第八話 幼なじみをからかうと可愛い
「――……」
案の定、藍は拗ねていた。
黙々と本を読み下しながら、食事も摂らずにただずっと本を読んでいる。
その様子を見て、僕達はため息をついた。
「すまん、癒希人。私が手間取ったから……」
「気にしなくても良いよ。愛莉。さてまぁ、どう機嫌を直して頂くかだが……」
僕達は一旦、廊下に出て思索に耽っていると、廊下の端からカツカツと音を立てて一人の青年が現れた。その青年は僕達に気がつくと手を振った。
「癒希人くん、愛莉さん、今日は朝、大立ち回りをやったみたいだね」
「ヴェルグル殿、御機嫌麗しゅう」
「ヴェイグル殿、本日も調練ですか?」
「ああ、そうだよ」
ヴェルグルは颯爽と笑いながら視線をこちらへ向ける。ピカピカに磨き上げた甲冑が魔法で封じ込められた城内の灯りでよく輝いて見えた。
「癒希人くん、またお手合わせ願えるかな」
「はは――姫様の機嫌を取れるまで待って頂かなければなりませんね」
「あー、ああ、今日の立ち回りで遅刻か。痛いね」
ヴェルグルはふむふむと納得したように頷く。そしてちらりと視線を扉に向けて肩を竦めた。
「私では何とも出来ないな……すまん」
「いえ。それよりもヴェルグル殿、随分、入城の際の審査が厳しくなったようですけど」
僕は背中に隠れてしまった由美に少し気にしながらも、彼に問いかけると、彼はわずかに困ったような表情を浮かべて小首を傾げた。
「それがだな……よく分からないのだが、どうやら数日前に何者かの侵入を許してしまった様子でな」
「――よく分からないんですか?」
「そのときの警護をしていたのが、ブラウン殿なのだが……やはり失態を隠したいという気持ちがあるのがうやむやに報告していてな。まぁ、私は一応、城の警護を高める事を打診しておいたのだ」
「それはそれは」
今の将校や貴族が手柄や保身に走るのは今に始まった事ではないが、最近、それは高まる傾向にある。まぁ、それもそのはず。藍の親が死んで、その取り巻きだったものが政治を行っているのだ。複数人数での政治なので誰かしらに付け入る機会があると考えるのは自然だ。
僕は納得して頷くと、ヴェルグルは人の良さそうな笑顔を浮かべてその場で一礼した。
「ではな、二人とも」
「はい、また」
僕と愛莉、そして由美がヴェルグルを見送ると、愛莉は眉を顰めて僕の方に視線を向けた。
「それで、どうする? 癒希人」
「どうするもこうするもないでしょ。姫様好みのお菓子でも献上するしかないかな」
僕がため息混じりにそう言うと、愛莉は困ったような笑みを浮かべて頷いた。そして視線を扉に向けて彼女は続けた。
「じゃあ、癒希人は姫様を頼む。ここまで来て御機嫌を取れるのは癒希人しかいないだろ」
「――あいよ。じゃあ、由美……悪いけど、愛莉についていって貰えるか?」
「――え?」
由美は微かに目を見開く。そして上目遣いで怯えるようにまた僕を見て背中にしがみつく。
その様子を見て、微かに愛莉はいじけた様子でそっぽを向いた。
「何で毎度毎度、癒希人ばかりもモテるんだ……」
「――悪かったな。つーか、案外、愛莉もモテているんだぞ」
「む、そ、そうなのか?」
愛莉は意外そうに目を見開き、僕を見た。と思えば、慌てて目を逸らす。そして、ちらちらと僕の顔を見ながら少し上づった声で訊ねてきた。
「ち、ちちち、ちなみに、ど、どうなんだ?」
「どうなんだって……何が?」
「いいい、言わせるな、馬鹿者!」
面白いぐらいに狼狽える愛莉を前にして僕は少し苦笑しながら言った。
「そんな慌てるなよ。愛莉の綺麗で凛とした居住まいが台無しだぞ。いつもの雰囲気が、僕は好きなんだけどな」
その『好き』という言葉を発した途端、愛莉はびくんっとその場で背筋を伸ばして硬直してしまった。と思えば、顔を赤らめながらこほんと咳払いした。
「す、すまん、わ、わずかばかり取り乱してしまった。すぐに厨房で注文してくる。えと、由美ちゃんは……」
「――仕方ないけど、隣の部屋で少しお茶していてもらうよ。それで良いか? 由美?」
「はい、大丈夫です」
由美ははにかみながら頷く。それを見て、愛莉は踵を返して凄まじい勢いで足早に立ち去りながら早口に言った。
「で、では、私は厨房で少し注文してこようと思う。すまんが姫様の護衛は任せたぞ」
「うん……ところでさ、愛莉」
「うむ?」
少し落ち着いた様子で振り返った愛莉に僕は笑みを浮かべて言った。
「さっきの慌てていた愛莉もなかなか可愛くて好きだったぞ」
「ご――ふっ!?」
何故か異様な効果音を立てて脇の石の壁に頭を打ち付ける愛莉。その様子に由美がどん引きしながら声を掛ける。
「あの、えと……?」
「ななな、何でもないぞ、私は何でもない! だから癒希人後は頼んだあああああっ!」
最後は叫ぶようにして愛莉は猛烈な勢いで走り去っていった。彼女の姿が曲がり角で消えた後、『ああああああ!』という叫び声が聞こえたのはきっと、気のせいだろう。
愛莉を見送った由美はわずかに面白がるような目で僕を見上げる。
「兄様、無知は無罪ですけど、無知のふりは罪ですよ?」
「はは、何の事かな。可愛い妹にそう言われるなんて心外なんだけども」
「ば、バレバレです。女遊びをする兄様だったなんて知りませんでした」
わずかに頬を赤らめながら、真っ直ぐに僕を見つめた由美はぽかぽかと僕の背中を叩いて言う。その様子を可愛く思いながらその髪の毛をよしよしと撫でた。そして手を引いて姫の隣の部屋へと彼女を招き入れた。
その場所は基本的に僕達、護衛に宛われた休憩室で奥には二つ分の寝室も存在する。休憩室なので、暖炉にそこへ二つの椅子と小さな小机、そして小さな給湯台に戸棚が一個だけしか置かれていない。
その椅子に由美を座らせながら、僕は戸棚から適当な湯飲みを取り出して言う。
「ここでゆっくりくつろいでいてくれ。姫の機嫌を取ったらすぐに迎えに来るから」
湯飲みに作り置きしておいたお茶を注ぎ入れ、由美に渡すと、彼女はこくんと大人しく頷いて、ふと思いついたように悪戯っぽく言った。
「もしかして、また誑し込むんですか?」
「誑し込むって何の事だい? 悪い子には、お仕置きが必要だな」
「あうっ」
ぴしりとおでこを弾かれた由美は涙目になるのを横目に見ながら、僕はひらひらと手を振ってその部屋から出て行った。
そして隣の部屋へと視線を移す。
「さてと――強情な姫様をどうにかしておかないとな」
しかし、うちの姫様は本当に強情だ。お菓子一つでは懐柔できないほどに。
ややげんなりしながらも、そんな姫様を相手する事を楽しみに思いながら、その扉を三度ノックするのであった。