第05話 「Arcology」 ~ヒトの叡智と神の異物
「彼らは宇宙人なんだ」
環境自己完結型人工浮体都市・東京SeaSOLID建造計画。
通称、東京SeaSOLIDプロジェクト。
一般には単にアーコロジー計画とかTSAPとも呼ばれているこの計画は発表当初、世界中から”全くもってクレイジーなプラン”と酷評された。
喫水上の一辺が約三キロメートル、海抜高さは平均で千八百メートルという壮大さを思えば当然の反応だったのかもしれない。
最新の研究で底が見え始めた陸上の採掘資源と化石燃料。
老化遅行ナノマシンの台頭により、全く歯止めの効かなくなった人口の増加と食糧問題。
海洋国家にとって死活問題である、温暖化に拠る海面の水位上昇。
著しい砂漠化と、オゾン層の減退に拠る有害な太陽線量の増加。
少なくなった資源を求めて立て続けに各地で起こる紛争と、それに伴う難民問題。
地球が抱える問題は両手の指どころか足まで使っても数えきれない所まで悪化の一途を辿っていた。
『出来る事をやってみようじゃないか』
きっかけは若手政治家の一声と、彼が国会に引っ張り出してきた半世紀以上前の劣化した資料『ハイパービルディング建築計画』
高さ千メートル以上の超々高層建築物を作ろうとしていた過去の記録だった。
ハイパービルディングやアーコロジー構想自体は別段突飛なものではない。
半世紀以上も前、”バブル期”と呼ばれた経済絶頂期には、研究者や幾つかの企業体によって既に提唱されていた物だ。
だが、その途方も無い大きさや膨大な建造費が現実的ではないと判断され、バブルの終わりとともに歴史の彼方に忘れ去られていた。
それが再び脚光を浴びたのは、財源に大きな余裕ができた事に加え、当時のそれを遥かに凌ぐ高性能材料や新素材が次々と開発され技術的な目処が立ったからに他ならない。
マスメディアを上手く使う若手政治家の戦略が功を奏して世論動くと、与野党揃って乗り気なり、ますます盛り上がる大勢に後押しされる形で一気に計画は現実味を帯びていった。
2055年当時、豊富なメタン資源と、世界屈指の海底レアアースの産出の成功を元手に、一躍経済大国に、そして技術立国としても返り咲いた日本。
その日本が世界の抱える問題を少しでも解決する為、アメリカ、台湾、インドの三政府協力の下、ドイツ、オーストリアなどの一部企業も参画してスタートした近年類を見ない世界プロジェクト。それが東京SeaSOLID計画だった。
もっとも、真っ先に協力を打診してきた台湾以外の参画国は、日本の独走を恐れた様子見参加と言うところが本音であり、出資も微々たる額で計画の中枢にも参加していない。
高度テクノロジーを保有し、仕事に手を抜くことを嫌がる民族が、自由に使える豊富な財源を手に入れて本気を出した時。
新興ロボティクスメーカーはSeaSOLID建造の為に、二足歩行建機[トレイルローバー]を開発し。
大学の研究室を取り纏める機関からは新素材の有用な実験データがぞくぞくと公開、提出され。
民間企業は更なる協力企業の誘致にと走り回りながら、ローバーの搭乗員育成施設に出資。
国防自衛軍の技術研究本部は可能な限り、ぎりぎりのラインまで応用の効く先端技術を公開。
JRは日本が誇る最先端の超電導車両のノウハウを惜しみなく提供した。
世界の在野に散っていた優秀な科学者達は大慌てで日本に帰国する航空券を手配し。
技術立国を下支えしていた中小、町工場の熟練技術者も国を上げての大仕事に鼻息も荒くオイルに塗れた袖を捲った。
クレイジーだ、と嘲笑すら浴びていたSeaSOLID建造は大きく――完成竣工式の時期を前倒す程――加速した。
こうして完成が間近に迫った今、SeaSOLIDがメディアの話題に昇らない日は存在せず、少しでも新たな情報が開示される度に世界の人々を魅了している。
着工した当時は近隣諸国や、特定の海洋生物だけを保護する団体がクレーン船に放火したり、トレイルローバーを奪おうと画策して逮捕されたり、物資輸送船の破壊にチャレンジしてみたりと過激なテロを乱発されたが、逆にそれが自衛軍の常駐を認める決議を早めた結果になったのは彼らにとってみればひたすら皮肉だろう。
その後、彼らの母国がじわじわと、しかし着実に海面上昇の被害を受け始めると、「水位が上がったのはあんな大きな物を海に浮かべたからだ。責任を取れ。取らなければ無情なる鉄槌が……(以下略)」と、固有技術と建造の資金の両面において援助を申し込んできたのは今でも世界中の笑い草だ。
様々な紆余曲折を経て供出される多くのデータは、地球人類の存続に一筋の希望を齎し、その恩恵は、パナマ・スエズ両運河、宇宙ステーション、赤道上に建設途中の軌道エレベーターに並ぶとまで言わている。
一つの都市として恒久的な利用を前提に作られたSeaSOLIDは、バイオマス、波力、太陽光、核融合と複数に及ぶエネルギー供給系統を持ち、海底資源だけでなく、海水中に溶け込んでいるリチウム、チタン、ウラン、マグネシウムなどの様々な元素を抽出、精製可能で、トライブリッド型と呼ばれる新種の藻類は僅かな餌と光源さえ与えれば効率良く油脂を生み出し続ける。
生ゴミや植物、下水と言った、あらゆる廃棄物は高レベルアークで焼却、蒸留される事で再利用できる状態に分別される。
水と二酸化炭素は農産物を生産するプラントで利用され、カリウム、ナトリウム、硝酸塩等も肥料としてリサイクルされ、鉄やアルミ、ニッケルやシリコン等を含む鉱物類も同じく化学精製して再利用し、工業資材等へと生まれ変わる。再利用できない有機物は0.005パーセント以下だ。
精強な海上自衛軍のスペシャルフォース、特殊警備隊が常駐し、頂点部分には、AMI3ナノマシン散布装置[アマノイワタテ]が設置されており、直近で起爆しない限り核戦争が勃発してもSeaSOLIDにはどこ吹く風だろう。
それらと連動するのが、日本のお家芸とも言えるロボット工学によって高度にオートメーション化された多種多様な生産プラントだ。
四十万以上の人口を支えるポテンシャルを持つそれらは、その稼働からメンテナンスまで人工知能プログラムにより管理運営され、[人工知性体アマテラス]により統括されるので、人間が行なう業務は最小限で事足りる。
海水の組成が著しく変化してしまう、あるいは海底資源がすべて枯渇してしまうか。
そのぐらいの異変でも起こらない限り運用に支障は出ないが、そもそも海水は常に対流している物であり、SeaSOLIDは浅い大陸棚でも航行に支障が出ないよう、稼働フロートにより高さを上下する機構まで持つ、自力航行が可能な人工島なのだ。故にそれらは現実的には問題に為らない。
人類が初めて到達した領域のピラミッド型建造物は、海水から精製したマグネシウムを利用した白銀の新素材、ネオマグネシウム合金をメインの建築材料として構成されている。
前面に張られている鉄紺色のソーラーパネルの間から、白く輝く長大なトラス状骨格が見え隠れしており、そのコントラストは一種の機能美を醸し出しており、筆舌に尽くしがたい程美しく、埋立地が増えて相当狭くなってしまった東京湾で圧倒的な威容を静かに放っている。
これからの運命を待ち構えるかの如く。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
大きく三層に分かれているSeaSOLIDの中層、住居区域に位置するサブコントロール。
何らかの事故で上層の行政区域が使用不能に陥った時に備えて数カ所に用意されている中枢制御室の一つ。
そこには先日の顔ぶれ、帰還者達と調律者達が揃っている。
白色とヘアライン仕上げの金属部材で構成される、バスケットコート一面ほどの無機質な室内はがらんとし、一番大きな長方形の壁はモニターとして外部カメラの夜景を映しだしている。
中央には十数人が座っても余裕がある大きなミーティングテーブルが置かれ、黒光りする鏡面卓には現在の発電効率、周辺の海上状況などが立体映像で浮かび上がっているが、その場の誰もがそんなものは見ていない。
「完成です、御一つずつどうぞ」
壮一郎の前に浮かぶ、赤い結晶のような輝きを持つ十の指輪。
ヒルメギヌスから供給されたマナを用いて壮一郎が[誓約]で創りあげた、言わば契約書だ。
一時間ほど掛けて、互いの条件を擦り合わせた内容を盛り込んだ指輪は、琉華の手で全員に一つずつ配られる。
晶たち帰還者は適当な指にそれを填め、調律者達は手に載せられた途端、手のひらの内部に取り込んでゆく。
「呪物の一種だというに美しいものですね。……さぁこれで誓約はなりました。ソウイチロウ、貴方の荷物は上から三つ目の空き地に入れておきました。それと転移が完全に完了するには十数分は掛かるでしょう」
「助かります。しかし転移にそれほど掛かるのですか?」
「ええ。あなた達とこの|建物だけでしたらそれほど時間は掛かりませんけど、この中で生かされている生物も含めてですから」
生命体の界渡り、世界間の転移という現象を起こすには調律者を持ってしても些か燃費が悪いらしい。
現在のSeaSOLIDには人払いの術が掛けられているが、その名の通りあくまで人間が対象だ。
下層の畜産プラント等には膨大な数の家畜達が飼育されている上に、製薬やバイオ技術関連企業が持ち込んでいる植物サンプルや種子、何より藻槽プラントのプールに漂う微生物だけでも天文学的……いや、もはや計測不能だろう。
「皆さんでお喋りでもして親睦を深めていればあっという間ですよ」
「分かりました。ご配慮感謝します」
「良いのです、あなた方に頑張って貰う為です」
「ありがとうございます。それでは……」
「ええ、いってらしゃい」
あっさりとした挨拶の後、晶達を囲む五人の調律者からマナの奔流が始まる。
なにが楽しいのか、薄ら笑いを浮かべているイシュに、どこか釈然としない五人だが、考えているうちに晶、光希、大和、壮一郎、琉華の五人の体が、続いて周りの壁に床、建物自体も淡く発光し始める。
「あぁそうだわ。伝え忘れる所でした。このフネを操る、あなた達が創造した仮初の命、アマテラス、だったかしら。あれに私が直々に魂を吹き込んでおきました。お礼なんて要りませんから、皆さん仲良くしてあげて下さいね……」
「「「「「やりやがったああああ!」」」」」
綺麗に揃った五人の声は、届くこと無く虚空に消えた。




