夜明けと予期せぬ展開について
結局、備蓄の倍には若干届かなかった霊血だったが、村人を動員する事で、策に則った準備をする事はできた。
「小僧、対人用の罠だがな」
ほとんど不眠不休で過ごした二日間。夜の暗さも冷たさも、既にいくらか緩和され出していた。
山際に顔を覗かせる太陽を背に、アロイスさんが俺に問いかける。
「何ですか?」
「腰までの落とし穴が二つ、特大のトラバサミが三つ、偽装した足掛け紐が七つ。それぞれ近場に霊血入りの小壺を隠してある。場所は示し合わせた通りにな」
「分かりました。ありがとうございます」
「随分と落ち着いているではないか」
「……不安ですけど、ここまで来たらやるしかないですから」
「ふん? つまらん餓鬼だ」
舌打ちまじりの言葉に苦笑する。
不安だが、今更だと思うのは事実だ。やるべき事があるだけマシとも言える。他の大人達も同じような気持ちじゃないだろうか。
この数日間、一切の不安も怯えも見せなかったのは、この老人くらいのものだ。
「……アニエスは?」
「寝てますよ。大人たちと混じらせるのは流石に、と思いまして」
寝不足で眼を真っ赤にした少女を思い浮かべる。かなり不満気だったが、今頃は良く寝ているだろう。
「ならば、今の内に渡しておきたい物がある」
「……何ですか?」
良く見れば、薄暗い中で、アロイス村長が何かを持っている事に気付いた。
「ジルトールの剣だ。お前が持っていろ」
「ジルトールさんの」
差し出された剣を持つ老いた手は、その重さか、或いは謂れのためか小刻みに震えていた。
無骨な剣である。意匠が凝っているわけでも、艶やかな色彩を持っているわけでも無いだろう。
暗闇の中、鞘に収まったその直剣を受け取る。
「……重い。けど持てない程では無いです」
抜き放てば、刃渡り七十センチ程の両刃が姿を見せた。受けた印象は重厚、その一言に尽きる。
剣種など知りはしないが、西洋剣は叩き斬るための武器だとは聞いた事がある。それも納得の存在感だ。
「儂など碌に振れもせんが、男衆で手入れは欠かさずしてきた。アニエスが見つけ、策を示したお前が持つべきだろう」
「……俺もまともに使えはしませんけど」
「それでもだ。事が終わるまでは小僧が持っていろ」
「使う機会が無いのを祈るばかりですよ」
使うのは、あらゆる目論見が外れた時だろう。そうならない事を願うしかなかった。
夜がその姿を隠し、日が世界の取り分を誇った頃、その集団は現れた。
幾らか薄汚れてはいるが、充分使用に耐えるだろう武装。武器のほとんどは槍などの長柄物で、中には弓や鈍器を持った物も見える。
ーー野盗。
村の入り口を塞ぐ様に陣取る集団に対し、俺達は十の荷台を挟んで相対した。
男衆を中心に八十人。女、子どものほとんどは更に後方で待機している。
「御機嫌よう、我等の家畜共」
野盗の最前列。一際大きな体躯を誇る男が、嘲りを浮かべて言い放つ。
「己を喰らわれん様に、ちゃんと約束の物は用意したのかな、ん?」
芝居がかったその声は、外見から予想されるよりずっと細い。
アロイス村長と並んで男衆の前に立たされる俺は、その声音の裏にある下卑た感情を否応無しに感じる事ができた。
そして、同時に懸念材料も。
ーー予想より多いんじゃないか……。
野盗の集団を数えてみるが、明らかに四十人を超えている。五十数人。
これで計画を実行できるのか甚だ疑わしい。
「しかと、揃えております。どうぞ持ち下さい。
ですので、どうか村の者には」
俺に対する皮肉屋でもなく、アニエスに接する好々爺でもなく、へりくだった気弱な凡俗よろしく、手を揉む老人。
この人、とんでもない演技派だ。
「結構。大いに結構。しかし、荷台が赤いのは何でかね、ん?」
「ご利用に耐えますよう、霊血を塗ってあります」
「……何だと?」
霊血。その一言に野盗共の雰囲気が一変する。中心であろう細い声の男は耳を疑うような顔をしていた。
霊血は加工の難しさから流通量に限りがあり、自ずと取り引き価格が高くなるのだ。
「長く遊学していた者が戻り、加工の術を手にしました。荷台の塗装は、今後とも良いお付き合いをして行きたいと、我々なりの誠意で御座いまして」
「……それは誰だ?」
言葉を受け、村長が俺に視線を向ける。
「その坊主が?」
「はい」
「坊主、名前は? どうやって霊血を加工した?」
「……アキトと申します。師事していた方から魔導具を譲り受け、村の特産にと」
魔導具。魔法の利用をより効果的にせんと生み出された『魔法の効果を持つ道具』。
簡易な魔導具はまだしも、霊血を溶かす様な物ならば、相応の魔法的素養を持った者にしか扱えないだろうと、アロイスさんからは言われていた。
「魔導具、ねぇ」
鋭い視線だった。
何度も戦場に立ち、何人もの命を奪ってきたであろう男の眼光。気圧されそうになる自分を奮い立たせて、眼を合わせる。
「嘘じゃあねえだろうな?」
「とんでも御座いません。私も命は惜しいので」
恭しく頭を下げれば、堪えきれないと言った様な吹き出し声が頭上へと降り注ぐ。
「……く、かはは! かははははははっ! 良いぜ! 運が回ってきやがった、なぁ!?」
伝播する高笑い。野盗達からは、喜色を匂わせる笑い声だけが放たれている。
「坊主! 作れるだけ作れ! 良いな!?」
「それはもう。村の者の安全を約束して頂ければ」
「かははっ! 約束してやるよ、お前らが霊血を寄越し続ければな!」
「畏まりました」
ニヤニヤと満足気に頷いて、野盗の頭は顎をしゃくった。
「荷台を引け野郎共……また近い内に来るぜ、坊主。精々頑張ってくれや」
「はい」
間に合った。
事の進行を村長と任されていたが、どうにか間に合ったと確信する。
アロイス村長を見れば、小さく頷いた。人数は予想より多いが、決行すると言う事だろう。
ーーふ、ん!
ーー重ぇ、ぞ!
ーー何か濡れてねえか?
荷台の持ち手を掴んだ盗賊達が、その重さに悪戦苦闘している。
当然だ。大変な重量がある上に、その車輪は一見すると分からないが、窪みに嵌められている。四人で引いてどうにか、という所だろう。
「……荷台の後ろにも押し棒がありますので、お使い下さい」
「どうも載せ過ぎたようですな。申し訳御座いません」
俺達の言葉に、何人かの盗賊が荷台の背後へ回るのが見えた。
ーーぐっ。
ーー重過ぎんぞ!
ーー家畜共にもやらせろ!
拍子抜けする程、うまく行き過ぎていた。接着剤は物にも依るが、押し付ける程に接着は早くなる事は多い。霊血も同じで、既に野盗の内、二十人以上は両手を固定された事だろう。
「ーーんだこりゃ!? 手が離れねぇぞっ!?」
一人が気付けば全員が気付く。騒ぎはあっという間に大きくなった。
「……どういう事だ、坊主?」
細い声で、そう問いながら、右手が腰の剣へと伸びていた。近づいて来る。
ここからが本番だ。
「……皆様の手をみせて頂いても? 恐らくですが、霊血が日光で柔らかくなっていた可能性が」
「日の光でか、ん?」
「ですから、見せて頂きたいんです。どちらにしろ、霊血なら魔導具を持って来なければ……」
「……見る前に持って来い。おい! 何人かこいつに着いてけ!」
「待って下さい。魔導具はかなり大きい。私一人では無理です。村の者にも手伝って貰わないと」
舌打ちが響いた。流石に不安感や疑惑はあるだろう。しかし確信が無ければ、まだ手は出せない筈だ。
俺を殺せば魔導具は使えず、村人を害するには幾らかの距離がある。
「ーー坊主は残って野郎共の手を見て確認しとけ! 爺、てめえが家畜共と魔導具を持って来い! 五、六人着いてけ!」
「分かりました……皆様を頼むぞ」
「はい、村長」
深く頷き合って、村長は男衆を十人ばかり引き連れて行った。
上手く行くだろうか。心配はあるが、俺は俺で失敗するわけにはいかない。
「それでは、見させて頂きますね」
荷台へと歩を進め、見て回る振りをして観察する。じっくり時間を掛けて、しかし不自然にならないよう。
荷台に接着された野盗は二十七人。これは無力化している。
アロイスさんに着いて行ったのが六人。上手く罠に嵌めれば、これも封じられるだろう。
二十人。それが残りの野盗。
「……やはり霊血でくっ付いてます」
緊張から、俺の顔は強張っているだろう。だが、それも都合が良い。怯える村人を装える筈だと、前向きに捉えられる。
「さっさとこいつらを解放しろ」
近付いてくる野盗の頭。それを支える様に、後ろから残った野盗達も歩いてくる。
一歩。
二歩。
三歩。
埋まる距離を測りながら、村長達の合図を待つ。
まだか。もし失敗していたら、荷台を障害物にして村内に逃げ込む必要があった。距離を誤らない事、時間を稼ぐ事。それが俺の使命なのだ。
心臓の音が耳に痛い。
「……はい。魔導具が届きさえーー」
瞬間、甲高い笛の音が響いた。距離は……いける!
「ーーすればっ!」
荷台に置いてあった霊血入りの壺を、野盗達に向かって投げつけると、一目散に村へと駆け出した。
後ろから陶器の割れる音と複数の呻き声が聞こえる。
「糞がっ! 追えっ!」
怒号と足音。荷台との位置関係から矢は無いと思うが、それでも腰を低くして走る。
目指すは男衆の方向。彼等は既に近くの家屋の陰に分散して、小壺に分けた霊血や、脚を掛ける紐や棒を準備している事だろう。
行ける。走れ、走れ俺。
「待て糞餓鬼があっ! 野郎共っ皆殺しにするぞっ!」
足を止めずに振り返る。奴等は武装した分だけ足は遅い。計算通りだ。
はっきりとは分からないが、二、三人は減っているかもしれない。だとしたら残りは十七、八人。
「アキト急げ!」
ブノワさんの叫び声。それを右手に聞いて、家屋の間を通り抜ける。
二、三秒後。俺に続かんとした野盗達は、しかしそれを許され無かった。
「ぐっ!?」
「うぉ!」
男衆達が持ち上げた縄に脚を奪われ、何人かが倒れこむ。そこに投げかけられる霊血。
「よしっ!俺たちも引くぞ!」
ブノワさんの号令で、縄を手放した男達が村の奥へと走り始めた。
「糞がぁぁぁああっ!!!」
このまま怒りに我を忘れてくれたら楽だ。危険はあるし、もう霊血は殆ど無いはずだが、敵は十人とちょっとだ。深く誘い込んでしまえばどうにかなる。
「野郎共っ!!! 一度止まれ!!! 奴等を素人だと思うなよっ!!!」
「ちっ」
聞こえてきた敵の判断は、意外に冷静さを感じさせるものだった。
「……撤退されないだけましか」
ここで仲間を捨ててまで逃げられたら、後々の復讐が怖い。こっちは素人で、それを侮ったのを逆手に取っただけなのだ。二度と同じ手は通用しないだろう。
しかしそんな俺の考えは、
「火だっ!!! 村を焼き払うぞっ!!!」
予想外の言葉によって覆されたのだった。