生前善行の思わぬ作用について
三つの可能性の中で俺として望ましいのは、即座に転生するグループとやらだ。
と言うのも、他の二グループには余り気乗りしない要因がちらほらあったからだった。
地獄は、まず啓発セミナーという点で腰が引ける。
更には『専門の担当が付き、人生をビデオで振り返る』などとおっしゃられる。
自分の人生を、他人と、ビデオで、振り返る?
それは酷い罰ゲームだ。プライバシーもくそも無い。観光名所でもカバーしきれない大きな痛手を負う事請け合いである。
何せ、血眼になって善行を積むチャンスを求めた自分の人生。あの必死さは思い出したくもなければ人に見られたくも無かった。
天国。これは悪くない。リゾート地での休暇などした事も無いし、憧れはある。
しかしそれは、御褒美人生でも成し得る事ではないか?
そう考えると 天国最大のメリットは下界に関われる事で、俺はそこに魅力を感じ無いのだ。
家族や友人は心配だが、彼らも大人だ。俺の死を乗り越えるだろうし、余計な事をしたくもない。
恋人は、むしろ彼女の人生を見るのが怖かった。
今後の人生で彼女が前に進むのを、俺の居ない人生が当たり前になるのを、俺以外の誰かと道を歩むのを、見たくは無い。
それは酷く利己的な、或いは身勝手な考えかもしれないが、偽らざる本音だった。
もう触れ合う事も、語り合う事も、愛し合う事もできないなら、関わらない。
となると、消去法として御褒美人生が残る事となる。
御褒美人生。積み重ねた善行が、様々な特典になる転生道。
どの国に産まれるかが大きなポイントだとは思うが、御褒美というくらいだから悪くない場所にいけるんじゃなかろうか。
仮に日本だとしても記憶が無ければ知人と関わる事があっても変に気に病む必要は無い。
「ん……?」
そこで俺は思い至る。当たり前のように心中に浮かんだ言葉。
記憶は消されるのか?
産まれ変わると言う事は、普通に考えたらそうだ。前世の記憶なんて必要無い。むしろ有害にさえなりえる気がする。
となれば記憶は消えるだろうし、俺という人格もリセットされる事になるのでは?
冷や汗が吹き出た。
いや、死んだ身なので汗はかかないのだが、冷や汗が吹き出たように感じた。
自分が自分じゃなくなる、或いは自分が消失する可能性。それはとんでも無く恐ろしい事じゃないのだろうか。
どっちにしろ『全てのグループが生まれ変わる』。
しかし、心の準備をすると思えば、天国か地獄の方がマシに思えてきた。
「ーー鳥羽様。鳥羽 秋人様」
呼び声で、我に返る。
気付けば目の前で職員らしき鬼が巨躯を折り曲げて、こちらを覗きこんでいた。
「何か御座いましたでしょうか?」
「いえ」
かぶりを振れば、職員さんはニッコリと笑みを浮かべた。
問題が無くて安心しましたと、その笑顔には書いてある。主任もだが、お役所な雰囲気からは想像できない対応だ。職員教育の偉大さを感じる。
「鳥羽様は即座転生のグループで御座います。右手奥にあります転生課窓口にて受付をおすまし下さい。窓口番号は八番から十一番です」
ピキ、と身体が硬直する。よりにもよって。
「即座転生、ですか」
ここまではっきりと自身の顔が引きつるのを感じたのは、産まれて初めてかもしれない。
訂正、自意識が芽生えてから初めてかもしれない。
自然と声音も固くなる。
「鳥羽様……? やはり何か御座いましたのでしょうか……?」
「はは……いえ。あの、二つ程お尋ねしても?」
「はい。なんなりと」
不思議そうに顔をかしげる鬼職員。その体躯と強面と性別の壁さえ無ければ素晴らしい仕草であったかもしれないが、多くのファクターと、何よりこちらの心情的に癒しをもたらすものでは無い。
「……生まれ変わる時って、今の記憶は消えるんですか?」
「そうですね。記憶は消去されます。余計な情報は却って新たな人生を阻害する事がありますので」
即答。
予想はついていたとは言え、確認のために放ったジャブが、まさかのフルスイングカウンターで迎撃された様な居た堪れなさ。
「そ、そうですか」
ヤバイ。即座転生とか。記憶の消去とか。心の準備なんてできようはずもない。
心無しか半透明の身体から更に色が抜け落ちてる気もするが、こうなったら足掻けるだけ足掻こう。
伏せていた顔を上げて、口を開いた。やはり鬼に萌えは無い。
「即座転生って記憶の引き継ぎってできます?」
あくまで案内係っぽいこの方。専門の担当じゃなきゃ分からないとかあるかもしれないが、聞くだけならタダだ。
「は……? え、と、記憶の引き継ぎ……ですか?」
何故か凄くポカンとされる。鬼の惚けた顔は先程の仕草よりよっぽど愛嬌があった。
「はい。記憶の引き継ぎ。転生後も自分でいたいんです。何て言うか、別人になるって想像がつかなくて、怖いんですよね。自分が消えるみたいで」
「はあ、怖い、ですか……」
そりゃ怖ええよ!
何言ってんだよ!
と、言葉にならない叫びをあげてみるが、案内係は相変わらずの惚け顔のままだ。
「できないんですか? 記憶の引き継ぎ」
「いえ、できます。選択し得る特典の一つとして可能です」
「本当ですか!?」
やたらと鳩に豆鉄砲だった為に不安だったが、大丈夫なら良かった。
ホッと胸を撫で下ろす。
それと同時に、眼前の職員さんも、ようやく微笑みを取り繕うだけの余裕が戻ってきたらしい。
「失礼しました。初めての御質問でしたので、些か驚きまして」
「初めて、ですか。割とありそうな不安だと思うんですけど。
……そう言えば誰も同じような事では騒いでませんね」
余裕も生まれ、冷静になってみると違和感があった。
地獄に怯えたり、他のグループの利点を気にしたりとする割には、誰もいつか来る自我の消去を恐れていない。
「それが『普通』だからですよ、鳥羽様」
語りかけるようにゆっくりと、案内係の鬼は言う。
「皆様が死を簡単に受け入れた様に、記憶の消失も当然の如く受け入れ得る事なんです。この場所に来る方々というのは、自然とそうなる筈なんです」
「普通、ですか」
じゃあ俺は何なんだと、疑問と不満が顔に出ていたらしく、苦笑気味にかぶりを振られた。
分からない、もしくは他意は無いと言いたいのかもしれない。
何となく、その両方だという気がした。
「本来なら、現世への未練を断ち切れた魂魄だけが立ち入れる場所です。
もし鳥羽様がそうで無いのだとしたら……そうですね。それでもここに来れる程の徳行を成したという事かもしれません。
あくまで、推察ですが」
「そうですか……。色々とありがとうございました」
「いえ。それでは良き来世を。ご多幸お祈り申し上げます」
会釈を一つ、受け付けへと向かう。
徳行とやらには心当たりがある。
一日百善。虐待に限りなく近い家訓のお陰で、死後の俺の足取りは軽かった。