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あんた、この男たちをどう思う?

 人生は何もかもが初めから決められている、という言葉を何かの本で読んだことがあるけど、では僕の人生はどこの何者が決めたのだろうか。こんなふざけた目に遭うような人生を決めたのは、どんな神様だというのだ。もし、どっかのラノベみたいに爺さんの姿をした神様が現れ、「いやあ、すまん。陽一くん、君の生きるはずの人生を間違えた」などと言われたら、僕はそいつの喉をカミソリで切り裂くだろう。あるいは頭を吹っ飛ばすか。

 あの時、手に入れた拳銃で……。




 西村陽一ニシムラ ヨウイチは、キーボードを叩く手を止めた。ようやく小説が書き上がったのだ。今回の作品の出来には自信がある。一人の男の苦悩と再生を描いた、純文学的な作品だ。正直、今回は書き終えるまでに、とても苦労したように思う……。

 陽一は出来上がった作品をサイトに投稿する。今回の作品なら……いや、まず無理だろうな。陽一は自嘲の笑みを浮かべた。


 陽一はとある小説投稿サイトにユーザー登録している。そのサイトからは今までに、何人ものアマチュア作家がプロとして巣立って行った。人気のある作品は書籍化されるし、さらに映画やドラマ、アニメなどになったりしているものもある。

 しかし、それはあくまで人気のある作品だけだ。

 陽一の投稿する作品は……はっきり言って人気がない。これまで三本の作品を投稿したが、読者からの反応は皆無である。読者からの感想のメッセージなどもらったことがない。

 そう、このサイトにおいて人気のジャンルは……トラックに轢かれて死亡した引きこもりのニート少年が中世ヨーロッパ風の異世界に転生して大活躍する、というようなファンタジーだからだ。サイトのランキング上位にいるのは、そういった類いの作品ばかりである。

 一方、陽一の作品は……ランキング圏外である。いや、ランキングどころか……アクセス数は0が当たり前の状態である。これでは書籍化など……夢のまた夢であろう。


 作品を投稿した後、陽一は他の投稿作品を読もうとあちこち見ていたが……不意に、ある一文に目が止まる。

「『幻界突破!』、ついに書籍化決定!」

 陽一は呆然となった。この『幻界突破!』とは、話が雑で展開はご都合主義、どこかで見たような設定を無理やり繋ぎ合わせたような、オリジナリティの欠片もない作品だったからだ。常にランキング上位にいる作品ではあったが……。

「ふざけるな!」

 陽一はわめき、壁を殴りつける。なぜ、こんな作品が……まともな文章にすらなっていない、こんな作品が……。

「ざけんじゃねえよ!」

 陽一はわめき、もう一度壁を殴る。その途端――

「うるさいぞ陽一!」

 父の怒鳴る声。さすがの陽一も黙りこんだ。気分を落ち着けるため、しばらく部屋の中を歩き回る。だが、部屋の中は狭い。陽一は頭を冷やすため、そして歩くことで気分を落ち着かせるため、外に出ることにした。このまま家にいたら、また家族と揉める事になりそうだ……。


 陽一は十五分ほど歩いたが、まだ気分は晴れない。いや、不快指数はさらに上昇したような気さえする。以前から感じていたのだ……あの『幻界突破!』という作品は本当に酷い作品だと。オリジナリティの欠片もなく、ただただ受けそうな要素のみを色んな作品から継ぎはぎしただけの、紛れもない駄作。そんなものが書籍化されるとは……。

 陽一は怒りに任せて歩き続けた。外を出歩くのは嫌いだったが、家族と揉めるのはごめんだ。

 さらに歩き続ける陽一。時刻は午後十一時である。この辺りは閑静な住宅地のため、人通りはほとんどない。

 しかし、前から二人連れの若者が歩いて来た。何やら大声で語り合いながら歩く二人の姿からは、知性や品といったものがまるきり感じられない。表面的なもので全てを判断するタイプ……陽一にはそう思えた。

 『幻界突破!』のような作品を評価し、そして書籍化に手を貸すようなタイプの人間に……。


「おい! ちょっと待て待て待て」

 いきなり、後ろから腕を掴まれた。そして思い切り引っ張られる。

 目の前には、若者の顔。鼻にピアスが付いている。耳にも付いている……目は残酷な光を帯びていた。そして……獲物をいたぶる時の猫のような表情を浮かべている。

「ちょっとお、ぶつかっといてシカトはないでしょシカトは!」

 言いながら、ピアスの男は襟首を掴む。

 陽一の怒りは一瞬にして冷めていった。代わりに、全身を恐怖が蝕んでいく。今になって後悔し始めた……なぜ、道を譲らなかったのだろう。なぜ、避けなかったのだろう。なぜ、ぶつかった直後に謝らなかったのだろう。

 いや……そもそも、なぜこんな場所を歩いてしまったのだろう。

「何とか言えや! クソガキ!」

 ピアスの男は陽一の襟首を掴んだまま、力任せに引き寄せて歩き始めた。陽一に抵抗など、できるはずがない。されるがまま、引きずられて行くだけだ。

「今から……ぶつかられてケガしちまった俺が、正当防衛させてもらうからよ……ついでに、慰謝料もあるだけ寄越せや」

 言いながら、ピアスの男は振り返り、仲間に声をかけた。

「おい澤部、川田や八木も呼ぼうぜ」


 ・・・


「おい……よく聞こえなかったな……もう一度言ってくれ」

 藤田鉄雄フジタ テツオは目の前の男に向かい、静かな口調で尋ねる。その表情は冷静そのもので、何らかの感情の動きは感じられない。しかし、鉄雄の目の前にいる火野正一ヒノ ショウイチはすっかり怯えきっていた。

「て、鉄さん……俺もまさかこんなことになるなんて……でも、これは事故ですから――」

「事故だ? よく言うよ……シャブ喰って車に乗り、ヨレたあげくに道路を逆走し、そして警察の護送車と正面衝突……これのどこが事故なんだ?」

 鉄雄は座っていたソファーから腰を上げ、正一に近づく。狭く汚い事務所――表向きには便利屋の看板を掲げている――に逃げ場はない。正一の額から汗が吹き出した。

「で、ですから鉄さん、これは――」

「前にも言ったはずだ、俺はポン中(覚醒剤中毒者を意味するスラング)とは組まねえと……なのに、運転するはずだった奴がシャブ喰ったあげくに事故でパクられた……この始末、どうするんだ? これじゃあ、計画は中止だよ」

「すみません……まさかそんな奴だとは……」

 正一の顔は蒼白になっている。鉄雄の顔が近づいて来た。人相の悪さを一層際立たせるスキンヘッド……薄汚れた作業着の上からでもわかる筋肉質の体……そんな鉄雄が、鼻と鼻が触れ合わんばかりの位置まで顔を近づけてくるのだ。臆病な人間ならそれだけで怯えた挙げ句、失禁してしまうかもしれない。

「いいか正一、よく聞くんだ。俺はてめえの描いた絵図のために、あんな汚い倉庫で作業員として働いているんだよ……さっさと代わりの奴を見つけろ。これ以上時間がかかるようならば……てめえの両手両足の関節を外し、裸で二丁目に放り出す。いいな」

 二丁目とは……この付近のゲイのたまり場の別名である。鉄雄なら、その程度のことは簡単にやってのけるだろう。

「もう一度言う。できるだけ早く、代わりを見つけるんだ」

 そういうと、鉄雄はボロボロのスポーツバッグを持ち、部屋を出て行こうとしたが――

「おい、念のために聞くがな、明日使うはずだったチャカ(拳銃)は……どこに隠したんだ?」




 鉄雄は腹を立てていた。

 よりによって、近くの公園の公衆便所……そこの便器に隠したのだという。もう少し、まともな隠し場所を思いつかなかったのだろうか。何でわざわざ、公衆便所などに行かなくてはならないのか……。

 そして、不特定多数の人間が出入りする公衆便所に隠すのか……。


 鉄雄は夜の公園に入って行く。時刻は……もうすぐで午前零時だ。そろそろ日付が変わるというのに、何やら声がする。よりによって、公衆便所の中からだ。複数の男の声がする。そして、うめき声も……。


 鉄雄は裏社会に生きている。普段の生活では、できるだけ波風を立てないようにしているのだ。街で肩がぶつかっても「すみません」と先に謝る。犯罪行為を目撃した場合、速やかにその場から立ち去る。警察には極力関わらない。これが、鉄雄の普段のスタンスだった。

 今回の場合、騒ぎが収まるのを待って行動する……それが普段の鉄雄の対応だったはずだ。

 しかし、今の鉄雄は苛立っていた。


 公衆便所に入って行く鉄雄。数人の若者が、一人の少年を痛めつけている。予想通りの光景。鉄雄の気配に気付き、若者たちがこちらを向く。全員、凶暴な光を目に宿している。

 だが――

「失せろガキども」

 鉄雄は冷静な表情で言い放つ。苛立ってはいるが、頭は冷静に状況を判断していた。全部で四人――殴られている少年は除く――いる。耳が潰れている者はいない。体格的には全員、華奢な感じだ。身長は百七十センチほど、体重は六十キロあるかないか……。

 二分以内に片付ける。

 そしてチャカを回収し、速やかにこの場を離れる。


「ちょっと……何言っちゃってくれてんの! ええ! おっさん!」

 一人の若者が鉄雄に詰め寄る。鉄雄の苛立ちに、さらに拍車がかかった。恐らく、少年に対する暴力が若者たちを興奮させている。鉄雄の見た目はかなりの強面だ。大抵の人間を怯ませるくらいの迫力はあるのだが、興奮状態にある若者たちを怯ませることはできないらしい。

「あのな……俺はまだ三十だ」

 言うと同時に、鉄雄の左手が飛んだ。


 鉄雄の払うような目突き……手近にいた若者が仰け反り、反射的に目を押さえる。さらに、鉄雄の追撃……右の拳の一撃が顎に炸裂し、若者は意識を失う。六十キロもない華奢でひ弱な肉体では、九十キロの全体重を乗せた鉄雄の一撃に耐えられるはずがない。

 他の若者たちは、その光景を見たとたんに態度が変わった。興奮が覚め、代わりに恐怖が若者たちの心を支配する。ようやく、鉄雄の圧倒的な強さを理解したのだ……それと同時に、一人を殴り倒したおかげで、鉄雄の苛立ちもわずかながら解消された。

「お前ら……さっさと失せろ。でないと殺す」

 鉄雄の口調は静かなものだった。しかし、その静けさが恐怖に拍車をかける。若者たちは震えながら、うんうんと頷いた。

「早く失せろ!」

 鉄雄は怒鳴りつけ、体の向きを変えて道を空ける。若者たちは気絶した仲間を放置したまま、我先にと飛び出して行った。

 そして残っているのは、鉄雄と意識のない若者、そして殴られていた少年……すると、少年が恐る恐る口を開いた。

「あ、ありがとう……ございます……」

「礼はいい……早くこの場から消えろ」


 ・・・


 仁美一郎ヒトミ イチロウは、自らを平凡だと思い込んでいた。ごくごく平凡な二十五歳の男――ただし独り身だが――でしかない自分。だが、彼に欲はない。今のままで満足だった。

 一郎の今の生活は、単純そのものだ。朝起きてバスと電車を乗り継ぎ、仕事に行く。定時には仕事を終えて家に帰る。プライベートにおいて付き合いのある友人知人は、ただの一人もいない。したがって、一郎の生活は規則正しいものだった。


 しかし今夜は違う。帰って来たのは十一時過ぎだ。聞いた話だと、シャブ中の運転する車が道路を猛スピードで暴走し、警察の護送車と正面衝突した。運転手は即死だったらしい。

 そして、護送されていた容疑者が脱走したのだという。警察は周囲に警戒線を張り巡らせたが……その範囲内に一郎の乗るバスがあった。警察はご丁寧にもバスを止め、一人一人に話を聞いてまわった。

 そして警察はなぜか、全く無関係の一郎に目を付けたのだ。


 一郎のこの言葉が、警察の興味を惹いたらしい。

「両親は亡くなりました。いつ死んだのかは、覚えていません」

 何気なく発した言葉……しかし、制服警官は顔色を変えた。無線で何やら連絡する。そして一郎はパトカーに乗せられ、警察署に連れていかれた。「任意で」とのことだったが、断ると脅したりなだめすかしたり……面倒くさくなった一郎は、取り調べに同意したのだ。


 そして十時過ぎ、ようやく解放されたが……。

 警察署にいる間、なぜか刑事は、一郎の身元を徹底的に調べた。また、執拗に両親のことを聞いてきたのだ。

 一郎は正直に答えた。

「両親がいつ死んだのか……よくは覚えていません。確か五年くらい前に、交通事故で死んだはずです。別に悲しくはありませんでした。人はいつか死ぬ、と聞いていたので、遅いか早いかの違いです。それよりも、葬式が嫌でしたね。面倒くさかったもので」

 その言葉を聞き、取り調べに当たった刑事――中年だが、どこか猟犬を連想させる雰囲気の持ち主だ――は露骨に不快な表情を浮かべた。そして、一郎の目を見つめる。一郎もまた、刑事の目を見つめ返す。かなり長い時間、無言のまま二人は見つめ合っていた。

 やがて、刑事はため息をつく。

「俺の名は高山裕司タカヤマ ユウジだ。また話を聞くかもしれないが……今日のところは、もう帰っていいよ。あと、一つ忠告する。君は一度、病院に行った方がいい」


 一郎は不思議だった。自分は至って健康だ。なのに、なぜ病院に行く必要があるのだろう? そもそも、自分の両親が死んだことと護送中の容疑者が逃げたこと……一体、何の関係があるのだろう? あの刑事の言っていることは、全くもって理解不能だ。あんな者に日本の平和と安全を任せておいて……大丈夫なのだろうか。

 まあ、自分の知ったことではないが。それよりも、帰宅してから洗濯などの用事を片付けているうちに、気がついたら零時になってしまっていた。昼から何も食べていない。取り調べでカツ丼でも食べさせてくれるかと思ったが、結局は何も出なかった。


 ちゃぶ台をセットし、一郎は夕食を食べ始める。とは言っても、カップラーメンと食パンだが。一郎は食事に対し、全くこだわりがない。同僚たちのどこそこの店の何が美味しい、などと言う話を聞いても、一郎には理解不能だった。どんな物を食べようが、最後には排泄されるだけ……そんな事にこだわるのは時間と金の無駄だとしか思えなかった。

 そして一郎の部屋もまた、殺風景という一言がよく似合うものだった。まるで刑務所の独房のように、余計な物が何一つない。テレビと冷蔵庫……家具と呼べる物は、それくらいしかないのだ。あとは、扇風機と電気ストーブが押し入れの中にあるくらいだ。しかし、一郎はその生活に不便さを感じたことがなかった。

 食事を終えると、一郎は布団を敷いた。そして立ち上がり、電気を消す。その時、窓から妙なものが見えた。

 街灯に照らし出された風景……傷だらけの少年が、ヨロヨロしながら道路を歩いているのだ。ここからでは顔はよく見えない。しかし、着ているシャツは血まみれなのははっきりとわかる。

 一郎は考えた。護送車の事故は、ここからかなり遠い場所で起きている。しかし、車を使えば来られない距離ではない。もしや、あの少年が脱走犯なのだろうか? 

 いや、それはないだろうな。

 少年はヨロヨロとした足取りで歩いて行く。一郎はなぜか目を離すことができなかった。あの少年が脱走犯であろうがなかろうが、そんなことは自分には何の関係もない、はずだった。

 しかし……。

 どこかで、見た覚えのある光景だ。


 ・・・


 大和武志ヤマト タケシは歓楽街の暗がりに身を隠し、寝転んでいた。既に深夜一時ではあるが、歓楽街である自由町においてはまだ宵の口の時間帯だ。そこかしこからバカ声が聞こえてくる。この町は原子爆弾でも落とした方がいいのではないだろうか、などというバカな考えが武志の頭をかすめる。

 路地の暗がりでは、酔いつぶれて寝ている男がいる。千鳥足でご機嫌な様子の酔っ払いもいる。さらには、売春婦らしき女もあちこちで佇んでいる……よれよれのスーツ姿で寝転がっている武志には、まったく見向きもしない。

 武志は時折りむにゃむにゃ言いながら、寝返りをうつ……ような動きをする。しかし、その視線はずっと一ヵ所に向けられている。十メートルほど先にある、派手な看板のキャバクラ……その入り口から目を離さなかった。

 そして武志は、ずっと待ち続ける。通りすがりの酔っ払いから罵声を浴びせられたり、唾を吐きかけられたりしたが、それでも体勢を崩さなかった。じっと寝転がった体勢のまま、武志は動かなかったのだ。

 そんな武志の存在に注意を払う者など、誰一人いなかった。歓楽街において、酔いつぶれて道路で寝ている者など珍しくもなんともないからだ。


 そして、キャバクラから一人の男が出てくる。見送りに出てきたキャバ嬢に大きな声で何やら言った後、大股で歩き去る。

 同時に、武志も立ち上がった。よろよろした足取りで、男の後をゆっくりとついて行く。

 前方を進む男の歩き方は、まさにチンピラそのものだった。肩をいからせており、やたらと歩幅が広い。だが、身に着けているスーツとネクタイはさほど高いものではない。しかも、前から裏社会の住人とおぼしき者が来ると、すぐに視線を逸らして道を譲る。

 そんな男の後を、武志は静かに付いて歩いた。その足取りは、いつの間にかしゃんとしている。先ほどまでの酔っ払いの雰囲気は欠片もない。


 歩いているうちに、人通りが途絶えた。自由町は、駅とその周囲はお洒落な歓楽街であるが、その範囲はさほど広くない。住宅地に来ると、人通りはかなり少なくなる。ましてや、この時間帯になると人通りはなくなり、無人の町と化す。

 その時、武志は襲いかかった。男の背後から音もなく近づき、首に腕を巻き付ける。そして腕を狭めていく……。

 首の頸動脈を絞められ、男は抵抗する間もなく意識を刈り取られた。




 一時間ほど経った後、男はようやく意識を取り戻した。と同時に、頑丈なダクトテープで両手首と両足首をぐるぐる巻きにされた挙げ句、パイプ椅子に座らされていることにも気づく。周囲はコンクリートの壁が剥き出しになっており、床には埃やゴミくずなどが散乱している。

 そして目の前には、パイプ椅子に腰掛けた武志がいた。

「やっとお目覚めですか……寺門達也テラカド タツヤさん」


「お、お前は誰だ! な、何をする気だ! 俺にこんな真似して、ただで済むと思ってんのか!」

 寺門は怒鳴りつける。だが、武志に怯んだ様子はない。黙ったまま、じっと寺門の顔を見つめている。その表情は穏やかなものだった。

 寺門の顔に、明らかに動揺しているであろう表情が浮かぶ。その動揺を悟られまいと、無駄なあがきを始める。

「い、いいか! 俺のバックにはな、銀星会がついてくれてんだ! それだけじゃねえぞ! 俺のケツ持ってくれてんのは桑原さんだ! 銀星会の若頭だ! おいてめえ、わかってんのかよ!」

 寺門はさらにわめき散らす。しかし、依然として武志は黙ったままだ。その態度は冷静そのものである。しかし、その冷静さが寺門の恐怖感を募らせていく……。

「お、お前誰だ……俺はお前なんか知らないぞ……お、俺に手を出したら……さ、三百人が動くんだぞ……何とか言えよ……な、なんとか……い、言えって……だ、黙ってちゃわからねえじゃねえか――」

「寺門さん……あなたは、本当に覚えていないんですか? 俺の顔を見て、何か思い出しませんか?」

 そう言いながら、武志は立ち上がった。そして、ゆっくりと寺門に近づいて行く。

 寺門は恐怖を隠しきれなくなった。ガチガチと口の中で歯が当たる。目の前の男は正気ではない。寺門は確かに、ヤクザとの繋がりはある――ただし、その使い走りをさせられているといった程度の付き合いだが――。これまで、かなりの数のヤクザを見てきたのだ。その中には、人を殺した経験のある者もいたし、ヒットマンと呼ばれる者もいた。

 しかし今、寺門の目の前にいる者は……根本的に何かが違う。ヤクザは金のために人を殺す。金にならなければ殺さない。だが、目の前の男は……金にならなくても殺すだろう。

「お、お前……お、俺は本当に……お前なんか知らない……な、何かの間違いです……ぼ、僕は貴方と……会ったこともありません……ひ、人違いです……た……助けて……ください……お願いです……」

 震えながら、寺門は命乞いを始める。いつの間にか、その目からは涙が流れていた。寺門は生まれて初めて、本物の死の恐怖と対面したのだ。その恐怖を前にし、体のコントロールが利かなくなっていた……。

 その時、武志は口を開いた。

「俺が誰だか知ってるはずだ……俺はこの五年間、あんたのことを忘れたことはなかった」






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