嘘と境界
それから二人で思い出話に花を咲かせていると、区画から朱院が出てきた。ひどく疲れたようだったが、弱々しく微笑む。
「お待たせして申し訳ありません。もう、大丈夫です」
「清院殿は?」
「眠っております。ずっと、気を張っていたのでしょう」
格子の向こう側を見つめそっと息を吐く朱院の肩を梅都はぽんと叩く。
「朱院さん、ありがとう」
律儀に頭を下げる彼を見て朱院はよくわからないといった顔になる。たしかにいきなりではわかるはずがない。
「彼なりに責任を感じているのですよ」
少し補足すれば、理解したとばかりに朱院は梅都の肩に触れながら、頭を上げるようお願いする。
またいつかのときみたいな二人のやりとりが行われ、とりあえず手を叩いて終わらせた。
「とりあえず梅都殿、私たちはあの中に入りますから鍵、かけてください」
「だが染、今なら」
「だめです。これ以上ややこしくしたくありません。おそらくすぐに解放されるでしょうから、それまでおとなしくしている方が確実です。あなたはあなたのお役目通りに」
納得いかないのか、しぶしぶといった様子で格子に鍵をかける彼にそっと耳打ちする。
「あなたが知らせに行くのですよ」
驚いた後、すぐに笑んで彼は去って行った。
朱院が首を傾げこちらを見てくるので「あとのお楽しみ」と告げる。
その瞬間、突然明かりが消えた。蝋が尽きたのだとすぐに気付いたが朱院は相当驚いたらしく反射神経のようにしがみついてきておかしくて思わず笑い、彼女の頭を撫でる。
落ち着いたらしい彼女はそっと離れる。
「染祀様は、梅都様と仲が良いのですね」
皮肉ではなくどこか羨ましげな声色。
「子供の頃から一緒にいましたから……三人で」
「三人?」
「朱院殿も、清院殿とは長いのでしょう?」
「大樹の眠りにつくまでのお話でしたら、それほど同じ時を共有してはおりません。生まれも育てられた環境も全く異なっていましたから。役目の際に二人で顔を合わせることはありましたが、お互い意見も交わることがなく。それに……清院には嫌われているようで」
少し寂しそうに呟く。たしかにあの態度からすると好意的ではないのだろうが、全くではないように思えた。むしろ興味や憧れからくる嫉妬に似ている気がした。おそらく彼女からすれば朱院は羨ましくて仕方がなかったのだろう。
「前にもお話しましたが、清院は当時の有力貴族のもとに生まれ“梅姫”ということもあり、将来的に宮姫となる約束がされていました。誰よりも誇り高く周囲の期待を裏切らない姿は、本当に誰からも愛されておりました」
「宮姫とは?」
「お上の所有するお屋敷にはひとつひとつ名前がありまして、総称して宮と呼んでおりました」
「つまり清院殿は入内されるはずだったということですか?」
「お察しの通りです」
少し飛んでいるとは思ったがまさか肯定されるとは思わなかった。
「それはいくつの頃のお話でしょう?」
「眠りにつく前ですと清院は十五ほどですから……三つでしょうか」
思わず声を上げて驚いた。その頃には梅姫とわかっていたのだろうか。時代が時代とはいえ、幼少時から嫁ぎ先を決められていたということはかなりの高位だったのだろう。
朱院のいる方を見る。暗闇に慣れたとはいえやはり表情まではわからなかった。
清院の話はするが最初の頃のような朱院自身の話はしない。
「朱院殿は?」
「この姿は十四の頃のものです。桜姫とわかったのは生を受けて一年が過ぎてからです。どうやら清院が勘付いたようでして」
清院に比べだいぶ早い。
「貴族の出ですか?」
「わたくしは平民でした。けれど“桜姫”の生まれたことで、父は武士としての知名を上げ、一軍を任されるほどとなりました。けれど清院には……程遠い」
最後はどこか吐き捨てるようだった。いつもの穏やかな彼女ではなく、暗い部分を曝け出したような雰囲気に彼女も清院に対しやはり特別な感情があるように思えた。そして、「役目が呪わしい」と言っていたことを思い出す。
どうやら彼女の父は御伽噺に翻弄されっぱなしだったらしい。
暗くなってきた雰囲気をどうにかしようと話題転換を試みようとして、そういえば朱院に謝っていなかったと思い至る。当然のようにこの流れでここにいるが、彼女には梅都が染め師としてではなく間者としてここに出入りしていることを隠した。はっきりと言ったわけでもないし今更なのだが、巻き込んでしまったこともあってやはり全てを話しておくべきだと腹をくくる。
「あなたに謝らなければならないことがあります」
「存じておりました、嘘だと。でもわたくしも嘘を吐いていますから、おあいこです」
まだ何も言っていないのに返答され、言葉に窮す。けれど朱院の言葉に耳を疑う。
「嘘?」
朱院は答えなかった。そのまま沈黙が下りる。
それは、分かり合えたようでお互いまだ壁一枚隔てられた世界にいるようだった。
そしてそれはどちらからか踏み出さねば越えられない世界なのだとなんとなく感じる。
無言に耐えかねてか、それでもそっと朱院は付け足す。
「夢が……見たかっただけなのです。一時でも」
右腕に重みを感じる。どうやら朱院は眠ったらしい。寝言のような、ひとり言のような彼女の言葉を反芻し、目を閉じた。




