梅姫
陽もいつしか傾きを変え、橋の上の観光客はそろって帰路を急ぐ。
やかましいほどに騒いでいた鳥たちはいつしか烏のみとなり、空は橙に染まりつつある。
『君は本当に誇り高い。俺はそんな君を見ているのが好きなんだ』
夕日を背に微笑んだ懐かしい人を思い出しそっと笑む。するとどこからかくすっと笑い声が聞こえた。
「これがそなたの敵か、夢次。頼りなさそうな男じゃの」
「いいえ、そんな物騒な。彼は良きライバルですよ」
「ほう、ライバルとな。それ、名は」
白い着物に赤い帯という異色な組み合わせの少女が扇子の先をこちらに向けている。
傍らに立つ真紅の着物にまとめあげられたゆるやかな髪の女性は、見覚えがありそして最も会いたくない人物だった。
「お久しぶりです、梅納寺夢次様。このような所でお会いできるとは」
「ほんとうに。てっきり染め師のもとかと思っておりましたの。それで修行の方は進みまして?」
「夢次様がお気になさるようなことではございませぬ。そちらの方は?」
「おまえから名乗れと申しておる。無礼者め」
「失礼。私は簾桜染祀と申します。実家が夢次様と同じ反物屋をやっております。美しい、白絹のような髪をお持ちのあなたの名をお教えいただけますか?」
「……清院と申す。おまえは朱院に会ったか?」
名乗る時は俯いていたが、朱院のことを話すと途端に射抜くような目と合う。ちらっと夢次を見ればおかしそうに笑みを浮かべている。
「いえ……お会いしたことはありませんね」
「嘘を申せ。あやつの気配が消えた折、そなたの姿を見たという者がおるのじゃ。見よ、もぬけの殻となった木を」
少女の指す方を見れば、一本の桜。橋の横に佇む古木には、今朝ははち切れそうにふくらんでいたはずの蕾が小さくなっていた。
同じように向こう側の梅を遠目で見る。そちらは無事でちらほら花びらが舞っている。
「どうしたことか、これでは近日中には咲きませぬ」
「当たり前じゃ。あやつが全ての力を持ち去ったからの。して、朱院はどこじゃ」
「ですから存じませぬと」
「ねぇ、染祀様。聞きましたでしょう、遠い昔話を」
黙ってやり取りを聞いていた夢次が突然話し出したので、彼女を見る。
「大きな役目を背負い生まれた、二人の姫の物語よ。役目の為に命を賭し、肉体を失い尚果たすことを定められた悲しいお話……清院もそうなのよ」
どこか物憂げに目を閉じ話す彼女の言葉で朱院の話していたことを思い出す。俄かには信じ難い内容だった。しかしまるで示し合わせたかのように現れた彼女達に、疑わずにはいられなかった。
「では夢次様は清院様の半身と?」
「話が早くて助かるのう。そなたは朱院の半身、そうであろ?」
否を言わせぬ雰囲気に、諦めて少しでも情報を得ようと問う。
「それで清院様はどの花に? ああ、あの梅ですかね」
「ふん、割と頭は回るようじゃの。しかしあやつとは違うからの。きちんとあちらにも力は残しておる。見よ、あの美しき姿を」
勝ち誇ったかのような清院の顔に思わず笑みがこぼれる。態度は大きいが自慢げな姿は可愛らしかった。
「ええ、とても美しゅうございます。城さえも霞みゆくようで」
「当然じゃ。あれは我の美しさを引き立たせるために建てられたモノじゃからの」
誇らしげに胸を張る姿は子供のようだ。しかし表情に出せばきっと怒るのだろうと、ただ笑顔を浮かべ頷くにとどめた。
「ところで染祀様。桜姫は何処においででしょう? てっきりご一緒なのかと思っておりましたわ」
頬に手を添えて尋ねる夢次に首を振り不在を告げると、清院が訝しげに眉を寄せる。
「それはらしくない。朱院ならばどんな手を使ってでも半身にひっついていそうなのに」
一体朱院はどんな認識を受けているのかを疑う発言だが、ふと夢次が「大丈夫かしら」と呟いた。
「桜姫は梅姫よりも強力な力を持つと聞き及んでおります。ですから、彼女の復活が露見すればその力を狙う者が出ることでしょう」
「さすれば同じ歴史が繰り返される」
ほう、と溜息を吐く夢次の姿はどこか物憂い気で、見る者を引きつける魅力がある。先程からちらちらと視線を感じて居心地が悪くなっていた。
「ご心配には及びません。彼女は知人のところにいるので問題ありませんから」
「知人……ですか」
「ええ。昔からの知り合いなので」
若干引き攣ったような気がするが笑顔で答える。それでも二人は納得していないようだったが、清院が空を見上げた。
「夢次、今日のところは戻るぞ」
「そうですね。日が暮れてしまいます」
夢次は軽く会釈して二人は横を通り過ぎていく。仄かな香りを残して。
夕暮れといえど人はせわしない。その流れとは逆へ進み、そっと桜の幹に触れる。古木とはいえ、枯れ木と違い力強く根を張っている。今朝までのふっくらとした蕾ではないとはいえ、淡く色付いたそれは開くのを心待ちにしているよう。
朱院や清院、ましてや商売敵といえど出鱈目は言わないはずの夢次までもが同じことを告げた。もしもそれが真実であるなら、自分は何なのだろうか。何の為に生を受けたのだろう。
それがこの花の物語に関わるのだとしたら、今までの自分とは一体何だったのか。
自嘲気味に笑んだ時、どこからか名を呼ばれた気がして辺りを見回すと、片手を振りながら梅都が駆け寄ってきた。
「染、探したぞ」
膝に手を付き肩で息をしながら、梅都は苦しそうに話す。
「さっき誰かといなかったか?」
「夢次殿と話してましたが、なにか?」
「いや……何もなかったならいいんだが」
視線を彷徨わせ言い淀む彼に微笑む。
「ご心配ありがとうございます。問題ありませんよ。いつまでも引きずってられませんから」
あのことがあって以来、必要以上に簾桜と梅納寺が関わることに敏感になっている彼を安心させようとしたが、なぜかより眉間の皺が深くなった。
「なにか……言ってたか?」
「……さぁ。御伽噺しかしていませんけれど、それがなにか」
「いや、それならいいんだ」
いつもの心配事ではないのだろうか。少しカマをかけてみようと息を吐いた。
「それより梅都殿は最近忙しいようですね。寝る間も惜しんで走り回っているのでは?」
頻繁に顔を見せに来ていた頃と比べての話で、とくに意味はない上辺の話なのに、こちらも驚くくらい良い反応をした。そして曖昧に返事をしてあからさまな咳払いで誤魔化し話題を変えた。
「朱院さんは俺んとこで預かる。落ち着いてっから会え。今のお前じゃ心配でならん。なぁ……あの話、俺は本当だと思うぜ」
「おやおや、あなたなら御伽噺だと切って捨てそうなものですが。それともあの娘のことで?」
「ちげぇよ、ったく……自分だってお」
「はい、ストップ。それ以上喋るようなら絶交です。それで、他に何でしょう」
「ん、まぁ……つまり、さ。朱院さんが言いたかったのは……おまえを切り裂くとかそういったもんじゃなくて……俺が思うに…………」
とても言いづらそうに頭をかきながら話すので、このままだと埒が明かない。
「本人に聞きますよ。あなたは何も心配なさらないでください。さて、私もそろそろ戻らねばなりません。朱院殿には……そうですね、梅の花が散りきる頃お会いしましょうとお伝えください」
「お、おう」
一人おかしな顔で立つ彼を置いて、観光客に紛れた。
梅の散る頃、おそらくは五日後となろうその時まで、日常を変わらず送ることになるのだろう。
二人の言っていた「強力な力」というものが気になったが、今更増える悩みなど自分の人生において何物にもならなかった。




