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あんた、この変化をどう思う?

 駅の近く、雑居ビルが立ち並ぶ区域……西村陽一はそこに立ち、恐る恐る周りを見渡した。どう見ても、カタギの人間の住んでいる雰囲気ではない。刑事ドラマにでも出てきそうな風景だ。あるいはヤクザ映画か……漂う空気からして既に、家の近所とは違う気がする。

 陽一は不安を感じながらも、目当てのビルの中に入って行った。




 昨日の夜に突然の電話……それは何と、藤田鉄雄からだったのだ。そして、鉄雄はこう言った。


「陽一くん……すまないが、明日こっちに来てもらえるかな? 是非とも、君に頼みたいことがある」


 陽一は困惑した。明日と言われても困る。正直、今はどんな義務も負いたくない。何者とも関わりたくない。ただただ、静かに過ごしていたい。

 なぜなら明日、自分は……。

 しかし、その後に続く言葉は……聞き流すことが出来なかった。


「陽一くん……君が必要なんだ。君でなければ出来ないことなんだよ……頼むから、話だけでも聞いて欲しいんだ」


 必要?

 僕の事が必要だと、そう言っているのか?

 あんな……強くて……自信に満ちた人が……。


 陽一はこれまでの人生において、誰かから必要とされたことなどなかった。小学生の時、サッカーに加わろうとしたら……自分をどちらのチームに入れるかで喧嘩が起きてしまったことがある。もちろん、どちらのチームも陽一を要らないと言い、押し付け合ったために喧嘩になったのだが……。

 それ以来、陽一はチームスポーツには加わらなくなった。いや、スポーツに限らない。あらゆる分野でチームのようなものからは身を引いてきた。自分は必要のない人間だ……その思いが、心の奥底に根付いてしまっていた。

 なのに、そんな自分を必要だと言ってくれる人がいる。

 誰からも必要とされず、評価されたこともなかった自分に……。

 心血を注いで書き上げた小説……それすら、誰からも評価されなかった自分を必要だと……。


「なあ陽一くん……頼んだぜ……」


 その言葉に、陽一は抗う術を知らなかった。




 そして今、陽一は事務所のソファーに座り、落ち着かない様子で室内を見回していた。何の用途に使うのか、よくわからない道具があちこちに転がっている。便利屋というのは本当のようだ。


「陽一……よく来てくれたな……コーヒー飲むか?」

 軽い雰囲気の若い優男がコーヒーを差し出す。確か……廃墟に行った時に、鉄雄と一緒に行動していた男だ。陽一は恐縮しながら頷いた。

「ほら……ミルクと砂糖は今持って来る。ちなみに俺は火野正一だ。俺は正一でお前は陽一……名前も似てるし、仲良くしようや」

 そう言うと、正一は微笑む。人懐こい笑顔だ。裏の世界の住人には思えない……陽一は戸惑いながら、コーヒーに口を付ける。すると――

「ところで陽一、お前は確か……何もしてないんだよな? ニートなんだよな、お前は?」

 鉄雄の声。陽一が前を見ると、いつの間にか自分の目の前に座っている。大きめの体に似合わぬ、静かな動きだ。

「あ、はい……」

「だったら、俺の仕事を手伝って欲しいんだよ。嫌だとは言わないよな?」

 言いながら、鉄雄は陽一の顔を覗きこむ。陽一は鉄雄の鋭い視線を前に、陽一は我知らず目を逸らした。

「な、何をすればいいんですか……」

「殺しだよ」


 陽一の動きは止まった。思わず視線を上げ、鉄雄の顔を凝視する。冗談を言っているのではないかと思ったのだ。

 しかし……鉄雄の顔のどこにも、冗談だとは書いていなかった。


「な……何言ってるんですか……僕にそんな事、できる訳が――」

「この前、やったじゃねえか……人殺しを」

 鉄雄はニコリともせず、冷酷な表情で言い放つ。陽一の顔は、みるみるうちに青くなっていき……体は震え出す。


 また、あんなことをしろと言うのか?

 嫌だよ……。


「ぼ、僕にはそんなこと出来ません……」

「何故だ? 何故、出来ないと決めつける?」

「え……それは――」

「それは、じゃねえんだよ……なあ陽一、お前は普段、何をやってる? 何か目的があって、ニートやってんのか?」

「いえ……」

「だろうな。お前は毎日、ロクでもない生活してんだろう。一日の最大のイベントがエロ動画を見ること、みたいな……そんな生活してて楽しいか?」

「……」

 陽一は唇を噛み締める。違う、と言い返したかった……だが実際の話、大して違わないのだ。誰も読まない小説を書く日々……エロ動画を見ているのと変わらないではないか。誰も評価せず、ただ自分だけが満足しているだけ。

 ただの自己満足だ……。


「陽一……これはある意味、チャンスなんだぞ。お前が生まれ変わるチャンスだと、俺は思うぜ」

「生まれ変わる……チャンス……」

 思いもかけぬ言葉に、呆然とする陽一。人殺しがチャンスになる……無茶苦茶な理屈である。あり得ない話だ。少なくとも、一月前の陽一なら……そう判断できたはずだった。

 しかし、今の陽一は絶望していた。出口のない迷路をさ迷っているかのような心境だったのだ。本音を言えば……死にたくはない。誰かの助けが欲しかったし、誰かに進むべき道を提示して欲しかった。

 例えそれが、地獄に通じる道だったとしても……今すぐに自殺するよりは、マシな選択に思えた。


 ・・・


 鉄雄は言葉を止め、目の前の陽一の表情をじっくりと観察する。これまでに哀れな男たちを、何人も地獄に突き落としてきた。その経験が自分に教えてくれている。

 目の前の少年を落とすやり方を……。


 スキンヘッド、そして百八十センチの身長とがっしりした筋肉質の体躯。鉄雄は一見、粗暴かつ単純な男に見える。本人もまた、意識してそのキャラを演じている部分はある。

 だが、その実……相手の心理を読み取ったり、緻密な計算に基づいた計画を立てたりできる男なのだ。今も、陽一を言葉巧みに誘導している。鉄雄の圧倒的な腕力による脅しではなく、陽一を自らの意思で行動させようと説得している。

 使い捨ての手駒に仕立てるために……。


「陽一……人生は戦いなんだよ。戦いなくして変化はない。変化がなければ、進歩はない。お前は今、生まれ変わるチャンスなんだよ……この時を逃していいのか? 俺の提案を無視して家に帰り、ずっと引きこもっている気か?」

「何言ってるんですか? 人殺しなんて――」

「まあ待て。まず、俺の話を聞け」

 鉄雄は手を伸ばし、陽一の口に掌を当てた。

「いいか……相手はヤクザだ。暴力で弱者を食い物にしている、極悪なクズ共だよ……むしろ、殺した方が世のため人のためになる。お前がそいつを殺さなければ、そいつは誰かを殺すことになる……間接的にな」

 優しく諭すような鉄雄の口調に、陽一の表情が変わっていく。いつしか、鉄雄の話に真剣に聞き入っている。鉄雄は勝利の糸口を見つけた。あとは、このペースで押して行けば……。

「しかも……金も入る。上手くいけば一千万だ。なあ陽一……これは人生を変えるチャンスなんだぞ。いいか、善悪なんて概念はな、無能な人間を管理するためのものだ……人間を家畜に変えるためのな。お前は家畜なのか? 善悪なんて下らない概念に縛られて、一生を家畜として生きるつもりか?」

「そ、それは……」

「俺にはわかる。お前は家畜じゃない。お前は善悪なんて概念を超越できる人間のはずだ。そして……今の俺に必要なのは、お前のような人間だ」

「……」

 陽一は何も言わない。だが、明らかに心を動かされている。感動すら覚えているようだ。鉄雄は餌に食い付いたことを確信した。しかし、ここで引き上げようとすると、糸が切れる恐れもある。

「俺の申し出を断るつもりなら……俺は何も言わないし、何もしない。黙ってお前を帰らせる。お前とは縁を切るよ……お前に迷惑をかけないようにな。だが、それでいいのか? 俺と縁を切ってしまって……本当にいいのか? 俺はお前を引き上げられる人間だぞ」




「あいつ、大丈夫ですかねえ……」

 心配そうな表情で呟く正一。だが、鉄雄はニヤリと笑って見せた。

「陽一は必ず来るさ……ああいうガキは、他人に認めてもらいたいんだ。普段、誰からも認めてもらっていない。だから、ネットなんかでデカい事を言う……まあガキだから仕方ないが。そんな、誰からも認めてもらえないニート生活で、いきなり自分を認めてくれる人間が現れたんだぜ……あのガキは明日、必ず来る」

「それにしても鉄さん、さっきは凄かったですね……よくもまあ、あんなセリフがポンポン飛び出してくるなあと……感心しちゃいましたよ」

 正一は本気で感心しているようだった。

「あんなもん、大したことねえよ。本職の詐欺師に比べりゃ……さて、次は天田だな。天田とは連絡とれるのか?」

「いやあ、連絡とれないですね……あいつは最近、忙しいみたいですね」

「そうか……それはキツいな……」

 鉄雄の表情が険しくなった。正直な話、陽一よりも天田士郎を仲間に引き入れたかった。接触したのは、ほんのわずかな時間ではあったが、強烈な印象を残した士郎……敵に回すと恐ろしいが、味方にすると頼もしい男だ。是非とも、今回の計画に加わって欲しかった。

 しかし、連絡が取れないのでは仕方ない。それに、あの神出鬼没の男を探している暇はないのだ。計画の後はできるだけ早く、日本を離れる必要がある。

 何せ、銀星会を敵に回すことになるのだから……。

「しかし鉄さん、あのガキはどうなんです? 才能あるんですか? ぶっちゃけた話、俺にはそうは思えないんですけどねえ……」

「あのガキに才能なんて、ある訳ないだろうが……あのガキは完全なる捨て駒だよ。いざとなりゃあ、あのガキが俺たちの身代わりになってくれるって訳さ。俺たちが高飛びするまでの時間稼ぎだ」

 吐き捨てるように言う鉄雄。そう、陽一は頼みもしないのに、こちらの世界に足を踏み入れて来たのだ。家でおとなしくエロ動画でも観ていればよかったものを……どんな理由かはわからないが、自ら進んで鉄雄の前に現れたのだ。

 ならば獲物として扱う。せいぜい利用させてもらうだけだ。

「正一、念のためだ……もう一度、天田の方を当たってみてくれ。俺はとりあえず、あのガキの家を確かめてみる。住所が間違いないかどうかをな。場合によっては……奴の親も利用させてもらう」


 ・・・


 悪夢が……終わってくれない……。

 夢を見ていることはわかっている。なのに、いつまで経っても覚めてくれないのだ。

 覚めない……悪夢……。


 その瞬間、仁美一郎は目を覚ました。時計を見ると、既に夕方だ。一郎は起き上がり、テレビを点ける。ワイドショーが放送されていた。話題になっているのは、元アイドルと俳優の夫婦が別れた、というニュースだ。世間の注目を集めている、新しいスキャンダルなのだろう。一郎は何の気なしに画面を見つめていたが……。

 突然、画面に映っている司会者と目が合う。かつてお笑い芸人だった男だ。

 次の瞬間、不気味な笑みを浮かべる司会者……一郎はハッとなった。しかし、それは自分に向けられたものではないことに気づく。そう、テレビに映る司会者が自分だけに笑いかけるはずがない……。

 だが、そう思った瞬間――

 今度は、女性コメンテーターが笑ってみせたのだ。自分に向かって……。


 バカな……。

 そんなはずは……。


 まじまじと画面を見つめる一郎……だが、やはり気のせいだった。女性コメンテーターは、下種な笑みを浮かべた司会者と何やら言葉を交わしている。


 疲れているのだ……。

 俺はただ、疲れているだけなのだ。


 一郎は立ち上がり、部屋の中を歩き回る。自分は疲れているのだ。体ではなく、心が……。

 一郎は部屋の中を歩き回る。一人、ぐるぐると回り続ける……ふと、昔に読んだ童話を思い出した。虎が黒人の少年から奪った物を巡り喧嘩を始め、ぐるぐる回り続けているうちに、溶けてバターになる……。

 その時、おかしな考えが浮かぶ。こうやってぐるぐる回っているうちに、自分も溶けてしまうのではないだろうか。自分も溶けていき、何かに変わる……。

 バターではない、何かに……。

 人を食い殺す、異形の怪物に。


「馬鹿馬鹿しい!」

 一郎は足を止める。自分は何を考えているのだ。馬鹿馬鹿しいにも程がある……。

 人間が溶けて……怪物に変わるなどと……。

 しかし、その考え……いや、恐怖が頭から離れてくれない。自分という人間が溶け出し、怪物に変わっていく……。


 何を考えている?

 そんなこと、あるはずないだろうが……。


 ひきつった笑みを浮かべる一郎。そう、あるはずがないのだ。ここを何周回ろうとも、自分が溶けるはずがない。ましてや、怪物になど……。


 じゃあ、回ってみろよ……。


 頭の中に突然聞こえてきた声……一郎は愕然となった。


 なぜ足を止める? 怖いのか? 怪物に変わるのが怖いのか?


「違う!」

 声に反応し、怒鳴る一郎……だが、頭の中の声は止まらない。


 さあ、回ってみろ……何も起きないのだろう? そう信じているのだろう? なら、なぜ回らない?


「馬鹿馬鹿しい!」

 さらに大きな声で、怒鳴る一郎。自分はどうかしているのだ。外に出よう。散歩でもすれば、気分も落ち着く。それに……。

 これ以上ここにいたら、自分は回り始めてしまいそうだ。

 そして怪物に……。




 あてもなく歩き続ける一郎。とにかく、家には居たくなかった。頭の中に聞こえてきた声……気のせいだと思いたい。いや、間違いなく気のせいだ。そうでなくてはならない。頭の中に声が聞こえる……狂気の沙汰だ。


 狂気?


 立ち止まる一郎……自分は狂っていない。そう、断じて狂ってなどいない。幻聴は聞いていないし、幻覚も見ていない。

 そんなことを考えながら歩いていた一郎……だが、その歩みが止まる。

 一郎の目の前を、一人の大柄な男が通り過ぎて行ったのだ。スキンヘッド、凶悪な人相、がっちりした体格……一度見たら忘れられない、あまりにも強烈な印象の男だ。

 だが、それよりも……。

 あの男……どこかで見たぞ……。

 どこで?


 一郎は必死で記憶を探った。探りながら、男の後を付いて歩いている。どう見ても、近寄り難い雰囲気の持ち主だ。

 しかし、一郎は後を付いて行く。自分は、あの男に見覚えがあるのだ。どこの誰かはわからない。だが、あの男と自分は何か関係があったはず……。

 だが、その時――

 突然、昨日の記憶が甦る…一郎はその場で崩れ落ちそうになった。あの男が持つ暴力の匂い……それが、封印していた記憶を呼び覚ましたのだ。そう、自分は会社に行き……そして侵入者に叩きのめされたではないか……。


 なぜ、そんな大事なことを忘れていたのだろう?

 それよりも……。

 俺は今日、会社に行っていない……。

 連絡しなくては……。

 連絡を……。


「失礼ですが……どちら様でしょうか? 俺に何か用ですか?」

 突然の声。顔を上げると、スキンヘッドの男が目の前にいる。冷酷な表情。目には不審の色を浮かべ、じっと一郎を見ている。一郎は身の危険を感じた。

 しかし……。

「あ、いえ……私の昔の知り合いの人に似ていたので……」

「俺はあなたを知らないですね……人違いではないかと」

 丁寧な口調、だが有無を言わさぬ表情で答える男……一郎は曖昧な笑みを浮かべながら、足早にその場を立ち去る。歩きながら、スマホで会社に電話をかけてみたが……。


(おかけになった電話番号は、現在使われておりません……)



 ・・・


 その数時間前。

 大和武志と天田士郎は車の中にいた。周囲は閑静な住宅街である。その一角に建っている、お世辞にも綺麗とは言えないアパート……そこに南部道彦は住んでいるのだという。

「奴は今、何をやってるんです?」

 武志が尋ねると、士郎はスマホをいじりながら、面倒臭そうに口を開いた。

「まあ、見てればわかる。今日は、あいつがどんな暮らしをしているのか……それをお前に――」

「あ、出てきましたよ……士郎さん、本当にあいつですか?」


 アパートの一階の角部屋……そこの扉が開き、中から男が一人出てきた。五年前と比べると、体型はほとんど変わっていない。しかし……雰囲気は大きく変わっているのだ。目付きは穏やかになり、頬はふっくらしている。温厚そうな表情で、ニコニコしながら外に出てきたのだ。

 さらにその後から、また一人出てきた……飾り気の全くない、地味な女だ。

 女もニコニコしながら、南部の前で手を動かして見せる。見ている武志は混乱した。あれは手話ではないか……。


「あの女は南部の嫁だ。口がきけないんだよ」


 士郎の口調は淡々としており、静かなものだった。だが……武志の目は、スーッと細くなる。南部に対する憎悪がさらに激しさを増したのだ。今すぐ車を降りて行き、二人とも地獄に落としてやりたい衝動に駆られた。


 腐れ外道が……。

 貴様が人並みの幸せを得られるとでも思ってんのかよ。

 ふざけやがって……。


「士郎さん……計画変更です。二人とも拉致ります。追加料金は払います。いいですよね?」

「お前、本気か? あの女には何の罪もないんだぞ……南部と関わりがあるというだけで――」

「俺は……あなたの雇い主のはずですよ……」

 武志の顔から、表情が消えていた。冷たい目で士郎を見つめる。士郎は黙ったまま、その視線を受け止めた。

 ややあって、口を開く。

「そうだったな……すまねえ。お前の言う通りにするよ。二人とも拉致る」

「……いや、俺の方こそすみません。士郎さんには色々と助けてもらったのに……」

 頭を下げる武志。士郎は憐れみのこもった視線をちらりと向けたが――

「なあ武志……もう少しだけ、あいつの生活を覗いていこうぜ。拉致るのは何時でもできるしな」




「皆さん……私は恥ずべき人生を送ってきました。大勢の人間を苦しめ、傷つけてきました。しかし、私は生まれ変われたのです! このラエム教のおかげで……」


 とある施設……教室を思わせるような広間にパイプ椅子が並べられ、三十人ほどの正装した者たちが座っている。彼らの視線は、壇上に立ち演説している青年の方に向けられていた。

 その青年こそ、南部道彦だったのだ。

 そして……武志と士郎もまた、なに食わぬ顔で観衆の中に紛れ込み、演説に耳を傾けていたのである。


 南部の演説が、徐々に熱を帯びてきた。

「皆さん! 私はかつてドラッグをやったり、他人に暴力を振るうなどといった神をも恐れぬ放埒な生活を送ってきました! しかし……そんな私でも、このラエムと出会えたことにより変われたんです!」

 ここで南部は言葉を止めた。じっくりと観衆を見渡す。


「私は変わり、そして私の姿を見た皆さんも変わることでしょう……誰でも変われるんです!」




「士郎さん……あのラエム教って何なんです?」

 帰りの車の中、武志はどうにも我慢できずに士郎に尋ねた。会場に流れる異様な空気……不快なものを感じた。あの南部が偉そうに語っているのであるから尚更である。

「俺もよくは知らんが……はっきり言ってしまえば、怪しい新興宗教だよ。教祖の猪狩寛水ってのも、本当に胡散臭いおっさんだしな……ま、今は派手な活動をしてないからいいが、いずれはマスコミから目を付けられて、大々的に叩かれるんじゃないか? それこそ、叩けば大量の埃が出るだろうし」

「じゃあ、南部はそのインチキ宗教に一枚噛んでるわけですか……」

「それが……違うみたいなんだよ」

「違う? どういうことです? まさか、奴は本気でインチキ宗教を信じているんですか?」

 武志は驚愕の表情を浮かべ、運転中の士郎の横顔を見つめた。あり得ない話だ……南部は神も仏も信じない、宗教とは最も縁遠い人間のはず。それが宗教にハマり、善人に変わったと言うのか?

 だが、士郎の口から出た言葉は――

「それがなあ……あいつは本当に更生しちまったみたいなんだよ。今は廃品回収のトラックを運転しながら、同時に教団の幹部として活動している。あいつは……寺門や肥田、中島とは全く違う。今は……真人間として生きているんだ」

「ふざけるな……」

 武志は毒づいた。今さら更生など……許されるはずがないのだ。


 お前はさっき言っていたな……人間は変われると。

 そうだ……俺と杏子は変わったんだ……。

 お前のために……人生そのものを変えられたんだよ……。

 だから……次は俺が……お前の人生を変えてやる。




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