第二話 素直じゃない護衛
「では、報告は以上になります」
「ご苦労じゃな」
若い女性の指揮官の報告に司会を務めている老いた将校は一つ頷いて答える。
その軍事会議の行われている場所は広い空間で円卓が置かれている空間だ。その周りに姫を始めとした重役達が集まっている。
そのうちのほとんどがやる気に満ちた目で会議に臨んでいる。その様子を藍姫の後ろで側近としての務めを果たすべく立っている僕はため息をついた。
「――ため息をつくな。馬鹿者」
隣に立つ姫の護衛である愛莉は軽く戒めるように言う。だが、彼女も少しげんなりしたような表情を浮かべていた。
なぜならば、そのやる気というのは大体検討がつく。
僕や愛莉と同じ、やる気が削がれているような様子の老いた将校が続けた。
「――では……共和国の侵攻について話し合う。すまぬが、森坂、草野……」
「はっ」
愛莉はそこで敬礼すると踵を返す。僕も頭を垂れると無言でそこを後にする。
ここからは護衛も口を挟ませぬ慎重な会議となるのだ。暗に退室を求められても仕方がない。
それが、戦争なのだから。
「戦争なんてイヤだなぁ……」
「不服を漏らすな。癒希人。男の癖に情けない」
給湯室で二人分のお茶を煎れながら僕がぼやくと、壁に寄りかかった鎧姿の女性はふんと鼻を鳴らす。黒髪がその腰まで伸び、その愛莉と似た凛とした視線と清楚で美しい顔は美少女というのに相応しいが、その纏う鎧とその腰に携えられた長剣がそれを打ち消している。
彼女の名は草野愛莉。藍姫の護衛だ。
「とはいえでも――はい」
「悪いな」
僕はお茶を煎れた湯飲みを愛莉に差し出すと、彼女は軽く頭を下げてそれを受け取った。少し口をつけて、ふぅ、とため息を漏らす。
「――まぁ、正直な話、私も戦争は嫌だがな」
「だろ?」
「勘違いするな。私は姫が本当は戦争を忌避しているから嫌だと言っている。なのにあの馬鹿共……」
愛莉は吐き捨てるようにして言いながらお茶を啜った。その表情は明らかに険しく、足は苛立っているかのように軽く踏みならされている。
彼女の指す馬鹿共というのは、あの軍事会議に参加している若い将校達だ。
僕らが暮らすユースフリット王国というのはただいま経済難であり、隣国にあるガヴァズ共和国へと攻め込む事でそれを解決しようと考えているのだ。
「血気走っているよなぁ……」
「そうだな。それは認めねばなるまい」
僕が愛莉の隣で寄りかかってお茶を飲むと、愛莉は小さくそれを肯定すると同時に足を踏みならすのを止めた。そしてちらりと僕を見る。
「姫は相変わらず本を読みふけているのか?」
「最近は専門書を読んで少し財政難に貢献しようとしているみたいだな」
「ほう、今日建議していた、その『にゅ~でい~る』政策、とやらか」
少し言いにくそうに愛莉はその言葉を発すると、お茶で口を湿らせて苦々しく言った。
「姫の言っていたことはよく分からなかった……どういうことだ? 癒希人」
「早い話が、この国のまだ開拓されていない場所を失業者を雇って開拓しようっていう政策。失業者対策にもなるし、開拓した場所は居住地にもなる」
「おお! それならば一石二鳥ではないか!」
目を輝かせる愛莉。だが、僕は苦笑いしながら続けた。
「だけど、開拓できる場所はこの国はもう少ないんだけどね」
「――何?」
「東も西も開拓しきっているし、北は海、南は帝国と共和国だ。だから、姫は海を埋め立てる事業を提案したんだ」
「だが……他はあまり賛同しなかったな」
「そりゃな。海を神聖視している連中も少なくないから」
僕は解説を終えると、お茶を飲み干して給湯台に近づいた。お茶のお代わりを注いでいると、愛莉の少し疲れたような声が背中に響いた。
「全く、面倒だな」
「ああ、面倒だ」
僕は賛同しながら振り返り、お茶、いるか? と訊ねた。愛莉は笑って湯飲みを差し出す。その笑顔は溌剌とした気持ちの良いものがあった。
僕は彼女の湯飲みにお茶を注ぎ入れると、それを返しながらまた彼女の隣に戻る。
愛莉はお茶を受け取って一口飲みながら軽く笑って言った。
「なぁ、今度、また買い物に付き合ってくれないか?」
「また荷物持ちか?」
「嫌なのか? この貧弱者が」
「嫌だなんて言っていないよ。愛莉との買い物は楽しいし」
「そ、そうか」
やたらしまらない顔で笑って頷く愛莉。僕は少し苦笑しながら訊ねる。
「次の休暇は?」
「明々後日、だな」
「分かった。その日に姫に頼んで休暇を入れて貰う」
「すまないな」
勝手に休暇を使わせることが心に痛んだのか、少し愛莉は申し訳なさそうに言いながらお茶を口元へと運ぶ。僕は湯飲みを弄びながら笑って言った。
「良いよ。久しぶりのデートだ」
「ぶっ」
何故か愛莉は盛大にお茶を噴き出した。そして僕を睨みつけると高速の正拳突きを放つ。それをひょいとかわしながら僕は笑いかけた。
「キレが悪いぞ。愛莉」
「でででで、デートなはずがあるまいっ! 何を馬鹿げた事を!」
真っ赤な顔でわたわたと慌てる強気な少女というのも可愛いものがある。どこかの異世界で『tun-dere』と言われていた用法か。
何となく納得しながら、僕は人差し指を一本上げて言う。
「休日が男女二人で街に繰り出す事を古今東西どういう?」
「――ゆ、遊戯だ」
「どこの人だよ……」
目を泳がせる愛莉の頭を撫でながら笑いかける。
「行くか。明々後日に」
「……う、うむ」
愛莉はもじもじと胸元で湯飲みを弄りながら、ちらりと上目遣いで僕を見上げて小さく頷く。それは気丈な女騎士の素顔を垣間見てしまったような気分だ。
鉄で覆われたガラスの宝石か。
僕は綺麗な黒髪の感触を楽しみながらそう思っていると、どこかから重い扉が押し開かれる音が聞こえてきた。
「行くか」
僕が彼女の手から湯飲みを取り上げて、自分のと一緒に給湯台に置いて声を掛ける。
「う、うむ……ゆ、癒希人!」
そのまま、給湯室を出ようとすると声を掛けられて、振り返るとそこではまだガラスの部分が剥き出しになっている少女のいじらしい顔があった。
上目遣いで、囁きかける。
「や、約束だぞ……?」
「も……もちろんだ。ちゃんと休暇申請しておいてやるから」
一瞬狼狽えてしまったのを押し隠すように僕は笑って言う。そして踵を返して軽く駆け足で城の廊下を駆けていく。
そうしないと自分の顔も真っ赤になってしまいそうだったから。