あんた、この絶望をどう思う?
痛いじゃねえかよ……。
俺が悪かったかもしれないが……刺すことねえだろうが。
殺すことねえじゃねえか……。
返してくれよ。
俺の命を……返してくれよ……。
そして血と薬品にまみれた、ピアスだらけの不気味な顔が迫って来る……。
薬品でドロドロに溶けかかった両手を……こちらに伸ばし……。
首を掴み……。
「うわあああ!」
絶叫と同時に西村陽一は目覚め、そして飛び起きる……時計を見ると、昼の十一時だった。昨日はどうやって帰ったのか、そして何時に寝たのか……それすら、ほとんど覚えていない。帰ると同時に、両親にさんざん怒鳴られた記憶は残っている。しかし、そんなことはどうでもよかった。両親の罵声を、陽一はずっと呆けた表情のまま聞き流していたのだ。
そんなことよりも……あの男の悪夢が消えてくれない。
遅い朝食の後、陽一はテレビを点けた。ひょっとしたら、自分の殺したピアスだらけの顔写真が映るかと思ったが……それらしき報道はなかった。ということは……あの男は、今のところ行方不明として扱われているということだ。
陽一はホッとしたものの……同時に、自らがいかに惨めで情けない人間であるかを痛感した。自分は人を殺してしまったのだ。そう、今の自分は……完全に人としての境界線を越えてしまったのである。もはや、普通の人生とは永遠に無関係な人間になってしまったのだ。どうあがいても、戻れない場所に来てしまったのである。
なのに、今さら罪の意識に苛まれている。そして、殺人という罪に対する罰に怯えている。
あれだけ強く、憧れていたはずの世界……ところが、いざその世界に足を踏み入れてしまった途端、あまりの恐怖に震え上がっているのだ。今まで、異世界転生ものを現実逃避だと言って嘲笑っていた自分が……裏社会の現実、その一端に触れただけで、惨めに震え上がっている……。
僕は……。
僕は、こんなに情けない人間だったのか……。
惨め過ぎるよ……。
あの刑事の言った通りじゃないか。
その時、やっと陽一は理解した。自分もまた、現実逃避していたのだ。初めは小説を書くことに逃げた。そして次は格闘技の練習……ひいては、裏社会の人間として生きるという目標……いや、空想に逃げた。そこに一体何が待っているのか、ロクに考えもせず。目標を持って生きている自分は他の人間より上等だと……そんな下らない思い込みのために。
その結果、人を殺してしまったのだ。
そして、自分は人殺しとして……。
陽一は両手を上げ、顔を覆う。自然と涙が流れ出していた。自分の人生が、まさかこんなことになるとは……陽一は今の今まで、漠然とではあるが考えていたのだ。自分の人生は、それほど酷いものにはならないだろうと……。
そして……殺人犯など、自分とは無縁の存在であろうと。
それが今では……殺人犯なのだ。
陽一は虚ろな瞳でパソコンに向かう。小説……そう、自分にはまだ小説があるのだ。自分の打ち込んできたもの、自分が心血を注ぎ創り上げたものは……せめて、一人くらいは評価してくれていないのか?
たとえ一人でもいい。評価してくれる人がいさえすれば……。
たった一人でもいい……自分の書いた作品を認めてくれれば……。
自分はその事実だけを頼りに、生きていけるかもしれない。
だが、画面の数字は非情だった。
何一つ、変わっていなかった。誰も評価せず、誰も感想を書かない。それどころか……アクセス数さえ0だった。
陽一は虚ろな目で、じっと画面を見つめる。考えてみれば当たり前なのだ。自分がどうなろうが、世界には何の影響もない。自分が何をしようとも、世間の人々は今までと変わらぬ生活をしていくことだろう。
たとえ自分が死んだとしても……。
一体、僕は何をしてきたんだ……。
進学もせず、働きもせず……。
誰も読まない、下らない小説を書いて……。
挙げ句に人を殺した。
ふと、昔に観た映画のセリフを思い出す。
(自分の人生が、どうしようもない所まで来ちまった……そう判断したなら、自分の手で終わらせるんだ。その覚悟だけはしておけ)
生きていて、何があるんだ……。
仮にこのまま生き続けていても、何もない。
それに、もし警察に捕まったら……。
僕は一生、人殺しの烙印を押されたまま生きることになる。
人殺しとして、残りの人生を日陰者として生きることになるのだ……。
人生のリセットボタン……それを押す時なのかもしれない。
パソコンから視線を移し、陽一は立ち上がった。ベッドに寝転び、ぼんやりと天井を見上げる。何も考えられない。少なくとも、建設的な考えは一切思い浮かばない。代わりに浮かぶのは……不安と絶望。
もう、ダメだ……。
僕はもう、生きることに疲れたよ……。
明日……全てを終わらせよう……。
もはや、生きる理由はないのだ。
死ぬのは怖い。
でも、生きる方がもっと辛い……。
明日になったら、全てにケリを付けよう。
何もかも終わらせよう……。
・・・
スマホを放り出し、藤田鉄雄はため息をついた。もはや、どうにも手の打ちようがない。三日以内に切り裂き魔を見つける……そんなことは不可能だ。一応、五年前の事件の被害者……そのカップルを探してもらってはいる。しかし、鉄雄自身もカップルを見つけられるとは思っていない。
そして次に、あちこち手を尽くして南部道彦を探してもらった。カップル襲撃事件の加害者四人……その最後の生き残りである南部を見つけ出せば、切り裂き魔を捕まえられるかもしれない。南部をエサ代わりに罠を仕掛け、そこに切り裂き魔がかかるのを待つ。
悪くないアイデアではある。南部が見つかれば、の話だが。
しかし、南部は完全に姿を消してしまっていた……アウトロー同士の横の繋がりは一般人より強い。ただ、それがゆえに情報が入りやすいのも確かだ。どこそこの誰は今、刑務所に入っているらしい……などといった情報は、否応なしに耳に入ってくるものなのだ。そして、鉄雄が得た情報は……。
南部はつい一年ほど前まで、刑務所にいたらしい。それまではヤクザの使い走りをしたり、美人局をしたり、ドラッグの売人の手先になったり……要するにヤクザの顔色を窺って生きる、ただのチンピラだったのだ。
それが下手を打って逮捕され、そして二年ほど刑務所に行っていた。そこまではわかっている。しかし、その後の消息が不明なのだ……。
鉄雄は知っている。前科者に対する世間の目は、冷たく厳しいということを。口では幾ら綺麗事を言おうとも、世間の人々の心の奥底には、前科者に対する拭い難き差別感情がある。
ましてや、今はネットで誰もが簡単に過去の事件を調べられる。テレビや新聞に載るような事件を起こしてしまった者が個人名をネットで検索されれば、すぐに事件の記事に行き当たる。前科者を好き好んで雇おうなどと言う経営者など、どこにもいない。もちろん、個人の更生したいという真摯な気持ちなど……知ったことではないのだ。
結果、ほとんどの前科者は世間の冷たさに敗れ、アウトローの世界に舞い戻ることになる。
かつて、鉄雄の知り合いの仕事人がこんなことを言っていた。
(前科者が表街道を歩こうとするとな、ほとんどが躓いて怪我するんだよ。前科者は前科者らしく、裏街道を歩くしかないんだ)
しかし、南部が裏街道を歩いている気配は……全くないのだ。少なくとも、鉄雄や火野正一の耳には入ってきていない。
おい南部……。
てめえ、何やってんだよ……。
その時、鉄雄のスマホに電話が入る。見てみると桑原からだった。鉄雄はさらに気分が悪くなる。この流れからすると……十中八九、金でケリを付けなくてはならないパターンだ。果たして、幾ら積めばいいのやら……。
(よう藤田……切り裂き魔は見つかったか?)
「いや……それが……まだです」
(まだです、じゃねえんだよ……まだですじゃあ済まねえんだよ、こっちはな。お前と火野が犯人だから殺せ、って奴までいるんだよ……わかってんのかな、そこんところを)
「はい……すみません」
(すみませんじゃあ済まないんだよ。なあ藤田……お前と火野が助かるには、警察より先に切り裂き魔を捕まえて俺の所に連れて来るか、三千万用意するかだな……)
「三千万……ですか……」
言いながら、鉄雄は天を仰いだ。想定外の数字ではないが……ギリギリだ。
(ああ。それが無理なら……どうなるか、わかってるな?)
鉄雄はじっくり考えてみた。どうなるのかはわかっている。金が用意できなければ、下手をすると自分たちが犯人に仕立てあげられる……そこまでいかなくとも、寺門、肥田、中島の三人の関係について何も言わなかったことを責められ、挙げ句にやりたくもないことをやらされるのがオチだ……鉄砲玉のような。
しかも、三千万は無理すれば用意できない金額ではない。正一は貯金のできない男だが、それでも五百万くらいは用意できるはず。一方、自分はと言えば……千五百万は用意できる。あと一千万は……ヤバい連中から金を借りれば、何とかなるだろう。恐ろしく高い利息を取られることになるだろうが……。
恐らく、桑原もその辺りを読んだ上で金額を提示してきたのだ。こと金勘定に関する限り、桑原の才能は半端なものではない。誰から幾ら引き出せるか……その読みは的確だった。桑原に隙を見せ、有り金残らずむしり取られた者は数知れない……。
金は何とか用意できる。
しかし……。
その金を払ってしまったが最後、自分は確実に桑原の奴隷となるだろう。今までよりも、さらにひどい扱い……馬車馬のようにこき使われ、借金を返すためにのみ働かされて……。
それは無理だ。耐えられない。
「鉄さん、やっぱり見つからないですよ南部の奴……どうしたんですか?」
事務所に疲れた表情で入って来た正一……だが、鉄雄のただならぬ雰囲気に気付き、恐る恐る尋ねる。
「正一……タイに連絡は取れるんだよな?」
「はあ、取れますけど……何でタイに――」
「俺はもう嫌になってきたよ……高飛びだ。最後に一仕事してからな……」
・・・
何かがおかしい。
どういうことだ?
会社にいる間、仁美一郎は強烈な違和感を覚えていた。それが何なのかはわからない。ただ、今までとは明らかに違う。
いや、違わない。
そう、今までと同じだ。違うのは……自分の反応なのだ。
自分を取り巻く全てのもの……それらに対する疑問が消えてくれない。
誰だ……。
こいつらの名前が……思い出せない……。
こいつらは……一体誰なんだ?
自分のデスクの周りで、パソコンに向かったり電話をかけたりしている同僚たち……誰一人、自分に話しかけてこない。皆、己れの仕事に没頭している。それはいい。しかし……。
なぜ、俺に話しかけてこない?
いや、そもそも俺のことが見えているのか?
ふと、幼い頃に観た映画を思い出す。主人公が実は幽霊で、他の登場人物の目には見えていなかったというオチの……。
馬鹿馬鹿しい!
そう、実に馬鹿馬鹿しい話だ。自分は幽霊ではない……話しかければいい。話しかければ、応えてくれるはず。
一郎は話しかけようとした。目の前にいる、電話で話している同僚の男に……だが、すんでのところで思いとどまる。
待て……。
こいつ、誰だ?
名前がわからない。
何て言って、話しかければいいんだ?
一郎は愕然とした。目の前の同僚の名前が思い出せない。それどころか、何者であるかもわからない。
待て……落ち着け……俺の名は仁美一郎だ……羽田小学校を出て橋本中学校に入り……竹下高校を出て森大学に――
「あんた……ここで何やってるんだ?」
聞きなれぬ男の声。一郎は弾かれたように立ち上がり、辺りを見渡す。
剥き出しのコンクリートの壁……そこに、一人の男がもたれかかるように立っていた。年齢は自分と大して変わらないように見える……しかし、その風体からは得体のしれない何かを感じる。足元にはゴミが散らばり、そして虫や小動物が蠢く――
ちょっと待て!
さっきまで、そんなものはどこにも無かったはずだろうが!
会社の壁だって、剥き出しのコンクリートじゃないはずだ!
一郎は軽い目眩に襲われ、よろめいた。何とか机に片手を付き、体を支える。そして再び、男の方に視線を移す。
男の周りの風景は、会社のものだった。白い壁紙、タイルカーペットの貼られた床、コピー機や昔の資料の入った棚……一郎はホッとした。だが、異常事態は終わっていないのだ。この男は何者だ? 会社に何の用だ?
「失礼ですが、どちら様でしょうか……何の御用でしょうか?」
一郎は注意深く、機嫌を損ねないよう丁寧な口調で尋ねる。しかし――
「……御用はあるよ。あんたがここで何をしているのか、それを聞きに来たんだがな」
男は鋭い表情で答える。いつの間にか、男を取り巻く空気が変わっていた。酸素の濃度が一気に薄くなったような……代わりに漂い始めたのは殺気。刃のような鋭い何かが、一郎の肺を傷つけ蝕んでいく……一郎は思わず後ずさった。そして叫ぶ。
「おい! みんな何やってる! 警察呼べ! 早く警察を呼ぶんだ!」
辺りを見回しながら、怒鳴り付ける一郎……しかし、同僚たちは不思議そうな顔でちらりと一郎を一瞥しただけだった。すぐに視線をパソコンや書類に移す……。
一郎はまたしても目眩を起こしそうになった。会社の中に、不審者が入り込んでいる……なのに、誰も一切反応しようとしない。みんなは、何を考えているのだ?
「おいみんな! 早く警察を呼べ! 警察――」
その時、一郎の頭にある恐ろしい考えが浮かぶ。
もしかして……。
みんなには、この男が見えていないのか?
俺だけにしか、見えていない男なのか?
幻覚?
俺の脳髄が見せている……幻覚……。
現実には存在していない者……。
そんなものが……見えているとしたら……。
俺は……。
「違う!」
一郎は叫びながら、男を睨んだ。男は、先ほどまでとは完全に違う雰囲気をまとっている。機械のような冷酷な表情と、猫科の猛獣を連想させるようなしなやかな動き……男は口を開いた。
「お前は病気だ。さっさと病院に帰って、薬でも飲んで寝ろ」
病気だと……。
ふざけるな……。
俺は……病気じゃない。
病気じゃないんだ!
「俺はおかしくない!」
わめきながら、男に掴みかかる一郎。しかし、腹に凄まじい衝撃を受ける……膝による一撃だ。内臓をも貫くような衝撃……一郎は耐えきれず、その場にうずくまった。
そして喉に腕が回され、絞め上げられる……抵抗する暇もなく、一郎の意識は闇に沈んでいった――
「本当なら殺すところだが……これから用事がある。お前はツイてるよ。だがな、もう一度ここにいるのを見かけたら……必ず殺すからな」
意識が途切れる寸前、男の声が聞こえた。
それからどのくらい経ったのか……一郎は意識を取り戻した。周りを見渡すと、同僚たちはみんな既に引き上げてしまっている。あの男も消えてしまったらしい。
一郎は立ち上がる。肋骨に痛みを感じた。折れているのかもしれない。しかし……。
これは……紛れもない本物の……現実の痛みだ。
俺は狂ってない。
あの男は、ここにいたんだ……。
・・・
「杏子……また来たよ。ねえ、俺ってば痩せたと思わない? 出会った頃よりもさらに細くなったよ。杏子と付き合い初めてから、二十キロ近く太ったけど……今は細くなったよ。ほら」
大和武志は鈴木杏子の前で立ち上がり、細くなったウエストを誇示するような姿勢をとる。
しかし、杏子は何の反応も示さない。黙ったまま虚空を睨んでいる。武志が初めてここを訪れた時と全く同じ……意識の殻に閉じこもっていた。外界からの刺激には、何の反応も示さない。
それでも、武志は語り続けるのを止めない。優しく話しかける。
「そう言えば、大崎ジョージが逮捕されたよ……覚醒剤やってんだってさ。覚えてるかい? 二人で夜中に観たスペシャル番組……あれでネタ披露してたんだよな。杏子はボロクソに貶しててさ……ま、あいつのネタは俺も嫌いだったし、二人でさんざんにバカにしたよね……」
その時、武志は耐えきれなくなった。肩が震え出し、涙がこぼれ落ちる。
「俺は……君と交わした……下らない話が……君と過ごした……何気ない時間が……どんなに素晴らしいものだったのか……今……やっとわかったよ……」
途切れ途切れの言葉で、杏子に訴える武志……だが、杏子は応えない。
人形のような目で、じっと武志を見つめているだけだ……。
「君がそばにいてくれて……どんなに幸せだったのか……今になって……やっと……わかった……もし……あの幸せな時に……戻れるなら……そして……たった一日でいい……君と過ごせるなら……思い残すことはない……残りの財産も人生も魂も……悪魔にくれてやるよ……俺は……大バカだ……自分がどれだけ幸せだったのか……やっとわかった……」
武志はそのまま崩れ落ちた。嗚咽を洩らしながら、床に額をこすりつけ――
「杏子……頼む……俺を殺してくれ……君の手で……俺を殺してくれ……俺はもう……嫌だ……生きるのは……嫌だ……」
だが、杏子は何の反応もしなかった。
武志の涙ながらの訴え……それは薄暗い部屋の中で、空しく響き渡っているだけだった。
「武志……そろそろ時間だぞ」
天田士郎の声。それを聞き、武志は立ち上がった。涙を拭くと、杏子の肩に手を置いた。そして、耳元に自分の顔を近づける。
「杏子……中島はこの手できっちり壊してやったよ。あいつは残りの時間を、苦しみながら生き続けるんだ……後は南部だけだよ。あいつさえ仕留めれば、全てが終わる……そしたら、また来るよ」
「おい武志……お前、大丈夫かあ?」
士郎は努めて軽い口調で尋ねる。武志の目は真っ赤だった。表情も暗い。中で何かあったであろうことが、容易に想像できる。
「いや……別に大したことはないですよ。早く帰りましょう」
廊下を歩きながら、答える武志。士郎も並んで歩いた。薄暗く不気味な病棟で、二人の足音が響き渡る。しばらく歩いた時、不意に士郎が口を開いた。
「ところでお前、中で杏子ちゃんに触ったりしてんのか?」
「はあ!? 俺はそこまで恥知らずじゃ――」
「そういう意味じゃない。あのな……杏子ちゃんは、男の職員や医者が相手だと……触ることはおろか、近づくこともできないらしいぜ。それまでピクリともしなかったのに……いきなり暴れ出すらしいんだ」
「……本当ですか?」
「ああ。しかし、お前は近づいても問題ないだろ。となると……体に触れたりもできるんじゃないか、と思ってな」
「触るって言うか……肩を叩いたり……くらいなら……できます……」
「そうか……てことは、杏子ちゃんにとって……お前は今でも特別な存在なんだよ」
「そうでしょうか……だとしたら、余計に辛いですよ……俺のせいで……あんなことになったのに……」
武志は顔をゆがめ、唇を噛み締めた。目には怒りの感情が浮かぶ。
その怒りは、他の誰でもない……自分自身に向けられていた。
士郎は憐れみのこもった目で、武志を見つめる。ややあって、武志の腕を引いた。
「おら行くぞ……見つかったらどうする」
「ところで武志、ちょいと問題発生だ」
家に戻ると同時に、士郎が口を開く。武志は首をかしげた。
「問題? いったい何事です?」
「作業場だが……あそこは当分使えない」
「作業場? 何故ですか――」
言いかけて、武志はふと昨日の出来事を思い出した。そう、自分は夕べ、作業場の前で刑事と出会った……そして職務質問をされたのだ。偶然かもしれない。しかし……。
「おい武志……聞いてるのか?」
士郎の声。武志はハッと我に返った。
「すみません……で、何があったんです?」
「それはな……いや、止めとこう。お前はこれ以上、余計なことは知らない方がいい。それに複雑な展開で……まだ俺自身が混乱してる。頭の中で話を整理しなきゃならないしな」
「はあ……」
「ただ一つ言えるのは、次は別の場所でやるということだよ……あとな、明日はちょいとドライブに行こうぜ」
「ドライブ?」
武志は驚愕の表情を浮かべ、士郎を見つめる。だが、士郎の顔は真剣そのものだった。
「そう、ドライブだ。明日、南部道彦の家に偵察に行く」




