あんた、この成り行きをどう思う?
今は朝の八時。会社員や学生の通勤そして通学の時間帯である。しかし、西村陽一は外を走っていた。本来、彼には外をジョギングするような趣味はない。それ以前に……今までの人生において、自主的に外を走った記憶もない。そもそも、普段なら完全に眠っている時間帯である。
では、なぜ今走っているのか……自分の心に未だ突き刺さっている、あの言葉を振り払うためだった。
(お前さんも、何も出来ないくせにネットで大口叩いてるタイプなんだろ。現実では、何もできねえ臆病者なんだろうが)
違う……。
僕は何もできない臆病者じゃない……。
心の中で言い続けながら、走る陽一。だが、すぐに息があがった。駅のそばの壁にもたれかかり、何とか呼吸を整える。そして顔を上げた時――
あのサラリーマン風の男がいた。
廃墟で一人、ブツブツ言いながら蠢いていた謎の男が……。
唖然となっている陽一の目の前を、男は何事もなかったかのように通り過ぎていく。顔色が悪く、気分もすぐれないような様子だ。通る時、一瞬ではあるが陽一と目が合った。しかし、何の反応もしない。そのまま自動改札を通り抜けて行った。
陽一はしばらくの間、動くことができずにその場で立ち尽くしていた。完全に頭が混乱していたのだ。あのサラリーマン風の男は……全く違和感なく、通勤の風景に溶け込んでいる。どう見ても、普通のサラリーマンにしか見えない。地味なスーツを着てネクタイを締め、髪はやや短め、視線を下に落としうつむき加減で歩く姿からは、怪しい点など見つけられない。
だが、あの男は……。
廃墟で……。
陽一はとっさに後を追おうかと思った。しかし、今は手ぶらであることを思い出す。小銭すら持っていないのだ。電車には、乗ることができない。
しかも、その後……奴はバスに乗るだろう。電車からバスに乗り換え、そして向かうはあの廃墟……。
次の瞬間、陽一は走り出した。
帰宅すると同時に汗を拭き、そして必要な物をリュックに詰める。ひょっとしたら、あの刑事もいるかもしれない。だが、そんなことよりも……自分の想像が当たっているのかどうなのか、それを確かめたかったのだ。
あいつは……秘密諜報員なのではないか?
あんな場所に一人でこもり、何者かと秘密の通信をしている……どう考えても怪しい。初めは頭のイカれた男なのかと思ったが、それにしては身なりがきちんとしている。物腰も穏やかだ……見た感じは。頭のイカれた男にありがちな、何かに熱中するあまり人としてのバランスを崩してしまったようなタイプではなかった。
秘密諜報員……いや、そこまではいかないかもしれない。しかし、表には出ない裏の世界の住人であるのは間違いないだろう。あの藤田鉄雄のような……。
簡単な食事を終え、陽一は家を出た。母親は面食らったような表情で自分を見ていたが、そんなことはどうでもいい。果たして、あの男は廃墟で何をしているのか……自分の目と耳で確かめてみる必要があった。
何のために?
何も出来ない奴ではないことを、自分自身に対し証明するために。
陽一は電車に乗り、そしてバスに乗った。道すがら、じっくりと考えてみる。もし、またあの刑事がいたとしたら……どうすればいいだろう。
確か、高山とかいう名前だった。シワの多い老けた顔だが、猛禽類のような鋭い目と頑丈そうな体、そして猟犬のような雰囲気……あのピアスの男などとは格が違う。藤田とでも、やり合えそうだ。
だが、自分の目的は……あくまでも廃墟の探索、そして男の正体を探ることである。高山刑事がいたら……その時はその時だ。最悪の場合は引き返す。
バスを降りた陽一は、まっすぐ廃墟に向かった。バス停から、十分ほど歩けば廃墟に到着する……はずだった。
しかし――
「見つけちゃいましたあ! 久しぶりだねえ!」
声とともに、後頭部への重い一撃……陽一はたまらず崩れ落ちる。さらに、腹部を襲う爪先での蹴り……陽一は事態を把握できないまま、突然の暴力を受け続ける……。
「ねえ、この間は凄い世話になったじゃん……こっちも油断しちゃったけどさ……すげえ痛かったよ……おら立てや」
不意に髪の毛を掴まれ、引き起こされる……目の前には、ピアスだらけの顔。前歯が欠け、あちこち腫れていた。
「おら来いや……こっちはな、てめえのせいでバイトをサボる羽目になっちまったんだよ。この前、てめえにやられた分を……たっぷり返させてもらうからな……来いや」
言いながら、ピアスの男は陽一の髪の毛を掴んだまま、引きずって行こうとする。陽一は抵抗しようとしたが……。
今度は、鼻への一撃。あまりの痛さに、陽一は鼻を押さえた。鼻の奥から、溢れてくる鼻水……いや、鼻血。鼻血のせいで、うまく呼吸できない。陽一は完全に怯え、すくんでいた。抵抗する気もない。
「さっさと来いや……こんなもんじゃ済まさねえぞ。てめえの面、きっちりと変形させてやるからよ」
ピアスの男は陽一を強引に引きずり、廃墟へと入って行った。
・・・
「鉄さん……マジでやるんですか?」
火野正一は恐る恐る尋ねてくる。だが、藤田鉄雄はうなずいた。
「仕方ないだろうが……俺もここで、ただ遊んでいるわけにもいかねえ。一応は働かないとな。正一、今日は何するんだ?」
「はあ……あの、物置小屋の片付けと掃除ですけど……」
正一の表稼業……それは便利屋だった。事務所を構え、個人事業として届けを出している。儲けはほとんど無い。だが、正一の主な収入源は裏の仕事である。そのため、表の仕事にはさほど拘ってはいない。気の向かない仕事はすぐに断っている。
だが、鉄雄の考えは違っていた。
「正一……表の仕事がちゃんとしているからこそ、裏の仕事が成り立つんだ。もし、表の仕事がなくなったら……裏の仕事も出来なくなるんだ。何か事件があった場合……警察がまず疑うのは、住所不定で無職の人間だ。最低でも、住所と表の仕事だけはきっちりしておけ」
それが、鉄雄のスタイルだった。鉄雄はスタイルに拘りを持っている。周りの裏の仕事人たちが次々と消えていく中――逮捕されたり、あるいは裏の住人同士の抗争で命を落としたり――、鉄雄はしぶとく生き延びてきた。裏の仕事人で長生きできる者……それは結局のところ、どれだけストイックに自分のセオリーを守れるか、という点につきる。少なくとも、鉄雄はそう思っているのだ。
そして昼過ぎ、鉄雄と正一は事務所を出た。車に乗り、現場に向かったのだが――
「おい、ちょっと止めてくれ」
「え? わかりました」
正一は車を止めた。鉄雄は複雑な表情を浮かべ、一点を見ている。正一もそちらに視線を移したとたん――
「え……大丈夫ですか、あれは?」
一人の少年が、呆然とした表情で歩いている。少年の服は……真っ赤に染まっていた。さらに、顔にも血が付いている。鼻、口、あご……だが少年は、血で汚れた姿のまま、ヨロヨロと歩いている。
普段なら、鉄雄はそんなものは無視していただろう……自分には何の関係もないのだ。そもそも、警察の絡みそうな話には絶対にかかわらない……それが鉄雄のセオリーだったはずなのだ。
しかし今日の鉄雄は、その少年を無視することができなかった。
昨日、中島の話を聞いてしまったせいなのかもしれない。自分の暴力がきっかけで、一組の無関係な男女が言語を絶するような非道な目に遭わされ、挙げ句に……。
その事実に対し、かすかな罪悪感のようなものを感じていたせいかもしれなかった。
鉄雄は車を降りた。そして、少年に近づいて行く。
「おい、お前……大丈夫なのか?」
少年は顔を上げ、こちらを見る。その瞳には、奇妙な感情が浮かんでいた。恐怖、絶望、混乱、そして狂気……だが、次の瞬間――
「藤田……さん? 藤田さんですよね?」
「何だこれは……お前が殺ったのか? このバカ野郎が……」
鉄雄は低い声で呟き、舌打ちした。正一は頭を抱えている。その横で、少年は震えていた。震えながら、地べたに座りこんでいた。
「僕……人を殺してしまいました……」
西村陽一……路上を血まみれで歩いていた彼の第一声。さすがの鉄雄も、一瞬ではあるが口ごもる。しかし、陽一の顔や体に付着しているのは、紛れもなく血液……どうやら、本当のことを言っているらしい。
「お前……どこで殺ったんだ? 死体はどこだ?」
そして案内されたのが、この廃墟……目の前には、若い男の死体がある。ピアスだらけの顔……鉄雄は思い出した。そう、一週間ほど前に、この男と会っている。陽一と初めて会った時……こいつも公衆便所にいたのだ。
陽一の話では、ピアスの男にいきなり廃墟に引きずりこまれ、殴る蹴るの暴行を受けた。陽一は恐怖を感じて、隠し持っていたナイフて刺したところ……後ろに倒れ、頭を打ち死亡したとのことだ。もっとも、それにしては返り血が多すぎる気もするが……。
だが、そんなことはどうでもいい。肝心なこと、それは……これからどうするか。
まず一番手っ取り早く、そしてリスクが少ないのは……陽一を警察に自首させることだ。陽一が自首すれば……自分たちは知らぬ存ぜぬでごまかせる。何だったら、あの高山に引き渡してもいい。高山に一つ、貸しを作れる。
鉄雄は考えてみた。しかし、他にいい案が思いつかない。結局のところ……こんな奴に関わってしまった自分がバカだったのだ。鉄雄は自らの判断を呪った。
だが、やらなくてはならない……鉄雄は陽一の前でしゃがみこむと、その肩を優しく叩く。
「なあ陽一……お前はまだ若いんだ。いくらでもやり直せる。警察に自首するんだ――」
「おやおや、皆さんお困りのようですね」
廃墟の中、響き渡るとぼけた声……鉄雄がそちらを向くと、奇妙な男が姿を現した……中肉中背ではあるが、どこか猫科の猛獣を連想させる雰囲気。ツナギのような作業服。口元には笑みを浮かべているが、目には危険な光を宿している。鉄雄は一目で悟った。こいつは自分と同類だ、と……思わず拳を握りしめる。
しかし、その時――
「お、お前は……天田じゃねえか……何で……こんな所にいるんだよ……」
正一が唖然とした表情で呟いた。
・・・
仁美一郎は部屋に戻り、スーツを脱いだ。そして布団に潜り込む。今朝は無理してでも会社に行こうとしたが……電車の中で頭痛と吐き気に襲われ、耐えきれなくなった。仕方なく、スマホで会社に連絡し……そして再び戻りの電車に乗って帰宅したのだ。
テレビを点けると、昨日と同じく芸人の逮捕の話題で持ちきりだった。それに混じり、またしても両手両足を切断された男が発見されたというニュースも聞こえてはきたが。
もっとも、一郎にとっては……両方ともどうでも良い話だった。今は頭が痛いし、吐き気もする。ひょっとしたら、しばらくは会社を休まなくてはならないかもしれない。
(芸能人の麻薬汚染は何とかしなくてはなりません! もう、この男は……芸能界に復帰させてはいけませんよ!)
テレビの画面では、コメンテーターが口から泡を飛ばしながらまくし立てている。そんなことはどうでもいい……それを決めるのは貴様ではない。一郎は心の中で呟きながら、目を閉じて眠りにつこうとする。だが、その時――
ドアを乱暴に叩く音……そして、外から聞こえてくる声。
「すみませんが、仁美さん……仁美一郎さん、私です、高山ですが……ちょっとお話を聞かせていただきたいんですがね……」
「今日は一体、何の用ですか? 俺は頭が痛いんですけど……」
高山を部屋に通すと、一郎は不快そうな表情を隠そうともせずに尋ねた。なぜ、わざわざ自分の家に押しかけて来たのか? 理解不能である。ここいらで、何か事件でもあったのだろうか?
どうでもいい。今はっきりしているのは、頭が痛いという事実だ……。
「まあ、そう言うなよ……聞くこと聞いたら、すぐに引き上げるから。ところで、今日は……その……仕事とやらは……お休みなのかい?」
「そうです。休みですよ……病欠ですが、何か?」
「ああ、そうかい……ちゃんと連絡はしたのか?」
「……すみません、何が言いたいんですか?」
一郎は聞き返した。さっきから、高山の言っていることはおかしい。どこか引っかかる。仕事とやら? 失礼な言い方だ。
「まあ、落ち着けよ……これは形式的な質問だ。実はついさっき、またしても両手両足を切断され、両目を潰された男が発見されたんだ。これで三人目……警察はもちろんのこと、ヤクザまでもがやっきになって探してる……困ったもんだ。どこのトチ狂ったバカか知らねえが、やり過ぎだよ、アレは……」
高山は呟いた。言葉や表情からは、犯人に対する憎しみは感じられない。むしろ、犯人に対する憐れみのようなものすら感じられる……だが、そんなことは一郎には関係ない。
「刑事さん……すみませんが、何の用ですか? 俺はそんな事件と何の関係もありません。人の両手両足を切断するような暇は……俺にはありませんし」
「……そうだろうな。お前さんは、いつも忙しいみたいだし。あちこち動き回って――」
「何を訳わからないことを……俺は自宅と職場を往復するだけの生活ですよ。あちこち行ったりする暇なんかないです」
「あ、ああ……そうか……ところで、お前さん……二、三日前だったかな、公園にいただろう。何をやってたんだ?」
高山の問い。同時に彼の目付きも変わった。射るような視線……一郎は目を逸らした。だが、それは恐れのためではなかった。
「あの人と、会いたかったんだ……あの女と……」
「女? 誰なんだ、そいつは……」
訝しげな表情になる高山……それとは対照的に、夢心地のような表情になる一郎。うっとりとした目で語り始める。
「あの女は……俺の……女神です……」
言った後……一郎ははっと我に返った。自分は何を言っているのだろう。女神だと……どこからそんな言葉が出てきたのだ……このままでは……。
俺は変な人だと思われてしまう……。
俺は変な人じゃない。
俺は普通の人間だ。
ごく普通の……サラリーマンだ……。
「女神……だと……お前……何を言ってるんだ……」
高山の目付きが険しくなる。明らかに、不審な者を見る目。一郎は何とかごまかそうとした。しかし、彼の口から出た言葉は――
「はい。あの女は……俺の記憶を司る女神なんです。俺はいずれ、あの女と結婚します」
言い終えた後、一郎は愕然となった。一体、自分は何を言っているのだ……コントロールが利かなくなっている……自分で自分をコントロール出来なくなっている……。
俺は変な人じゃないんだ……。
俺は普通の人間だ……。
俺は仁美一郎だ……。
変な人じゃない。
変な人だと……思われては……いけない……。
(あなたは何もわかっていない。私を見つけたら……あなたは不幸になる。あなたは……きっと耐えられない。あなたは……また……同じ過ちを……犯してしまう……)
「おい! 大丈夫か! 仁美さん!」
誰かに怒鳴られ、そして肩を揺さぶられる……一郎は我に返った。
「お前さんは……一度病院に……いや、その前に思い出してもらわねえとな。忘れていることを――」
「俺は病院が嫌いです……それに……病院に行くほどじゃない……大丈夫です。たぶん……ただの風邪ですよ……眠れば治ります」
・・・
いったい、いつからだろう……。
俺は何を見ても、笑えなくなってきた。
何をするでもない……今はただ、時間が過ぎていくだけ……。
俺はいったい、何をしたっていうんだ?
ただ、三人の人間を……壊しただけ……。
大和武志は目を開けた。体を起こし、テレビを点ける。相も変わらず、逮捕された芸人のことが話題になっていた。覚醒剤の所持と使用……実につまらない犯罪だ。普通の人間ならば、ニュースにもならない。
そうだ……。
仮に、俺が今ここで首を吊ったとしても……。
この状況では、夕刊の三行記事になるのがせいぜいだろう。
武志は苦笑し、立ち上がった。今はまだ、首を吊るわけにはいかない。あと一人、残っているのだ。南部道彦……当時は四人のリーダー格だったらしい。肥田ほどではないが喧嘩は強く、しかも頭がキレる上に顔が広い。この四人が銀星会と関わるようになったのも……元はと言えば南部の橋渡しがあったからだ。
もっとも、どんな人間だろうが今さら関係ない。見つけ出して……この世の地獄に叩き落とすだけだ。
ただ……一つ気になる点があった。なぜか、この南部に関してだけは……情報が少ないのだ。天田士郎は他の三人に関しては、即座に情報を集めてきた。しかし、この南部に関する情報は……非常に少ない。というより、武志は何も知らされていないのだ。結局は、南部を一番後回しにする羽目になってしまったのだ。
武志は士郎を信頼している。今では、血を分けた肉親よりも信用しているくらいだ。しかし、この件に関しては……士郎の意図がわからない。
ひょっとしたら、南部に関する情報を得るのに苦労しているのだろうか……。
それとも……俺に何かを隠している?
武志は立ち上がった。そして、テーブルの上にある大きな袋を開ける。中に入っている粉末を大さじですくい、ジョッキの中に入れる。そしてジョッキに水を入れ……口の中に流し込んだ。どろりとした、甘ったるい液体。恐らく今日一日は固形物が食べられないだろう。無理に食べたら、確実に戻すことになる。だからこそ、このやたらと甘くどろりとした液体を飲まなくてはならないのだ。
士郎いわく、袋に入った粉末の中には、たんぱく質と炭水化物、そして脂肪……この三つの栄養素がバランス良く含まれているとのことだ。したがって、必要最低限の栄養は……この粉末を溶かしたドリンクを一日三回ほど飲んでいれば賄えるらしい。
テレビから聞こえてくる音……そのほとんどが、逮捕された芸人に関するものだ。だが、先ほど中島隆一に関するニュースも流れていた。ほんの僅かな時間だったが……どうやら、マスコミの関心は猟奇的事件から、芸人のスキャンダルへと移ったらしい。実にありがたい話ではある。
そんなことを思いながらテレビを観ていた時、武志のスマホにメールが来た。士郎からだ。
(ちょっと急用ができた。今日は行けそうもない。明日の昼頃、そちらに行く。今日はおとなしく寝ているんだな)
急用とは何なのだろう……もしや、例の彼女の所だろうか。武志は思わず苦笑した。士郎に蹴りを入れて痛がらせる彼女……一体どんな女だろうか。
そういえば、士郎は快楽殺人者らしいという話も聞いていた。仕事は完璧にこなす。しかし、自らの快楽のために殺人を犯す男……その噂のため、士郎に仕事を依頼する者はごく僅かな者に限られている、とも聞いたことがある。
しかし、武志はそんなことはどうでも良かった。最悪の場合、自分は殺されても構わない。復讐を果たした後なら……武志はそう考え、士郎を雇ったのだ。
士郎と初めて会った時、武志はいきなり、こんなことを言った。
「貴方は……快楽殺人者だと聞いています。もし俺を殺したいのなら、俺の依頼する仕事に決着をつけた後にしてください。俺の命で良ければ……差し上げますから……」
すると、士郎は面食らった表情でこちらを見ていたが……ややあって、笑い出した。
「あのな……誰に何を聞いたか知らんが、仕事をくれる人間を殺すほど、俺はバカじゃない。金さえもらえば、俺は何でもやるよ……でも、あんたの事は殺さない。まあ、殺しが嫌いじゃないのは確かだが」
そう言った後、士郎は優しい笑顔をみせた。
呆気にとられるくらい、無邪気な笑顔だった。
その後、士郎と共に計画を立てた。そして……三人の人間を壊したのだ。
だが、後悔はしていない……もちろん反省などするはずもない。何の罪もない杏子の心を……奴らは壊したのだ。
だから自分は、奴らの心と体を壊してやった。
残りの人生を、そのままで生き続けるがいい……貴様らには、死刑すら生ぬるい。
武志は鏡の前に立ち、入れ歯を外した。前歯のない己の顔を、じっくりと見つめる。
鏡に移った己の顔……自分でも嫌になるくらい、醜いものだった。
その醜さは……前歯を失ったことが原因ではなかった。




