村での生活と野盗への不安について
目が覚めると見知らぬ天井、と言うのは小説の常套句だった気がする。
そもそも異世界への移動や特殊能力、村を救う初期イベントも定型化されたテンプレートだ。
当初朧げながらも思い描いていた在り方と、自分の立ち位置が随分と違う。
現実は上手く行かない事ばかりだ。
「ーーけど、これは考えてなかったな……」
身体を起こすと、凝り固まった背中が鈍い痛みを主張する。
ベッドが合わなかったらしい。
木製の寝台には申し訳程度の厚みしか無い敷布団があるばかりで、現代日本の感覚からすれば恐ろしく硬い寝具だった。
幸いにしてブシュラさんの治療のお陰か、肉体的不調を取り除かれているので我慢はできるが。
慣れるまでは苦労しそうだ。
こうして俺の異世界二日目は幕を開けた。
「おはようございます、アロイスさん」
「小僧か。体調は良いみたいだな」
客室を出ると、村の束ねにしてこの家の主が、汗を拭っている姿があった。
落としきれなかったのだろう。衣服に散見する土汚れに、農村であった事を思い出す。
「農作業ですか。言ってくれたら手伝いましたよ」
「怪我人なぞ使い物にならんわ」
「アロイスさんには借りもありますから」
「借り?」
「昨日、俺の後押ししてくれたでしょ? アレがなきゃ追い出されてたと思うし。それに、居候だから」
「……明日からこき使ってやる」
昨夜の集会が開かれた部屋である。
結局、昨日は村長が周りを押し切る事で会合を終わらせた。
男衆も取り敢えずは俺を受け入れる事にしたようだ。
長老の発言と、英雄の娘が見出した男という点が彼らを渋々ながらも頷かせたのだろう。
でなければ、不審者扱いで村を追われるか、場合に依っては危害を加えられたかもしれない。
アニエスが聞いたら憤慨しそうな話だが。
ーー村を救ってくれる勇者様なんですよっ ! アキト様っ、あの光の魔法をみんなにも見せてあげて下さい!
想像して苦笑する。
村への助力は、アニエスとの個人的な約束に過ぎないのに、彼女は村人の感謝と信奉を望むだろう。そんな気がする。
俺は勇者じゃない。主役じゃないのだ。尊敬にも期待にも答えられない。
村の危機の、その端に並ぶのが精一杯で、しかもそれは、細やかな矜持から来る行動で。
だから村に恩を売るつもりも無い。
その点を理解してくれた眼前の老人に、アキトは好感を抱いていた。
「何をにやけてる。気味の悪い」
「いえ。今日はどうすれば良いですか?」
「アニエスにでも、村の案内をしてもらえ。しばらく此処で生活するのだろう」
「そうですね。そうします」
「食事はここで取れ。アニエスもいつもそうする。儂を気遣ってな」
憮然とした村長の顔に慈愛の微笑みが浮かんだ。それは一瞬の事で、直ぐに消えてしまったが。
「顔洗いたいんですが、どうすれば?」
「……さっさと行け、愚図が」
「……酷く無いですか、それ」
思い馳せていた慈愛を邪魔されたからか、舌打ちの後に漸く説明を受ける事ができた。
「アキト様、おはようございます!」
件の対象は、自分が原因で俺が罵られた事も露知らず、花が開く様な笑顔を浮かべている。
「キュッ!」
肩に乗る二尾のリスが一鳴きすると、アニエスはその顎を嬉しそうに撫でた。
随分懐いてるし、もうアニエスが飼えば良いのに。
「ギーもアキト様に会えて喜んでますね!」
「ギー?」
「この子の名前です。光の精霊様に侍る聖鳥ギーにあやかって。
アキト様興味なさそうだったので、勝手に決めちゃいましたけど、良かったですか?」
「構わないけど」
視線の先のギーはどう見ても、完璧に、否定のしようが無く只の小動物で、聖獣にあやかるのは仰々しい。
「えらく大層な名前を付けたね」
「アキト様のエキュルですから。知ってますか? 聖鳥ギーも精霊様に救われた事からお側に仕えるようになったんです」
それはつまり。考えて苦笑する。
この世界に来てからというもの、苦笑してばかりだ。
「何度も言うけど、俺は勇者じゃないよ」
「大丈夫ですよ。みんなには秘密にしてもらうように頼みますから。深い訳だって詮索しません」
「いや、違くてね」
ああ、もう何とした事か。
「それよりも、村の案内でしたよね! 小さい村ですから直ぐに見終わると思いますけど、早速行きましょう!」
溌剌とした声でアニエスは告げた。
村は楕円形の形をした柵に囲まれていた。百にも満たない世帯しかない小さな集落。
ヨーロッパに近いとの話だったが、イメージに反して、家屋は木造建築である。
農地は柵外に広がっており、水源となる小川が何本も近くを通っている。
牧畜もしているようで、やはり村外に、見張り小屋と柵で囲われたヤギに似た家畜の姿があった。
誰のというわけでは無く、村の共有財産らしい。
「ここはブノワさんのお家です。ブノワさんは手先が器用で、金具の修理なんかもしてくれるんですよ」
アニエスは一軒一軒の家を回り、誰が住んでいて、それがどんな人かを語った。
悪口の一つも無く、まるで我が家族を自慢するように誇らしげで、熱を込めた話は時に脱線したりはするけれど。
「アニエス姉ちゃん、おはよー! あ! 勇者の兄ちゃんじゃん! おはよー!」
丁度アニエスがブノワ氏の器用さを語り尽くした頃、一人の男の子が家から飛び出して来た。
「こら、シュジェール。兄ちゃんじゃなくアキト様でしょう?」
「姉ちゃんこそ、朝会ったらあいさつだろー」
少年、シュジェールはまだ十歳かそこらに見えた。
茶色い髪はクルクルとして、同じく茶色の瞳には悪戯な輝きが宿っている。
生意気な口調と忙しない挙動が、エネルギーが余って仕方ないと主張しているような、そんな活発な子どもといった印象だ。
「そうだ! これから森に行かなきゃいけなくてさ! アニエス姉ちゃんもアキト兄ちゃんも相手してやれなくてゴメンな!」
「相手って、私達も用事があって忙しいの。それより子ども一人で森なんて、何しに行くの?」
そんなに忙しくは無いだろ、と心中で突っ込みをいれる俺は、次に来たシュジェールの言葉に凍りつく。
「父ちゃんに作ってもらったワナを森の入り口のとこにしかけといたんだ! きっと引っかかってる動物いるぜ」
笑顔と嬉声。その意味する所を感じ取ってか、アニエスが戸惑いながら俺に眼を合わせる。
ーーどうしましょう?
ーーどうするも何も、黙ってるわけには。
初めてアニエスと交わすアイコンタクト。それを見た少年が、熱いねーと囃し立てるが、違うんだ。
君の罠について眼で会話をしてるんだ。
「シュジェール君、ごめんな。罠なんだけど、俺が壊しちゃった……」
へ、と声を上げた少年に、言いようの無い罪悪感を覚えた。
当事者の俺が事情を話し、姉のようなアニエスがフォローを入れる。
父親から貰った罠を壊されたと聴いて、最初は難しい顔をしていたシュジェールだが、最後には笑顔で頷いてくれた。
「ギーのためだったんだろ? なら良いよ。
ワナはまた作ってもらえるし、引っかかったまんまじゃ、ギーがかわいそうだもんな」
「キューッ!」
泣くんじゃないかという俺達の不安は、良い意味で裏切られた。
アニエスにしろシュジェールにしろ、この村の子どもは、元気で素直で、みんなが村を愛するのが良く分かる。
「ごめんな。本当に」
「良いって! それよりどうやってワナをこわしたんだ?」
「ええっと……魔法?」
「魔法!? すげー! アキト兄ちゃん魔法がつかえんの!?」
「……一応な」
ただ一つだけ。しかも、ある事情のために使い勝手が悪くなってしまったが。
「ギー助けたり、魔法がつかえたり、やっぱ兄ちゃんて勇者なんだなー! やるじゃん!」
その言葉に、何と返すべきか分からなかった。
野盗の危機を知らないわけじゃないだろう。
しかし、明るさを失わない少年は何を思っているんだろうか。
俺を勇者と信じて、村は大丈夫だと確信しているのか。
「……アキト様?」
「あ……んっと。シュジェール、ごめんな。俺達行かなきゃいけない所があって」
「そっか。 じゃあオレはワナ拾いに行くよ! 姉ちゃんも兄ちゃんも、またな!」
ギーもな、と笑顔で駆け出して行くシュジェールを見送りながら、酷く不安になった。
俺はこの村の助けになれるのか。
心的抵抗から約束して、約束したから見捨てたくは無くて。
例え無力でも、ギリギリまで助けになろうと思っていた。
しかし無力な俺でいたら、シュジェールはどうなるんだろう。
光線を使いたくはなかった。
が、使う事になるではという不安が、心中に渦巻く。
光線を、勇者の魔法だからでは無く、野盗であれ、人に向ける事が怖い。
戦える力があると思われた時に、村が俺に期待を寄せるのが怖い。
期待な責任になり、俺に殺人を強要するだろう。
俺は、そうなった時に、逃げださずにいられるのだろうか。