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梅桜物語  作者: 城谷結季
其の壱、邂逅
1/10

桜姫

 春告鳥――若い鶯の鳴き声が響く朝。

 寒さも薄らぎ、仄かにあたたかい陽が体を包み込む。

 どこまでも青い空には小鳥が数羽、戯れるように飛び回っている。

 研ぎ澄まされた春独特の空気に触れながら、城下町へ続く橋を渡る。

 赤いこの橋は観光名所のひとつとなっていて、城の方には梅、町の方には桜が覆いかぶさるように見事な花を見せてくれる。

 今はまだ早春ということもあり、梅だけがほころび、桜は蕾のまま。うっすら色づいた淡いピンクが期待を宿すようにふくらんでいくのをもう何度も見た。

 けれど観光客にとっては珍しい光景。皆一様に「綺麗だ」と褒めそやす。

 ここが観光地なのは城だけでなく、この橋と橋の側に咲く二本の木が珍しいとされるからだった。

 城側にある梅の花は色や花の形が寒紅梅に近い枝垂れ梅だが、散る間際に薄墨色になる。

 町側にある桜の花は八重枝垂れで、散る前の一夜だけ燃えるような濃色になり白花として散る。

 そしてどちらも苗木を植林しても親木のようにはならなかったという。

 土を持って帰っても、環境をどんなに再現しても決して同じ姿を見せようとはしない。

 研究を重ねても解明されない謎は、更に人々の興味を引く。

 そんなことはおかまいなしに花を咲かせる姿は神々しくも思える。

 まだ開かぬ桜の幹にそっと手で触れる。どこか懐かしい香りを感じ見上げると、ぽつぽつと花が開いている。

 咲くにはさらに一か月かかるはずのそれが、どうしたものかと見ていれば、やがてほころんだ花を中心に一斉に花びらを開かせた。


『夢に見しや、虚し現世―此の手を取りたまえ、“珠玉ココロ”を受け継げし者』


 どこからともなく聞こえた少女のような可憐な声が、頭いっぱいに響き渡る。目の前が真っ白になったと思った瞬間、眩しさか反響する声の痛みにか、瞼が下りる。

 必死に手で空を掻いていれば柔らかなものに触れる。そしてどちらからともなく掴むと、強い力で引っ張り上げられた。


「お目をお開きになってくださいまし」

 ぼんやりと霞む視界。夢現のような儚い少女と美しい桜。

 幻のような狂い咲きに、黄泉なのだろうかと思いそっと手を伸ばせば、あたたかい温もりある華奢な手に掴まれる。

「懐かしや……懐かしや」

 淡く色付く頬の上を透明な雫が流れ落ちる。黒々とした目から零れる涙で少女が泣いていることを理解する。少女の指先が頬の上をすべる感触で、自分も泣いていたのだと気付いた。

「お初にお目もじ仕まつります。この時代ときにて、人世に姿かたち現すこと……嬉しゅうございます。我が名は朱院しゅえん。かつて分たれしわたくしの半身……ようやっと合間見ゆること、叶った」

 湧いて出てきたような少女に理解できないのと、底から溢れ出すようにのぼる郷愁に似た思いで言葉も紡げず、ただただ涙だけが応えていた。



「爆ぜる想いを水底に沈め暗い褥の中、幾世霜もの凍える時代とき記憶はなを散らせ、幾年もの朔の月を見上げてきました。遙かなる眠り(ゆめ)を打ち破るため、“ココロ”をあてどもなく探し求めて、幾度も狂い咲いた。何度も、何度も……」

 人が活動を始める時間が近づき、慌てて朱院と名乗る少女を家へ連れて帰ると、お茶で一息ついた彼女は淡々と語り始めた。

「謀略なる人間により多くのたまを失い、黄泉還っては失い……幾度目だろうか。もう、どれほど生きたのだろう…」

 そう言って朱院は小袖でで口元を覆い、目を閉じる。

 おかしな子だと思いつつ、観察してみることにした。

 綺麗に結いあげられたぬばたまの髪に揺れる髪飾りが、朝日で眩しく光る。白に近い桃色の着物の刺繍も鮮やかで、金や銀、そして花弁が散らされ上等物であることがわかる。それはあどけなさの残る朱院によく似合っていた。

 気が済んだのか、目の前に置かれた湯呑みを丁寧に両手ですくい上げるように持ち、お茶をすする。ふぅと息を吐いて、笑んだ。

 湯呑みを置いた彼女は、まるで今気づいたとでもいうように部屋の中を見回し、最後にこっちを見ると泣き出しそうな顔になった。

「ここはどこで、あなたはだれなのですか……」

 答えに窮していると彼女の後ろの襖がものすごい勢いで引かれ、朱院が小さく叫んだ。

「なんだ壺鈴こすず、誘拐でもしたのか?」

「勝手に入ってくるなと何度申し上げればわかっていただけるのでしょうか、梅都うめつ殿。それに、盗み聞きとは」

「そんな姑息な真似はしておらん。たまたま聞いただけだ」

「ではよほど耳が良いのでしょうね」

「もっと褒めても良いぞ」

「なんていうか知ってます? 地獄耳っていうんですよ。で、誰に聞いたのです?」

「いやはや、襖に耳を当ててただけだ」

「嘘仰い。あなたは噂で動く男です。はい、全部吐きなさい」

「今朝はまだ何も食ってないんで……」

 申し訳なさそうに梅都が頭をかくと、本当に吐き出すかと思ったのか朱院が後ずさった。

「はぁ……ではそこに座しなさい。お茶くらいなら出します」

「かたじけない」

 顔の前で片手を一瞬上げ、梅都は朱院の隣に座る。警戒してか、朱院はあからさまに離れこっちに来た。その姿に少し笑い、お茶の準備をする。

 客用の湯呑みにお湯を注ぎ、温めてからお茶を入れる。すっかり身についた習慣だが朱院にとっては珍しいものらしく、じっくり見られ手元が少し震える。

「朱院殿、そんなにも気になりますか?」

「いえ……懐かしくて」

「そうですか」

「あの、なぜそのような格好をなさって……」

「どうぞ、梅都殿。いつもと変わらぬものですが。茶菓子もありますのでご遠慮なく」

「いつもすまんな! おまえんとこの茶はうめぇんだ。他がまずくってよぉ」

「そんなに変わりませんよ、ここら一帯は皆同じ茶葉のはずです」

「じゃあ淹れ方か? なんか違うんだよなぁ」

 本当に何も食べていなかったのか、お茶をすすりながら菓子に手を伸ばし食べ始める姿を見て、朱院が「なんとはしたない!」と小声を漏らした。しかしその目は物欲しそうだった。

「朱院殿も宜しかったら」

 そう言って別の小鉢に同じ菓子を満たし渡せば、おずおずと手に取り、口にした。その瞬間のまるで花が開いたような女の子らしい笑顔は、彼女が素直な人柄であることを物語っていた。

「そういえば紹介がまだでしたね。食べながらで結構ですよ。私は簾桜染祀れんおうそめし

「存じております、簾桜染祀様。実家が反物屋を営んでおり家業を継ぐため目下修行中。古町梅都こまちうめつ様、藍染師として名高い古町屋の次男で腕はたしかとの評判。お二人はご親戚筋にあたり幼少からの幼馴染でいらっしゃる」

 まるで紙に書いてあることを読み上げるようすらすらと語る朱院。梅都は手にした菓子を落としたのも気づかぬほど驚きの表情をしている。

「よくご存知で。ですが先程、空耳でなければ私のことを『どなた』と……」

「……いえ、確かかわからなかったのです。ですが、やはりあなたです。あなたが……わたくしが気が遠くなるほど待ち焦がれた御方」

 頬をうっすら染めて手を握りしめる彼女に唖然としていると、正気に戻ったらしい梅都がぼそっと「モテモテだな」と呟いたので、近くにあった菓子を投げつけておいた。



「千の声、風の声、数多の叫びと命の灯を見送り続けておりました。かつての父、蘇我一二嗣そがのふじつぐに身を引き裂かれてからは……」

 場を仕切り直し、新しく茶を淹れなおすと彼女は身の上話を始める。梅都は涙ぐみながら「そうかぁ、そうかぁ」とだけしか言わなくなったのでこの際放置することにした。

 彼女――朱院と名乗るこの少女は特殊な役目の下に生まれ、その為に命を狙われることが多々あったという。その役目が終わらぬ限り人としての肉体を失ってでも現世に留まり続けなければならず、それを知っているはずの父に殺されたらしい。そうしてあの橋の桜の中で留まり続けていた、長い間。

 父に殺される間際、役目の為に体と“ココロ”を分断したが“ココロ”は飛び去ったまま見つからずにいたという。

「それが……染祀様。正確にはあなたの中に」

 凛と佇む姿にも真っ直ぐな瞳にも揺らぎはなく、これが背負うべき運命に準ずる在り方というのだろうか。少女らしさはどこにもなく、少し疲れが見えるだけだった。

「だから最初にお会いしたとき、貴女は私を『自分の半身』と仰られたのですね」

「はい。わたくしは、このために今まで狂いそうな時を生きてきたのです……あなたに会う為に」

「そうですか。つまり私の中にあるというモノを探しており、見つかればあなたは完全体となり役目を終えることができる。その為に私を説得に?」

「もちろん説明は致します。ですがわたくしは、役目の為に貴女に選択を迫ろうとは思っておりませぬ」

「それで。それで私はどうすればよろしいので? 私の中ということは、私の身を裂いてみますか? あなたの父君のように」

「おい、染!」

 梅都の怒鳴り声ではっと我に返る。何に対してなのか、自分でも理解できぬほどの憤りが湧き出ていた。

 閉じ込めたはずの情をいともたやすく解き放った少女の言葉を思い返し、今朝会った涙を流す朱院が浮かぶ。それは目の前の彼女と重なる。

 そうして、口をきゅっと結ぶ朱院は部屋を飛び出した。

「染らしくないぞ! 朱院さん!」

 梅都も飛んで行ったが後を追う気になれず、座り込む。

 彼女の飲みかけの茶の上に、ひとひらの花弁が回っていた。



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