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夢の吊り橋  作者: 西山正義
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(後編)

   夢の吊り橋 (後編)


                    西山 正義



「そのノートの最後のページを見て下さい」と美耶子は言った。「内野さんなら何か判るんではないかと思いまして」

 彼女に言われて僕は恐る恐る久坂のノートを開いた。横書きの大学ノートを縦書きに使っている。ペン先の細い黒の万年筆で書かれた文字は端正であるが神経質そうな筆跡で、細かい文字がぎっしり詰まっていた。あと数ページを残して文章は途切れていて、そのあとに数行空いて、やや大きめの乱れた文字でこう書かれてあった。


  橋の下で 滝の下で 暗闇の中で はじける


 言ってみればこれが久坂の絶筆である。「暗闇の中で はじける」というのは確かに僕が中学時代に作った『暗闇の中で』という曲のコーダー部分のフレーズで、正しくは「君も僕も 暗闇の中で弾ける」というものだった。しかし「橋の下で 滝の下で」というのは思い当たる節がなかった。前の文章とは、時間的な隔たりがあるような感じで、内容は忘れてしまったが繋がりはなく、最後のページにこれだけが唐突に走り書きされていた。僕は美耶子と顔を見合わせた。そして正直な感想を言った。

「この、『暗闇の中で はじける』というのは判るけれど、『橋の下で 滝の下で』というのは何だろう。橋、滝、ときたあとに暗闇と続く繋がりがよく判らない。その渓谷には滝があるんだろうか。おそらく自殺する前の日にもその吊り橋に行ってるんだろうね。もしそうならそれと何か関係するのかも知れない。いずれにしろ僕の曲とは直接関係ないんじゃないかな。……それより僕が今ぱっと思い浮かんだのは、三島由紀夫の小説に『豊饒の海』という四部作があって、それは簡単に言ってしまえば主人公が輪廻転生してゆく話なんだけど、その第一巻の主人公が『又、会うぜ。きっと会う。滝の下で』という、転生のキーワードになる科白を親友に残して二十歳で夭折するんだ。それを今思い出していたところで、ほかには特に思い浮かばないな。久坂は読んでいたんだろうか。中三の頃、北原が火つけ役になって一時期クラスで小説を読むのが流行ったんだ。それもいわゆる純文学のね。太宰とかヘッセとかはお決まりとしても、三島や谷崎、坂口安吾とか、川端康成の『眠れる美女』とかといった類。その時久坂も三島の『午後の曳航』を読んでいたのは覚えている。でもどうかな? もし読んでたとして、それが頭にあったのなら……」

 とそこまで言いかけて、僕は恐ろしいことに気づいた。まさか僕がその親友・本多繁邦の役を演じることになるのではあるまいな。僕は言ってみれば第二巻の主人公・飯沼勲の成り損ないだが、それだけは勘弁してもらいたいと思った。あれは恐ろしい小説で、夢も認識もついには泡のように消え、存在自体も否定されてしまうのだ。途轍も無く空虚な……、いやそれは僕の考え過ぎだろう。すでに「はじけて」しまっているのだから。単純明解だ。橋の下で弾けたのは久坂の命にほかならず、それを形而上学的に捉えようとすることは詮のないことであるばかりか、危険なことだ。僕は、自殺した久坂を恋慕いこんなに萎れている美耶子を見て、(サディスティックな見方をすれば、それはそれでぞくっとするような美しさがあったが)、たぶん久坂にとっては妹でしかなかった(しかし大切な妹である)彼女の身を案じないわけにはいかなかった。……

 その日はそれで別れた。僕はノートとカセットを預かる羽目になった。それは久坂の魂そのもののようだった。帰りの電車でも、家に帰ってからもノートを開く気にはなれなかった。ほかにどんな事が書かれているのか気になることは気になる。しかし読んだら最後、こちらも平静では居られなくなるだろう。それが怖かった。まして肉声の入ったカセットテープなどとても聴けるものではない。預かったのはいいとして、何処に置いておけばよいか迷った。僕は結局それを神棚の脇に載せ、そのまま放置していた。

 暑い夏は続いた。僕は大学一年生だ。家の車を乗り回し、あっちこっち飛び歩いていた。その頃はまだ免許を持っている者も少なく、さらにいつでも自由になる車を持っていたのは僕らの周りでは武田と僕の二人ぐらいだったし、学生結婚した武田と違ってアルバイトもせず、声が掛かれば何処へでもひょいひょい出掛けて行った僕は、その数年後流行った言葉で言えばまさにみんなのアッシー君だった。軟派サークルの連中に誘われて、女の子たちと海へも何度か行った。お陰でこれでもかというくらい真っ黒に日焼けしていた。今にして思えば一九八〇年代の《青春》をそれなりに謳歌していたわけで、神棚を見上げるたびに胸が詰まることはあっても、久坂のことを考えている暇はなかった。しかし、財津美耶子の肖像は僕を捕らえて放さなかった。

 二週間ほどしてまた会うことになった。電話で僕は、ノートも読んでいなければカセットもまだ聴いていないことを告げた。「そうですか」と美耶子はがっかりして言った。電話を切ったあと、やはりちゃんと向き合わないといけないなと思い、ノートとカセットを神棚から降ろし、自室の机に置いた。ノートをぱらぱら捲ってみる。所々拾い読みしてみると、それは日記のようなものではなく、必ずしも自己の心情などを赤裸々に綴ったものではなかったので僕は少しほっとした。読んだ本への批評や経済学の授業に対する批判など、客観性を帯びた文章も多数あり、論文の下書きなども混じっていた。一部分はアフォリズム集のようになっていて、小説や評論からの引用がアットランダムに写されていたりした。みんな似たようなことをやっているんだと思ったが、同じ一冊の本から何か引用してこいと言われた場合、人それぞれによって引っ張ってくる処は違ってくる筈で、それらを読んでいると自ずと久坂の思想が見えてくる。考え方としては、『雑木林』のメンバー、特に北原や古川に近いものがあて、引用句に対する久坂のコメントの中に、古川純一が雑誌で述べていたこととそっくりな文章を目にした時、僕は初めて久坂の死を悼み泣けてきた。何も死ぬことはないじゃないか。途中でノートを閉じ、しばらくぼうとしていた。カセットテープのケースを開ける。中から曲目やデータが書き込まれたライナーノーツが出てきた。手製のラベルとそれらを見ているとその思いは一層募ってきた。


 待ち合わせ場所に現れた美耶子は、相変わらず全身黒尽くめの格好であったが、前回とは打って変わって晴れやかな表情をしていたので、僕は意表を衝かれた。あたかもこれからデートでもするというような錯覚に陥らせた。もう初対面ではなくなったせいもあるだろうが、それが本来の彼女の姿だったといえる。僕が彼女を何となく危なっかしいと思っていたのは、久坂のこととは別にも理由があって、それは彼女が初対面の男の身体にも平気で触ってくるような、すぐに男に凭れるタイプの子に見えたからである。ほだされたら何処までも行ってしまうのではないかと思えた。雑踏の中を歩き始めると、彼女は僕の腕を掴み寄り添ってきた。それは媚態というのではなく、他意はないのだが、そういうタイプの女性は確かにいて、会社にいた女の子とイメージが重なったのはその点だったかも知れない。会社の子は明らかに香水と分かる匂いを撒き散らしていたが、美耶子からはそれとは異なる優雅な香りがした。人工的な匂いではい。かといって体臭そのものでもない。街の匂いとも溶け合っていた。暑いさ中だというのに、べたついた感じはなく、もちろん僕は悪い気はしないのだが、そうやってしばらくぶらぶら歩きながら、僕は別なことを考えていた。

 果たして久坂は童貞だったのか。この疑問は最初からあった。何故かしら童貞にしか出来ないことがあるような気がしていた。童貞だからこそ出来ること。その一つに自殺があった。もちろん大人だって自殺する。だがそれにはたいてい具体的な理由や直接的な原因があるもので、久坂のように(おそらく)そうでないような場合、童貞特有のものに思われた。むろん子供や少年だって直接的な原因があって自殺することはあるし、むしろその方が多いだろうが……。処女の場合はどうだろう。処女特有の感性というのは確かにある。だが処女だとか童貞だとかには実のところ何の意味もないし、逆にそうでなくなったからといって何か意味があるわけでもない。男を知る、あるいは女を知ったからといって、それで世界が変わるわけでもない。通過してしまえばそれまでのことで、処女も童貞も薄汚いだけだ。しかし何かしら向こう側に突き抜ける力を持っている。だから久坂は童貞でなければいけないような気がしていたし、また実際そうであろうと僕は思っていた。美耶子が処女であるとは思えなかった。もしこの二人の間に本当に何もないのなら、ほかにも女がいるか風俗にでも行ったのであれば別だが、久坂は童貞ということになる。

 言葉らしい言葉も交わさずに、ただ歩き廻っていただけだが、その散歩は充分愉しかった。彼女の身体の鼓動と熱が直に伝わってきて、僕は身体的にも心地良かった。このままずっといつまでもこうしていたいと思ったほどだ。

 見晴らしのいい明るい喫茶店を選んで入った。彼女と向き合った時、僕は久坂のことよりも美耶子自身のことを聞きたくなっていた。しかしその前に責務を果たさなければならなかった。僕は、浪人時代から使っている黒いショルダーバッグから久坂のノートとカセットテープを取り出し、「一応、ひと通り目を通しました。テープも聴きました」と言って、それらを美耶子に返した。彼女が身を乗り出すのが分かった。僕は何を言うべきか。息を飲んだ。一瞬しんとしてしまった。僕はすでに十代の頃の感傷を失くしていた。だから久坂の「作品」についてどうこう言うべきことはなかったし、それらと彼の自殺を結び付ける気もなかった。だが、僕が感じたことを率直に言う必要はあったろう。それは僕自身の悔恨についてだ。

「これを読んでもらえれば」と僕は言い、『雑木林』の第一号を彼女に渡した。「この春から僕らがやっている、一種のサークルの会報なんだけれど、メンバーはみんな別々の大学から集まっていて、北原なんかも加わっているんだ。それぞれが勝手なテーマで書いているから内容はまちまちで、いわゆる同人雑誌というのとも違うし、サークルといっても何か特別な活動をしているわけではないんだけどね。……それで、北原の書いている文学論はかなり専門的で判りづらい箇所もあるけど、久坂の考えていたらしいことと重なる部分があるんだ。それから、古川っていうL大の社会学科に行っているやつが書いた評論には、もっと端的に久坂がめざしていたような世界観が展開されていて、実はこの文章は古川君独特の言い回しもあって非常に刺激的なというより挑発的な内容で、(ただしそれは挑発的ではあるけど、決して大声で叫んではいないんだ。僕らはアジったりはしないからね)、ほかの連中が研究発表的なものとかコラムやエッセイみたいなものを載せているのに比べて、僕には結構衝撃的だったんだ。だからどうだというわけではないんだけどね、久坂のノートを読んでいて僕が感じたのは、久坂の考えがどうのこうのということではなくて、どうして僕らは擦れ違ってしまったんだということなんだ。高校の時なんとかしていればという。やっぱり僕なんだよ。あるいは北原が……。死ぬことはなかった」

 その言葉を初めて口にした途端、僕は思わず泣けてきそうになった。それは美耶子の白い頬を伝う泪を目にしたせいばかりではなかった。

「いや何も、僕や北原なら、彼を救えたかも知れないなどということを言っているのではないんだ。人を救うなんて、そんな僣越なことは言えない。どう言ったらいいのか判らないけれど、でもきっと僕らでは駄目だったんだと思う。もし『雑木林』の存在を彼が知ったとしても、加わるとは思えない。僕らは縦にも横にもいわゆる組織的な繋がりというものを廃していて、自分たちにレッテルを貼ったり、お互いに束縛することのないようにしているし、来るものは拒まないけれども、半年もやっていればそれなりにグループみたいなものが形成されてきて、久坂は根本的にそういうことには馴染めなかったんだと思う。成田みたいなキャラクターこそ必要で、その成田ですら、いや、そういうこととも違うんだろう、とにかく……」

 僕は煙草をやたらに吹かしていた。そして残りのアイスコーヒーを一気に飲み干した。氷が溶けて薄くなっていた。重苦しい時間が流れた。始めのうち彼女は雑誌をぱらぱら捲っていただけだったが、僕がよそ見をしているうちに仔細に読み始めていた。悪戯っぽい目でしきりに僕を見るので、何を読んでいるのだろうと覗くと僕の文章だったので、「僕のは今ここで読まないでよ、恥ずかしいじゃない」と身を乗り出して言うと、ようやく座が和んだ。

 喫茶店を出ると、黄昏時の街をまた歩き始めた。何処へ行く当てもなかった。僕は後味の悪い気分になっていた。美耶子に会う前までは、確かに自分の悔恨について考えていた。しかしきょう最初に彼女を見た時、僕の心境は変わっていて、本当はもっと別のことを言うつもりだったのに。

 ――それからも美耶子とは頻繁に会った。その都度彼女は久坂の遺品を持って来ては、僕にいろいろ意見を求めた。興味を引かれるものもあったが、何の感想もないものもあった。だんだん僕は美耶子自身のことを心配するようになった。彼女は時々妙な反応をしたし、表情が瞬間的に著しく変わることがあった。久坂のことはもういい。自殺したからといって、勝ちとか負けとかというのではない。それは選んだに過ぎない。彼女がいつまでもそれを引きずっているいることの方が問題だ。僕は再三そのことを彼女に言った。忘れることは出来ないだろうから、無理して忘れることはない。でも、君は生きているんだ。紛れもなく。もちろん僕も成田も北原もね。前進するにしても後退するにしても、止まっていることは出来ない。そんな分別臭いことも言った。久坂のことは本当のところ僕にもよく判らない。深い付き合いがあったわけでもない。僕はつとめてほかの話題を探した。僕はいい加減うんざりもしてきたが、僕に会って話をすることで彼女の気が済むのならそれでいいと思っていたし、連絡があるということは彼女が馬鹿な考えを起こしていない証拠であろうと。それに第一、僕は彼女自身のことに興味があったし、彼女がやっているという演劇にも興味があった。

 残暑もおさまり、秋が深くなるにつれ、本来の彼女の姿、それはどちらかというと明るく天真爛漫な、ある部分では軽薄なところもある彼女の素顔を見せることが多くなってきた。おそらく僕と会っている時以外はそうして生活しているであろう自然な姿。久坂に縁のある僕がいけないのかも知れない。しかしそれだけたびたび会っていれば、過去だけにしか繋がりのない話題はだんだんネタが尽き、僕が心配していたような方向へは進まず、自然に久坂の話をする時間は減っていき、全くその名前が出ないこともあった。彼女に付き合って、暗黒舞踏なるものを観に行ったり、美術館巡りをしたりもした。『雑木林』の会合はそこの付属高出身者が多かった関係でL大とS大で交互に開いていたのだが、L大からはマムシが出るという獣道を抜けて行くと、ひと山隔てたC大にも簡単に(ではないが)行けたので、彼女のいる教室へ潜り込みに行ったりもした。大学一、二年の頃、武田とともに僕はあたかもゲリラのようにあっちこっちの大学に出入りしていたので、(二人とも夜学だったので都合が良かった)、そんなことはわけないことだった。僕らは次第に、何のことはない、男子学生と女子学生がデートしているような具合になっていった。しかし僕の方から彼女に手を出すということはなかった。近親相姦のように何か冒しがたいものが横たわっていて、常に一歩距離を置きたいという気持ちが働いていたからだが、翻ってみればそれは、彼女の《女性》性からの本能的な防御の姿勢だったかも知れない。

 僕は自分や友人のことばかり喋った。それから『雑木林』のメンバーといつも話しているようなことを喋った。彼女も自分のことを語るようになった。男関係についてもあけすけに。やはり想像していた通り、彼女は性に対しては奔放で、というより主体性というものがあまりなく、久坂一筋だった中学までとは異なり、高校に入ったあたりから距離を置くようになり(それは久坂がつれないからでもあったが)、学校の演劇部ではない外の劇団に入ることによって、より広い世界を知ると同時に大人の誘惑も多くなり、誘われるままに男と寝ていたという。久坂は知っていたのかと言うと、たぶんと彼女は答えた。彼への当てつけがないわけではないが、よっぽど生理的に嫌いな人でない限り、ノンとは言えないのよと彼女は言った。僕は苦笑して聞いているしかない。で、今は特定に付き合っている人はいるのと訊くと、いいえ、あなただけよ、と流し目で言う。おい、久坂、どうにかしてくれこの女と思ったが、僕は彼女との逢瀬をやめることは出来なかった。

 しかしそろそろ終止符を打たねばならない時がきた。男と女の間にも友情は成立する、と僕は確信していたし、今でもそう思っている。友人の細君である大沢真弓さんや安西佳子さんとは当然としても、石井宏美などとはそういう関係にあった。しかし、美耶子との間柄は長く続けるにはあまりにも不自然だった。芝居の稽古を再開しはじめた彼女を見ていて、すでにそういう思いが徐々に湧き上がっていたのだが、それは彼女の演技を初めて観に行った時に訪れた。

 もう十一月になっていた。学園祭もおおかた終わった頃。それはさまざまなパフォーマンスをオムニバス形式に集めた一種のイベントで、メインはカオスというインディーズ・シーンではカリスマ的存在のロック・バンドだった。会場に入る前からすでに異様な雰囲気に包まれていた。まるで黒弥撒のようなイベントで、一度中に入るとすべて終わるまで出られない仕組みになっていた。音楽も効果音も舞台装置も排して、照明も白熱灯のスポットのみの中で、真っ白に全身を塗った素っ裸の男女数人が踊る、というより蠢くといった方がいいような舞踏があり、詩の朗読のようなものがあったり、エレキ・ギターを目茶苦茶に弾きまくり最後には失神してしまうのやらがあり、美耶子は魔法使いのお婆さんが着るような黒衣を纏ってソロでパントマイムを踊った。踊りそのものはエロティックなものではなかったが、顔の表情はひどくエロティックだった。驚いたことに、会場には武田行雄と城山晃も来ていて、武田はカオスのリーダーと知り合いで、このステージを最後にバンドを去ることになったギタリストに代わって、その後釜に城山が入ることになっているというのだ。さらに驚いたことには、美耶子の踊りで使われていた曲は城山が創ったものだという。

 関係者だけの打ち上げに僕も参加した。どうやって街を歩くんだというような格好をしたファンの女の子が乱入してきたり、とにかくへんてこりんな連中ばかりだったが、やはりカオスのファンだという美耶子が、その中で活き活きと泳ぎ回っているのを見ているうちに、もういいだろうという気がしてきたのだった。

 騒ぎは明け方まで続いた。ようやくお開きになり、酒の飲めない僕と武田が、機材を積んだ車を運転して帰ることになった。武田がカオスのハッチバック車を運転し、僕が劇団のワゴンに乗り込んだ。そしてそれぞれ別々の方角へ帰っていった。へべれけに酔っぱらったもう一人の劇団員の自宅に車を置く前に、美耶子を家まで送り届けた。別れ際の彼女の笑顔にもそのことが書かれてあった。朝焼けに照らされてそれは美しかった。今まで見た中で最高の笑顔だった。

「さようなら」と彼女は言った。

「さようなら」と僕も応えた。

 その瞬間、それまで思っていたこととは裏腹に、僕は堪らない寂寥感に襲われたが、それを振り払うようにアクセルを一気に踏み込んだ。

 案の定、彼女からの連絡はしばらく途絶えた。それまでも僕の方から電話をすることはなかったので、僕からはどうすることも出来なかった。でも、何か忘れていることがある、何か物足りないという気持ちが残っていた。それが何だったのかが解かったのは、やはり彼女からの電話だった。

「内野さん、最後にもう一度だけ会ってもらえます?」美耶子は言った。「まだ完全に吹っ切れたわけではないんですけれど、自分の気持ちを確認しに行きたいんです。そして一応ピリオドを打ちたいのです。寸又峡に付き合って下さい。内野さんにも『夢の吊り橋』を見てもらいたいの。いえ誤解しないでね、もう謎解きはいいのよ」

「オーケー、解かった。僕も何か忘れていることがあると思っていたんだ。それが今やっと解かったよ。一度は行ってみたいと思っていたし、それに、やっぱり僕もその『夢の吊り橋』とやらを見ておくべきだろうしね」

「ありがとう」

「でもさあ、心中しようなんていうのはご免だぜ」と僕は冗談を言った。

「あら、それはいい考えかも知れないわね」彼女は笑いながら言った。「びっくりするでしょうね」

「誰が?」

「誰がって、みんなよ」

「いや、一番驚くのは久坂だろうね」

 彼女がOKしてくれたので、僕はその小旅行に北原広志と成田倫太郎を誘うことにした。どうして彼らを誘ったのか。成田も現場には行ったことがないというし、当然彼らにも行く権利があったからなのだが、もし僕と美耶子が恋人同士ならそうはしなかったろう。もう僕らの微妙な関係は終わって、普通の友達として付き合えると思ったからだ。

 ――それが十二年前のちょうど今頃で、翌週四人の都合が空いた十二月半ばの平日、僕らは寸又峡に向けて車を走らせていたのだった。


        *


 電気屋さんが運転するバスは、東名高速を静岡インターで降りた。いったん市内に戻り、国道三六二号線に入った。この辺りの風景は見覚えがなかった。あの時は手前の清水インターで降り、国道一号線から三六二号線に入ったのだったかも知れない。川沿いにそって行くと、次第に景色は山の風景になってゆく。黒俣川が藁科川に注ぐ八幡を過ぎると、本格的な峠道になる。確かに見覚えのある風景になってきた。

 そうだ、あの時、この道を走りながら、助手席の北原とこんな会話をしたのだった――。

「久坂という名前は、どうして早死にするんだろうね」

 と、僕が言うと、「え、どういうこと?」というように北原は僕を見て、足を組み直しす。後ろからは成田の運転するスバル・レオーネが追いかけてくる。その助手席には財津美耶子が坐っている。ウインドーを開けているのだろう、長い髪が風に靡いているのがバック・ミラー越しに見える。ちょうど急カーブにさしかかり、僕はクラッチを踏み、ギアを落とす。そしてこう続けた筈だ。

「久坂葉子って知ってる?」

「作家でしょ。たしか、戦後まもなくくらいに、芥川賞の候補に最年少でなったとかいう人じゃないの」

「お、さすが国文科」

「そっちこそ、よくそんなマイナーな作家の名前知ってるねェ。法学部生のくせに」

「いや、実はこの間、武田君から『女』っていう作品集を見せられて初めて知ったんだ。読んだことある?」

「残念ながらないんだ。関西の方、京都、いや、神戸とか芦屋とかの出身で……」

「神戸の、いいところのお嬢さん」

「そういえば夭折しているね。やっぱり自殺したんじゃなかったかな」

「二十一だって。昭和二十七年の大晦日の夜に、鉄道自殺。阪急の六甲駅だってさ」

「すごい美人だったっていう話だけど」

「すごいかどうかは分からない。主観の問題もあるしなァ。口絵に写真が載ってるんだ。それだけじゃ本当のところどうだったかは分からないけど、まあ、美人と言っても差し支えないんじゃない。ちょっと大人びた、好奇心いっぱいの才媛といった感じ」

「へェー」

「当時、民放ラジオが放送を開始したばかりで、放送劇を書いたり、演劇にも関係していたらしいよ」

「そうなんだ」

「芥川賞の候補になった『ドミノのお告げ』っていう小説は、武田君が言うには、教養文庫の何かのアンソロジーにも入っているそうなんで、読んでみる価値はあるよ」

「うん。一度読んでみたいとは思っていたんだ」

「武田氏は、『入梅』っていう短篇が好きだって言ってたけど、おれは、死を覚悟して、自殺する直前まで書いていた『幾度目かの最期』っていう手記に圧倒されたな。文字通り鬼気迫るものがあって」

「……で、だからといって、久坂政道とは関係ないだろう」

「まあ、そりゃそうだ。それに久坂葉子というのはペンネームだしね。いや、実はもう一人いるんだ。久坂というのが」

「だれ?」

「玄瑞・久坂義助。いわゆる幕末の志士というやつだね」

「ああ。好きだよね。尊皇攘夷。長州? 薩摩?」

「長州。医家の出。そういえば、北原家は会津だったっけ」

「いや、二本松。というより、相馬に近いかな」

「久坂玄瑞は、松下村塾きっての秀才で、四天王のひとり。吉田松陰の妹婿にもなっていて、最も将来を嘱望されていた人。高杉晋作なんかも、もともと彼に誘われて松下村塾に入門しているんだ。奇才という点でも、高杉と双璧だったらしい。ただ、高杉が血の気が多くて言動が派手だったのに対して、冷静沈着だったらしいんだ。どちらかと言うと文学青年タイプで。ところが、実際の行動は逆になっちゃって、久坂玄瑞の方が先に突っ走っちゃったんだ。長州藩の中でも最右翼というのか、要するに攘夷の急進派で、文久三年だったと思うけど、(なんだかもう懐かしいな日本史も……)、八月十八日の政変で京都から追放されて、例の池田屋事件で完全に火がついちまったんだ。で、蛤御門の変で壮烈な最期を遂げている。戦場で孤立無援になって、最期は自刃している」

「いくつだったの?」

「数えで二十五。今風にいえば二十四か、もしかしたら二十三だったかも知れない。幕末の志士の中ではそんなに目立つ人じゃないんだけど、おれは何故か魅かれてしまうんだ。普段から血気はやる人より、普段抑えている人の方が、いざとなると、案外トリッキーな行動に出るもんなんだ。テロリストなんかにしてもそうだよ」

「それはあり得るね。内野氏みたいに」

「まあ、まあ。……それにしてもさァ、明治政府の弱いところは、というよりその後の日本が駄目なのは、高杉の使い走りでしかなかった伊藤博文なんかが最初の総理になっていたり、久坂や高杉なんかより年上だけど、奇兵隊に入るまでは大した活躍していなかった山県有朋なんかが軍閥の鬼になっているようじゃね。吉田松陰はともかく、高杉も坂本竜馬もいないんだから」

「確かにそうかもね」

「個人的には、伊藤博文なんかも、伊藤俊輔の頃は好きなんだけどねェ。何となくおれの境遇と似ててさ。かなり人を伐っているんだ。もちろん、おれは伐ったことないよ。最期はハルピンで自分も討たれちゃったけど、おッ、そっちすごい崖だなあ」

「うん。実はさっきからこっち怖かったりして」

「しまった。飛ばし過ぎたかな。後ろがついて来ないや。……ところで、何の話だったっけ」

「え、だから、久坂という名前について」

「あッそうだった」

「久坂という姓は何故に夭折するか」

「まあ、たまたまその二人が思い浮かんだだけで、ほかには知らないし、別に深い意味はないんだ。そう言っちゃったら日本中の久坂さんに悪いしね。……だださァ、久坂玄瑞は文字通り本当に討ち死にしたわけだけど、久坂葉子にしろ、あの久坂にしても、討ち死にしたようなもんじゃないのかなあ」

 いや、そう思いたいんだ、と僕はその時心の中で呟いていた筈なのである。……


 久能尾から洗沢にかけての峠はかなりの難所である。右へ左に小刻みに旋回する。座席が高い分よけいに崖がせまっているように見える。乗用車ならいざ知らず、素人ドライバーの運転するマイクロバスでは辛かった。途中適当なところで昼食をとる筈が、ここまで来てしまうともう何もない。一気に目的地に行ってしまうしかない。みんな無口になってきた。僕も感傷に浸っていられなくなるくらい気分が悪くなってきた。毎日何十キロと1BOXのバンを運転している筈の空調屋の工事主任ですら、本当に吐きそうだと言い出したので、退避帯のある所でバスを停め、みんな外へ出た。「ひでェところに連れて来られたものだ」建具屋が言った。向かい側に材木などが無造作に置かれた空き地があり、そこでみんな放尿しはじめた。数十人の男どもがてんでの方向を向きながら一斉に立ちションしている図というのは可笑しかった。山の神様は女だ。小便をかけられたのでは堪らないだろうが、少しは目の保養になったろう、などと馬鹿なことを思ったりする。

 小長井で国道を外れて、さらに北上する。「おう、やっと着いたか。メシ食うとこないか。メシだメシ」金物屋が言う。「寸又峡温泉へようこそ」と書かれた看板のすぐうしろに県営駐車場があった。そこへバスを乗り入れ、向かいにある蕎麦屋に入ろうとしたが、混んでいて人数分の席が無いというので、結局一行が泊まるY旅館が経営する夜はスナックになる怪しげな店で食事した。もう食えれば何でもいいという感じであったが、料理はまともなものが出てきた。--あの時僕ら四人が入った蕎麦屋はどこだったろう。やはり昼過ぎに着いたのだ。たぶんさっきの蕎麦屋だったと思うのだが、改装されて山の蕎麦屋らしい雰囲気を醸し出した店構えになっていた。

 腹がいっぱいになりようやく落ち着くと、みんな元気になり、旅館に荷物を預け散策に出掛ける。せっかくだから「夢の吊り橋」とやらを渡ってみようということになり、一部「美女づくりの湯」という県営の露天風呂に入りに行った数人を除き、土産物屋をひやかしつつ、寸又峡プロムナードと名付けられたハイキングコースへ向かった。僕は少し遅れて厨房屋の社長と歩く。

 一般車両通行止めのゲートの所で、環境美化運動のための募金を呼び掛けていた。一種の入場料のような形で百円寄付すると、吊り橋の絵葉書とイラストマップをくれた。昔はこんなのあったかしらと思った。きょうは日曜日なので近県からの日帰りの行楽客も多かったが、あの日は観光客らしいのはほとんどいなかった。

「これで今年も終わりか。一年なんて早いもんだなあ」

「そうですね」

「看板屋さんの景気はどうなのよ」

「全然ダメですよ。相変わらずひどいもんです」

「どこいってもいい話きかんのう」

 仕事の話、要するに共通のお客に対する愚痴を言い合いながら歩いた。穏やかな天気だった。森林の匂いを胸いっぱいに吸い込む。僕の心はいい意味で空白になっていた。だから話好きの社長のお喋りもうるさいとは思わなかった。

 雫がやけに大きな音を立てて反響するトンネルを抜ける。前の方の集団は騒がしい。吊り橋がはるか下の方に見えてきた。「まだあんなにあるのかよ」還暦を過ぎた厨房屋の社長は溜め息をつき、「俺はもういいや。先に帰って、湯にでも浸かってるわ」と言って引き返してしまった。

 そこは何も変わっていなかった。そこから橋の袂まで続く急な下り坂を、僕は一歩一歩踏み締めるようにして下った。


        *


 ――吊り橋の袂に立った時、僕は北原と顔を見合わせ、渡るのはやめようかと思った。美耶子は薔薇の花束を持って来ていた。前の日に買っておいたのを、朝から後部座席に置き放しだったので、何となく萎れているように見えた。「政道さんに薔薇は似合わないかしら。もっと相応しい花はないかしらと思ったんだけど……」と美耶子は恥ずかしげに言った。「でも、黄色の薔薇ならいいんじゃないの」と僕は言った。実際それくらい派手な花束の方がいいような気がした。

 彼女は橋の真ん中から花束を投げるつもりでいた。しかしその橋は、そんな動作をするには危ないように思えた。男たちの方が怯んでいた。むろん彼女は渡ると言うので、僕が先頭に立ち、次に美耶子、そして北原、成田の順で足を踏み出した。最初、間隔を詰めて渡りはじめたので、橋は大きく揺れた。四人のタイミングが合わなかった。

「おい、ちょっとタンマ、タンマ。止まってよ。もっと間を空けよう。くっついているとかえって危ないよ」僕は振り向かずに言った。

 中間地点を過ぎた辺りで、黒い影が谷底へ落ちてゆくのが分かった。僕は一瞬ぎくっとした。まさか……。止まる方が怖かったし、手すりのロープが低い位置にあるため上体をうまく支えられず振り向けなかった。僕が渡り切ると、美耶子、北原、成田と次々になだれ込んできた。しばらくそこにへたりこんでいた。

 立ち上がる。ところがその先がまた大変で、もの凄く急な登り坂が延々と続いているのだ。僕らは息を切らせながら登った。そしてようやく少しなだらかな所に出て、ひと息つく。それを過ぎると展望台へ続くアスファルトの道にぶつかる。路端にベンチが一つ置いてあった。そこでひと休みした。成田などは大の字に寝ころんだ。僕は呼吸を整えると、煙草に火を点けながら、こう言った。

「ひょっとしたら、本当は事故だったのかもね」

 成田も頷き、「こりゃあ怖いわ。ちょっとバランス崩したら真っ逆さまだもの」と言った。久坂が朝日に向かって横向きに立っている姿が浮かんだ。しかしその姿勢だと、片方に重心が傾き頭から落ちてゆきそうに思えた。「別にどっちでもいいけど、事故のような気もしてきた」と僕はもう一度言った。

 ――今、車止めのゲートでもらった案内図の説明を見ると、吊り橋は、長さ九十メートル、高さ八メートルで、渡る時は十メートルくらい先に視線を置き、揺れが上がった時に足を下ろすとタイミングよく渡れると書いてある。あの時は、橋はおろか周辺に僕ら四人しかおらず、谷間に取り残されたようで、よけい恐怖心が増していたのかも知れない。今こうしてみんなでわいわい言いながら渡ってみると、そんなに大袈裟な代物ではない。途中から引き返してくるオバサン達がいて、そこまで行ったのなら渡ってしまった方がいいのにと言いたくなる。この橋を一方通行にしているのは、たいしたことはないと言っても擦れ違うのは至難の技なのだから。


 舗装された道は、飛龍橋で再び大間川を渡ると、婉曲しながら続いている。トンネルの手前で来た道に合流し、一周一時間半ほどのハイキングコースは終わる。温泉街をひと通り見物する。久坂が泊まっていたというR旅館を外から眺め、駐車場に戻った。だいぶ寒くなってきた。時刻は四時を回っていた。もう間もなく日が暮れる。

「さて、どうしようか」と僕は言った。このまま真っ直ぐ帰るのは惜しいような気がした。成田はすでに車にキーを差し込んでいた。

「わたし、泊まっていこうかしら。日帰りのつもりだったけど、やっぱり泊まっていきたくなっちゃった」美耶子は言った。「みなさんどうですか? あ、わたしきょうお金持ちなんですよ。相部屋でもよければ宿代わたし持ちますから」

 それはいい考えだと僕は思った。成田は用事があるので帰ると言った。露天風呂があるみたいだから温泉だけでも入っていかないかと誘ったが、あんまりゆっくりしてはいられないんだと言う。「折角だから泊まっていきたいのは山々だけど、おれも明日があるしな……」と、さすがに北原は温泉に未練があるようだったが、「リンタが帰ると言うなら一緒に乗って帰るわ」ということになった。僕と美耶子は、傍目には出来ているとしか見えなかった。二人が余計な気を回しているような気がして、誤解するな、そんなんじゃないんだと言いたくなったが、まあいいやと思い、東京に帰って行く二人を見送った。美耶子が手を振る。こうして並んで見送る姿はどう見ても恋人同士だった。成田の車の白いボディが木立に消えると、僕は彼女に言った。

「なんか、あいつら誤解してないかなァ」

「迷惑でした?」

「いや。折角ここまで来たんだから温泉に入らなきゃ勿体ないよ」

 まず宿を決める。どこでも空いてそうだった。

「R旅館だけはやめとこうね」僕は言った。

「あら、そう言われると泊まりたくなるわねェ」

「いや、やめとこォ」

「冗談よ、冗談」

 宿が決まると美耶子を部屋に待たせ、僕は、県営駐車場に停めたままになっていた車を取りに行った。そして彼女の荷物と、いつも持ち歩いているバッグだけ持って部屋に入った。彼女はすでに浴衣に着替えていた。初めて見る浴衣姿。こちらの方が気恥ずかしくなってしまったが、僕も浴衣に着替え、彼女の煎れてくれたお茶(さすがに静岡だけあってお土産用の上質のお茶だった)を飲み、菓子を一口つまんで、さっそく湯に入った。誰もいない岩風呂に一人で浸かっていると、やっぱりあれは事故だったんではないかと思えてきた。温泉に入って幸せな気分になったあとで、自殺なんかしようと思うだろうか。そうとも限らないか。などと考えているそばから、彼女が湯を浴びている姿が目の前にちらついた。

 予約もなく、時間も遅かったので食事は外でということであったが、何とか用意出来るということになり、食事は部屋でした。僕はまったくの下戸で、彼女も見掛けによらずあまり飲める方ではなかったが、ビールを一本だけ取って、一応乾杯した。たしかこう言ったのだ。「君の未来に乾杯!」――今にして思えば、よくぞそんな気障を科白を言えたものだと思うが、あの場では、それは冗談でも洒落でもましてや口説き文句でもなかった。

 食事が済むと、食器を片付けるのと入れ違いに蒲団を敷きにきた。二組の蒲団はぴったり並べて敷かれた。賄いの人が出ていくのを見計らって、僕は笑ってそれを引き離した。「別に構わないわよ」と美耶子は言った。「まあ、一応ね」と僕は言い、少しだけずらした。二十センチほどの隙間。それは微妙な距離といえる。

 二人とも無口になっていた。しかし、それは急にお互いを意識しはじめたというのではなく、単に一日の疲れが出てくる頃だったからに過ぎない。温泉旅館に来てまでテレビはつけたくなかった。だがあまりにも手持ち無沙汰だったので、テレビのスイッチをひねった。ニュースは終わっていた。ヴァラエティ番組やドラマを見ても仕様がない。彼女も興味を示さなかった。しばらく教育テレビのクラシックのコンサート中継を流していたが、すぐに消した。本を読んでも身に入らない。何だかだるい。もう一度湯に浸かり、蒲団の上に寝ころがる。「ちゃんと寝ないと風邪ひくわよ」と肩を揺すられ起こされるまで、僕はそのまま眠っていたらしい。見上げるとかがみ込んだ彼女の顔が間近にあった。僕は一瞬、そのまま彼女を蒲団の中へ引きずり込もうかと思ったが、力が出なかった。「うん」と言って蒲団に潜り込み、本格的に寝てしまった。

 夜中に一度眼が醒めた。しかし、お茶を飲み、煙草を喫い、歯を磨き、ひと風呂浴びて、そしてまた寝た。彼女も静かな寝息を立てて眠っていた。二人とも疲れていたのだ。

 翌日、朝風呂に入り、食事をし、チェックアウトを済ませ、車を無料の県営駐車場に停めると、もう一度寸又峡を美耶子と巡った。温泉街の外周には、ほかにも「外森山ハイキングコース」とか「グリーンシャワーロード」とかそれぞれ名前の付いた一周一時間程度の散歩コースがある。グリーンシャワーロードからは朝日岳の登山道へ向かう道が延びていて、そこにも吊り橋が懸かっている。夢の吊り橋とは大間ダムを挟んだ下流にあたる。その橋は「愛のさんなみ(猿並)橋」という。一体、これらの名称は誰が名付けるのか。それらを隈なくそぞろ歩いているとすぐに昼になった。充分眠ったお蔭で僕らは晴々とした気分で、例のイベントでのパフォーマンスの感想を述べたり、カオスというバンドについて詳しく訊いたり、城山や武田の噂話で盛り上がったり、音楽や舞踏の話をした。

 帰りは大井川に沿って別ルートを辿った。行きの峠道とは異なり、国道は比較的なだらかで、大井川鉄道と平行して走る部分もあった。金谷を抜け、焼津市に入る。途中、滝を見に行ったり、公園に寄ったりしていたので、焼津インターから東名にのった時は、すでにとっぷりと暮れていた。しかしあとは帰るだけである。の、筈であった。ところが大井松田から渋滞しはじめ、伊勢原バス停あたりで完全に止まってしまった。ラジオをつける。横浜でトレーラーや大型トラックを含む車七台の玉突き事故が発生していた。このまま進んでも海老名SAは満杯だろう。僕は厚木で降り、二四六に迂回した。

 それで、ロイヤルホストだったかデニーズだったかに入り、食事をした。街はクリスマス気分でどこも混んでいた。年末の五十日だったのかも知れない。この先たとえ空いていたとしても一般道ではそれなりに時間がかかる。僕は覚悟を決め、美味くもないコーヒーをお替わりし、ゆっくりしていた。

 いい加減いいだろうと思い店を出た。二四六をしばらく快適に走る。そのうち沿道にモーテルが連なっているのが見えてきた。いくつかやり過ごしているうちに、ほとんど無意識にハンドルを切り、狭い路地に入っていた。門を潜り、空いているガレージへ車を滑り込ませた。彼女は何も言わなかった。ハンドブレーキを引き、エンジンを切った時、僕ははじめて彼女を見た。部屋に入る。彼女は黙ってついてきた。どうしてこうなってしまったのかと思いながら、僕は立ち尽くしていた。

「シャワー浴びてくるわ」と美耶子はこともなく言う。どうせこうなるなら、きのうにしておくべきだった。ムードもへったくれもない。彼女と入れ替わりに僕もバスルームに消える。出てくると、彼女はバスタオルを巻いただけの姿で長い髪を丹念に梳いていた。

 僕らは自然に抱き合い、接吻した。思えば接吻すら初めてであった。筋肉質の身体だった。事の間、僕らはほとんど声を発さなかった。それはまるで何かの儀式のようであった。身体を離してからもしばらく横たわっていた。煙草を喫いたくなったが、彼女の頭から腕を抜きたくなかったので、そのままじっとしていた。しばらくたって美耶子はぽつりと言った。

「内野さんともいつかはこうなると思っていたわ」

「がっかりした?」

 美耶子は首を振り、

「でも……、最長記録ね」と言った。

「なんの?」

「丸四ヵ月もお付き合いしていて、何もしなかった人なんて初めてよ」

「そりゃどうも。でも久坂がいるだろう。彼とは何もなかったんだろう?」

「そうだった、政道さんがいた。絶望的に何もしない人だったわね。莫迦みたい、死んじゃって。内野さんと政道さんはどことなく似たところがありますよね」

「そうかなあ、僕は彼とは性格的に違うと思うけど。むしろシニカルなところとか、見掛けなんかも北原の方が近いんじゃない。……だけど、少なくとも君に関しては、僕も久坂の気持ちが解かるよ」

「やっぱり妹?」

「うーん、ちょっと違うな。従妹ってとこかな。……それよりさあ、どうせこうなるなら、きのうの方が良かったね。折角、温泉旅館にいたのに、間抜けだよね」

「わたしは準備していたのに、内野さんたらさっさと寝ちゃったじゃないですか」

「うん、寝ちゃったね。やっぱり疲れていたのかなあ」

 もう一度僕らは抱き合った。今度はもう少しましな扱いが出来た。美耶子はのけぞり、僕は深く侵入していった。

 翌朝は、切りがないので、もう何処にも寄らず、サンドイッチを車内でつまんだだけで、そのまま彼女を家まで送り届けた。

「さようなら」今度は僕の方から言った。「楽しかった。君と出会えて良かった。……もう逢わない方がいいね」

「はい。いろいろありがとうございました。感謝しています」

「元気で」

「内野さんもお元気でね」

 そう言って僕らは別れた。年が改まって、「生まれ変わります」と一言だけ書かれた年賀状が届いたが、それを最後に、美耶子とはそれきりになった。


        *


 宴会が始まった。僕は体質的にまったく酒を受け付けなかった。ほとんど一滴も飲めないと言っても過言ではない。ひたすら料理を食べた。無理強いはされなかったが、全然口を付けないというわけにもいかず、何ヵ月振りかにアルコールを口にした。一口飲んでは注がれつしたが、それでもビールをコップ一杯飲み切ってはいなかった。しかし僕にとってはすでに許容範囲を越えていたので、カラオケの番がきて、急に立ち上がったら眩暈がした。歌っている途中で朦朧としてきた。声量がいる曲だったので、血液が沸騰し一気に酔いが回ってきた。だんだん声も出なくなり、目の前が真っ暗になった。比喩ではなく。曲が終わらないうちに僕はその場に倒れていた。なんとか這い上がったが、宴会が終わるまで、隅の方で横になっていた。コンパニオンがおしぼりを持ってきて、いろいろ世話を焼く。だが、僕はこのコンパニオンだとかホステスだとかいうやつが苦手だった。中締めが済むと、すぐに部屋へ戻り、蒲団を被って寝た。

 十二時頃になって、やっと気分が戻ってきて眼が醒めた。三時間近く寝ていたことになる。煙草を喫いながら夜風に当たっていると、斎藤君が覗きにきた。誘われて彼の部屋に行く。最初は五、六人いたのが、一人消え、二人消え、蒲団に潜って鼾を立て始めるのやらで、下の階からは雀卓を囲む音がまだ響いていたが、午前三時を回った頃には、部屋で起きているのは斎藤君と鳥越さんと僕の三人だけになった。

 二人は内装工事の現場監督で、鳥越さんは五つ六つ上だったが、斎藤君は唯一同年輩だった。いろいろ話をしているうちに、三人とも大卒であることが判った。斎藤君とは同級生であることも判り、C大出身ということは財津美耶子とは同窓生ということになる。ゼミで一緒だった奴に馬鹿な奴がいてだとか、今年はうちのラグビー部が頑張っているだとか、野球の東都大学リーグで二部に落ちてしまっただの、駅伝がどうのアメフトがどうのという話になり、僕は非常に懐かしい気分になった。この業界では大卒は珍しかった。僕の職場には皆無だった。僕は、親を含め友達はほぼ百パーセント大卒だったが、社会に出てみると、それは意外に少数派であることが判った。今の会社に転職してそれを強く実感した。学歴差別とかそういうことではないのだが、僕らにとって普通の話題でもほかでは厭味になる。大卒であることが逆にマイナスになることもある。大学を出ていることと仕事が出来ることとは何の関係もない。鳥越さんや斎藤君と話していて、僕が日頃感じていた違和感は何だったのかがはっきりしてきた。僕らは別に高尚な話をしていたわけではない。だが例えば、「学生時代」という言葉をつい口にしてしまった瞬間に、差異はすでに生じているのであって、学生とは大学生を意味するので、高卒や専門学校出の者は「学校の頃」というような言い方をする。ゼミのOB会がどうのなどということは間違っても口に出来ない。

 二人と話をしていて、そんなことを思いながら、一方で、ここ数日、僕は何故こうも執拗に久坂のことを思い出していたのかを考えた。自分の部屋に戻ってからも、いい加減眼が冴えてしまい眠れなかった。僕の部屋のほかの人達はみな出払っていて、下階でまだ麻雀をしている。このままテツマンだろう。僕はもう一度湯に浸かりに行った。

 ――久坂政道は十二年前に死んだ。ということは、僕は彼より十二年長く生きたことになる。だが、それが何だという思いだ。一体、この十二年間に何をしてきたというのだ。確かに、二十歳以降の十二年の方が、それ以前の十二年よりはるかに《人生》と呼べるものではあったし、欠け替えのない、目に見えない財産もそれなりに得てきたが、それは否応なしに《社会》と関わっていかざるを得なかったからで、果たして《自分自身》はどうであったのかということだ。

 先月、久し振りに北原広志から連絡があったと思ったら、離婚したという。そのこととも関係している。十二年前にいろいろなことが始まり、十二年後にはすべて終わっていた。北原は大学の後輩と六年前に結婚した。その結婚式以来、成田倫太郎とは会っていなかった。二十歳の誕生日に結婚した武田行雄も、二年前、三十の誕生日に離婚した。僕らはいつまでも学生気分が抜けず、二十代後半に到るまで、学生時代そのままの付き合いが続いていたが、それも三十を過ぎるとさすがに途絶えがちになってきた。それはごく自然なことで、本当はいいことなのだ。それが《成熟》というものだ。しかし――。

 一体《大人》になるということはどういうことなのだろう。それが僕には未だに判らない。三十を越えても学校を卒業できない自分を発見するだけだ。僕が独身でいるのもそういうことかも知れない。とても家庭など持てそうにない。

 あの財津美耶子はどうしているだろうか。生まれ変わると言った。それからの十二年をどう生きたであろう。結婚して子供がいてもおかしくはない。幸せに暮らしているだろうか。何はともあれ、僕はそれを祈った。結局、久坂のことを思い出していたのは、自分が十全に生きていないと思えて仕様がないことの現れなのであろう。

 真夜中の温泉に浸かりながら、そんなことをあれこれ思っていると、ますます眼が冴えてきてしまった。ふと、夜の「夢の吊り橋」はどうなっているのかと思った。月明かりに照らされたシルエットが目に浮かんだ。久坂が立っている。いや、それは僕だった。美耶子が対岸で手を振っている。僕はどっちへ渡ろうとしているのか。やがてすべては闇に包まれ、そして「はじけ」た。

                      (了)

『夢の吊り橋』西山正義

〔第一稿~第四稿105枚〕

起筆・平成八年一月六日

再起筆・平成八年十月三十日

擱筆・平成九年一月十五日

【初出】『日&月』第三号・一九九七 春(平成九年三月発行)


『車中での会話』執筆・平成九年六月二十五日

(『久坂葉子について――附・「夢の吊り橋」外伝』)

加筆訂正・平成九年七月二日

校正・平成九年七月十五日

【初出】『日&月』第四号・一九九七 秋(平成九年十月発行)


〔第五稿118枚〕

平成十年十二月二十一日/平成十一年一月八日~十日

【改稿版初出】ウェブサイト「西向の山」平成十四年四月

(C)1997 Nishiyama Masayoshi

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