彰、もっと突いてください」

 やめた。

「どこから音を聞いているんだ」

「てっぺんあたりですかねぇ。顔がああだから、クリックできるあたりですかね、目と耳は。まあ、イメージなので……彰、何を持っているんです」

「油性ペン」

「描くと楽しいですか?」

「なんとなく。僕としてはないよりマシかなって。でも、顔があったとしても、物と話しているという状態からは逃れられないのだが」

「そうですよねぇ。ですから、わたくしを戻してくだされば、手取り足取り話しできますよ」

「いや、話をするのに、手取り足取りはいらないし」

「ううう、純情すぎて可愛らしすぎます。ああ、でも、本当に彰は調教しがいありますね」

「……何を言い出すのやら。むしろ調教するのは僕だろう。動物であるお前を」

 マウスはまた悶えた。押し殺すような笑い声もある。笑い転げているのかもしれない。そもそも、マウスの感情など見た目でどう判断すればいい?

 僕が言っていることはおかしいのだろうか。いや、このマウスにいるヨルがおかしいのだ。

 ヨルは放っておいてマーラについて調べる。

 ネットでひっかかるのは圧倒的に、仏教における悪魔となっている魔羅のこと。これをマーラと呼ぶのが最近は流れとなっているようだ。事典類だと魔羅であるのだが、ネットだとゲームやメディアの影響かマーラが多いようだ。

 その、グラフィックはちょっとなんていうか、僕には直視しがたいものであった。半人半蛇の姿のマーラもいるけれども……なんか……。

 確かに、魔羅は仏教の修行を妨げる悪魔という意味から派生したとされる……その、煩悩の象徴として……男性の大切なところの意味があるらしい。

 確かに魔羅なら僕でも口にできる。でもそれが隠語だって理解できるから、結局口にするのははばかれるようになってくる。ああ、みんな知っていたたら、隠語じゃなくなるか。

 まあ、天海も動物霊だと言っていたし、人間の霊であることはあるまい。齧歯類の方が可愛らしくて僕も助かる。

「ちらりちらりとわたくしを見て、彰は照れ屋ですよね」

「いや、本当にウサギっぽいネズミなのかと思うと、わくわくするんだ」

 僕は動物と仲良くできない。空想で飼う動物より、実際存在する機械仕掛けのペットの方が楽しい気がする。機械仕掛けというより、霊仕掛けかもしれないけど。

「元に戻せば、わたくしに触れるんですよ」

 動物霊なら。

 もし、悪魔とされるマーラならば、どんな姿をしているか分からないが、愛でることはできない気がする

 変身できるかもしれない、僕が好む動物に。少し、心は揺らぐ。

「ほら、もしもの時を考えたら、戻せることを確認していた方がよいかもしれませんよ」

 言われるとそう思える。

 しかし、僕はやめた。

 だって、生まれてこの方、危険なことはなかった。SPが付いていたり、一人になることは少ないけれども、誘拐されかかったこともない。

 SPが付いているおかげか、本当に何もなかったのかは分からない。父は大きな企業を経営しているが、敵がいたり、犯罪まがいの事をしてくる相手ばかりではないだろう。

「僕は寝る」

「わたくしも一緒にベッドに」

「なんで、マウスが寝るんだ」

「えええ~。じゃ、ネットしていてもいいですか?」

「……構わない」

 使い方を教えた後、僕は寝ることにした。

 数分後に一度起きて、対応することが一つできた。ヨルがうるさい。

 ヨルはUSBをどうやって外したのか分からないが、パソコンに差して無線マウスでネットを操作していた。しかし、机の上だとカチカチうるさい。

 その上、しゃべるからうるさい。しゃべるというより、感激したときの短い声っていうやつだ。

 マウスの移動する音は、クッションを置くことで軽減できた。僕はほっとして眠りに落ちた。


3.

 卒業試験も終わり、僕は本格的に時間に余裕が生まれた。

 新聞は毎日目を通している。共通項がないけど、実はあるという事件群。新聞では取り上げていないが、週刊誌では取り上げていた。僕が気付くくらいだからプロの人が仕事にするのは当たり前だとも思った。

 昨年の十一月にはじめてそれは僕の目に触れた。十二月と一月にも起こった。

 はじめは関連があるとは考えもしなかった。引っかかるところがあって新聞のデータベースを調べた。

 図書館で縮刷版を調べると大変な労力になる。電子化された新聞なら、キーワードで検索できるので楽だ。幸い父が個人的か会社としてから加入してくれていた。

 調べると、奇妙なものが見えてきたのだ。

 事件一つ目。都内の女子高生が自殺。

 成績が悪かったのを苦にカンニングをして、とがめられたことで自殺したという。本人の遺書には、カンニングをしていない旨が記されていた。また、最後のテストは無記入で提出したという。しかし、それでも満点で一位だったというのだ。

 本人が言うのだから本当だろう。無記入なのに満点とはどういうことだ。

 そのあたりの細かい調査は、週刊誌が新聞より引き継ぐ。

 彼女は学校にも両親にも正直に何があったか話したというのだ。しかし、一笑に伏されたという。疑われた初めのテストのときに「変なおばさんに千円払ったら、夢をかなえるといって来た」と。学校側と両親は試験問題を買ったのではないか疑ったらしい。

 親に疑われるのはつらいことだ。

 そもそも、試験問題を誰かに見られるところに置いている教師も教師ということにならないのだろうか? もし、彼女がテスト問題をあらかじめ見ることでテストを満点とったとしても、教師の怠惰も問題にすべきである。週刊誌ではそこを指摘する声も小さいが載っていた。事実が分からないし、テーマとずれるために小さくなったのだろう。

 彼女は、カンニングが疑われたテストの次のテスト時に「分からない問題があった」にも関わらず満点を取った。無記入の時もだが、回収されたテストが採点されるまでに何か起こったのだろうか。

 彼女は自殺してしまったから、彼女の話はもう誰も聞けない。気になるからと言って、学校を探し当てても、採点した教師が僕に話を聞かせてくれるわけない。

 週刊誌では彼女の遺書に触れていた。教師は記入されていたと断言している。生徒の筆跡かは分からないとされている。その学校の試験は、数学ですら選択制解答だったのだ。マークシートよりは見た目で分かりそうだ。そこまで調査はしていないようだ。

 ネットは学校側の不備を突き、信じない両親をさらし首にしている。

 採点が楽だから選択肢ばかりでもいいのかと僕は思うのだが。考えることはしなくても点数はとれるかもしれないわけだ。きちんと勉強しないと解けないわけだけど。

 まあ、日本の教育は教え過ぎという指摘もあるから、根底の問題だろうか。

 そんな僕も、日本の教育方針下で学んでいるのだから、偉そうなことは言えない。

 事件二つ目。都内の女子高生集団強姦未遂事件。

 ネットでの彼女の評判は、一言だと勘違い女。罵詈雑言で表現される。見た目は十人並みだとか、男がちやほやするわけないだとか。

 本人に会ったことはないので、それを鵜呑みにできない。

 彼女は誰かに「素敵な人と出会いたい。男性にもてたい」など口にしたという。占い師にお金を千円払ったということが、週刊誌に掲載されていた。

 その後から、彼女はあちこちで男性と知り合えたという。食事に行ったり、遊園地に行ったり、結構充実した日々を送ったという。付き合いだしてふたつきほどした十二月に、事件は起こった。誰か選ばないといけないと彼女はまじめに考えた。そして、一人に告白をした。直後、どこからやってきたのか、付き合いがあった男性たちが突然牙をむいたという。

 幸い、未遂で済んだ。公園から走り出て、大通りに出たのが良かったという。追って来た男たちは、周りに人がいることも意識にはない様子で、執拗に彼女を追っていたという。しかし、取り押さえられ、動けなくなると数分で黙ったという。憑き物が落ちたみたいに、なぜここにいるのかも分からなかったというのだ。ただ、好みの女性と付き合っていたという記憶はあった。しかし、名前は共通しているが、見た目は女子高生とどこか異なるという。

 信じるなら、恐ろしい話だ。いつ誰でも加害者にも被害者にもなるということか。記憶すらあいまいとは?

 彼女は一人で外に出られなくなったという。

 事件三つ目。都内女子高生強盗事件。

 これはかなり話題になった。都内の信金から盗まれたお金を彼女が使っていたというのだ。しかし、彼女は人からもらったとかたくなに証言している。

 道で会ったみすぼらしい女性に、叶えられない夢を言ったらお金をくれたという。それ以降、痛めていた膝がより酷くなったので、もらったお金で遊ぶことにしたというのだ。

 彼女の言っていることが貫徹しているため、家裁に送られることもなく自宅にいるという。親の監督下に置かれた状態だという。膝の痛みも治まらないし、外に出かける気分はないらしい。

 メディアに出ているのはこれだけだ。

 これ以外にもあるのではないかと僕は考えた。

 ヨルや天海がいるのだから、悪魔みたいなのがいてもおかしくないのかなと思う。

 それであれば、ヨルを使えばこの事件を追えるのではないだろうか。そして、解決できるのはないだろうか。

 僕は本でよく読むし、探偵の仕事だと理解していた。だからこそ、僕は探偵事務所を開きたいと考えたのだ。

 事務所によさそうなところをネットで探す。僕の家や春から通う高校から行ける場所で、街の中であるのが条件だ。

 新しいビルでまだ入居者募集しているところがある。

 善は急げ。僕は兄に言ってみることにした。大学が春休みということで家にいるし。もし、今回のことで協力してくれたら、ヨルに関してのことはなかったことにしてもいい。

 父に言うのは、形が固まってからでいいだろう。

「彰、何をたくらんでるんです? いや、違います。わたくしを人の姿に戻して、デートをしてくれるんですね」

 僕は机の縁に紙の箱を添える。それから机の上にいるヨルを箱の蓋で押して、箱の中に落とした。ちょうどいいサイズだったのだ、菓子屋の小さい箱が。見た目も可愛らしい。

「デートですね」

 うきうきしている声に、僕は答えない。

 居間に向かっていく。暇な時はここにいる。大きなテレビもあるし、ソファーもあるからいるのだろう。

「兄様、話、いい?」

「もちろんだ。天海、出てけ」

 天海は邪険に扱われる。ヨルのことがあってから、この二人には溝ができた。一方的に兄が作っているんだけど。なお、兄は僕が怒ったのが怖かったらしく、ぎこちない笑顔で応じてくる。

「天海もいるんなら一緒で。二度手間にならないから」

「なんだと。天海にも用があるのか?」

 天海と兄は顔を見合わせて、内心で首をかしげているようだ。

 僕は箱をひっくり返してローテーブルにヨルを転がした。

「彰! まさか、倒錯した関係をぉぉぉぉ」

 コテンとマウスは絨毯に落ちた。もちろん、勝手に落ちたわけではない。僕は箱の蓋ではたいて落としたのだ。

「照れ屋ですからねぇ彰は」

 箱の蓋で数回転がした。これでは話ができないので、箱と蓋で挟んでヨルをローテーブルに置きなおした。

 天海は笑いをこらえている。肩を震わせて口元を片手で抑え、僕から顔をそらしている。正直言って、隠れていないし。

「彰、それ、いつもそんな感じか?」

 兄が困ったという顔をしている。

「兄様がくれたときからこんな感じだよ」

「戻したことはあるのか?」

 僕は首を横に振った。

「助けてもらう必要もないし。兄様、ヨル、ネット通販したいって言い出したんだよ」

「……なんか俗世間に染まってないか?」

 兄は眉を寄せてローテーブルの上のヨルを見る。

「もともと俗世に存在しているんですけれどねぇ。お兄様、お兄様、彰と仲良くしたいのですけど、なかなか彰が照れ屋さんで困ります。お兄様なら、彰に接待しろとか命令してくださいよ」

「なんで、そんなことしないとならんのだ。第一、彰に命令などしてきていない」

「本当ですかぁ?」

「本当だ」

「わたくしを押し付けたのはなんですぅ」

「……それは、彰のことを思ってだな、危険をなくそうと」

「わたくしが言うのもなんですが、確かに外敵があればわたくしは彰を守るかもしれませんよぉ。しかし、わたくしに見返りが見えませんからねぇ。彰がわたくしの相手をしてくれるとか、わたくしの妻になってくれるとかいいことあるなら、力入れますけど」

 天海の笑いを抑える声が響く。

 絶句した兄。

 してやったりという顔をしていそうなヨル。

 どうでもいいと思っている僕。

 うん、天海からすると、この状況はコメディなんだと分かった。分かったところでよくないんだけど。

 僕はできれば、まじめな話で進めたかったんだけど。天海がいるんだし……。

「兄様、天海、僕の話を聞いてほしんだけど」

「ああ、すまない」

 僕はきちんと座りなす。兄もつられて居ずまいを正す。

「探偵事務所開きたい」

「は?」

 兄は目を丸くして声を出してから固まった。

 天海は笑いをこらえるのをやめて、僕をじっと見つめる。吹き出すんじゃないか、という顔なのは気のせいであってほしい。

 ヨルはコロコロと転がって笑い出した。僕は箱の蓋でヨルを払った。ローテーブルを滑っていく。縁で止まり、笑うのをやめてローテーブルの真ん中に戻ってくる。

「あ、彰さま、どうして、そんなことを?」

 天海は笑いをこらえる声だ。いつも思うのだが、天海はどうして僕を子ども扱いするんだろう。

 確かに、天海は兄より年上、父よりは若いという年齢だ。僕は子供にしか見えないのかもしれない。

 それは置いておいて、事件が起こっていること、それを解決できるのは警察より、ヨルとか天海みたいな異能だろうということを告げた。

「それは、私も加われということですか」

「そうだ。もちろん、父がいいと言ってからだけど」

「いえ、彰さま、志は立派だと思います」

 僕は胸を張る。

「私としても、異形がかかわっている可能性は予想しています。ネット上にも都市伝説になろうともがく噂がたくさんありますからね。この事件の中心にいる謎の占い師の女は、まさに都市伝説になりそうです。ヨルは確かに、人外であるため、彰さまが望んでいるものに役立つかもしれません。私は別に、特殊な力があるわけではありませんよ。陰陽道をかじっているのと、拝み屋なだけで」

「式神使えるんだろう?」

 空を飛べなくても何かあるはず。

「……彰さま、陰陽師ってなんだと思っていますか?」

「平安時代にあった陰陽寮の役職だったんだろう? そして、後年には陰陽師は役人以外の陰陽道や占いや術者なども名乗るようになり、魔法使いの別名みたいになったんだ」

「……スタート地点はあってますね」

「間違っているのか」

「魔法使いと言うあたりが、ちょっと」

「ちょっと? じゃ、魔術師か魔導師か」

 天海が頭を抱えている。いや、困っているんじゃない、笑っているんだ。

 兄は沈痛な顔をして僕を見る。憐れむような目であるけど……。

「なんで?」

「彰さま、世の中、魔法ってないですよ」

「だって天海は、ヨルを像から、僕が買って来たばかりでまだ一回も使っていないマウスに移したじゃないか」

「すみません。憑依先をそのマウスにしたのは葵さまのご命令です。許してください」

 兄は不本意だという顔をしたが、僕の顔を見ておろおろしだした。

「確かに、それはしました。しかし、式神は使えませんよ」

「十二神将とか前鬼後鬼とか」

「彰さま、本の読みすぎです。いえ、読むことはいいことですが、鵜呑みにしすぎです」

「だって」

 恥ずかしさと間違っていたのかという悲しさからしょぼんとしてしまう。式神とか術者というのが実はいないと分かってショックでもある。

 じゃ、ヨルはなんなの?

 魔法ははいけど、化け物とか悪魔とかはいるわけ? 霊能や心霊はあるってこと?

 そもそも、どこが違うんだ!

「彰、わたくしを戻してくれれば、いくらでも慰めますし、彰が正しいと思うことをしてみてもいいですよ?」

「これは? これは式神のうちにはいらないの?」

 僕は食い下がった。ヨルの性格はともかく、陰陽師っぽいならちょっと良かった。

「式神といえば確かにそうですね。でも、私が使うわけではありません。彰さま護衛用に契約した、悪魔ですし」

「悪魔って認めるんだ」

 兄は天海に無言で濁せとかなんとかいうようなジェスチャーをしている。天海は笑顔でうなずく。

「齧歯類でしたね」

 天海の言葉に兄が激しく首を前に振る。すでに悪魔で納得しているから遅いよ。

「うん、もう、ヨルの正体についてどうでもいいよ」

 天海は目をそらした。

「わたくしのことをもっと気にしてくださいよ。この格好でも彰にあんなこともこんなこともできたりする努力しますよ」

 兄がヨルを手で払った。テーブルの上を勢いよくすべり、ジャンプして壁に当たった。

「兄様! ヨルがいてもコレ、僕のマウスだよ。ひどいよ、壊れたらどうするんだよ」

「……彰、すまない」

「うわ~~、彰が、彰が、わたくしを心配してくれています。嬉しいですぅぅぅ」

 兄は意気消沈、ヨルは欣喜雀躍。

 ヨルは心配していない。僕の未使用のマウスに対しての心配だ。僕もヨルを乱暴に扱った記憶があるが、胸に手を当てずに話をすることにする。

 兄とヨルの反応はほぼ同時。対照的であった。

 兄はヨルを拾って、ローテーブルに戻した。

「天海、じゃ、ヨルは魔法使えたり、気を武器にしたりできるの?」

「……彰さま、どうして魔法があるといいんですか……」

「そうしたら、探偵ぽくなるじゃないか。霊能力でもなんでもいいけど」

 天海は「失礼します」と笑いまみれでいいながら席を立つと、廊下で爆笑した。

 そんなにおかしいことを言ったのかな?

 だって、ティーンズ向けの小説だけで探偵が特殊な何かを持っているなら嘘だと思うよ。でも、大人向けの小説でも探偵って言ったら、ひらめきがすごかったり、魔法使えたりしたりするじゃないか。

 意識していなかったけど、僕は泣き出してしまったんだ。十五歳なのに。もう高校生になるのに。

「彰? 彰? 泣くな、泣くな、彰」

 兄は非常にあわてて僕の横に来ると抱きしめた。子どものころからそうだ。僕が泣くと抱きかかえて背中をさするんだ。

 僕はも小さくない!

 両腕を突っぱねて兄から離れようとした。

「どうした、彰? 天海、貴様、彰に謝れ」

 怒鳴ったところで扉は厚い。

 厚いのに聞こえる天海の笑い声ってなんだろう。

 涙があふれて止まらない。

「彰、わたくしを元に戻してください。そうしたら、きっちりと慰めてあげますよ。それに、わたくし、武器は剣です。一応、気で作ってることにしていいですよ~」

 ヨルはわめいている。どこまで本当なのか分からない。ヨルはヨルなりに慰めてくれようとしているのかもしれない。

 結局、五分ほど、僕は兄から脱出しようともがきながら泣きわめいた。自分がまだ未熟だと痛感するはめになった。

 僕自身のエネルギーの消耗が激しかったので、話は後になった。天海の腹筋も相当痛かったようだ。知るか!


4.

 新しい事務所はさわやかであった。

 最寄駅から歩いて五分くらい、青山の閑静な住宅街手前。商店がいくつも並ぶメーンの通りに面している場所。

 新築の三階建てのビルで、そこの二階だ。一階と三階はブティック。ちょうど二階が空いていた。

 事務所は街の雰囲気にあった方がいいだろうし、僕自身が安心できるものがいいと考えた。

 扉は木製でアンティーク調。上がすりガラスのどっしりとしたものである。中は白木の床と壁にして、本棚や机も同様にした。木の匂いというのは人を落ち着かせる。

 話をするための小部屋を二つ設ける。それと所長室も仕切った。それぞれの仕切りももちろん木である。小部屋の扉はガラス張りにし、使用しているか否かがはっきりするようにした。防音もつけた。依頼人が話しているのに、隣や外に漏れるのはもってのほか。なお、中の人が見えづらいように、扉の窓にロールカーテンもつけた。

 所長室は扉は開けっ放しでもいいと考えている。上がすりガラスの木の扉にした。

 流し台も事務所にはある。構造上は所長室の横である。入ってすぐの方が良かったのだが、水回りの移動不能だった。

 間取りは入ってすぐは探偵や事務員の事務机群。左手に二つの小部屋。事務机群の先に所長室と流しがある。僕の秘書となる人が座るスペースは小部屋と所長室の間のスペース。

 動線や視界は確保されているはずだ。秘書席からは入口の扉もはっきり見えるし、通路も広めにとれている。

 所長室を窓側に作ったので、光の半分くらいは事務所部分に届かなくなった。流し台のところから入ってくるのがメーンだ。それなりに日中なら明るいようだ。

 業者の人に言わせれば、仕切りがある以前より、そんなに光は入ってこないとのこと。二階だし、面しているのが幅の狭い道路な上、前には四階建てのビルが建っているから。

 でも、外の空気や風景があるかないかって重要だと僕は考えた。

 窓には装飾文字で「朝倉探偵社」といれた。

 完成後、一階と三階のオーナーにあいさつにした。意表を付いた事務所だと好評だった。

「まさか探偵社が入るとは思ってもなかったですよ」

「内装終わった時、見せてもらったんですが、ナチュラル系のショップができると思ってました。名前入ってびっくり」

「オーナーがまさかこんな可愛い子だとは思わなかった。うちのブランド気に入ったら是非着てくださいね」

 などなど、お世辞もいただいた。

 さて、今回事務所をこう開いて思ったことは、親のすねをどこまでかじるかということ。

 自力ではできないからすねはかじるつもりだった。請求書を回すときに確認して、さすがに費用が掛かりすぎだと無知な僕とて思った。

 たぶん、地産地消だからって日本の木を使ったのも原因かもしれない。でも、日本の木材を使うと、国からポイントがもらえて商品と交換できるキャンペーンが行われていた。何をもらおうかとわくわくしてカタログを見たのは言うまでもない。

「いいことだ、彰。日本にはたくさんいい農産物があるんだ。それに、木だってそうだ。木は使ってこそ、林業が栄えるということだ。彰が経済を回すのでいいことだよ」

 費用を出してくれた父は褒めてくれた。海外からやってくるものは輸送費も含め安い。農産物もだ。便利だけど、自分の首を絞めている気もする。だって干ばつの国が農産物売っているんだぞ? 日本で干ばつなんて基本的にないんだから、作れるだろう? 水害はあるから簡単ではないと思うけど。

 父がお金を持っているから僕の意見が通り、探偵社ができた。ありがたいとしみじみと思う。

 お金だけじゃない、父を頼ったのは。探偵や事務方の人選は朝倉グループでやってくれた。お金以外も父から与えられたわけだ。

 探偵は五人と天海。天海は別格で拝み屋がらみ専従。事務方専従に朝倉グループの企業が一人女性が出向させてきた。秘書兼事務として一人出向。……出向? この探偵社、朝倉グループの一企業ってことになっていた。父は父なりに考えていたんだろうけど。

 あれ? なんかあったな……企業の作った探偵っぽい何でも屋が出てくる漫画。

 父は僕におもちゃを買ってあげたというのと同じなのかもしれない。

 僕があきたら、適当な人で埋めるつもりか畳むつもりなんだろうな……。

 僕、きちんとやるつもりなのに。

 もっと大人になってからやればよかったんだと気付いた時には、探偵社が動き出していた。

 僕が気になっていた存在は、〈夢売り〉という名前を得て、バージョンアップしていた。都市伝説に名前を連ねるまであと一歩、といったところまでやってきているように思えた。


5.

 探偵たちは依頼を適宜こなしてくれる。事務方で出向してきた六角が依頼書とお金のやり取りをしてくれる。いきなり仕事があるのは、企業内の人たちが絡んでいるのかな。

 事務方専従は六角という女性。経験を生かし、探偵社の事務の体系を作ってくれる。

 六角は初出産を控え、六月には産休に入る。だから、秘書役の人は事務も兼任するということになっている。正直言って僕に秘書がいるとは思えないから。

 学業第一だから。

 秘書兼事務は浅井(あざい)という女性。父の秘書課にいた女性だ。パーティーで二度ほど会ったけど、どうしてだろう、不思議な人だった。第一印象はテキパキ仕事ができて、信頼できる女性だった。二度目は、一度目の印象に加えて、僕の世話を焼きたがる不思議な人。僕はそんなに子供に見えたのだろうか。浅井には年の離れた弟か妹がいて、僕がかぶったのだろうか。

 不思議で一杯だ。

 そんな彼女が出向してきた。

 嫌われるより良いのだが、甘やかされているようで居心地が悪い。スプーンの上げ下げまで助けようとするのではないだろうか。僕が子どもだからなのか?

 僕がいなくても実は回る探偵社。ありがたいのに悲しい。

 ヨルに言わせれば「彰が好きなことをできるわけですから、気にしなくていいと思いますけどねぇ。人間の魂をごそっといただいてしまった、愚かな(やから)の顔を拝むのでもかまわないでしょう」ということになる。

 つまり〈夢売り〉を追ってもいいということか。天海にも特に仕事は割り振られていないようだ。拝み屋だし? ……僕のお守りだから……? 自分で言って悲しくなる。

 〈夢売り〉と名前が付いたのは四月半ばごろ。悩みがあると謎の女性が話しかけてくるが「夢を売ろうか」「夢を買おうか」というというのだ。圧倒的に噂や目撃は前者の言葉が多い。

 ただ、事件に発展したらしいものはないようだ。マスコミや警察の手の届かないところで起こっているのかもしれないが。

 こんなやつがいるらしいという噂だけで、事件がないのはいいことである。

 天海とヨルの見解は違う。

「注目を浴びることで力を得ていき、形ができてから動くんじゃないでしょうかね。穏便にただ脅かすだけか、これまでのように人間を襲うかは分かりませんけど」

 天海の言葉にヨルが同意していた。

「力というのは、人間が思ってくれば思ってくれるほど伝わってくるんですよねぇ。今はわたくしは彰専属なので、あくせく何か集めないといけないってこともありませんけど。専属なのに、彰があまりにもつれないので寂しいですけどねぇ」

 ヨルが悪魔からの見方を教えてくれた。僕が云々は無視する。

「思うと力になるのか?」

 僕の質問に天海とヨルは肯定した。天海が説明してくれる。

「思いって意外とエネルギー持っているんですよ。たとえば、彰さま……欲しかった物を手に入れるまで、いろいろ考えますよね?」

「うん、今月のお小遣いがいくら残っているかとか、次に見に来たときにあったら買おうかなとか」

「すぐに買わないとそうですよね。その時、彰さまはその物品に対してエネルギーを使っているわけです」

「でも、僕が考えるだけで、外に何か出しているわけではないぞ」

 僕は両手を突き出す。

「そうですね。気とかオーラとか魔力とか言い方はいろいろありますけど、単純に気としておきましょう。〈気〉は彰さまが見えないだけで、彰さまや私の中や外を移動しています。彰さまが欲しかったと悩むとすれば、その対象物にエネルギーは集まるのです」

「じゃ、〈夢売り〉はいるぞ、なんてここで話しているだけでも、実は……あ、僕がなんか変だから調べたいって思っただけでも同じなんだ」

「そうです。むしろ、加速させたかもしれません、動きを」

 僕は寝る子を起こすようなことしたのだ。

「ですが、名前を持っていたでしょうし、彰さまみたいな人がいなければ、解決しない事件が山積みになっていくでしょう。それに、冤罪だってでてきますよ」

 操られて女性を襲っている人たちがいた。彼らは不起訴処分にはなったが、疑いは残っていると言う状況である。もし、襲われた女子高生側が不起訴不服として審査会に訴えた場合、不起訴取りやめがありうるかもしれないのだ。

 あとはお金を盗んだとされる女子高生。彼女の場合は物理的に無理だったし、本人が一貫して否定していたからほぼ無罪。でも真犯人が分からないから、親は過干渉して注意するだろうし、疑われたことは、彼女の心に大きな影響を与えたかもしれない。

「どうやったら探せるのかな」

「難しいです。一番確実なのは〈夢売り〉に目を付けられているという人がいれば張ることですね」

「僕が狙われればいい?」

「……やめてください、面倒臭いことになるんで」

「ヨルもいるぞ」

 おとりになるのが一番確実。ヨルがいるからその場で捕えることもできるだろう。

 おとりになる僕の悩みなど、彼女たちのそれに比べると大したことはない。だから引っかかってくれるかは分からない。

「わたくしがいたら出て来ませんよ。ああいった輩って意外と敏感ですから、わたくしの匂いで逃げるかもしれません。一応こんな風に封じられていますけど、別に気配まで消されてないみたいですし?」

 ヨルは天海に確認している。天海がうなずいた。

「ですから、ポシェットに入れられていても、気付かれますよ。匂いみたいなもんで漏れるんですから。わたくしが、木端悪魔だったら気にされないかも知れませんけど。自分で言うのもなんですが、わたくしこう見えても結構強いんですよ?」

「彰さま、置いていかないでくださいね、ヨルを。護衛替わりの意味なくなりますから」

 ヨルが言った直後、天海があわてて付け加えた。

 ヨルが言うのも天海が言うのも理解できる。SPをつけない代わりがヨルなのだ。

「うん。じゃ、出そうなところを見回る?」

「彰さま、本気で言ってますか?」

「うん」

「……労力を考えると無理ですよ」

「……うん」

 僕も分かっている。

「じゃ、僕が学校帰りにうろうろするのはいいよね?」

「……わかりました」

 何もしないよりいいだろう。僕の悩みを突いてくれるかもしれない。

「彰の悩みってなんですか、ちなみに」

「〈夢売り〉出てくれないかな」

「無理ですよ、彰、そんなので出てくるわけないですよ」

 ヨルが笑い、天海がうなずいている。

「どうして?」

「悩みすべてに反応するわけではないと思うからですよ。悪魔や妖怪の類って、人間の思考を読めるやつもいるんですよぉ。わたくしは残念ながらできないんですよぉ」

「読心術ってやつだろ。魔法がないっていうからないかと思ってた」

「別に魔法にまとめませんよ。特技としてですよ」

「……そっか。魔法だって特技ってすればあるんだ」

 僕の目はキラキラとしていた。自覚はしていなかったけど、ヨルが嬉しそうに悶えたから分かった。

「読心術でもいろいろありますからねぇ。事細かに読めてしまうヒトから、強く思うことだけ読めるヒトまで。〈夢売り〉という輩がどちらかとしても、あなたが願うことに飛びつくわけないですよ。自分ができることがわかっているから、かなえられそうな人の元に現われているかもしれません」

「そっか」

 僕が好きな人と結ばれたいとか考えていれば出てくるのかな? 口には出さない。出したら、ヨルがうるさいから。

「まあ、彰がうろつくのはいいかもしれませんね。出そうなところに出向くだけですけど。大体、どこに出るか分からないのですし。プレッシャーにもなるかもしれませんし」

 天海がはっとした様子を見せた。ヨルをじっと見る。

「……彰さま、ご無理はしないでくださいね」

 天海はヨルを見た理由を言わなかった。でもなんとなく、分かった気がする。ヨルが強い悪魔だということで、縄張りを守っているとか、監視しているという状況に見えなくもなくなるわけだ。プレッシャーが加わって、早く行動したいや飢餓状態になり動かざるを得ない状況になるかもしれない。

 手がかりがないのだから仕方がない。

 被害者の女性に話を聞くというのは簡単にできない。もし、僕が公にその事件を追っているらならいいんだけど。

 そして、僕は活動を開始した。


6.

 ゴールデンウイークも終わり、僕は中間試験に向けて邁進する時期がやってきていた。

 行動を決め手からあと少しで一か月になるが、全く〈夢売り〉の気配はつかめていない。ネット上の噂も変わらず。

 学校から帰ってから探偵社に寄り、着替えてから出かける日々を送る。探偵社の動きの報告ももらう。〈夢売り〉探しに二時間くらいターミナル駅を歩くことにしている。

 おかげでいろんな駅を隅々まで見られる。場所を覚えていくのにちょうど良かった。

 木曜日の午後五時近く。

 僕は駅ビルであるデパートに入った。デパートのどこを見るわけでもなく、隅々を行くつもりだ。今まで狙われたのは女子高生が多い。また、声をかけられた人物は噂の限りではハイティーンが多い。

 本屋には多くの人間がいる。

 夕方なので、立ち読みする主婦とその子どもなどはいない。帰宅途中の学生や会社員が多く見受けられる。

 ティーンズが多いのは、奥のコーナーだ。マンガとライトノベルという小説のコーナーだ。マンガもあるから、大人もいるけれども、圧倒的にハイティーンが多い。

 いろいろな本があり、表紙を見るだけでも面白い。申し訳ないが、一部、僕には区別がつかない絵もあるけれども。それが流行の描き方なんだろうな。

 僕は中学に上がってからライトノベルや漫画を読むようになった。それまではばあやが許さなかったこともある。

 四コマが好き。ラッコが主人公だったり、学校が舞台だったり、いろいろある。

 ライトノベルは少女物が好き。なんか、こういう恋があるんだと思うと僕もドキドキする。でも、少年向けのコーナーに多い冒険ものも好きだ。

 顔をそむけるコーナーもある。この時間なら、人がいて見えにくいけれども。表紙がきわどいというか、破廉恥というか……半裸の男に男が絡むような表紙が多いコーナーがある。

 本屋によるが、ライトノベルで少女物とそういった……BLというものがいっしょくたに平積みされていると、非常に困る。

 BLというものがあると言うのは、本屋に通うようになって知った。男同士の恋愛を女性が喜ぶ視点で書いたものらしい。ボーイズラブの略語とのことだ。

 僕はそれが苦手だ。

 だから目を背ける。

 トン。

 肩がぶつかった。

 僕が通っている学校の制服を着ている。リボンの色を見ると二年生だ。

「すみません」

 僕は謝ると立ち去った。

 本屋を出るまで背中に視線が来ているのがわかった。見られているという意識。本当は見られていないかも知れないので自意識過剰かもしれない。

 本屋を出て、一息つく。

「さっきのJK、彰のことすっごく気にしてましたねぇ」

 ポシェットの中にいるヨルが外を見ていたかのように言ってくる。

 JKって……女子高生の略語だったはずだ。

「僕、そんなにぶつかったかな」

「そんなんじゃないですよ。彰、自分の格好が浮いているとか考えたことないですよね」

「うん。好きだから着ている」

 ゴスロリ着ている。厚底の編みブーツも履いている。言われて周りを見ると、こういった服はいない。

「でも、いいじゃないか。さすがに、父の会社のパーティーだったらきちんとしたドレスきるけど。TPOは守っているし」

「いえいえ。ですから、目立つんですよ、ゴスロリの格好が彰に似合っているから」

「……そっか……制服のままの方がいいかな」

「別にゴスロリでも甘ロリでも構いません。制服風私服でも彰はなんでも似合いますよ」

 ふと、デパートの鏡張りの柱にいる自分と目が合った。

 ああ、一番やってはいけないことを僕はしている。せめて手に携帯電話でも持たないとだめだ。

 独り言にしかならないのだ、ヨルと話すことは。

 そういえば、僕、携帯電話を持ってない。

 特に必要を感じないから持っていない。

 そういうときに、なぜか携帯電話を売っている店が目に入る。うちはどこのキャリアをつかっているのだろうか。偵察だと思って、白い犬の飾ってある店に入った。その後、キノコやリスの絵のある店にも入っていく。


7.

 仕事のことを忘れていたわけではないけど、気付けば携帯電話会社のパンフレット集めに奔走してしまっていた。ポシェットしかなかったので、パンフレットと一緒にビニールの袋ももらった。それを持ったまま行ったら、各社分そろった。なぜかうきうきしてしまっている。選ぶ楽しみが頭を占めている。

 別の事にうきうきしている自分に苛立ちも覚えつつ、探偵社に戻った。

 浅井が机のところにいる。僕が帰ってきたので、笑みで迎えてくれる。

「おかえりなさいませ」

「ただいま」

 僕は彼女の机の前を通り、所長室に入った。扉は開けっ放しだから真っ暗でも問題はない。手さぐりで電気をつける。

 正面にある机に置いたままの学生鞄に、パンフレットを入れた。

「浅井はどんな携帯電話使っているんだ?」

 部屋を出て尋ねる。

「え? 仕事用は社から貸与されているスマホです」

「スマホってあのタッチパネルの奴?」

「そうですよ」

 浅井は携帯電話を見せた。待ち受けを即刻動かされたが、一瞬、僕が見えた気がした。気のせいだと思いたいけど。

「私物も聞いていいか?」

「私物のはガラケーですよ」

「ガラケー?」

「ガラパゴスケータイですよ」

 日本独自の形式の携帯電話のことだったはず。

「どこのキャリアのだ?」

 キャリアを教わる。浅井は鞄から、白い外観の折りたたみ式携帯電話を取り出した。ストラップには黒い猫が付いている。

「へぇ。どっちが使いやすい?」

「スマホは充電池の持ちが悪いです。通話のできるパソコンと言えばよいですね。ガラケーの方は充電の持ちはいいので長い間通話できます。一長一短ですよ」

「なるほど。そうだ、兄様にも聞いてみよう」

「携帯電話を買われるんですか?」

「うん。便利そうだから」

 SPいるからいらなかった説もある。

 高校に上がってから付いてきていない。ヨルがその役割だと言っていたし、探偵社にいれば誰かしらいるはずだから。兄と天海はヨルのこと、父に話したんだよね、結局。SPを雇っているのは父なはずだし。

 ヨルを携帯電話に……したら秘密の話もできないし、つかめなくなってしまう。やっぱり、僕は携帯電話を持ってもいいかもしれない。

「学校でメアド教えてとか言われなかったんですか?」

「……」

 ポシェットから笑い声がする。

 クラスメイトとしゃべるけれども、避けられているわけではないが、友達と呼べる相手はいない。

 僕はまだ勉強中でどうやっていいのか分からないから。

「彰さまが購入されたら、メアド交換をしましょう」

 浅井がうきうきとして言ってくれた。

 浅井の机の上の電話が鳴った。浅井は電話番号を見てから出る。

「はい、朝倉探偵社です。はい……確かに天海はうちに所属していますか。痴漢ですか。有罪にして出さないでください……え? 身元引受人ですか……、所長に替わります」

 浅井は受話器を彰に回す。舌打ちしそうな浅井がそこにいた。

「警察から天海について電話です」

 なぜ警察にいるんだろう。

「はい、替わりました。探偵社の所長の朝倉彰です。天海が女子高生に痴漢未遂ですか? 分かりました。これから僕と成人している者とで向かいます。はい、失礼します」

 未成年なので僕一人で手続きできないこともある。

 受話器を置いた。

「浅井、残業になってしまうが、少し付き合ってくれるかい」

「彰さまのためなら」

 ため息交じりだ。

 事務所の戸締りをして、僕と浅井は天海がいる警察署に向かった。ポシェットの中のヨルが笑っているのが非常にうっとうしかった。


8.

 警察署に向かうと、天海が逮捕される寸前だったということが分かった。どうやら、女子高生を通路の隅に押しやり、痴漢行為をしようとしたというのだ。

 天海はそんなことはないという。

 幸いだったのは、目撃者の複数が証言してくれたことだ。倒れかかった女子高生を支えようとしていた、と。

 また、女子高生自身が痴漢行為をきっぱり否定し、変なおばあさんに声をかけられて怖かったと話しているという。むしろ、天海に助けられたと証言したという。脅されているとか、痴漢が怖かったからという要素も疑ったらしい。角度を変えても同じ回答だったので、女子高生を警察は信用したらしい。その女子高生は興奮状態だったらしい。

 話を聞いた後、浅井に手続きをまかせ、僕は廊下で待つことにした。

 廊下を両親と歩く女子高生を見た。制服は僕が通っている学校のだ。

「あれ? ゴスロリの子だ」

 ちらりと僕を見た彼女はぽつりつぶやいた。本屋で僕がぶつかった人に似ている気がする。はっきりと見ていなかった。ただ、リボンの色は二年生のだから同じ人だろう。

 彼女は僕を見ると笑顔で手を振ってきた。僕は小さくそれに応じた。彼女の母親が気付いて、僕を見る。

「お友達?」

「ううん、本屋さんで見かけたんだ。すっごく可愛かったから」

「そうなの」

 母親の方が興味がないようだ。彼女は本当に嬉しそうに僕を見ている。声をかけておくべきだろうかと悩む。名刺はポシェットに入っているからあわただしくなってしまう。

 なんて声をかければいいのか分からない。もし彼女が被害者ではなく、別の事件に絡んできていただけなら? 警察署で探偵社の売り込みみたいになるのも問題だ。

 結局、声は掛け損ねてしまった。

「彰さま、バカミを連れて来ました」

 バカミとはひどい呼び名だ。数時間ぶりに会うのは憔悴した天海。

「天海、報告を」

「ファミレスにでも行きませんか」

 僕はファミレスというところに行ったことがない。クラスメイトからよく聞く単語である。食べるって話はしている。調べればいいんだけど、どうでもいいことだからって忘れていた。

「そこはなんだ?」

「え? ファミリーレストランの略で、飲食店ですよ、大衆向け家族向けの」

「行く!」

 自覚はなかったが、庶民とは離れた生活を送ってきている。幼稚園から中学まで一応私立を通って来た。生活水準は似たようなところだったらしいが、それでもずれていると感じていた。緩やかにそれは気付いた。

 貧困話題を見るにつけ、胸が痛くなる。気になるが、僕に何ができるか分からない。雇用と給与を増やすことだろうか。単純なことではないんだろうな、とさすがに分かる。

 いや、社会の悩みのことは重要だけど今は必要ではない。

 単純に、僕はファミレスに行くという経験ができるわけだ。

 僕はうきうきする。天海についていく。

「ファストフードは行ったんですか?」

「まだ行ってない。どこに行っていいのか分からないんだ。自然派か激安なところか」

「自然派や手作りから入ればいいと思いますよ。葵さまに知られたら怒られますが」

「うん。浅井、どうしたんだ? ファミレス嫌い?」

 浅井はむすっとして僕の横を歩いている。

「いえ、彰さまは何一つ悪くありません。ファストフードもファミレスも体によくないものがたくさん入っているのです。ですから、あまり行かないでいただきたいと思っただけです」

 怒っているわけではないようだけど、兄と同じではないだろうか。

「そうなのか? でも、みんな、どうしてそんなに行きたがる? 幼い子供などファストフード好きと聞く」

「それに関しては、味覚が未熟な幼児にファストフードやスナック菓子は上げるべきではないのです。味が濃いため、幼児は受け入れやすいんです。そもそも、幼児は繊細な味覚を持っています。味が濃いものは刺激的でそれを覚えると味覚が狂い――」

 浅井が味覚と幼児について述べるのは割愛する。長い。僕は聞き流した。

 僕の家はシェフもいるし、母がおやつを作ってくれていた。テレビやルポを見ていると僕は恵まれているとつくづく思う。厳選された食材を食べて育っている。

「ここですよ、彰さま」

 ファミレスに到着した。

 すでに午後十時を回っているのに、店内は客であふれている。空いている席もあるが、片づけが済んでおらず食器が山積みなっている。それが何か所かあるのが不思議だ。店員が少ないとしばらく見ればわかった。

 二十四時間営業。

 僕は驚く。深夜にも人が来るというのか? 僕は寝ている。でも、世の中は動いているというのか。コンビニエンスストアが二十四時間だから、飲食店でもあってもおかしくはないのだが。いつ掃除するんだ?

 店内はいろいろな匂いで一杯だった。

 僕たちは急ピッチで片づけられた席に案内される。五人くらいは座れそうで、ソファーがコの字に近い形で設置されている。テーブルとの距離が詰められないのは、小柄な僕はちょっとつらい。

 僕が一番奥で、手前に二人が向かい合う形で座る。向かい合うといえども、浅井は僕の方を向いている。

 メニューを見ながら、僕は何を頼むか悩む。

 デザート類がたくさんある。パフェにクレープもある。

「彰さま、デザートを頼んでもよろしいですが、夕食をおとりにならないとだめですよ」

「あ、家に電話するの忘れていたよ」

「それなら、先ほどしておきました」

「ありがとう」

 浅井は頼りになる秘書だ。

 僕はオムライスのデミグラスソース掛けにサラダを付けた。デザートに季節のミニパフェを選ぶ。抹茶のアイスやゼリーが乗ったパフェらしい。

 それぞれが注文を終える。注文の際、店員を呼ぶのにボタンを押すのが面白い。僕は押させてもらった。

「ところで、何があったんだい?」

「例のアレが接触している高校生を見つけたんですよ。結果、痴漢に間違われたんですよ」

 つまり〈夢売り〉だ。

「彼女とは話す機会がなかったので、こちらの連絡先を教え損ねました。名刺を渡そうとしたんですが時間が足りず。でも、彰さまが通う学校の制服だというのが、非常に手がかりになってますね」

「学校の生徒全員がわかる名簿などないからな……何色のリボンをしていた?」

「青ですね。二年生です」

「なら、僕が歩いて探せばいい。顔は?」

「眼鏡をかけた子でしたよ。ちょっとふっくらした感じはありましたが、あの世代では平均的というか……彰さまは細いですけどね」

「……」

 顔、モンタージュも何もないからな。尋ねたところで大したことは分からない。

 廊下ですれ違った人も、天海が言った容姿ではある。

「名前は?」

「教えてくれるわけないじゃないですか、警察が」

「……廊下ですれ違った人なのかな、やはり。相手は僕を覚えているみたいだった」

「そうですね。偶然にも来ていたと言うことがなければ、その子だと思います」

 ただ、学年違うと廊下を歩きづらいということがある。それより、僕が通っている学校は一学年八クラスある。一クラス三十六人とする……探せるかな……。でも、向こうが覚えているなら、反応はあるかもしれない。宣言してしまったが不安だ。

「ヨルがいればいいのか」

「彼女はアレと長い間接触していたみたいです。契約をしたかは分かりませんが、早ければ気配が残っていることもあり得ますね」

「なるほど。契約していたかは分からない、か」

「ええ。彼女を見つけたとき、廊下の陰になるところにいました。奥に老婆みたいなのがいたんです」

「老婆? 姿が見えたんだな」

「ええ。ただ、これは彼女が見たいと思っているものを投影しているだけで、実際の姿とは限りません」

 僕はうなった。

「姿は見たまんまではない、と」

「ええ。ただ、今回のことをネットに流したら、老婆の姿になるかもしれません」

「噂を利用するわけか」

「はい。流してみますね」

「良いように計らってくれ」

「はい」

 ウエートレスがサラダなど前菜を運んできた。浅井は和食のセットなのでない。僕にはサラダ、天海にはサラダとスープが来る。

 マヨネーズを薄くしたようなドレッシングがかかっている。食べられなくないが、野菜に味がない。だからドレッシングがかかっているのだろうか。

「そうだ、天海はどんな携帯電話を持っているんだ」

「え? 携帯電話ですか? 会社からはスマホが貸与されています」

 それは浅井も一緒である。見たところで参考にならない。

「私物は?」

「スマートフォンです、フラット式の」

「ん?」

 天海が実物を見せてくれる。

 ボタンと画面が同じ面にある。

「え? スマホってタッチパネル式携帯電話のことではないのか」

「違います、彰さま。スマホイコールタッチパネル式になってますけど、もともとはこういったボタン式ですよ。使いやすいとかでパネル式一択になりそうですけど、店の中」

「僕、こっちならいい」

「あ、販売してないかもしれないですよ」

「なんで」

「日本で売れないからって撤退するって、このメーカー」

「僕、タッチパネルの嫌いなんだ」

 PCのマウス買ったのも、同じこと。ノート型パソコンだから、ポインタが付いている。別に使えないわけではないし、便利だ。ポインタならマウス見たいみたいにどこかに行ってしまうことはないし、手を動かすのが少しで済む。

 でも、なんか、こう、動かした感がないというか……。うまく反応しないときがあったりするんだ。

「彰さま、ATMで反応されなくて泣きそうですよね」

「まだ、使ったことない」

「そのうちあるかもしれませんよ」

 天海は優しく笑った。

 銀行の口座はお年玉を預けるために持っている。いつも窓口だったけど、今度はATMでやってみようかな。もらえること前提だけど。高校生だともらえないかな……。

 タブレットとかタッチパネルとか、使い勝手良いけど苦手だ。居心地が悪くなってくるんだ。

 そんな話をしている間に、メーンの料理がやってきた。

 浅井は焼き魚と煮物、雑穀入り白米と味噌汁、香の物が盆に乗っている。

 天海はステーキと皿に乗った白いご飯。

 僕はオムライス。前からこういったオムライスに興味があったんだ。テレビでよく見るし。

「いただきます」

 僕は手を前で合わせてからスプーンを取った。

 学校のカフェで食べる味かも。まあおいしいかな。わいわいと食べると味がプラスアルファであるのだから、おいしいにしておこう。

9.

 金曜日、結局収穫はなかった。あのとき声をかけていれば良かったのだけど。

 二年生のいる廊下を歩くにはいろいろ制約があった。一番は時間だ。休み時間は移動教室があるから毎回いけるわけではない。相手だって教室にずっといるわけではない。放課後とて、部活や委員会がなければ帰る人がほとんどだ。そもそも、休んでいるかもしれない。

 学校について早々ヨルは「普段と変わらないですよ」と言っていた。廊下を歩いてもいつもと変わらない様子。ヨルが役に立つのか分からなかった。

 知り合いがいればいいんだけど、部活も入っていないのでいないわけで。

 しょんぼりしつつ探偵社に顔を出して、帰宅した。ご飯を食べて眠ることにする。

風呂にはバスボムを入れる。ゴールデンウイークにお店で買ったんだ。バラの香がする。気分を変えるべきだ。

 そして、土日は自由に動くため宿題をやってしまう。読書をして午後十一時ごろ、床に就いた。

 ベッドに身を預けると、すぐに眠れそうなのは嬉しい。タオルケットと毛布もふかふかと、僕の頬を撫でる。タオルケットと毛布をくるくると体に巻き付け、寝返りを打つ。僕は眠りに落ちた。

 そう、まさかの事件が発生するまでは。

 〈夢売り〉の事件が動き出した瞬間だった。

 深夜、僕は眠っていたけれど、気配で目を覚ました。ベッドに誰かがいる。ヨルが来てもこんなには揺れない。マウスなんだから。重かったらポシェットに入れられない。

 闇の中にうっすらと人がいるのが分かった。

 僕の上にのしかかるようにいる人物は兄だったのだ。

「兄様?」

 僕は声をかける。雷が怖くいとかで、僕が兄の部屋に行くならあったかもしれない。兄が僕のところに来るのは意外すぎる。そもそも、今晩は雷だって鳴ってない。

「あきら、可愛い弟」

「え?」

 寝ぼけたような微妙な声。間延びしていている上に、感情がふにゃふにゃして気持ち悪い。

 僕はじっとしていても危険な気がしたので、逃げようとした。でも、兄が僕の腹のあたりにまたがっているので動けない。僕が動いたことで兄は肩を押さえてきた。体重をかけられ身動きが取れない。

 兄の顔が近付いてくる。

「……ヨル、ヨルはいるのか」

 僕は声をかける。

「まさか、近親相姦の現場に居合わせるとは」

 ヨルの声は興奮のあまり震えている。

「ドキドキしてないで……」

 僕は会話を中断して口を閉じる。それだけではなく、口を隠したい。兄に押さえられていない右手で隠した。

 手の甲に兄の唇が当たる。

 兄は首を傾げた後、僕の右手をどけようとする。

「ヨル、ヨルッ」

 藁をもつかむ思いでヨルの名を呼ぶ。

「呪文言ってくれないと、助けられませんよぉ。マウスなんで」

「助けてヨル」

 僕はとうとう言ってしまった。切羽詰まってるから。

「とうとう、呼んでくれましたね! 苦節約五か月」

 ゴロが悪い。突っ込みを入れたいが入れられる状況ではない。

 キスできないと分かると、兄は僕のパジャマの上から体に触ってきたのだ。

「殺していいですね」

 ヨルの声はベッドの上の僕より高い位置からする。マウスのときは、大体机の高さから声はしている。それにしても物騒なことを朗らかに言ってくるとは。

「殺すな」

「骨折っていいですか」

「無傷で引き離せ」

「まあ、仕方がないですねぇ」

 ベッドの横に来たのでシルエットは見えた。目が暗さに慣れているとはいえ、顔の細かいところまでは見ることはできない。

 ヨルは兄の腕を軽く握った。

 兄の顔がゆがむ。抵抗しているから痛いんだろう。

「おや? 操られているみたいですねぇ」

 ヨルは兄の首筋に手をやった。引っこ抜くような動作をしている。

 突然、兄は意識を失うようにぐんにゃりとなった。ヨルは兄の手首を放した。おかげで兄が倒れてくる。

「うわっ」

 ヨルが何を見ているのかとか分からない。

「ちょっと兄様」

 抱きしめられる。

 まだ操られているんじゃないのか?

 首のあたりにあたる息が一瞬止まり大きく吐き出された。

「彰? え? 僕は何しているんだ」

 上半身を起こす。しかし、僕の体と密着している状態は変わらない。顔が近い。

「兄様、正気に戻った?」

「……彰? え? まさか夜這いか!」

 兄の顔はみるみる青ざめていく。

「兄様、どいて」

「うわああああ」

 兄は一瞬でどいた。ベッドから落ちるように床にうずくまる。頭を抱え叫ぶ。

「兄様、叫ばないで。誰か来てしまいます」

「すまない、彰。彰の事は可愛い。まさか、こんなことをしてしまうとは」

「いえ、何もしてないです」

「彰はいい子だなんていい子なんだ……ってこいつ誰だ! まさか」

「兄様、黙ってくれます?」

「もちろんだ。彰が見知らぬ男を連れ込んでいるとしても、僕がしたことと」

「勘違いです。それに黙ってください。これ、ヨルです」

 たぶん。

 僕も見た事がない。明かりをつけるとはっきりと姿は分かった。

 年は十七歳くらいの褐色の肌の青年。天海に似ているような気がする。髪の毛はちょっと長いけど。ヨルには直接言わないが、かっこいいかもしれない。僕の好みに合わせているのだろうか……。読心術はもってないと言っているが、嘘かも知れない。

 日本人と異国情緒を合わせもつ雰囲気。なぜか着流しという服装であるが似合っている。

「……ヨル?」

 確認を込めて名前を呼んだ。

「ようやく戻れたわけです。彰にわたくしの姿を、じっくり見てもらえるわけですねぇ」

「ああ、分かったよ」

「さあ、わたくしの胸に飛び込んできてください」

 両腕を広げ、ヨルは目をキラキラさせる。

「訳が分からない。それより、操られていたとはどういうことだ?」

「ええ、まあ、引っこ抜いたら消えましたから証拠の品はないんですが。髪の毛みたいなのが刺さっていたんですよ。ひょっとしたら、〈夢売り〉がらみかもしれませんねぇ」

「あとを追うとかできないのか?」

「無理ですって。つながっているなら行けたかもしれないですけど」

「……兄様に付けたままってことか」

「そうです。つけたままなら、わたくしとしては彰が悶える姿、あんなことやそんなことされてきゅんきゅん――」

「ヨル、マウス」

「って……あー、せっかくなら、彰をベッドに押し倒すくらいしておけばよかったです」

 瞬きもしないうちにヨルはマウスに戻った。

 す、すごい。今度は人の姿になる時を見てみたいよ。

「操られていたって、僕が?」

 僕とヨルの会話を聞いておどおどしている兄。

「そうですよ」

「彰にひどいことしたのだが」

「そうですね……。未遂ですから……覚えているんですか」

「おぼろげながら。寝ていたら突然、『あきらを襲わないといけない』って声がして。でも、倫理的にどうだろうとか、彰を好きだけど別に恋愛対象ではないとか理性は言って抵抗した」

「良かったです、そこで肯定されたら、兄様を非常に軽蔑しないとならなくなったので」

 兄はほっとした様子を見せた。

「歩いているのもベッドに乗ったのも夢だと思っていたのだけど、目が覚めたらここにいるということは!!」

 頭を再び抱える兄。

「ということは、未遂事件の被疑者となっている人たちも、おぼろげに記憶があるってことか」

「そういうことになりますねぇ」

「一つヨルに聞きたいんだが」

「なんですか?」

「ヨルの姿って元からああいう感じなのか?」

「気になりますぅ? 気になりますかぁ?」

「どうでもいいや」

 むっとしてしまう。あまりにも構ってくれて嬉しいと言われると否定したくなる相手もある。

「彰の好みに合わせているだけですよ、一部」

「……読心術を」

「持ってないですけど、彰と数か月いれば、彰が好きなヒトくらい分かりますって」

「ななななな」

 僕は顔から火が出そうだった。

「大人な男性が好きなのか、顔が好きなのか今一つ把握はしかねますけど。ああ、顔が真っ赤ですねぇ、彰を落としたいですよぉ。ぜひ、恋人にしたいですよぉ。わたくし、結構紳士ですよぉ。彰がその気になってくれるまで優しくあれこれしてあげますよぉ、もちろん」

 ヨルがなんか言っているが、僕は恥ずかしさにベッドの枕に頭をうずめた。

「彰、眠るよな? 僕は部屋に帰るよ」

 僕やヨルの勝手な行動を気にも留めず、おずおずと兄は声をかける。兄は自分がとった行動にショックを受けて呆然としているようだ。

「兄様、気を落とさないで」

「じいに縛ってもらうか……」

 そこまでする必要あるだろうか。ないとは言い切れないが。

「僕が部屋のカギを閉めればいいんじゃないかな」

「用心のために。彰、すまない……」

 兄は出て行った。

 僕はひとまず眠ることにした。頭が混乱してきたから。


10.

 兄は動かされている間、現実としてとらえていたのだろうか。否、本当に動いていたとショックを受けていた。はっきりした夢のように記憶としてとどまっている。

 僕は目を覚ます前ちょっと考えていた。

 操っていたのは〈夢売り〉だろうか。

 どうやってと言うことについては、ヨルに聞かないとならない。そして、寝起き早々尋ねる。

「術者の一部を突き刺して……ラジコンみたいにしていたわけです。細長いから髪の毛だとは思いますよ、針状にした。目立ちませんし。微弱ですが力の流れを感じましたし。方法はあっているかと」

「もし〈夢売り〉だとして、兄に僕を襲わせて何が楽しいんだろう?」

「倒錯した性の持ち主でしょうかねぇ?」

「もし、天海が接触した相手であれば、女子高生だろう?」

 ヨルは鼻で笑った。

「女子高生なんて、立派に知識を持ってますよ。立派でなくて偏っている場合もありますけど」

「そうなのかな」

「彰が初心なだけです。でも、文学作品もライトノベルも読んでいるみたいですけど」

 それとどう関係があるのだろうか。

「〈夢売り〉はどこかで見ている可能性はあります。操っただけなら正直言って大したことはないと思いますよ。だって、葵と彰が悲しんだりするだけですから。当事者にとっては嫌なことですよ、もちろん。悪意だろうが性癖だろうが、兄が弟妹を襲うっていうシーンを演出するなら、実際見ないと面白くないですよ。映像として撮って脅迫するってことだってあり得ますし」

 ヨルは淡々と推測を述べる。憎悪や性癖が今回の動機なのか。

「どこでつけたのか」

「葵はいつ帰ってきましたっけ?」

「知らない。兄様、学校があると遅いから」

「外で付けられて帰宅したかもしれませんね」

 食堂で執事に兄の事を尋ねた。兄に話を聞きたかったし、推測でも説明をしておかないと、兄が安心できないだろう。

「今日は朝早くから学校に向われました」

 本当に学校かは分からないけど。

 僕は朝食を摂った後、探偵社に向かった。

 日曜日は休みにしてあるけど、土曜日は営業しているから。もちろん、仕事によっては日曜日も動いている。

 探偵社に顔を出した。浅井が満面の笑みであいさつしてくる。

「彰さま、今日はシックな感じですね」

「うん、なんとなく」

 いつもゴシックな感じにするとき、髪の毛は二つに分け、耳の上あたりにそれぞれに結っていた。今日は結ばずにヘアバンドだけ。黒い布で作られたバラみたいな花が付いているヘアバンド。スカートも膝上丈ではなく、膝が隠れAラインに近い形のだ。裾にフリルが付いているくらいで、あまりふわふわしていない。ブラウスは襟や前と袖にフリルはついている。

 なんか夜にあったことを考えるとちょっと落ち着かなかった。

「天海来るかな……」

「天海ですか? さあ。電話で呼び出しますか」

「ううん、無理にはいい」

 僕は所長室に入った。

 椅子に座るとポシェットからヨルを出して、机に置いた。なんとなくパソコンの電源を入れる。

「彰、天海に言うんですか、あのこと」

「言わないわけにはいかないだろう。状況が動いているのだから」

 僕は溜息をついた。

 というか、僕が意識している相手の事がヨルにばれているのが怖い。コイツが面白がってばらすのではないか。

「彰さま、天海は昼過ぎには来るとのことです」

 嫌いとはいえ、僕のために電話して聞いてくれたようだ。

「ありがとう、浅井」

「いえ、当然です」

 僕は外に出ようと考えた。ここにいたって何かできるわけではないし。かといって、遠くに行くのも落ち着かないし。

 おいしいお菓子でも見つけにいこうかと考える。

「浅井、僕はちょっと出かけてくる」

「はい、かしこまりました」

 扉を開けると、ちょうど女性がいた。

「失礼」

 僕は扉を当てたかと思って一応謝罪した。

「うわ、ゴスロリじゃないけど、学校の格好からだと想像つかないよ」

「……」

 同じ学校の人なのか?

「彰くん、マジ探偵してたんだ」

「……どなたですか?」

「ああ、ごめんなさい。彰くん……じゃなかった、朝倉さん、学校で有名だから、つい。わたしは同じ学校の二年の日野原(ひのはら)陽子(ようこ)。誰かに相談したいなって。これなら探偵かなって調べたら、朝倉さんの名前見つけて」

「……依頼人?」

「んー、本当に困ったら、あっちの親がするとは思うけど。相談でもお金取るの?」

「うん」

「……」

「ビジネスだから」

「あー」

 ポシェットの中ががさがさいっている。

「彰、話聞いてみていいと思います。どうせ、タダ働きしているわけですから」

「……どこから声がしているの?」

「え? む、無線だ」

「無線? まあいいや」

 ヨルが話を聞けといって来た。タダ働きということは、〈夢売り〉が絡んでいると読んだのだろうか。

「僕が追っていることに関係あるかもしれないから、話だけでも訊いてみようかと思う」

 日野原さんはほっとした様子だ。

「どうぞ。浅井、お茶をお願い」

 僕は日野原さんを小部屋に案内した。

「ここ探偵社だよね。イメージがこう違う。おしゃれだよ」

 きょろきょろしながら日野原さんは付いてくる。小部屋に入って驚きの声を上げている。

「うわ、木製の机に椅子。痛くないの?」

 生木の椅子は柔らかくて暖かいのだ。冷たくはない。

「すっごく座り心地いい」

 好評だった。

 浅井がお茶を彼女と僕に持ってきた。

「友達が昨日、帰っていないらしいんだ」

「帰っていない? どこか泊まる予定だったとか?」

「それはないはず。だって、昨日休んだから家に行ったんだ。変なメールもらってたし。大興奮で文ができない感じのね。彼女んち、通学路の途中って感じだから寄りやすいんだよ」

「具合悪かったのにその後出かけたということ?」

「そうじゃないみたい。まず、私と彼女の関係だけど……去年は同じクラスで仲良くなったんだよ。今年はクラスは別だけど一部趣味が一緒だから付き合いは続いていたんだ。今日は、出かける予定にしてたんだよ。でも連絡つかなくて、一応寄ってみたんだ。そうしたら、わたしと会った後、いなくなったって。警察にも届けたとはお母さん言ってた。彼女んち一戸建てだから、窓から出ようとすれば出られるけど、道具ないと無理だし。制服は着ているけど、何か持って行った形跡もないっていうんだよ。靴も減ってないって玄関から」

 制服を着て裸足ということだろうか。玄関通れば靴を一足位持って行くだろう。悩みがあって出て行ったとしても。格好に頓着しないなら、靴を履かない以前にパジャマや部屋着で飛び出しているに違いない。

「気になるのは、木曜日の放課後に〈夢売り〉に遭ったって言ってたこと」

「なんだって!」

 日野原さんの言葉に僕は目を見開いた。

「そんなに驚かなくても」

「すまない」

「彰くん、知ってんだ〈夢売り〉」

 きらりと日野原さんの目が光った。

「まあ、一応」

「なら話が早いね」

 日野原さんは言葉を切った。僕の事をじっと見ている。

「木曜日、本屋にいた?」

「え? ターミナル駅の」

 駅名を言うと日野原さんはため息をついた。

「ゴスロリの似合う男の娘に会ったって……彰くんのこと? 確認するけど、ゴスロリ着る?」

「え? え? うん、好きだよ、ひらひらしたヤツ」

「いや、なんか、金曜日に聞いたのは三つの事。すっごく興奮してたわ。〈夢売り〉に遭ったということ、素敵な子を見たということ、かっこいいけどちょっと年が下ならいいのにという陰陽師に会ったって」

「……ちょっと年が下なら?」

「うん、話詳しくしてあげようかな。あー、一応確認。彰くん、BLの話、大丈夫?」

「へ?」

 僕は驚いて硬直した。


11.

 日野原さんが友人の失踪の前に、会話したことなどを話してくれた。友人は熱に浮かされて興奮したようだったとのことだ。

 〈夢売り〉に遭ったという人物は、比留間(ひるま)(きょう)さんという。

 日野原さんは名誉のためだと力説していたのが、自分はオタクだけど腐女子じゃないということだった。

 僕はそういったことに詳しくないが、腐女子というのはメディアでも耳にしたことある。BLや男同士の恋愛が好きなオタクな女性のことをいうらしい。

 日野原さんと比留間さんは、一年生の時に同じクラスで出席番号が近いことから知り合った。歴史が好きという共通項があった。歴史といっても見方は違ったようだ。

 日野原さんは城を見て、栄枯盛衰をはかなむという。比留間さんは歴史で特徴的な男性の友情というか絡みに興味を抱くという。

 共通のようで異なる。比留間さんは歴史の人物が好きと当初は言っており、肝心なところは隠していた。初対面や少し仲良くなったところで、いきなり「歴史上でBLのような関係を見つけて楽しむのが趣味」とは言わないよな。お互いに同じ趣味なら言うかもしれないが。一般的にはない。クラスでの自己紹介を思い出せば分かる。

 お互いに慣れてきて、素がにじみ出てきたから日野原さんは気付いた。そして、それとなく腐女子かと質問したら認めたという。友達関係は変わらなかった。趣味を強制してこなかったから続いたと日野原さんは言っていた。

 むしろ、腐女子と知れた彼女は生き生きとしていたと言う。

 そんな中、彼女が好きだった小説が終わったという。なお、そのシリーズの主人公がゴスロリの似合う男だという。結末が少し違ったのが残念だったと言っていたらしい。

 意気消沈中の比留間さんは、本屋で僕に会った。そして、僕が似ていると言う理由で、彼女は興奮していたという。

 元気づけたということはいいことだ、たぶん。

 比留間さんは〈夢売り〉からは逃げたというが、叶うなら「さっき見た男の娘と素敵な男性の関係を見たい」とちらっと言ったらしい。ちらっとでも仮契約とみなされているかもしれない。

 なお、男の娘とは女装の似合う男性のことをいうとのことだ。音だと分からないけど、字にすると不思議な感じもする。でも、意味を知るとなるほどって思える。

 今回のことだが、いろいろ誤解が生じている。誤解だろうがなんだろうが、僕が巻き込まれているのははっきりしている。

 選ばれた僕は、じっとしていれば、狙われる。そうなれば、〈夢売り〉に会えるかもしれないが……どう考えても天海とヨルがいないと危険な事態だ。

「〈夢売り〉の存在を信じますか?」

「え? ええと、都市伝説でしょ、いるかもしれないし、犯罪集団かも知れないし。どっちにしろ、もし、実行されたら、彰くん、ひどい目会うわけでしょ。防御策講じたほうがいいだろうし。一応、杏は友人だから、犯罪者にするわけにもいかないし。本当に怪奇現象で、魂持ってかれるようなバカなことしているならどうにかしたいし」

「僕は探偵社であって、陰陽師じゃない」

「分かってる。陰陽師だってこんなことできないでしょ。でも〈夢売り〉が怪奇現象なら、解決する方法もあるんじゃないかなって考えたことは事実。行方不明者を探すなら探偵。そして、探偵事務所なんて行く機会がないところに、同じ学校の一年生がやっているらしいときたら、ハードル下がる」

 陰陽師について誤解を持っている僕と、似たり寄ったりな気がしてきた。日野原さんの様子からは、実際は何かできるんじゃないかって期待も感じられる。怪奇現象のかかわるところを話すとき、ちょっと目がキラキラしているように感じたけど……気のせいだろうか。

 僕だって、色々言われたけど、天海やヨルを見ていると、実は隠している何かがあると思える。

「日野原さん、怪奇現象好きなんですか」

「……え? ええと……好きってほどではないけど」

 日野原さんは一瞬目を見開いた。その後、目は泳いだ。

 〈夢売り〉なんて単語が出て来ているんだし。トイレの花子さんや学校の動く絵とかみたいに学校で話に上がっているわけでもないし。そんなに口にするほど噂になっていない。

「杏の事が心配なんだけど」

「分かってます。でなければここまで来ないと思いますから」

「行方不明って聞いて、杏はすでに契約して彰くんに何かしているとか、契約しないで誘拐されたかのどっちかなって」

 僕はぞっとした。冷や汗が背中を這う。彼女は鋭い。冷静でもある。

「彰くん?」

「もし、比留間さんが、何かするっていったらどんなことだろうか」

 比留間さんを知っている日野原さんの考えを聞きたかった。BLがどうのとは言っていたけど。

「あの小説好きで理想の子を見つけたっていうんだから、男に襲わせるわね、自分の好み子を。そして、それが女だと分かったら、男に変えさせてやるわ」

「へ?」

 力説に僕は面食らう。

「好きなシリーズ終わったって言っていたし、主人公の行先が好みじゃなかったとも。自分の好みの方向へ向うように」

「どんな小説?」

「『あきら君シリーズ』っていうの。主人公がゴスロリの似合う男の娘のBL。わたしが知っているのはその程度だけど。ちょうど彰くん、名前一緒な上に見た目もイメージに合っているぽいからね。そうそう、どこが萌えるかというと、兄との禁断愛とか言っていたけど」

「……」

 ぶわっと僕は冷や汗が再び出る。

 どう考えても契約しているんじゃないのか?

「彰くん、お兄さんいたよね? 朝倉グループ御曹司が大学生でイケメンって結構話題になってたし」

「……」

「彰くん? うわ、顔真っ青だよ」

 日野原さんが驚いている。扉を開けて、浅井を呼んでいる。ポシェットのヨルが笑っている。

 ポシェットを上からたたく。

 僕はどうすべきか。

 作戦を立てるべくそのBL小説を見るべきだ。

「よし、行って来よう」

「彰さま、具合が悪いと伺いましたが」

「うん、ちょっと、符合することを聞いてしまったから。浅井、天海には比留間杏さんが〈夢売り〉と契約したと仮定して行動してくれと連絡してくれ」

「はい」

 浅井は驚いた顔をしたが、すぐに行動を移した。

 小説通りの筋書きが取られるとしたら、僕に近い人が操られるだろう。そうなれば、〈夢売り〉が近くに現れる可能性が高くなる。

「そうだ、日野原さん、これ、僕の名刺」

 連絡先がないとならない。彼女だって危険がないわけではない。

「あれ? 彰くん、ケータイ持ってないの」

「……」

「意外」

「……ううう」

「そんな落ち込まなくても。彰くんなら、スマホをバリバリ使っていても、何も持ってなくてもあり得るから気にしないで」

 よく分からない慰められ方である。

「あ、私も教えておいた方がいいかな」

 紙に携帯電話の番号とメールアドレスを書く。

 僕は日野原さんを送るついでに、出かけた。


12.

 渋谷駅まで向かい、僕は本を買うことにした。

 全巻買うべきか悩む。後で買わないといけない場合、店にないと面倒なので買っておくことにした。全巻といっても五巻だ。分厚いわけでもない。持ち帰るのも楽だ。

 本屋のカバーはいらないというのが僕の信条だが、この本に関しては掛けてもらうべきかと一瞬悩んだ。結局、持参している買い物袋に入れてもらった、本屋のカバーももらわず。どうせ事務所か部屋で読むんだし。

 レジも緊張したが、そこにたどり着くまでは恥ずかしかった。その本が置いてあるスペースに立つのがハードル高い。異性恋愛ものと混同している方が、ハードル低かった。普段は逆なのだが。

 救いだったのは、表紙が破廉恥な感じがしないタイプだったことだ。〈あきら〉と思われる少女……ではない少年がきちんと服を着て、ポーズをとっているものである。媚びている感じがする。世の中はこのくらいの表情ができたほうがいいのかな。

 似ていると思われたことが自意識過剰にさせる。今日はゴスロリの格好をしていないから関係ないのに。

 用はすぐに済んだ。ついでに昼食を摂っても良かった。しかし、天海が来ることになっているので、事務所に戻る。

 片道二十分くらいだ。帰り道は上り坂である。

 坂を上り切り、大通りを歩いていると、視界の端に比留間杏さんらしい姿を見つけたのだ。

 制服姿なので分かった。靴は履いていない。靴下は履いているが。

「気配がありますね」

 ポシェットの中から押し殺したような声がする。

 僕は比留間さんと思われる人がいた方に向かった。

「誘い出されているかもしれませんよ」

「本、読んでないや」

 緊張した僕はどうでもよいことを口にした。

「仕方がありませんよ。わたくしが彰をきっちり守りますからぁ」

 いつもの軽口であるが、頼もしく思えた。助けてくれるという認識ができたからかもしれない。

「期待している」

「う、うわっ。彰、デレ期ですか?」

「ん?」

 よく分からないことを言い、ヨルは喜んでいる。僕は素直に気持ちを口にしただけだ。

 白い靄が漂いだす。冷えた空気が喉を通る。

 視界が悪いが、何かいるのとはっきり感じ取れる。

 靄の中は木々や土の匂いがする。都会のど真ん中にいたのに、おかしいではないか。大学が近くにあるが、これほど土はないはずだ。

「彰、結界張られましたね。幻覚付ですね」

「……」

「……空間区切ることですよ?」

「うん、しめ縄とか?」

「そうです。力がなくてもなんか空間区切れてますよね? それのレベル高いバージョンです」

 しめ縄などを張ることで、神聖なところとそれ以外を区切るのが一般的な結界。信仰の場というのは何か空気が違う、ということ。

 そして、レベル高いバージョンというのは、小説にあるような魔法使いが作るようなことだろうか。

 やっぱり、魔法ってあるんじゃないか?

「幻覚っていうことは、この木とかないわけ?」

 目の前にある、樹齢何十年という木を見上げる。触る気にはなれなかった。

 僕はしゃべりながら、ポシェットからヨルを出した。

「近くに森はありました?」

「大学があるから、木はあったけど森ってほどではないよ」

「そこを仮借しているかもしれませんねぇ。ベースがあると現実的なものを見せられますから。気を付けてください。刃物とか危険なものが隠されているかもしれないので」

 木だと思ったら、鋭い刃物ってこともありうるということか。地面があると思ったらないとか……怖いな。

 靄はまだあるが。僕のいる周囲は晴れた。

「神社?」

「幻覚です。彰、彼女がいます」

 ヨルが指さしている方向を見る。多分、そっちだろうと思う方向だけど。

 にまっと笑い僕を見る。体が左右に揺れ、ふわふわと地に足が付かない様子だ。

 僕は足を一歩進めた。近付いて話したいが、ためらいがあった。何か起こる予感がする。むしろ、すでに起こっているか悪化しているのか。

「妖怪がいるの、助けて、(かんなぎ)(さま)

 比留間さんは楽しそうな声だ。楽しそうなのに、感情が伝わらない気持ちが悪い声だ。

「助けて――」

「……彰、右に飛んで」

 僕はヨルを元に戻そうとしたが、ヨルの鋭い声が遮った。ヨルが言った意味を理解するのに時間がかかった。切迫した声が余計に僕の頭に空白を作った。

 それでも反応はした。僕は右に走ろうとした。三歩くらいだけで足が止まる。左足の上に柔らかい何かが触れた。重量がある。一気にそれは僕の足を這い上がるように包み込んでいく。手でどけようとしたときに見た。

 半透明のブニブニした物体。僕より大きく、這いずって動いてくる。スカートがジュという音をたてた。どんな成分なのか、僕に痛みはない。この後痛むかもしれないし、感覚がマヒしているのかもしれない。

 触った途端に手にもまとわりついた。

 スライム状のそれを見て、僕は呆然としている。ヨルが「戻してくれ」と騒いでいるのを見て、我に返るまで時間がかかった。声がなかなか出ない。悲鳴すら出ない。

 目の前の体を包んでいくそれに恐怖がわくだけだ。

 体を覆い、顔も埋まった。

 不思議と視界は利く。つぶるべきだったのだろうが、顔が埋まったのは一瞬で、手遅れだった。プールの中で目を開けるような感覚だ。

 息を止めているが、苦しくなって酸素を求めた。ところが、粘液の中であっても息はできた。

 ただ、水の中にいるような心地よさはなかった。粘液はたぷたぷと動いている。好き勝手というか、僕の体にわざと触るようにまとわりついているようだ。

 粘液は服の隙間から入ろうとしているようだった。

「ヨル」

 声を出したかったが、口を閉じた。口の中に粘液が入ってきたからだ。両手で口をガードして声に出さないとだめだ。

 手を動かそうとした。足をバタバタさせるのはできたのに、意志をもって腕を動かそうとしたら、押えられて動かない。まるで貼り付けにされているようだった。

 比留間さんは僕の事を笑顔で見ている。

 サディストか!

「服を溶かして、巫様の大切なところを……うふふふ」

 外で転がっているヨルの声は聞こえない。それでも彼女の声ははっきりと聞こえる。

 ヨルを早く戻しておくべきだったと後悔した。殺されはしないみたいだけど、絶対よくないことしか起こらないだろう、彼女の言葉から推測すると。

 服の隙間から侵入してきた粘液は、僕の胸やおしりの周りを触っているような動きをしている。

 僕の勘違い?

 服が溶けている、ところどころ。ジュって音が元凶。そして、比留間さんも服を溶かすと言っていた。脱出に時間がかかると僕は――。

「助け……んん」

 口の中に粘液が入ってきた。周りに粘液があるけど、短くなら言葉を発せるかと思ったが甘かった。

 口を閉じたいが、つながった粘液は意外と固く、追い出せない。いや、舌で追い出そうと試みたが、粘液というより柔らかい塊になっており、出るのを拒んだ。むしろ、僕の舌や歯茎なんかを撫でまわしているみたいなんだけど。

 映画で見るようなディープ……い、言えないや。深い接吻ってやつだよ。

「んん」

 嫌だよ。きゅっと目をつぶる。縮こまろうとして四肢に力を込める。

「彰さま!」

 天海の声だ。僕はぱっと目を開いた。

 比留間さんがはっとして姿を消した。

 天海は僕の姿を見つけ、お札と呪を唱える。動きを見ていると映画で見るような陰陽師みたいでかっこいい。

 お札を粘液の塊にたたきつける。すると水になり消えた。

 僕は地面に落ちた。体が震える。

「天海……う、うえーん」

「彰さま、ご無事で」

 僕は泣いていた。口になんか入ってきた時点で泣いていたんだけど。

 天海はしゃがむと僕を抱きしめてくれた。

「泣かないでください、彰さま」

 天海がびくりと身を固くした。胸のポケットから札を出すと、自分の首筋に向けて張り付けた。

「……天海……?」

 僕は不安になった。

「ああ、もったいないですねぇ、追えたかもしれないのに」

 地面に転がるヨルがつぶやいた。

「え?」

「今、天海を操ろうとしてましたよ」

「……なんで」

「さあ?」

 僕は我に返った。

 脇道に少し入ったところとはいえ、大通りに面したところで、僕は座り込んでいる。それだけではなく、服のあちこちは破れている。穴あきスカートだけど、膝上二十センチは無事。胴体部分も大切なところは全く問題ない。全身ずぶ濡れ、髪の毛はぼさぼさ。変な粘液があった跡が肌にあり気持ち悪い。

 荷物も全部、ドロドロ。ポシェットも買い物バッグもふたが閉まるものだったが、隙間から蹂躙されている可能性がある。

「事務所に戻ろう」

 天海に支えられながら、僕は立った。目立たないように裏道を通って。天海は僕の頭の上からジャケットをかけてくれた。汚れるからと言って断ったけど、断りきれなかった。


13.

「彰さま、なんてお姿なんですが」

 浅井は僕を抱えるように流しに連れて行く。僕は脱いだ天海のジャケットを、近くの椅子に置いた。それから手を洗う。

 浅井は、僕にバスタオルをくれた。タオルを頭からかけた後、軽くふいてくれる。

「お風呂に入りたい」

「無論です。でもこのあたりにはスパかお風呂屋が……今調べますからね」

「頼む」

 浅井は天海を無視している。無視以前に視界に入っていないのかもしれない。

 流しでは手だけではなく、できる限り腕なども洗う。長袖だったけど、スライム状のあれは入っていた。靴を脱いで足も洗いたいが、流しに足を上げるのは躊躇する。

 近くに来た天海は自分のジャケットを回収している。

「話を伺いたいのですが……風呂の後がいいですね」

「そうしたいんだけど……一人になるの、怖いよ」

 天海に側にいてもらいたい。でも、天海にいてもらっても、事件を解決できるわけではない。話はしておいた方がいい。

「浅井さんに風呂は一緒に行ってもらえばいいでしょう? 私は無理ですし」

「浅井を必要以上に巻き込むみたいな気がする。家に帰った方が早いけど、兄に知られる危険性があるし」

「そうですね。危険な目に遭っていると分かったら止めるでしょうからね」

 保護者としては正しい。兄は父より僕に対して厳しい。

 父の場合は、木のぼりは自由にさせてくれたが、合氣道やりたいといったら諦めさせられた。多分、富士山に登りたいと言ったら許してくれると思う。自分でやって自分や自然で傷つくのは仕方がない、他人に怪我させられるのは許せないというのが父の傾向だ。

 兄の場合は僕自身に責任があっても許さない。危ないことはさせたくないのだ。木のぼりをしていたら、ハシゴを持ってこさせ、降りるように言われたことがある。

 手を洗った天海と共に所長室に行く。話すことがあるから。所長室の扉は開けたままにしておいたことは言うまでもない。だから小声だ。

 深夜、兄に襲われたこと。

 今朝、日野原さんが行方不明の友人について相談に来たことを言った。

「これがその本なんだ」

「なるほど」

 ちょっと湿っている気がするが、本は読める状態だった。

 天海は手に取るとざっと見る。表情が生温かいんだけど。温かくもなく冷たくもない、何ともいえないあいまいな物。

「主人公の容姿と彰さまの共通項はゴスロリってところですね。そして、一番最初に言い寄るのが実の兄です。そこまでは物語をなぞっているみたいですね。スライム状の何かが出てくるような非現実性はないみたいです」

「主人公男なのに、兄が言い寄る? そもそも、実の兄が?」

「ええ、そういうがBLでしょう? 知りませんから大きなことは言えませんが。それに小説です。非現実ですから」

 僕は呆然としてふるふると顔を振った。

「いや、彰さま、そんなに怯えなくても」

 ヨルは机の上でわくわくして僕を見ている。

「別の物語を混ぜたか、彼女自身が見たいシーンを追加しているかですね」

「彼女に会って、間違いを正せば」

「それをすると、〈夢売り〉の実力がわからない現在、下手なことになりかねません。このまま彰さまは彰さまでいてください」

「……」

 僕はうなずいた。天海が想像する下手なことが何か分からないけど、これ以上ひどい目に合いたくなかった。

 日野原さんが言っていたことが脳裏をよぎる。女を性転換させて男にして物語を進めるんじゃないかって。天海が言っていることもこれと同じかもしれない。

「ああ、二巻に出てくるやり手のサラリーマンっていうのが私に似てなくもないですね。スーツ着れば、こんなもんでしょうけど」

 イラストを見せてきた。似ていると言えば似ている。似てないと言えば似てない。

「彰さま、お風呂入れそうですよ。着替えはありますか? なければ、上か下で調達します?」

「あ、じゃあ、上のところで見たスカートと下で見たブラウス」

「行ってみますか?」

「浅井の見立てでいいよ。この格好じゃあまり行きたくない」

 僕はロッカーに室内履き用に用意していたサンダルを出した。履き替える前に足を拭かないとならない。風呂屋に行くなら下着の用意もしたい。

「天海、出かける準備するよ」

「はい。もう一つ絡みそうな話をネットで当たってみますね」

「うん、頼む。あ、比留間さん、巫様とか僕のことを言ってたよ」

「重要な手がかりありがとうございます」

 僕は風呂屋に行く準備を始めた。


14.

 ただの銭湯ではなくスーパー銭湯に僕は出かけた。浅井が用意したタクシーで向かう。

 ポシェットまで替えはないので、ロッカーに入っていた大きいトートバックに着替えを入れた。コンビニの袋に入れたヨルも入れておく。

 何がスーパーか分かった。いろいろな種類の湯船がある。一般的な湯船から、ジェットバスがあったり、ちょっと熱めや冷たいのやら、露天もあったり……楽しかった。

 頭を洗ったりするだけのはずが、全ての湯船につかった。

 二時間ほど楽しんでいた。

 頭の上から湯気を上げて、僕は上がる。風呂上りに冷たい牛乳を飲んだ。牛乳瓶のが売っていたので、わくわくした。腰に手を当てて飲むのが正しいって僕は聞いたけど……。

 一応明記しておく。銭湯にいる間、ヨルはロッカーの中だった。黙っていたし、おとなしかった。着替えている間見られていないと思うが確かめようがない。見ていたらあれこれ言っている気がする。いや……ずっと黙っていたのは見ていたからとも考えられる。本人に確かめるすべがない。

 探偵社に着くと、浅井だけがいた。

「彰さま、つやつやでほかほかでいつも以上に可愛らしいです」

 いいことなはずだが褒められるのは。なぜか逃げたくなる。目をキラキラさせて、僕が許可したら頭をなでそうな雰囲気がするのはなぜだろう。

「気持ち良かったけど、事件を放り出した気分になった」

「いいんですよ、彰さまはいるだけで。天海がやればいいんですから」

「それはダメだろう」

 僕は部屋に入ると、机にあるメモを見つけた。机にはヨルを置く。

「ああ~~つまらなかったですよぉ。彰の姿、ほとんど見えませんでした。本番までお預けですかねぇえええええ」

 僕はヨルを勢いよく払った。声が語尾を引いたが、机の上にノートPCにぶつかって止まった。どこをどう見ていたのだろうか。

「彰さま、遅いですけど、何か召し上がりますか? 昼食とケーキもあります」

「うん、いただくよ」

 からっぽだと言うことを思い出した腹が、訴えだした。スーパー銭湯で倒れなかったのでほっとする。

 机上にあったメモには、ひょっとしたらということでゲームのタイトルが挙げられている。

「十八歳未満禁止のゲーム? 比留間さん、引っかかるはずだが」

「買えなくはありませんよ。実は二歳以上年上、ごまかして買った、ですね。まあ、日本の学制を考えるとおおむね後者かと」

「ネットで見られるかな」

 僕はパソコンを起動させる。その間に、浅井が昼食と緑茶が入った急須やらを持ってきた。

 机の上にランチョンマットを敷くと、昼食の用意をする。おいしそうな匂いが漂う。

 浅井が立ち去ってから例のゲームについて見ることにする。

「『桜華の巫』……なるほど」

 僕はサイトを見る際に年齢を偽った。一応フィルターはあるが、素通しである。

 ページのトップは華麗なイラストだ。

 ストーリーを見る。主人公は鬼を払う力を持つ少年で、巫をしているという。この少年を中心とした恋愛物語らしい。

 相手は知り合いの陰陽師、敵である鬼の王などから、富豪の青年や弟の友人やら、多彩である。恋愛対象は異性は一切なし。そもそも敵にも見方にも女は出てこない。どうやって生殖しているんだろうか、などといらないことを考えた。

 スクリーンショットが何枚かあり、僕はモザイクのかかったその絵にくぎ付けになってしまう。

「彰、彰、あんな感じで可愛がってほしいですかぁ?」

 うきうきとパソコンの前で転がるヨルで我に返った。

「な、何を言っているんだ」

 ヨルはにやにやと笑っている、ような気がする。

 やることはやったし、昼食に集中する。惣菜が三種類詰められた弁当だ。雑穀米も柔らかでしっとりもちもちしている。

「おいしい」

「良かったです、彰さまのお口にあって」

 浅井は扉から顔を出して、嬉しそうにしている。

「デザートも気になる」

「食べ終わってからです」

「うん」

 僕はネットを始めたヨルを視界に入れつつ食べた。彼はこれ見よがしに、エロ系のサイトを見だした。

 ヨルをはたいて床に落とし、ブラウザを閉じたうえ、パソコンも閉じた。

「彰、彰、彰はどんなところにデートしたいですか。それから、わたくしに初めてをささげてくれるならどこがいいですか? 素敵なホテルでもいいですし、大自然でもどこでもかなえますよ」

 どうして僕がヨルの恋人になるって考えるんだろう。

 ヨルはどこまでが本心だろうか。

 考えても分からない。聞いてもはぐらかされるだろう。

 ひとまず、ヨルのことは無視することにした。


15.

 一応、区切りに事務所に帰ってくるという天海を、僕は待っていた。

 時間があるのだし、買って来た本を読んだ。

 ……十八歳未満閲覧禁止じゃないのか?

 なんで主人公はあっちこっちでモテルのはいい。すぐに誰彼と関係を持つのだろうか。時折、襲われているし。犯罪じゃないのか。本人もまんざらではない様子なのが解せない。

 主人公が女でも成り立つ話だけど、女にしたら非常に重い話になってしまう。いや、この作者がうまいから、BLでも軽い話になっているのかもしれない。

 もやもやとした気持ちを抱えながら、僕は読み進めていく。

 僕は疲れていたのもあってうつらうつらしだしていた。机に伏せて寝るのが楽かもしれないが、机はパソコンで遊んでいるヨルがいる。ネットサーフィンをしている。

 所長室の入口側の壁に椅子を持って行き、背もたれと壁で角をつくる。背もたれに腕を乗せ、壁に寄りかかり仮眠をとることにした。

「彰さま、もうお帰りになられた方がよいのではないですか」

 浅井の声ではっとして時計を見た。午後九時を回っている。

「浅井、ありがとう。あなたこそ帰っていいよ」

「ダメです。天海とあなたを二人きりにできません」

「ヨルいるし」

「それはマウスです」

 間違っていない。

 マウスが勝手に動くのも知っているし、ヨルという名前の謎の存在だとも知っている。

「夕食も食べてないじゃないですか」

「そうだね」

 土曜日だから、飲食店の開店時間も平日とことなる。閉まっている店が多いかもしれない。

 近くのコンビニに行ってみようかな。

 ガチャン。

 入口の扉が開閉した音だ。

 僕は浅井を押しのけて、所長室を出た。

「彰!」

 ヨルの声がしたが、僕はすでに天海の側に寄ってきた。天海は頼りになるし、問題ないって思考が染みついていたから。

 うつろな天海の目を見た瞬間、しまったと思った。

 天海は僕の手首をつかんで彼の方に引いた。僕は天海の腕の中に倒れる。

「ヨル! ん?」

 僕は天海にキスされている。

 ええ、ええとええええええええええええ。

 操られているんだよね。本心じゃないんだよね。でも、なんか、嬉しいようななんていうか。

 どうしていいか僕は分からなくなる。目を閉じてしまっていた。流されるのに任せそうになる自分がいた。

 唇が離れた。

「助けたお礼をいただかなくては」

「え?」

 天海の声は非常に低く冷たい。目が覚めてきた。そうだ、天海は操られているんだ。抵抗しないといけない。

 ヨルを呼ばないと。戻さないと!

 考えている間に僕は抱えられ、小部屋のテーブルに寝かされてしまった。

「ちょ、天海、やめて」

 僕のブラウスに手をかけると引きちぎった。

「いやだ! 助けてヨル!」

 これはすんなり声が出た。本当に助けてもらいたいから。

「彰!」

 ヨルの声に僕はほっとした。近くにいる。僕は目を開ける。

 ヨルの姿が見えた。何をしているのかは見えないが、天海についている針を取ったに違いない。

 天海は意識を失う。

 兄の時みたいに倒れてくるのかと思ったが、ヨルが天海の肩を引っ張り、どけてくれた。

 ヨルは僕の顔を見るとにっこりと笑った。僕を起すと抱きしめてくれる。優しい抱擁で、僕は安堵した。彼の着物の前身頃を握り絞めた。

 ふわりと僕の部屋の匂いがした。

 ヨルは僕をしっかりと抱きしめる。

「もう、放しませんよぉ」

 いつものヨルだ。感激が薄れていった。

 ボコ。

 ……何か忘れている。断続的に聞こえる音。

 横を見るとヨルの腕の隙間から、盆を振り上げる浅井の姿が見えた。

「あああ、浅井、ダメ、ダメだから」

 止めに行きたいが、ヨルを振りほどけない。

「許せません。彰さまを、彰さまを手籠めにしようとしているとは」

「ヨル、浅井から武器を取り上げて」

 不満そうな顔をしたけど、僕の言うことは聞いてくれる。ヨルは僕を片腕で抱いたまま、浅井から盆を取り上げた。

「邪魔をしないでください……!! あなたは誰です。彰さまから離れなさい」

 浅井はヨルの人間の姿を知らなかった。近くに武器になりそうなものを探している。武器があっても、僕がいるから簡単に攻撃はできないだろうけど。

「これ、ヨルだよ、浅井」

「え?」

「ヨルなんだよ。ちょ、ヨル何をし始めているんだ」

 僕の危機が去ったため、ヨルは自分の欲求を満たそうとしているんだ。べたべたと僕の体を触る。その上、少し屈んで、顔を近づけてくる。

「ヨル、マウス」

 そういえば、人間の姿に戻るのを見損ねた。

「そんな、ことあるんですか」

 浅井は呆然としながらそれを見ていた。

「うん、あるんだよ」

「それより、彰さま、愛らしい胸元が丸見えです。ブラウス、用意しますね」

 すっかり忘れていた。僕は浅井の横をすり抜け、所長室に駆け込む。新しいブラウスを取り出すと着替えた。

 今日、二枚のブラウスが旅立った。浅井が枚数を余分に買ってくれていたから助かったよ、本当。

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