記憶(ゆめ)と現在(いま)
一面が真っ青だった。
それは青や紫の花。どれも同じ種類のようで、袋のような被り物にも似た形の花弁だった。
「触るなよ、壺鈴。これはトリカブトといって毒性の強い花だから、間違っても口にしちゃいけない。とくにここのは即効性だから」
「綺麗なのに」
地面より高い位置にある橋を歩きぽそりと呟けば、大きな手が頭をくしゃくしゃと撫でる。見上げれば笑っているようだったが、逆光で見えない。
「でもそのおかげでここまで大きくなったんだ。自分の身は自分で守らないとこの世では生きてかれないってこと、誰よりも何よりも知ってるんだろうさ」
「人間と同じだね」
「変わらないよ、何だって。本質は皆同じだ。“ココロ”があるから違うように見えるだけなんだよ」
もう一度花を眺める。どこまでも続く青。空よりも濃く、花の世界を創りあげていた。
ふと体が温もりに包まれる。背後から抱きしめられたのだと気付いて慌てると、耳のすぐ近くで囁かれる。
「君の“ココロ”を僕にくれないか。一緒にきてほしい」
思いがけない言葉につまる。早く答えないと……と焦れば焦るほどどうに言えばいいのかわからなくなって、紡げずにいると体を解放される。嫌われたのかと振り返れば、暗闇が広がり目の前に胸を赤く染める彼がいた。突き立てられた矢羽を見て、彼が倒れ闇に消えて行く姿を見て、叫んだ。
「―!!」
暗闇だった。
けれど冴え冴えとした空気でさっきのが夢であったことに数拍遅れて気づく。頭を抱えようとして頬に触れると、涙を流していたようで頬が濡れていた。
「どうかなさいましたか?」
数刻経っただけだというのに、その声が懐かしい気がしてほっと安心感が広がる。
「いやな……夢を見ただけです。すみません」
「大丈夫ですか?」
「もう平気です。起こしてしまいましたか?」
「いえ、わたくしも先ほど起きたばかりですので。怖い夢だったのですか? 話してしまえば楽になると思います」
話してほしいというかんじだった。人に話していいものか不安はあったし自分らしからぬ夢でもあったので迷っていたが、袖を引っ張られ催促される。
「夢……というか、記憶です」
「記憶? 嫌な思い出とか?」
一瞬ためらうが、諦めてくれなそうなので順を追って説明する。
「うちに一時期勉強のためと働きに来ていた寿次という人がいまして、彼と梅都、そして私の三人でよく出かけていました。怒られることもしょっちゅうで、でも彼は仕事には真面目に取り組んでいて父が養子にしたいとよく言っていました。世渡り上手というのでしょうか、人当たりも良く評判でした。実家に戻ることになり彼が辞め、後に彼がうちとライバルの同業者であり、敵を知るために偽名を使いうちで働いていたことがわかっても、憎めなくて」
そこまで言って、どう表現すればいいのかわからず口を噤む。懐かしい顔がよぎり、胸が震える。もう切ったと思っていた思いが溢れそうで、唇を噛む。
「好き……だったのですね」
そっと小さな手が腕に添えられた。はっと我に返り、朱院の手に自分の手を重ねる。深く息を吸い続ける。
「たしかに情報を流されていたのに、どうしても憎めなかった。結局私は彼と家を出ることにしました。けれどそんな矢先に、彼は人違いで殺され……私は、家業を継ぐことにしたのです」
「見てしまったのですね」
朱院の言葉に頷く。暗闇で見えないだろうが空気で伝わったのか、彼女がぎゅっと抱きしめてきた。
「彼と、トリカブトを見に行ったことがあって……あの矢にはトリカブトの毒が塗られていたんじゃないかって……」
自分でも何を言っているのかわからなくなって、顔を伏せる。見られまいとしても、おそらく朱院には泣いていることはわかっているのだろう。
「人が眠っている最中に見る夢は、心の深く深くにあるものだそうです。それほどまでにあなたの“ココロ”を繋ぎとめる方だったのですね。だから男装などなさって……あなたの本当のお名前は?」
「……壺鈴」
「壺鈴様。やっと、真名で向き合えました」
にっこりと笑う朱院の顔が浮かぶ。おそらく間違いではないのだろう。
「兄上を……兄上を誑かしたのはおまえか!」
突然金属がぶつかり合う耳障りな音と叫びが響く。驚いて格子の方を見れば、誰かが格子を揺さぶっている。声からして夢次だった。だとすれば先程の話を全て聞かれていたということだ。血の気が引いていく思いがした。
「一緒にいながら……なぜおまえが生き残った! なぜ兄上だけ連れていった! おまえが死ねば良かったものを!」
最後の言葉が刺さる。何度も思い、それでも信じて立ち直ってきたが人から言われ、さらに彼の身内から言われるとなぜ自分ではなかったのか身の縮む思いになる。
震える足を無理矢理動かして、格子の前にひざまづく。夢次の視線が痛いほど体に突き刺さる。
カラカラな喉で必死に謝罪の言葉を紡ぐ。
「謝ってすむと思うな! おまえのせいで兄上は死んでしまったんだ! 父上や母上がどれだけ悲しまれたと思っている! 全部おまえのせいだ! 兄上がいればっ、兄上がいれば梅納寺は安泰だったのにっ……」
夢次の言葉も、制止しようとする朱院の言葉もどこか遠く、ただひたすら頭を下げる。
それしかできなかった。
「染!?」
「夢次、何をしている!」
何人もの足音がした。怒鳴り声、叫び声、泣き声、なだめる声。何が何だかわからないほど辺りは騒がしくなった。
ふと肩を揺さぶられ、目の前に梅都の顔があった。彼は何事か呟くと、強く抱きしめられた。
「痛いです、梅都殿」
「馬鹿野郎」
そのまま彼は泣き始めた。おかげで頭が正常に戻り、彼を無理矢理引きはがしその両頬を手で叩いてやると、小さく叫んで飛び上がる。
「しっかりしてください。それでどうやって私を守れると?」
「うっ……すまねぇ。でもよかった」
再度抱きしめられそうになり慌てて彼を抑える。
そんなやりとりをしていると、数年ぶりの懐かしい顔が立ち塞がった。
「大馬鹿者め! 帰るぞ」
その怒声で辺りが静まり返るが本人はさっさと行ってしまう。その大きな背を見送って、朱院の手を取る。
「行きましょう」
「はい!」
いつの間にか朱院のもう片方の手には清院の手。ばつが悪そうな顔からして無理矢理だったのだろうことがわかる。
「きちんとついてきてくださいね、清院」
「なぜおまえの後ろなのだ! 逆であろう!」
「壺鈴様と手を繋いでいいのはわたくしだけです」
「そういう意味ではない!」
やはりなんだかんだいって仲が良いのだろう。梅都と顔を見合せ笑い合う。
外へ出ればまた面倒なことだらけになっているのだろう。それでも少し晴れやかな気分で階段をのぼった。
階段をのぼりきると、夢次が父親らしい人に怒られていた。うちの父はそれをなだめているようだった。すぐにこっちにくると、無理矢理頭を下げられる。
「そのへんにしといてください。悪いのはうちのやつですから。勝手に忍び込んで」
「未遂です」
「謝りなさい」
「申し訳ありませんでした」
基本的に父には逆らえない。
しばらく父親同士の謝罪が続き、やがてこの件はなかったことになり父に腕を引っ張られ退散する形となった。
去り際に夢次の方を見たが、俯いたままだった。




