第六話 早朝の一幕
「ん……」
僕が目を覚ますと、とんとんとん、と台所の方から何かを刻む音がした。
それは昔聞いたような懐かしい音。暖かい布団と共に、それはどこか僕を優しい気持ちにさせた。
あー……幸せだなぁ……。
そのまま、僕は再び夢の中へ吸い込まれていく……。
――……。
いや待て待て待て!
僕は跳ね起きると同時にその思考が冴えていく。
僕は寝ている。だとしたら、誰が? 料理を!?
身体を起こして反射的に枕元に置いてある剣を掴む。が、それと同時に僕の瞳に映った後ろ姿が警戒を緩やかに解かせていった。
「――ユミ」
僕がその言葉を安堵と共に吐き出すと、肌着姿にエプロンをつけただけの彼女はくるりと振り返って笑みを浮かべた。
「おはよです、兄様」
「ああ、おはよ……でもその姿は無防備すぎやしないかな」
「ん?」
肩越しに振り返りながらシャツを着ただけのユミは少し笑って見せた。
「大丈夫です、下着もつけていますし、それに兄様だったらそんなことしないでしょ?」
「そんなこと……ねぇ」
僕は苦笑しながらぐっと伸びをした。そしてベッドから足を降ろして腰掛けた状態になりながら軽く笑いかけて改めて挨拶をした。
「おはよう、ユミ」
「はい、おはよう、です。兄様」
振り返ったユミは爛漫な笑みを浮かべてお茶目っぽく包丁の峰にキスしてみせた。
ユミの作った料理は炒飯であった。
「混ぜ込む料理は得意なんです」
えへっと笑いながらお玉でそれをよそって僕に渡してくれる。それを受け取って僕は一口食べてみる。
なるほど、漬け物と燻製が混ざり合って独特の味わいを醸し出している。炒飯と言えば、異世界料理の定番だが、なかなか美味い、気がする。
それを食べながら、窓の外へ視線を向ける。まだ日が昇っていない。だが、彼女はもうすでに準備してくれていたようだ。その事に感謝しながら、視線をユミに向けると、彼女は明るい笑みを浮かべて僕の食事を眺めている。
「ユミは食べないの?」
「あ――そうですね。いただきます」
ユミは少し頬を染めると慌てて自分の分を取り分けて食し始める。
それを見ながら、僕は咀嚼しながら問いかけた。
「ユミは今日はどうするんだ? 僕はいつも通り登城するけど」
「ん……」
少し思案するように視線を彷徨わせていたが、ふと何か思いついたようにこちらを向いて言う。
「あの……一緒に、お城に行く――というのは、駄目、ですか?」
「んー……城かぁ……」
部外者を連れ込むのはかなり難しいものがある。何と言っても要人が集合しているような場所なのだ。それに僕個人は、彼女は僕に危害を加えない、と信じているが、要人に危害を加えない、とは信じていないのだ。奇妙な話だが。
しかし……。
僕は考え込みながらちらりとユミの顔を見てみる。ユミはどこか期待したような眼差しで僕を見ている。この期待を裏切ってしまうのは些か申し訳ないな……。
「――ユミ、分かっているとは思うけど、城内で要人などに怪我は負わせないでくれよ」
「分かりました」
ユミは少し目を見開きながらも、嬉しそうに言葉を発する。どうやら、連れて行って貰えるとは思っていなかったらしい。
僕は自分のお人好し加減に苦笑しながら、寝台の下に収納してある空いた紙切れを取りだしてペンと共にユミに差し出した。
「一応、正式な名前を知っておきたい。まぁ、名字は森坂にしておいて、実の妹ってことにしておくから」
「はい、えと――」
ユミは少し悩むようにペンを受け取る。そしてちらりと僕の方を伺った。
「兄様の名前はどう書くんですか?」
「ん? ああ……」
僕は頷くと、ペンを返して貰ってその紙切れに文字を書き示す。『癒希人』と。
「こんな字」
「――素敵な、名前ですね」
ふふ、とユミはその字をなぞって笑ってみせる。その笑いはどこか投げやりに聞こえた気がしたが、すぐに少女はその下に名前を書き始めたので僕は黙ってそれを眺めた。
「『由美』か。美しい子にぴったりな名前だな」
「ふふ、お世辞を言っても何も出ませんよ。兄様」
由美はそう言いながらも嬉しそうにペンを丁寧に置くと、僕はその紙切れを取り上げて畳みながら言った。
「じゃあ、これで入城許可証を作っておくから」
「ありがとうございます」
由美はこくっと頭を揺らして僕を見上げて礼を言った。僕は笑いながら彼女の頭を撫でると、残った食事を掻き込んで立ち上がった。
「じゃあ、支度しておきな。すぐに登城だから」
「はい!」
城へ向かうとそこには愛莉が不機嫌そうな面で立っていた。
明らかにむすっとした態度に、由美の手を引いてきた僕は立ち止まってしまった。
「――! 癒希人おぉっ!」
が、すぐに彼女は僕に気付いて一拍で二十メートルほどの距離を詰めてきたのだ。
僕は思わず仰け反って片手で彼女の挙動を制す。が、彼女は構わずに噛みつくように叫んだ。
「癒希人! どういうことだ!?」
「どういうことかは……こっちの方が知りたいんですけど……」
僕は冷や汗を掻きつつ、どうどう、と片手で彼女を制止ながら言う。と、ほぼ同時に凛々しい彼女の目の下に刻まれた深い隈に気付いてその動きをぴたりと止めた。
「あ……もしかして、姫……」
「そうだ! 深夜遅くなっても眠らなかったんだぞ! お陰で私は一時間しか寝ておらん!」
「あ、一応、一時間寝たんだ……」
「貴様、いつもどうやって姫を寝かしつけているんだ! お前相手だと姫様はすぐ寝るクセに!」
「あー……悪い、愛莉、そう言えば言っていなかったか……」
僕は後退りしながら言うと、ひとまず落ち着け、と手で再度制止する動きをする。それにようやく彼女は肩で息をしながら落ち着きを取り戻し……そして、僕と手を繋いでいる由美に視線が向く。
「――癒希人、この子は……」
「妹だ。由美という」
僕は簡潔に答えると、由美はにこりと笑ってぺこりと頭を下げて見せた。
「由美です。兄がいつもお世話になっています」
「……癒希人」
先程の血気迫った様子はどこへやら。
すっかり落ち着き――否、目だけは血走った状態で僕をすっかり見つめる。
別の意味で恐ろしく感じた僕は再度後退る。が、彼女はずいずいと間を詰めながら爛々と目を輝かせる。
「この子、撫でても良いか……?」
何だろう、愛莉って猫好きじゃなくて可愛いものが好きなだけじゃ……。
僕はややげんなりしながら視線を由美に投げかける。が、由美は何故か僕の背中に隠れて少し怯えたようにふるふると首を振っていた。
「――悪い、愛莉」
「いや……こちらが不躾だった……しかし可愛い」
断られたことで少し落ち着いた様子の愛莉。普段の威厳を少しは取り戻していたが……まだ目が爛々と輝いて、その眼光を由美に注いでいた。
由美はわずかに怯えたような視線を……何故か、僕に注いだ。
え……? 何で……?
僕は微かな違和感を覚える、だがそれとほぼ同時に、愛莉が声を上げた。
「癒希人、それで……何故、妹君が?」
「ん、旅をしていたのだけど、たまたまここにいたので僕が家に招いただけだよ。定住するかどうかは彼女次第だけど」
僕は肩を竦めて言いながら視線で城を指し示すと、愛莉はその視線を追って、ははぁ、と頷いて見せた。
「この城を見ておきたいと。なるほど、ならば入城届を書かねばな。手配してこよう。ユミちゃんの漢字はどう書く?」
「理由の『由』に、美しいと書いて由美だ」
「分かった。すぐに作ろう」
愛莉は力強く一つ頷くと、その場で踵を返して城内へと駆けていった。全く、これほど頼もしいものはない。僕は苦笑しながら由美の手を引く。
「行こうか、由美」
「はいっ!」
先程の怯えた顔から一転、明るい顔で頷いてみせる。
愛莉はそんな怖い人じゃないんだけど……。僕は小首を傾げながら、駆けていった愛莉の後を追ってゆっくりと城の方へと歩んでいった。