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あんた、この因縁をどう思う?

 その日、陽一は珍しく早起きした。電車に乗り込み、バスに揺られ、昨日の廃墟へと向かう。彼の目的は……廃墟で遭遇した謎の男を見るためである。あのサラリーマン風の男が廃墟で何をやっていたのか……それを知りたい。


 昨日、廃墟で見た光景……それは、陽一の頭から離れなかった。ごく普通のサラリーマンにしか見えないスーツの男が、廃墟の一室で椅子に座り、机に向かい作業をしているのだ。しかも、一人でブツブツ言いながら……。

 異様な光景だった。明らかに普通ではない。関わってしまったら、どうなるかわからない危うい雰囲気に満ちている。

 しかし陽一は、その雰囲気に強く惹き付けられるものを感じた……。


 電車に乗り、そしてバスに乗り、陽一は廃墟に辿り着いた。怖くないと言えば嘘になるが……その反面、怖さより強い何かも感じている。

 それが何なのかはわからない。だが、その何かが陽一を急き立てる。そして、廃墟へと誘うのだ……。


 陽一は辺りを見回した。とりあえず、人の姿は見あたらない。廃墟の中に侵入しようとした時――


「おい少年……ここで何やってんだい?」


 陽一は立ち止まった。慌てて周囲を見る。すると……。

 廃墟の中から、中年の男が姿を現した。くたびれたコートを着ていて、鋭い……を通り越して猛禽類のような目付きで陽一を見ている。顔にはしわが目立つが、体は頑健そうだ。

「え……いや……別に……何も……してません……けど……」

 しどろもどろになりながら、答える陽一。目の前の男が何者かはわからない。だが、危険な雰囲気を感じる。藤田と共通するような、危険な何か……陽一は少しずつ後退りを始める。すると、中年男の表情が緩んだ。

「おいおい……俺は怪しい者じゃない。お巡りさんだよ。ほら、見てみろ」

 中年男はそう言うと、警察手帳を取り出した。陽一の前で開き、写真の部分を指し示す。

「よく見ろ。おじさんはな、怪しいかもしれないが……一応は刑事だ。悪者じゃない。名前は高山裕司……まあ、俺の名前はいいか。ところで、だ……」

 高山はゆっくりと近づいて来る。陽一は動くことが出来なかった。ヘビに睨まれたカエルのように、足がすくんでしまっている。


「少年……お前さんの名前は? ここには……いったい何しに来た?」


 陽一は答えに窮し、黙ったまま下を向いた。そして必死で考える。何を喋るべきか、そして何を喋らないべきか……すると、高山はニヤリと笑った。まるで、陽一の心を見透かしたかのように。

「まあいい。言いたくないなら、言わなくても構わんよ。お前さんは……はっきり言って悪さはしそうにないタイプだ。善い事はしないが、悪い事もしない……いや、出来ない。お前さん、どうせそういうタイプだろ? ここはな、お前さんのようなお坊ちゃんの来る所じゃねえ。さっさと帰んな」

「何だと……」

 陽一の心から怯えが消える。代わりに生まれたもの……それは怒りだった。何もできないタイプ……その言葉は、陽一の心に突き刺さった。思わず、拳を固める……。

「……」

「なあ少年、俺の言ったことが聞こえなかったのか……さっさと失せろ。でないと逮捕するぞ。警察を敵に廻して、得することは何もない。さっさと帰れ。どうせお前さん、近頃流行りの……あれだ……ニートとかいう奴なんだろうが。家帰ってネットでも見てろ」

 そう言うと、高山は陽一を見すえた。取るに足らないものを見るような目付き……陽一の心は、湧き上がってきたドス黒い感情に包まれていく。殴りかかりたい気持ちを押さえるのが精一杯だった。


「ああ……なんだ……その目は……言いたいことがあんなら言ってみろよ……」

 高山の表情も変わった。先ほどまでとはうって変わって、攻撃的な目付きになっている。体を包む雰囲気にも変化が生じた。

 だが、陽一は怯まない。高山を睨み――

「僕を……そこらのニートと一緒にするな……僕は……奴らとは違う……」

「はあ? じゃあ、どう違うんだよ。言ってみろ。俺にもわかるように言ってみろよ……ちゃんと聞いてやるから。お前は他のニートとどう違うんだ?」

 高山の問い。しかし、陽一は答えることが出来なかった。自分は他の者と何が違うのか……何も違わないではないか。

 ただ、誰も読んでくれない下らない小説を書き、そして弱い男を殴り倒しただけだ。

 僕は……ただのニートなのか?


「答えられないだろうが……お前さんも、何も出来ないくせにネットで大口叩いてるタイプなんだろ。現実では、何もできねえ臆病者なんだろうが。だいたい、昼間からこんな場所をうろちょろしやがって……さっさと帰れ。帰って、エロ画像でも見てろ」




「クソが!」

 陽一は公衆便所の壁を殴りつける。拳の皮膚が裂け、血が壁にへばりつく。

 悔しかった。高山という刑事の言葉がもたらした屈辱感……それは、ピアスの男とその仲間たちに叩きのめされた時より遥かに大きいものだった。

 そして何よりも屈辱的なのは……。

 高山の言ったことは、全て真実だったからだ。

 絶対に認めたくない真実……。


 ・・・


「鉄さん……どうしたんですか? 昨日から……何か変ですよ」

 恐る恐る尋ねる火野正一……しかし、藤田鉄雄は頭を振った。

「何でもない……何でもないんだ」


 何でもないことはなかった。

 昨日は中島隆一の家を訪れた。そして話を聞いたのだが……聞けば聞くほどに胸糞の悪くなる話だったのだ。中島は初めのうち、言い渋っていたが……鉄雄の程度を心得た暴力の前に、あっさり口を割る。ためらいながらも、少しずつ語り始めた。




 きっかけは鉄雄の暴力だった。五年前……四人は事務所で、鉄雄に正座させられた挙げ句に一人ずつ顔面を蹴られた。しかも肥田勝弘にいたっては、持っていた覚醒剤を全てトイレに流されてしまったのだ。


 その後、銀星会の若頭である桑原徳馬にこっぴどく説教されて事務所から解放された四人は、ひどく苛立っていた。特に肥田の怒りは凄まじく――

「誰でもいいからボコりてえよ……なあ、誰かいねえか?」


 夜の国道で、四人は車を走らせていた。

 そして発見する。

 国道沿いを仲むつまじく歩く、若い二人連れを。


「俺は止めようって言ったんです……でも、肥田が……肥田と南部がやろうって言い出して……しかも、車が通るだけで、人通りはなかったし……」


 四人は車から降り、二人に絡み始めた……いや、襲撃と言った方が近い。手の付けられない状態になっていた肥田が、いきなり殴りかかっていったのだ。さらに、後から続く南部。寺門は女に抱きつき、車に押し込んだ。そして……為す術もなく、車の中で震えている中島。

 男は必死で抵抗した。だが、肥田と南部が相手では勝ち目がなかった。叩きのめされ、地面に這いつくばる。その横を車が数台通り過ぎて行く。関わり合いになるのを恐れているのか、こちらを見ようともしない……。

 その時、男の声が――


(止めろ……杏子は……杏子だけは帰してくれ……俺はどうなってもいいから……杏子だけは……)


「それ聞いて、南部の奴が……あいつをみんなで痛めつけようって言い出して……誰があいつを……ギブアップさせられるか競争しようって……南部の奴が言い出して……」

 中島はそこまで言うと、不意に黙りこむ。そして、嗚咽を洩らし始めた。

「……おい、その後はどうしたんだ?」

「嫌です……あれは……ひどすぎた……俺は悪くない……肥田と南部が悪いんだ……俺は……俺は怖かったんです……」

 泣きながら、途切れ途切れの声で訴える中島。だが、鉄雄は容赦しない。

「いいから、さっさと言えよ……その二人に何をしたのかを……」




「何ですかそれ……本当にクズ野郎ですね」

 コーヒーの入ったカップを鉄雄を差し出しながら、吐き捨てる正一。

 鉄雄は、これまでに様々な裏の仕事をやってきた。窃盗、強盗、死体処理、そして殺人……だが、金にならないことはしない。誰かに頼まれて金を受け取ることにより、殺人ですら仕事となる。鉄雄には強烈なプロ意識があった。一度引き受けた以上は、どんな仕事でもやり遂げる。しかし、それ以外の状況では……法に触れるような行為は極力避けている。信号無視すらやらない。鉄雄の中では、仕事とそうでない犯罪の間にはきっちりと境界線を引いているのだ。

 そんな鉄雄のスタイルを間近で見ている正一もまた、鉄雄ほどではないにしろプロ意識はある。正一から見れば……中島ら四人の行為は本当に唾棄すべきものなのだ。


 そして鉄雄もまた、いかにも不快そうな表情でコーヒーに口をつける。だが、その時――

「いやあ、疲れたよ……すまないな、邪魔するぜ」

 声と同時に入って来たのは……高山だった。


「刑事さん……ここは喫茶店じゃないんですよ。サボるなら、別の場所でやってもらえませんかね」

 不快な表情を隠そうともせず、冷たい口調で言い放つ鉄雄。だが、高山は動じない。ふてぶてしい表情でソファーに座り込み、タバコを吸っている。

「そう言うなよ。こちとら張り込みで疲れちまった。変なガキは来るしよ……まあ、あのガキには悪いことしたな。張り込みの邪魔だったから、キツいこと言って追っ払ったんだが――」

「知りませんよ、そんなこと……それより何しに来たんですか? 俺は何も悪いことはしてませんよ」

「はあ? おい藤田、どの口でそんなこと言ってるんだよ。まあいい。ところで……ついさっき、お笑い芸人の大崎ジョージがシャブでパクられたぜ」

「ほう……それは知らなかったですね」

 大崎ジョージ……最近、めきめきと頭角を現してきた若手芸人である。しかし、彼が覚醒剤をやっていたことは……裏の世界では有名な話だった。

「で……その情報を警察に流したのが、銀星会らしいって噂だよ。お前、何か聞いてないか?」

「……いや」

 鉄雄はとっさに返事が出来なかった。ヤクザが芸能人を売るケース……何かデカい取り引きがある時だ。有名な芸能人を売ることにより、警察に手柄を立てさせる……その代わり、しばらくはお目こぼしを、というわけだ。

 だが、銀星会にはデカい取り引きの話などないはずだ。少なくとも、鉄雄は知らないし聞いていない。

 どういうことだ?


「藤田……お前は銀星会の人間じゃねえ。いわば下請け……それはわかってる。お前ら二人が知るわけねえよな。ただ、ここ最近続いてた両手両足切断事件……その取材に来てたマスコミは、大崎ジョージの事件に食いついて、みんな引き上げちまった。銀星会にとっちゃあ……目障りなマスコミが消えてくれて、ありがたい話だろうぜ」


 ・・・


(いや……実に嘆かわしい話です。彼にどんな苦しみがあったのかは知りませんが……薬に逃げて欲しくなかったですね)


 ワイドショーのコメンテーターのつまらない言葉を聞きながら、仁美一郎は部屋で一人、布団にくるまっていた。昨夜から、どうにも体調が良くない。会社には休みの連絡を入れた。事務員の女からは、さんざん嫌味を言われたが聞き流した。

 テレビは先ほどから、つまらないニュースばかりが流れている。芸能人の誰かが逮捕されたらしい。一郎には何の関係もない話だ。芸能人は逮捕されても、離婚しても、自殺しても、必ず大騒ぎになる。その辺りのことを、少しは自覚し、自重して欲しいものだ。


 一郎は天井を見つめた。ふと、自分が布団に捕らわれたような気分になる。もし残りの人生を、この部屋の中だけで終えなくてはならないとしたら?


 それほど悪いものではないだろう。


 しょせん、人間の一生などそんなものだ。刑務所で暮らしているのと大して変わらない……仕事に行き、食って、寝る。ただそれだけだ。

 そして、いつかは死んでいく。これに関する限り……人類が誕生してから、ただ一人の例外もなかった。全ての人間は、みな死刑囚なのだ。老衰で死ぬか、事故で死ぬか、病気で死ぬか、あるいは誰かに殺されるか……。


 殺される?

 誰が殺された?


 その時、一郎の脳裏に甦ったのは……あの悪夢だった。肉塊を思わせる形状の頭を持ち、鋭く長い牙を生やした怪物……それが人間を貪り食らっている。


 まず一人……。

 そして一人。

 二人の人間が、貪り食われていく……。

 その両方に、見覚えがある。

 食われる瞬間、絶望的な目でこちらを見ているのだ……。

 誰だろう?

 いや、あれは……。


 一郎は目を覚ました。いつの間にか、寝てしまったらしい。体を起こそうとする。だが、その瞬間……頭が割れるように痛んだ。一郎は再び横になる。ひょっとしたら、明日も仕事を休まなくてはならないかもしれない。羽場商事は今、例年にないほど忙しいのだ。一郎は出世には興味がない。しかし、それでも最低限の仕事だけはこなさなくては……周りの人間の足を引っ張るようなまねだけはしたくない。

 そんなことを思いながら寝返りをうった瞬間、一郎は心臓が止まりそうになった。

 目の前に、あの女がいる……長い黒髪、白い肌、目鼻立ちのはっきりした美しい顔、豊かな胸、そして……全てを悟っているかのような表情。

「あ、あなたは……なぜ、ここに……」

 一郎はそれだけ言うのがやっとだった。なぜ、あの女がここにいるのかわからない。扉に鍵はかけたはずだ。


 いや……。

 この女の前では、鍵など無意味だ。


「やっと……私を探す気になったのね……」

 そう言うと、女はその場で正座した。そして、まっすぐにこちらを見下ろす。その美しい瞳は、どこか悲しげだった。心の奥底から溢れ出そうとしている、深い悲しみ……それを必死でこらえているかのように見える。


「あなたは……誰なんです……俺は……あなたを知らない……でも……」

 言いながら、一郎は体を起こした。頭が割れそうなほど痛い。しかも、どんどん大きくなってきている。一郎は頭を抱えた。すると――


「私は……あなたが失ってしまったもの……私を手に入れたら……あなたは不幸になる………それでもいいの?」


 女の声。いったいどういう意味なのだろう……しかし、女が自分の所に来てくれるのだとしたら……そして、自分のものになるのだとしたら……。

 それが不幸であるはずがない。

 なぜ、そんなおかしなことを言うのだろう?


「俺は……あなたが……欲しい……不幸になど……なるはずがない……いや……どんな不幸にでも……耐えて見せる……」

 頭痛に耐え、一郎は言葉を絞り出す。

 だが、女は首を横に振った。

「あなたは何もわかっていない。私を見つけたら……あなたは不幸になる。あなたは……きっと耐えられない。あなたは……また……同じ過ちを……犯してしまう……」

「いったい……何を言っているんです? わかるように――」

 だが、そこまでだった。

 激しい頭痛が襲う。一郎の意識が途絶え、ゆっくりと暗闇に沈んでいった。




(ですから、彼は弱いからこそ薬物に溺れたわけなんです――)

 テレビから聞こえる、コメンテーターの声。一郎は目を開けた。女の姿は、いつの間にか消えている。そして、頭痛はいくぶん和らいでいた。


 夢……だったのか?

 あの女は……いったい何者だったんだ?


 考えてみれば……あり得ない話だ。あの名前も知らぬ女が、自分の家に入りこんで来たというのか。

 そうだよ。

 今のは、ただの夢だったんだ。

 あの女の言っていることには、何の意味もない。

 全ては夢だ……。

 覚めることのない夢なんだよ……。


 ・・・


 夕方近くなってから、中島隆一は目を覚ました。体の節々が痛む。昨日、突然やって来た藤田とかいうスキンヘッドの男にいろいろと質問された。かつて、自分が関わった事件について……しらを切ると、さんざん痛めつけられた。藤田の暴力は執拗で、そして巧妙だった。痕を残さず、しかも肉体と精神にダメージを与える手口……中島に耐えられるはずもなく、あっさりと口を割ったのだ。

 もっとも、話は多少……いや、かなり脚色してはあるが。中島は初めのうち、確かに震えていた。肥田と南部のやっていることを、じっと見ているだけだった……しかし、途中から耐えられなくなったのだ。目の前で繰り返される、男への執拗な暴力……中島は恐怖に耐えきれず、男を殴った。殴り、蹴った。このままでは、自分が暴力を振るわれる側になる……中島の恐怖心は、そんな妄想を生み出したのだ。それを打ち消すには、暴力を振るう側に回るしかない。

 やらなければ、やられるのだ。


 だが、それは気分の悪いものだった。全てが終わった後、男も女も完全に壊れていたのだ。何の反応も示さなくなった女と、変形し前歯が全部へし折られた顔で恐怖に震える男……二人の姿をまともに見られず、中島は下を向いた。そして二人をそのままにし、四人は車でその場を後にした。


 中島の脳裏からは、その映像が離れてくれなかった……二人の人間の心と身体を壊してしまったという事実。そして罪悪感……それらを忘れるために、中島は覚醒剤を射ち始めたのだ。覚醒剤のもたらす、束の間の多幸感……覚醒剤が効いている間だけは、全てを忘れていられた。

 だが、束の間の多幸感の代償はあまりにも大きかった。中島は仕事を失い、挙げ句に覚醒剤の使用中、踏み込んで来た警官に逮捕されたのだ。


 最初は執行猶予で済み、刑務所には行かなかった。だが、中島は反省しなかった。彼は既に依存症となっていたのだ。懲りることなく覚醒剤を射ち続け、またしても逮捕された。そして……中島は二年半の間、刑務所で過ごした。


 だが、それでも中島は覚醒剤を止めなかった。




 体のあちこちが痛む。動くのが辛い。それでも中島は歩いた。昨日の藤田とのやり取り……思い出したくもないものを思い出させてくれた。おかげで、久しぶりに悪夢を見た。あの時の二人の姿を……覚醒剤でもやらなければ、耐えられそうにない。先ほど売人と連絡を取った。あとは待ち合わせの場所に行くだけだ。

 しかし、売人との待ち合わせ場所に着いた時――

 背後から、首に回される何者かの腕。そして、気道と頸動脈が絞められていく……。

 中島の意識は、闇に沈んだ。




「おい、連れて来たぜ……今回は軽い奴だったから、楽だったが。それにしても……お前、一段と顔色が悪くなってるぞ。大丈夫なのか?」

 中島の体を担ぎ、地下室に降りて来た天田士郎の第一声がそれだった……大和武志は自嘲の笑みを浮かべる。

「たぶん大丈夫です……少なくとも、こいつを終わらせるまでは死にません」

「いや……終わらせて、すぐに死なれても困るんだよな。少なくとも、俺に後金を払うまでは、生きていてくれないと困るぜ……」

 そう言いながら、士郎は中島の体を降ろす。中島は顔を上げ、周りを見回そうとして――

 武志と目が合った。

「……!」

 中島の目が大きく見開かれる。そこに浮かんでいるものは、紛れもない恐怖。両手両足を縛られているにもかかわらず、懸命にもがく。悲鳴を上げようとするが、猿ぐつわをされているせいで声が出ない。

「おとなしくしろよ。命だけは助けてやるから……両手両足ぶった斬って、両目を潰したら帰してやるからな……」

 士郎のその言葉を聞き、中島の恐怖心に拍車がかかる。必死の形相でもがき、暴れるが――

「おとなしくしろって言ってんのが……聞こえねえのかい」

 言うと同時に、士郎は拳を振り降ろした。何かが潰れるような、嫌な音が響く……士郎の拳は、中島の顔面にめり込んでいる。士郎のはめていた黒い手袋は、みるみるうちに色が変化していく……。

「じゃあ、そろそろ始めるか。あ、そういや……ちょっと気になることがあったんだが。なあ武志、お前……昼間にここに来たか?」

 士郎の問いに、武志は首をひねる。

「いや、来てませんよ……そもそも、用もないのに、こんな所に来たくないですから」

「そりゃそうだよな。となると、ホームレスでも来てんのか……いやな、他の人間が来てるような形跡があるんだよ……」

「本当ですか?」

「ああ、気のせいかもしれないがな。明日の昼間、調べてみるよ。まあ、大丈夫だとは思うが……」

 そう言いながら、士郎は中島の顔面を殴り続けている。先ほどからの会話の間、喋りながらも殴り続けていたのだ。

 そして、中島の動きが止まる。

「やっとおとなしくなったか……武志、さっさと終わらせて帰ろうぜ。明日も早くから、一仕事ありそうだしな」





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