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あんた、この事件をどう思う?

 朝、目覚めると同時に西村陽一は違和感を覚えた。体が上手く動かないのだ。そして次の瞬間、全身を襲う強烈な痛み……だが、この痛みの正体はわかっている。筋肉痛だ。手首からふくらはぎにいたるまで、全身がこわばり、痛みで動きが止まる。筋肉痛とは、これほどまでにキツいものなのか……今まで体験したことのない感覚に、陽一は思わず苦笑する。

 しかし、いつまでも寝ているわけにはいかない。陽一は少しずつ動き、ベッドから体を起こす。起き上がるのも一苦労だった。特にキツいのは両足だ。陽一のこれまでの生活は、運動とは無縁だった。せいぜい、両親の財布からくすねた金でコンビニまで歩く……それが彼にとっての運動だった。

 ところが昨日は、駅前のボクシングジムにて一日だけの無料体験入会をしたのだ。そして、ボクシングの練習メニューを一通り体験した。生まれて初めてのボクシング……想像を遥かに超えるキツさだった。縄跳びでは足がもつれ、シャドーボクシングでは息が上がり、ミット打ちでは吐きそうになり……トレーナー曰く「かなり軽めのメニュー」とのことだったが、途中からトレーナーの指示に付いて行けなくなり、結局は見学することとなってしまったのだが……。

 昨日の出来事を思い返しながら、陽一は立ち上がった。体がやたらと重い。全身に鉛の塊を埋め込まれたような感じだ。しかも、自分のひ弱さを思い知らされる結果となった。トレーナーも、陽一の体力の無さには呆れているようだった。

 その反面、不思議と気分は悪くない。昨日……大量の汗をかくことで、己の体内に溜まった毒素――そして内に潜む悪意――を吐き出せた気がする。

 さらに……。

 藤田鉄雄と再会することができたのだ。




「す、すいません! お、おととい助けてもらった者です! あ、あの時はありがとうございました!」

 練習メニューの途中でヘトヘトになり、椅子に座って休んでいた陽一。だが、そんな陽一の前にいきなり現れたのは……。

 魁偉な容貌をいっそう際立たせるスキンヘッド。プロレスラーのような体格、そして体を包む肉食獣のような危険な雰囲気。

 間違いない。公園のトイレで自分を助けてくれた男だ。


 陽一は慌てふためき、立ち上がって挨拶する。だが、男は面食らった表情で、じっとこちらを見ていた。その時、トレーナーが声をかける。

「あれ……藤田さん、この子と知り合いなの?」

「ふ、藤田さんとおっしゃるんですか……ぼ、ぼくは……に、西村です……西村陽一といいます! あ、あの時は……」


 あの藤田という男は初めのうち、陽一のことが何者なのかわからなかったようだ。しかし、状況が飲み込めてくると……。


「なあ西村くん……あの夜のことだが、あんまりベラベラ喋らない方がいいな。その方がお互いのためだと思うよ」


 耳元で囁いた言葉……静かな口調ではあったし、表情も穏やかで笑みすら浮かべていた。しかし、その目は笑っていなかった。危険な素顔の片鱗を覗かせる……その迫力を前に、陽一はたじろぎながら頷いた。

「それでいいんだよ。必要のないことをベラベラ喋ると、誰も得しない」


 陽一は考えてみた。あのジムに入会すれば、藤田にもう一度会うことができるのだ。

 そうすれば……藤田を通じて、裏の世界に足を踏み入れることができるかもしれない。

 自由な世界に……。


 得体の知れない興奮に包まれていく陽一……昨日、ジムで教わったばかりの左ジャブと右ストレートを宙に放つ。確かな手応えを感じた。陽一には、スポーツの経験がまるでない。だがその分、妙な動きの癖も無く素直に教えられたことを真似ることができた。

 左の拳をまっすぐに打ち出す。次いで、打ち出した左の拳を素早く引き戻し、右ストレートを放つ。トレーナーの言ったことを思い出した。


(右ストレートは腕で殴るんじゃない。全身で打つんだ。足の親指の下……そこを回転させる。さらに動きを連動させて腰を回転させ、同時に右の拳を打ち出す。ピストルに例えると、足の動きが引き金で撃鉄が腰の回転、と同時に肩という銃口から拳という弾丸を発射する。そういうイメージだ……って、かえってわかり難くなったかな?)


 わかり難くない。

 むしろ、その説明のお陰でよく理解できた。


 肩という銃口から、拳という弾丸を発射させる……そのイメージで、陽一は昨日習ったワンツーを虚空に放つ。ワンが左ジャブ、ツーが右ストレートだ。陽一は虚空に速いパンチを打ち出す。

 拳の先にあるもの……それは、ピアスだらけの顔であり、自分を怒鳴りつける父や母であり、顔を見たことのない『幻界突破!』の作者であり……。

 それに象徴される、世の中そのものであった。


 世の中に存在する人間すべてに平等な憎しみを抱き、薄暗い部屋にこもっていた陽一……だが彼はようやく、なりたいものを見つけたのだ。そして今、世の中に出て行くための準備を始めた。

 暴力という剣で武装し、裏の世界というダンジョンに降りて行くために。

 そこで、何かを見つけるために……。


 ・・・


 黒川運輸に退社の電話連絡をした後、藤田鉄雄は火野正一のいる事務所に向かった。今回の計画の中止は既に電話で告げている。あとは、正一の事務所に預けてある物を取りに行くだけだ。

 それにしても、今回ほどひどい仕事はなかった。初めから終わりまで、想定外のアクシデント続きだった気がする。さらに、この近所に住んでいる西村とかいう名のガキに顔と名前を知られてしまったのだ。自分の裏の部分、その片鱗も……そもそもは、正一がもう少しマトモな運転役を見つけていれば良かったのだ。そうすれば……。

 しかし、今さら正一を責めても仕方ない。それに……考えてみれば、これで正解だったのかもしれない。仮にポン中の男が事故を起こさず、そのまま計画を実行に移していたとすると……失敗し警察にパクられていた可能性が高いのだ。あるいは銀星会にパクられるか。銀星会にパクられたら……間違いなく消される。苦しまずに逝けることを祈るしかない。


 頭の中で考えを巡らせながら、事務所に入って行った鉄雄。

 しかし、そこで待ち受けていたのは――

「いよう藤田……久しぶりだな」

 事務所の扉を開けた時、そう言いながらソファーから立ち上がった者がいた。よれよれのコートに身を包んだ中年男だ。顔にはしわが目立ち、くたびれた雰囲気だ。しかし眼光は鋭い。体の方も、必要とあらばまだまだ動けそうだ。

「確か……刑事の……高山さん……でしたっけ。お久しぶりですね」

 鉄雄はにこやかな表情で答える。だが、その目はじっと高山の表情を窺っていた。いったい何をしに来たのだろう。少なくとも、自分はヤバい物や危険な物は所持していない。しかし、ここの事務所には拳銃が隠してある。もし高山に見つかったら……少なくとも四、五年は刑務所暮らしだ。

 高山は黙ったまま、じっと鉄雄の目を見つめた。

「歓迎されてないムードだな……まあいい。今日はな、お前さんをパクりに来たわけじゃないんだ。ただ……話を聞かせてもらいたいと思ってな」

「何の話です?」

 言葉と同時に、奥から正一が顔を出す。その手にはコーヒーカップが二つ。そして、一つを高山の前に置いた。

 だが、高山は正一を見ようともしない。代わりに鉄雄を見続けている。

「なあ藤田……お前さんがパクられたのは五年前だったな?」

「ええ、確かそうでしたね……俺は何にもしちゃいませんでしたが」

 鉄雄は表情一つ変えずに答える。だが内心では、高山の意図を図りかねていた。いったい何なのだろう。五年前の事件を今さら持ち出してくるとは……五年前の事件とは、ただのケチな窃盗だった。とある会社の従業員と組んで、鍵の開いている事務所からわずかな売上金を盗むという……しかし運の悪いことに、鉄雄が入った事務所のすぐ近くで殺人事件が起きたのだ。自宅で夫婦が惨殺されるという残酷な事件が……。

 しかも事件発生の直後、スキンヘッドの大男が被害者の家から出て行くのを見た、という匿名の通報もあった。警察は緊急配備の体勢で周囲をくまなく調べあげ、あっという間に鉄雄を逮捕した。


「藤田……窃盗の方はお前さんがやったんだよな。それはわかってる。だが、俺は捜査一課にいた……扱うのは殺人だ。お前さんが窃盗をしていようがいまいが、そんな事は関係ない。上の人間は、お前さんが犯人だと決めつけていたが……俺はお前さんを見て、こいつはやってないとわかったよ」

「そりゃそうでしょうね。俺は人殺しなんかしませんから」

 すました顔で、平然と答える鉄雄。だが、高山の表情が変わった。

「いや……お前さんは平気で人を殺せるタイプだ。金になるなら何でもするだろうよ。しかし、あんな殺し方だけはしない。全身十数ヵ所を滅多刺し、なんてやり方はな」

 高山は鋭い目つきで、鉄雄を睨みつけた。鉄雄はすました顔で見つめ返す。二人の間に緊張が走った……交わされる、言葉にならないやり取り。しかし、正一がヘラヘラ笑いながら顔を出し、二人の緊張感をぶち壊す。

「鉄さん……まんじゅう食べません? 俺の女の実家から送られて来たんですよ……刑事さんも、お一つどうです?」

 そう言うと、正一はまんじゅうの乗った皿を持って来る。そのあまりに緊張感のない様子を見て、高山は苦笑した。

「まあ、お前さんの事はいいんだ。未だにわからねえ事が一つある。何者がお前さんをチンコロしたのか……そのチンコロのせいで、上の連中はお前さんを犯人だと決めつけた。そして、真犯人はまんまと逃げおおせたわけだ」

 そう言うと、高山はまんじゅうを一つ口に入れた。すかさず、正一がお茶を差し出す。

「ああ、ありがとな……俺はあの時、お前さんの口を割らせろと言われてたんだ……ところが、お前さんを一目見た瞬間にわかった。こいつはやってない、ってな。しかも、捜査一課の俺たちがでしゃばったせいで、二課の窃盗を担当する連中はへそを曲げちまった。おかげで……お前さんを窃盗でも起訴できず無罪放免てわけだ。できることなら、もう一度捜査をやり直したいよ……あの夫婦を殺した奴を、この手でパクりてえ」


 ・・・


「仁美くん……調子はどうだい?」

 白いスーツを着た大森隆男オオモリ タカオはそう言って、にこやかに微笑む。学生時代はアメリカンフットボールとレスリングに打ち込み、社会人となって部長職に就いた今も、ジム通いを欠かしていないらしい。その大きな体にはいつも圧倒される。正直、仁美一郎はこの男が苦手だった。


 一郎の勤めている羽場ハバ商事には、奇妙な習慣が幾つかある。今行われている面談もその一つだ。月に一度、若い社員と直属の上司が一対一で話し合う。部屋は防音で誰にも聞かれない。社長の羽場は「若い者の意見は積極的に取り入れるべき」との考え方があるらしい。同時に、ベテランと若手とのコミュニケーションを図り、会社の風通しを良くしようとの考え方もあるようだ。

 だが、一郎は会社の風通しなど知ったことではないし、大森部長に直訴するような意見も持っていない。はっきり言って、なあなあの職場で九時から五時までをやりくりできれば、それでいいのだ。


「ところで仁美くん……最近、気になったニュースなんかあるかい?」

 大森部長はにこやかな表情で尋ねてくる。大きな体といかつい顔には似合わない、温厚な性格の持ち主なのだ。一郎は特にありません、と答えようとしたが――

「そういえば最近、殺人犯が脱走しましたよね。一家四人を惨殺したという……あいつは……もう捕まったんでしたっけ?」

 だが……一郎のその言葉に、大森部長は意外な反応を見せた。訝しげな表情で、こちらを見る。

「殺人犯が脱走した? そんな話は知らないな……少なくとも、私は初耳だ」

「え……いや、警察で聞かれたんですよ。国道二五六通りで護送車に暴走車がぶつかってきて、護送車が横転し……犯人が手錠のまま脱走したと――」

「それなら、もう逮捕されたよ。しかも、その男がやったのは強盗だったはずだね。テレビで何回も放送された……間違いないよ」


 どういうことだ?


 一郎は訳がわからなくなった。では、一家四人を惨殺した犯人が脱走……という話はどこから出てきたのだろう? 自分はなぜ、強盗犯と殺人犯を混同してしまったのだろうか? 

 黙りこむ一郎。頭が混乱してきた。いや、それ以前の問題として……ここ数日の自分はおかしい。記憶があいまいだ。物忘れもひどくなっている。一体、何が起きているのだ……。


「仁美くん……仁美くん……大丈夫かい?」

 大森部長の声に、我に返る一郎。

「あ……大丈夫ですよ。しかし不思議です。僕は何で、強盗犯を一家四人を惨殺した殺人犯と間違えたんでしょうねえ……」

 何気ない一郎の言葉……しかし、大森部長の顔つきが変わる。にこやかな表情が消え失せ、真剣な様子で一郎を見すえた。

「仁美くん……それは、君の過去と関係あるんじゃないかな。君にとっては、思い出したくない辛い記憶だろうけど……しかしね、いつか君は、その辛い記憶と向かい合わなくてはならない、と私は思う。私は、君には期待しているんだよ……」


 部屋を出た後、一郎は息を大きく吐いた。誰の思いつきかは知らないが、この面談は一刻も早く廃止してもらいたい。本当に、潜水でもしているかのような息苦しさをずっと感じていたのだ。

 しかし……。

 今日の大森部長の言葉は、未だに心のどこかにひっかかっている。辛い記憶と向かい合わなくてはならない、と大森部長は言っていたが……。


 辛い記憶、とは何だろうか?


 今の自分にとって、辛い記憶……それはやはり、今の面談だろう。それ以上に辛い記憶など、思い出せない。

 そもそも……。

 大森部長は自分の過去の何を知っているというのだろう。いい加減なことを言わないで欲しいものだ。本もしくはネットで仕入れた心理学の知識……それをひけらかしたいだけなのだろうが。


 そんなことを考えながら仕事をしているうちに、いつの間にか五時になっていた。一郎はタイムカードを押し、会社を出る。

 帰る道すがら、一郎は大森部長のことを考えた。あの男は面談以外の場で見たことがない。普段は、どこにいるのだろうか……あれだけの体格の男だったら目立つだろうに。

 そう言えば……。


 一郎はその時、きのう駅前でスレ違った男の事を思い出した。あの男もいかつい体格をしていた。さらにスキンヘッドで……あの男とは以前、どこかで会っている。だが思い出せない。


(思い出したくない辛い記憶だろうけど……)

 あの男は、俺にとって思い出したくない記憶なのだろうか……。

 あの男の記憶……。

 そうだ。

 確か……五年前のあの時だ。あの時、俺はあの男とすれ違った。

 あの時? あの時っていつだ? 何があったというのだ?

 俺は……いったい何を考えている?


 気がついてみると、一郎は自宅に着いていた。どうやって帰ったのか、記憶がすっぽり抜けている。

 だが、そんなことはどうでもよかった。

 どうやら自分には、思い出したくない過去があるらしい。しかも、その記憶をすべて失ってしまったようなのだ。

 そして……その記憶を取り戻す鍵、それはあのスキンヘッドの大男にあるらしい。


 ・・・


 肥田勝弘ヒダ カツヒロはヤク中だった。恵まれた体格とそれに伴う強い腕力、そして生まれ持った闘争心……それら全てが、彼にとってマイナスの効果をもたらした。

 まずは、幼い頃からの度重なる喧嘩。その結果、何人もの人間に怪我を負わせた。だが成長し、体が大きくなるにつれ……肥田の振るう暴力の被害は、ちょっとした怪我では済まなくなってくる。

 やがて、街中で肩が触れた触れないで言い合いになり、肥田は相手の男を殴り倒した。男は壁に頭を強く打って死亡、肥田は少年院に入ることになったのだ。


 少年院で肥田が学んだこと、それは……弱者は強者の食い物にされるという、弱肉強食の原理だった。肥田は強者として振る舞うため、弱者を徹底的に痛めつけた。また、様々な人種との繋がりもできた。もちろん、まともな常識人とは到底呼べないような人間ばかりである。

 少年院で過ごした期間……それは、肥田を更生させるための役には立たなかった。むしろ、肥田を更に凶悪な人間に変えるための役割を果たしたのだった。


 そして今、肥田は銀星会の準構成員となっている。準構成員とは言っても、結局はただの使い走りだ。何の地位も保証もない仕事。しかし、内に潜む暴力への衝動を解放させることはできる。しかも、薬物は安く手に入れることができるのだ。肥田は覚醒剤中毒者でもあった。暇な時は覚醒剤のもたらす快感に溺れ……だが覚醒剤の効き目が切れると、彼はとたんに機嫌が悪くなった。覚醒剤の切れ目がもたらす不快感……それを解消するため、肥田は暴力を振るった。


 その日も、肥田は機嫌が悪かった。不安定な生活、将来への不安、さらに覚醒剤の切れ目がもたらす焦燥感……それら全ての要因が重なり、肥田は一触即発の状態で街中を歩いていたのだ。

 ふと、何者かの視線を感じた。肥田が顔をそちらに向けると、妙な男がこちらをじっと見つめている。高くも低くもない身長、平凡な顔立ち、地味な雰囲気……普通なら、肥田のひとにらみで尻尾を巻いて逃げ出してしまうような男だ。だが、そいつは小馬鹿にしたような目付きで肥田の顔を見ていた。よく見ると、口元には笑みさえ浮かべている。

「おい……何見てんだよ……てめえ何なんだよ! 何か用か!?」

 吠える肥田。しかし、男には怯む様子がない。むしろ、余裕すら感じさせる表情でこちらを見ている。

 その表情が、肥田をさらに苛立たせた。幸い、ここは人気ひとけのない裏通りだ。目の前にいる男を殴り倒したとしても、警察が来る前に逃げおおせることは可能だろう。

 肥田は怒りに任せて近づいていく。だが――

 顔めがけて何かが飛んできた。次の瞬間、鼻に鋭い痛みが走る。だが、その一撃では終わらなかった。続けざまに放たれる、拳による強烈な打撃……肥田の顔面は、あっという間に変形していく。並みの人間なら、最初の一撃で戦意が消え失せていたはずだ。

 しかし、肥田は喧嘩慣れした男だった。しかも、骨太のがっしりした肉厚の体である。覚醒剤のやり過ぎでかなり体重も体力も落ちているが、それでも打たれ強さと凶暴さは落ちていなかった。

 男のパンチを数多く浴びながらも、肥田は大振りのパンチを打ち返す。当たりはしなかったものの、男のパンチの連打は止んだ。肥田はチャンスとばかり、両拳をブンブン振り回しながら前進する。さらに頭突きを食らわそうと、相撲のぶちかましのように頭から突っ込んで行った――

 だが、男は横への動きで肥田のぶちかましをさばいた。同時に左手で肥田の体を強く押す。肥田はバランスを崩し、あらぬ方向によろける……。

 すると背後から、男の手足が絡み付いてくる。肥田の背中から、男の両足が巻き付いてきた。次いで、腕が喉に巻き付き――

「さすがポン中、打たれ強いね……俺としては、もうちょっと遊びたかったけどな、これも仕事だから……手早く終わらせるよ」

 耳元で囁く声。その直後に腕が締まっていき……。

 肥田の意識は、闇に沈んでいった。




「さて、連れて来たぜ……それで、今回はどうするんだ?」

 肥田の大きな体を担ぎ上げ、地下室に運んだ士郎。肥田の両手両足には、頑丈なダクトテープが巻き付けられていた。先ほどまでは、その状態でももがいていた。だが、士郎が顔面を数回殴りつけ、鼻を砕き前歯を叩き折り、ようやくおとなしくさせたのだ。

「天田さん……いろいろ考えたんですが……やっぱり寺門の時と同じやり方でいきますよ」

 そう言いながら、じっと肥田を見つめる大和武志。肥田の目は恐怖で見開かれた。寺門達也がどんな目に遭わされたのか、思い出したのだ。

 肥田の表情の変化に気づいた武志は、口を開けた。そして……自らの歯を取り外す。肥田の前で入れ歯を外し、ニヤリと笑って見せた。

「俺はあんたに……前歯をへし折られたんだよ……あえて、差し歯だのインプラントだのは入れなかった。何でだかわかるか……あんたにどんな目に遭わされたか、忘れずにいるためだよ……あんたが……俺と杏子に何をしたか……いつでも思い出せるようにな」






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