希望的観測と砂時計について
感光性樹脂と言われる物がある。光を浴びる事で性質や状態を変化させる物で、地球では古来より様々な事に使われて来た。
その一つとして、接着剤という用途がある。
「どういう事ですか?」
「つまりさ、光を浴びると柔らかくなって、冷やしたり空気に触れさせると固まるんだ。これを上手く使えば、盗賊を無力化できるかもしれない」
光線によって穿たれた樹木。そこに付着していた粘体化した物をアニエスのハンカチに取り、俺たちは村へと急いでいた。
あの後何回か他の樹でも試したが、光線を使って穿つと、どれも粘度の高い樹脂を採取できた。
勿論、この樹脂が感光性とは限らない。光線の熱量がどの位のものか分からない身としては、単純に熱で溶けたと考える事もできるからだ。
しかし今はどちらでも良かった。
それにしても、凝固するのが早い。拭い採った時よりも、今の方が固くなっている。感触はグミに近い。
固体化した樹脂が石かと思う程固かった事を思うと、高い接着能力を持っていると予想できる。
好都合だ。
天然樹脂は、凝固に時間がかかるものというイメージがあったし、人工樹脂と比べて接着能力に劣る事が多いと思っていたが、ここはやはり、地球では無い世界なのだ。
「何かを貼り付けるのに使ったりはしない?」
「ちょっと分からないです。ブノワさんなら知ってるかも」
「じゃあ何かをくっつける時って、いつもはどうしてる?」
「余りそういう事自体が無いですけど、お米を捏ねて、それを使ったりは」
「澱粉糊か。成る程ね」
確かに、西欧風な雰囲気の割に、主食は米だった。この村の様な辺境なら、接着剤は澱粉糊だけで事足りるのかもしれない。
数日の農作業のおかげか、或いは興奮や焦燥のおかげか。いくらかの疲労と息切れはあったものの、村まで走り抜く事ができた。
「アニエスは村長を呼んで来てくれ。俺はブノワさんに詳しい事を聞きたい」
「分かりました!」
駆け去る少女と別れて、俺は目的の家へと向かう。幸いな事に、家屋の主は在宅だったらしい。
叩かれた扉を開けて、熊の様なブノワさんが顔を出した。
「はいよ……アキト殿か。何の用だ?」
「これ、何だか分かりますか?」
その眼前に、ハンカチに乗った樹脂を差し出す。更に固さを増したそれは、既に触れば石より少し柔らかいくらいの硬度があると、その感触を指に伝えていた。
「あん?」
怪訝そうに樹脂を眺めるブノワさん。それに指を伸ばし、驚きに表情を変えるのは一瞬の事だった。
「……これをどうやって柔らかくした? 高温で熱するか、長い時間日に当てるしか、そうする術は無いはずだぞ」
「方法は後にして下さい。聞きたい事が三つあります。
これは何かを貼り付けるのに有用ですか ? 柔らかくした状態で保存する方法はありますか? それから収穫までにどれだけの量が揃えられますか?」
まくし立てる俺に気圧されてか。僅かに仰け反る中年の男は、しかし確かに頷いた。
「……金属同士を貼り付けるのに使う事があるらしい。保存方法は……ある。陶器に入れて、糊を塗った布で蓋をすると固くならないと聞いた。量については……何とも言えんが。幾らかは村に備蓄があるはずだ」
「どのくらい?」
「それは村長にーー」
「ーー大人の男で一抱えの壺。それで十壺分はあるな。あくまで固まった状態でだが」
背後から掛けられた答えに振り向けば、村の束である老人が、アニエスを傍らに近づいて来ていた。
「良い策が浮かんだか、小僧」
いつもと変わらぬ皮肉気な声で、アロイス村長は言う。
「まだ分かりません。けど可能性があるのは確かです」
「……そうか」
「何の話しですか、村長」
「黙っていろ、ブノワ。それで小僧よ、何か必要な物は?」
「量が足りません。壺で……二十壺分はせめて。それを明日迄には。
それと、柔らかいまま保存できるように、器と糊貼りされた布も」
「なっ」
俺の言葉にブノワさんが絶句する。アロイス村長は眼を細め、アニエスはついて行けないのか、不安そうに成り行きを見ていた。
「備蓄の倍か。難しいな」
「それでも必要です。多分、最低限でそれだけ」
「ふむ……。ブノワ、男衆を半分、嫁を連れさせて集めて来い。
もう半分は……アニエスや、壺と布の準備をさせておくれ。ちゃんと糊を塗るようにな」
「はい。分かりました!」
「ブノワが集めて戻って来たら作業を交代させよう。場所は、儂の家を使いなさい。小僧には説明をして貰う……ブノワ、早く行け」
「……分かりましたよ」
「行って来ますね!」
指示を終えたのか、アロイス村長が俺に着いて来いと顎をしゃくった。
「予想が当たっているならば、実に単純な策のようだが」
「……否定はしません」
歩きながら、俺は頷く。
確かに単純な策だ。しかも、時間が足りるかも分からない。何もしないよりはましだが、不確定要素も多かった。
「どうにかして液状化する。それは小僧がやるのだな?」
「はい。高温で熱すればとブノワさんは言ってましたけど、その設備は村にありませんよね?」
「無いな。霊血を溶かせる場所は国内でも限られておる。日に当てるだけでは多少柔らかくなる程度。それでも相当な時間がいる」
「霊血?」
「それの名だ。精霊が樹々に姿を変えたと言う伝説があるのでな。その赤い樹液は、精霊の血だそうだ。溶かし、加工する事で様々な用途に用いられる」
「村の特産品ですか」
俺の言葉を嘲るように、村長は鼻で笑った。
「霊血樹はあちこちにある。売った所で二束三文。加工してこそ価値が出る物だ。こんな場所には出回る事もないから、村でも知らん者の方が多いだろうが。
……それで、策とは?」
「はい」
村の外れ。柵に並んで腰掛けると、俺は頭の中を整理する。
どんな穴があるか。足りない物は無いか。可能か不可能か。穴は多過ぎて、その全てを拾い上げる事はできそうも無い。
「御指摘通り単純な策です。足場に撒くか、直接振りかけるかして、野盗の自由を奪います。しかし、それを実行する為には情報が足りない」
「ふむ?」
「野盗が何人くらい村に来るのか。奪った物を、どう運ぶのかを知りたいんです」
「……野盗が全員で来るとは思わん。塒に何人かは残すだろう。それでも村民の数を思えば四十人は来ようよ。
物は村から奪った荷台に載せて運ぶ。儂らは荷台に食糧を積み、奴等に引き渡す事になっとる」
「……荷台ですか」
荷駄でなく荷台という事は、馬や牛のような動物を賊は持っていないのだろう。人が引っ張るのなら、何人かの動きを封じるのは容易くなる。
村民に引かせないのは、恐らくだが塒を知られないため。
「荷台は全部でいくつになりますか?」
「十台。一台につき二人が着くだろう」
ならば二十人の動きを奪える事になる。同じ事をこの老人も考えているようだった。
「あと半数か」
「はい。最初に荷台を固定しておけば、もう何人かはいける可能性も」
「確かにな。だが、残りはどうする?」
「希望的観測ですが、この時点で残りは十五人。対人用の罠と合わせて霊血を使い、十人まで減らせれば……。
流石に二百人の村人を相手に戦えはしないでしょうし、囲い込めれば降伏もあり得るんじゃないでしょうか」
「ふ、む……」
顎に手をやるアロイス村長は、俺の考えをどう思うのか。
穴は多い。失敗すれば、その時点でアウト。賭けの要素は間違いなく大きい。
「……失敗した時。この場合は最初に半数を戦闘不能に追い込めなかったらですが」
「……霊血を塗る事で、木材をより丈夫に、より腐らせにくくする事ができる。それを言い訳にするしか無いな」
「大丈夫でしょうか?」
「気にするな。奴等も、霊血を溶かす術がある村と知れば、却って手を出せまい。何人かは犠牲になるかもしれんが、作物を差し出せばどちらにしろ人は死ぬ。割り切れ」
強い口調だった。他人を従わせ、導いた事のある人間だけが持つ声色だった。
豊富な経験と、苦い思いを乗り越えてきた人間だけが放てる重みがあった。
「問題は時間か」
「……はい」
「間に合わせるしかあるまいな」
時間。刻々と迫り来る審判の時を、俺達は人事を尽くして迎えられるのだろうか。