表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/19

あんた、この二人をどう思う?

「うわ……またか……」

 テレビを観ながら、西村陽一は思わず呟いていた。その顔は歪んでいる。だが、どこか楽しそうにも見える。

 昼間のニュース番組。だが……そこで語られているものは、あまりにも猟奇的な事件であった。両手両足を切断され、両目を潰された男が発見されたのだという。しかも、ここ真歩路市で……。

 さらに言うと、両手両足を切断された状態で見つかった被害者は……これで二人目だ。


 陽一は奇妙な興奮を覚えていた。裏社会という名の異世界。そこに潜む住人たち……その存在を、かつてないほど身近に感じる。


 いや違う。

 自分たちの住んでいる世界……そのすぐ近くに、裏社会はずっと前から存在していたのだ。

 混沌と暴力が支配する自由な世界が……。


 陽一は立ち上がった。押さえきれない血の猛りを感じる。まるで熱に浮かされたかのように、ボクシングジムで教わったワンツーを虚空に打ち始めた。

 左拳でジャブ、右拳でストレート……陽一はひたすら打ちまくる。何もないはずの空間……そこに様々な者の顔が浮かんでいる。憎しみをこめて、陽一はパンチを放った。


 僕はこの世界を憎む。

 憎んでも余りある、この世界を破壊したい。

 だが、この世界を破壊することは不可能だ。それくらいはわかる。

 ならば、違う世界で生きる。

 裏の世界で、自由に生きるんだ。

 そして……あいつらに教えてやる。

 異世界が大好きなあいつらに、本物の異世界の存在を……。


 くたくたになるまでパンチを放ち、そして遅い朝食を食べる。最近は食べる量も増えた。もっとも、それは意識的なものでもあるのだが。体重イコール強さであることを陽一は知っている。あの藤田という男の強さを間近で見て、さらに彼のトレーニングも見た。

 藤田の強さ……その要因の一つとなっているのは、圧倒的な量の筋肉から生み出される筋力だ。今の自分はひ弱過ぎる。もっと基礎体力を付けなくてはならない。そのため、食べる量を増やしているのだ。

 食事の後、陽一は胃が落ち着くまでパソコンに向かうことにした。前から温めていたアイデアを元に、次の作品を書き始める。テーマは……暴力、そして殺人だ。暴力に魅せられた人間がだんだんとエスカレートしていき、ついには殺人を犯してしまう。そして……今度は殺人の魅力に取り憑かれていき、破滅していく男が主人公の文学作品だ。そう、あの藤田という男に出会い、そして暴力の持つ不気味な魅力に惹かれていっている自分……それがきっかけとなり、今回の作品は生まれたのだ。

 今回の主人公のモデル……それは自分自身だった。


 しかし、書き進めていく途中で陽一の手が止まる。重要な点に気づいたのだ。陽一はこれまで、喧嘩などしたことがない。一方的に殴られたことならあるが……。

 そんな自分が、暴力について語る……それはおかしいのではないだろうか?


 いや、それは違う。

 体験しないことでも、事前に本やネットできちんと調べて……足りない部分は想像力で補えば、書いても問題ないはずだ。

 ミステリー作家の中に、殺人を犯した人はいないだろうが。

 ファンタジー作家の中に、異世界を冒険した人はいないだろうが。

 だったら、問題ないだろうが……。


 心の中で、自分にそう言い聞かせる陽一……だが、自分の中で何かが「違う」と言っている。


 お前は嘘つきだ。自分で経験もしていないことを、今からもっともらしく書こうとしている。そんなお前に『幻界突破!』を批判できるのか?


 陽一は立ち上がった。今までは、そんなことは考えたこともなかった。作品を書くときは……まず本やネットなどで調べる。そしてわからない部分は……想像で体験を補う。作家としては、それが当たり前だと思っていたのだ。

 しかし……ここ数日の体験が、陽一の価値観に変化をもたらしていた。

 さらに、自分の中で蠢くドス黒い何か……その存在も感じる。


 気がつくと、陽一は外に出ていた。あてもなく外を歩く。既に夕方になっている。学校帰りの学生や仕事帰りのサラリーマンなどとすれ違い――

「ようよう、また会っちゃったねえ……俺のこと覚えてるっしょ?」

 いきなり、後ろから声をかけられた。同時に肩を掴まれる。そして顔を寄せてくる何者か。陽一が振り返ると……。

 ピアスだらけの顔が、そこにあった。


「ねえ……あん時におっさん来たじゃん。あいつってさ、知り合いなの?」

 馴れ馴れしく肩を組みながら、話しかけてくるピアスの男。陽一が答えに窮していると――

「ねえ……聞いてんじゃん……またシカト?」

 そう言うと同時に、腹にパンチが飛んできた……不思議と大した痛みは感じない。だが、陽一は痛がっているふりをした。

「ねえ……あん時おっさんに殴られた川田がさあ……前歯一本折れちゃったんだよね……お前さ、治療費出してくんね?」

 ピアスの男は耳元で囁きながら、陽一を公園に連れ込もうとする。

 そして陽一は……。

 前と同じく、恐怖を感じていた。だが同時に、ぞくぞくするような何かも感じていた。


 これで体験できるじゃないか……。

 本物の喧嘩が。


 ・・・


 ウィークリーマンションの一室……藤田鉄雄は荷物をまとめていた。もとより長居するつもりはなかったが……もう、ここには居られない。一刻も早く立ち去るべきだ。きのう再会した、刑事の高山……あいつは独自に何かを調べているらしい。普通、刑事は二人一組で仕事に取りかかるはずだ。なのに高山は一人で来た。となると……完全にプライベートな用事だったということか?

 それにしても、高山の態度は変だった。五年も前の事件を、今さらどうしようというのだろう? 管轄の違う夫婦惨殺事件の犯人を、今になって捕まえようというのだろうか?

 まあ、自分には関係ない話だ。仕事が中止になった以上、ここを引き払う。今回のパートナーを務めるはずだった火野正一は、まだしばらく真歩路市にとどまるようだが、鉄雄にそんなつもりはなかった。

 しかし荷造りを終え、いよいよ出ていこうとした時……鉄雄のスマホにメールが来た。正一からだ。


(これから桑原が事務所に来るそうです。鉄さんも呼べと言ってました。どうします?)

 メールには、そう書かれていた。その文面からは嫌な予感しかしない。桑原とは……銀星会の若頭である桑原徳馬クワバラ トクマのことに間違いない。金儲けは上手いが、とにかく人を安く使うのが得意な男だ。どうせまた、鉄雄と正一を二束三文で安く使おうという肚なのだろう。

 会いたくはない。会ったら面倒なことになるのは目に見えている。しかし、会わなかったら……もっと面倒なことになるのだ。

(今から行く)

 鉄雄は返信した。




「藤田、それに火野……久しぶりだな。相変わらず悪そうな顔してんなあ」

 桑原はそう言うと、ニヤリと笑った。一見すると、温厚そうな普通のサラリーマンにしか見えない。服装、髪型、身に付けている物……全てにおいて地味だ。ヤクザは見栄を売る商売のはずだが、こと桑原に関する限り、それは当てはまらない。

 しかし横には、元力士のボディーガードが付いている。鉄雄が小さく見えるほどの巨漢だ。さらにその後ろには、小柄な男がいる。かつては貿易商をしていたが、ドラッグにはまり逮捕され、現在は桑原の下で働いているとのことだ。荒事の方はからっきしだが、その語学力および商売の知識はおおいに役立っているらしい。


「ところでな、藤田……お前たちに一つ頼みたいことがあるんだよ。最近、ウチに関係する人間が両手両足をぶった斬られた……それも、続けて二人だ。知ってるよな?」

「ええ……話だけは」

「ウチとしても、こんなことをされて黙っているわけにはいかないんだよ……それはわかるな?」

「ええ、わかります」

 鉄雄は答える。既にこの会話の行き着く先が読めてしまい、頭の中は憂鬱に支配されていたが。

「俺としては、その馬鹿野郎を取っ捕まえて……きっちりケジメ取りたいんだよな。そこでだ、お前らにも協力してもらいたい。ウチの人間をあんな目に遭わせた馬鹿野郎を探してもらいたいんだよ」

「あの……桑原さん……俺たちは……探偵じゃないんで――」

「ああ? 何が言いたいんだ、火野? まさか、やりたくないなんて言わないよな?」

 言いかけた正一の言葉を遮り、静かではあるが怒気を含んだ声で質問する桑原……鉄雄は想像通りの展開に、心の中でため息をついた。

 正一はたじろぎ、愛想笑いを浮かべる。

「え……いや、そう言う訳じゃあ――」

「なあ藤田、お前はどうなんだ……まさか、出来ませんとは言わないよな? 俺とお前らとは長い付き合いだ……俺の頼みは断らないよな?」

 桑原の矛先は、今度は鉄雄の方に向けられた。

「わかりました。どこまでやれるかわかりませんが、探してみます」

「そうか……やってくれるか……さすが藤田だ。わかってる奴だよ、こいつは。お前らも、そう思うだろうが。なあ池野?」

 桑原はそう言いながら、後ろを振り返る。池野と呼ばれた小柄な男は、愛想笑いを浮かべて頷いた。

「じゃあ藤田、頼んだぜ……何かわかったら連絡してくれ」




「あの、鉄さん……引き受けちゃって大丈夫だったんですか?」

 桑原とその取り巻きが引き上げた後、正一が恐る恐る聞いてきた。

 鉄雄はため息をついてみせる。

「大丈夫なわけないだろうが……面倒くさいことになっちまったよ」

「……あ、でも経費とかは貰えるんですよね? それに見つけだせば、かなりの額が――」

「正一……桑原の言ったことを聞いてなかったのか? あいつは仕事だとは一言も言ってない。頼むとしか言ってないんだよ。これは個人的な頼み事……つまり、俺たちはタダ働きさせられるってことさ」

 そう言いながら、鉄雄は視線を虚空に向ける。本当に面倒なことになった。また、しばらくの間ここに居なくてはならないのだ。しかも、探偵の真似事までさせられる羽目に……。


「ところで鉄さん、昨日の話なんですが……駅前で天田を見かけましたよ。あいつ、こんな所で何やってるんですかね」

 正一の何気ない一言……しかし、鉄雄の表情が変わる。

「天田……」


 ・・・


 五時になった。仁美一郎は立ち上がり、思い切りのびをした。そして会社を後にする。今日もまた、いつも通り平穏無事に過ぎてくれた。平穏無事……一郎にとっては、それが一番ありがたいことだ。

 いつものようにバスに乗って駅まで行き、そして駅から電車に乗りこむ。電車に揺られて、いつものように家まで――

 しかし、一郎はまたしても違和感を覚えた。何かが違う。一郎は顔を上げ、辺りを見回してみた。すると女がいる。一昨日にも会った女だ……そう、前にも同じ電車に乗っていた。美しい顔立ち。色白の肌と長い黒髪。豊かな胸と腰回り。スーツ姿からは気品すら漂う。間違いなく、一郎より年上だ。

 気がつくと、一郎はじっと女を見つめていた。しかし、女は一郎の方を見ようともしない。座席で、じっと下を向いている。一郎の視線に気づかないのか、それとも気づかぬふりをしているだけなのか。

 一郎は鼓動が早くなっていくのを感じた。あの女を見ていたら、何とも言えない気持ちになっている。異常な欲望が湧き上がってきているのを感じた。


 あの女が欲しい。欲しくてたまらない……。

 だが、それは無理だ。あの女だけは、絶対に俺のものにはならない。

 いや、待てよ……。

 なぜだ? なぜ俺のものにならない?

 いや、それ以前に……。

 あの女は誰だ? 確かに見覚えがある。俺はどこであの女と会ったのだろう?


 一郎は女の顔を見つめながら、記憶を辿っていった……確かに、どこかで会った記憶がある。一昨日……いや、その前だ。もっと前に、自分はあの女と会っているはず。

 それも、一度や二度ではない。かなりの頻度で会っていたような気がする。


 その時、電車が駅に到着した。そして扉が開く。すると、女は音もなく立ち上がった。そして、電車を降りて行く。一郎は弾かれたように席を立ち、後を追おうとしたが――


 ちょっと待て。

 追ってどうする?

 俺は……何と言えばいいのだ?


(あなた、俺とどこかで会ってますよね? あなたは誰ですか? 俺とどんな関係があるんですか? 教えてください!)


 あまりにも馬鹿馬鹿しい質問だ。もし万が一、相手も自分のことを覚えていなかったとしたら? まず間違いなく、警察を呼ばれるだろう。

 一郎は迷った。女を追いかけたい。だが、どうすればいい?

 すると――

 またしても、女は振り向いた。そして、一郎をじっと見つめる。その瞳は……形容できないほどの、深い悲しみに満ちていた。

 そして、女の口が動いている。何かを呟いているように……いや、一郎に何かを訴えかけるように。一郎は何を言っているのか読み取ろうとしたが――

 一郎の目の前で、扉が閉まる。そして次の瞬間、電車は走り去る。女の姿も視界から消えた。


 一郎は呆然としたまま、真歩路駅を出た。一体何だったのだろう。あの女は、自分に何かを言っていた。間違いなく、何かを訴えようとしていたのだ。勘違いでも何でもない。あの女は自分の知り合いなのだ。

 しかし……。


 何か言いたいことがあるなら、なぜ直接言わないのだ?

 誰かに聞かれては困る話なのだろうか?


 すると突然、一郎の頭を激しい痛みが襲う……頭蓋骨を電動ドリルで抉られるような、凄まじい激痛。一郎はポケットをまさぐり、薬の入った小瓶を取り出した。蓋を開け、数錠を直接口に放り込む。そしてバリバリと噛み砕いた。

 頭を押さえ、ふらふらと歩く一郎。ひとまず、公園に設置されているベンチで休むことにした。

 だが公衆便所の前を通りかかった時、一人の少年が飛び出してきた。危うく一郎とぶつかりそうになる。

「あ……あの、す、すいません!」

 一郎に対し、頭を下げる少年。よく見ると、少年のシャツには赤い点のような染みが付いている。血のような……しかし、少年の顔には傷がない。体にも、傷はないように見える。では、その染みはどこで付いたものなのか。

 一郎は少年を無視し、公衆便所に入って行く。

 そのとたん、一郎の目に飛びこんできた光景……それは別の少年が顔から血を流しながら、便所の床に横たわっている姿だった。少年は鼻や唇、耳たぶに多くのピアスを付けている。そして、鼻と口から大量の血が流れていた。鼻と口を両の手のひらで押さえているが、何の役にも立っていない。

「い、いでえ……いでえよ……」

 ピアスだらけの少年は途切れ途切れの声を出す。

 だが、一郎の体は震え出していた。血を流し、倒れている男……その姿には見覚えがある。そう、自分は確かに見たのだ。刃物で滅多刺しにされ、大量の血を流して倒れている何者かを……しかも、それは一人ではなかった。二人だった。


 いや、違う。

 もう一人、血まみれの男を見たのだ。

 その男は、刃物を持っていたはずだ……血まみれの姿で刃物を持ち、ヨロヨロとこちらに向かい、歩いてきたのだ……。


「い、いでえよ……お兄さん……ちょっと手ぇ貸してくれよ……」

 うめき声を上げながら、一郎を呼ぶピアスの少年……だが一郎はそれを無視し、その場を後にした。


 ・・・


 吹き荒れる、暴力の嵐……。

 大和武志は必死で抵抗した。だが、相手は四人いるのだ。武志は散々に殴られ蹴られ、そのうちに痛みが心を支配していく……。

 そして、奴らの手は杏子に伸びる――


 止めろ。

 止めてくれ……。

 お願いだから……止めてください……。


「……!」

 武志は目を覚ました。時計を見ると、既に午後十時である。昼夜逆転などという生易しいものではない。寝たい時に寝る……獣同然の生活だ。武志はベッドから起き上がり、テレビを着ける。


(こんなことをする奴は、人間じゃありませんよ! この犯人は絶対に死刑にするべきだ!)


 テレビから聞こえてきた怒鳴るような声。武志はふと画面を観る。

 放送しているのは、ニュース番組だった。そして……扱われているのは、自分の引き起こした事件だったのだ。


(この犯人は頭がおかしいんだよ! もう人間ですらないよ、こんな奴は! 死刑だって生ぬるいくらいだよ! 人の手足を――)


 武志はチャンネルを変えた。画面は一転し、何やらゲラゲラ笑う声と芸人らしき男たちの騒いでいる姿が映し出される。

 だが武志の心には、先ほどの言葉が引っかかっていた。


(こんな奴は人間じゃありませんよ!)


 お前らコメンテーターごときに、何がわかるってんだよ……。

 あいつらのせいで、杏子の心は死んだんだぞ。

 今の杏子の姿を……お前らは知ってるのか……。


 心の中で毒づく武志。そう、奴らは真実を知らないのだ。奴らが知っているのは事実だけ。それも、極めて一面的な……その一部の事実を知っただけで、何もかもわかった気になっている馬鹿者たちだ。

 この事件の真実を知っているのは、ごくわずかな人間だけなのだから……。

 それでも、コメンテーターの言葉は武志の心に深い傷を残した。


「武志、入るぞ」

 ドアを叩く音。そして声がしたかと思うと、天田士郎が部屋に入って来る。士郎はチラリと武志の顔を見た。そして、またしてもジョッキを差し出す。ジョッキの中には、チョコレートのような色のどろりとした液体が入っていた。

「まずは、これを飲め。お前、顔色悪すぎだよ……一週間寝ないでシャブ射ち続けたポン中みたいな顔してるぜ。外に出たら、間違いなくお巡りに職質されるぞ……」

 武志はジョッキを受け取り、言われるがまま中身を飲んだ。この前と同じく、頭痛がしそうなほど甘い。だが、その甘さが……体と心の疲れを忘れさせてくれるような気がする。

 武志がジョッキの中身を飲み干すと同時に、士郎が口を開いた。

「武志……悪い知らせがある。銀星会の連中が、やたらと殺気立ってやがるぜ。血眼になって犯人を探してるんだ。犯人てのは……言わなくてもわかるな? はっきり言うが、奴らを甘く見ない方がいい。お前……下手すると殺られるぞ」

「覚悟の上ですよ……俺はあの時、死ぬべきだったんです……俺が奴らに殺されていれば、警察も殺人事件として捜査したはず……奴らに然るべき罰を与えられたのに……俺は無様に生き延びた……」

 武志は唇を震わせながら下を向いた。地獄を見た、あの日……それから五年経ったにもかかわらず、武志の心の傷は全く癒えていない。今でも、あの日の夢を見る。そして思い出す。





 全てが終わった後……杏子の心は完全に崩壊していた。武志は警察に訴えたかったが、杏子には証言できる能力がなかったのだ。その上、連中がどこの何者かもわからない。

 杏子の両親は、武志をありとあらゆる言葉で罵り、そして言い渡した。

「警察には被害届を出さない。杏子にはこれ以上、辛い思いをさせられない。全部お前のせいだ。杏子に二度と近づくな……」


 武志は仕事を辞めた。そして……様々な手口で金を作る。出来ることは何でもやった。初めはアルバイト……次に非合法スレスレの仕事。最後には、完全に非合法の仕事をこなした。

 その過程で、武志は士郎と出会ったのだ。




「なあ武志、お前の気持ちは俺にはわからねえ。だがな、俺にもわかることはある。時には引くことも必要だ。しばらくおとなしくしてろ。そうすれば、銀星会の連中も――」

「大丈夫ですよ……あなたには迷惑はかけません。俺一人でやります。元々、そのつもりだったんですから……」

 武志は虚ろに笑った。そう、本来なら自分一人でやるはずだったのだ。士郎には、この四人を探し出してもらう……それだけを頼むつもりだった。

 なのに士郎は、親身になって自分の世話まで焼いてくれている。士郎をこれ以上、自分の都合に巻き込みたくはない。

「士郎さん……後金は払います。あなたはもう、手を引いてください。残りの二人は……俺が一人でやりますよ」

「あのな……そうはいかないんだよ。もう、お前一人の問題じゃない。それに……ここまで来た以上、俺も最後まで見届けたい」

「最後まで?」

「ああ……お前がどんな形でケリを付けるか。そして……全てが終わった後、お前がどうするかをな。どういう人生を歩むのか……見てみたい気がするんだよ」

 士郎はそう言って、戸棚からカップラーメンを取り出す。

「とにかく……今は何でもいいから食べるんだ。あと二人始末する前に、お前が倒れちゃ話にならねえ」





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ