駆け回る姿と焦燥について
翌日から、俺は村を駆け回った。
朝起きて農業の手伝いをし、それが終われば、僅かでも情報を求めて動く。
アロイスさんは歳もあってか、管理している農耕地は小さく、一日の大半を自由に使う事ができる。
口の悪い老人が手を回してくれたようで、大人達ももう俺に何かを教えるのを渋る事も無かった。
「罠は大した数も無く、武器になりそうなのは農具と狩猟用の弓が幾つか。
村の周辺は多少の起伏はあっても見通しは良い、か」
理想は犠牲を出さずに野盗を無力化する事だが、それは難しいと言わざるを得ない。不可能かもしれない。
かつて徴兵によって戦争に行った事のある何人かに聞いてみたが、野盗の動きは正規兵、或いは傭兵とみて間違い無いだろうと言っていた。
交渉時も何気なく、陣形を作っていたのだと。そういうのは、農民歩兵のような徴兵された者では難しいらしい。
「だからこそ英雄も命を賭したのかな」
聞けば聞くほど、知れば知るほど、状況は逼迫している。
村を捨てる事はできない。村民を全て合わせ二百人を超える人数。これが新天地に行くのは難しいはずだ。
必然的にばらける事になり、運び得る物資も集団ごとに少なくなる。
どこかで脱落者が出る。或いは受け入れ先で不遇と言える扱いを受けかねない。
そう考えると、イジドールさんの選択は最善のものだった。
「餓死者か……」
しかし今は状況が違う。村の備蓄は減っている。
「どうにかして盗賊を無力化する方法」
最終的には、それしか村が完全な形で助かる術は無い。
少しでもヒントを。
少しでも情報を。
しかし掛け回れど掛け回れど、無為な時間だけが過ぎて行く。
村を救う方法を求めて数日が経った。
毎夜開かれる会議も、同じ議論を繰り返すだけで、俺自身も有効な対策を思いつけずにいる。
「収穫まで、あと二、三日だな」
「……そうですか」
日課となった朝の農作業。一通りの事を終えてから、実りの具合を見たアロイス村長が呟く。
「良き方策は?」
「思い付きません」
「そうだろうな。余り気にするな。人は悲しい程に無力なものだ」
労わりの声。
初めてじゃないだろうか、この人が俺にこんな言葉を掛けてくれるのは。
「お前は何もできなかったが、立派に足掻いた。逃げたいと思うなら責めはしない。儂らの問題だからな。どうだ?」
「……分かりません」
逃げるという選択肢はいつでも取れたのだ。今更、とは思う。
「俺は命の遣り取りなんて無関係な場所で育ちました。だからかな。怖いけど、実感が無いのかもしれません」
分からないなりに怖い。想像する苦しみに腰はひける。
「……アニエスが、お前を心配していた。あと二日だ、あれに会ってやってくれ」
「はい」
「命の遣り取りとは無関係、か。この村も、そういう時期はあった」
染み染みと。小さな背中が更に小さくみえる。
アロイス村長にかける言葉も無く、頭を下げて踵を返した。
「アキト様……どうしたんですか?」
「キュキュ?」
最早定位置となった右肩にギーを乗せ、扉を開けたままの姿で、アニエスは訝しげな顔をしていた。
初めて会った日と同じワンピースの肩口には、ギーが残したであろうかじり痕が見える。
「おはよう」
「あ、はい。おはようございます」
頭を下げたアニエスの向こう、ブシュラさんと目が合って、お互いに小さく会釈する。
「特に理由は無いんだけど。どうしてるかと思って」
「珍しいですね……村長ですか?」
「どうだろ?」
抜けてる様に見えて、案外鋭いらしい。
「散歩でもしないか?」
「そうですね、良い天気ですし。あ、ちょっと待ってて下さい!」
言うや否や家の中へと走り戻って行くアニエス。ギーはその肩から飛び降りると、今度は俺の肩へと駆け登る。
「キュッ!」
元気だったか、とでも言いたいのか。俺の顔を覗き込みながら首を傾げた。
「久しぶりだな。すっかりアニエスに懐いて。良かったのか悪かったのか」
この二つの尾を持つリスは、これだけ人に懐いて自然に帰れなくなったりしないのか。少しだけ心配になる。
「お前そろそろ森に帰らないか?」
「キュキュ?」
「いや、キュキュじゃなくて」
やっぱり言葉は通じないか。
そんな事を考えていると、アニエスが家の中から小走りで駆け寄ってくる姿が目に入った。
「お待たせしました!」
「ああ……着替えたのか?」
「はい!」
アニエスの服装が、淡い緑色のワンピースに変わっている。シンプルで、日本人的に見たら質素に思えるそれも、この世界の農村の娘からしたら外行きの服なのかもしれない。
それに、そのワンピースはアニエスに良く似合った。
「それじゃあ、行きましょうか!」
「ああ。そうだ、森に行かない?」
「森ですか? 良いですよ。行きましょう」
森への歩みは、記憶ほど過酷なものでは無かった。何時間も掛かった道のりを、実に小一時間で踏破すれば、健康の大切さを実感するというものだろう。
「でも何で森なんですか?」
「ギーを放そうと思ってさ」
「え……」
「キュ?」
森へ入りながら、放った言葉にアニエスが凍り付く。
「とは言っても、実質アニエスが飼ってるようなもんだから、アニエスが嫌なら放さなくても良いけどね。
単純にここに来てみたかったってのもある」
大した理由は無い。
ただ、ここは俺のスタート地点で、何となく来てみたくなったのだ。村内にいると、ひどく落ち込んでしまいそうで、一緒に居るアニエスにも悪いだろう。
「……びっくりさせないで下さいよー。ギーとお別れかと思っちゃいました」
「放さないの?」
「放しませんよ! もう家族みたいな子ですからね!」
「キュッ!」
ギーを俺から隠すように抱き締めるアニエスの、そのあどけなさに笑みが零れた。
適当な樹を背もたれに座り込むと、彼女もまた腰を下ろす。
「ふぅ」
「アキト様、お年寄りみたいですよ?」
「アニエスと比べたらお年寄りに近いからね。仕方ない」
クスリと笑うアニエスに、肩を竦めて笑い返す。
久しぶりだった、こんなにゆっくりとした時間を過ごすのは。と言うより、この世界に来て初めてかもしれない。
アニエスの手から解放されたギーが、俺たちから離れない程度の距離で、久方ぶりの森を満喫していた。
身体からゆっくりと力が抜ける。
「……でも良かった。最近のアキト様は忙しそうでしたから。少し心配でした」
「まぁ、ね。今も決して暇じゃ無いはずなんだけど」
あれだけ村内を探し回っても、打開策の手掛かりも掴めなかった。もう手は無いのかもしれないと、諦めに似た思いが浮かぶ。
「それに、怖い顔もしてました。焦ってるような、不安そうな、凄く張り詰めた感じ」
アニエスとは、数日間ほとんど話していなかった。まともに話したのは村を案内された時以来かもしれない。
にも関わらず、意外と彼女は俺を見ていたようだ。
「俺は勇者じゃないから、余裕なんて無いさ。必死で駆けずり回っても、全然足りない」
ーーアキト様は勇者様ですっ!
そんな返事が来るだろうと思っていると、しかし予想に反して、アニエスの声は小さな肯定を示した。
「……そうですね」
「へ?」
「あ、いや! 別にアキト様が足りない方とかじゃなくて! 勇者様! 勇者様についてです!」
ワタワタと両手を振って慌てるアニエス。
彼女は今何て言った? 勇者について?
「……あの、その、ですね? 凄く今更なんですけど……アキト様は伝説の勇者様じゃ無いんじゃないかな、と思って」
「や、うん。違うけど、何で今更?」
あれ程頑なだった彼女が、どうして? 余りにも予想外な展開に頭がついて行かない。
言葉を探すように顔を上げるアニエスを見ながら、その口が開くのを待つ。
「……アキト様、最近、凄く辛そうな時があったから……怖いんじゃないかって。
勇者様って、話に聞くと凄いんだそうです。悪い人を一瞬で倒したり、怪我人をあっという間に治したり。
アキト様は、そんな物語の英雄じゃなくて、もっと身近な、私たちに近い人みたいで……」
「……つまり、伝説の勇者なら村の窮地なんて簡単に解決するから、悩むはずは無いって事?」
「なっ、違……わないかもしれないですけど……。そうじゃなくて、申し訳ないって思ったんです。
私が見た魔法も光の魔法じゃなくて……勘違いで村の危機に引き込んで、どうすれば良いか悩ませてしまったんじゃないかって……」
俯く少女の声は消え入りそうな程小さかった。
彼女の気持ちが驚く程、スッと胸に入ってくる。抵抗も摩擦も無く、言葉の運ぶ思いが、偽りの無いものだと分かるのだ。
「アニエス、顔を上げて」
「……はい」
彼女の目の前に人差し指を立てる。それをゆっくりと離れた樹を示すように動かして、俺は唱えた。
「光線」
瞬間、指向性のある光が、樹を貫く。
アニエスの鳶色の瞳が驚きに見開かれ、ギーがその身体をビクリと震わせる。
「アニエス、俺は勇者じゃない。それは本当。でも光の魔法が一つだけ使える」
丸い穴と、それを囲う焦げ跡を残された樹。熱か光か、或いはその両方か。表面で固まっていた樹脂が、ドロリと溶けていた。
「 ……俺はね、人を殺すかもしれないのが怖いんだ。だから魔法を使いたく無いし、使わないで済む方法を探した……けど結局見つからない」
溜息をついた。自己嫌悪。
俺は何をやってるんだろう。一回りも下の少女を捕まえて、滅びゆく村の娘を捕まえて、彼女の父の仇を殺すのが怖い?
俺は何をやってるんだろう。アニエスに光線なんて見せるべきじゃなかった。折角解けた誤解だったのに。 期待は俺を縛るんじゃなかったのか?
「……アキト様」
フワリと甘い香りが鼻腔をくすぐる。背中に回された腕の感触。身体に伝わる心地よい体温。頬に触れる少しくすんだ金色の髪。
「気にしないで、村から出ても良いんですよ?」
「……アニエス?」
「私のせいで巻き込まれて、そんなに苦しんで、それでも解決しようと頑張ってくれて。本当にごめんなさい。本当にありがとう」
「アニエス、何を?」
耳元から聴こえる声は幼い子どもをあやすかのように、ひどく優しげで。
「アキト様、村の事は忘れて行って下さい。でも一つだけ覚えておいて欲しいんです」
スッと、アニエスの身体が離れると、微笑む彼女と眼が合った。
「例え、アキト様が物語に出てくる勇者様じゃなくても。ギーを助けた姿や、苦しみながら村の為に駆け回る姿、それは私にとっては勇者様と同じくらい素敵でした。
アキト様には沢山謝らなきゃいけないのに、感謝ばっかり出てくるんです。
アキト様は、私にとっては勇者様ですよ。今も、これからも。 だから、行って下さい。
勇者は最後まで生き残らなきゃ」
真っ直ぐ、只々本音を語るアニエスを直視できず、眼を反らして、
「一つとか言って、多いーー」
視線の先にある光景に、眼を見開いた。
「一つの台詞なんです。全部合わせて一つなんですよ……アキト様?」
「ーーあった」
「え?」
もしかしたら村を救えるかもしれない。その可能性が、俺の前に現れていた。